前回の記事の中で、「ガザの日常」という映画の感想について書いた。今回はもう一つのガザ関連映画「愛国の告白」を見た感想から書こうと思う。この映画は、ヨルダン川西岸地域を軍事占領するイスラエル軍の蛮行を、軍の兵士自身が告発したものだ。ヨルダン川西岸地域は、行政的にはパレスチナ自治区の大半を占めるが、実際はその6割はイスラエルの軍政下にある。軍政下ではパレスチナ自治政府の権限も及ばず、イスラエルの法も適用されない。そこでは住民は、軍による恣意的な連行や拷問に日常的にさらされる事になる。
その映画の中で、イスラエルの兵士が、深夜の2時や3時に、パレスチナ人(パレスチナに住むアラブ人)の家を家宅捜索する場面が出てくる。たとえ容疑が何もなくても、兵士は好き勝手に、その時の気分次第で、自由に家宅捜索できるのだ。その時も兵士は、いきなり家人を叩き起こし、家族を一室に集め、身分証の提示を迫った。母親が幾ら「子どもが寝ているから」と哀願しても、兵士は「子供も叩き起こしてここに連れて来い」と命令するばかり。子どもは怖がって泣き叫ぶ。ようやく捜索が終わると、兵士は何の法的根拠も示さず、何も押収できずに、ただ住民に嫌がらせをしただけで、「バイバイ」と言って家を立ち去る。
何故こんな無法が許されるのか?兵士が思い余って上官に質問したら、返って来た答えが「我々の存在を奴らに思い知らしめる為だ」。誰がここの支配者か、住民に思い知らしめる為だそうだ。しかし、こんな事を繰り返していたら、当然、住民から恨みを買う事になる。そして兵士も、何故こんな事をしなければならないのか?と悩み苦しむ事になる。
「イスラエルの論理」を徹底解説~たとえ世界を敵に回しても戦う理由とは?【豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス】(2023年11月30日)
そんな兵士が集まって「沈黙を破る」という市民団体を立ち上げ、自分たちの行為をイスラエルの国内で告発し始めた。その様子を紹介したのがこの映画だ。しかし、何故そんな住民の嫌がる事をイスラエル軍は繰り返すのか?その答えが上記の動画の中にあった。上記の動画は、今回のガザ侵攻に至るイスラエルの論理を読み解いたものだが、その中に次のエピソードが登場する。
1956年にイスラエル南部のキブツ(集団農場)がパレスチナゲリラに襲撃され、イスラエル軍の中尉が殺された際に、当時のダヤン軍参謀総長が中尉の遺族に出した追悼文に、その答えが凝縮されている。以下、その追悼文の一部を紹介する。
「今日は殺人者(パレスチナゲリラ)を責めないでおこう。我々は彼らの燃えるような憎しみを否定する事は出来ない。彼らは8年間ガザの難民キャンプから出られず、目の前で、彼らと祖先が住んでいた土地や村を、我々が(自分たちの)財産に変えていくのを見ているしかなかった。(中略)我々は彼らの憎しみから目をそらしてはならない。弱くあってはならない。それが我々の世代の宿命である」
イスラエル軍がパレスチナ人から恨まれるのは、軍が彼らの土地を奪ったからである事も十分理解した上で、「我々はそうするしか自分の国を持てないのだ。だから、我々は弱くあってはならない。たとえ恨まれようとも、他人の土地を奪い続けるしかないのだ」と宣言したのだ。これは一種の居直り宣言だ。そこまでしても自分の国を持ちたいという事だ。なるほど、ユダヤ人にとっては悲壮な覚悟かもしれない。しかし、こんな手前勝手な理屈で土地を強奪されたのでは、パレスチナ人は堪ったものではない。
今となってはもうタラレバの話になってしまうが、イスラエル建国の地は必ずしもパレスチナでなくても良かったのではないか。ユダヤ人にとってはパレスチナの地こそが自分の故郷だと思いたいのは山々だろうが、もうそこには既にパレスチナ人が何世代にも渡って住みついている。ユダヤ人がその地を去り二千年近く経ってから、再びのこのこ現れ「ここは昔我々が住んでいたから自分たちの土地だ」と一方的に宣言し、パレスチナ人から土地を奪って良いものだろうか。
もし、そんな論理がまかり通るなら、ロシアのウクライナ侵略も同じように肯定しなければならなくなる。何故なら、ウクライナも、ロシアにとってはルーシ(キエフ大公国の別名。今のロシアの国名の語源にもなった)誕生の地に他ならないからだ。それは別にウクライナだけに限った話ではない。アフリカなんて、もうそんな土地だらけだ。そんな事を他の国も言い出せば、今の国際秩序はもうムチャクチャになってしまう。だからアフリカ諸国も、とりあえずは現国境を維持しながら、紛争は話し合いで解決するようにしたのだ。再び同じ過ちを繰り返してどうするのか。
では、イスラエルはどこに建国すべきだったのだろうか?私が考えたのは三つの地だ。その一つがエチオピア。エチオピアはアフリカ唯一のキリスト教国だ。モーゼの出エジプトでイスラエルを逃れたユダヤ教徒がエジプトで広めたのがコプト教で、そこから更に枝分かれしてエチオピアに広まったのがエチオピア正教だ。同じキリスト教国であるエチオピアの、人口希薄なアビシニア高原外縁部に建国すれば、エチオピアを周辺のイスラム教国から守る盾として機能したかもしれない。実際イスラエルは、かつてのエチオピア政府とエリトリアの内戦に際しても、エチオピア側を支援している。
二つ目がヨルダン。ヨルダンも元々は英国委任統治領パレスチナの一部だった。英国の三枚舌外交(注)により、フセイン・マクマホン協定でアラブの王族にも独立を保障しなければならなくなり、ヨルダン川より東側にトランスヨルダン首長国が作られた。これが今のヨルダン・ハシミテ王国、つまり今のヨルダン国家の原型だ。
(注)英国は第一次大戦時に、ユダヤ・アラブの双方から戦争協力を取り付ける為に、オスマントルコ領内に住む双方の民族に独立を約束しながら、フランスとも裏で領土分割の密約を結んでいた。その密約の存在がばれて「三枚舌外交」と非難を浴びる事になった。
しかもヨルダン人口の過半数はパレスチナ難民だ。だったら、何もパレスチナの地にイスラエルを建国しなくても、隣のヨルダンにイスラエルを建国すれば、パレスチナ人はユダヤ人に土地を奪われずに済む。その代わりに、ヨルダンに住むアラブ人がユダヤ人に土地を奪われる事になるが、アラブ人がパレスチナに移住すれば済む話だ。勿論その移転費用はユダヤ人が負担すべきだ。ユダヤ人も、故郷のパレスチナの地には建国出来なかったが、そのすぐ隣の、今のイスラエルよりも更に広い国土に建国出来るのだから、そう悪い話ではないはずだ。
三つ目が今と同じパレスチナ。イスラエルはヨルダン川西岸・ガザを含む全パレスチナの地を現行通り領有する。パレスチナ人は西岸・ガザも放棄して、ヨルダンの地にパレスチナ国家を樹立する。パレスチナ人にとってはイスラエルに譲歩した形になるが、その代わりに、今の西岸とガザの狭い飛び地ではなく、それよりもはるかに広大でまとまった土地を確保出来るのだから、これもそう悪い話ではないはずだ。
今のイスラエルやヨルダン、シリア・レバノンなどの諸国家も、第一次大戦前まではオスマントルコ帝国領の一部だった。それが英国の三枚舌外交によって英仏の勢力圏に分割され、今の諸国家誕生に繋がった。その国家の枠組みを一部入れ替えるだけだ。こうする事で、ヨルダンも、ハシム王家の専制国家に過ぎない今のハシミテ王国から、名実ともに全パレスチナ人の国家に生まれ変わる事になる。
この場合も、イスラエルは、ヨルダンへの移住を決断したパレスチナ人に、損害賠償をしなければならない。無一文のまま有無を言わさず放り出されたら、そりゃあパレスチナ人が怒るのも当然だ。移転に伴う補償をちゃんと行えば、パレスチナ問題もここまでこじれる事はなかったのではないか。
今述べた三つの案は、あくまでも個人的な代替案だ。「自分の国を持ちたい」というユダヤ人の悲願と、パレスチナ人の生存権保障を同時に実現しようとするなら、無理にパレスチナの地を分割しなくても、他にも色んな選択肢があったのではないか?何故なら、ユダヤ人が望むものはあくまでも「自分たちの独立国家」であって、ユダヤ教の聖地はその象徴に過ぎないからだ。ユダヤ人とパレスチナ人の共存が不可能なら、もう別の地にユダヤ国家を作るしかない。
それを示す為に敢えてこの代替案を提示した。でも、国際社会はそれすら選択せず、あくまでもパレスチナでのイスラエル建国にこだわり続けた。その結果どうなったか。イスラエルは分割案よりも更に広い土地を今も占有し続けている。パレスチナ人に与えられたのは、形だけのパレスチナ自治区と、イスラエルによる軍事占領だけだった。
今回ハマスが襲撃したイスラエルの村々は、パレスチナとの二国家共存を支持する人の割合が比較的高かった地域だ。ガザが経済封鎖される前は、ガザのパレスチナ人とも日常的な交流があった地域だ。そんな地域に対しても、ハマスは容赦なく憎しみの刃を向けた。そこまで憎しみ合っている状態では、もはや二国家共存なぞ絵空事に過ぎない。
しかし、ハマスをここまで追い詰めてしまったのも、元はと言えば、イスラエルが1993年のオスロ合意を反故にして、以後もパレスチナ人に嫌がらせを続けてきたからだ。2000年に、当時のイスラエル首相シャロンが、イスラム教の聖地「岩のドーム」を訪問して、「ここはイスラエルの地だ」と挑発したからだ。先述の「沈黙を破る」などの市民団体の努力をも無にしかねない、今回のハマスの蛮行は到底許す事は出来ないが、そのきっかけを作ったのは、あくまでイスラエルだ。
国連は北朝鮮によるミサイル発射を安保理決議違反と断じ、同国に経済制裁を発動している。ならば、イスラエルによるヨルダン川西岸の軍事占領やガザ侵攻についても、同じ国連安保理決議違反として、経済制裁を発動すべきではないか。トルコも日本と同じ西側同盟国で、NATO(北大西洋条約機構)にも加盟しているが、今回のイスラエルのガザ侵攻については堂々と批判している。日本も、平和国家を任ずるなら、これぐらい強い態度に出るべきではないか。
欧米諸国がイスラエルに甘いのは、かつてのナチのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)やそれ以前のユダヤ人迫害に対する負い目があるからだ。しかし、今イスラエルがパレスチナ人に対してやっている事こそが、ナチのホロコーストと同じではないか。このイスラエルの蛮行を止めるためには、国際社会が結束して、イスラエルに対する経済制裁に踏み切らなければならない。日本政府もそれぐらいは呼び掛けるべきではないか。いつまでもイスラエルを甘やかしてはいけない。
追記
イスラエル建国の地の候補に、エチオピア・ヨルダン・パレスチナと三箇所上げたが、それ以外にドイツ・イギリスも追加しておく。その理由は、パレスチナ問題がこじれるきっかけを作ったのが、この二カ国だからだ。イギリスは前述の三枚舌外交、ドイツはナチのホロコーストによって。だったら、その責任も、この二カ国が領土割譲の形で最後まで負うべきだろう。
2004年ウクライナ大統領選挙における州別得票分布。親ロシア系候補ヤヌコーヴィチの票が多い地域を青、親欧米系候補ユーシチェンコの票が多い地域をオレンジで着色。この分断状況に乗じて後者による前者の追い落としが始まる。後者陣営のシンボルカラーがオレンジなので「オレンジ革命」と呼ばれる。
2014年ユーロマイダン革命発生時の首都キエフにある独立広場の様子。こちらは親欧米派(ユーロ)による広場(マイダン)占拠がきっかけなので「ユーロマイダン革命」と呼ばれる。いずれの図や写真もウィキペディアから引用。
興味深い映画を見つけた。「ウクライナ・オン・ファイア」というドキュメンタリー映画だ。「プラトーン」などの映画を手がけたオリバー・ストーン監督が総指揮して仕上げた作品だそうだ。Netflix(ネットフリクス)の動画を誰かがYouTube(ユーチューブ)に上げたものを私も偶然観る事が出来た。
違法ダウンロードの可能性のあるリンクを貼るのもどうかと思ったが、それでも「知る権利」保障の公益性の方が優ると考えたので、敢えてここにリンクを貼る事にした。全部観るには約1時間半もの時間を要するので、出来れば時間に余裕のある時に観た方が良いだろう。
今ウクライナを巡っては、ロシアの侵略ばかりがクローズアップされるが、この映画を観た後は、それが如何に浅薄な物の見方であったか思い知らされた。ウクライナでは2004年のオレンジ革命に続き、2014年にもユーロマイダン革命という政変が起きる。いずれも独裁化した前政権に対する反政府運動が発展したものだが、それを欧米諸国が支援していた。
「欧米諸国が民主化を支援した」と言えば聞こえが良いが、実際には米国CIA(中央情報部)がウクライナ国内のネオナチを扇動して、ロシア系住民に対する虐殺を引き起こしたと、この映画は主張している。この虐殺が引き金となり、ウクライナ東部地域の独立、ロシアのクリミヤ半島併合、ウクライナ東西分裂、現在のロシアによる「独立国家承認」と、ウクライナ侵略に連なる一連の事件を引き起こしたと。そして、ウクライナだけでなく、中東諸国に広がった市民革命の波「アラブの春」など、他国の騒乱についても、CIAが関与したと。
私は、少なくとも「アラブの春」については、そういう側面も必ずしも無きにしも非ずかも知れないが、それでも基本的には独裁反対の民主化運動だと思っている。何故なら、「アラブの春」は左派軍事政権の国(シリア、リビア等)だけでなく親米独裁政権の国(エジプト、サウジアラビア等)でも例外なく起こっているからだ。
しかし、CIAが民主化支援を装いながら、他国の内政に干渉して来たのも、まぎれもない事実だ。例えば、1970年代に南米チリで起こったアジェンデ社会主義政権打倒クーデターにも、CIAが裏で関与していたのは、もはや公然の秘密だ。21世紀に入ってからも、米国政府機関NSA(国家安全保障局)が個人のネット情報を自由に盗聴していた事を、スノーデンが暴露している。
私はこの映画を観て、ウクライナという国の悲哀を改めて思い知らされた。周囲に高山や海などの天然の障壁に乏しく、生じっか大草原の穀倉地帯に国があるばかりに、周辺大国の覇権争奪の場にされ、ずっと内政干渉に晒されて来たのだから。それは次のウクライナ国歌の一節にもよく現れている。
ウクライナの栄光も自由もいまだ滅びず、
若き兄弟たちよ、我らに運命はいまだ微笑むだろう。
我らが敵は日の前の露のごとく亡びるだろう。
兄弟たちよ、我らは我らの地を治めよう。
我らは自由のために魂と身体を捧げ、
兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう。(国家の引用はここまで)
ウクライナは、1991年のソ連崩壊で、ようやく念願の独立を勝ち取る事が出来た。しかし、その後も大国の干渉は続いた。長年に渡る諸民族興亡の歴史を反映して、ウクライナ国内には様々な少数派集団が地域に分立している。その代表的なものが、東部を基盤とするロシア系住民と、西部を基盤とするポーランド系住民の対立だ。狭義のウクライナ人は、あくまで後者のみを指す。
その住民対立によって、政治も親ロシアと親欧米に二分され、同じような顔ぶれの政治家に政治をたらい回しにされて来た。歴代の大統領・首相の一覧表を見るだけでも、親ロシアのヤヌコーヴィチや、親欧米のユーシチェンコ、ティモシェンコなど、ごく少数の政治家に、政治が私物化されて来たのが分かる。
これではロシア帝国の昔とさほど変わらない。政治は常に親ロシアか親欧米かで争われ、それ以外のテーマは全て蚊帳の外に置かれて来た。ウクライナには、チェルノブイリ原発事故の後始末も含め、早急に解決しなければならない問題が他に幾らでもあるにも関わらず。
勿論、私はこの一事を以てロシアの侵略を免罪する気は更々無い。ロシア政府も、女性ジャーナリストを拉致したり、英国に亡命した元KGB(ソ連国家保安委員会)スパイのリトビネンコを毒殺したりと、冷酷無比である点については、米帝やネオナチとも人後に落ちないのだから。
ウクライナに真の民主主義が訪れ、真の自由や公正、平和を人々が手にする事が出来るようになるのは、一体いつの日になるのだろうか?
先日、本屋に立ち寄ったら一冊の本が目につきました。坂夏樹・著「命の救援電車-大阪大空襲の奇跡」(さくら舎)です。1945年3月14日未明の大阪大空襲で、深夜で動いていないはずの地下鉄がその日は動き、市民を安全な場所まで運んだ…という逸話について調べた本でした。私もそういう話がある事は知っていましたが、公式記録は一切残っていません。地下鉄自体は空襲の被害を免れたとしても、空襲であたり一面焼け野原となった大阪で、電車を動かす余裕なぞあろう訳がありません。私は今まで、これは単なる「都市伝説」だろうと思っていました。ところが、実際にその証言を集め、真偽を確かめた本が、こうして目の前にあります。思わず購入し、2日間で一気に読み終えました。
実際に、「3月14日の未明も地下鉄だけは動いていた。その為に、都心の心斎橋から梅田・天王寺方面に、電車に乗って避難できた」という証言が、数多く存在し、新聞やNHKの朝のドラマでも取り上げられて来ました。その一方で、そのような公式記録は一切存在せず、真相は闇の中でした。その中で、本書は数々の証言を繋ぎ合わせる事によって、救援電車の全体像を浮かび上がらせる事に成功しました。
大阪の地下鉄は、1933年に梅田・心斎橋間で開業したのが最初です。そして、大阪大空襲の頃までには、梅田から天王寺まで繋がっていました。当時、地下鉄が開通していたのは東京と大阪だけです。東京の地下鉄は民間の手によって開業し、既存の道路に沿って建設が進められました。その為にカーブが多く、トンネルも浅く掘られた為に、空襲では大きな被害が出ました。それに対し、大阪は、御堂筋の建設など、当時の都市計画に沿って、大阪市主導で建設が進められました。その為に、幹線道路沿いにまっすぐに伸び、トンネルも深く掘られたので、空襲下でも電車を動かす事は可能でした。
しかし、それでも疑問は残ります。①空襲があったのは前日の深夜から未明にかけてです。普段でも送電は止められている時間帯です。ましてや空襲の混乱の中で、どのようにして送電が行われたのでしょうか?②当時の地下鉄路線は、梅田・天王寺間と、途中の大国町から枝分かれして花園町まで一駅の区間しかありませんでした。いずれも都心部で、どこも空襲の被害を免れる事は出来なかったはずです。どこにそんな「安全な場所」なぞあったのでしょうか?③当時の国民は防空法という法律で、空襲下においても初期消火の義務が課されていました。空襲だからと言って、簡単に避難なぞ出来なかったはずです。
それに対し、本書では次のように答えています。①大阪市の幹部の中には、3月10日に東京、12日に名古屋が大空襲に見舞われた事から、次は14日に大阪が狙われると予想していた人もいました。その為に、当日は夜も地下鉄への送電を止めないよう極秘指令が出ていたのです(当時は電力供給も大阪市が担っており、自前の変電所も所有していました)。②大阪大空襲では、米軍は市内の東西南北4ヵ所に照準を定め、逃げ道をふさいで市内を絨毯(じゅうたん)爆撃する焦土作戦を展開しました。そうする事で、戦意喪失を狙ったのです。しかし、その中で、北区扇町付近に設定された照準点だけは、他の3ヵ所とは違い、延焼範囲は小幅に収まりました。多分、梅田のビル街で延焼が食い止められたのでしょう。その結果、梅田方面に逃げた人は助かったのです。
上記は「命の救援電車」に掲載された空襲当時の大阪市街図。◎印の4ヵ所の照準点のうち、北区扇町の照準点(図中の爆撃中心点4=赤枠で囲った部分)のみ延焼範囲が小さい事が分かる。
勿論、戦時下の事ですから、地下鉄もダイヤ通りの運行なぞ出来るはずありません。車両が故障しても直す部品がなく、整備不良のままで地下鉄を運行していたので、常に事故の危険とは隣り合わせです。動かせる車両も限られ、間引き運転が常態化していました。空襲警報が発令されれば、もうそこで運転は取りやめです。そうやって前夜に運転を打ち切り、途中駅に止まっていた車両や、送り列車(始発電車を運転する運転手と車掌を運ぶ回送列車)や始発電車などが、救援電車として走ったようです。
③避難民を地下鉄の駅に誘導したのは駅員だけではありません。警察官や憲兵の中にも、少なくない人たちが避難民を駅に誘導しています。初期消火もせず逃げ出した市民なぞ、彼らからすれば、取り締まるべき「非国民」に過ぎないはずなのに。ひょっとしたら、彼らも、焼夷弾の威力を目の当たりにして、初期消火の非を瞬時に悟ったのではないでしょうか?燃えるガソリンが空中で一杯炸裂してあたり一面に降り注ぐ。それが焼夷弾です。消防車ですら手も足も出ないのに、初期消火の「バケツリレー」なんかで、焼夷弾に対応できる訳がないでしょう。
戦時中はマスコミは完全に統制されていました。この3月14日未明の大阪大空襲すら、実際は米軍のB29が274機もの大編隊で大阪に襲い掛かり、市内を焦土と化した挙句に、ほとんど無傷で生還しているのに、大本営発表では「90機中11機撃墜、60機以上に損害を与えた」事になっています。大阪大空襲の日の朝も、空襲の被害に遭わなかった梅田駅では、普段と変わらぬ服装で乗車し、心斎橋駅から乗ってきた避難民と遭遇して、初めて大空襲があった事を知った人もいたようです。その日、救援電車が走った事も、公式記録からは抹殺されました。
当時、国民には「時局防空必携」という冊子が配られ、「焼夷弾なんて発火する前に庭につまみ出せば大丈夫」「それよりも延焼を防ぐために焼夷弾の落ちた周囲に水を撒け」という、もうトンデモとしか言いようのない指示が、政府や軍部から出されていました。その為に、東京大空襲では10万人もの都民が焼け死ぬ事になってしまったのです。大阪大空襲の死者も、公式には4千人とされていますが、実際には数万人に上るだろうと言われています。
上記は大前治・著「逃げるな、火を消せ! 戦時下『トンデモ防空法』」(合同出版)に掲載の当時の防災ポスター。「焼夷弾の火を消すよりも周囲の延焼を防げ」と、トンデモな解説をしている。焼夷弾の火がついた瞬間、周囲の全ての物が黒焦げとなるのに。
これは何も戦時中の大阪の地下鉄だけに限った話ではないでしょう。今も、多くのコロナ重症患者が、医療崩壊で病院に入院も出来ずに、自宅待機のうちに亡くなっています。マスコミで報じられる毎日の感染者数や陽性率も、PCR検査もろくに行われない中で、少なく見積もられた数に過ぎません。ワクチン接種も、諸外国と比べ、遅れに遅れまくっています。その中で、五輪だけは小学生も動員して歓迎行事が行われようとしています。この隠ぺい・ゴマカシ・弱者切り捨て体質こそ、戦時中の「大本営発表」「時局防空必携」と瓜二つではないか!
その戦時中のマスコミ統制の中においてすら、大阪大空襲の日時を正確に言い当て、防空法違反に問われるのも承知の上で、市民に避難を促した人たちがいました。「非国民」であるはずの防空法違反者を地下鉄に誘導して、市民の命を救った警察官や憲兵も少なからずいました。ところが、空襲の夜に救援電車が走った事は、もはや隠しようのない事実なのに、いまだに公式記録からは抹殺されたままです。抹殺の理由については、戦後の戦犯追及を逃れるためだと言われていますが、私はそれだけではなく、防空法違反に問われるのをおそれたからでもあると思います。今からでも遅くはないから、史実の掘り起こしと関係者の表彰を行うべきです。
マスコミも「大本営発表」ばかり垂れ流さず、もっと真実を報道すべきです。市民もいたずらに「大本営発表」だけに頼るのではなく、自分でも真相を知ろうと努力し、行動すべきです。自身と仲間の命を守り、日本の民主主義を守る為にも。
映画は学生運動とは何の関係もありませんでした。東京の映像制作会社に勤めるAD(アシスタントディレクター)のスヤマと、そのスヤマがインタビューした引きこもり青年のモトヤマ。この2人がこの映画の主人公です。(映画の公式HPではスヤマだけが主人公のようですが、私はモトヤマも含めるべきだと感じました)
引きこもりのモトヤマを取材する際の先輩ディレクターの強引なやり方に反発したスヤマが、先輩と喧嘩になった事で、会社の中に居づらくなり、かつて不良少年の取材に訪れた釜ヶ崎のドヤ街を再び訪れる所から、この物語は始まります。
確かに先輩ディレクターのモトヤマに対する取材姿勢は強引でした。せっかくスヤマがモトヤマと打ち解け始めた矢先に、いきなりモトヤマの部屋に闖入(ちんにゅう)し、自分達が勝手に思い描いたストーリー通りに、モトヤマを型にはめようとしたのですから。
しかし、その非をなじるスヤマ自身も、先輩ディレクターに負けず劣らず横暴で自分勝手な人間である事が、次第に明らかになっていきます。「俺と一緒に仕事しないか?」とモトヤマを大阪に呼び寄せながら、給料も払わず、逆に飲食費やドヤ代までモトヤマにたかるのですから。
スヤマは、西成で、かつて取材した不良少年の居所を突き止め、それを元に番組を完成させ、テレビ局に売り込む事で、ディレクターとして自立しようと考えました。それで、わざわざモトヤマを大阪に呼び寄せ、自分の助手として使おうとしたのです。
2人は、それぞれ別のドヤに住みながら、何とか不良少年の居場所を突き止めようと、新世界や釜ヶ崎、飛田新地一帯で人探しのビラを撒き始めます。しかし、一向に手がかりは掴めません。イライラを募らせたスヤマは、次第にモトヤマに当たり散らすようになります。
そのくせ、スヤマは行きずりの謎の女と意気投合し、ドヤでセックスした挙句に、女に財布を盗まれ、一文無しになってしまいます。そして、モトヤマから金を借りようとし、モトヤマから逆に給与支払いの催促を受ける羽目になります。
スヤマは、三角公園での炊き出しや、野宿者専用のシェルターを利用しなければいけない所まで、身を持ち崩してしまいます。そして、手配師の勧めで、建物解体の日雇い労働で働いている最中に、釘を踏んで足を怪我してしまいます。土木工事の親方からも「何が西成のリアリティーや?まず自分のリアリティーから見つめ直せ」となじられる有様です。
家族に黙って大阪までやって来たモトヤマも、弟に足取りを掴まれてしまいます。そして、大阪まで来た弟に、暴力的に連れ戻されそうになります。大阪には弟だけでなく前述の先輩ディレクターもついて来て、モトヤマをテレビ番組のネタにしようとします。弟の兄に対する暴力的な態度からは、兄への愛情が一切感じられませんでした。実際は兄の事を疎んじながら、兄弟としての義務感から、仕方なく大阪まで来たという感じでした。
その中で、「黙ってないで何とか言え」とけしかけるディレクター達に、モトヤマが発した次の怒りの言葉が、観客の心に突き刺さります。「若者のリアリティーを掴むとか何とか言って、弱者に寄り添うふりをしても、お前たちはただ上から俺たちを見下しているだけじゃないか!」と。私はここで、モトヤマもこの映画の主人公であると確信しました。
スヤマは、ついに覚せい剤にまで手を出してしまいます。それでも、ヤクザに連れられ、売人のマンションで覚せい剤を注射される場面を、ビデオに自撮りしようとしたのは、やはりディレクターになる夢をまだ諦めていなかったのでしょう。ヤクザがスヤマに「今まで色々ツラい事があったんだろう」と優しく声をかける場面も不気味でした。「こうして人は覚せい剤のとりこになって行くのだろう」と戦慄を覚えました。
それは映画「万引き家族」と対比すればよく分かります。あの映画も、一見貧しい一家が寄り添い助け合っているかの様に見えて、実はとんでもない家族であった事が、後に判明します。それは、親父は万引き稼業で生計を立て、幼い息子に真似させていただけではありません。その息子も実の息子ではなく、母親がさらって来た他人の子どもでした。おまけに祖母は亡くなった祖父の年金を死後も掠め取り、娘は家族に黙ってイメクラで小遣い稼ぎに精を出す。
しかし、たとえそんな家族でも、近所のDV被害者の女の子をかくまう中で、家族としての絆を深めて行きます。一時は息子を捨てて一家総出で夜逃げを企んだりしましたが、最後には万引き親父が、実の家族の元に帰る息子を追って別れを惜しむ場面で終わります。いかに「正義ヅラした偽善」であっても、そこに幾ばくかの正義がある限り、正義としての価値が損なわれる事はない...。そのメッセージが「万引き家族」の観客を勇気付け、パルムドール(カンヌ国際映画祭最高賞)受賞に結びついたのです。残念ながら「解放区」にはそれが余り感じられませんでした。
西成にもそんな「正義」はあるはずです。西成には確かにヤクザや覚せい剤の売人も多いですが、それに抗する人達も決して少なくはありません。年がら年中、炊き出しが行われ、年末には「1人の凍死者・餓死者も出すな」と見回り活動が繰り広げられる。そういう意味では、決してただの「お先真っ暗闇」のスラムやゲットーではない。
今秋、あいちトリエンナーレで行われた「表現の不自由展」に対して、一旦は認められた助成金交付が、「展示が反体制的だから」という理由で覆された事がありました。政治的メッセージが強く、公民館では展示を渋るような作品にも、芸術的価値があるからこそ、展示しようという企画だったにも関わらず。
実は「解放区」もそんな映画でした。当初支給されるはずだった映画助成金が、大阪市の反対で支給されなくなりました。「引きこもりや覚せい剤取引の場面が、引きこもり患者や西成への偏見を助長する」というのが、助成金支給見送りの表向きの理由でした。ところが実際は、それは単なる口実に過ぎませんでした。「臭い物に蓋」「寝た子を起こすな」...これが当局の本音でした。その辺は、「風評被害が福島差別を助長する」という口実で、放射能汚染の実害が隠蔽されようとしている構図とよく似ています。
しかし、この映画から、引きこもりや覚せい剤取引の場面をカットしてしまったら、映画そのものが成り立たなくなります。そこで、助成金には頼らず、自費とカンパだけで映画製作が続けられました。
主人公のスヤマ自身も監督が演じています。薬の密売人も元密売人が演じています。このような手弁当での悪戦苦闘の中から、ようやく映画公開にこぎ着ける事が出来たのです。折角、セミドキュメンタリー映画としては、これまでにないリアルな作品に仕上がったのだから、偽善の告発だけでなく、それを乗り越えようとする展望も指し示す事が出来たら、この映画はもっと素晴らしい物になると思います。
後で思い返せば、この映画にも、実はそういうメッセージが含まれていたのかも知れません。炊き出しや越冬まつりの場面が、映画に頻繁に出てくるのも、その一つの現れではないかと思います。少なくとも、単なる観光客向けのイベントに過ぎない「新今宮フェスティバル」よりは、よっぽど深みのある映画に仕上がったのは確かです。しかし、私にとっては、それはいつしか後景に退けられ、「偽善告発」のイメージだけが印象に残る「身も蓋もない話」で終わってしまいました。まさに「画龍点睛を欠く」という想いです。
大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも https://abematimes.com/posts/7013626 大村知事の言う通り。大村も河村たかしも同じ減税日本の穴の貉だと思っていたが、大村はまだ基本的人権の何たるかを理解している。それだけでも河村より遥かにマシ(8月5日)
大阪府知事、愛知の知事は「辞職相当」 表現の不自由展:朝日新聞https://www.asahi.com/articles/ASM875WW0M87PTIL023.html … 反日と叫べば何でもアリか?そんな理屈が通るなら、日本にポンコツ戦闘機を押し付ける米国も反日として、大使館にガソリン携行缶持ってお邪魔しても良いのか?吉村のイケメンは外見だけで中身は極右そのもの(8月7日)
宮本徹認証済みアカウント @miyamototooru
大村氏、大阪・吉村知事の発言に「はっきり言って哀れ」:朝日新聞 https://www.asahi.com/articles/ASM884RWCM88OIPE01D.html … 「憲法21条についてまったく理解していない。公権力を持っている人がこの内容はよくて、この内容はだめだとずっと言っている。日本維新の会は表現の自由はどうでもいいと思っているのではないか」
愛知トリエンナーレの慰安婦像に難癖付けてる奴等は、この広島原爆死没者慰霊碑の「安らかに眠って下さい。過ちは二度と繰り返しませぬから」の碑文にも「反日だ。平和記念式典に公費支出するな」と難癖付けるのだろうか?(8月8日)
河村たかし、吉村洋文らは、あいちトリエンナーレの慰安婦像や天皇を揶揄した作品は不敬反日で表現の自由の埒外だと宣う。しかし、その程度の「不敬」でも許されないなら、反戦平和・主権在民を唱えて天皇制政府に虐殺された小林多喜二はどうなる?不敬どころか鬼畜にも劣る所業ではないか!(8月12日)
あいちトリエンナーレの展示会では慰安婦像だけでなく天皇と女性ヌードのコラージュ写真も槍玉に挙げられたが、何故この程度の皮肉も許されないのか?これを不敬だ反日だと言うなら、戦前に特高警察が天皇の名で行った弾圧や虐殺は一体どうなる?その責任も取らずに不敬を云々する事自体許されない(8月14日、以下同じ)
戦前に特高警察の拷問で虐殺された小林多喜二が一体何をした?北洋漁場の蟹工船内で行われていた搾取の実態を小説で告発しただけじゃないか。それを特高は天皇制国家への反逆として虐殺した。それこそよっぽど自由や民主主義に対する反逆じゃないか。不敬だ何だ言う前にその責任をまず先に取れ!
「ゆきゆきて神軍」もそうだ。ニューギニア戦線で空腹を凌ぐ為に部下の人肉を食らった上官の責任を追及した映画だ。主人公は天皇にパチンコ玉を投げた罪で服役した。天皇にも戦争責任ありとして。本当に悪いのは主人公ではなく上官や天皇なのに、不敬だと封殺するファシズムを許してはならない
幾ら醜い真実でも、真実である以上は目を背けてはならない。それを醜いからと言って封殺してしまったら、原爆資料館の展示も出来ない事になってしまう。そんなに観たくなければ観なければ良い。観たい人の観る自由を奪うな。自分の意見が通らないからと言って暴力で封殺するのは只の我儘でしかない
(参考資料)
日本:あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の中止に深刻な懸念(アムネスティ日本)
2019年8月 8日[日本支部声明]国・地域:日本トピック:国際人権法
国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』の企画として8月1日より開催されていた「表現の不自由展・その後」が、数々の政治的な圧力や匿名の脅迫行為などの攻撃によって中止に追い込まれた。アムネスティ・インターナショナル日本は、公人による発言や匿名の脅迫者による圧力によって市民の表現の自由が侵害されたことに深刻な懸念を表明する。
この企画展における展示に「慰安婦」問題や天皇制などを題材とした作品が含まれていることが明らかになると、それらの展示を問題視する発言がインターネット上に現れた。8月2日には、菅官房長官と柴山文科大臣が同展を問題視して、芸術祭に対する補助金支出の見直しに言及した。河村たかし名古屋市長は同展を視察した上で、展示中止を求める「抗議文」を愛知県知事に提出した。自民党の国会議員らも展示は政治的プロパガンダであるとの意見を表明した。あいちトリエンナーレ実行委員会事務局には、メールや電話で多数の抗議が寄せられ、中にはテロ予告や脅迫もあったとされる。こうした状況下で、実行委員長の大村秀章知事と津田大介芸術監督は、8月3日に同展の中止を発表した。
自由権規約(国際連合 市民的及び政治的権利に関する国際規約:日本は1979年に批准)第19条は、締約国に対して、表現の自由の権利を保障すべき法的義務を課しており、特に公人は、表現の自由を保障し尊重する法的義務を負っている。しかし、官房長官、大臣、国会議員、市長らの今回の言動は、この法的義務に違反して同展中止に政治的圧力をかけるものであり、同展企画者および出展者の表現の自由を侵害するものである。
国連自由権規約委員会の一般的意見34(2011年)は、「締約国は、表現の自由についての権利を行使する人々を封じることを目的とした攻撃に対し有効な措置を講じなければならない」と述べており、日本政府には、同展への攻撃に対して、関係者の安全を保障し、脅迫行為については捜査を行うなど、表現の自由を守るための具体的かつ有効な措置を取る責任がある。日本政府は、「表現の不自由展・その後」に向けられた脅迫や攻撃に対して、同展関係者および『あいちトリエンナーレ』全体の安全を保障し、表現の自由を守るために具体的な措置を講じるべきである。
「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれて以来、実行委員会メンバーや、同展参加者を含む『あいちトリエンナーレ』参加アーティストらから、同展の再開や安全の確保を求める声が上がっている。アムネスティ日本は、「表現の不自由展・その後」における表現の自由の侵害を助長した複数の公人の言動に強く抗議するとともに、日本政府に対して、同展が再開できる環境を早期に整えるために必要な具体的措置をただちに取り、表現の自由を守るための有効な措置を取る責任を果たすよう強く求める。
以上