前回に続いて再び兵庫県の北条鉄道に乗って来ました。今回は前回の時に回れなかった沿線の加西アルプスのトレッキングコースを歩きました。「加西アルプス」と言うのは、北条鉄道の播磨下里駅近くに広がる山塊です。善坊山(標高251メートル)と笠松山(標高244メートル)の2つの山から成り立っています。どちらも標高250メートル前後の低山ですが、岩山なのでハイキングだけでなくトレッキングやロッククライミングの気分も味わえるという事で、最近訪れる人が増えています(最上段の地図参照)。
加西アルプスの最寄駅は播磨下里駅(左上写真)ですが、駅前には昼飯を食べる店もないので、一つ手前の法華口駅で降り、駅舎内のパン屋「モン・ファボリ」でランチセットを食べました(右上写真)。大阪では既に3月22日に桜の開花予想が出ていたので、お花見も楽しみにしていましたが、ここではまだつぼみの状態でした。
ランチの後、次の列車で最寄り駅の播磨下里駅に移動しました。そこから普通は北西方向に歩いて兵庫みらい農協近くの登山口から入るらしいのですが、私は地理不案内の為に、グーグルマップ片手に北東方向に向かい、最短距離と思われた善坊中学校横の登山口から入りました。実際にこちらの方が最短距離なのですが、傾斜が急なので登る人は余りいないそうです。駅の掲示板に貼っていたのは簡単な案内図だけでした。私が今ここまで書けるのも後で詳しい案内パンフレットを入手できたからです。同じパンフレットを駅にも置いてほしいと思います。
満開の桜こそ見れませんでしたが、登山口に向かう途中の、善坊中学校横の皿池の中の公園では、山桜が可憐な花を咲かせていました(下の写真2枚)。
やがて登山道に入り、古法華(ふるぼっけ)自然公園の駐車場の前にある入口の石碑を通り過ぎると、急な坂道になります。まるで”酷道”308号線(暗峠越奈良街道)と同じくらい急な坂道です。そこを上り詰め、吊り橋の下に来ると、善坊山から下りてきた登山道にぶつかります。普通は善坊山から向こうの大柳ダム湖畔のキャンプ場に向かう人たちが歩く登山道です。私はこの道をたどって、普通の登山者とは逆に善坊山に向かう事にしました。登りながら後ろを振り返ると、長(おさ)石の石切り場がくっきりと姿を現し始めました(上の写真2枚)。
ネットの解説では「ハイキングコース」とあったので、登山用の装備なぞ何もしてきませんでした。ところが実際は、岩場伝いに獣道同然の傾斜が急な「トレッキングコース」が続きました。場所によっては、よじ登る為の鎖が岩に打ち付けられていました。これでよく事故に遭わなかったものだと今でも感心します。その代わり、尾根道から見る景色は素晴らしいものでした。
やがて加西アルプス最高峰の善坊山山頂(標高251メートル)に到着です。頂上からは加西盆地や播磨平野、丹波の山々がくっきり見通せました。善坊山の山頂にはお城の跡があり、お城の構造や由来が書かれた掲示板が建てられていました(下の写真2枚)。それによると、このお城は赤松氏という守護大名の居城で、所領を横取りしようとする室町幕府や細川氏・山名氏などの守護大名を相手に、赤松氏一族がこのお城に立てこもって戦ったそうです。これが「嘉吉(かきつ)の乱」(1441年)で、一時は6代将軍足利義教(よしのり)の首を討ち取る所まで行きましたが、最後には赤松氏の敗北に終わりました。しかし、勝った幕府もこの乱を機に屋台骨が揺らぎ始め、応仁の乱(1467~1478年)を経て、日本は戦国時代に突入して行きます。
この後、善坊山から笠松山に向かいます。もと来た険しい尾根道をたどり、先ほど登ってきた登山道と分かれ(下の道標の写真)、吊り橋(右下の写真)を渡って笠松山の方に入ります。吊り橋のたもとには古法華寺(下2段目左の写真)と石彫アトリエ館(同右の写真)が建っていました。加西アルプスのパンフレットも石彫アトリエ館でもらいました。古法華寺には石仏が保管されているそうですが、予約が無ければ拝観できません。あいにく私は拝観できませんでした。その代わり、壁に掘られた摩崖仏を拝む事ができました。
「笠松山まで500メートル」と道標にあったので、「もう善坊山ほど険しい道のりではないだろう」と思っていましたが、どうしてどうして、善坊山に負けじと劣らないぐらい険しい道が続きました。ここにも鎖でよじ登らなければならない場所がありました。私は、滑り落ちないように慎重に歩き、ようやく笠松山の展望台(標高244メートル)にたどり着く事が出来ました(下の写真3枚、そのうちの一番左が摩崖仏)。
ところが、笠松山の展望台から帰る途中で、斜面で滑って尻もちを突いてしまいました。最初は、尻もちを突いただけで怪我もなかったので、そのまま歩いていましたが、歩いているうちに次第に腰が痛くなって来ました。それでも、どうしても桜が見たかったので、大柳ダム湖畔のキャンプ場入口まで歩いてみましたが、桜並木の桜は全てつぼみの状態でした。咲いているのは、ごくわずかに生えている山桜とこぶしの花だけです。その代わり、野花が一斉に咲き誇っていました。天気予報では、この後一週間は雨の日が続くという事だったので、せっかくこの日に狙いを定めて、コロナ感染を避けて余り人が行かないような所に桜を観に行こうと思っていたのに...(下の写真2枚)。
その後、再び播磨下里駅から北条鉄道に乗って帰りました。播磨下里駅構内の石庭・花壇でも花が咲き誇っていました(左下の写真)。そして向かい側にもホームの跡がありました(右下の写真)。北条鉄道は旧国鉄時代こそ途中駅に行き違い設備がありましたが、赤字で廃止論議が浮上したのを機に、行き違いの線路は全て撤去されてしまいました。第三セクターになった今は、行き違いなしの機(はた)織り運行でやりくりしています。
しかし、「それでは通学ラッシュアワー時のダイヤ増発もままならない」という事で、今、法華口駅で行き違い用の新たなホームを建設中です。しかし、別にわざわざそんな新しいホームを作らなくても、昔のホーム跡がまだ残っているのだから、線路さえ付け替えればそれで済むのに、何故わざわざ真新しいホームを一から作り直そうとするのか?一度、北条鉄道に問い合わせてみようと思います。
最後に、私の腰痛ですが、帰ったら既に整骨院の診療も終了していたので、その日は銭湯で身体を温め冷湿布でしのいで、どうにか歩ける所まで回復しました。お陰で、翌日も仕事を休まずに済みました。ところが、今の私は、整骨院での保険診療が認められていません。今までは慢性腰痛という事で、実費診療を余儀なくされていました。ところが、今回は慢性ではなく急性疾患(打撲)で、腰痛の原因もはっきりしています。そこで、今回については再び保険で診療してもらおうと思っています。実際には一旦、整骨院に治療費全額を払った上で、療養費支給申請書を健保組合に送り、後で差額を返金してもらう形になりますが...。これでは何の為の社会保険か分かりません。誰も好きで腰痛になった訳ではありません。整骨院の治療費ぐらい、いつでも保険で受けられるようにしてもらいたいです。
森友学園への国有地払下げで、文書改ざんを命じられた末に自殺に追いやられた財務省職員、赤木俊夫さんの手記が「週刊文春」に掲載されました。その手記には当時、理財局長だった佐川宣寿が改ざんの首謀者だった事が克明に記されています。新たな証拠が出てきた今、赤木さんの無念を晴らす為にも、国会で「文書は破棄した」と嘘の答弁を繰り返した佐川宣寿の国会再喚問を改めて要求します。
下記がその再喚問を要求するネット署名です。安倍首相や麻生財務相は、赤木さんの遺族に対して「お悔やみ申し上げます」とは言うものの、「再調査の必要はない」と繰り返すばかり。これには遺族も「本当に悔やむ気持ちがあるなら再調査に応じるはず。そもそも、この2人は改ざんのきっかけになる発言をしたり、私が断ったと嘘をついて墓参りにも来なかった。2人自身も再調査される立場なのに、そんな事言う資格があるのか?」と大変憤っています。是非、署名にご協力をお願いします。
発信者:「森友学園問題」を考える会 宛先:衆院議長、参院議長
森友問題は終わってなどいません。なぜ国有地がタダ同然で叩き売られたのか? 「石橋を叩いても渡らない」ほどに慎重でお堅い財務官僚が、本当に「忖度」だけで公文書改ざんというとんでもない不祥事をやらかしたのか? 政治家の指示はなかったのか?・・・等々、肝心の部分は依然として闇の中です。
今年8月9日、大阪地検特捜部は、刑事告発を受けていた財務官僚全員を不起訴としました。特捜部は昨年3月にいったん不起訴としたのですが、財務省理財局長(当時)でその後、国税庁長官となった佐川宣寿氏らについて、検察審査会が「不起訴不当」と議決したため、再捜査していたものです。改めて不起訴としたことで、不起訴が確定しました。
昨年3月、佐川氏は国会へ呼び出され証人喚問を受けましたが、公文書変造や公用文書毀棄で刑事告発を受けていたため、「刑事訴追の恐れがある」としてほとんど何も答えませんでした。
不起訴が確定し、佐川氏が刑事訴追される恐れはなくなりました。国会は、改めて佐川氏を証人喚問すべきです。
ウソの答弁をし、改ざんされた文書が提出された、つまりは、国会が軽視され、愚弄されたのです。与党・野党を問わず、政党・会派の違いを超えて、全ての国会議員は、公文書改ざん・公文書破棄・虚偽答弁について、真相を徹底究明すべきです。
真相究明に必要不可欠である佐川氏の国会証人喚問を、速やかに行ってください。
(参考記事)
近財職員の妻、佐川氏と国を提訴 森友事件巡る自殺
2020年3月19日 大阪日日新聞
学校法人「森友学園」に国有地が不当に値引きされた「森友事件」で、公文書の改ざんを迫られ命を絶った財務省近畿財務局の男性職員の妻が、改ざんを指示したと名指しされた佐川宣寿元財務省理財局長と国を相手に18日、総額約1億1千万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。(3月19日1、2、22、23面に関連記事)
提訴したのは、近畿財務局管財部の上席国有財産管理官だった赤木俊夫氏=当時(54)=の妻。訴状などによると、赤木氏は2017年2~3月、森友事件が発覚し国会で厳しく追及されていたさなか、国有地の取引について記した公文書を改ざんするよう繰り返し職場で迫られ、抵抗しても財務省幹部らに押し切られて何回も改ざんをさせられた。
これが精神的な負担となり、同年7月にうつ病と診断され休職した後も、現場の自分に責任が押しつけられるのではないかと恐れて病状が悪化し、18年3月に命を絶った。
これについて訴えでは、国だけでなく佐川氏も違法な改ざんを指示した責任がある上、死後に妻が弔問を求めても誠実に回答しなかったとしている。
提訴後に記者会見した弁護士は、冒頭で妻のコメントを読み上げた。
「夫が死を選ぶ原因となった改ざんは誰が何のためにやったのか、改ざんをする原因となった土地の売り払いはどうやって行われたか、真実を知りたいです」「そのためには、まずは佐川さんが話さなければならないと思います」
また、弁護士は「国と佐川氏は誠実に対応し、真相を明らかにする責務がある」と指摘した上で、赤木氏が残した「手記」と題された遺書で名前が上がっている佐川氏をはじめ、佐川氏の後任の理財局長だった太田充主計局長、近畿財務局長だった美並義人東京国税局長など、名指しされたすべての財務官僚らを証人として申請する考えを明らかにした。
今や新型コロナ感染症の影響でどこもかしこも自粛ムード一色ですが、せっかくの休日なのに、いつまでも家に閉じこもってばかりではストレスが溜まります。いつも休める身分ではないので、せめて休日ぐらいは自由に過ごしたいです。安倍首相も先週土曜日の記者会見でこう言っていました。「密閉空間の人混みや至近距離での会話・発声を避けよ」と。だったら、広々とした自然の中で、人もあまり行かないようなマイナーな観光地に、自分一人だけ行くのも良いかも知れません。むしろ、そちらのほうが、密閉された賃貸マンションの中で閉じこもっているよりも、よっぽど新型コロナ感染症の予防になると思います。
そういう事で、先日の休みに、兵庫県の北条鉄道に乗って来ました。北条鉄道は、JR加古川線・神戸電鉄粟生(あお)線の乗換駅である粟生駅と、北条町(ほうじょうまち)駅の間を結ぶ第三セクター鉄道です。国鉄北条線が、1985年の国鉄分割民営化を機に、赤字を理由にJRから分離され、第三セクターとして再出発しました。全長13.6キロの区間に全部で8つの駅があります(上記写真)。沿線には有名な観光地もありません。しかし、ユニークなサービスで、最近乗る人が次第に増えてきたと聞き、私も乗ってみる事にしました。
出発駅の粟生にはJRでも神戸電鉄でも行く事が出来ます。私は、時間は多少かかるが運賃が安い神戸電鉄経由で行きました。約2時間弱で粟生に着きました。着いたら北条鉄道の気動車が既に粟生駅の3番線ホームに止まっていました。北条鉄道はほぼ1時間に1本のダイヤなので、沿線を効率よく回ろうと思えば、どうしてもレンタサイクルを利用しなければなりません。レンタサイクルとセットの1日フリー切符は北条町駅でしか買えないので、まずは終点の北条町に向かいます。
左:北条町駅で借りた折り畳み式レンタサイクル。右:北条鉄道1日フリー切符。
北条鉄道の気動車は全てフラワー2000型という形式です。全部で3両あります。通常は1両のみで走っていますが、朝夕の通学ラッシュアワーの時間帯のみ2両編成となります。もう後の1両は予備車で、ずっと北条町駅のホーム裏側にある検修庫の中で待機しています。私が乗ったのは10時9分粟生発の北条町行き列車で、車内には20名弱の乗客がいました。平日のオフタイムの割には結構人が乗っているように感じました。但し、そのうちの数名は、明らかに鉄道ファンと分かる人たちでした。鉄道ファンの人たちは、車内でも盛んに写真を撮ったり鉄道の本を読んだりしているので、すぐに見分けが付きます。
北条町駅で折り畳み式のレンタサイクルを借り、今乗ってきた列車で途中の法華口(ほっけぐち)駅まで戻ります。折り畳み式なら車内にも持ち込めます。北条鉄道の駅の中でも、法華口・播磨下里・長(おさ)の3つの駅は、昔からの駅舎がそのまま残っており、国の有形文化財に登録されています。駅や沿線の見所も多いので、北条鉄道に乗りに来た鉄道ファンのほとんどが、この区間で乗り降りします。私の他にもう一人、兵庫県の三木市から来られた方も、同じようにレンタサイクルを借りて、法華口で下車しました。この後、長駅の先まで、この方と行動を共にする事になります。
左:法華口駅の三重塔。右:駅舎内のパン屋「モン・ファボリ」。
法華口駅は法華山一乗寺というお寺の参拝駅として開設されました。今もお寺の三重塔の模型が駅舎の横に建っています。戦時中には近くの鶉野(うずらの)という所に軍の飛行場や訓練基地が作られ、紫電改(零戦改良機)の搭乗訓練や特攻の為の訓練が行われるようになりました。駅の周辺には今も当時の戦争遺跡があちこちに残っています。最近は、駅の中に「モン・ファボリ」というパン屋もオープンし、焼き立てのパンが食べられるようになりました。私たち二人も、そこで昼食のパンを買って食べました。
左:掩体壕の入口。右:掩体壕の全景。
昼食のパンを食べた後は、レンタサイクルで鶉野飛行場跡まで行き、紫電改の展示や掩体壕(えんたいごう=半地下の防空壕)、高射砲陣地の跡などを見学しました。紫電改の資料館は新型コロナ感染症の影響で休館していました。紫電改の写真も外のガラス越しからしか撮影出来ませんでした。しかし、近くのため池の横で、紫電改の実物大の展示を見る事が出来ました。お年寄りの方が数人、展示のペンキ塗りをやっておられて、その方たちから戦争の体験談を伺う事が出来ました。その方たちは、紫電改の資料館で時折ボランティアで解説もされているとの事でした。その方の話によると、終戦間際にようやく零戦の改良にこぎつけた紫電改も、米軍機の改良スピードの方がはるかに早くて、「同じ負けるにしても零戦よりは多少マシ」程度の戦果しか挙げる事が出来なかったようです。「我々の仲間が大勢、特攻で亡くなっているのに、特攻作戦を指揮した司令官たちは戦後も生き永らえ、アメリカに尻尾を振りながら、再び戦前賛美を始めている。わしらの犠牲は一体何だったのか?」と憤っていたのが、大変印象に残りました。
左:閉館中の資料館の外からガラス越しに写した紫電改。右:ため池の横で復元中の紫電改の模型。
レンタサイクルは最後に北条町駅のサービスステーションに返却しなければなりません。そこで私たち二人は、再び法華口駅まで戻り、播磨下里・長(おさ)・播磨横田と、北条町駅の方に向かって走る事にしました。法華口から長にかけて、沿線の西の方には加西アルプスの峰々が連なっています。加西アルプスは善坊山と笠松山という2つの山で成り立っています。どちらも標高200メートル台の低山ですが、非常に険しいので「アルプス」の名が付けられるようになりました。頂上付近には山城の跡があり、吊り橋もかかっていて、古法華自然公園として整備されています。播磨下里はその登山口として賑わった駅で、駅の中には石庭が作られています。次の長駅も、昔は加西アルプスの採石場で掘られた長石の出荷駅として賑わいました。駅の中には長石の彫刻が置かれています。
左:長石採石場跡の遠景。右:長駅で展示されていた長石の彫刻。
長駅と播磨横田駅の間に菜の花畑があり、既に花が咲き誇っているというので、二人でレンタサイクルを漕いで観に行きました。まだ満開には日がありましたが、久しぶりに春の気分を味わう事が出来ました。この後、三木市から来られた方は、まだ回りたい所があるという事で、長駅の方に戻って行かれました。私は、大阪まで戻らなければならないので、北条町駅の方に漕いで行きました。ほどなくして播磨横田駅に着きました。この駅には駅の用地を寄付した地元の方の作品を集めたギャラリーが併設されていました。あいにくギャラリーは閉館中で、作品を堪能する事は出来ませんでしたが、ガラス越しに中をのぞく事は出来ました。駅にはステーションマスターの名前が掲示されていました。
左:長駅の駅名標。右:長駅など3駅に掲げられていた登録有形文化財の銘板。
「ステーションマスター」というのは、各駅に配置されたボランティア駅長の事です。北条鉄道の駅は、本社や車庫のある北条町駅以外は全て無人駅です。無人駅のままでは荒れ放題になるので、ボランティア駅長を各駅に配置しているのです。ボランティアとして北条鉄道に登録すれば、名誉駅長として、自分の創意工夫で、いくらでも駅を盛り上げる事が出来ます。播磨下里駅のボランティア駅長は大阪の梅田にある太融寺のお坊さんです。そのお坊さんが、時々駅にきて、「下里庵」と銘打って説法を行うのです。長駅では日曜日にステーションマスターが婚活紹介所を開設するようになりました。
「ボランティアと言えば聞こえがよいが、本来なら給料払って雇わなければならない駅長の仕事を、無償でやらしているだけではないか」と、私は最初、この制度に対して余り良い印象を持っていませんでした。ところが実際は、駅の清掃もやりたくなければやらなくても良いのだそうです。仕事や規則で縛るのではなく、あくまでも本人の自由意思で、好きな時に来て駅を盛り上げてくれさえすれば良いのだそうです。例えば、私がこうやって北条鉄道の駅の紹介記事を書くだけでも、ステーションマスターとしての任務をこなしている事になります。その程度なら、別にそんなに苦痛にはなりません。そんな応援の仕方もあるのかと、妙に感心しました。
北条鉄道には「ステーションマスター」以外にも、様々な関わり方があります。例えば「枕木応援団」などです。会社に申し出て、1口4500円の出資金を振り込めば、1本の枕木に3年間自分の名前が書かれたプレートを取り付ける事が出来ます(上記写真)。出資金は枕木の交換費用に充てられます。2口なら2本の枕木に取り付ける事が出来ます。「枕木応援団」に登録すれば、枕木に取り付けられた自分のプレートの写真と一緒に、1日分のフリー乗車券が送られてきます。
北条鉄道の沿線には有名な観光地はありません。あってもせいぜい、お寺と戦争遺跡、山城のハイキングコースぐらいです。でも、いろんな関わり方で、鉄道を盛り上げ、自分もその活動に参加する事が出来る。鉄道ファンとして、これ以上の喜びはありません。だからこそ、一時は年間5千万円台にまで落ち込んだ運賃収入が、今や8千万円台と、80年代に第三セクターとしてスタートした頃と同じ水準にまで回復する事が出来たのです。しかし、その一方で、現実は厳しいものがあります。売上こそ8千万円台ですが、営業損益は4千万円台の大赤字なのです。加西市の中心市街地である北条町に鉄道で来るには、北条鉄道を利用するしかありません。だから、加西市も、北条町駅の駅前広場を整備して、商業施設や市立図書館を駅前に誘致したのです。
左:北条町駅の枕木応援団登録者名簿。右:北条町駅前の商業施設「アスティアかさい」。
でも、中国自動車道を車で走れば大阪・吹田ジャンクションから約1時間で加西インターにたどり着く事が出来ます。鉄道と自動車では、自動車の方がはるかに便利なのです。でも、世の中は自動車に乗れる人ばかりではありません。自動車に乗れない交通弱者も決して少なくはありません。これは通学の高校生や高齢者だけに限った話ではありません。低賃金の非正規雇用労働者にとっても、今は自動車は高嶺の花です。しかし、そういう人にも居住の自由や移動の自由はあります。そのような交通弱者の基本的人権を保障する為にも、北条鉄道のような頑張っている第三セクターには、国ももっと補助金を交付すべきではないでしょうか。それが国の本来の仕事であるはずです。ボランティアで出来る事には限界があるのですから。いつまでもボランティアだけに頼っていてはいけないと思います。
水光熱費込みで家賃4万5千円の3畳ホテル暮らしから、光熱費別でも一応風呂、トイレ付き家賃2万6千円余の5畳ワンルームに引越して早1か月が過ぎました(参照記事)。そこで、引越す前と後で、どれだけ固定費を圧縮できたのか検証してみました。
まず引越す準備をする前の昨年12月で見ると、主な物だけでも、これだけ支出がありました。
家賃4.5万、食費3万、医療費2万、交通費(PiTaPa)1.2万、携帯・ネット代1.3万、個人年金保険料(生保2社)1.7万円、実家の固定資産税1.4万(年4回支払い)、社員食堂食券代0.8万。合計15万9千円。手取りの月収が16万円余なので、いつも家計は赤字で、預金を取り崩していました。
その中で、当時住んでいた西成・あいりん地区のホテルの近くで、賃料1万9千円の事故物件が売りに出されている事を偶然知りました。賃料以外の共益費や水道代まで含めても2万6千余です。事故物件と言っても自殺や他殺ではなく自然死です。エレベーターのないビルの5階部屋ですが、最上階の角部屋で、キッチンも冷蔵庫もユニットバスもエアコンも付いています。但し、エアコンについては、冷暖房完備ではなく冷房専用のウインドファンでしたが。ホテルや駅からも近いので簡単に引越しが出来ます。それまでより安い家賃で、より充実した設備の物件に移り住む事が出来るのですから、私にとっては願ったりかなったりです。即決で引越す事にしました。
引越は2月1日にしました。それまで住んでいたホテルの家賃は、最後の1週間だけ1万3千円の週払いにしてもらいました。引越しは職場の同僚に手伝ってもらいました。引越し先の家賃は最初の月だけタダで、2か月目の家賃から前払いで払わなければなりません。それ以外にも初期費用が要ります。住宅保険料や賃貸保証料、鍵交換代、仲介手数料合わせて8万3千円余の初期費用を1月中に賃貸業者に払いました。
引越してからも最低限の家具や家電を買いそろえなければなりません。特に私は、それまでホテル住まいだったので、それらを全て1から買いそろえなければなりませんでした。寝具セットやテレビ、ストーブ、電子レンジ、カーペットなど含めて3万3千円ほど使いました。
最後のホテル家賃1万3千円+初期費用8万3千円+家具・家電類3万3千円の合計12万9千円。実際は端数も含めて13万円もの臨時の出費が加わり、2月の家計は8万7千円もの大赤字となりました。
勿論、この大赤字は引越しに伴う設備投資なので、もとより覚悟の上です。問題は2月以降に、どれだけ家計の支出を圧縮できるかです。当初の予測では、3月以降の固定費は家賃、公共料金(光熱費、通信費)、交通費の支払いだけとなるので、ひょっとしたら家計の黒字化も夢ではないと、いささか楽観的な予測を立てていました。
ところが実際は、1万2千円ほどの赤字で終わってしまいました。最後の最後に油断したようです。しかし、赤字と言っても、それまでの大赤字と比べたら雲泥の差です。1日当たりに直せば、もう後わずか300円ぐらいの節約で済みます。そこで一計を案じました。
まず、主な買い物先をイズミヤから業務スーパーに変更しました。イズミヤは他のスーパーと比べても、物の値段が高いですから。他のスーパーでは100円ぐらいで売っている惣菜のパックも、イズミヤでは200円前後します。2個買えば惣菜のパックだけでもう400円です。それにお米やみそ汁、お茶まで買えば、1食だけでも500円以上します。それでは外食とそう変わりません。
勿論、高くても美味しかったら文句はありません。朝食用のパンぐらいは美味しいものを食べたいです。安くてもまずいパンを買うぐらいなら、少々高くても美味しいパンを買いたい。「安かろう悪かろう」では何もならない。だから、あいりん地区のスーパー玉出では絶対に買わず、今までイズミヤを利用してきました。
しかし、多少なりともこだわりのある朝食用のパンならいざ知らず、どこで買っても大差ない惣菜のパックなら、安いに越したことはありません。たとえ100円、200円の違いでも、毎日続けばそれなりの金額になります。そこで、仕事帰りや休みの日に、少し遠いですが、業務スーパーで惣菜やパンを買う事にしました。鯖缶が87円、アンパンが58円と、非常に安いですから(イズミヤでは両方とも98円)。
但し、業務スーパーはイズミヤよりも遠くにあるので、買い物の手間もバカになりません。知らず知らずのうちに、計画的に献立を考えて買い物をするようになりました。せっかく、まとめて買っても、腐らせてしまっては何もなりませんから。1週間の献立表をマグネットボードに書いて冷蔵庫に貼り付けるようにしました。
そして、それまではスーパーで買っていたパック米も、宅配で1か月分をまとめて買うようにしました。その宅配業者は、私が休みの日・水曜日は配達も休みなので、休みの前々日までに注文して、前日の夜に家で受け取る事にしました。マルエーと言う業者の宅配米ですが、値段が安くて味も良く重宝しています。宅配米の容器も、食べた後はお皿として使えるので助かっています。
気が付いたら、ほとんど外食しなくなっていました。外食だけでなく、弁当もほとんど買わなくなっていました。この調子では、4月こそ本当に家計の黒字化を達成できるかも知れません。但し、ただ節約するだけでは、唯のドケチで終わってしまいます。唯のドケチ、欲ボケで終わるだけの人生では余りにも詰まらないです。生活の質の向上が伴わなければ意味がありません。
単なるドケチではなく、清貧を愛するミニマリストとしての生き方こそ、私の理想です。強欲でも貧乏でもない、本当の意味での「健康で文化的な最低限度の生活」。少なくとも、「長い物に巻かれろ」で出世や保身に憂き身をやつすだけの社畜や毒親、自分たちさえ儲かれば「後は野となれ山となれ」のカジノ推進・拝金資本主義者、国民には偉そうに道徳や愛国心を説きながら、己は国政私物化で私腹を肥やすだけの安倍や、欲ボケで顔もひん曲がってしまった麻生のような人間にだけは、私は絶対になりたくない。
新型コロナウイルス感染症による休業補償を、政府は被雇用者だけを対象に、時給千円程度の金額でお茶を濁そうとしていますが言語道断です。小規模事業者も含めた全ての人に、融資(借金)なんかではなく給付の形で、生活できる金額の所得補償を求めます。その緊急署名が回って来たので私も署名しました。皆さんも是非、以下の緊急署名にご賛同を宜しくお願いします。
#新型コロナウイルス の影響を受けるすべての働く人が所得補償を受け取るための緊急署名
発信者:わたしの仕事8時間プロジェクト
宛先:安倍首相、加藤厚労相
新型コロナウイルスが広がりをみせる中で、私たちの生活に大きな影響が出てきています。政府は学校を休校にし、その影響で休みを取らざるを得なくなった人への所得補償として、その人が勤務する企業に対し1日当たり8330円を上限とした助成金を拠出することを打ち出しました。また、その他の休業手当支給に対する助成として雇用調整助成金の要件を緩和しています。しかし残念ながら、これらは十分な対策とはいえません。問題点を3つあげます(3月5日現在)。
問題点① 事業主が、これらの制度に適合した有給の休暇取得や休業を認めて行政に申請しなければ、所得補償が給付されない。制度を活用しない事業主のもとで働く労働者には、補償が届かないことに。
問題点② いずれの制度も、フリーランス・自営業で働く人たちは対象外(政府の対策は返済義務のある融資のみ)。また、雇用調整助成金は、「緊急事態宣言」を出した自治体(3月5日時点では北海道)以外は、雇用保険に未加入の週20時間未満の短時間労働者を対象外としている。
問題点③ 休校対策の1日8330円も、雇用調整助成金の2/3(※中小企業対象の原則)の助成も、十分な補償とはいえない。
そこで、これらの問題点を解消すべく、以下を政府に求めます。
①について。いずれも事業主が行政に申告しなければ、労働者に補償が届きません。そこで、該当する休暇を希望する労働者がいる場合、もしくは休業を行なった場合、使用者は必ず休業手当を支給し、手続きをとることを義務づける必要があります。
②について。政府は今回、臨時休校に伴う助成金と、緊急事態宣言下の地域での雇用調整助成金については、雇用保険の対象外の労働者も対象とし、そこに一般会計を使う判断をしています。しかし、休業による収入途絶の苦しみは、上記の要件から外れた短時間雇用労働者や自営業・フリーランスの人たちも同じです。全ての労働者、自営業・フリーランスも対象とした所得補償制度とすべきです。
※休校対応の所得補償の方法については、事業主(使用者)経由では届かない人もいるので、雇用調整助成金の仕組みを援用したやり方だけでなく、個人給付型方式も検討してください。
③について。政府の休校対策の補償額では1日8時間労働として計算すると、時給にして1041円となります。これでは東京都の最低賃金と大差なく、とても足りません。雇用調整助成金も2/3の助成※では特に賃金の少ない人の場合、とても生活の維持には足りません。最低生計費試算調査によると、日本全国どこでも普通に暮らしていくためには、時給1500円以上必要という調査結果がでています。
これに基づき、8時間×1500円=12000円以上の最低所得補償を求めます。
ごく簡単にまとめると、『義務化』『自営業・フリーランスにも補償』『増額』の3点です。これらに賛成の方は、この署名へのサインと拡散をお願い致します。
政府の対応策は未だ流動的であり、世論動向を見極めている状態です。この署名をひろげ、すべての働く人の所得補償を実現しましょう!
※3月2日発表の「新型コロナウイルス感染症にかかる雇用調整助成金の特例措置の拡大」によれば、緊急事態宣言を発出している地域については、①助成率を引き上げて、中小企業は2/3を4/5に、大企業は1/2を2/3としています。
そのほかにも、②売上等の減少を証明する書類の省略、③保険適用外や被保険者期間要件(6か月以上)を満たさない雇用者への適用、④対象期間を3月でなく5月まで拡大(1月24日~5月31日まで)するといった要件緩和をしています。
毎日体温をチェックしなければならなくなった。そこで「自宅には体温計なぞ無い」と言ったら事務所で測らせてもらえたが、安物の体温計で測定に時間がかかり、しかも使い回しで使用後に一々消毒しなければならない。仕方なく自腹で体温計買う事にした。
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
一 新型インフルエンザ等 感染症法第六条第七項に規定する新型インフルエンザ等感染症及び同条第九項に規定する新感染症(全国的かつ急速なまん延のおそれのあるものに限る。)をいう。(以上、引用終わり)