ブログ更新が滞って申し訳ありません。実は心霊現象にさいなまされていましたw。大阪の西成にも実は心霊スポットがあります。スパワールドの裏手にある通称「首吊り廃墟」がそうです。居酒屋や立ち飲み屋が周辺に林立している中で、そこだけが奇妙な静寂に包まれています。元は大阪国技館という相撲施設があった所で、手前にはその事を記した石碑と案内板も建てられています。
そこが何故、写真の様な廃墟になったのか詳しくは知りません。何故そこが「首吊り廃墟」と呼ばれているかと言うと、そこで首吊り死体が発見されたからです。発見したのはスパワールドの宿泊客です。窓から廃墟の方を見ると、首吊り死体がぶら下がっていたという事で大騒ぎになりました。そこから心霊スポットの噂が広まりました。暇な人はネットで検索してみて下さい。但し、現地に行っても火事で焼け残った建物が建っているだけです。周囲も壁に取り囲まれ立ち入ることは出来ません。くれぐれも、勝手に立ち入って不法侵入で逮捕されたりしないように注意して下さい。
そして我が社にも心霊スポットがあります。冷蔵倉庫内の商品仕分けラインにある2つの店の場所がそうです。ラインは1番から8番まであります。そのうちの8番にある2つの店です。その店は隣同士にありましたが、仕分けするたびに誤配が起こるようになりました。何度注意して商品を仕分けしても、作業員が店の行き先ラベルを貼り間違えて隣の店に誤配されてしまう事故が相次ぎました。そこで、業を煮やしたスーパーが、遂にその2つの店を引き離して、片方の店を8番から最も離れた1番ラインに隔離する事になりました。正に「呪われた2つの店」です。特に1番ラインの隅っこに追いやられた店の方では、周囲にまるで結界でも張り巡らされたかのように、仕分け作業で入るたびに原因不明の悪寒におそわれますw・・・。
こんな笑い話みたいな事が我が社で起こっていたので、その対応に手を取られていました。詳しくは会社のHPに投稿した私の下記の問い合わせメールを参照して下さい。
●テレコ出荷事故への対応について(1月26日投稿)
今週初めの夜勤作業で、27番〇〇店と42番△△店のカゴ車が丸々1台テレコ(あべこべに)出荷されてしまう事故がありました。会社側の説明では、この2つの店は、同じ8番ラインの隣同士の場所にあり、仕分け作業で満車になったカゴ車を出す際に、作業者が誤って隣のバーコードラベルを貼ってしまった為に、テレコ出荷されてしまったとの事でした。この2店については、以前にも同様のテレコ出荷事故が起こっているので、両方の店を別々のラインで仕分けする事になりました。
しかし、私はこの会社側の対応について、以下の点で疑問に感じます。
①単に仕分け作業でのラベルの貼り間違いだけが原因なら、どちらかの店の誤配だけで済む筈です。両方の店のカゴ車が同時にテレコで配達されてしまうような事にはなりません。それがテレコにまで至るのは、作業者が時間に追われて、ラベル貼り作業を後回しにせざるを得なかった可能性があります。果たして当日の作業管理は適正だったのでしょうか?
②会社は事故後に、バイト全員に対して、どんな時に出荷ミスが起こりやすいかを問うアンケートを取っています。つまり、この時点では、事故原因の究明はまだ始まったばかりでした。以前にも同様のテレコ事故があったからと言って、事故原因の究明も進まないうちに、何故ライン変更だけを急ぐのでしょうか?「隣同士だから事故が起こった」なんて言い出したら、それこそ毎日ライン変更しなければならなくなります。
③何故よりによって、それまで洋日配専用の8番ラインで仕分けしていた27番店を、わざわざ和日配専用の1番ラインで仕分けするようにしたのですか?そんな事したら、1番で和日配商品仕分け終了後に、また洋日配商品の受注データをダウンロードして仕分けしなければならなくなります。それでまた新たな事故を引き起こしたら一体どうするのですか?同じラインの中で場所を離す、もし違うラインで仕分けするにしても、同じ洋日配ライン(4、6~8番)の中でのライン異動に留める等、他にもっと容易な変更方法があるのに、何故こんな煩雑な事をしなければならないのでしょうか?
事故原因の究明もなおざりにしたまま、仕分け作業者に余分な負担だけを強いる今回のライン変更には絶対に納得できません。
●事故の根本原因(1月30日投稿)
過日投稿した誤配事故はテレコ出荷ではありませんでした。42番△△店に行くべきカゴ車1台がラベルの貼り間違いで27番〇〇店に誤配されてしまった単独事故でした。以上訂正しておきます。
その事故対応ですが、双方の店名・番号が類似しているならともかく、類似もしていないのに、以前も同じ店同士で誤配があったからというだけで、わざわざ異なるカテゴリー区分のラインに異動し、仕分け作業の手間を増やすだけの対応には、どうしても納得が行きません。
前回も今回も、誤配したのはベトナム人留学生バイトでした。むしろ、そこにこそ誤配が何度も起こった原因があるのではないでしょうか。これが言葉が通じる日本人相手なら、たとえ仕分け初心者であっても正確に作業しなければならない事ぐらいは伝わります。しかし、言葉も通じない外国人労働者に身振り手振りで作業を教えただけでは、「ただ数通りに箱を分ければ良い」ぐらいにしか伝わりません。何故、カゴ車を正しくセットしなければならないのか?店舗ラベルをカゴ車に貼っておかなければならないのか?店舗ラベルとバーコードラベルが一致している事を確認しなければならないのか?言葉も通じない相手に、身振り手振りだけで、そんな細かい所まで説明するのは無理です。
だから誤配が立て続けに起こったのです。そんな事は少し考えれば誰でも分かります。でも、外国人労働者を教育するには時間も手間もかかる。一方で上からは「事故の責任を一体どう取るのか?」と日夜詰め寄られる。そこで苦し紛れに、仕分けレイアウトのせいにして、ライン変更だけでお茶を濁したのでしょう。
でも、幾らそんな事をしても、根本的な解決にはなりません。変更後もまた同じ様な事故を起こすだけです。むしろ「何か言っても睨まれるだけだ。ただ上から言われた通りに、形だけ取り繕えば良いのだ」という風潮が蔓延して、ますます「ただ数通りに箱を分ければ良い」だけの仕事に成り下がってしまいます。
そうなってしまったのも、元はと言えば会社や社員がそれに流されて来たからです。それでも、どうしてもライン変更で済ませたいなら、一旦手仕分けの形にして、バイトに負担を押し付けるのではなく、社員の手でデータ読み替え処理をするのが筋だと思います。
以上が誤配事故について私が会社に問い合わせた内容です。それに対して所長から事故の内容について説明も受けました。所長の説明によると、事故が起こったのは作業終了間際の、もう仕分けなければならない商品もほとんど残っていない時間帯です。作業に追われてラベルを貼り間違えたというならまだしも、別にそんな状況でもなく、現場が商品やカゴ車でごった返して混乱した状況でもなかったのに、何故、隣の店のバーコードラベルを貼ってしまうといった凡ミスを、同じ店で2度もやらかしてしまったのか?
ラベルを貼り間違えてしまったベトナム人バイトに確認しようにも、最初に貼り間違えたベトナム人は既に退職してしまっています。2回目に貼り間違えたベトナム人も、日本語が通じない為に、きちんと聞き取りが出来ませんでした。そこで、状況証拠から事故原因を推測すると、おそらく「元々カゴ車に店の行き先ラベル(店舗ラベル)を貼っていなかったのではないか?」と言うのです。
仕分け作業のカゴ車には、最初に店舗ラベルが貼られます。それを貼っておかないと、仕分け中にどこの店のカゴ車か分からなくなりますから。そして、カゴ車が商品で一杯になると、作業者はその店のバーコードラベルを貼って、携帯端末でバーコードをスキャンして、カゴ車を所定の場所に持って行きます(下記マニュアル参照)。そこで、もし間違えて隣の店のバーコードラベルを貼ってしまっても、店舗ラベルとバーコードラベルが一致しなくなるので普通は気付きます。しかし、作業員がその意味を理解せず、単に「商品を積むだけ」「目の前にあるバーコードをスキャンするだけ」と認識してしまっていたらどうなります?相手は言葉も満足に通じない外国人労働者です。十分あり得る話です。
こんな事になってしまったのも、会社が政府の尻馬に乗って、言葉も通じない外国人労働者を、単に安い賃金で雇えるからという理由だけで、安易に人手不足の穴埋めに雇ったからではないですか。そうであるにも関わらず、ベトナム人教育係までバイトの私に丸投げし、カゴ車1台分を丸々誤配してしまう重大事故が起こっても、それを仕分けレイアウトにせいにして、店同士を引き離せばそれで良しとして、それに伴う余分な作業が増えても、バイトに押し付ければ良いとする。
それに異議を唱えても「上が決めた事だから仕方ない」と。じゃあ、もし上が藪医者で、インフルエンザにかかっても通常の風邪薬しか処方してくれなかっても、「上が決めた事だから仕方ない」と受け入れるのか?もし自分が患者なら、絶対にそんな事ないですよね。「ちゃんとした薬を処方してくれ」と言うでしょう。それが何故この場合はOKなのですか?困るのはバイトで自分ではないからでしょう。
受注データの切り替え自体はそんなに難しくはありません。別のカテゴリーのデータをラインのパソコンにダウンロードして、そのカテゴリーの画面に切り替えるだけです。でも、メチャメチャ忙しい時はその秒・分単位の遅れが命取りになる場合もあるのです。そもそも会社や社員の監督不行届で起こった事故なのに、何故バイトだけに負担をしわ寄せされなければならないのか?そんな事を許してしまったら、次はバイトの首切りが強行されますよ。事故も増えはしても減る事は絶対にないです。
そういう「形だけ取り繕えば良い」という仕事のやり方が、単に「商品を積むだけ」「目の前にあるバーコードをスキャンするだけ」「間違えて積み間違えたりスキャンし間違えても知ったこっちゃない」という無責任な態度を増幅してしまっているのではないですか。今の厚労省の統計偽装、安倍政権のアベノミクス偽装と同じ事を、会社もやってしまっているじゃないですか。
本当は私も、わざわざ会社に睨まれてまで、こんな同じ事ばかりウダウダ言いたくはないのです。でも、誰かが言わないと、また同じ事が繰り返されてしまうじゃないですか。進歩も改善も絶対にあり得ないじゃないですか。だからしつこく書くのです。外国人を雇う以上は、それに見合うだけの教育を、外国人労働者にも我々日本人労働者にもきちんと施せよ。それを出来るだけの体制をちゃんと作れよ。会社の責任で。言いたいのはそれだけです。
ブログのコメント欄で、「今住んでいるホテルの共同浴場の臭いが気になる」という話から、「やっぱりキッチンやトイレ・風呂も付いた物件に引っ越すべきだ。外食だけでなく自炊もすべきだ。別に炊飯器でなくてもドンキで格安の電気鍋を買えば、炊飯だけでなく他の調理も出来る。電気ケトルでもうどんなら茹でられる…」という話になり、遂に買いました。近くのドンキで税抜き1980円の電気グリル鍋を!
それを機に、今まで買っていた朝食用の買い置きのパン以外に、電子レンジでも鍋でも炊けるお米・うどん、レトルトの味噌汁・カレー・サバ缶、お米をバックのまま食べるのも気が引けるので食事用の食器を幾つか、近所のドンキ・イズミヤ・ダイソーで買って来ました。お米は5食分、味噌汁は3食分、パンは3袋で4日分。まずは、うどんを鍋で茹でて昼食にしました。失敗した時の為に、お握りも2つ買い込みました。
ネットで色々調べたら、電気ケトルに直接お米と水を放り込んでお米を炊いた動画もアップされていました。( ̄◇ ̄;)
動画の主は「美味しい、美味しい」と言って食べていましたが、ケトルにこびり付いたご飯粒を洗い流す手間を考えると、これだけは流石に実行する気にはなれませんでしたw。
まずは昼食編。グリル鍋のプレートにサーモスタットの付いたコンセントを差し込み、温度調節ダイヤルを回すと、料理に応じた加熱が出来る仕組みになっています。プレートに流し込む水の分量はケトルに付いた目盛りを目安にします。
そのグリル鍋にうどんを入れて茹でるのですが、うどん袋に書いてある250mlでは麺が水に浸からないので、倍の500mlほど鍋に入れました。最初うどんがなかなか解れなくて困りました。
そして、お湯が沸騰したら、火薬スープも鍋に入れてかき混ぜ、うどんをお椀に入れました。ところが、次に鍋の火薬スープをお椀に入れようとしても、熱くて入れる事が出来ません。ハンカチで鍋の両端を抑えながら、両手でようやくお椀に鍋の中身をよそう事が出来ました。うどんの味は美味しかったものの、鍋に500mlも水を入れたものだから、ダシを飲み干すのに苦労しました。
食べたら次は洗い物です。たかがうどんダシでも、水で洗っただけでは鍋の滑りは落ちません。鍋の取扱説明書には、サーモスタット差込口が水で濡れたら大ごとなので、水では洗い流さず中性洗剤を浸した布で拭き取るように、とありました。しかし、近くのコンビニには弱アルカリ性洗剤しか売っていません。仕方なく電車に乗ってスーパーに中性洗剤を買いに行きました。
次に夕食編。私の住んでいる物件は水道も共同です。パウダールームの水道なので、自宅の様に汚水を垂れ流す訳には行きません。食器洗いや食べカス、食べ残しの手間を最小限に抑えなければなりません。そこでレトルト商品中心に自炊生活を進める事にしました。
サトウのご飯にレトルトのカレー・丼を組み合わせる事にしました。これなら鍋は汚さず、食器洗いだけで済みますからね。レトルト・カレーの中では銀座カレーが一番美味しいと聞いていましたので、少々値は張りますが、銀座カレーのレギュラーとチキンの2種類を揃えました。その上で、カレーばかりでは飽きるので、親子丼・中華丼・牛丼の3種のレトルト丼も買いました。
しかし、レトルトのカレーや丼は商品が薄っぺらいので、平型のグリル鍋でも簡単に湯せん出来ますが、分厚いサトウのご飯を湯せんしようとしたら、鍋一杯に水を浸さなければなりません。そんな事したら沸騰時に鍋が溢れかえってしまいます。
しかも、湯せんが終わるまで15分もかかります。そんなに待っていたらカレーの方が冷めてしまいます。そこで、湯せんはカレーだけにしておいて、サトウのご飯については、ホテル1階までエレベーターで降りて、そこの電子レンジでチンする事にしました。
ご飯を1階の電子レンジで2分間温め、カレーは部屋のグリル鍋で5分間湯せんして、ようやくチキンカレーにありつく事が出来ました。たとえレトルト商品でも、自分で作ったカレーは、外食のそれより更に美味しく感じました。
サトウのご飯だけでは物足りなかったので、サバ缶も開けて食べる事にしました。大きな鯖が4切れも入っているサバ缶を食べたら、流石に満腹になりました。当初は鍋の残り湯でお茶も沸かそうと思っていましたが、沸騰した鍋はなかなか冷めません。鍋はもう冷えるまで待つ事にして、お茶は電気ケトルで沸かして飲む事にしました。
食べた後は食器洗いです。そのまま安易に食べカスを共同水道に流している所を、入れ墨した宿泊者に見つかりでもしたら、何されるか分かりません。((((;゚Д゚)))))))
勿論、私の方も入れ墨男には、共同浴場でアンモニア臭なぞ出すなと言いたい所ですが、こちらは証拠が無いのでどうしようもありません。o(`ω´ )o
そこで、中性洗剤で食器汚れを先に拭き取り、汚物はそのまま部屋のクズカゴに入れ、綺麗になった食器を共同水道で何食わぬ顔で水洗いして片付ける事にしました。ダスターを使えば洗剤が無くても綺麗に食器洗いが出来るそうなので、次回からはそちらも試してみたいと思います。
以上、自炊と言っても、湯せん可能なレトルト商品が主体なので、節約の効果は限られます。部屋には冷蔵庫も流しもなく、共同水道を独り占めしてダシ汁や調理カスを流そうものなら、後で周囲から何言われるか分かりませんから。でも、それでも今までの外食オンリーと比べたら、食費は半分以下に抑えられるはずです。本日はグリル鍋や中性洗剤、食器の初期投資に加え、5日分の食材を買い置きしましたので、6千円以上もの出費になってしまいました。でも、一食当たりにすれば、外食オンリーだった頃の半分以下の食費に抑えられます。
それ以上に食事のレパートリーが広がったのが何よりも嬉しいです。今まででしたら、安く食費を抑えようと思えば、どうしても食べれる物は限られます。丼物・揚げ物中心になり、野菜や鮮魚類を食べる機会は減ります。いつも同じような食事ばかりでは、美味しい物も美味しくなくなります。しかし、これからは、たとえレトルト商品ばかりでも、自分でメニューを考えていく事が出来ます。サトウのご飯一つ取っても、丼にしようか、カレーにしようか、オカズはスーパーで買おうか等、組み合わせを考える楽しみが生まれます。
キャンプで食べるご飯は、多少出来栄えが悪くても美味しいと感じる事が多いと言われます。それはキャンプファイヤー自身が苦労して作ったご飯だからです。今回のレトルト・カレーもそれと同じではないでしょうか。同じレトルト・カレーでも、悪条件の中でも何とか自炊しようと、苦労してメニューを考えて自分で作ったご飯は美味しく感じます。それに引き換え、「金がないからレトルトしか食べれないのだ」と、いつも思いながら外食している限り、不満や焦燥感しか残りません。
勿論、「だから外食依存者はだらしないのだ」と決めつけるのは間違っています。あいりん地区の中で弁当屋が目につくのは、ドヤにはキッチンもない等、住宅事情が劣悪だからです。しかし、「だから毎日外食でも仕方ない」と思ってしまったら、もうそこでお終いです。たとえ、そのような環境に置かれたとしても、その悪条件を跳ね返して、自立した生活を送り、毎日の献立を考える楽しみぐらい持てないようでは、住環境の改善を求める気力も湧かないでしょう。外食依存から抜け出せるかどうかは、その後の生活の質にもかかわる問題だという事が、自炊を試みる中で初めて分かりました。
change.org署名「20万筆を超えた米ホワイトハウスの請願署名に続こう!『沖縄県民投票』にすべての沖縄県民が等しく参加できるように、沖縄県内の全市町村で実施されることを求めます。」https://twitter.com/afghan_iraq_nk1/status/1086121452313632768
元山仁士郎(もとやま・じんしろう)という方がいます。沖縄県宜野湾(ぎのわん)市出身の27歳の青年です。東京に出てきて一橋大学の大学院に通っていましたが、休学して地元・宜野湾の市役所前で4日間に渡り座り込みのハンガーストライキを行った方です。ハンガーストライキ(略してハンストとも言う)というのは、抗議の絶食ストライキの事です。水分・塩分以外の食料摂取を全て拒否して抗議の意思を示す行動です。彼が何故そこまでしてまで抗議しなければならなかったのか?それを簡単に説明します。
宜野湾市の中心部には普天間(ふてんま)米軍基地があります。基地が市の中心部に居座り、住宅がそのまわりを取り囲んでいます。大阪市に置き換えて説明すると、ちょうど阿波座から堺筋本町まで米軍基地に占拠され、梅田から難波に移動するにも、ぐるっと遠回りしなければ行けないような状況です。市民は、戦闘機が離発着するたびに騒音に悩まされ、常に墜落の危険と隣り合わせの生活を強いられて来ました。
そういう危険な基地なので、同じ沖縄本島の東海岸にある辺野古(へのこ)に移設しようという話が持ち上がり、政府は辺野古沖の海を埋め立て、そこに基地を移そうとしています。しかし、この普天間に限らず、沖縄の米軍基地はその全てが、そこにいた住民を銃剣とブルドーザーで無理やり追い出して造成されたものです。「本来なら無条件に返還されて然るべきなのに、何故、わざわざ日本が金を出して、絶滅危惧種のジュゴンやサンゴ礁を破壊してまで、アメリカの為に代わりの基地を作ってやらなければならないのか?これでは基地の県内たらい回しに過ぎないではないか!」という事で、反対運動がずっと続いて来ました。
沖縄では、最近の国政選挙でも知事選挙でも、移設反対、基地の無条件返還を掲げた候補がずっと圧勝してきました。もはや普天間基地の無条件返還が民意である事は明らかです。そうであるにも関わらず、政府はこれ見よがしに辺野古沖の埋め立て工事を強行して、県民が諦めるのを待っているのです。そこで、改めて沖縄県民の意志を示そうと、この2月24日に、辺野古移設の是非を問う県民投票を行う事が、沖縄県議会で決まりました。
ところが、県内自治体の中で、石垣・宮古島・沖縄・うるま・宜野湾の5市だけが、市議会の議決を理由に、県民投票を実施しないと言い出したのです。この5市でも、市民の約6~7割が県民投票実施を求めているにも関わらず。言うまでもないことですが、県民投票では投票の秘密は守られます。移設賛成派も反対派も自由に自分の意志で投票できます。ところが、この5市の市長は、「賛成・反対の二択だけでは踏み絵にしかならない。このままでは県民同士の対立が後々まで尾を引く事になる。普天間基地もずっと宜野湾市に居座ったままになる。かくなる上は、県民投票を移設容認・反対・移設止む無しの三択方式に変えるしかない。その要望が受け入れられない限り、県民投票は実施できない」と言い出したのです。
一見もっともらしい主張ですが、そこには二重、三重のペテンが隠されています。まず、「移設容認」も「移設止む無し」も「移設賛成」に変わりはありません。移設に「賛成」か「反対」かだけを問う住民投票なのに、何故、「賛成」に繋がる選択肢だけ2つも用意して、「賛成」票の水増しを図るようなやり方に変えようとするのでしょうか?本当は移設反対なのに、「やむを得ず移設に賛成」に持って行くような姑息なやり方で、公正な投票が行われるとはとても思えません。
実は、かつて私が住んでいた大阪府高石市でも、隣の堺市との合併の賛否を問う住民投票で、このような「水増し」三択方式が採用されようとした事があります。合併に賛成・反対の二択しかないのに、わざわざ「合併止む無し」という選択肢を付け加えて、合併賛成票の水増しを図ろうとしたのです。しかし、この事で逆に「こんなデタラメな事をする市長では支持できない」という声が見る間に広がり、直後の2003年の市長選挙では、当初安泰と思われた合併推進派の現職市長が、まさかのダブルスコアで落選する結果となりましたv。
さまざまな争点をめぐって争われる国政選挙や地方選挙とは違い、単一の争点をめぐって争われる住民投票では、選択肢は「賛成」「反対」の二択しかあり得ません。それ以外に、どうしても「賛成止む無し」という選択肢も付け加えたいと言うのであれば、同様に「反対止む無し」の選択肢も付け加えなければ公平とは言えません。しかし、元々争点は一つしかないのに、何故そんな集計に手間のかかるような事をしなければならないのか?それなら、最初から「賛成」「反対」の二択で決を採った方がマシです。
それでは「県民同士の対立が後々まで尾を引く事になる」と言いますが、その対立を生み出したのは一体誰でしょうか?住民を追い出して強引に作られた基地なのに、無条件返還を拒否して、基地移設の名のもとに、新たな基地を作ろうと埋め立て工事を強行している政府ではないですか。「普天間基地もずっと宜野湾市に居座ったままになる」という言い訳に至っては、もう噴飯もの以外の何物でもありません。これまで散々、普天間基地撤去や日米地位協定改定に反対してきた連中が、今さら「基地の居座り」を心配するようなポーズを取ったところで、何の説得力もありません。
県民投票実施に反対した5市の市議会議員たちにしても、最初からそれを公約に掲げて議員に当選した訳ではありません。全く別の公約を掲げて当選し、その後で浮上してきた県民投票の議論の中で、自分が表立って移設反対と言えないから、投票そのものを握りつぶそうとしているだけなのです。県民投票実施に反対している5市だけで県人口の約3割を占めます。その5市でも、移設賛成派も含め市民の過半数以上が投票実施に賛成しています。そうであるにも関わらず、何故、3割もの県民の投票権が奪われなければならないのでしょうか?
だから、かつては政治に無関心だった元山さんが、「こんな事で投票の自由、政治参加の権利が奪われるのは納得できない!」と、わざわざ東京の大学院を休学してまで、地元の沖縄県宜野湾市に帰ってきて、地元で「県民投票推進の会」を立ち上げ、市役所前で抗議のハンストを始めたのです。元山さんのハンストは、ドクターストップがかかって4日目に中止せざるを得なくなりました。ハンストは一つ間違えば自分の命にも関わる危険があります。こんな事、売名目的で出来る事ではありません。
そこまでしてまで抗議しなければならないのは何故なのか?建前上は民主国家とされるこの国で、議員の都合で投票の自由も奪われ、それを取り戻すためにハンストまでしなければならないようになったのは何故なのか?「基地に奪われた土地を返せ!これ以上自然を破壊するな!」という沖縄県民の願いを、何故、安倍政権を筆頭に、「保守派」や「愛国者」を自称する輩が「アメリカのポチ」宜しく、政府と一緒になって攻撃するのか?そんな重要なニュースなのに、何故、本土のメディアはほとんど取り上げず、どうでもよい芸能ニュースや三面記事ばかり流して、お茶を濁そうとするのか?
そのどれか一つでも納得できない方は、是非、上記の署名にご協力をお願いします。ハンストそのものは一時中断の止む無きに至りましたが、県民投票実施、辺野古移設に名を借りた新基地建設に反対の取り組みは、まだまだこれからも続きます。県民投票実施まで辺野古の工事をストップしてほしいと米国政府に直接請求する署名も、全世界から20万筆以上も集まりました。タレントのローラや「りゅうちぇる」、映画「ボヘミアン・ラプソディ」のモデルになったロックバンド・クイーンのギタリスト、ブライアン・メイなどの各氏も、この署名に協力して下さいました。その声を是非広めて下さい。
※今朝書いた記事を次の点で若干手直ししました。①署名をより時宜にかなったものに差し替えました。②県民投票の形式(二択か三択か)について、地元の例も引いて論考を補強しました。
私は現在、大阪・西成の賃貸ホテルに住んでいますが、年明け早々、浴室の異臭に悩まされる羽目になりました。今回はその異臭騒動の顛末について書きます。
私の住んでいるホテルには、RF(最上階)に男性用の展望大浴場(上記ホテルHP写真)が、1Fに女性用の共同浴場があります。そのRFの展望大浴場を1月6日夜に利用した際に、今まで経験したこともない強烈な異臭に見舞われました。
その日の夜、浴室入り口のドアを開けて浴室内に入った途端、強烈なアンモニア臭が鼻を突きました。何事かと思い、あたりを見回すと、ちょうど入り口付近のカランで、全身総入れ墨の男が身体を洗っているではありませんか。私は一瞬、こいつが浴室内で身体を洗うのにまぎれて小便を垂れ流したのだと思いました。でも、幾ら総入れ墨の男でも、他の人も利用する共同浴場で、そんな非常識な真似をするだろうか?しかし、先客はその入れ墨男を含めて2人だけしかいません。でも、相手が相手だけに、面と向かって聞くわけにも行きません。
やがて先客の2人も出て行き、浴室内は私だけになりました。ちょうどその時に、ホテル従業員の方が脱衣場のゴミ回収にやって来たので、その方に浴室内に入っていただき、臭いを確認してもらいました。しかし、その方はいともあっさりと「これは消毒の臭いです」と答えるのみでした。
今までこんな臭いなぞ嗅いだ事もなかった私は、その答えに納得が行かず、入浴後1Fのフロントに行って、フロント係の人に異臭の事を報告し、原因を調べてもらう事にしました。
私の住んでいるホテルは西成のあいりん地区にあります。今でこそ近代的に改装され、外国人観光客や運動部合宿の学生も利用するようになりましたが、元はドヤ街の簡易宿泊所だったホテルです。長期滞在者の中には入れ墨した人もいます。今年の夏には廊下に人間の大便片と思しき異物が落ちていた事もありました。
そんなホテルに何故私が住んでいるかと言うと、敷金も保証金も不要で、入居を申し込んだその日から泊まれるからです。その上、水光熱費込みで月4万円余りと家賃が安く、駅からも近いので、家出同然に実家を飛び出し、朝早くから仕事の私にとっては、非常に都合が良かったからです。
でも、部屋は三畳一間で、室内にはトイレ・バスはおろかキッチンもありません。トイレもバスも共同です。おまけに、この様な異臭騒動に見舞われたので、翌日は展望大浴場には入らず、近所の銭湯に入りました。しかし、折角ホテルに共同浴場があるのに、毎日銭湯に通う様な不経済な真似は出来ません。3日目からは再び展望大浴場に入る事にしました。
そして1月10日の夜。またあの鼻にツンと来るアンモニア臭がするではありませんか。この日は先客は誰もいません。先日の総入れ墨の男もおらず、風呂に入っているのは私1人だけでした。それでも、先日ほど臭いはきつくはありませんでしたが、浴槽に入っていても、微かに臭いがします。翌11日も、10日ほどではありませんでしたが、同じ臭いがしました。
私は再びホテルのフロントに出向いて、異臭の原因について問いただしました。しかし、フロントの担当者は、前任者から何も聞いておらず、「分からないので調査します」の一点張りでした。
ホテルの消極的な対応にしびれを切らした私は、独力で色々と調べ始めました。すると次の記事に行き当たりました。
「プールのにおい」はおしっこと塩素が反応した化学物質の臭い、健康に悪影響を与える可能性あり
https://gigazine.net/news/20180618-clean-pool-actually-bad-health/
上記は「プールの臭い」についての記事ですが、私が経験したアンモニア臭も、異臭発生の仕組みは同じだと思われます。プールや銭湯、共同浴場の様に、大勢の人が入浴する所では、利用客から出た汗や尿の汚れが消毒液の塩素と反応して、三塩化窒素(トリクロロアミン)や塩化シアンなどの化合物が発生します。これが揮発性のガスとなってプールや浴室内に漂い、異臭の原因となるのです。
「プールの臭い」と聞くと、子どもの頃の夏休みに通ったプールを思い出し、懐かしい思い出に浸る人もおられますが、実は「カルキ臭」なんて生半可なものではなかったのです。消毒液の塩素と人間の汗や尿が化合して生まれたガスで、大量に吸い込めば人体に有害な物質だったのです。但し、それはあくまでも大量に吸い込めばという話であって、夏休みにプールで泳いだだけでは問題ないそうですが。
それにしても、ホテル展望浴場の異臭は一体何が原因だったのでしょうか?私の推理は以下の通りです。
RF展望大浴場には異臭発生源の可能性のある場所が5ケ所あります。①浴室の排水溝②浴室天井の換気口③浴槽の吐水口(お湯の噴出口)④浴槽の排水口⑤浴槽真上にある三角錐のガラス天井(蒸気が上に滞留して異臭発生した可能性がある)、この5ケ所について順に検討してみました。(下記見取図参照)
そのうち、③④については、浴槽のお湯がひっきりなしに流れるので、異臭発生の可能性は低いと思います。⑤についても、真上のガラス天井までは消毒しないと思われるので、この可能性についても薄いと思います。②の天井換気口についても、空気だけでは異臭を発生させるほどのガスは出ないと思います。
そうすると、残ったのは①浴室の排水溝です。この様な排水溝の下には、「排水トラップ」と言って、下水の逆流や害虫の侵入を防ぐ為に、排水を直ぐに流さず一時的に貯めておく下水槽みたいなものがあります。そこが目詰まりしていたのではないかと思います。だから、総入れ墨男がいない翌日以降も、数日に渡って異臭が滞留していたのです。
幸い、昨日から異臭はしなくなりましたが、いつまた何時、異臭が発生するかも知れません。そう思うと、折角見つけた格安のホテル物件ですが、もう引っ越そうかなと思い始めています。でも、引っ越すにしても、今の家賃と立地条件に勝る物件は、そうそうあるものではありません。もし引っ越しても、引越先でも同じ様な目に遭う様でしたら何にもなりません。色々悩ましい所です。
前回記事に付けた下記のセルフ・コメント投稿を記事に格上げしました。コメント投稿の方もそのまま残しておきます。但し、記事への格上げの際に、説明追記や画像添付、時制修正(例:当日→×日)等の編集を施しました。↓
釜ヶ崎越冬ライブ翌日(1月3日)午後から急に左足の痺れが酷くなり、びっこを引かなければ歩けない状態になってしまった。そこで3日は会社を早退し、翌4日に休みを取って病院に行って来た。すると左足親指の軟骨がすり減っている事が分かった。老化現象による症状なので、もう湿布で対応するしかないそうだ。(左上がその時のレントゲン写真。〇印の軟骨がすり減り、×印に痺れを発症)
その日は痺れの原因も分からず、薬局で買った冷湿布も全然効かず途方に暮れていた。ところが入浴した途端に症状は快方に向かい、今はもう普段通り歩けるようになった。今まで漠然と「急性の痛みや痺れには冷湿布」と思い込んでいたが、こんな場合は寧ろ身体を温め血の巡りを良くしなければならないと実感。
そして、正月なので救急病院に電話しても専門医不在で対応できないと言われた。幸い薬局は開いていたので湿布だけは購入出来た。もし薬局も休みの元旦だったらどうなっていたか?健康保険の有難さが身に染みて分かったと同時に、保険にも入れない野宿者と同列に比較する短絡思考にも改めて気付かされた。
しかし医療においても、非正規労働者と野宿者の間には一定の類似性があるのではないか?例えば、休日に救急病院に電話しても内科以外は専門医不在で、休日診療所→府の救急医療センター→2箇所の救急指定病院と、たらい回しにされた挙句、そこでも「正月明けの4日にならないと診察出来ない」と言われた。
実際、私が実家を飛び出し釜ヶ崎に住み始めてからも、病院探しには苦労した。ホテルの目の前にあるあいりんセンターの病院は、行き倒れ患者専門で評判もイマイチ。逆に近くの市大付属病院は、紹介状持参の金持ちしか相手せず。他の病院も、午前中のみ診察だったり、診療科目が少なかったり。
私が4日に休みを取って行った山本第三病院も、南津守という、最寄駅の地下鉄四つ橋線北加賀屋から15分も歩かなければならない不便な所にあり、天下茶屋・岸里駅方面への15分ヘッドの送迎バスでそれをカバーしていた。では、バスが運休する休日に病気になってしまったら一体どうすれば良いのか?(右上写真がその送迎バス時刻表)
市外から転入して来て近所付き合いもない。職場のバイトもそんな奴ばかりの中では地域医療の情報共有もままならず。釜ヶ崎の労働者は情に厚いと言うが、仲良くなっても所詮は競馬仲間。職場の愚痴で盛り上がる事はあっても医療事情には疎い。そう考えると、ブログ記事の指摘も当たらずとも遠からずでは。
勿論、それだけで「医療に恵まれない点でも野宿者と非正規労働者は同じだ」と言う気はない。両者の間には厳然たる格差がある。天王寺のビル群と釜ヶ崎を分かつ崖の様に。しかし、その天王寺の市大付属病院から治療を忌避されている点では同じだ。だったら互いに反目するのではなく連帯すべきではないか。
市大付属病院前の坂からあべのハルカス方向(左)と釜ヶ崎方向(右)を写す。この付近一帯が阿倍野区と西成区の境界で、上町台地の断層崖が道路を横切っている。崖上の天王寺・阿倍野のビル群や文教地区と、崖下の釜ヶ崎・飛田のスラム街の景観の違いが一目で分かる。(2017年9月撮影)
今年も釜ヶ崎越冬闘争に参加して来ました。大阪・西成の釜ヶ崎での野宿者支援活動です。「一人の餓死者・凍死者も出すな」を合言葉に毎年、年末年始に行われて来ました。センターでの集団夜営で野宿者襲撃に備え、夜警パトロールで急病人救護を担います。三角公園では炊き出しや支援ライブが行われます。
但し、私は年末年始も仕事で、通常の公休日しか休めないので、あくまでも一観客として参加したに過ぎませんが。それに、ライブ最大の目玉で、私も楽しみにしていたSHINGO★西成が今年は出ない事もあり、少々盛り上がりに欠けたのも確かです。それでも、ハルマキチマキや趙博の歌声に魅了されました。
それにしても、炊き出しで出された牛すじカレーや餅つき大会のお餅の美味しかった事。これらの食事は、野宿者の方だけでなく一般の参加者にも無料で振舞われます。炊き出しの際には長蛇の列が三角公園の周囲をぐるっと取り囲みます。流石にカレーも餅もタダでは申し訳ないので、千円カンパしました。
更に今年はセンター移転問題の学習会にも参加して色々勉強させて貰いました。あいりんセンターは耐震化工事の為に今年3月末に仮移転します。建替終了までの数年間、センター機能は南海高架下の仮事務所に移ります。そして、センターの上の市営住宅や隣の病院はセンターから完全に切り離され、こちらは旧萩之茶屋小学校跡地に本移転します。
尚、あいりん総合センターは建物の総称です。あいりん職安や西成労働福祉センター、社会医療センター(病院)、市営住宅、付属テナント等が中にあります。但し、職安と言っても実際の業務は日雇い失業保険の加入・給付手続きだけです。労働者はセンター1階の寄せ場で業者と直接交渉して仕事を探します。
あいりんセンターは1970年竣工で、今の建築基準法の耐震基準を満たしていません。建物の老朽化も進み、どの道、建替は必要でした。ところが、それを建替工事を管轄する松井・大阪府知事が急に言い出した事で、大阪都構想や西成特区構想絡みで、再開発に名を借りた野宿者排除が疑われる事態となりました。
あいりんセンター移転問題については下記の新聞記事等も参照。新センターのあり方については、行政・学識経験者・地域諸団体で構成される「まちづくり検討会議」で議論されて来ました。しかし、同会議には野宿者支援団体も参加していますが、実際には行政から新センターの具体像がなかなか提起されず、「このままでは行政サイドで物事が決められて行くのではないか?」「センター1階の寄せ場で寝泊まりしている野宿者を追い出すのか?」「センターにあるシャワー室やトイレも使えなくなる」との意見が学習会で出されました。その一方で、「センター清掃業務の作業員首切りを撤回させた」との報告もありました。
・老朽化の大阪・西成「あいりん総合センター」移転場所を決定 35年度にも建て替え完了 住民らと確認(産経新聞 2016.7.27付)
・大阪・西成「あいりん総合センター」、労働支援機能は移転せず(日経新聞 2015.1.27付)
・第 17 章 あいりん総合センターの現況と問題点、新しいセンターのイメージ (たたき台)(ありむら潜)
・大阪西成特区構想 釜ヶ崎の潜在的資産価値に目をつけた資本 「大阪都構想」見すえた釜ヶ崎の解体と巨大再開発(人民新聞 2014.10.3付)
・西成特区構想 釜ヶ崎センター移転問題についてのまとめ Part 1(Part2、Part3に続く)
実際、ニューヨークのハーレムやロンドンのイーストエンドでは、それまで住んでいた低所得層が再開発で追い出される事態となりました。釜ヶ崎もそうなる恐れは多分にあります。だから、松井知事や吉村・大阪市長は、高齢化した日雇い労働者を生活保護に囲い込み、自然消滅するのを待っているのでしょう。
それに対して、野宿者支援団体の方も、センターの建替自体に反対し、耐震補強工事に止めるべきだという人達と、建替の必要性は認めた上で、野宿者の生存権を守っていこうという人達の間で、対立が生まれています。これがセンター移転・建替問題の大まかな構図です。
私は当初、「あくまでも仮移転で、センター機能も引き継がれるなら、それで良いじゃないか、それを居場所が無くなると騒ぎ立てているのは、一部の人間に過ぎない」と思っていました。ところが、今日の学習会に百人近くも詰め掛け、次々と意見が出るのを見て、当人にとっては死活問題なんだと思い直しました。
一番良い移転策は、JR新今宮駅の北側(浪速区)に広がる大阪市所有の広大な遊休地(注:この一番下の写真)を、星野リゾートなんかに売却せずに、そこに耐震基準を満たした新センターを建てる事です。それなら、仮移転する必要もなく、直ぐに新センター稼働に繋ぐ事が出来ます。浪速区にとってはイメージダウンにしかならず、絶対にウンとは言わないでしょうが。司会者の方も、それを頻りに残念がってました。
その一方で、センター移転問題を、野宿者だけの問題と捉えている限り、私の様な野宿者以外の一般住民にとっては、やはり近寄り難い。単に寝床確保の要求だけでなく、一般住民も巻き込んだ家賃引下げ・賃金引上げ要求にしていかない限り、運動には参加し難いと言う事も、後で司会者の方には伝えました。
「私は三畳一間で水道も風呂も共同のホテルに住んでいます。観光客も多く利用するホテルで、家賃も4万円余と格安ですが、それでも間取りは昔のタコ部屋と同じです。それに対し、風呂・トイレ付の物件を野宿者には無料で、一般住民にも月1〜2万円で要求する運動なら、私も喜んで参加するのに」と。
それを野宿者支援だけに留めてしまうから、私の様な一般人は運動に参加できなくなってしまうのです。だって、盆・正月も仕事で、自分の事だけで精一杯なのに、とても炊き出しや夜中の見回りなんか私には無理です。野宿者の人からすれば冷淡かも知れませんが、実際そうなんだから仕方ありません。
しかし、「室内にテレビだけでなく冷蔵庫や炊飯器も置く事が出来、食事も入浴も気兼ねなく出来る低家賃の住宅をもっと作れ」という運動なら、私も喜んで参加します。自分自身も身にしみて感じている事だから。野宿者の人も、本当は単なる寝床確保だけでなく、それが本望ではないでしょうか?
それこそが本当の「健康で文化的な最低限度の生活」ではないでしょうか?野宿者の人が生活保護に入るのを嫌がり、「空き缶拾いでドヤに泊まる方がマシだ」と言うのも、実際の生活保護が、「健康で文化的」な生活とは縁遠い「飼い殺し」「室内ホームレス」に過ぎないからではないですか。
仕事についても、日給たった5〜6千円の特掃(特別清掃事業)を輪番制で月数回こなした所で、野宿生活から脱却できる訳がない。逆に通行人から好奇の目で見られるだけで。それよりも、誰でも仕事で月10〜15万円の収入を得られ、不足分だけを生活保護や障害年金で賄う様にすれば、「飼い殺し」状態から脱却できると思いました。
実際はその特掃予算を勝ち取るだけでも大変だった事も聞いております。国会議員の山本太郎が野宿者支援の炊き出しに参加したのも、決して売名なんかじゃないと思います。もし売名の気持ちがあったとしても、私には出来ない事をやったのだから、私なんかより遥かに偉いと思います。
その上で敢えて言います。私が何故炊き出しなど列に敢えて並んだのか?炊き出しのカレーやお餅は、野宿者以外の低賃金労働者にとっても既に贅沢品なのです。安物のカレーにはあんなに具材は入っていません。正月に餅を食べる余裕なんてありません。私達の生活も野宿者とそんなに変わらないのです。
非正規労働者の食生活は野宿者ともさほど変わらない。嘘だと思うなら実際に一人暮らしの非正規労働者に聞けば良い。給料日前の食生活がどんなものか?実際にクリスマスケーキやお雑煮を食べた事があるか?この一ヶ月間に果物を食べた日があったか?盆・正月やGW連休の時期にどれだけ収入が減るか?(書きながら段々腹が立ってきた)
「食事を自炊もせずに外食で済ます様な贅沢な奴に消費税の軽減税率は適用しない」と安倍は言う。単なる税率8%据え置きを「軽減」と称する厚顔無恥もさる事ながら。三畳一間で室内にキッチンもなく、早朝5時に起きて7時には仕事に就かなければならないのに、一体いつ、どうやって自炊しろと言うのか?
だから、野宿者以外の低賃金労働者も排除しないで欲しいのです。釜ヶ崎にやって来るのは外国人観光客ばかりではありません。私達の様な低賃金の非正規労働者や外国人の留学生バイトも、周辺より安い家賃に引き寄せられて釜ヶ崎に住み始めています。その私達や彼らにも参加できる様な運動を望みます。
新年明けましておめでとうございます。2019年の新年を迎えるに当たり、幸徳秋水の次の文章をご紹介します。
「武装平和、資本家制度、少数政治、賄賂公行の旧年は去れり、而(しこう)して(=そして)武装平和、資本家制度、少数政治、賄賂公行の新年は来れり、新年の新は猶(なお)旧年の旧の如し、吾人は少しも其の芽出度きを見ざる也。
然れども、旧観依然、徒らに斯くの如き者は国家組織の表面也、少しく深く社会の裏面に入れば、別に暗潮の熱を帯びて大いに動くあり、・・・利を掠め色を漁するの外に一能事(のうじ=為すべき事)なき富豪の下に、其の衣食欠乏の無道に泣ける労働者あるを見ずや・・・、斯くの如きの暗潮が新年と共に更に新潮を加え来るべきは当然也。
此(この)意味よりすれば、吾人も亦(また)新年の芽出度きを見ざるに非ず、吾人は此意味に於て新年の前途を祝しつつ、更に読者諸君に向って左の語を為す。
曰くお芽出度う、曰くお芽出度う!」
幸徳秋水(1871~1911)というのは明治時代の社会主義者で、明治天皇暗殺未遂事件の濡れ衣を着せられ(1910年、大逆事件)、死刑にされた人物です。その彼が1904年の「新年の感」として平民新聞に寄稿したのが上の文章です。過去にも何度かこのブログで紹介しましたが、非常に格調高い文章なので、今回もまた紹介する事にします。
「今年も去年と同様、軍拡や資本家の搾取や勝ち組の横暴やワイロ政治はますます酷くなる一方だ。年が明けたからといって何もめでたい事はないじゃないか。でも、それはあくまで社会の表面だけを見ているからであって、その底流では衣食にも事欠く労働者の怒りが益々強まっている。年を経ることに、その怒りは更に強まり、社会変革を求める潮流となって力を増してくるだろう。だから、やはり新年はめでたいのだ。」
これが、幸徳秋水「新年の感」の要旨です。
相変わらず安倍はデタラメ放題、安保法制も過労死促進法案(高プロ)も外国人奴隷労働法案も強行可決されてしまい、沖縄・辺野古では新基地建設の埋立工事も始まった。一寸先は闇じゃないか…。確かに政治の上辺だけを見ていると、そう思いたくもなります。しかし、その一方で「国民の貧困化・格差拡大→結婚も出来ない低賃金で、皆子どもを産まなくなり、少子化で人手不足に(安倍はこれを「アベノミクスによる景気回復」とデマ宣伝w)→とうとう外国人の手を借りなければ経済も回らなくなった→人手確保の為にも最低賃金を引上げざるを得なくなった」流れに乗り…。バイトの労働組合もない職場で、たった一人のバイトでも、その気になれば、闘い方によっては時給920円から千円へ、80円もの大幅賃上げを勝ち取る事も出来るのです。やはり幸徳秋水の言った通り「新年はめでたい」のです。
要は何事も捉え方次第だという事です。どんなピンチの中にもチャンスはあります。しかし、そのチャンスを見抜き、活かす力が無ければ、いつまで経ってもピンチのままです。どんなにお先真っ暗なように見えても、時代は刻一刻と変化しています。一見、後戻りしているように思える歴史も、実はらせん階段を上るように、一歩一歩着実に進歩しているのです。同じ所をただグルグル回っているだけではありません。それが証拠に、同じようにボヤいているように見えても、100年前の幸徳秋水の時代と現代とでは、自由も民主主義も平和も、格段に進歩しているではないですか!
今はもう、幸徳秋水が生きた明治時代のような、露骨な戦争賛美や人権侵害がまかり通る世の中ではなくなりました。しかし、それは決して自然にそうなった訳ではありません。天皇暗殺の濡れ衣を着せられても、労働者の権利擁護の為に闘った幸徳秋水のような人が大勢いたからこそ、今のような状態までたどり着く事が出来たのです。いつまでも安倍のデタラメが通用する訳ではありません。私たちもいつまでも不幸に甘んじているつもりもありません。一人の賃上げがやがて全員の賃上げに波及し、「国民の貧困化」を押しとどめる事が出来るようになります。それまで諦めない事です。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。