アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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「あまろっく」観て来ました。

2024年04月18日 20時56分22秒 | 映画・文化批評
 
先日このブログでも取り上げた映画「あまろっく」を観て来ました。「あまろっく」というのは尼崎閘門(こうもん)の愛称です。尼崎の下町を高潮の被害から守っている防潮堤の閘門で、船が出入りする時だけ開きます。その尼崎を舞台にした映画なので、映画のタイトルもそこから取ったそうです。以下、映画のあらすじをかいつまんで紹介します。
 
尼崎で町工場を経営する65歳の近松竜太郎(演じるのは笑福亭鶴瓶)は「人生何でも楽しまな」が口ぐせの好々爺。39歳独身の娘の優子(同、江口のりこ)は、そんな親父の能天気でグータラな生き方に反発して、勉強もスポーツも頑張り、一流大学を卒業。東京でキャリアウーマンとして活躍していたが、リストラされて実家に舞い戻り。そしたら何と親父が「祝リストラ」のプラカード掲げて玄関で娘を出迎え、お祝いの赤飯まで用意していたw。
 
会社をリストラされて実家に帰って来た娘に対して「祝リストラ」で出迎えるとは、何て親父なのかと私も最初は呆れました。でも、「人生何でも楽しまな」が口ぐせの親父なので、リストラもその延長で「そんなもの笑って跳ね返したれ」と励ますつもりだったのでしょう。しかし、勝ち負けにこだわる娘にとっては嫌味にしか受け取れなかったようです。
 
この辺でもう、グータラな親父ではなく勝ち負けにこだわる娘の方がヘンコである事が映画で暗示されているのですが、私も高校生の頃はこんな優子みたいな人間だったので、身につまされる思いで観ていました。
 
その親父が、仕事の関係で時々訪れる尼崎の市役所(商工会だったかも?)で、受付嬢をしていた20歳の早希(同、中条あやみ)を見初め、というか実際は早希の方が親父の純真な性根にほだされ、半ば押しかけ同然で親父と再婚。独身の優子にも世話焼いて見合い写真を持って来る有様。
 
それでなくても、キャリアウーマンから一転リストラされ、実家に舞い戻りニート同然の暮らしにまで転落してしまった優子にとっては、いくら継母とはいえ妹みたいな早希から「優子ちゃん、優子ちゃん」と毎日子ども呼ばわりされ面白くない。だから最初はいつも早希と喧嘩ばかり。
 
しかも(ここから先はネタバレあり)親父もその後、マラソン中に心不全(?)起こして死んでしまうのに、その不幸も乗り越え、最後は早希の紹介したお見合いの相手と結婚し、親父の町工場も引き継ぐ事になり、最後は予想もしないクライマックスで終了。
 
…ざっと、そんなあらすじです。この映画は家族愛のすばらしさを描いたものだと言われており、実際その通りなのですが、それだけがこの映画の主題ではないと思います。
 
何故そんなほのぼのとした家族が誕生し、親父の死も乗り越えて行く事が出来たのか。それは、「人生何でも楽しまな」という親父の楽天性と、それを真正面から受け止める事が出来た早希の純粋一途な生き方がバックボーンにあるからではないでしょうか?
 
早希の家庭も、父親が女をこさえて家を出て行き母親の手で育てられるなど、決して円満なものではなかった。だからこそ早希は家族団欒(だんらん)に憧れ、それを体現した竜太郎に惚れ込んだのです。65歳の親父が子どもみたいな20歳の小娘と再婚。今時そんな話は結婚詐欺以外にはあり得ない。そんな「世間の常識」を見事に覆した痛快さに魅了されました。
 
私もそんな自由で伸び伸びとした家庭に生まれたかった。日本人の大半がそんな家庭に生まれていたら、日本も今のようなギスギスした競争社会、社会悪がはびこる犯罪社会、貧困や差別が広がる格差社会にはなっていなかったと思います。そういう堅い話は抜きにしても、マジでお薦めです、この映画。
 
他方で、この映画を観るきっかけとなった婚活相手の女性については、今ではもうサクラだったと確信しています。何故なら、プロフィールの自己紹介の言い回しが微妙に変。例えば「大阪の泉佐野美容クリニックに勤めています。仕事が大好きなので嬉しいです」と書いてありましたが、「仕事が大好き」だと何故「嬉しい」のか?具体的な説明もなしに、いきなりこんな事を普通の人は書きません。
 
それ以上に決定的だったのが、大阪に「泉佐野美容クリニック」なんて会社は全然なかった事。グーグルマップだけでなく国税庁の法人番号検索でも企業名で逆サーチかけましたが、そんな会社は一切存在しませんでした。婚活サイトで自慢するほどの会社なら最低でもグーグルマップには載るはずです。でも、その時は、勤務先の名前も具体的に書いてあったので、すっかり信用してしまっていました。今から思えば浅はかでした。
 
でも、この事で私が被った被害は、ネット婚活サイトの登録を無料会員から有料会員に変更した事で、半年間の登録料を支払う羽目になったぐらいです。これも有料会員になった事で、それに見合うサービスも受けられるようになるのですから、実害はないに等しいです。そして、何よりも、これがきっかけで「あまろっく」の映画も観れた訳ですから、見ようによっては、「詐欺師からのプレゼント」と受け取れなくもありません。
 
でも、そうは言っても、婚活詐欺師が暗躍しているのも事実なので、次からは気を付けようと思います。
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いつまでもイスラエルを甘やかしてはいけない

2023年12月13日 13時03分36秒 | 映画・文化批評

前回の記事の中で、「ガザの日常」という映画の感想について書いた。今回はもう一つのガザ関連映画「愛国の告白」を見た感想から書こうと思う。この映画は、ヨルダン川西岸地域を軍事占領するイスラエル軍の蛮行を、軍の兵士自身が告発したものだ。ヨルダン川西岸地域は、行政的にはパレスチナ自治区の大半を占めるが、実際はその6割はイスラエルの軍政下にある。軍政下ではパレスチナ自治政府の権限も及ばず、イスラエルの法も適用されない。そこでは住民は、軍による恣意的な連行や拷問に日常的にさらされる事になる。

その映画の中で、イスラエルの兵士が、深夜の2時や3時に、パレスチナ人(パレスチナに住むアラブ人)の家を家宅捜索する場面が出てくる。たとえ容疑が何もなくても、兵士は好き勝手に、その時の気分次第で、自由に家宅捜索できるのだ。その時も兵士は、いきなり家人を叩き起こし、家族を一室に集め、身分証の提示を迫った。母親が幾ら「子どもが寝ているから」と哀願しても、兵士は「子供も叩き起こしてここに連れて来い」と命令するばかり。子どもは怖がって泣き叫ぶ。ようやく捜索が終わると、兵士は何の法的根拠も示さず、何も押収できずに、ただ住民に嫌がらせをしただけで、「バイバイ」と言って家を立ち去る。

何故こんな無法が許されるのか?兵士が思い余って上官に質問したら、返って来た答えが「我々の存在を奴らに思い知らしめる為だ」。誰がここの支配者か、住民に思い知らしめる為だそうだ。しかし、こんな事を繰り返していたら、当然、住民から恨みを買う事になる。そして兵士も、何故こんな事をしなければならないのか?と悩み苦しむ事になる。

「イスラエルの論理」を徹底解説~たとえ世界を敵に回しても戦う理由とは?【豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス】(2023年11月30日)

そんな兵士が集まって「沈黙を破る」という市民団体を立ち上げ、自分たちの行為をイスラエルの国内で告発し始めた。その様子を紹介したのがこの映画だ。しかし、何故そんな住民の嫌がる事をイスラエル軍は繰り返すのか?その答えが上記の動画の中にあった。上記の動画は、今回のガザ侵攻に至るイスラエルの論理を読み解いたものだが、その中に次のエピソードが登場する。

1956年にイスラエル南部のキブツ(集団農場)がパレスチナゲリラに襲撃され、イスラエル軍の中尉が殺された際に、当時のダヤン軍参謀総長が中尉の遺族に出した追悼文に、その答えが凝縮されている。以下、その追悼文の一部を紹介する。

「今日は殺人者(パレスチナゲリラ)を責めないでおこう。我々は彼らの燃えるような憎しみを否定する事は出来ない。彼らは8年間ガザの難民キャンプから出られず、目の前で、彼らと祖先が住んでいた土地や村を、我々が(自分たちの)財産に変えていくのを見ているしかなかった。(中略)我々は彼らの憎しみから目をそらしてはならない。弱くあってはならない。それが我々の世代の宿命である」

イスラエル軍がパレスチナ人から恨まれるのは、軍が彼らの土地を奪ったからである事も十分理解した上で、「我々はそうするしか自分の国を持てないのだ。だから、我々は弱くあってはならない。たとえ恨まれようとも、他人の土地を奪い続けるしかないのだ」と宣言したのだ。これは一種の居直り宣言だ。そこまでしても自分の国を持ちたいという事だ。なるほど、ユダヤ人にとっては悲壮な覚悟かもしれない。しかし、こんな手前勝手な理屈で土地を強奪されたのでは、パレスチナ人は堪ったものではない。

今となってはもうタラレバの話になってしまうが、イスラエル建国の地は必ずしもパレスチナでなくても良かったのではないか。ユダヤ人にとってはパレスチナの地こそが自分の故郷だと思いたいのは山々だろうが、もうそこには既にパレスチナ人が何世代にも渡って住みついている。ユダヤ人がその地を去り二千年近く経ってから、再びのこのこ現れ「ここは昔我々が住んでいたから自分たちの土地だ」と一方的に宣言し、パレスチナ人から土地を奪って良いものだろうか。

もし、そんな論理がまかり通るなら、ロシアのウクライナ侵略も同じように肯定しなければならなくなる。何故なら、ウクライナも、ロシアにとってはルーシ(キエフ大公国の別名。今のロシアの国名の語源にもなった)誕生の地に他ならないからだ。それは別にウクライナだけに限った話ではない。アフリカなんて、もうそんな土地だらけだ。そんな事を他の国も言い出せば、今の国際秩序はもうムチャクチャになってしまう。だからアフリカ諸国も、とりあえずは現国境を維持しながら、紛争は話し合いで解決するようにしたのだ。再び同じ過ちを繰り返してどうするのか。

では、イスラエルはどこに建国すべきだったのだろうか?私が考えたのは三つの地だ。その一つがエチオピア。エチオピアはアフリカ唯一のキリスト教国だ。モーゼの出エジプトでイスラエルを逃れたユダヤ教徒がエジプトで広めたのがコプト教で、そこから更に枝分かれしてエチオピアに広まったのがエチオピア正教だ。同じキリスト教国であるエチオピアの、人口希薄なアビシニア高原外縁部に建国すれば、エチオピアを周辺のイスラム教国から守る盾として機能したかもしれない。実際イスラエルは、かつてのエチオピア政府とエリトリアの内戦に際しても、エチオピア側を支援している。

二つ目がヨルダン。ヨルダンも元々は英国委任統治領パレスチナの一部だった。英国の三枚舌外交(注)により、フセイン・マクマホン協定でアラブの王族にも独立を保障しなければならなくなり、ヨルダン川より東側にトランスヨルダン首長国が作られた。これが今のヨルダン・ハシミテ王国、つまり今のヨルダン国家の原型だ。

(注)英国は第一次大戦時に、ユダヤ・アラブの双方から戦争協力を取り付ける為に、オスマントルコ領内に住む双方の民族に独立を約束しながら、フランスとも裏で領土分割の密約を結んでいた。その密約の存在がばれて「三枚舌外交」と非難を浴びる事になった。

しかもヨルダン人口の過半数はパレスチナ難民だ。だったら、何もパレスチナの地にイスラエルを建国しなくても、隣のヨルダンにイスラエルを建国すれば、パレスチナ人はユダヤ人に土地を奪われずに済む。その代わりに、ヨルダンに住むアラブ人がユダヤ人に土地を奪われる事になるが、アラブ人がパレスチナに移住すれば済む話だ。勿論その移転費用はユダヤ人が負担すべきだ。ユダヤ人も、故郷のパレスチナの地には建国出来なかったが、そのすぐ隣の、今のイスラエルよりも更に広い国土に建国出来るのだから、そう悪い話ではないはずだ。

三つ目が今と同じパレスチナ。イスラエルはヨルダン川西岸・ガザを含む全パレスチナの地を現行通り領有する。パレスチナ人は西岸・ガザも放棄して、ヨルダンの地にパレスチナ国家を樹立する。パレスチナ人にとってはイスラエルに譲歩した形になるが、その代わりに、今の西岸とガザの狭い飛び地ではなく、それよりもはるかに広大でまとまった土地を確保出来るのだから、これもそう悪い話ではないはずだ。

今のイスラエルやヨルダン、シリア・レバノンなどの諸国家も、第一次大戦前まではオスマントルコ帝国領の一部だった。それが英国の三枚舌外交によって英仏の勢力圏に分割され、今の諸国家誕生に繋がった。その国家の枠組みを一部入れ替えるだけだ。こうする事で、ヨルダンも、ハシム王家の専制国家に過ぎない今のハシミテ王国から、名実ともに全パレスチナ人の国家に生まれ変わる事になる。

この場合も、イスラエルは、ヨルダンへの移住を決断したパレスチナ人に、損害賠償をしなければならない。無一文のまま有無を言わさず放り出されたら、そりゃあパレスチナ人が怒るのも当然だ。移転に伴う補償をちゃんと行えば、パレスチナ問題もここまでこじれる事はなかったのではないか。

今述べた三つの案は、あくまでも個人的な代替案だ。「自分の国を持ちたい」というユダヤ人の悲願と、パレスチナ人の生存権保障を同時に実現しようとするなら、無理にパレスチナの地を分割しなくても、他にも色んな選択肢があったのではないか?何故なら、ユダヤ人が望むものはあくまでも「自分たちの独立国家」であって、ユダヤ教の聖地はその象徴に過ぎないからだ。ユダヤ人とパレスチナ人の共存が不可能なら、もう別の地にユダヤ国家を作るしかない。

それを示す為に敢えてこの代替案を提示した。でも、国際社会はそれすら選択せず、あくまでもパレスチナでのイスラエル建国にこだわり続けた。その結果どうなったか。イスラエルは分割案よりも更に広い土地を今も占有し続けている。パレスチナ人に与えられたのは、形だけのパレスチナ自治区と、イスラエルによる軍事占領だけだった。

今回ハマスが襲撃したイスラエルの村々は、パレスチナとの二国家共存を支持する人の割合が比較的高かった地域だ。ガザが経済封鎖される前は、ガザのパレスチナ人とも日常的な交流があった地域だ。そんな地域に対しても、ハマスは容赦なく憎しみの刃を向けた。そこまで憎しみ合っている状態では、もはや二国家共存なぞ絵空事に過ぎない。

しかし、ハマスをここまで追い詰めてしまったのも、元はと言えば、イスラエルが1993年のオスロ合意を反故にして、以後もパレスチナ人に嫌がらせを続けてきたからだ。2000年に、当時のイスラエル首相シャロンが、イスラム教の聖地「岩のドーム」を訪問して、「ここはイスラエルの地だ」と挑発したからだ。先述の「沈黙を破る」などの市民団体の努力をも無にしかねない、今回のハマスの蛮行は到底許す事は出来ないが、そのきっかけを作ったのは、あくまでイスラエルだ。

国連は北朝鮮によるミサイル発射を安保理決議違反と断じ、同国に経済制裁を発動している。ならば、イスラエルによるヨルダン川西岸の軍事占領やガザ侵攻についても、同じ国連安保理決議違反として、経済制裁を発動すべきではないか。トルコも日本と同じ西側同盟国で、NATO(北大西洋条約機構)にも加盟しているが、今回のイスラエルのガザ侵攻については堂々と批判している。日本も、平和国家を任ずるなら、これぐらい強い態度に出るべきではないか。

欧米諸国がイスラエルに甘いのは、かつてのナチのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)やそれ以前のユダヤ人迫害に対する負い目があるからだ。しかし、今イスラエルがパレスチナ人に対してやっている事こそが、ナチのホロコーストと同じではないか。このイスラエルの蛮行を止めるためには、国際社会が結束して、イスラエルに対する経済制裁に踏み切らなければならない。日本政府もそれぐらいは呼び掛けるべきではないか。いつまでもイスラエルを甘やかしてはいけない。

追記

イスラエル建国の地の候補に、エチオピア・ヨルダン・パレスチナと三箇所上げたが、それ以外にドイツ・イギリスも追加しておく。その理由は、パレスチナ問題がこじれるきっかけを作ったのが、この二カ国だからだ。イギリスは前述の三枚舌外交、ドイツはナチのホロコーストによって。だったら、その責任も、この二カ国が領土割譲の形で最後まで負うべきだろう。

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福田村事件の犠牲者は決して少数派ではなかった

2023年09月09日 16時34分51秒 | 映画・文化批評
 
今、話題の映画「福田村事件」を観て来ました。1922年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災の直後に、多数の朝鮮人や社会主義者が、震災のどさくさに紛れて、警察や自警団の手で殺された事は、私も歴史的事実としては知っていました。ネトウヨ(ネット右翼)や小池都知事が、その事実を無かった事にしょうとしている事も含めて。しかし、実は殺されたのは朝鮮人や社会主義者だけではありませんでした。日本人の地方出身者も、都会で孤立する中で、方言を理解してもらえず、朝鮮人やテロリストと間違われて、殺されたりしていたのです。
 
千葉県福田村(今の野田市の一部)で殺されたのは、香川県の行商人たちです。全員が被差別部落の出身者で、小作農だけでは食べていけないから、全国各地を渡り歩き、薬売りの行商を行っていたのです。その彼らが、震災からわずか6日後に、福田村郊外の利根川の渡しにさしかかったところで、讃岐弁が分からない船頭たちによって、朝鮮人と間違われて、15人中9人も殺されてしまったのです。
 
勿論、行商人たちは自分たちが日本人である事を必死になって説明しました。行商の鑑札も見せて、求められるまま君が代や歴代天皇の名前もそらんじて見せました。それでも「その鑑札は偽物だ」と言われ、警官が鑑札の真偽を確かめに本署に一旦戻った隙に、皆殺しにされてしまったのです。警官が再び現場に到着した時には、もはや手が付けられないほど殺戮(さつりく)は進行していました。村の自警団が10人目に手を付けようとしたところで、鑑札が正規のものである事が証明され、そこでようやく殺戮を食い止める事が出来たのです。
 
ところが、隣村の住民も含めて、数百人もの村人が虐殺に加わったにも関わらず、起訴されたのはわずか数名。その数名に対し、村当局は弁護士費用を立て替え、見舞金まで支給しています。数名には実刑が下されるも、後の昭和天皇即位に伴う恩赦で、全員が釈放されています。加害者の中には戦後、地元の市会議員になった人間もいます。
 
それに対して、殺害された行商人の方たちには、謝罪も補償も一切ありませんでした。ようやく香川県に戻る事の出来た生存者も、後難を恐れて固く口を閉ざしてしまいました。その為に、この事件は長い間、日の目を見る事がありませんでした。最近になってようやく、地元の教師や歴史家の尽力によって、事件の全貌が明るみになりつつあります。これが1923年9月6日に実際に起こった福田村事件のあらましです。
 
 
それを踏まえた上で、映画「福田村事件」のストーリーを解説します。大事な事なのでネタバレになるのも承知で書きます。まず最初に、朝鮮から故郷の福田村に舞い戻って来た教師とその妻が登場します。教師の名は澤田智一(役者は井浦新、以下同じ)で妻の名は静子(田中麗奈)。智一は朝鮮にほれ込み朝鮮語もマスターしながら、堤岩里事件(1919年に、日本軍が3.1独立運動掃討作戦を進める中で、朝鮮人の村人が教会の中に閉じ込められ焼き殺された事件)に遭遇してしまったショックで性的不能に。
 
村に戻った智一は、幼なじみの村長や在郷軍人会分会長による教員復職の薦めも断り、慣れない手つきで農業を始めます。そんな夫に我慢できなくなった妻の静子は、利根川の渡し守の船頭、田中倉蔵(東出昌大)と船の中で肉体関係を持ってしまいます。静子がそこまで追い詰められても、夫の智一は川べりの木陰から見つめるだけ。
 
次に映画は福田村の村人の日常生活の場面に変わります。村では軍服姿の在郷軍人会が威張っています。軍人会分会長の長谷川(水道橋博士)はことあるごとに村長をこきおろします。村の青年の出征祝いの席でも、大正デモクラシーにかぶれた田向村長(豊原功補)を「腰抜け」と非難し、「忠君愛国」の教えを盛んに説きます。
 
しかし、その「忠君愛国」の教えとは裏腹に、村人の性生活の奔放ぶりが次々に登場します。例えば、戦争未亡人の島村咲江(コムアイ)も、夫を戦争で亡くした寂しさから、倉蔵と不倫関係に。井草家の妻マス(向里祐香)も夫の茂次(松浦祐也)をさておいて祖父の貞次(柄本明)とセックスにふける日々。貞次が亡くなった時も自分の乳房で貞次を抱きしめ。
 
ただ、この村人の描写については、私はむしろ省いた方が良かったのではないかと思います。福田村事件を、被害者だけでなく加害者の視点からも描きたかったという映画監督の森達也さんの意向で、この場面が挿入されたらしいのですが。これがある為に、話のストーリーがやたら煩雑になり、私は映画を観ていて訳が分からなくなりました。後でネットで調べて、ようやく理解できるようになりましたが。その為に、朝鮮人や部落民に対する差別を告発するという、映画本来の主題がぼやけてしまっては、本末転倒ではないでしょうか。
 
やがて映画は後半のクライマックスに向かいます。震災後、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」との流言蜚語(りゅうげんひご=根も葉もない噂)が、福田村の中にも流れるようになります。左翼劇作家の平澤計七(映画に登場する唯一の実在の人物)も、そのどさくさの中で、亀戸警察署に連行され、署内で拷問の末に虐殺されてしまいます(亀戸事件)。内務省の通達に沿って、村にも自警団が組織されます。在郷軍人会は今までにも増して勢い付きます。
 
しかし、3日後からは次第に形勢逆転。諸外国の目を恐れた政府は、今度は一転して噂の火消しに転じます。「通行人をやたら不審者扱いしてはいけない。勝手に武器を持ち歩いてはいけない。自警団は解散しろ」との通達で、はしごを外された在郷軍人会は意気消沈。しかし、村人の中に深く根を下ろした朝鮮人やよそ者に対する警戒心が、この程度の事で鎮静化するはずがありません。
 
その中に、香川県の被差別部落を旅立った行商人の一行がやって来ます。彼らも村人と同様に千差万別です。まず行商人のリーダー、沼部新助(永山瑛太)にしてからが、矛盾だらけの人物です。「わしら貧乏人は、自分よりさらに貧しい奴らを騙して、金をむしり取らなければ生きていけないんだ」と、怪しげな薬を道端で皆に売りつけます。醬油工場のストライキの場面に出くわしても、「お上に楯突いたらろくなことがない」と眉をしかめます。この辺の描写は、まるで「闇金ウシジマくん」そっくりで。その一方で、貧しい朝鮮人の飴売り少女に同情して、飴を一杯買ってやり、お礼に少女から朝鮮の扇子をプレゼントされます。しかし、これが後に災いの元になります。
 
矛盾だらけと言う点では、行商人の他のメンバーも同じです。「わしら部落の人間は差別されても朝鮮人よりは上なんだ」と、「下見て暮らせ傘の下」よろしくヘイトスピーチを公言する輩もおれば、前年に結成された水平社(部落解放運動団体)の創立宣言をそらで暗唱し、それを他のメンバーに広めようとする秀才少年がいたり。この辺はもう完全に映画の作り話なのでしょうが。
 
これも作り話なのでしょうが、映画にはもう一つの重要なキャラクターも登場します。地元紙の編集長と女性新聞記者です。編集長の砂田伸次朗(ピエール瀧)は政府の意向に沿って「朝鮮人が暴れている」という記事を新聞記者に書かそうとしますが、女性記者の恩田楓(木竜麻生)はそれを決然と拒否します。「真実を報道してこそ新聞の値打ちが決まる」と。そして福田村の中でも、朝鮮人の飴売りの少女を何とか自警団の魔手から守ろうとします。この奮闘も空しく、少女は自警団に竹槍で突き殺されてしまいますが。
 
そして映画は遂にクライマックスを迎えます。まず利根川の渡しで、行商人の一行が、間男の船頭と船賃の交渉をする中で、讃岐弁が分からない船頭や他の乗客から、朝鮮人ではないかと疑われ始めます。村の半鐘が打ち鳴らされ、行商人一行は自警団や村人に取り囲まれます。後は先述の事件の経過と同じです。但し、その中で、行商人のリーダー沼部が、それまでの矛盾だらけの姿とは打って変わって、「朝鮮人やったら殺してもええんか!」と村人に凄む姿には、私も鬼気迫る迫力を感じました。しかし、その行いも空しく、朝鮮人の飴売りの少女からもらった扇子が見つかった事で、事態はさらに悪化していきます。この辺のくだりは、完全に映画のフィクションなのでしょうが。
 
そこに、先述の澤田夫妻が登場します。船頭との不倫を機に、一旦家を出た澤田静子も、震災の混乱の中で、再び夫の智一の元に戻ります。そして紆余曲折を経る中で、偶然、虐殺の現場に遭遇した二人は、必死になって殺戮を食い止めようとします。ここでは夫の智一も、最初の不能の場面とは打って変わって、虐殺を食い止める側に回ります。この場面は映画のクライマックスの一つです。でも、私からすれば、いくら作り話にしても、いかにも話が出来過ぎているようで、幾分興ざめしてしまいましたが。
 
次のクライマックスは警官と警部が本署から再び舞い戻って来た時です。行商の鑑札が正規のものであり、行商人一行は日本人である事がここで初めて証明されますが、時すでに遅し。もう15人の行商人一行のうち9人までもが撲殺されてしまっていました。先の水平社創立宣言をそらんじてみせた秀才少年も、その餌食となります。警部たちが必死になって殺戮を食い止める事で、残りの6人だけがかろいじて殺戮を免れる事が出来ました。その時に、はしごを外された在郷軍人会の長谷川が、「朝鮮人をやっつけろと、最初に言ったのはアンタだろうが!」と、警部をにらみつける場面が、何やら今のネトウヨ(ネット右翼)の行く末をも暗示しているようで、「皮肉」感たっぷり。
 
最後のクライマックスが、現場に到達した新聞社の恩田記者が、大正デモクラシーかぶれの田所村長に、「朝鮮人暴動は根も葉もない噂であった事を、村長自ら証言してほしい」と頼んだ時です。「そんな事したら今度は自分が村八分にあってしまう」と、証言を拒否します。普段はリベラルっぽい事言っている人士も、一皮むけば在郷軍人くずれのネトウヨと、ほとんど大差がなかった事が、ここで余すところなくさらけ出されます。
 
以上が、私の感想も交えての映画のストーリーです。私がここで一番感じたのが、「虐殺の犠牲となった朝鮮人や部落民も、客観的に見れば、決して少数派ではなかった」という点です。勿論、映画はフィクションですよ。現実の場面はもっと凄惨であったであろう事は、十分想像が付きます。しかし、それでも、澤田夫妻に恩田記者と、真実に目覚めた人物が当時も既に3人もいたのです。その周囲には、「朝鮮人やったら殺してもええんか!」と凄んだ行商人リーダーや、水平社宣言をそらで暗唱できる行商人の少年も存在します。
 
その他の村人も、朝鮮人憎しの宣伝に踊らされてはいるものの、その内実は、不倫に明け暮れ、政府の宣伝する「忠君愛国」のかけらすらない。その中で、虐殺を扇動した在郷軍人会の分会長や警部は、時の権力の威光を嵩に着て「我が世の春」を謳歌してはいるものの、村の中ではむしろ少数派だったのではないか?だからこそ、形勢不利となった途端に、時の権力からはしごを外される目に遭うのです。
 
「この映画には希望も何もない、ただひたすら日本の闇を暴くだけだ」と言うのが、映画を観た人の大方の感想のようですが、私は逆です。澤田夫妻や恩田記者のような人がもっと増えれば、虐殺を食い止める事も出来たのではないかと思います。そこにこそ、この映画に「一筋の光」と言うか、希望を見出す事が出来るのではないでしょうか。
 
ほら、昔の中国の革命作家、魯迅(ろじん)も言っているじゃない。「最初から道がある訳ではない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」と。
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ウクライナ問題を扱った映画の紹介

2022年03月02日 17時13分25秒 | 映画・文化批評

2004年ウクライナ大統領選挙における州別得票分布。親ロシア系候補ヤヌコーヴィチの票が多い地域を青、親欧米系候補ユーシチェンコの票が多い地域をオレンジで着色。この分断状況に乗じて後者による前者の追い落としが始まる。後者陣営のシンボルカラーがオレンジなので「オレンジ革命」と呼ばれる。

2014年ユーロマイダン革命発生時の首都キエフにある独立広場の様子。こちらは親欧米派(ユーロ)による広場(マイダン)占拠がきっかけなので「ユーロマイダン革命」と呼ばれる。いずれの図や写真もウィキペディアから引用。

興味深い映画を見つけた。「ウクライナ・オン・ファイア」というドキュメンタリー映画だ。「プラトーン」などの映画を手がけたオリバー・ストーン監督が総指揮して仕上げた作品だそうだ。Netflix(ネットフリクス)の動画を誰かがYouTube(ユーチューブ)に上げたものを私も偶然観る事が出来た。

違法ダウンロードの可能性のあるリンクを貼るのもどうかと思ったが、それでも「知る権利」保障の公益性の方が優ると考えたので、敢えてここにリンクを貼る事にした。全部観るには約1時間半もの時間を要するので、出来れば時間に余裕のある時に観た方が良いだろう。

今ウクライナを巡っては、ロシアの侵略ばかりがクローズアップされるが、この映画を観た後は、それが如何に浅薄な物の見方であったか思い知らされた。ウクライナでは2004年のオレンジ革命に続き、2014年にもユーロマイダン革命という政変が起きる。いずれも独裁化した前政権に対する反政府運動が発展したものだが、それを欧米諸国が支援していた。

「欧米諸国が民主化を支援した」と言えば聞こえが良いが、実際には米国CIA(中央情報部)がウクライナ国内のネオナチを扇動して、ロシア系住民に対する虐殺を引き起こしたと、この映画は主張している。この虐殺が引き金となり、ウクライナ東部地域の独立、ロシアのクリミヤ半島併合、ウクライナ東西分裂、現在のロシアによる「独立国家承認」と、ウクライナ侵略に連なる一連の事件を引き起こしたと。そして、ウクライナだけでなく、中東諸国に広がった市民革命の波「アラブの春」など、他国の騒乱についても、CIAが関与したと。

私は、少なくとも「アラブの春」については、そういう側面も必ずしも無きにしも非ずかも知れないが、それでも基本的には独裁反対の民主化運動だと思っている。何故なら、「アラブの春」は左派軍事政権の国(シリア、リビア等)だけでなく親米独裁政権の国(エジプト、サウジアラビア等)でも例外なく起こっているからだ。

しかし、CIAが民主化支援を装いながら、他国の内政に干渉して来たのも、まぎれもない事実だ。例えば、1970年代に南米チリで起こったアジェンデ社会主義政権打倒クーデターにも、CIAが裏で関与していたのは、もはや公然の秘密だ。21世紀に入ってからも、米国政府機関NSA(国家安全保障局)が個人のネット情報を自由に盗聴していた事を、スノーデンが暴露している。

私はこの映画を観て、ウクライナという国の悲哀を改めて思い知らされた。周囲に高山や海などの天然の障壁に乏しく、生じっか大草原の穀倉地帯に国があるばかりに、周辺大国の覇権争奪の場にされ、ずっと内政干渉に晒されて来たのだから。それは次のウクライナ国歌の一節にもよく現れている。

ウクライナの栄光も自由もいまだ滅びず、
若き兄弟たちよ、我らに運命はいまだ微笑むだろう。
我らが敵は日の前の露のごとく亡びるだろう。
兄弟たちよ、我らは我らの地を治めよう。

我らは自由のために魂と身体を捧げ、
兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう。(国家の引用はここまで)

ウクライナは、1991年のソ連崩壊で、ようやく念願の独立を勝ち取る事が出来た。しかし、その後も大国の干渉は続いた。長年に渡る諸民族興亡の歴史を反映して、ウクライナ国内には様々な少数派集団が地域に分立している。その代表的なものが、東部を基盤とするロシア系住民と、西部を基盤とするポーランド系住民の対立だ。狭義のウクライナ人は、あくまで後者のみを指す。

その住民対立によって、政治も親ロシアと親欧米に二分され、同じような顔ぶれの政治家に政治をたらい回しにされて来た。歴代の大統領・首相の一覧表を見るだけでも、親ロシアのヤヌコーヴィチや、親欧米のユーシチェンコ、ティモシェンコなど、ごく少数の政治家に、政治が私物化されて来たのが分かる。

これではロシア帝国の昔とさほど変わらない。政治は常に親ロシアか親欧米かで争われ、それ以外のテーマは全て蚊帳の外に置かれて来た。ウクライナには、チェルノブイリ原発事故の後始末も含め、早急に解決しなければならない問題が他に幾らでもあるにも関わらず。

勿論、私はこの一事を以てロシアの侵略を免罪する気は更々無い。ロシア政府も、女性ジャーナリストを拉致したり、英国に亡命した元KGB(ソ連国家保安委員会)スパイのリトビネンコを毒殺したりと、冷酷無比である点については、米帝やネオナチとも人後に落ちないのだから。

ウクライナに真の民主主義が訪れ、真の自由や公正、平和を人々が手にする事が出来るようになるのは、一体いつの日になるのだろうか?

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空襲から市民の命を救った大阪の地下鉄

2021年06月20日 11時38分30秒 | 映画・文化批評

先日、本屋に立ち寄ったら一冊の本が目につきました。坂夏樹・著「命の救援電車-大阪大空襲の奇跡」(さくら舎)です。1945年3月14日未明の大阪大空襲で、深夜で動いていないはずの地下鉄がその日は動き、市民を安全な場所まで運んだ…という逸話について調べた本でした。私もそういう話がある事は知っていましたが、公式記録は一切残っていません。地下鉄自体は空襲の被害を免れたとしても、空襲であたり一面焼け野原となった大阪で、電車を動かす余裕なぞあろう訳がありません。私は今まで、これは単なる「都市伝説」だろうと思っていました。ところが、実際にその証言を集め、真偽を確かめた本が、こうして目の前にあります。思わず購入し、2日間で一気に読み終えました。

実際に、「3月14日の未明も地下鉄だけは動いていた。その為に、都心の心斎橋から梅田・天王寺方面に、電車に乗って避難できた」という証言が、数多く存在し、新聞やNHKの朝のドラマでも取り上げられて来ました。その一方で、そのような公式記録は一切存在せず、真相は闇の中でした。その中で、本書は数々の証言を繋ぎ合わせる事によって、救援電車の全体像を浮かび上がらせる事に成功しました。

大阪の地下鉄は、1933年に梅田・心斎橋間で開業したのが最初です。そして、大阪大空襲の頃までには、梅田から天王寺まで繋がっていました。当時、地下鉄が開通していたのは東京と大阪だけです。東京の地下鉄は民間の手によって開業し、既存の道路に沿って建設が進められました。その為にカーブが多く、トンネルも浅く掘られた為に、空襲では大きな被害が出ました。それに対し、大阪は、御堂筋の建設など、当時の都市計画に沿って、大阪市主導で建設が進められました。その為に、幹線道路沿いにまっすぐに伸び、トンネルも深く掘られたので、空襲下でも電車を動かす事は可能でした。

しかし、それでも疑問は残ります。①空襲があったのは前日の深夜から未明にかけてです。普段でも送電は止められている時間帯です。ましてや空襲の混乱の中で、どのようにして送電が行われたのでしょうか?②当時の地下鉄路線は、梅田・天王寺間と、途中の大国町から枝分かれして花園町まで一駅の区間しかありませんでした。いずれも都心部で、どこも空襲の被害を免れる事は出来なかったはずです。どこにそんな「安全な場所」なぞあったのでしょうか?③当時の国民は防空法という法律で、空襲下においても初期消火の義務が課されていました。空襲だからと言って、簡単に避難なぞ出来なかったはずです。

それに対し、本書では次のように答えています。①大阪市の幹部の中には、3月10日に東京、12日に名古屋が大空襲に見舞われた事から、次は14日に大阪が狙われると予想していた人もいました。その為に、当日は夜も地下鉄への送電を止めないよう極秘指令が出ていたのです(当時は電力供給も大阪市が担っており、自前の変電所も所有していました)。②大阪大空襲では、米軍は市内の東西南北4ヵ所に照準を定め、逃げ道をふさいで市内を絨毯(じゅうたん)爆撃する焦土作戦を展開しました。そうする事で、戦意喪失を狙ったのです。しかし、その中で、北区扇町付近に設定された照準点だけは、他の3ヵ所とは違い、延焼範囲は小幅に収まりました。多分、梅田のビル街で延焼が食い止められたのでしょう。その結果、梅田方面に逃げた人は助かったのです。

上記は「命の救援電車」に掲載された空襲当時の大阪市街図。◎印の4ヵ所の照準点のうち、北区扇町の照準点(図中の爆撃中心点4=赤枠で囲った部分)のみ延焼範囲が小さい事が分かる。

勿論、戦時下の事ですから、地下鉄もダイヤ通りの運行なぞ出来るはずありません。車両が故障しても直す部品がなく、整備不良のままで地下鉄を運行していたので、常に事故の危険とは隣り合わせです。動かせる車両も限られ、間引き運転が常態化していました。空襲警報が発令されれば、もうそこで運転は取りやめです。そうやって前夜に運転を打ち切り、途中駅に止まっていた車両や、送り列車(始発電車を運転する運転手と車掌を運ぶ回送列車)や始発電車などが、救援電車として走ったようです。

③避難民を地下鉄の駅に誘導したのは駅員だけではありません。警察官や憲兵の中にも、少なくない人たちが避難民を駅に誘導しています。初期消火もせず逃げ出した市民なぞ、彼らからすれば、取り締まるべき「非国民」に過ぎないはずなのに。ひょっとしたら、彼らも、焼夷弾の威力を目の当たりにして、初期消火の非を瞬時に悟ったのではないでしょうか?燃えるガソリンが空中で一杯炸裂してあたり一面に降り注ぐ。それが焼夷弾です。消防車ですら手も足も出ないのに、初期消火の「バケツリレー」なんかで、焼夷弾に対応できる訳がないでしょう。

戦時中はマスコミは完全に統制されていました。この3月14日未明の大阪大空襲すら、実際は米軍のB29が274機もの大編隊で大阪に襲い掛かり、市内を焦土と化した挙句に、ほとんど無傷で生還しているのに、大本営発表では「90機中11機撃墜、60機以上に損害を与えた」事になっています。大阪大空襲の日の朝も、空襲の被害に遭わなかった梅田駅では、普段と変わらぬ服装で乗車し、心斎橋駅から乗ってきた避難民と遭遇して、初めて大空襲があった事を知った人もいたようです。その日、救援電車が走った事も、公式記録からは抹殺されました。

当時、国民には「時局防空必携」という冊子が配られ、「焼夷弾なんて発火する前に庭につまみ出せば大丈夫」「それよりも延焼を防ぐために焼夷弾の落ちた周囲に水を撒け」という、もうトンデモとしか言いようのない指示が、政府や軍部から出されていました。その為に、東京大空襲では10万人もの都民が焼け死ぬ事になってしまったのです。大阪大空襲の死者も、公式には4千人とされていますが、実際には数万人に上るだろうと言われています。

上記は大前治・著「逃げるな、火を消せ! 戦時下『トンデモ防空法』」(合同出版)に掲載の当時の防災ポスター。「焼夷弾の火を消すよりも周囲の延焼を防げ」と、トンデモな解説をしている。焼夷弾の火がついた瞬間、周囲の全ての物が黒焦げとなるのに。

これは何も戦時中の大阪の地下鉄だけに限った話ではないでしょう。今も、多くのコロナ重症患者が、医療崩壊で病院に入院も出来ずに、自宅待機のうちに亡くなっています。マスコミで報じられる毎日の感染者数や陽性率も、PCR検査もろくに行われない中で、少なく見積もられた数に過ぎません。ワクチン接種も、諸外国と比べ、遅れに遅れまくっています。その中で、五輪だけは小学生も動員して歓迎行事が行われようとしています。この隠ぺい・ゴマカシ・弱者切り捨て体質こそ、戦時中の「大本営発表」「時局防空必携」と瓜二つではないか!

その戦時中のマスコミ統制の中においてすら、大阪大空襲の日時を正確に言い当て、防空法違反に問われるのも承知の上で、市民に避難を促した人たちがいました。「非国民」であるはずの防空法違反者を地下鉄に誘導して、市民の命を救った警察官や憲兵も少なからずいました。ところが、空襲の夜に救援電車が走った事は、もはや隠しようのない事実なのに、いまだに公式記録からは抹殺されたままです。抹殺の理由については、戦後の戦犯追及を逃れるためだと言われていますが、私はそれだけではなく、防空法違反に問われるのをおそれたからでもあると思います。今からでも遅くはないから、史実の掘り起こしと関係者の表彰を行うべきです。

マスコミも「大本営発表」ばかり垂れ流さず、もっと真実を報道すべきです。市民もいたずらに「大本営発表」だけに頼るのではなく、自分でも真相を知ろうと努力し、行動すべきです。自身と仲間の命を守り、日本の民主主義を守る為にも。

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震災当時の総理が菅義偉だったら今頃日本はどうなっていたか?

2021年03月13日 12時19分30秒 | 映画・文化批評
映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)予告編
 
昨夜放送のテレビドラマ「Fukushima 50(フクシマフィフティ)」を観ました。東日本大震災で全電源が喪失し、空焚きになりメルトダウンしたイチエフ(東京電力福島第一原子力発電所)で、復旧作業に当たった吉田所長以下、50名の作業員の奮闘を描いたドラマです。所長役の渡辺謙、1・2号機当直長役の佐藤浩市、菅直人総理役の佐野史郎を始め、吉岡里帆や富田靖子の名演技が光っていました。
 
しかし、それでも敢えて言います。「このドラマも、原作の映画も、所詮はタチの悪いプロパガンダに過ぎない」と。そもそも、東日本大震災でイチエフが全電源喪失してしまったのは何故なのか?2011年の震災前にも、国会で共産党の吉田英勝議員が、2006年、2010年と二度に渡って、福島原発の脆弱性について質問していました。「実際に過去にも震災で想定以上の津波が来ているのに、全電源喪失してしまったら一体どうするのか?」と。しかし、それに対する当時の安倍総理や政府当局者の答弁は、「マニュアルで何重にも防護策を取っている。いざとなれば外部から電源を調達する事も出来る」と。
 
ところが実際はどうだったか?今週配達された赤旗日曜版の18面に、その事が詳しく書かれています。そこに掲載された科学ジャーナリスト添田孝史さんの寄稿記事によれば、既に2002年の段階で、イチエフは巨大地震の津波で被災する恐れがあると、政府自身が掴んでいました。その調査を元に、政府が東電に対策を取る様、指示しましたが、東電はそれに抵抗し、対策は先送りされてしまいました。その後も、東北電力が調査報告書で同種の危険を指摘した時も、東電は東北電力に圧力をかけて、調査報告書の内容を書き換えさせていました。
 
東電も東電なら、政府も政府です。福島原発事故の後、政府は年間被曝量の限度を1mSv(ミリシーベルト)から一気に20mSvにまで引き上げました。そして、住宅地周辺の除染だけでお茶を濁し、周辺の山林は除染の対象外にしてしまいました。それでは一時的に放射線量が下がっても、雨が降る度に山林から放射能を含んだ雨水が流れ込み、再び土壌が汚染されてしまいます。そうやって、健康被害が有ろうが無かろうがお構いなしに、避難解除を押し進め、東電と一緒になって、賠償や家賃補助の打ち切りを進めて来ました。そして今や汚染水を水で薄めて海に垂れ流そうとしています。
 
同じ赤旗の1面には、イチエフで働いていた原発下請け作業員の手記が載っています。そこには、事故直後は「原発内部の構造に詳しい人が必要だから」と、要請にこたえて再びイチエフで働き始めたものの、許容放射線量オーバーで働けなくなった途端に、御用済みとばかりに放り出された元作業員の苦悩がつづられていました。そして、帰還困難区域の解除と同時に賠償も打ち切られ、今や医療費免除の対象からも外されようとしています。この人が働けなくなったのも、元はと言えば政府が原発を推進し、東電が事故を起こしたからなのに。「原発事故は福島を最後に」という元作業員の言葉に、ビキニ水爆実験で被災して亡くなった第五福竜丸乗組員の次の遺言が重なります。「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい」。国は何度同じ思いを被災者に味わせたら気が済むのか!
 
 
ところが「Fukushima 50」では、それらの事実は巧妙に隠されています。確かに、原発事故で暮らしや故郷を破壊された避難民の苦しみや、「故郷は一体どうなってしまうのか?」と叫ぶ地元紙記者の声も、ドラマの場面には出て来ますよ。でも、幾らそんな場面が出て来ても、それらは作業員が被曝覚悟で奮闘する動機としてしか描かれていない。
 
そうすると、どうなるか?「そうならない為に、我々は必死に頑張って来たのだ。その作業員の方々の思いを無にしてはならない。全国民が復興に一丸となって取り組まなければならない。原発も事故を教訓に安全対策を高めて再稼働させなければならない。今年開催される予定の東京オリンピック・パラリンピックも、復興五輪として盛大に盛り上げなければならない。それに対して、過去の事をあれこれ言って水を差すのは、非国民のする事だ」…そういう流れにしかならないじゃないですか。
 
本当に事故の教訓を生かそうとするなら、原発ゼロ、賠償継続、環境蘇生、生活支援しかあり得ないのに、その根本対策に背を向けて、原発再稼働、賠償打ち切り、汚染垂れ流し、生活支援打ち切りを進める東電と政府を、作業員の美談で誤魔化し覆い隠すのに、この映画もドラマも、巧妙に利用されてしまっています。
 
これを観て、私は「永遠の0(ゼロ)」を思い出しました。百田尚樹の小説「永遠の0」も、確かそんなあらすじでした。如何に当時の政府や軍上層部の腐敗、戦争指揮のデタラメさが小説の中で描かれ、主人公の特攻隊員が部下や家族に対して「何があっても死ぬな!生き抜け!」と諭しても、結局その特攻隊員は、部下の身代わりとなって華々しく玉砕してしまいます。本当に当時の軍国主義の風潮に抗い、「何があっても死ぬな!生き抜け!」と思うなら、自分も必死になって抵抗するはずです。まかり間違えても、自分が身代わりになって玉砕しようなんて絶対に思わないはずです。
 
「永遠の0」の小説と映画に対して、「これは反戦映画のフリをした戦争美化映画だ」と指摘した識者がいました。私も、あの小説を読んで、同じ様な感想を持ちました。そういう意味では、昨日観た「Fukushima 50」も、この「永遠の0」と全く同じです。まさに「反原発ドラマのフリをした原発再稼働宣伝ドラマだ」と思いました。
 
その一方で、作業員の奮闘と対比する形で、当時の菅直人総理を、「ただ喚き散らすだけの無能総理」として熱演していた佐野史郎の演技が、ドラマの中で異彩を放っていました。当時の菅直人総理は、東電ひいては原子力ムラの秘密主義の壁に阻まれ、必要な情報が上がって来ない事に苛立ちを感じていました。それで「ならば自分が現地に行って、この目で確かめて来るしかない」と、福島にヘリで飛んだのです。
 
それに対する評価は色々あると思います。その思い付きの視察が現地の復旧活動の足を引っ張ったのも事実でしょう。でも、たとえそんな総理であっても、国民を守ろうと必死になっていた事だけは伝わりました。翻って、震災当時の政権が民主党ではなく今の自民党だったら、一体どうなっていたでしょうか?もし当時の総理が菅直人ではなく、安倍晋三や菅義偉だったら、一体どうなっていたでしょうか?アベノマスク・「桜を見る会」の安倍や、その劣化コピーに過ぎない菅が、震災当時の総理だったら、今頃どうなっていたでしょうか?
 
多分、福島に視察に出かけるような事はなかったでしょう。東電の幹部を怒鳴り散らす事もなかったでしょう。その代わりに、東電と一緒になって、マスコミに圧力をかけて翼賛報道一色に染め上げ、放射能測定もろくにせず、自分達の保身に汲々とするばかりでしょう。政府の圧力を苦に自殺者が出ても闇から闇に葬られ、仕事と住まいを失ったホームレスが増えても「自己責任」と打ち捨てられるだけです。そして、今の東日本は確実に滅亡していたでしょう。
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世紀の駄作 全ウソと全ゴマカシの菅政権

2020年12月05日 22時05分12秒 | 映画・文化批評
 
少年漫画の「鬼滅の刃」が大人気で、アニメやテレビ、映画でも盛んに取り上げられ、キャラクターグッズが一杯売られていますが、私はこの漫画の一体どこが良いのかサッパリ分かりません。
 
テレビでも毎週金曜日夜7時から放送されるようになったので途中から見始めましたが、一話完結の番組構成になっていないので、サッパリ話の内容が分かりません。
 
大正時代の山中で慎ましく暮らしていた炭焼き少年の竈門炭治郎(かまど・たんじろう)が、街に炭を売りに行っている間に、家族が鬼に襲われ、妹の禰󠄀豆子(ねずこ)以外は全て殺されてしまい、禰󠄀豆子も鬼にされてしまった。そこで炭治郎は、鬼退治を生業としている鬼滅隊という組織に入り、禰󠄀豆子を人間に戻す為に鬼退治の修行の旅に出る…これが、その「鬼滅の刃」の大まかなあらすじです。
 
ところが、私が観た場面では、鬼が鼓を打つたびに屋敷の中が反転し、床と天井が入れ替わり、その中で炭治郎は、鼓打ちの鬼だけでなく、猪の面を被った狼藉者(ろうぜきもの)とも戦わなければならない。
 
この狼藉者の嘴平伊之助(はしびら・いのすけ)も実は鬼滅隊の隊員なのですが、何の説明もないので、私は番組が終わるまで、伊之助もてっきり鬼の一味だと思っていました。
 
しかも、この伊之助と来たら、ちょっとした事でも一々ブチ切れて、誰彼なしに喧嘩を吹っかけるトラブルメーカーなのです。こんな、鬼退治のヒーローとは似ても似つかない、むしろ鬼でいてくれた方が話がスッキリする、そんな奴が何故、鬼滅隊の一員なのか?
 
「鬼退治のヒーローとは似ても似つかない」という意味では、もう一人の鬼滅隊隊員の我妻善逸(あがつま・ぜんいつ)も同様です。金髪頭はまあ良いとしても、女たらしで女性の尻ばかりを追いかけて、鬼と戦う中でいきなり居眠りを始めるという、到底理解し難い行動を取ります。この居眠りの最中にトランス状態の中で術を使い鬼と戦う訳ですが、余りにも常識外れした設定に、私の頭が付いて行きません。
 
色々ネットで「予習」して初めてあらすじがおぼろげながら理解出来るようになりましたが、ネットで「予習」までしなければ理解出来ないようなアニメなぞ、金払ってまで観る気にはなりません。観ているだけで疲れます。
 
しかも、鬼退治の最中にも、伊之助は炭治郎や善逸としょっちゅう喧嘩するし、善逸もすぐに泣き喚いたり女の子を追っかけ回したりしています。これでは、炭治郎は鬼と戦っているのか、伊之助や善逸と戦っているのか分かりません。
 
鬼滅隊内部の争いを伏線として取り上げても一向に構いませんが、それはあくまで伏線、つまり脇役のエピソードとして取り上げるべきなのに、それを超えて、まるで炭治郎と伊之助の対決で話が進んでいるようなストーリーにされても、観る方は混乱するだけです。
 
そういえば昔、バイトの同僚にもそんな男がいました。磯野(仮名)という奴ですが、昼休みに雑談してても、磯野が、いきなり次々と話題を変えるものだから、周囲の人はもう話に付いて行くのがしんどくなり、最後には誰も磯野に寄り付かなくなりましたw。仕事の話をしていたかと思うと、いきなり芸能人の話をやり始め、芸能人の話をしていたかと思うと、今度はいきなり近鉄電車の話に変わる…という感じでw。
 
「鬼滅の刃」もそんな感じです。だから、感動する、しない以前に、観るだけで疲れてしまいます。
 
それでも、「鬼滅の刃」が人気なのは、「鬼にも鬼になるだけの理由がある」、つまり「盗っ人にも三分の理」という訳です。例えば、鬼の一味である蜘蛛人間の家族が炭治郎たちを襲う場面でも、妹の蜘蛛人間は父、母や兄貴の蜘蛛人間から虐められ、渋々従わざるを得なかった。それを兄蜘蛛が「これが蜘蛛家族の絆だ」と見せびらかしたのに対し、炭治郎は「虐めと恐怖で相手を従わせるような絆なぞ偽物だ」と切り返す場面があります。
 
そこで妹蜘蛛が虐待されていた事に初めて気が付き、蜘蛛家族をやっつける場面でも炭治郎が妹蜘蛛に「次生まれてきた時には幸せになれよ」みたいな事を言うので、皆それに感動してウルっと来るのです。(詳しいあらすじは忘れたが、確かそんな話だったと思います)
 
でも、私に言わせれば、それこそ偽善です。何故なら、「盗っ人にも三分の理」に感動している観客が、実生活でも非行少年や犯罪者に同情しているかと言えば違うでしょう。中にはそんな人もいるかも知れませんが、むしろ逆に、「犯罪者には厳罰をもって臨むべき、死刑廃止なぞ論外だ」という人の方が圧倒的に多いはずです。
 
ところが「鬼滅の刃」では、そんな薄っぺらな「盗っ人にも三分の理」に簡単に同情し、それで人格者になった気分でいる。しかし実生活では、その「人格者」が少年犯罪の厳罰化を主張し、その一部はホームレス襲撃や在日朝鮮人に対するヘイトスピーチ(差別扇動)までやらかす。そんな弱い者虐めが大手を振ってまかり通る世の中だから、児童虐待も一向になくならない。
 
そんな「偽物の同情」なら、むしろ無い方がよっぽどマシです。だから、エロ雑誌の「実話BUNKAタブー」にまで「世紀の駄作」と書かれてしまうのです。
 
それに時代考証も無茶苦茶です。普通この手の他愛のない妖怪漫画は、江戸時代あたりの話にするのが一番無難です。そうすれば登場人物も単純に着物姿に統一出来る。ところが、なまじっか大正時代の話にしてしまったばっかりに、着物姿だけでなく、制服や洋服の人物も登場させなければならなくなってしまいました。話の筋が明快ならそれでも一向に構わないのですが、前述した様にストーリーが支離滅裂な中では、この時代設定の中途半端さが、混乱に更に拍車をかける事になってしまう。
 
おそらく作者は、大正時代の事もろくに調べずに、単なる大正ロマン(当時の和洋折衷、レトロモダンなファッション)へのノスタルジーだけで、この時代の話にしてしまったのでしょう。本気で大正時代の事を取り上げる気なら、大正デモクラシーや米騒動、ロシア革命や関東大震災なども背景に織り交ぜるはずです。それら全てを取り上げるのは無理としても、そのいくつかは織り交ぜて然るべきです。大正時代は、ある意味、近現代史の始まりとも言うべき歴史の転換期だったのですから。
 
でもまあ、所詮は漫画アニメ。どんなに酷い出来栄えでも、そんなに目クジラ立てて批判する事もないでしょう。
 
しかし、このコロナ禍の中においても、国会を開いたかと思うと直ぐに閉会し、ろくに記者会見も行わない、開いても御用記者相手に原稿の棒読みしか出来ない、「GoToどうするのか?」「休業補償どうするのか?」肝心な事には何も答えない、「問題ない」「指摘には当たらない」と繰り返すばかりで逃げ回っている、その裏では自分への批判を全てデマ呼ばわりして、周りをイエスマンばかりで固めようとする卑怯者の菅義偉(すが・よしひで)が、テレビカメラの前では「鬼滅の刃」人気に便乗して「全集中の呼吸で答弁する」と言ったのには呆れました。
 
漫画は「世紀の駄作」でも別に構いませんが、総理も「世紀の駄作」では、取り返しのつかない事になります。「駄作」総理には今すぐ退陣してもらいましょう。
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事故物件から知る格差社会の現実

2020年09月09日 18時49分21秒 | 映画・文化批評
 
先週の公休日に、話題のホラー映画「事故物件 恐い間取り」を観てきました。この映画は、事故物件住みます芸人の松原タニシの体験談を基に作られました。
 
映画は、お笑い芸が全然ヒットせず、コンビ解消に至った芸人の山野ヤマメが、プロデューサーから「事故物件住みます芸人やったらどうか?」と誘われ、渋々承諾する所から始まります。それを聞いて、一旦はコンビ解消で放送作家への道を歩み始めた相方の中井大佐も、再び山野と一緒に、事故物件に住み始めます。(以下、ネタバレあり)
 
最初の事故物件は、廊下で女性が暴漢に殺された事故物件です。霊感の強いアシスタントの梓には、女性が暴漢に襲われるシーンが見えてしまいます。やがて、女性の霊は、山野や中井にも見えるようになっていきます。
 
この事故物件実況中継がヒットして、山野も中井も次第にテレビで売れっ子になっていきます。2人は、不動産屋の事故物件担当の横水から、次々と新たな事故物件を紹介され、そこに住む様になります。
 
2軒目の事故物件は、母親が息子に殺された部屋です。洗面所の排水口には母親の髪の毛が詰まっていて、部屋の畳を剥いだら下から血痕の残った板張りが現れます。
 
3軒目の事故物件は、ドアノブで女性が首吊り自殺した部屋ですが、その前に男性もロフトの梯子で首を吊って自殺していました。つまりダブルの事故物件です。
 
ここまで来ると、中井も梓も流石に怖くなり、事故物件から足を洗う様、山野を説得します。しかし、欲に目が眩んだ山野は、2人の忠告を無視して、更に事故物件に住み続けようとします。
 
4軒目の事故物件は更に強烈で、黒マントの男の霊が、4人の老若男女の霊を操り、山野に襲い掛かろうとします。山野は霊媒師から買ったお札で対抗しようとしますが、安物のお札なので霊に破り捨てられてしまいます。
 
急を聞いて駆け付けた梓も、逆に霊に操られ、山野を包丁で殺そうとします。その寸での所を、これまた急を聞いて駆け付けた中井に救われます。中井は、事故物件担当の横水から教えて貰った最強のお祓い術を駆使して、ようやく黒マントの霊をやっつける事に成功します。この辺りのストーリーが、嫌に出来すぎていて、私は逆にある種の安直さを感じてしまいました。
 
ところが、それで終わりではありませんでした。山野と梓が婚約して新しい新居に住もうとした矢先に、新居を紹介した横水が、やっつけられた筈の黒マントの霊に乗り移られ、不動産屋の前の道路で車に跳ねられて死んでしまいます。映画はここで終わります。一応、事故物件から生還する事は出来たが、霊の呪縛から完全に逃れる事は出来なかった…という結末です。ハッピーエンドの様でハッピーエンドでない、中途半端なストーリーに、後味の悪さが残りました。
 
但し、映画そのものは、怖いだけでなく、笑いもあり、非常に楽しめる映画でした。特に、山野が幼い頃、病室にいる末期ガンのお婆ちゃんの前で、お笑い芸を毎日披露したら、お婆ちゃんの寿命が3年も延びた。それで芸人の道に進む様になったと、山野が追想するシーンでは、「お笑い芸とは本来どうあるべきか」という事を教えられた気分になったりもしました。
 
 
私の今住んでいる部屋も、実は事故物件です。前に住んでいた方が病気で亡くなっています。その上、エレベーター無しの5階部屋なので、家賃は月2万6千円ほどしか掛かりません。駅から徒歩5分以内で、コンビニも薬局も周りにある程の便利さにも関わらず。
 
そして、向かいのビルも事故物件です。1階は居酒屋が入居していますが、階段入口のシャッターは常に閉められ、2階以上には上がれない様になっています。しかも、3階、4階の部屋の窓には、外から板が打ち付けられて封印されてしまっている程の物々しさです。この物件は、「大島てる」の事故物件公示サイトにも掲載されています。
 
これだけ書くと、「事故物件は何て恐ろしいんだろう」と、思う人も少なくないのではないでしょうか。しかし、物は考えようです。自分の生まれ育った家を振り返ってみましょう。どの家も、ご先祖様がそこで亡くなっています。そうでない家の方が少ないのではないでしょうか?
 
更に言うなら、今の東京や大阪の街も、戦時中は空襲で大勢の方が亡くなっています。そう考えると、街全体が事故物件であると言えなくもありません。しかし、そんな事を言い出せば、もうどこにも住めなくなってしまいます。
 
自分の家には恐怖を感じないのは、自宅で亡くなったのは身近な親族や親戚だからです。それに対し、事故物件で亡くなったのは、得体の知れない赤の他人だからです。赤の他人という事で忌み嫌うのではなく、親族同様に弔う様にすれば、事故物件にも恐怖を感じなくて済むようになるのではないでしょうか。
 
そんな事よりも、「事故物件の多さが、そのまま格差社会の現実である」という事実の方が、よほど重要です。その例が大阪市西成区の「あいりん地区」です。わずか数百メートル四方の狭い地域なのに、ざっと数えただけでも43件もあります。それに対し、高級住宅街の諏訪ノ森・浜寺や芦屋になると、わずか数件、多くても20件ぐらいしかありません。
 
くだんのホラー映画は確かに面白かったです。しかし、私も事故物件に住み、向かいも「大島てる」公認の事故物件ですが、普通に生活しています。そんな「仮想ホラー」よりも、僅か数百メートル四方のあいりん地区に事故物件が集中し、結核感染率や高齢化率も断トツという、「現実のホラー」の方がよほど恐いです。
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解放区という映画を観て来た

2019年11月06日 20時22分37秒 | 映画・文化批評
  
 
大阪の西成・釜ヶ崎(あいりん地区の旧称)を舞台にした映画「解放区」を観て来ました。
私の住むあいりん地区のホテル街では、「新今宮フェスティバル」と銘打って、音楽会や模擬店など様々なイベントが10月に行われました。そのイベントの最中に、この映画が11月から公開される事を知り、西成が舞台である事や、「解放区」という往年の学生運動を彷彿させるネーミングに興味を惹かれ、昨日観て来ました。

映画は学生運動とは何の関係もありませんでした。東京の映像制作会社に勤めるAD(アシスタントディレクター)のスヤマと、そのスヤマがインタビューした引きこもり青年のモトヤマ。この2人がこの映画の主人公です。(映画の公式HPではスヤマだけが主人公のようですが、私はモトヤマも含めるべきだと感じました)

引きこもりのモトヤマを取材する際の先輩ディレクターの強引なやり方に反発したスヤマが、先輩と喧嘩になった事で、会社の中に居づらくなり、かつて不良少年の取材に訪れた釜ヶ崎のドヤ街を再び訪れる所から、この物語は始まります。

確かに先輩ディレクターのモトヤマに対する取材姿勢は強引でした。せっかくスヤマがモトヤマと打ち解け始めた矢先に、いきなりモトヤマの部屋に闖入(ちんにゅう)し、自分達が勝手に思い描いたストーリー通りに、モトヤマを型にはめようとしたのですから。

しかし、その非をなじるスヤマ自身も、先輩ディレクターに負けず劣らず横暴で自分勝手な人間である事が、次第に明らかになっていきます。「俺と一緒に仕事しないか?」とモトヤマを大阪に呼び寄せながら、給料も払わず、逆に飲食費やドヤ代までモトヤマにたかるのですから。

スヤマは、西成で、かつて取材した不良少年の居所を突き止め、それを元に番組を完成させ、テレビ局に売り込む事で、ディレクターとして自立しようと考えました。それで、わざわざモトヤマを大阪に呼び寄せ、自分の助手として使おうとしたのです。

2人は、それぞれ別のドヤに住みながら、何とか不良少年の居場所を突き止めようと、新世界や釜ヶ崎、飛田新地一帯で人探しのビラを撒き始めます。しかし、一向に手がかりは掴めません。イライラを募らせたスヤマは、次第にモトヤマに当たり散らすようになります。

そのくせ、スヤマは行きずりの謎の女と意気投合し、ドヤでセックスした挙句に、女に財布を盗まれ、一文無しになってしまいます。そして、モトヤマから金を借りようとし、モトヤマから逆に給与支払いの催促を受ける羽目になります。

スヤマは、三角公園での炊き出しや、野宿者専用のシェルターを利用しなければいけない所まで、身を持ち崩してしまいます。そして、手配師の勧めで、建物解体の日雇い労働で働いている最中に、釘を踏んで足を怪我してしまいます。土木工事の親方からも「何が西成のリアリティーや?まず自分のリアリティーから見つめ直せ」となじられる有様です。

家族に黙って大阪までやって来たモトヤマも、弟に足取りを掴まれてしまいます。そして、大阪まで来た弟に、暴力的に連れ戻されそうになります。大阪には弟だけでなく前述の先輩ディレクターもついて来て、モトヤマをテレビ番組のネタにしようとします。弟の兄に対する暴力的な態度からは、兄への愛情が一切感じられませんでした。実際は兄の事を疎んじながら、兄弟としての義務感から、仕方なく大阪まで来たという感じでした。

その中で、「黙ってないで何とか言え」とけしかけるディレクター達に、モトヤマが発した次の怒りの言葉が、観客の心に突き刺さります。「若者のリアリティーを掴むとか何とか言って、弱者に寄り添うふりをしても、お前たちはただ上から俺たちを見下しているだけじゃないか!」と。私はここで、モトヤマもこの映画の主人公であると確信しました。

スヤマは、ついに覚せい剤にまで手を出してしまいます。それでも、ヤクザに連れられ、売人のマンションで覚せい剤を注射される場面を、ビデオに自撮りしようとしたのは、やはりディレクターになる夢をまだ諦めていなかったのでしょう。ヤクザがスヤマに「今まで色々ツラい事があったんだろう」と優しく声をかける場面も不気味でした。「こうして人は覚せい剤のとりこになって行くのだろう」と戦慄を覚えました。
 
最初はスヤマの自撮りを承諾したかの様に思えたヤクザですが、そんな自分の身を危険に晒すような事をヤクザが承諾する筈もありません。注射を終えマンションを出たスヤマに、手引きの男が外でネガを返せと凄みます。それをスヤマが振り切って逃げる所で、この映画は終わります。
 
この映画のテーマを一言で言えば、さしずめ「正義ヅラした偽善」という所でしょうか。それはそれで辛辣(しんらつ)な問題提起です。この世の中には似たような事が他にも一杯あります。しかし、そこだけに留まっていたのでは、単なる冷笑にしかなりません。ただのドキュメンタリーならそれでも良いでしょう。ドキュメンタリーの役割は、あくまでも真実の追及にあるのだから。でも、これは一応ストーリー(物語)です。ストーリーやドラマである以上は、単なる冷笑・皮肉だけでは、「身も蓋もない」で終わってしまいます。

それは映画「万引き家族」と対比すればよく分かります。あの映画も、一見貧しい一家が寄り添い助け合っているかの様に見えて、実はとんでもない家族であった事が、後に判明します。それは、親父は万引き稼業で生計を立て、幼い息子に真似させていただけではありません。その息子も実の息子ではなく、母親がさらって来た他人の子どもでした。おまけに祖母は亡くなった祖父の年金を死後も掠め取り、娘は家族に黙ってイメクラで小遣い稼ぎに精を出す。

しかし、たとえそんな家族でも、近所のDV被害者の女の子をかくまう中で、家族としての絆を深めて行きます。一時は息子を捨てて一家総出で夜逃げを企んだりしましたが、最後には万引き親父が、実の家族の元に帰る息子を追って別れを惜しむ場面で終わります。いかに「正義ヅラした偽善」であっても、そこに幾ばくかの正義がある限り、正義としての価値が損なわれる事はない...。そのメッセージが「万引き家族」の観客を勇気付け、パルムドール(カンヌ国際映画祭最高賞)受賞に結びついたのです。残念ながら「解放区」にはそれが余り感じられませんでした。
 
 

西成にもそんな「正義」はあるはずです。西成には確かにヤクザや覚せい剤の売人も多いですが、それに抗する人達も決して少なくはありません。年がら年中、炊き出しが行われ、年末には「1人の凍死者・餓死者も出すな」と見回り活動が繰り広げられる。そういう意味では、決してただの「お先真っ暗闇」のスラムやゲットーではない。

今秋、あいちトリエンナーレで行われた「表現の不自由展」に対して、一旦は認められた助成金交付が、「展示が反体制的だから」という理由で覆された事がありました。政治的メッセージが強く、公民館では展示を渋るような作品にも、芸術的価値があるからこそ、展示しようという企画だったにも関わらず。

実は「解放区」もそんな映画でした。当初支給されるはずだった映画助成金が、大阪市の反対で支給されなくなりました。「引きこもりや覚せい剤取引の場面が、引きこもり患者や西成への偏見を助長する」というのが、助成金支給見送りの表向きの理由でした。ところが実際は、それは単なる口実に過ぎませんでした。「臭い物に蓋」「寝た子を起こすな」...これが当局の本音でした。その辺は、「風評被害が福島差別を助長する」という口実で、放射能汚染の実害が隠蔽されようとしている構図とよく似ています。

しかし、この映画から、引きこもりや覚せい剤取引の場面をカットしてしまったら、映画そのものが成り立たなくなります。そこで、助成金には頼らず、自費とカンパだけで映画製作が続けられました。

主人公のスヤマ自身も監督が演じています。薬の密売人も元密売人が演じています。このような手弁当での悪戦苦闘の中から、ようやく映画公開にこぎ着ける事が出来たのです。折角、セミドキュメンタリー映画としては、これまでにないリアルな作品に仕上がったのだから、偽善の告発だけでなく、それを乗り越えようとする展望も指し示す事が出来たら、この映画はもっと素晴らしい物になると思います。

後で思い返せば、この映画にも、実はそういうメッセージが含まれていたのかも知れません。炊き出しや越冬まつりの場面が、映画に頻繁に出てくるのも、その一つの現れではないかと思います。少なくとも、単なる観光客向けのイベントに過ぎない「新今宮フェスティバル」よりは、よっぽど深みのある映画に仕上がったのは確かです。しかし、私にとっては、それはいつしか後景に退けられ、「偽善告発」のイメージだけが印象に残る「身も蓋もない話」で終わってしまいました。まさに「画龍点睛を欠く」という想いです。
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観たい人の観る自由を奪うな

2019年08月14日 23時42分56秒 | 映画・文化批評
名古屋市長、関係者に謝罪要求 少女像展示で 京アニの放火事件には涙し、放火犯を許さないと言いながら、それを模倣した今回の脅迫犯は非難せず、逆に被害者の芸術祭主催者を非難。そんなダブスタ、偽善の薄っぺらい涙なら最初から流すな!(8月3日)

大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも 大村知事の言う通り。大村も河村たかしも同じ減税日本の穴の貉だと思っていたが、大村はまだ基本的人権の何たるかを理解している。それだけでも河村より遥かにマシ(8月5日)

大阪府知事、愛知の知事は「辞職相当」 表現の不自由展:朝日新聞 反日と叫べば何でもアリか?そんな理屈が通るなら、日本にポンコツ戦闘機を押し付ける米国も反日として、大使館にガソリン携行缶持ってお邪魔しても良いのか?吉村のイケメンは外見だけで中身は極右そのもの(8月7日)

8月8日
大村氏、大阪・吉村知事の発言に「はっきり言って哀れ」:朝日新聞   「憲法21条についてまったく理解していない。公権力を持っている人がこの内容はよくて、この内容はだめだとずっと言っている。日本維新の会は表現の自由はどうでもいいと思っているのではないか」

 

愛知トリエンナーレの慰安婦像に難癖付けてる奴等は、この広島原爆死没者慰霊碑の「安らかに眠って下さい。過ちは二度と繰り返しませぬから」の碑文にも「反日だ。平和記念式典に公費支出するな」と難癖付けるのだろうか?(8月8日)

河村たかし、吉村洋文らは、あいちトリエンナーレの慰安婦像や天皇を揶揄した作品は不敬反日で表現の自由の埒外だと宣う。しかし、その程度の「不敬」でも許されないなら、反戦平和・主権在民を唱えて天皇制政府に虐殺された小林多喜二はどうなる?不敬どころか鬼畜にも劣る所業ではないか!(8月12日)

あいちトリエンナーレの展示会では慰安婦像だけでなく天皇と女性ヌードのコラージュ写真も槍玉に挙げられたが、何故この程度の皮肉も許されないのか?これを不敬だ反日だと言うなら、戦前に特高警察が天皇の名で行った弾圧や虐殺は一体どうなる?その責任も取らずに不敬を云々する事自体許されない(8月14日、以下同じ)

戦前に特高警察の拷問で虐殺された小林多喜二が一体何をした?北洋漁場の蟹工船内で行われていた搾取の実態を小説で告発しただけじゃないか。それを特高は天皇制国家への反逆として虐殺した。それこそよっぽど自由や民主主義に対する反逆じゃないか。不敬だ何だ言う前にその責任をまず先に取れ!

 

「ゆきゆきて神軍」もそうだ。ニューギニア戦線で空腹を凌ぐ為に部下の人肉を食らった上官の責任を追及した映画だ。主人公は天皇にパチンコ玉を投げた罪で服役した。天皇にも戦争責任ありとして。本当に悪いのは主人公ではなく上官や天皇なのに、不敬だと封殺するファシズムを許してはならない

幾ら醜い真実でも、真実である以上は目を背けてはならない。それを醜いからと言って封殺してしまったら、原爆資料館の展示も出来ない事になってしまう。そんなに観たくなければ観なければ良い。観たい人の観る自由を奪うな。自分の意見が通らないからと言って暴力で封殺するのは只の我儘でしかない


(参考資料)

日本:あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の中止に深刻な懸念(アムネスティ日本)

2019年8月 8日[日本支部声明]国・地域:日本トピック:国際人権法

国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』の企画として8月1日より開催されていた「表現の不自由展・その後」が、数々の政治的な圧力や匿名の脅迫行為などの攻撃によって中止に追い込まれた。アムネスティ・インターナショナル日本は、公人による発言や匿名の脅迫者による圧力によって市民の表現の自由が侵害されたことに深刻な懸念を表明する。

この企画展における展示に「慰安婦」問題や天皇制などを題材とした作品が含まれていることが明らかになると、それらの展示を問題視する発言がインターネット上に現れた。8月2日には、菅官房長官と柴山文科大臣が同展を問題視して、芸術祭に対する補助金支出の見直しに言及した。河村たかし名古屋市長は同展を視察した上で、展示中止を求める「抗議文」を愛知県知事に提出した。自民党の国会議員らも展示は政治的プロパガンダであるとの意見を表明した。あいちトリエンナーレ実行委員会事務局には、メールや電話で多数の抗議が寄せられ、中にはテロ予告や脅迫もあったとされる。こうした状況下で、実行委員長の大村秀章知事と津田大介芸術監督は、8月3日に同展の中止を発表した。

自由権規約(国際連合 市民的及び政治的権利に関する国際規約:日本は1979年に批准)第19条は、締約国に対して、表現の自由の権利を保障すべき法的義務を課しており、特に公人は、表現の自由を保障し尊重する法的義務を負っている。しかし、官房長官、大臣、国会議員、市長らの今回の言動は、この法的義務に違反して同展中止に政治的圧力をかけるものであり、同展企画者および出展者の表現の自由を侵害するものである。

国連自由権規約委員会の一般的意見34(2011年)は、「締約国は、表現の自由についての権利を行使する人々を封じることを目的とした攻撃に対し有効な措置を講じなければならない」と述べており、日本政府には、同展への攻撃に対して、関係者の安全を保障し、脅迫行為については捜査を行うなど、表現の自由を守るための具体的かつ有効な措置を取る責任がある。日本政府は、「表現の不自由展・その後」に向けられた脅迫や攻撃に対して、同展関係者および『あいちトリエンナーレ』全体の安全を保障し、表現の自由を守るために具体的な措置を講じるべきである。

「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれて以来、実行委員会メンバーや、同展参加者を含む『あいちトリエンナーレ』参加アーティストらから、同展の再開や安全の確保を求める声が上がっている。アムネスティ日本は、「表現の不自由展・その後」における表現の自由の侵害を助長した複数の公人の言動に強く抗議するとともに、日本政府に対して、同展が再開できる環境を早期に整えるために必要な具体的措置をただちに取り、表現の自由を守るための有効な措置を取る責任を果たすよう強く求める。

以上


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