先週の土日も雨模様でどこにも行けなかったので競馬予想で週末を過ごしました。日曜日にはGⅠレースの高松宮記念(中京11レース、芝1200メートル)が開催されましたが、予想は難解を極めました。確たる本命馬不在の混戦レースの上、雨で馬場が荒れてさらに不確定要素が加わり、展開すらなかなか読めませんでした。
私はその中で◎ロータスランドを本命にしました。同馬は芝重1.2.0.0.の成績で、重馬場だった昨年の高松宮記念も2着に来ています。そして前走の京都牝馬Sでも3着に好走。岩田康誠の騎乗で、イン突きによる馬群割りで混戦から抜け出てくると予想しました。
同じ理由で〇メイケイエールを対抗に。同馬も重馬場実績があり、昨年の高松宮記念では5着に好走。騎手も大胆な乗り方をする池添が騎乗。但しこの馬はむらっ気があり成績が安定しません。そこで昨年の高松宮記念に勝ちスプリンターズSでも3着に好走した▲ナランフレグ、3連勝後に前走の阪急杯でも勝った★アグリ、芝千二では常に掲示板確保の安定株★ナムラクレアの3頭で、◎〇の不安定性を補う事にしました。
以下、連下の△には昨年3着のキルロード、阪急杯2着のダディーズビビッド、オーシャンS1着のヴェントヴォ―チェ、スプリンターズS2着のウインマーベルを配して、◎―〇▲★―〇▲★△の三連複フォーメーションと、◎〇▲★の馬連ボックスの2種類の馬券をそれぞれ100円ずつ買う事にしました。
ところが結果は、2着こそ★ナムラクレアが来たものの、1着には12番人気のファストフォース、3着にも13番人気のトゥラヴェスーラが来て、馬連7920円、三連複81180円の大波乱で終わりました。
直前に買った馬券攻略本の影響で、内枠重視の予想をしてしまった事が敗因です。確かに一般的には距離ロスのない内枠が有利で、荒れ馬場では追い込みが利かないのでさらにその傾向が顕著に出ると言われています。
でも、それはあくまでも一般論でしかありません。実際は同じ重馬場でも雨の降り方次第で馬場状態は変わります。雨上がりでは排水の良い内側から馬場が乾いてきますが、雨降りの中では高くなっている外側の方が逆に走りやすい場合もあるのです。
それに内枠は、距離ロスがない代わりに、外から包まれるリスクがあります。特に中京競馬場のコーナーはスパイラルカーブになっていて、入口よりも出口が狭くなっているので、そのリスクはさらに高まります。しかもゴール前には急な坂もあるので、余り飛ばし過ぎると上り坂でバテてしまいます。必ずしも内枠有利とは言えないのです。(上記コース図参照)
その中で、ファストフォースは、7歳の高齢で、枠順も7枠13番と比較的外側でした。GⅢでこそ好走歴がありますが、GⅡ2着が最高で、最近ではオープン特別でも勝ちあぐねています。GⅠでは格下感が否めないので消しにしてしまいました。
でも、レースが終わって改めて同馬の成績を見直してみると、昨年秋のスプリンターズS10着大敗後は、京阪杯7着(勝ち馬と0.9秒差)→タンザナイトS4着(同0.4秒差)→シルクロードS2着(同アタマ差)と、着実に成績が上向いていました。そして先週の追い切りでも、栗東坂路で12秒ジャストの好タイムを出していました。
それなのに、私はトラックバイアスにばかり気を取られ、高齢・外枠・格下だからと消しにしてしまったのです。混戦で買い目を絞らなければならないと焦ってしまい、他の馬の表面的な「好成績」にばかり目を奪われて。混戦になればなるほど、冷静に判断しなければならないと、今回の件で痛切に感じました。
【高松宮記念】大波乱! 異色の戦歴を持つ12番人気ファストフォースはなぜ29戦目にしてG1初勝利を飾れたのか? (msn.com)の記事コメント欄にも同じ趣旨の事を書きましたので、ご参考に。
他の人にとってはどうでも良い事かも知れませんが…。
アベノミクスの時も景気回復感ないと感じる人が多かったのは確かなのに、そんな声は一部だ、景気は回復していると、政府の太鼓持ちみたいな事まで言わなければ公平ではないとされるなら、それはもはや報道番組ではなく唯の政府広報だ。その声に文句があるなら別の番組でそれを主張すれば良いだけだろう。
先月の初めに、松竹伸幸さんと言う方が共産党を除名された事で、共産党の閉鎖的体質が改めて浮き彫りになりました。松竹さんは、長年に渡り共産党の幹部だった方で、今は「かもがわ出版」という出版社で編集主幹をされており、「超左翼おじさんの挑戦」というブログも運営されています。その方が、今年1月末に、「シン・日本共産党宣言」(文春新書)という自著の中で、「共産党も他党のように党首公選制を導入すべし」「安保も自衛隊も認めるべし」と主張されました。それに対し、共産党は、「党の方針に異論があるなら、先に党内で提起すべきだったのに、それをせず、いきなり党外の出版物で、党を攻撃した」から除名したと反論して、両者の間で論争になっています。
私も、かつて生協で働いていた時は共産党員だったので、この論争には興味があり、「シン・日本共産党宣言」も買って読みました。でも、「党首公選制」には賛成できても、「安保も自衛隊も認めるべき」という意見にはとても賛成できず、自分の考えをなかなかまとめる事が出来ませんでした。今ようやくまとめる事が出来ましたので、ここに公表する事にします。やはり「党首公選制には賛成だが、安保・自衛隊容認には賛成できない」。これが私の考えです。
まず「党首公選制」について。何故、共産党が「党首公選制」を導入しようとしないのか?それは、「民主集中制」という党運営の原則と相容れないからです。「党内では民主的運営に心がけ、党員は自由に自分の意見を公表できる。しかし、党の公式見解と異なる意見を、いきなり党外で発表してしまったら、党の団結は阻害され有権者も混乱する。党内に派閥が生まれ、党活動よりも派閥争いの方が優先してしまう事になる。「党首公選制」なんて導入したら、党内は派閥争いでグチャグチャになってしまう。だから、党の人事は、中央委員会で選ばれた常任幹部会で原案を決め、中央委員会総会や党大会で承認する、今のやり方が最も民主的なのだ」という訳です。
確かに、この理屈にも一理はあります。民間企業でも、社の方針や人事は、社員投票なんかではなく取締役会で決めます。特に共産党の場合は、長年に渡り、権力から弾圧されて来た歴史があります。戦前の党員作家・小林多喜二に対する拷問や、戦後の占領軍によるレッド・パージ(共産党員の公職追放)など、その例は枚挙にいとまがありません。おまけに戦後は権力側からだけでなく、本来なら仲間であるはずのソ連や中国の共産党からも、外部から革命方針を押し付けられたりしました。そのせいで、党が分裂させられ、一時は存亡の危機に瀕しました。
その中から、「議会制民主主義の中で、あくまで選挙で多数派になり政権を取る。ソ連や中国の党に対しても、同じ共産党だからと言いなりになるのではなく、あくまで自主的な立場から是々非々で臨む」という、今の共産党の方針が確立されました。各党の党規約を見ても、党員の権利や義務について、最も細かく書かれているのは、共産党の規約です。「党の会議で、党のいかなる組織や個人にたいしても批判することができる。また、中央委員会にいたるどの機関にたいしても、質問し、意見をのべ、回答をもとめることができる」(党規約第5条)。他の党はここまで書いていません。
逆に自民党なぞは、「公の場所又は公に発表した文書で、党の方針又は政策を公然と非難する行為」は「党の規律をみだす行為」で「処分を行う」(自民党規律規約第9条1のイ)とまで書いておきながら、党議員の一部が党の方針に反して、他党の候補者を応援したり、保守分裂選挙を各地で繰り広げているではないか。そちらの方がよっぽど無責任ではないか。それに、党首(総裁)公選制と言っても、実際に選ぶ権限を持っているのは党所属の国会議員だけで、地方のヒラ党員の票は、議員票の何百分の1ほどの値打ちしかない。そんな形だけの党首公選制を導入するぐらいなら、今のままの方が良い…これが今の共産党の考え方です。
でも、そこには落とし穴があります。いくら民主的な制度を整備した”つもり”でも、長年に渡り、党幹部だけで物事を決めていては、「井の中の蛙」になってしまいます。「世間の常識」が通じない集団になってしまいます。現に私がいた生協でもそうでした。「生協は民主団体で、消費者運動をやっているから、残業代が付かなくても仕方がない。(今はそうでもないが)昔は生協運動がやりたくて生協に就職した人がほとんどだった。基本給とボーナスで、ある程度の生活が保障されているのだから、後はボランティアでも仕方がない。それに不満を抱いて、労働基準監督署にかけこんでも、労基署も警察(権力機構)の一種なので、生協弾圧に利用されるだけだ」。
そう思い込んでいる人が大半でした。だから、残業代不払いだけでなく、パワハラやセクハラも横行していました。生協の配達中に事故でも起こしようものなら、その日の職場の総括会議で、運転者は全員からつるし上げにされました。運転技術の未熟さだけでなく、日頃の勤務態度までやり玉に挙げられて、人格攻撃されました。サービス残業も、ほんの15分のつもりが、2時間、3時間になり、「幽霊出勤」(休日に出勤してタイムカード押さずに仕事しなければ仕事が回らない)や泊まり込みが常態化していました。
生協の中には労働組合もあり、職場には共産党員も大勢いました。しかし、誰一人として、それを是正する事は出来ませんでした。この私も含めて。それでよく「労働者の味方」ヅラできたものだと、今なら言えますが、当時はそれが当たり前だと思っていました。今から思えば、一種の洗脳状態にあったのだと思います。かつてのオウム真理教や今の統一教会と、一体どこが違うのか?
勿論、こんな思い出ばかりではありません。楽しい事も一杯ありました。仕事でも組合活動でも党の活動でも。だから、20年近くも生協におれたのだと思います。でも、最後はもういたたまれなくなり退職しました。そして共産党も離党しました。その後に、今の会社に就職し、非正規雇用で働いてきました。今の会社も、民主的とはとても言いがたい職場ですが、それでも安い給料ながらも、うつ病も患わずに普通に暮らせるのは、当時の教訓があったからだと思います。「もう二度と同じ目に遭って堪るか」と。
生協が政権を取る事はありませんが、政党は政権を取るのが最終目標です。どんな小さな野党でもそれは同じです。だから政党には、労働組合や生協以上に、民主的運営が求められるのです。それは共産党とて例外ではありません。どんなに権力から弾圧されようと、それを口実に、党員の基本的人権や自由を奪う事があってはなりません。
それと同時に、我々有権者の方も、権力のそんな弾圧を見過ごすような事があってはなりません。今も自民党政権は共産党を破防法の対象にして、公安調査庁の職員が共産党員を監視しています。共産党が今の議会主義の政党になってから、もう60年以上にもなると言うのに、いまだにそんな事をしています。共産党に言論・表現の自由や党首公選制を求めるのであれば、共産党の言論・表現の自由も保障しなければ筋が通りません。共産党を破防法の対象から外すべきです。
その一方で、松竹さんは、同じ著書の中で、「安保も自衛隊も容認すべきだ」と書いています。「今や安保・自衛隊賛成論が、国民の9割近くに上るのだから、共産党も安保・自衛隊を容認すべきだ。それを訴え党首選挙に出馬するために、党首公選制を主張しているのだ」と言うのが、松竹さんのもう一つの主張です。私に言わせれば、この「安保・自衛隊容認論」も、一種の「洗脳」に過ぎないのですが。
勿論、松竹さんも今まで共産党員だった方ですから、理想はあくまで安保廃棄・自衛隊解消にあります。しかし、ロシアがウクライナを侵略し、中国も台湾進攻をちらつかせる今の時代に、それを言っても国民は付いて来ないので、「野党共闘の方便」として出して来た安保・自衛隊「凍結」の主張を「容認」にまで引き上げ、「核抑止抜きの専守防衛」を新たな野党共闘の旗印にすべきだと言うのが、松竹さんの主張です。
でも、私はこの主張に与する事は出来ません。現時点で「安保・自衛隊を容認する」事は、「沖縄の基地負担や辺野古移設を容認する」事に繋がります。全国の0.6%の面積しかない沖縄県に米軍基地の75%が集中しており、嘉手納町に至っては町域の82%を占めるまでに至っています。県土の主要部分を米軍基地に占領され、米兵犯罪も日米地位協定の壁に阻まれ治外法権のままです。沖縄県民の人権侵害を見殺しにして、「共産党員の言論の自由」もクソもないだろう(怒)。
昨今、何かと言えば「ロシアが、中国が」と言いますが、米国も中東や中南米で同じ事をやって来ました。その結果どうなったか?アフガニスタンでは逆にタリバンの復活を許してしまい、イラクは今も混乱の中から抜け出せずにいます。中南米でも、今までの米国の横暴に対する反発から、再び左派が大陸を席巻するようになりました。ところが、ウクライナや東アジアではロシアや中国の横暴の方が目に付くので、同じ覇権主義の国でありながら、米国はそれよりもマシな国のように思われてしまっているのです。
「核抑止抜きの専守防衛」も、自民党の良識派が主張するなら私も納得します。今の安保法制容認、43兆円もの大軍拡予算よりは、はるかにマシですから。でも、仮にも社会変革を目指そうと言う共産党が、かつての自民党と同じような主張をしてどうするのか?「その程度の共産党なら、昔の自民党の方がはるかに良かった。確かに今の自民党政治は酷いが、それでも『腐っても鯛』『寄らば大樹の陰』。共産党なんかより自民党の方を支持する」となるに決まっています。
元々、あの安保・自衛隊「凍結」方針は、「専守防衛すら投げ捨て、米国の始めた戦争に地球の裏側まで付き合う」そんなとんでもない安保法制を廃止するために、安保・自衛隊容認の立憲民主党とも手を組んで、まとめた暫定的な政権公約です。最終目標はあくまで安保法制廃止であり、その先はまた選挙で国民の信を問えばよい。そういう公約だったはずです。新自由主義見直しなどの、数ある野党政権公約の一つに過ぎませんでした。
ところが、それがいつのまにか独り歩きしだして、まるでそれだけが野党共闘の踏み絵のように宣伝されてしまった。その為に、立憲民主党も「立憲共産党」と言われるのが嫌で、共産党との共闘に消極的になってしまったのです。ではなぜ、「希望の党」には行かずに立憲民主党を立ち上げたのか?自民党と似たり寄ったりの野党が幾ら集まっても、自民党の劣化コピーにしかならないのに。
安保法制廃止のめどが立たなくなった今となっては、立憲民主党なぞあてにせず、同じ立場を堅持している社民党やれいわ新選組と共闘する方が、よっぽどスッキリします。そこに立憲が乗ってくるならそれでも良いですが、仮に乗って来なくても、共産・社民・れいわの3党でまとまる方が、国民にとっても分かりやすいです。同じ党首選挙をやるなら、そういう選挙を共産党の中でやってもらいたいです。そこでは安保法制だけでなく子育て支援やコロナ対策、賃上げや新自由主義見直しも争点にします。その結果、3党連立派が当選すれば(私はこの可能性も決して少なくないと思っています)、その影響は共産党の中だけに留まりません。次の野党共闘の在り方や自民党総裁選にも及ぶのではないでしょうか?