アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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5年ぶりの紀州鉄道訪問記

2024年09月22日 11時42分44秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

折角この土日と連休なのに、あいにく日曜日は雨予報なので、まだ晴れている土曜日に、どこか近場の行楽地に出かけようと思い立ち。そう言えば、5年前に和歌山県御坊市内を走る紀州鉄道に乗りに行った時に、レールバスに乗る事が出来ず、地元B級グルメの「せち焼き」も食べそびれ、御坊寺内町会館も休館で観れなかった事を思い出し。今度こそはと日帰りで出かけました。

紀州鉄道は御坊市内から離れた場所にあるJRの駅と市内を結ぶ私鉄です。JR御坊駅から終点の西御坊までの約2.7キロを単行のディーゼルカーが1時間に1~2本ぐらいの割で走っています。昔はレールバスも走っていました。長らく日本一短い私鉄として有名でした。現在も日本で2番目に短い私鉄です。赤字経営で廃止の噂もありましたが、大手ホテルチェーンの傘下に入る事で経営立て直しに成功。かつては西御坊から先の日高川まで走っていて、当時の線路や踏切警報機が今も一部に残っています。

地元の御坊市では、安珍・清姫や宮子姫の逸話と共に、このローカルミニ私鉄の紀州鉄道も観光資源として、寺内町観光の目玉として売り出しています。私も5年前にこの鉄道に乗りに来ましたが、その時にかなわなかった前述の夢をかなえるべく、再び日帰りで訪れる事にしました。

「せち焼き」は食べる事が出来ました。お好み焼きの一種ですがメリケン粉は使わず卵と焼きそばだけで、そこにイカや豚肉、キャベツなどの具を絡めて焼きます。御坊市内とその近辺だけでしか食べる事が出来ません。地元では「やました」が元祖「せち焼き」の店として有名ですが、どの駅からも離れているので、私は駅の近くにある別の店で食べました。

その店はJR御坊駅から歩いて10分ぐらいの所にありました。バーのマスターが昼間は店の一角でお好み焼きのテイクアウトもやっている、そんなお店です。バーの中でお好み焼きを食べる事が出来ます。私はそこで食べましたが、ちょうど大阪のお好み焼きと広島焼きの中間のような感じでした。広島焼きよりはボリュームがあり、それでも大阪のお好み焼きほど胃にはもたれない。バーカウンターで食べるお好み焼きの味は格別でした。

レールバスは乗る事が出来ませんでした。レールバスとは、バスを改造して列車にした乗り物です。バスのタイヤをそのまま列車の車輪に置き換えただけです。ディーゼルカーよりもはるかに低コストで製造出来るので、日本でも一時期、超閑散線区に導入されました。しかし、乗り心地は悪く、ラッシュアワーには積み残しも出るので、一部で細々と使われただけでした。

紀州鉄道でもレールバスが走っていました。平日は沿線の高校に通う生徒が乗るので、ディーゼルカーで運行し、学校が休みの休日にのみレールバスで運行していました。私はそれを目当てに、土曜日なら走っているだろうと来てみたものの、今はもう完全に休車扱いで、車庫のある紀伊御坊駅の側線に留置されたままでした。

御坊寺内町会館には入る事が出来ました。元々、御坊の町は、西本願寺日高別院の寺内町として発展しました。神社の前に開けた門前町に対し、お寺の中や周囲に開けたのが寺内町です。日高別院の別名が日高御坊で、それが町の名前になり、今の御坊市が誕生しました。今もお寺の中には寺院が経営する幼稚園もあります。5年前は平日の休みに行ったので、幼稚園の好意でお寺の中に入る事が出来ました。しかし今回は土曜日の訪問で、幼稚園は休みなので、境内の外から本堂を撮影するしかありませんでした。その寺内町発展のいわれを展示したのが寺内町会館です。

寺内町会館では宮子姫の由来も聞く事が出来ました。紀州鉄道のディーゼルカーにも宮子姫のイラストが描かれています。でも、宮子姫は安珍・清姫ほど有名ではなく、改めて調べるほどの興味もわかなかったので、ずっと知らないままでいました。安珍・清姫の話は、安珍に裏切られた清姫が、蛇に化けて安珍を道成寺の釣り鐘ごと焼き殺してしまうという恐ろしい話です(その故事にちなんで作って売り出したのが釣り鐘まんじゅうw)。それに対して、宮子姫の話は、ずっと髪の毛が生えず悩んでいた宮子という女の子が、海から引き揚げられた観音様を拝んでいるうちに髪の毛が生え、やがて「髪長姫」という黒髪の美しい女性に成長し、天皇の后になり、それを祀る為に道成寺が作られました(アデランスあたりがそれにちなんだ薬を作るかもw)。

寺内町会館には紀州鉄道の昔の写真も展示されていました。当時は沿線に紡績工場もあり、西御坊駅から貨物の引き込み線が工場内に伸びていました。そして紀州鉄道も、西御坊から先の日高川河口の港の手前まで線路が伸びていました。当時の社名は「御坊臨港鉄道」。今も紡績工場のレンガの壁や日高川までの線路が一部残っています。

この線路跡を活用出来ないものでしょうか?確かに今はもう紡績工場もなくなり貨物輸送の需要もなくなりましたが、この線路跡にトロッコを走らせ、観光鉄道として売り出せば、今よりもっと鉄道ファンが詰めかけると思います。今、旧JR三江線や旧JR高千穂線の一部にトロッコを走らせて新たな観光資源にしようとする試みが行われていますが、紀州鉄道でもそれを導入すべきではないでしょうか。

紀州鉄道の売りはあくまで「安・近・短」です。京阪神から近く、交通系ICカードを活用すれば片道千円前後で大阪から来る事が出来ます。紀州鉄道の片道運賃も終点まで乗ってもたったの180円。500円あれば1日乗車券が買えます。それに観光トロッコも加われば、もっと乗客が増えるのではないでしょうか。

それでも紀州鉄道の累積赤字解消にはならないでしょうが、元々、鉄道会社とは名ばかりのホテル・リゾート施設運営企業。本業はあくまでそちらで、社会的信用を得る為に鉄道会社を買収しただけなのですから、その乗客増で地元に貢献できれば、さらに社会的信用が増すのでは。

紀州鉄道が今さら有名観光地の真似をしても太刀打ちできるはずがありません。それよりも「安・近・短」の利点を生かし、それをもっと生かす方向で、何が出来るか考えるのです。例えば防災教育。御坊市内の街角いたる所に「ここは海抜何メートル。津波が来たら避難」のステッカーが貼られていて、立派な津波避難ビルもあります。その由来も寺内町会館で知る事が出来ます。1854年の安政大地震の時に、近くの村の庄屋が稲の束に火をつけ、津波来襲を知らせて多くの村人を救いました。その「稲わらの火」の逸話を地元の子どもたちに継承すべく、防災学習ツアーを紀州鉄道が企画するのです。

有馬温泉や白浜がいかに有名観光地でも、こんなツアーを企画する事は出来ないでしょう。それどころか、津波が来たら避難ルートが途絶える関西万博では、津波や防災はむしろ「禁句」となります。万博ツアーでは絶対に真似が出来ない、こんな企画こそ、地元育ちの紀州鉄道が是非企画すべきではないでしょうか。紀州鉄道再生の為に、やれる事は他にもあると思います。頑張れ、紀州鉄道!

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総裁選よりも台風の方が気がかりだ

2024年08月29日 20時27分28秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
台風10号が遂に九州に上陸。東に進路を変え、近畿地方も明日以降は暴風域に。但し、台風の進行速度が遅く、進行方向も定まらないので、進路予想は困難を極めている様子。上陸前の台風は中心気圧が930ヘクトパスカルと超大型で、素人目にも大変だと身構えていたが、夕方には980ヘクトパスカルまで戻していた。
 
これならとりあえず停電の恐れはなさそうだ。エアコンと冷蔵庫も何とか無事に稼働しそうだ。自宅で熱中症になったり冷蔵庫内の食品が腐って食べる物もなくなる最悪の事態はどうやら避けれそうだ。但し、今回は台風の周辺部で突然の竜巻に見舞われる事もあるようだ。先程も宮崎で竜巻の被害が発生したとニュースで報じていた。そうなればエアコンも冷蔵庫も無事では済まない。もし、これらが故障してしまったら、たちまち現代の生活は成り立たなくなる。
 


今住んでいるワンルームは大阪市住之江区にあるマンションの2階にあるので、一応は浸水の可能性は低い。それに、周囲は工場の壁に囲まれているので暴風被害に遭う可能性も低い。その分、陽が差し込まず日中も照明を付けなければならないが、そのせいで逆に暑さを凌ぐ事も出来、夏は大いに助かっている。
 
それでも海岸沿いの浸水常襲地帯に住んでいる事には変わりない。大和川が氾濫したり、海から木津川・住吉川づたいに高潮が逆流して来たら、もう逃げ場所がない。いざとなれば、下手に避難所に避難するより、マンションの3階以上のフロアに逃げる方が賢明だ。
 
今日、会社から昼食用の食糧を確保しておくよう指示があった。台風の影響で最悪、社内食堂が営業停止になる可能性があるからだ。そこで私も、通常の朝食用のパンとは別に、昼食用のパンも買っておく事にした。保存食にする事も考えたが、やはりそんな物より普段から食べなれている物の方が良い。
 
 
写真右がいつも朝食用に買っている胡桃ロール。左が昼食用に新たに買ったミルクロール。飲料のフルーツティーと、おやつ兼用の塩バナナチップスも一緒に購入。常温でも腐らない物を選んで買った。これだけあれば何とか3日間は持つだろう。これ以外に電子レンジでチンすれば食べられるパックご飯も4食分ある。
 
後は通勤の足の確保だ。私の職場は食品を扱う物流センターで、ライフライン確保が至上命題。その為に、公共交通機関が止まっても、自転車で出勤出来るようにレインコートを買った。
 
 
たとえスーパーやコンビニの店舗が休業しても、物流の要となるセンターは休業出来ない。納品は通常通りある。当然、台風の影響による納品の遅延や未入荷もあり得る。それに店の休業、出荷停止に伴う商品の保管スペース確保も必要だ。世間の人の中には「店が休業だから普段より楽だろう」と思う人もいるかも知れないが、実際は逆だ。イレギュラー対応で大混乱するのが常なのだ。
 
幾らマスコミがニュースで「台風に備えろ」と叫んでも、個人で出来る事には限りがある。私も、これ以外に出来る事はもう後、懐中電灯と携帯の電源確保ぐらいだ。仕事も大事だが、一番優先すべきはやはり自分の命だ。マスコミは相変わらず自民党総裁選のニュースを流している。「ライフラインを守る我々がいなければ、米の確保も出来ない癖に、国民生活そっちのけで、偉そうに上から目線で天下国家を論じるな!」と言いたい。
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アイフォン15のトラブルようやく解消

2024年08月14日 23時31分00秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

約1週間ブログ更新が滞ってしまいました。申し訳ない。実はスマホを買い替えた事で新たなトラブルに見舞われ、その対応に追われていました。そのトラブルの内容を今から順を追って説明します。

今まで7年間使っていたスマホが遂に寿命を迎えてしまいました。写真の容量オーバーで撮影も出来なくなりました。別にゲームもやらないのに、写真だけでそんなにギガ数を消費する訳がないと、最初はたかをくくっていましたが、写真も7年分溜まれば相当な量になります。まだ撮影だけでは大したギガ数にはなりませんが、それをブログやライン、X(旧ツイッター)に投稿するとなると、アップロードの際にかなりのギガ数を消費する事になります。

スマホ内の写真をアイクラウド(iCloud)と言う仮想空間に移せば、スマホ内の容量は広げられるのですが、それをする為にはそれなりの容量が必要です。私は既にその容量の確保もままならない状態に陥っていました。もはやアイクラウドに移す事も出来ません。その為に、新たにバージョンアップしたスマホに買い替える事にしました。

新しく買ったスマホは最新型のアイフォン(iPhone)15で、写真の容量だけでも今までの倍ぐらいあります。その分、値段は高くなりますが、背に腹は代えられません。頭金の2万2千円余りと引き換えに、ようやく今まで通りスマホが自由に使えるようになりました。

しかし、これで一件落着と思いきや、そうは問屋が卸しません。また新たな難問が生じる事になりました。今までのスマホのUSBケーブルはAタイプの物でした。パソコンやモバイルバッテリーのケーブルもAタイプだったので、スマホと自由に繋げてデータをダウンロードする事が出来ました。

でも、新たに買ったアイフォン15のUSBケーブルはCタイプなので、パソコンやモバイルバッテリーに繋ぐ事は出来ません。AタイプとCタイプではケーブル差込口の形や大きさが全く異なります。このままではモバイルバッテリーからの充電も、スマホからパソコンに写真を転送する事も出来なくなります。

その為に、近くのドンキでA・C両タイプの差込口に繋ぐ事の出来るUSBケーブルを買う事にしました。モバイルバッテリーの方はそれでスマホと繋ぐ事が出来るようになりました。しかし、問題はパソコンの方です。幾ら繋いでも、「デバイスが応答しなくなっているか、デバイスとの接続が解除されています」というエラーメッセージが出て、スマホの写真をパソコンに取り込めなくなってしまいました。

勿論、スマホから直接ブログのサーバーに送れば、ブログに写真を載せる事は出来ます。でも、1投稿当たりたかだが4枚までの写真しか載せる事の出来ないX(旧ツイッター)とは違い、ブログのサーバーにはもっと多くの写真を送る事が出来ます。一度旅行に出かけたら、旅先で撮影する写真の枚数も数枚では済みません。何十枚もの写真を、Xのように1つ投稿するたびに数枚づつチビチビ送っていたのでは、いつまで経ってもブログを書く事が出来ません。

何とかスマホの写真画像をケーブルでパソコンに送る事は出来ないだろうか?ネットで色々調べて、それに代わる方法も一応見つけ出してはみたものの。余りもの非効率に、全然代わりの方法にはならない事が分かりました。パソコン画面左下のウィンドウズのアイコンをクリックして、フォトからアイフォンを選べば、スマホ内に取り込む写真画像を一応パソコンに表示する事は出来ます。しかし、取り込み完了まで1時間以上もかかり、昔の写真と今の写真がごっちゃで表示されてしまう為に、お目当ての写真にたどり着くまで数時間以上もかかってしまう。これではたどり着けないのと同じです。

そこで、アイフォン15を買った携帯ショップに、本日夕方に再び相談に行き、相談に乗ってもらう事にしましたが、携帯ショップの店員もお手上げ状態。最終的に、携帯メーカーやアイフォン製造元アップルのサポートセンターに協力を仰ぎ、サポートセンター側の職員と私で、スマホやパソコンの画面を遠隔操作で互いに共有しながら、本日夜22時過ぎになって、ようやく写真の画像をブログに載せる事が出来るようになりました。そんな夜遅くまで、私のスマホ・パソコントラブルに対応してくれ、解決に導いてくれたサポートセンタースタッフの方たちには、もう感謝しかありません。以上、取り急ぎご報告まで。

サポートセンター側とスマホやパソコンの画面を共有して、電話でサポセン側から示された赤い矢印の先にあるアイコンを、私がタップして指示通りオン(緑:接続)やオフ(白:切断)に切り替えて、スマホやパソコンの設定を点検・修正して行きました。

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郡山城跡見聞録

2024年07月31日 11時08分17秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

こちらの記事では、前回紹介し切れなかった郡山城の史跡を中心に紹介していきます。まずは郡山城跡のふもとにある郡山歴史民俗博物館の外観から。こちらには毛利元就の足跡をしのぶ史料や安芸高田の歴史・文化史料が多数展示されています。

 

郡山城跡トレッキングコース図。歴史民俗博物館横から山に入り、図中左の砂防公園の中を通って毛利家墓所参道に入りました。そして墓所や百万一心の碑を巡ってから山頂に登り、本丸・二の丸・三の丸や釣井壇、姫の丸壇、厩の壇、勢溜(せだまり)の壇など、山頂や尾根に築かれた城郭の跡をたどり、右の下山コースからふもとの郡山公園に下り、清(すが)神社に参拝して旅行初日の旅程を終えました。

 

郡山城跡の碑と案内板

砂防公園から毛利元就墓所参道入口へ

 

毛利元就の墓

それぞれ墓所の案内板。

墓所の近くに立つ百万一心の碑。郡山城築城の際に毛利元就が人柱の代わりに「百万一心」と碑に刻んで埋めたと言われています。「百万一心」の文字を分解すると「一日一力」となり、皆一人一人の力で築城された事が明示されています。

 

本丸跡近くの土塁跡。百万一心の碑もここから掘り出されました。

 

山頂の本丸跡と、そのすぐ横にある二の丸跡。本丸・二の丸・三の丸はそれぞれ段丘になっていて、前者から後者に移動するにつれて標高が若干低くなります。この付近からは中国製青磁器など陶器の遺跡が多数出土し、城郭の中心施設があった事がうかがえます。

 

郡山城登山道。この辺はまだ石畳でしたが、やがて岩がごろごろする崖路に変わります。

 

釣井の壇跡。山頂の本丸跡から四方に山の尾根が張り出していて、その尾根の段丘(壇)に井戸のある出城(釣井の壇)や軍馬の係留所(厩の壇)、兵士の待機所(勢溜の壇)が作られました。今はもうこの井戸は枯れてしまいましたが、当時はこんこんと水が湧き出て、合戦の際には重要な兵站になったと思われます。

 

姫の丸壇跡の案内板。この案内板の地図からも、険しい山の地形を利用して、山頂やそこから延びる尾根、尾根の基部に広がるわずかな段丘を利用して、難攻不落の山城が築かれた事が分かります。

 

厩の壇跡の案内板

勢溜の壇跡

展望台から吉田市街を望む。山頂からここまで下りてきた時にはもう汗だくになっていました。夏は熱中症対策に水筒を持参した方が良いです。

 

郡山公園の庭園

清(すが)神社。毛利家代々の信仰を集め、今も地元Jリーグチームのサンフレッチェ広島が試合のたびに戦勝祈願に訪れます。

 

三矢(さんし)の訓(おしえ)碑と、教えの内容を絵に描いた道の駅の展示。但し、この石碑は県立少年の家の施設内にあり、施設の門が閉まっていた為に、中には入れませんでした。そこでやむなく門の外からズームを最大にして撮影しました。毛利家の三人兄弟(隆元・元春・隆景)が互いに助け合って、重ね合わせた三本の矢のように団結して難事に当たるようにと言うのが、元就の三矢の訓です。但し、長男の隆元は元就存命中に亡くなってしまったので、道の駅の絵には兄弟が二人しか描かれていません。

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交通弱者置き去りユーチューバー前市長の功罪を問う

2024年07月28日 21時37分50秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
7月27日と28日に広島県安芸高田市を旅行しました。東京都知事選挙で大量得票した石丸前市長の評判を出来れば現地で直に確かめたかったのと、安芸高田そのものの街の魅力も知りたかったので。そこでまず痛感したのが交通の不便さです。この点については早速、旅先から携帯で市役所の窓口に下記の問い合わせメールを送りました。
 
市内公共交通網の拡充を求めます
 
大阪から新幹線とバスを乗り継いで安芸高田市に旅行に来ました。まずバスで「道の駅三矢の里あきたかた」に立ち寄り、縄文アイスをいただいた後、吉田地区の「ゆめタウン」で「あきたかた焼き」を昼食に購入。歴史民俗博物館を観た後、郡山城跡を散策。吉田の旅館に一泊して翌日帰阪する予定です。
本当は美土里地区の神楽門前湯治村に泊まりたかったのですが満室で適わず。せめて日帰り入浴だけでもしたかったのですが、これもバスの便がないので諦めざるを得ませんでした。
実は私が安芸高田に着いた7月27日(土)の夜に向原地区では「きてみん祭土曜夜市」が催され、神楽の上演も行われるのですが、こちらも吉田に帰る便がなく参加を断念。
地元の方はマイカーがあるので別にバスの便がなくても困らないでしょうが、電車やバスでしか来れない旅行者はこれではどこも回る事が出来ません。
不便なのは鉄道も同じです。市内を走るJR芸備線は広島・三次間は約1時間毎に列車が走っていますが、それ以遠は1日3~5本しか走っていません。最近秘境駅でブームの備後落合やスイッチバックで有名な木次線奥出雲おろちループの区間も、もっと列車の本数が多ければ回れるのに。旅行機会の損失がJRの赤字を更に酷くしているのではないでしょうか。
マイカーが総中流社会の象徴であったのはもう数十年も前の話です。今や貧しい非正規雇用の若者にとって車は高嶺の花です。地方でも高齢者などは公共交通網に頼らざるを得ません。そんな方達も他の方と同様に健康で文化的な最低限度の生活を送る権利があるはずです。せめて一泊二日の国内旅行ぐらい自由に出来るようにして下さい。(以上メール終了)
 
その旅先の写真がこちら。まず「道の駅三矢の里あきたかた」でいただいた縄文アイスから。縄文時代に栽培された古代米のトッピングがアイスに乗っている。非常に美味しかったです。但し、今売り出し中の「あきたかた焼き」は道の駅では冷凍品しか販売しておらず。冷凍品ではランチとして直ぐに食べる事が出来ません。こちらは吉田地区のショッピングセンター「ゆめタウン」でようやく買う事が出来ました。
 
「あきたかた焼き」は広島のお好み焼きをアレンジした物です。広島のお好み焼きは、大阪のそれとは違い、キャベツや焼きそばの上に卵を乗せ薄くクレープ状に重ねた物ですが、「あきたかた焼き」は鶏肉を使用し、地元の伝統芸能である神楽に因んだ5色の食材を使用するのが特徴です。青(青のり)、赤(紅生姜)、黄(卵)、黒(ソース)、白(餅)の5色です。餅は当地の戦国大名、毛利元就の好物でもありました。非常にボリュームがあり美味しかったです。
 
昼からは市役所内の図書館で地元関係の本やパンフレットを観た後、歴史民俗博物館で当地を支配した戦国大名・毛利元就の足跡を学び、彼が本拠地にした郡山城の城跡を巡りました。
 
毛利一族の墓や、元就が築城の際に人柱の代わりに埋め、後に掘り出された百万一心の碑を巡りました。但し、兄弟3名の和を説いた三矢の訓の碑だけは、少年の家の敷地内にあり、門が閉まって入れなかったので外から撮るだけにしました。
 
山頂の本丸を中心に、そこから四方に伸びる尾根に釣井の壇、姫の丸、釜屋の壇、勢溜の壇などの出城を築き、谷に堀を割り、難攻不落の要塞にした元就の戦略家としての才能に驚かされました。最初は汗だくで登っていましたが、やがて森に入るにつれ、木陰の間に吹く風に徐々に癒されるようになりました。それでも最後は汗だくで、夏は熱中症対策が必須だと感じました。
 
山麓の清神社(すがじんじゃ)で郡山城跡の散策は終了です。この神社は毛利家が代々戦勝祈願に訪れた所で、最近ではサッカーJリーグ・サンフレッチェ広島の選手達が試合前に戦勝祈願に訪れます。安芸高田はサンフレッチェの根拠地でもあります。
 
最後に、冒頭紹介のメールでも文章の大半を費やして説明した市内交通事情の悪さについて。この話をするには、安芸高田市の成り立ちから話さなくてはなりません。2004年に安芸高田市が誕生するまで、市域は旧高田郡の6町に分かれていました。JR芸備線沿いに南西から北東に向原町と甲田町。国道54号線沿いに南西から北東に八千代町と吉田町。中国・広島自動車道沿いに東から西へ高宮町と美土里町。この6町です。(記事冒頭のグーグルマップ図参照)
 
安芸高田市という名前から、広島市郊外のベッドタウンを連想しがちですが、実際は各町とも中国山地の中にある過疎の町です。八千代町と向原町の間に分水嶺が走っていて、川の水もこの分水嶺を境に、瀬戸内海に流れる大田川水系と、日本海側に流れる江の川水系に分かれます。平成の大合併で安芸高田市が誕生したのも、各町分立のままでは人口減少で自治体機能が維持出来なくなったからです。
 
八千代町と吉田町に住む人は、国道54号線を約1時間毎に走るバスで、約1時間半ほどで広島市中心部に出る事が出来ます。向原町と甲田町に住む人も、JR芸備線を同じぐらいの間隔で走る列車で、同じぐらいの時間で広島市中心部に出る事が出来ます。高宮町と美土里町に住む人も、中国・広島自動車道を同じぐらいの間隔で走るバスで、同じぐらいの時間(高速だともっと早いかも)で広島市中心部に出る事が出来ます。
 
神楽門前湯治村
 
問題はJR芸備線、国道54号線、中国・広島自動車道など県都に出る縦の公共交通網はあっても、それらを横につなぐ市内の公共交通網がほとんどない事です。まず市役所のある旧吉田町から旧美土里町にある神楽門前湯治村に行く民間のバス路線はありません。「お太助バス」という市が運営するワゴン車タイプの福祉バスはありますが、これは美土里町の住民が吉田の市役所や郵便局、病院に通い、買い物を済ませて帰る為に走っています。だからバスのダイヤも、朝に吉田に向かう1〜2便と、夕方に美土里方面に帰る1〜2便しかありません。もしこれで吉田から神楽門前湯治村に向かう事が出来ても、そこで一泊しなければ翌日朝に吉田に戻って来る事が出来ません。その福祉バスも日曜日は運休してしまいます。
 
高田南部線のバス時刻表。向原駅17時51分発が吉田方面に帰るバスの最終便となる。
 
それに対し、吉田から甲田、向原に向かう民間のバス路線はあります。備北交通バスの高田南部線です。このバス路線は往復しているので、その日のうちに吉田に戻って来る事も出来ます。でもバスの本数が1日7本(土曜日は更に減って5本に)しかありません。もし、このバスで「きてみん祭土曜夜市」に参加しようとしても、17時51分向原駅発の終バスに乗らなければ、吉田に戻って来る事が出来ません。神楽の上演まで観ていたら到底戻って来る事は出来ません。そして、この備北交通バスも日曜・祝日は全面運休なのです。これでは折角、土曜夜市で地域を盛り上げようと思っても限界があります。
 
実は、この市内の公共交通網の貧弱さについては、今までも市議会で取り上げられてました。今年3月6日も、山本数博議員が議会の定例会で、「来年には吉田・向原間に新トンネルが出来るので、それに合わせたバスの増便や駅の利便性向上について、JR・国・沿線自治体による任意協議会で何らかの提案や働きかけをする気はないか?」と市長に質問しています。(元ネタ動画はこちら
 
それに対して、当時の石丸伸二市長は「昨日、別の議員からも同じような質問がされたので、そこで答弁している。大体からしてあなたの質問は文章がよく分からない。何度も同じ言葉が出て来る。小論文の試験では減点対象だ」云々と、質問の趣旨とは何の関係もない、重箱の隅を突くような粗探しの答弁を繰り返しました。
 
その昨日の別の議員(金行哲昭氏)の質問要旨は「JR芸備線内ではまだ赤字額がそんなに大きくはない三次・深川間(注:下深川の間違いか?)でも経営数値が悪化している。このままでは早晩、庄原以遠の超閑散区間のように再構築協議会で廃線も視野に入れた協議を申し入れられるかも知れない。地元の足の存続に向けての市長の覚悟を問う」というものでした。同じJRの廃線問題を取り上げていても、質問趣旨が異なる事は明白です。
 
そうであるにもかかわらず、やる気のない答弁しかしない石丸市長は、最初からこの問題に真剣に取り組む気がないのです。それは安芸高田市の姿勢にも現れています。市の公式ホームページのJR芸備線任意協議会のページをクリックすると、いきなり隣の三次市のホームページに飛ぶ仕組みになっています。地元の重要な問題についても、ひたすら隣の市に丸投げしているのです。
 
一事が万事こんな調子なので、私はこの石丸伸二市長の言う事は全然信用していません。X(旧ツイッター)やユーチューブで、市議会の年寄り議員をやり込める動画を配信して人気を博し、市長を1期で退任して臨んだ7月7日の東京都知事選挙でも、政党の支援を全然受けない中で165万票もの大量得票を獲得し、一躍有名人に躍り出た人物ですが。
 
自分と対立する人物に「抵抗勢力」とレッテルを貼り、自分はそれと闘う救世主のように振る舞っていますが、やっている事は従来の保守政治と全然変わらず。それを誤魔化す為に屁理屈を捏ね回しているだけではないですか。
 
確かに石丸氏の発信力の凄さは認めます。ユーチューブ配信した動画のお陰で市の公式ホームページのアクセス数が急伸し、それに伴い「ふるさと納税額」も増えました。赤字財政の中で学校給食費を無料化し、用務員や給食調理師の増員も実現しました。
 
しかし、その他の施策はどうか?市の第三セクターとして観光・保養施設の神楽門前湯治村を作りながら、そこに向かう公共交通網を整備しなかった為に、折角需要がありながら、私みたいに来訪を諦めざるを得ない人を一杯出してしまっています。JR芸備線の廃線問題もまともに取り組もうとしない。
 
石丸氏はJRの廃線問題について、こんな発言をしています。「ダイヤを組むのはJRだから、それについて第三者の我々がどうこう言う事は出来ない」「民間企業である以上は儲からなければ廃線にする他ない」。確かにそれはその通りです。でも、鉄道会社には他の民間トラック企業以上に公共性も求められます。鉄道は人々の生活の足でもあるのだから。それを忘れて、民間企業だからと金儲け主義の経営に走り、安全対策を怠った結果が、あの未曾有の大惨事を引き起こしたJR福知山線事故でした。
 
石丸氏が給食費無料化などの子育て世代に手厚い施策を実施する一方で、交通弱者にはここまで冷淡な姿勢が取れるのは何故なのか?単に「市の財政が赤字だから」という理由だけでは説明が付きません。折角、税金を投入して神楽何ちゃら村まで作りながら、何故そこに向かう足の便を確保しなかったのか?みんながみんなマイカーで旅行するとは限らないのに。何故こうもやる事なす事全てが中途半端でチグハグなのか?まさか、「交通弱者よりも子育て世代の方が、年齢が若いし所得も高いので、票田や金づるとして期待出来るから」と考えているのではないだろうな?
 
確かに安芸高田市は赤字財政なので出来る事は限られます。施策に軽重を付ける事も一定やむを得ないでしょう。でも、だからと言って、子育て世代以外の市民はみんな無視するのは、市長として如何なものかと思います。子育て世代もやがて年をとり高齢者になります。運転免許も返上しなければならなくなった時に、それまでの厚遇策が、単に自分達を「票田、金づる」としか看做していなかった事に気付いても遅いのです。
 
ここに来て早くも石丸氏の化けの皮が剥がれつつあります。東京都知事選挙であれだけ大量得票しながら、開票後の記者会見で、インタビュアーの揚げ足取るしか能がなく、まともにコミュニケーションも取れない醜態を曝け出してしまいました。「石丸構文」という造語まで生み出して。
 
自分と対立する人々をひたすら「抵抗勢力」と叩き、自分はそれと闘うヒーローであるかのように演じながら、実際にやった施策はいずれもそれまでの保守政治の延長でしかない。民間活力導入で規制緩和を叫びながら、実際に行われたのは派遣の自由化や格差の拡大、ブラック企業の甘やかしでしかありませんでした。
 
古くは中曽根行革による国鉄分割民営化。次いで小泉構造改革による郵政民営化。そしてアベノミクスによる規制緩和。橋下維新による大阪都構想。今まで何度も騙されたのに、また同じような手法で騙されるのか?それとも、その嘘を見破り、今度こそ騙されないようにするのか?私達は今まさに、その岐路に立たされています。
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競馬は外したが函館ラーメンは美味かったw

2024年07月17日 20時05分43秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

少しブログに書くのが遅くなってしまいましたが、先週末の函館競馬の結果を振り返ってみたいと思います。

まず7月13日土曜日の函館2歳ステークス。2歳馬最初の重賞レースで、新馬戦を圧勝した仕上がりの早い馬を狙うのが定石のレースです。でも私は、最終週の函館で、逃げ馬ばかり揃ったメンツでは、先行激化で前崩れになると予想。新馬戦を7馬身差で圧勝したサトノカルナバルも、他場(東京)デビューという事で、本命から対抗に評価を下げてしまいました。代わりに上がり最速33秒台の決め手で新馬戦を勝ったカルプスペルシュを本命にしました。しかし結果はサトノカルナバルの圧勝、2・3着も新馬戦圧勝の逃げ馬が入線。私は△△○の三連複タテ目で外してしまいました。
 

 
次に14日日曜日の函館記念。今年は例年以上に軸不在の混戦模様で、私は何度も予想を組み直しました。最終的に◎グランディアから三連複で流して正解でした。同馬はまだ3勝クラスの馬ですが、昨年このレース勝ち馬のローシャムパークとほぼ同じステップを歩んでいる事が分かり、そこから三連複フォーメーションで流す事に。でも、そこでも従来のジンクスに拘ってしまい、巴賞勝ちの2着馬ホウオウビスケッツをヒモ扱いしてしまいました。更に3キロ斤量減のアウスヴァールも実績見劣りで消してしまった。
 
巴賞は函館記念のステップレースで、2週間前に同じコースで開催されます。常識的に考えれば、このレースの勝ち馬が函館記念でも好走すると思われますが、巴賞の場合は逆に不利に働きます。函館記念はハンデ戦なので、下手にステップレースで勝ってしまうと他馬よりも重い斤量が課されるからです。だから、「巴賞組は逆に大敗した馬を狙え」と言われています。
 
しかし、馬に勢いがある時は、多少不利なジンクスがあっても、そんなもの跳ね返してしま場合があるのです。また、時には相反するジンクスの内容がぶつかり合う場合もあります。例えば今回も、函館開催の最終週であるにも関わらず、馬場の内側はそんなに荒れていませんでした。だから重い斤量を課された前走巴賞勝ちのホウオウビスケッツでも馬券に絡む事が出来ました。「先行馬有利」のジンクスが「巴賞好走馬は馬券に絡まない」という別のジンクスを圧倒してしまったのです。
 
そのくせ、その前走の巴賞を3着に好走した逃げ馬のアウスヴァールを、当初は斤量3キロ減という点に注目し、軸馬候補の1頭に入れながら、馬も騎手も格下という事で結局切ってしまいました。代わりに抑えとして単勝・複勝の応援馬券を買ったアケルナルスターも11着に沈んでしまいました。
 
 
函館は異国情緒あふれる街なので、競馬を抜きにしても、一度は訪れたいと思っていました。でも、大阪から函館までは、新幹線でも片道約6時間はかかります。飛行機も直行便がないので、成田や羽田で乗り換えていたら、同じぐらいかかってしまう。とても一泊二日の旅程では回りきれません。ましてや競馬を楽しむのは不可能です。そこで、先日、北海道物産展で買った函館塩ラーメンを昼食に食べながら、競馬予想する事にしました。競馬はどちらも外してしまいましたが、ラーメンは美味しかったです。
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健康で文化的な最低限度の調味料(追記あり)

2024年06月26日 07時58分15秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

昨夜はハンバーグとレタスの付け合わせにチキンライスを作りました。本当はオムライスにしたかったのですが以前作るのに失敗しているので諦めました。そのチキンライスも、目一杯ケチャップを掛けたにも関わらず、レストランで出て来るチキンライスよりは大分色が薄いです。一体どれ位ケチャップを掛けなければならないのでしょうか?

そして今夜の夕食はハンバーグ。鉄板焼ハンバーグが売り切れだったので滝沢ハムのマッシュルーム、デミグラスソース、チーズの3種類のハンバーグを1個ずつ買い、食べ比べる事にします。付け合わせに信州ハムの扇形ソーセージとミニトマト、レタス。レタスは冷蔵庫の製氷室の真下に保管。そうすれば氷の滴が当たって乾燥を防ぐ事が出来ます。
 
 
当初はシメジと絹さやもハンバーグの付け合わせに考えていたのですが、ハンバーグのソースが少ししかなかったので、味噌汁の具に使う事にしました。味噌汁とゆで卵もハンバーグを湯煎した後のお湯を使いました。味噌汁の中でゆで卵を茹でたので充分茹でる事が出来ました。
 
レタスに最初は胡麻ドレッシングを掛けるつもりでしたが、流石に2022年4月賞味期限のドレッシングは使う気になれず。これはもう廃棄する事にします。実は昆布ポン酢も2022年11月賞味期限なのですが、こちらは廃棄しようかどうか迷っています。同じ調味料でも、麺つゆや味噌は常時使用するので、賞味期限切れの物を使う羽目になる事はありませんが、胡麻ドレやポン酢は使い道が限られているので、一人暮らしだと、どうしても余ってしまいます。
 
焼飯に使う味覇も、以前はよく焼飯を作っていたのでよく使いましたが、今はもうほとんど作らないので、まだ開封前の分も今年9月に賞味期限が切れます。ワンルームの火力の弱いIHコンロでは、焼飯のつもりで作ってもピラフにしかならないので、もう焼飯食べたくなったら近くの王将で食べる事にします。
 
そこで、特に一人暮らしの人にお聞きします。もう調味料は最低限の種類しか買わないでおこうと思います。買っても余らせて賞味期限切れになるだけなので。とりあえずは、醤油、ソース、味噌、油、塩、砂糖、麺つゆ、鰹節、だしの素、コンソメスープは常時揃えようと思います。
 
但し、ケチャップについてはどうしようか思案中です。余り使わないのでもう買わないでおこうと思いましたが、昨日のチキンライスをきっかけにケチャップの味に目覚めましたw。それ以外に「これは絶対必要」という調味料があれば教えて下さい。お願いします。
 
(追記)
 
 
おはようございます。大誤算w。昨夜の投稿で、味噌汁の出汁でゆで卵を茹でた事を書きました。鍋に卵を入れて茹でるには、それ相当の水を鍋に入れなければなりません。その結果、数日食べ続けなければならない程の味噌汁が出来ちゃいましたw。
 
こんな事になるなら、横着せずに味噌汁は味噌汁、ゆで卵はゆで卵で、別々に作れば良かった。でも、コンロが一口しかないので、火を使う料理を複数同時には作れない。だから、調理の回数を減らす為には、こんな横着もせざるを得ない。
 
 
しかし、その結果がこれでは。急きょ本日の朝食をパンからご飯に切り替え、付け合わせのおかずを買いにコンビニに走りました。この時間はまだスーパーは開いていないので。買って来て食べた銀鮭の塩焼きは、コンビニで売っていた商品なので、味はまあこんな物でしょうが、たったこれだけの量で税抜378円もするのは何だかなあ。
 
朝から2杯味噌汁を飲んでも、まだ味噌汁がこれだけ残っています。もうこれ以上飲むのは無理です。仕方ないので、後は味噌汁をこのまま鍋に入れて、横のプラスチック製のまな板で蓋をして、今夜の夕食に回す事にします。夕食でも捌けるかどうか分からないけど。
 
味噌汁の具に入れたのは冷奴と乾燥薄揚げ、ブナシメジと絹さやです。常温で放置しても食中毒起こすような具ではないので、多分、大丈夫だとは思いますが。
 
本来なら今日の朝食で食べるはずだった買い置きのパンは、外出先に持って行って、公園のベンチかどっかで、缶コーヒーと一緒に昼食に食べる事にします。こちらも6月28日賞味期限なので、いつまでも置いておけないので。但し、本日はたまたま公休日で、まだ時間に余裕があったから、ご飯ものの朝食を用意する事が出来ましたが、明日以降も同じように出来るとは限りません。以上追記します。
 
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箱根登山鉄道あじさい電車の旅その7 ボッタクリ価格への対抗策

2024年06月20日 21時42分29秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
箱根にはまた行きたいです。でも超有名観光地だけあって、ホテル代も飲食代も超ボッタクリ価格です。カツ丼や親子丼でも1700円します。かけそば、かけうどんも1杯1100円。ホテル代も1泊2万円ならまだ安い方です。高いホテルになると10万円近くします。
 
私の場合は、直前まで天候が読めなかった事もあり、宿の予約も旅行当日の朝にようやく取れたので、宿と食事についてはもう諦めました。宿は小田原で前述のビジネスホテルに泊まり、食事も、旅行1日目の朝は前日夕食に食べたカレーの残り、その日の昼は当日朝に食べる予定だったパン、夕食は小田原駅構内の立ち食いそば屋さんで冷やかけそばとミニ天丼のセット(左上)。旅行2日目はホテルの前述のショボいバイキング朝食(右上)、昼は強羅で一番安かった900円のショボい餃子定食(左下)、夜は小田原駅のコンビニで買った駅弁(右下)。
 
でも、食事については、超ボッタクリ価格だったのは強羅周辺だけで、箱根町周辺では、私の近所の飲食店ともそう変わらない価格だった印象を持ちました。駆け足での旅行だったので、きちんと調べた訳ではありませんが。
 
強羅周辺でも、駅から川を渡って宮城野という地区まで来れば、普通の住宅街もありコンビニもあるようです。周辺にはそのコンビニしかなく、競争相手もいない為に、ネットのクチコミ情報の評判は余り宜しくはありませんでしたが。
 
それでもバカ高い飲食店と比べたらまだマシではないでしょうか。わざわざ箱根まで来てコンビニ食で済ますのも気が引けますが。何を目当てに旅行するかで、飲食店やホテルの価値基準も変わって来ます。
 
私は今回、鉄道旅行を主眼に置いたので、宿や食事については二の次、三の次でした。次はもう少しまともなホテルに泊まり、もう少しまともな店で食事をしようと思います。(箱根旅行記全7巻 完)
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箱根登山鉄道あじさい電車の旅その6 大涌谷の黒たまご

2024年06月20日 21時33分27秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
箱根旅行2日目のハイライトは何と言っても大涌谷です。まず箱根山の成り立ちから説明します。
 
箱根山は巨大なカルデラ火山で、40万年前は盛んに火山活動を行っていました。カルデラ火山とは、巨大火山の内側に更に小さな火山がある地形の事です。巨大火山の火口壁が外輪山、内側の小さな火山が中央火口丘です。芦ノ湖はその火山活動で川が堰き止められて出来た湖です。やがて火山活動が収まり、火口原に人が住み着き、箱根の町が出来ます。交通路も整備され、東海道や箱根の関所が置かれます。近代に入ってからは観光開発で登山鉄道も作られました。
 
 
 
しかし、今も火山活動が活発に行われて、硫黄ガスが噴煙を上げている場所があります。それが大涌谷です。ここも観光地で、谷の周囲にはロープウェイの駅や展望台、自然博物館(箱根ジオパーク)や土産物店が軒を連ねるようになりました。温泉場では卵が茹でられ、黒たまごとして4玉500円で販売されています。
 
でも一皮向けばここは危険と隣り合わせです。今も有毒な硫黄ガスが噴煙を立ち上げ、観光客は立ち入りを禁止されています。例外的に一部の見学路のみ制限付きで公開されていますが、見学には予約が必要で、ヘルメット着用が義務付けられています。見学路には、いざと言う時の為に、7ヶ所の避難シェルターも設置されています。
 
 
私はここにすっかり魅せられてしまいました。西日本にはこんな場所はありません。カルデラ火山なら九州にも阿蘇山がありますが、湖まであり、登山鉄道やケーブルカー、遊覧船まで楽しめるのはここだけです。大涌谷の黒たまごも温泉卵の一種です。硫黄ガスが卵の殻の鉄分と化学反応を起こし、硫化鉄となって殻が黒くなって出来ました。黒いのは殻だけで中身は普通の固茹で卵です。
 
でも、普通の温泉卵よりコクがあって美味しいです。「一つ食べると寿命が7年延びる」と言われています。私の作るゆで卵は、半熟だったり殻がきれいに剥けなかったりしますが、このゆで卵は完熟で殻も簡単にきれいに剥けるので重宝しています。
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箱根登山鉄道あじさい電車の旅その5 モハ1形と登山電車の成り立ち

2024年06月20日 20時44分08秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
強羅駅には箱根登山鉄道の旧型車両モハ1形の模型が展示されていました。高校生の作った模型ですが、前照灯のガラスの襞まで精巧に再現されていて、その見事な出来栄えに驚かされました。モハ1形は、それまでの木造車が1950年に鋼鉄製に作り替えられた車両です。ケーブルカー等を除けば日本最大の傾斜80パーミル(80/1000m)の勾配でも走行できるように、随所に色々な工夫が施されています。
 
まずブレーキですが、通常の車両にある電気ブレーキ、空気ブレーキ、手動ブレーキ以外に、レール圧着ブレーキも装着されています。いざと言う時には、特殊な石をレールに当て、その摩擦でブレーキをかけるのです。そして水タンク。電車の前方下部にはこれが設置され、カーブでは散水してレールの摩耗を防いでいます。他の鉄道では潤滑油を散布しますが、急勾配の登山鉄道では潤滑油では車輪が空転して危険なので、代わりに水を撒いているのです。
 
 
モハ1形は車両老朽化の為に2005年に廃車となり、改良型のモハ2形(左上写真)もわずか1編成を残すのみとなりました。代わりに、姉妹関係を結んでいるスイスのレーティッシュ登山鉄道の技術が使われたアレグロ号(右上写真)とベルニナ号が、観光客の輸送に大活躍しています。
 
箱根登山鉄道各駅の標高を次に書き出しておきます。小田原から強羅まで直線距離ではわずか約15kmしかありません。それだけ走る間で500m以上も上がるのですから、この鉄道がいかに険しい山中を走っているか、お分かりいただけると思います。
 
 
 箱根湯本108m
 塔ノ沢165m
 大平台349m
 宮ノ下448m
 小涌谷535m
 彫刻の森551m
 強羅553m
 
沿線のあじさいも、この高低差のおかげで、下から上まで開花前線が上がり切るまで、6月中旬から7月中旬まで約1ヶ月かかります。私が行った時は既に終点の強羅付近もだいぶ咲いていましたが、それでもやはり麓の方が咲き方が若干華やかでした。
 
 
箱根登山鉄道では、この急勾配を上がる為に、3ヶ所のスイッチバックが設けられています。スイッチバックで電車の向きを変えながら、ジグザグに山腹を上っていきます(前記の地図参照)。上の写真はそのスイッチバックの信号場です。駅ではないので乗客は乗り降り出来ません。でも小さなホームが設けられています。何故でしょうか?(実際に電車に乗ればすぐに分かります)
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