折角この土日と連休なのに、あいにく日曜日は雨予報なので、まだ晴れている土曜日に、どこか近場の行楽地に出かけようと思い立ち。そう言えば、5年前に和歌山県御坊市内を走る紀州鉄道に乗りに行った時に、レールバスに乗る事が出来ず、地元B級グルメの「せち焼き」も食べそびれ、御坊寺内町会館も休館で観れなかった事を思い出し。今度こそはと日帰りで出かけました。
紀州鉄道は御坊市内から離れた場所にあるJRの駅と市内を結ぶ私鉄です。JR御坊駅から終点の西御坊までの約2.7キロを単行のディーゼルカーが1時間に1~2本ぐらいの割で走っています。昔はレールバスも走っていました。長らく日本一短い私鉄として有名でした。現在も日本で2番目に短い私鉄です。赤字経営で廃止の噂もありましたが、大手ホテルチェーンの傘下に入る事で経営立て直しに成功。かつては西御坊から先の日高川まで走っていて、当時の線路や踏切警報機が今も一部に残っています。
地元の御坊市では、安珍・清姫や宮子姫の逸話と共に、このローカルミニ私鉄の紀州鉄道も観光資源として、寺内町観光の目玉として売り出しています。私も5年前にこの鉄道に乗りに来ましたが、その時にかなわなかった前述の夢をかなえるべく、再び日帰りで訪れる事にしました。
「せち焼き」は食べる事が出来ました。お好み焼きの一種ですがメリケン粉は使わず卵と焼きそばだけで、そこにイカや豚肉、キャベツなどの具を絡めて焼きます。御坊市内とその近辺だけでしか食べる事が出来ません。地元では「やました」が元祖「せち焼き」の店として有名ですが、どの駅からも離れているので、私は駅の近くにある別の店で食べました。
その店はJR御坊駅から歩いて10分ぐらいの所にありました。バーのマスターが昼間は店の一角でお好み焼きのテイクアウトもやっている、そんなお店です。バーの中でお好み焼きを食べる事が出来ます。私はそこで食べましたが、ちょうど大阪のお好み焼きと広島焼きの中間のような感じでした。広島焼きよりはボリュームがあり、それでも大阪のお好み焼きほど胃にはもたれない。バーカウンターで食べるお好み焼きの味は格別でした。
レールバスは乗る事が出来ませんでした。レールバスとは、バスを改造して列車にした乗り物です。バスのタイヤをそのまま列車の車輪に置き換えただけです。ディーゼルカーよりもはるかに低コストで製造出来るので、日本でも一時期、超閑散線区に導入されました。しかし、乗り心地は悪く、ラッシュアワーには積み残しも出るので、一部で細々と使われただけでした。
紀州鉄道でもレールバスが走っていました。平日は沿線の高校に通う生徒が乗るので、ディーゼルカーで運行し、学校が休みの休日にのみレールバスで運行していました。私はそれを目当てに、土曜日なら走っているだろうと来てみたものの、今はもう完全に休車扱いで、車庫のある紀伊御坊駅の側線に留置されたままでした。
御坊寺内町会館には入る事が出来ました。元々、御坊の町は、西本願寺日高別院の寺内町として発展しました。神社の前に開けた門前町に対し、お寺の中や周囲に開けたのが寺内町です。日高別院の別名が日高御坊で、それが町の名前になり、今の御坊市が誕生しました。今もお寺の中には寺院が経営する幼稚園もあります。5年前は平日の休みに行ったので、幼稚園の好意でお寺の中に入る事が出来ました。しかし今回は土曜日の訪問で、幼稚園は休みなので、境内の外から本堂を撮影するしかありませんでした。その寺内町発展のいわれを展示したのが寺内町会館です。
寺内町会館では宮子姫の由来も聞く事が出来ました。紀州鉄道のディーゼルカーにも宮子姫のイラストが描かれています。でも、宮子姫は安珍・清姫ほど有名ではなく、改めて調べるほどの興味もわかなかったので、ずっと知らないままでいました。安珍・清姫の話は、安珍に裏切られた清姫が、蛇に化けて安珍を道成寺の釣り鐘ごと焼き殺してしまうという恐ろしい話です(その故事にちなんで作って売り出したのが釣り鐘まんじゅうw)。それに対して、宮子姫の話は、ずっと髪の毛が生えず悩んでいた宮子という女の子が、海から引き揚げられた観音様を拝んでいるうちに髪の毛が生え、やがて「髪長姫」という黒髪の美しい女性に成長し、天皇の后になり、それを祀る為に道成寺が作られました(アデランスあたりがそれにちなんだ薬を作るかもw)。
寺内町会館には紀州鉄道の昔の写真も展示されていました。当時は沿線に紡績工場もあり、西御坊駅から貨物の引き込み線が工場内に伸びていました。そして紀州鉄道も、西御坊から先の日高川河口の港の手前まで線路が伸びていました。当時の社名は「御坊臨港鉄道」。今も紡績工場のレンガの壁や日高川までの線路が一部残っています。
この線路跡を活用出来ないものでしょうか?確かに今はもう紡績工場もなくなり貨物輸送の需要もなくなりましたが、この線路跡にトロッコを走らせ、観光鉄道として売り出せば、今よりもっと鉄道ファンが詰めかけると思います。今、旧JR三江線や旧JR高千穂線の一部にトロッコを走らせて新たな観光資源にしようとする試みが行われていますが、紀州鉄道でもそれを導入すべきではないでしょうか。
紀州鉄道の売りはあくまで「安・近・短」です。京阪神から近く、交通系ICカードを活用すれば片道千円前後で大阪から来る事が出来ます。紀州鉄道の片道運賃も終点まで乗ってもたったの180円。500円あれば1日乗車券が買えます。それに観光トロッコも加われば、もっと乗客が増えるのではないでしょうか。
それでも紀州鉄道の累積赤字解消にはならないでしょうが、元々、鉄道会社とは名ばかりのホテル・リゾート施設運営企業。本業はあくまでそちらで、社会的信用を得る為に鉄道会社を買収しただけなのですから、その乗客増で地元に貢献できれば、さらに社会的信用が増すのでは。
紀州鉄道が今さら有名観光地の真似をしても太刀打ちできるはずがありません。それよりも「安・近・短」の利点を生かし、それをもっと生かす方向で、何が出来るか考えるのです。例えば防災教育。御坊市内の街角いたる所に「ここは海抜何メートル。津波が来たら避難」のステッカーが貼られていて、立派な津波避難ビルもあります。その由来も寺内町会館で知る事が出来ます。1854年の安政大地震の時に、近くの村の庄屋が稲の束に火をつけ、津波来襲を知らせて多くの村人を救いました。その「稲わらの火」の逸話を地元の子どもたちに継承すべく、防災学習ツアーを紀州鉄道が企画するのです。
有馬温泉や白浜がいかに有名観光地でも、こんなツアーを企画する事は出来ないでしょう。それどころか、津波が来たら避難ルートが途絶える関西万博では、津波や防災はむしろ「禁句」となります。万博ツアーでは絶対に真似が出来ない、こんな企画こそ、地元育ちの紀州鉄道が是非企画すべきではないでしょうか。紀州鉄道再生の為に、やれる事は他にもあると思います。頑張れ、紀州鉄道!
約1週間ブログ更新が滞ってしまいました。申し訳ない。実はスマホを買い替えた事で新たなトラブルに見舞われ、その対応に追われていました。そのトラブルの内容を今から順を追って説明します。
今まで7年間使っていたスマホが遂に寿命を迎えてしまいました。写真の容量オーバーで撮影も出来なくなりました。別にゲームもやらないのに、写真だけでそんなにギガ数を消費する訳がないと、最初はたかをくくっていましたが、写真も7年分溜まれば相当な量になります。まだ撮影だけでは大したギガ数にはなりませんが、それをブログやライン、X(旧ツイッター)に投稿するとなると、アップロードの際にかなりのギガ数を消費する事になります。
スマホ内の写真をアイクラウド(iCloud)と言う仮想空間に移せば、スマホ内の容量は広げられるのですが、それをする為にはそれなりの容量が必要です。私は既にその容量の確保もままならない状態に陥っていました。もはやアイクラウドに移す事も出来ません。その為に、新たにバージョンアップしたスマホに買い替える事にしました。
新しく買ったスマホは最新型のアイフォン(iPhone)15で、写真の容量だけでも今までの倍ぐらいあります。その分、値段は高くなりますが、背に腹は代えられません。頭金の2万2千円余りと引き換えに、ようやく今まで通りスマホが自由に使えるようになりました。
しかし、これで一件落着と思いきや、そうは問屋が卸しません。また新たな難問が生じる事になりました。今までのスマホのUSBケーブルはAタイプの物でした。パソコンやモバイルバッテリーのケーブルもAタイプだったので、スマホと自由に繋げてデータをダウンロードする事が出来ました。
でも、新たに買ったアイフォン15のUSBケーブルはCタイプなので、パソコンやモバイルバッテリーに繋ぐ事は出来ません。AタイプとCタイプではケーブル差込口の形や大きさが全く異なります。このままではモバイルバッテリーからの充電も、スマホからパソコンに写真を転送する事も出来なくなります。
その為に、近くのドンキでA・C両タイプの差込口に繋ぐ事の出来るUSBケーブルを買う事にしました。モバイルバッテリーの方はそれでスマホと繋ぐ事が出来るようになりました。しかし、問題はパソコンの方です。幾ら繋いでも、「デバイスが応答しなくなっているか、デバイスとの接続が解除されています」というエラーメッセージが出て、スマホの写真をパソコンに取り込めなくなってしまいました。
勿論、スマホから直接ブログのサーバーに送れば、ブログに写真を載せる事は出来ます。でも、1投稿当たりたかだが4枚までの写真しか載せる事の出来ないX(旧ツイッター)とは違い、ブログのサーバーにはもっと多くの写真を送る事が出来ます。一度旅行に出かけたら、旅先で撮影する写真の枚数も数枚では済みません。何十枚もの写真を、Xのように1つ投稿するたびに数枚づつチビチビ送っていたのでは、いつまで経ってもブログを書く事が出来ません。
何とかスマホの写真画像をケーブルでパソコンに送る事は出来ないだろうか?ネットで色々調べて、それに代わる方法も一応見つけ出してはみたものの。余りもの非効率に、全然代わりの方法にはならない事が分かりました。パソコン画面左下のウィンドウズのアイコンをクリックして、フォトからアイフォンを選べば、スマホ内に取り込む写真画像を一応パソコンに表示する事は出来ます。しかし、取り込み完了まで1時間以上もかかり、昔の写真と今の写真がごっちゃで表示されてしまう為に、お目当ての写真にたどり着くまで数時間以上もかかってしまう。これではたどり着けないのと同じです。
そこで、アイフォン15を買った携帯ショップに、本日夕方に再び相談に行き、相談に乗ってもらう事にしましたが、携帯ショップの店員もお手上げ状態。最終的に、携帯メーカーやアイフォン製造元アップルのサポートセンターに協力を仰ぎ、サポートセンター側の職員と私で、スマホやパソコンの画面を遠隔操作で互いに共有しながら、本日夜22時過ぎになって、ようやく写真の画像をブログに載せる事が出来るようになりました。そんな夜遅くまで、私のスマホ・パソコントラブルに対応してくれ、解決に導いてくれたサポートセンタースタッフの方たちには、もう感謝しかありません。以上、取り急ぎご報告まで。
サポートセンター側とスマホやパソコンの画面を共有して、電話でサポセン側から示された赤い矢印の先にあるアイコンを、私がタップして指示通りオン(緑:接続)やオフ(白:切断)に切り替えて、スマホやパソコンの設定を点検・修正して行きました。
こちらの記事では、前回紹介し切れなかった郡山城の史跡を中心に紹介していきます。まずは郡山城跡のふもとにある郡山歴史民俗博物館の外観から。こちらには毛利元就の足跡をしのぶ史料や安芸高田の歴史・文化史料が多数展示されています。
郡山城跡トレッキングコース図。歴史民俗博物館横から山に入り、図中左の砂防公園の中を通って毛利家墓所参道に入りました。そして墓所や百万一心の碑を巡ってから山頂に登り、本丸・二の丸・三の丸や釣井壇、姫の丸壇、厩の壇、勢溜(せだまり)の壇など、山頂や尾根に築かれた城郭の跡をたどり、右の下山コースからふもとの郡山公園に下り、清(すが)神社に参拝して旅行初日の旅程を終えました。
郡山城跡の碑と案内板
砂防公園から毛利元就墓所参道入口へ
毛利元就の墓
それぞれ墓所の案内板。
墓所の近くに立つ百万一心の碑。郡山城築城の際に毛利元就が人柱の代わりに「百万一心」と碑に刻んで埋めたと言われています。「百万一心」の文字を分解すると「一日一力」となり、皆一人一人の力で築城された事が明示されています。
本丸跡近くの土塁跡。百万一心の碑もここから掘り出されました。
山頂の本丸跡と、そのすぐ横にある二の丸跡。本丸・二の丸・三の丸はそれぞれ段丘になっていて、前者から後者に移動するにつれて標高が若干低くなります。この付近からは中国製青磁器など陶器の遺跡が多数出土し、城郭の中心施設があった事がうかがえます。
郡山城登山道。この辺はまだ石畳でしたが、やがて岩がごろごろする崖路に変わります。
釣井の壇跡。山頂の本丸跡から四方に山の尾根が張り出していて、その尾根の段丘(壇)に井戸のある出城(釣井の壇)や軍馬の係留所(厩の壇)、兵士の待機所(勢溜の壇)が作られました。今はもうこの井戸は枯れてしまいましたが、当時はこんこんと水が湧き出て、合戦の際には重要な兵站になったと思われます。
姫の丸壇跡の案内板。この案内板の地図からも、険しい山の地形を利用して、山頂やそこから延びる尾根、尾根の基部に広がるわずかな段丘を利用して、難攻不落の山城が築かれた事が分かります。
厩の壇跡の案内板
勢溜の壇跡
展望台から吉田市街を望む。山頂からここまで下りてきた時にはもう汗だくになっていました。夏は熱中症対策に水筒を持参した方が良いです。
郡山公園の庭園
清(すが)神社。毛利家代々の信仰を集め、今も地元Jリーグチームのサンフレッチェ広島が試合のたびに戦勝祈願に訪れます。
三矢(さんし)の訓(おしえ)碑と、教えの内容を絵に描いた道の駅の展示。但し、この石碑は県立少年の家の施設内にあり、施設の門が閉まっていた為に、中には入れませんでした。そこでやむなく門の外からズームを最大にして撮影しました。毛利家の三人兄弟(隆元・元春・隆景)が互いに助け合って、重ね合わせた三本の矢のように団結して難事に当たるようにと言うのが、元就の三矢の訓です。但し、長男の隆元は元就存命中に亡くなってしまったので、道の駅の絵には兄弟が二人しか描かれていません。
少しブログに書くのが遅くなってしまいましたが、先週末の函館競馬の結果を振り返ってみたいと思います。
昨夜はハンバーグとレタスの付け合わせにチキンライスを作りました。本当はオムライスにしたかったのですが以前作るのに失敗しているので諦めました。そのチキンライスも、目一杯ケチャップを掛けたにも関わらず、レストランで出て来るチキンライスよりは大分色が薄いです。一体どれ位ケチャップを掛けなければならないのでしょうか?