アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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野党の本気度が問われている

2021年03月31日 13時45分00秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権

「遺産食いつぶした」 照屋氏が福島氏を面罵 社民

先日、古くからのブログ読者でもある友人が、大阪出張の帰りに私を訪ねて来ました。その友人とは新世界で酒を飲み、久しぶりに旧交を温め合いました。

その友人は、地元の名古屋で、社民党に入り活動をしながら、同時に立憲パートナーズとしても活躍されている方です。立憲パートナーズというのは、立憲民主党の協力党員の事です。社民党のような正式な党員ではないが、ある程度の党費を払い、後援会員的な役割を果たしている。そういう党員の事です。正式な党員ではないので、他党の党員でも協力党員にはなれます。

その方から野党共闘の舞台裏についても色々聞く事が出来ました。しかし、その話の内容は、共闘の行く末に暗雲を投げかけるものでした。

その方は、まず社民党が昨年11月14日の全国大会で、分党を決議した時の経緯について話されました。社民党はこの大会で、立憲民主党に合流するメンバーと、党に残留するメンバーで、党を分かつ事を正式に決めました。事実上の党分裂ですが、あくまでも「円満離婚」の形にする為に、このような手続きを踏んだのです。

ところが実際は「円満離婚」とは程遠いものでした。それは沖縄2区選出の照屋寛徳衆院議員が、福島瑞穂・党首に対して「この20年で党の遺産を食いつぶした」と、大会で痛烈に批判した事からもしのばれます。(上記動画参照)

しかし、そうして福島党首を痛烈に批判したはずの照屋議員は、なぜか引き続き社民党に残留する道を選びました。普通に考えれば、党大会で面と向かって党首を罵倒したのですから、てっきり立憲に合流するものと思われていたのに。

でも、その友人が言うには、照屋氏の残留は沖縄の選挙区事情によるものだそうです。沖縄ではまだまだ社民党の力が強く、照屋氏の後援会長も照屋氏の残留を強く望んだので、照屋氏は立憲に合流したくても出来なかったのだそうです。

友人に言わせれば、照屋氏の例なぞ、まだ可愛いものだそうです。友人が活動する社民党の愛知県連では、もっと驚くべき事が起こっていました。

その話によると、社民党愛知県連の代表を務めていた山 登志浩(やまとしひろ)という方が、県連の了承も得ず、勝手に県連代表の職を辞任し、同時に愛知県江南市の市議会議員も辞めて、それまで縁もゆかりもなかった富山1区の衆院選挙区予定候補に鞍替えしてしまったのです。

社民党は、中央組織も各都道府県連合の連合体にしか過ぎず、実際に候補者を選ぶのは地方の県連組織なので、このような事がまかり通ってしまうのです。これにはさすがに愛知県連も頭に来て、山代表を除名してしまったそうです。

なぜ、山代表が勝手に愛知県連の職を辞し、それまで縁もゆかりも無かった富山の衆院選挙区候補に鞍替えしたのか?その理由は今もはっきり分かりません。

富山は愛知に比べ、まだ社民党の力が強いからか?それとも、富山1区は県都の富山市が票田で、同市では政務活動費の不正流用疑惑で市議が大量辞職した事件もあったので、その政治的混乱の隙を突いて立候補に及んだのかも知れません。いずれにしても、憶測の域を出ません。

思えば、社民党が分党に至る経過も、よく分からないものでした。①社民党のままでは当選はおぼつかないので、立憲に合流する事は認める。②その一方で、党に残留して引き続き活動したい党員も少なくないのて、党自体は解散しない。③その上、立憲合流組と党残留組を繋ぐ社民フォーラム(社会民主主義フォーラム)という組織を立ち上げ、立憲合流組もその組織に属しながら立憲民主党の党員として行動する。こんな事まで昨年11月の党全国大会で決議してしまったのです。

そんな社民フォーラムなぞという分派組織を作るぐらいなら、社民党の中で頑張って活動すれば良いのに。また、社民党から立憲に移る以上は、分派組織を立ち上げたりせずに、あくまで立憲民主党の党員として活動すべきでしょう。分派なんて党内の派閥争いにしか過ぎず、有権者や支持者にとっては「はた迷惑」以外の何物でもないのですから。

外野の私なぞは、そう思うのですが。第一、そんな分派組織の存在を立憲民主党が認めるはずがない。「立憲に宗旨替えする以上は、立憲に忠誠を仕え。それが嫌なら社民党に留まれ」と。それが常識的な考え方だと思うのですが。

ところが、立憲はそんな分派活動すら黙認するようなのです。なぜなら、立憲民主党は、議員数こそ野党第一党ですが、まだ出来て間もない党なので、地方組織は無いに等しいからです。それなら、まだ小さいとは言え地方に党組織もある社民党の党員が加入してくれた方が、地方組織をそのまま引き継げるから良いのだそうです。

この立憲の裏事情は、社民党との関係だけに止まりません。右派の国民民主党や希望の党との関係でも、似たような事が起こっています。その典型的な例が松原仁・衆院議員の合流劇です。

松原仁議員と言えば、民主党・民進党時代から、憲法改正に積極的で、保守色の強い政治主張を掲げて来た人でした。今でこそ格差是正にも言及するようになりましたが、昔は拉致問題だけしか言わないような人でした。そんな、立憲よりもむしろ自民党や維新の会にいた方がお似合いの政治家が、なぜ希望の党から立憲民主党に移籍したのか?おそらく、他の国民民主党や希望の党の議員とは違い、労働組合に強い基盤を持たない為に、寄らば大樹の陰と、立憲にすり寄って来たのでしょう。

国民民主党を支持する労働組合も、実際は大企業正社員が中心の御用組合が大半です。原発推進の東京電力の組合を筆頭に。私の勤める大手スーパー物流センターにも、スーパー従業員の組合がありますが、春闘も会社言いなりの一発回答で終わりでした。その組合が加盟する上部団体(UIゼンセン)も、パートが低賃金に怒って労働組合を立ち上げたら、労働者よりも先回りして、会社に御用組合結成をけしかけるような所です。

そんな御用組合が大半なので、とても労働者の代表とは思えない国民民主党ですが、組合費はしこたま貯め込んでいます。だから立憲は国民にも頭が上がらないのです。

そう考えると、これらの議員達は、社民主義だの立憲主義だの、右だの左だの言った所で、思想信条や主義主張は二の次、三の次で、所詮は自分達の保身しか考えていないじゃないかと、思わざるを得ません。

これでは自民党、公明党や維新の会とも何ら変わらない。こんな体たらくで、自民・公明や維新の不祥事を追及できる訳がない。だから、幾ら自民党がデタラメな政治をしても、「野党も似たり寄ったりじゃないか」という事で、最後には数に勝る与党が選挙に勝ってしまうのです。

私は、それで良いとは絶対に思いません。たとえ不甲斐ない野党であっても、こんなデタラメし放題の与党や維新と比べたら、まだ数倍もマシです。野党共闘にも是非頑張ってもらいたいと思っています。でも、こんな体たらくでは、野党はいつまで経ってもアベ政治やスガ政治に終止符を打つ事は出来ないでしょう。

野党に今求められているのは、政権担当能力でもなければ、組織力でもありません。本当に親身になって庶民に寄り添い、庶民の命と暮らしを守ってくれるのか?その気構えを示せるかどうか?今年中に予定されている総選挙で、与党を過半数割れに追い込む事が出来るかどうかも、ひとえにその一点にかかっています。

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コロナ禍2年目のお花見

2021年03月27日 15時59分08秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

今日は公休日で桜が見頃を迎えていたので、また近くの天王寺公園にお花見に行って来ました。但し、緊急事態宣言が解除されたとは言え、まだまだコロナが猛威を振るっていますので、短時間で密を避けながらのお花見となりましたが。

まずは、天王寺公園の横にある慶沢園(けいたくえん)の「逆さハルカス」の写真から。慶沢園は、元は住友財閥の邸宅内にある日本庭園でした。それを住友が大阪市に寄付して市設の庭園となりました。今では150円の入場料さえ払えば誰でも中に入る事が出来ます。最近は、近くの超高層ビル・あべのハルカスの姿が庭園の池に逆向きに映る「逆さハルカス」の撮影スポットとしても有名です。ここには今年の冬にも来た事がありますが、この時は風が強くて撮れませんでした。幸い今日は風も穏やかで、きれいに撮る事が出来ました。慶沢園の隣には洋風建築の大阪市立美術館が建っていて、桜が見頃を迎えていました。

庭園の池の周囲には散策路が整備されていて、小さな滝もあり、とても都会の中の庭園にいるとは思えません。周囲にはあずまや風の休憩所も2か所あり、そのうちの1つでは新婚さんと思しきカップルが記念撮影をしていました。池の周囲では写生している方の姿も大勢見かけました。

庭園の中にある長生庵という茶室も、以前来た時には平日で閉まっていましたが、今日は週末という事で、伝統工芸作家による和風のアクセサリーや着物、陶器の展示会が開催されていました。

この後、慶沢園を出て、隣の茶臼山古戦場に移動しました。茶臼山は標高26メートルの低山です。その成り立ちについては実は今もよく分かっていません。以前は古墳の跡だと言われていましたが、今では奈良時代に和気清麻呂が排水路を整備しようとして失敗し、工事を放棄した後に出来た山だという説が有力です。当時の大阪平野は、上町台地以外は辺り一面、低湿地でした。山の前にある河底池(かわぞこいけ、通称・ちゃぶ池)も、その時の排水路の名残だと言われ、池にかかる赤い橋には和気橋という名が付けられています。

ここは戦国時代の古戦場跡としても有名です。1614年の大阪冬の陣では徳川家康が、翌年の夏の陣では真田幸村がここに陣を構えました。山頂には大坂の陣や真田幸村の武勲を称える解説板が設置されています。河底池の噴水の周囲も桜が見頃を迎えていました。ここからは、あべのハルカスだけでなく通天閣も望む事が出来ます。あべのハルカスも通天閣も、ともすれば大都会の真ん中にある繁華街の象徴のように思われて来ましたが、そのすぐ近くには、こんなにも自然の風景がまだ残っているのです。

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広域一元化条例(都構想)の騙し討ちを許すな!

2021年03月25日 23時11分00秒 | 都構想・IRカジノ反対!
 
大阪の皆さん、「広域一元化条例」って知ってますか?条例の正式な名前は、もっと長ったらしい名称なんですけど。実は「大阪都構想」そのものです。
 
大阪市を廃止して、4つの特別区にバラバラにしてしまって、権限も予算も大阪府に取られて、市民の税金をカジノやオリンピックの箱物造成に使われ、コロナ対策や生活支援は後回し。それが「大阪都構想」でした。
 
そんな都構想を、2度にわたる住民投票で否決して、やっと大阪市の存続が決まったのに、今度は条例の形で、住民投票にもかけずに、ドサクサまぎれの強行採決で、4月から施行されようとしています。
 
ところが、マスコミはコロナとオリンピックのニュースばかりで、この危険な条例案の中身については、ほとんど報道して来ませんでした。条例案の中身も、2月も後半になって、よくやく大阪府のホームページに掲載される有様です。
 
その条例案を読んだら、とんでもない事が書かれていました。今日、明日にも大阪府と大阪市の議会で、この条例案が強行採決されようとしています。こんな「騙し討ち」みたいな真似が許されて良いのでしょうか。
 
この条例案の問題点と疑問点について、以下にまとめました。急いでまとめたので、不完全な部分もあると思いますが、大事な内容なので、是非お読み下さい。
 
問題点① 第二条 基本理念
【条文抜粋】府は…大阪市との二重行政を解消するとともに大阪の成長及び発展を図ることにより、副首都・大阪を確立し、もって豊かな住民生活を実現する…
 
【疑問その1】意見対立は全て「二重行政」で悪か?例えば、大阪市長が府知事に対して「都構想よりコロナ対策を優先せよ」と言ったとしよう。この対立も二重行政で悪なら、都構想以外の政策は何も推進出来なくなる。
 
【疑問その2】「大阪の成長・発展を図る」とあるが、それは本来、豊かな住民生活を実現する為の手段に過ぎない。ところが、この条例案では、一手段に過ぎない成長・発展策が最終目的に置き換えられてしまっている。自治体の仕事は金儲けではない。住民の健康と暮らしを守るのが自治体の仕事だ。
 
【疑問その3】「副首都・大阪の確立」と言うが、それでは「首都・東京の二番煎じ」で生きていくしかなくなる。それは東京の猿真似でしかない。副はどこまで行っても正にはなれない。だったら別に東京と一々張り合わなくても、「世界でたった一つだけの大阪」を目指す方が、よっぽど魅力ある街づくりが出来る。
 
問題点② 第五条 会議の組織
【条文抜粋】府は大阪市と共同して(広域行政実現の為に)副首都推進本部会議を設置する。(会議の)本部長は知事をもって充て、副本部長は大阪市長をもって充てる。本部長は会議の事務を掌理し、会議を代表する。
 
【疑問】「府市対等を条例に明記せよ」との修正案と引き換えに公明党は条例案賛成に回るそうだが。一体これのどこが「府市対等」なのか?幾ら「府市対等」を条文に盛り込んでも、府知事しか本部長になれない不公平な人選がまかり通る時点で、府市は対等どころか従属関係でしかない事が明らか。
 
問題点③ 第六条 会議の運営
【条文抜粋】会議においては、本部長、副本部長及び本部員は議論を尽くして合意に努めるものとする。
 
【疑問】どんなトンデモな提案でも「合意に努めなければならない」のではもう「賛成しか出来ない」。これでは独裁政権と何ら変わらない。こんな会議では民主的な議論なぞ出来ない。良い提案も出て来ない。
 
問題点④ 第七条 進捗状況の管理
【条文抜粋】会議で合意した事項については、会議において進捗状況の管理を行うものとする。
 
【疑問】「一度採決したら二度と否決は出来ない」…こんな理屈がまかり通るようでは、「たとえ大阪市長選挙が行われても、一度、橋下が大阪市長に選出されたら、二度と平松は大阪市長にはなれない」という事にもなりかねない。民主国家では絶対にあり得ない事だ。
 
問題点⑤ 第九条 府及び大阪市が一体的に取り組む事務等
【条文抜粋】府及び大阪市の一体的な行政運営に当たっては、府は大阪市と共同して、次に掲げる手法その他の手法を検討し、最適なものを選択する…
1 協議会の設置
2 内部組織、附属機関、その他の機関等の協同設置
3 事務の委託
4 地方独立行政法人その他の法人の新設又は合併…
 
【一体化する事務の具体的中身】別表第一〜第五 副首都推進局、IR(カジノ)推進局、大阪港湾局、大阪産業技術研究所、大阪健康安全基盤研究所(公害、コロナ対策)、公立大学法人大阪(市大と府大を統合して出来る新設公立大学)、大阪観光局、大阪信用保証協会(中小企業向け融資)、大阪産業局、大阪の成長戦略、大阪の再生・成長に向けた新戦略、万博のインパクトを活かした大阪の将来に向けたビジョン、都市計画全般(用途指定、ウメキタ二期再開発、阪神高速、大阪メトロ、大阪モノレールの路線新設・再編計画…)…
 
【疑問】上記の中で最も効率よく一体化を推進出来るのは、3の事務委託だ。大阪市の権限・予算を丸ごと大阪府に委託(丸投げ)してしまえば、もう面倒な協議も不要になる。新たな独立行政法人を作る手間も省ける。住民投票も必要ない。
 
事務委託の範囲も都市計画全般に及ぶ。これらの事務(業務・権限・予算)は全て大阪府の専権事項となり、大阪市は一切口出し出来なくなる。大阪市に残された権限・予算は、もはや予防接種やゴミ回収ぐらいしかないではないか。これでは、もはや政令指定都市どころか普通の市町村以下だ。都構想で散々叩かれた「特別区」そのものではないか。
 
幾ら住民投票で都構想を拒否し、大阪市存続が図られても、全く意味を為さなくなる。では一体何の為に、10億円もかけて二度も住民投票を行ったのか?
 
「二重行政は悪」だと言うが、私に言わせれば、府市の対立を引き起こすような愚策を強行する方がよっぽど悪だ。こんな無駄な住民投票をする位なら、その予算をコロナ対策や給付金支給に回した方がよっぽど良かった。そんな意見表明すら、府市の対立を煽る二重行政で悪だと言うのか?
 
広域一元化条例を推進する為に府市で構成する副首都推進本部会議は、他府県で言えば指定都市都道府県調整会議に相当すると、条例案の第四条に書かれている。しかし、両者は似て非なるものだ。
 
指定都市都道府県調整会議は、政令市と都道府県の調整機関に過ぎない。そこでは政令市と都道府県は互いに対等だ。それに対して、副首都推進本部会議は、府知事が本部長として会議を掌理し代表する。大阪市長はあくまで副本部長(補佐役)に過ぎない。会議の性格も、単なる調整ではなく、「合意に努める」「進捗状況を管理する」という形で、議論にタガがはめられ、達成ノルマまで課そうとしている。
 
そして都市計画の権限・予算も奪われ、政令指定都市から大阪府の「植民地」に成り下がってしまった大阪市は、もはや地方自治体としての機能も果たせなくなる。大阪市民も発言権を奪われ、税負担だけが押し付けられる事になる。
 
こんなトンデモな条例案なのに、何故マスコミはきちんと報道しないのか?2月17日になって、よくやく条例案の条文が大阪府のホームページに掲載された。ところがパブリックコメント(公募意見)の募集は2月20日で打ち切り。府市の議会には3月20日過ぎになってから上程され、維新と公明の談合で形ばかりの修正と引き換えに強行可決。4月1日には施行される。こんなドサクサまぎれの強行を許して良いのか?これではまるで維新による独裁ではないか。
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大川小学校の悲劇を職場で繰り返すな!

2021年03月17日 08時06分34秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 
津波の際は近隣の中学校だけでなく団地にも避難できるようにして下さい。
 
現在、スーパー〇〇の××物流センターに勤務する労働者は、南海トラフ巨大地震や東南海・南海地震などの大きな地震が発生した際は、〇〇さんの指示で、関連会社の従業員も含め、全員が近くの××中学校に避難する事になっています。しかし、同校の建物は2階までの高さしかありません。津波が来たらひとたまりもありません。同校だけでなく、その近隣の××団地にも避難できるようにして下さい。
 
××中学校が避難場所になっているのは、××区の防災マップで、同校が「災害時避難所」に指定されているからです。しかし、そんな形だけの施設に避難した所で、津波から逃れられる訳がありません。それに対し、団地の建物なら、高さが14階まであるので安心です。
 
防災マップには、同校の他に当該団地も、「津波避難ビル」に指定されています。地震と津波の両方の場合に避難できる「災害時避難所」とは違い、「津波避難ビル」は津波来襲時しか避難できません。しかし、避難しなければならないような巨大地震の際には、その後に津波も来襲します。巨大地震の場合は、地震だけでなく津波にも備えるべきです。
 
2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)でも、三陸沿岸の市町村で多くの方が津波に呑まれて亡くなりました。その多くは、行政の指定した公民館や学校の避難所に逃れた人たちです。巨大地震の際には、絵に描いた防災マップなぞ何の役にも立たなかったのです。
 
地震発生から津波来襲までの時間は、およそ30分間しかありません。その30分間に出来る事と言えば、半径1キロ圏内に徒歩で避難する事ぐらいです。××物流センターの場合で言えば、避難場所は××中学校と××団地の2ヵ所に限られます。いざ地震が起こってから、どちらに逃げようか考えている余裕なぞありません。
 
「津波てんでんこ」という格言があります。「津波避難の場合は、他人の事なぞに構っておらず、各人がバラバラになっても構わないから、一刻も早く高台に逃げろ」という意味です。津波避難には、それだけの緊急性が求められます。「我々は下請けだから、〇〇さんや行政の言う事には逆らえない」なんて言っていたら死んでしまいます。従業員の命を守るためには何が今最も必要なのか?標記の件について、是非ご検討をお願いします。(以上、転載終了)
 
先日、上記のメールを勤務先企業の本社窓口に送りました。メール送付に至ったきっかけは、やはり東日本大震災の特集番組です。阪神淡路大震災、東日本大震災の時期になると、マスコミは必ず震災追悼番組を流します。例年なら、それを聞き流すだけでしたが、今年は少し勝手が違いました。
 
それまでは、東日本大震災の犠牲者と言えば、福島原発事故の被災者がまず頭に浮かんでいました。しかし、震災の犠牲は原発事故由来によるものだけではありません。避難の杜撰(ずさん)さによるものも多数含まれています。
 
 
杜撰な避難の最も有名な例が大川小学校の悲劇です。宮城県石巻市立大川小学校(現在は廃校、上図A地点)は河口からわずか5キロの北上川沿いにあり、学校のすぐ後ろには避難できる裏山(同B地点)もありました。ところが、地震発生から津波来襲まで50分余も時間がありながら、実際に避難が始まったのは40分も過ぎてからです。明確な避難先を決めてなかった為、避難先を巡って教師の意見が分かれ、避難開始に手間取ったのです。
 
しかも、地面がぬかるんで滑りやすいなどの理由で、すぐ後ろにある裏山へは避難せず、わざわざ危険な新北上大橋のたもとにある高台の三叉路(同C地点)に避難しようとしたのです。その為に、避難中に北上川から逆流した津波に呑まれ、児童・教職員のほとんどが亡くなりました。
 
何故、わざわざ危険な川沿いに避難しようとしたのか?ハザードマップでは、津波は小学校までは来ない想定になっていました。その為、小学校自体が津波の避難先に指定され、近くに住む高齢者も小学校に集まり始めていました。だから、高齢者も簡単に避難できる川沿いの高台を避難先に選んでしまったのです。川沿いとは言え、高い堤防で囲われた高台なら安心だろうと。
 
しかも、児童が教師に「裏山に避難しよう!」と泣いて頼んでいるのに、教師はその児童を叱りつけ、わざわざ裏山に逃げた児童を学校に連れ戻す事までしていました。そして、マニュアルに書いてあるからと、校庭に児童を集め、点呼まで取っていました。一刻も早く逃げなければならない緊急事態であるにも関わらず。
 
どこに避難するかという肝心な事を何も決めないまま、ハザードマップや高い堤防などの既存の施策に寄りかかり、点呼などの形式にばかりとらわれていたのです。これは何もこの事例だけに限った事ではないでしょう。現に私の職場でも、高い団地ではなく低層の中学校に避難所が設定されてしまっています。民間の団地よりも公共の中学校の方が、人を集めやすいし避難所の設営も楽だからです。
 
でも、津波から身を守る事を最優先で考えるなら、誰が考えても高い団地の方が安全です。行政や企業も、「上が決めた事だから」という理由だけで、形だけの避難計画にとらわれるのではなく、従業員の安全を守る事を最優先に考えて欲しいです。
 
震災特集番組では、避難所で辛抱強く配給を待つ行列を、「日本スゴイ!」と称える場面も多く流されましたが、それでは「ただ黙って規則に従え」という事にもなりません。本当は「黙って規則に従え」ではなく、「安全の為に今何が必要か、自分の頭で考えて最善を尽くせ」。これこそが「避難の鉄則」であるべきです。
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震災当時の総理が菅義偉だったら今頃日本はどうなっていたか?

2021年03月13日 12時19分30秒 | 映画・文化批評
映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)予告編
 
昨夜放送のテレビドラマ「Fukushima 50(フクシマフィフティ)」を観ました。東日本大震災で全電源が喪失し、空焚きになりメルトダウンしたイチエフ(東京電力福島第一原子力発電所)で、復旧作業に当たった吉田所長以下、50名の作業員の奮闘を描いたドラマです。所長役の渡辺謙、1・2号機当直長役の佐藤浩市、菅直人総理役の佐野史郎を始め、吉岡里帆や富田靖子の名演技が光っていました。
 
しかし、それでも敢えて言います。「このドラマも、原作の映画も、所詮はタチの悪いプロパガンダに過ぎない」と。そもそも、東日本大震災でイチエフが全電源喪失してしまったのは何故なのか?2011年の震災前にも、国会で共産党の吉田英勝議員が、2006年、2010年と二度に渡って、福島原発の脆弱性について質問していました。「実際に過去にも震災で想定以上の津波が来ているのに、全電源喪失してしまったら一体どうするのか?」と。しかし、それに対する当時の安倍総理や政府当局者の答弁は、「マニュアルで何重にも防護策を取っている。いざとなれば外部から電源を調達する事も出来る」と。
 
ところが実際はどうだったか?今週配達された赤旗日曜版の18面に、その事が詳しく書かれています。そこに掲載された科学ジャーナリスト添田孝史さんの寄稿記事によれば、既に2002年の段階で、イチエフは巨大地震の津波で被災する恐れがあると、政府自身が掴んでいました。その調査を元に、政府が東電に対策を取る様、指示しましたが、東電はそれに抵抗し、対策は先送りされてしまいました。その後も、東北電力が調査報告書で同種の危険を指摘した時も、東電は東北電力に圧力をかけて、調査報告書の内容を書き換えさせていました。
 
東電も東電なら、政府も政府です。福島原発事故の後、政府は年間被曝量の限度を1mSv(ミリシーベルト)から一気に20mSvにまで引き上げました。そして、住宅地周辺の除染だけでお茶を濁し、周辺の山林は除染の対象外にしてしまいました。それでは一時的に放射線量が下がっても、雨が降る度に山林から放射能を含んだ雨水が流れ込み、再び土壌が汚染されてしまいます。そうやって、健康被害が有ろうが無かろうがお構いなしに、避難解除を押し進め、東電と一緒になって、賠償や家賃補助の打ち切りを進めて来ました。そして今や汚染水を水で薄めて海に垂れ流そうとしています。
 
同じ赤旗の1面には、イチエフで働いていた原発下請け作業員の手記が載っています。そこには、事故直後は「原発内部の構造に詳しい人が必要だから」と、要請にこたえて再びイチエフで働き始めたものの、許容放射線量オーバーで働けなくなった途端に、御用済みとばかりに放り出された元作業員の苦悩がつづられていました。そして、帰還困難区域の解除と同時に賠償も打ち切られ、今や医療費免除の対象からも外されようとしています。この人が働けなくなったのも、元はと言えば政府が原発を推進し、東電が事故を起こしたからなのに。「原発事故は福島を最後に」という元作業員の言葉に、ビキニ水爆実験で被災して亡くなった第五福竜丸乗組員の次の遺言が重なります。「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい」。国は何度同じ思いを被災者に味わせたら気が済むのか!
 
 
ところが「Fukushima 50」では、それらの事実は巧妙に隠されています。確かに、原発事故で暮らしや故郷を破壊された避難民の苦しみや、「故郷は一体どうなってしまうのか?」と叫ぶ地元紙記者の声も、ドラマの場面には出て来ますよ。でも、幾らそんな場面が出て来ても、それらは作業員が被曝覚悟で奮闘する動機としてしか描かれていない。
 
そうすると、どうなるか?「そうならない為に、我々は必死に頑張って来たのだ。その作業員の方々の思いを無にしてはならない。全国民が復興に一丸となって取り組まなければならない。原発も事故を教訓に安全対策を高めて再稼働させなければならない。今年開催される予定の東京オリンピック・パラリンピックも、復興五輪として盛大に盛り上げなければならない。それに対して、過去の事をあれこれ言って水を差すのは、非国民のする事だ」…そういう流れにしかならないじゃないですか。
 
本当に事故の教訓を生かそうとするなら、原発ゼロ、賠償継続、環境蘇生、生活支援しかあり得ないのに、その根本対策に背を向けて、原発再稼働、賠償打ち切り、汚染垂れ流し、生活支援打ち切りを進める東電と政府を、作業員の美談で誤魔化し覆い隠すのに、この映画もドラマも、巧妙に利用されてしまっています。
 
これを観て、私は「永遠の0(ゼロ)」を思い出しました。百田尚樹の小説「永遠の0」も、確かそんなあらすじでした。如何に当時の政府や軍上層部の腐敗、戦争指揮のデタラメさが小説の中で描かれ、主人公の特攻隊員が部下や家族に対して「何があっても死ぬな!生き抜け!」と諭しても、結局その特攻隊員は、部下の身代わりとなって華々しく玉砕してしまいます。本当に当時の軍国主義の風潮に抗い、「何があっても死ぬな!生き抜け!」と思うなら、自分も必死になって抵抗するはずです。まかり間違えても、自分が身代わりになって玉砕しようなんて絶対に思わないはずです。
 
「永遠の0」の小説と映画に対して、「これは反戦映画のフリをした戦争美化映画だ」と指摘した識者がいました。私も、あの小説を読んで、同じ様な感想を持ちました。そういう意味では、昨日観た「Fukushima 50」も、この「永遠の0」と全く同じです。まさに「反原発ドラマのフリをした原発再稼働宣伝ドラマだ」と思いました。
 
その一方で、作業員の奮闘と対比する形で、当時の菅直人総理を、「ただ喚き散らすだけの無能総理」として熱演していた佐野史郎の演技が、ドラマの中で異彩を放っていました。当時の菅直人総理は、東電ひいては原子力ムラの秘密主義の壁に阻まれ、必要な情報が上がって来ない事に苛立ちを感じていました。それで「ならば自分が現地に行って、この目で確かめて来るしかない」と、福島にヘリで飛んだのです。
 
それに対する評価は色々あると思います。その思い付きの視察が現地の復旧活動の足を引っ張ったのも事実でしょう。でも、たとえそんな総理であっても、国民を守ろうと必死になっていた事だけは伝わりました。翻って、震災当時の政権が民主党ではなく今の自民党だったら、一体どうなっていたでしょうか?もし当時の総理が菅直人ではなく、安倍晋三や菅義偉だったら、一体どうなっていたでしょうか?アベノマスク・「桜を見る会」の安倍や、その劣化コピーに過ぎない菅が、震災当時の総理だったら、今頃どうなっていたでしょうか?
 
多分、福島に視察に出かけるような事はなかったでしょう。東電の幹部を怒鳴り散らす事もなかったでしょう。その代わりに、東電と一緒になって、マスコミに圧力をかけて翼賛報道一色に染め上げ、放射能測定もろくにせず、自分達の保身に汲々とするばかりでしょう。政府の圧力を苦に自殺者が出ても闇から闇に葬られ、仕事と住まいを失ったホームレスが増えても「自己責任」と打ち捨てられるだけです。そして、今の東日本は確実に滅亡していたでしょう。
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20年ぶりに赤旗を再び読もうと思い立った理由

2021年03月10日 11時53分42秒 | モリカケも忖度もない公平な社会を
 
先日、赤旗日曜版の購読をネットで申し込みました。そう、日本共産党機関紙のあの赤旗です。但し、日刊紙ではなく日曜版の方ですが。何故、赤旗日曜版を購読しようと思い立ったのか?その理由を簡単に説明します。
 
私は、いずみ生協に勤めていた時は、共産党にも籍を置いていました。ところが、生協を退職し、共産党とも疎遠になる中で、20年ほど前に離党し、赤旗の購読も止めていました。今は物流関係の会社で非正規労働者として働いています。職場には組合もなければ共産党員もいません。
 
その傍ら、自分のブログで政治的な話題についても語って来ました。ブログで記事を書く際の情報源は、主にネットから仕入れていました。「今はもうネットで自由に情報が検索出来るので、今更、新聞を読む必要なんかない。たまに必要がある時だけ、コンビニで新聞を買えば良い」と思っていました。
 
しかし、2013年に自民党が再び政権に復帰し、安倍晋三が再び総理の座に居座るようになってから、マスコミの論調が次第に変わって来ました。
 
まず最初に、NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターによる、当時の菅官房長官に対する安保法制に関する辛辣なインタビューが、安倍政権の逆鱗に触れ、国谷キャスターは番組を降板させられてしまいました。その後も、朝日放送「報道ステーション」の古賀茂明キャスターなど、政府に批判的なコメンテーターが、政府からの圧力によって、次々と片隅に追いやられていきました。報道番組自体も、かつて多少はあったジャーナリズムとしての姿勢は年々失われ、今や政府広報みたいな番組ばかりになってしまいました。
 
その為、今やもうコロナのニュースばかりとなってしまいました。それも、「街の声」と称して、「繁華街の人通りが減った」の、「これからどうなるのか不安だ」などの通行人の声を、そのまま垂れ流す安上がりなインタビューばかり。一時は、自宅近くの通天閣周辺にも、マスコミの記者が大勢押し掛け、重い機材を担いで何度も行き来していました。でも、通行人の言う事を、ただおうむ返しに伝えるだけなら、素人でも出来ます。幾ら高価な機材を使って取材しても、そんな適当でいい加減な報道なら、何の意味もありません。
 
確かにコロナのニュースも大事です。でも、今のマスコミ報道を見ていると、政府広報みたいな番組と、当たり障りのない「街の声」インタビューでお茶を濁した番組しか流さないじゃないですか。
 
その癖、毎日報じられる新規感染者数や重症病床率、陽性率などのコロナ統計の信憑性については、誰も問いただそうとはしない。熱が出て息苦しいと保健所に電話しても、どの病院も塞がっているからと、自宅療養に留め置かれ、PCR検査すら受けさせてもらえない。そうして検査も受けられずに自宅で亡くなる人が大勢います。そうやってコロナ統計から弾かれた人が大勢いるのに、誰もその統計数値の信憑性を問題にしない。
 
では何故、PCR検査すら受けさせてもらえないのか?医療崩壊で、どの病院も満杯だからです。しかし、そんな貧弱な医療体制に何故なってしまったのか?その医療崩壊の原因となった過去の保健所削減、病院の統廃合を進めたのは一体誰か?そういう肝心な事が報じられず、「街の声」だけでお茶を濁されて良いのか?
 
それに、コロナだけがニュースではありません。それ以外にも大事なニュースは一杯あります。例えば、女性蔑視発言で森喜朗が五輪組織委会長を辞任した後も、同じ様な考え方の橋本聖子や丸川珠代が五輪関係の役職に就き、女性差別が全然解消されていない問題。二度にわたる大阪の住民投票で都構想否決の結論が出たにも関わらず、都構想の二番煎じの様な広域一元化条例が強行可決されようとしている問題。例の総務省違法接待の問題や、新たに出て来た勉強会参加費名目での政治献金の問題など。
 
 
勉強会名目での政治献金については、今週3月7日号の赤旗日曜版で詳しく報じられています。自民党若手の小泉進次郎・環境相が高級ホテルで行った30分程度の講演会に、参加費用として1人1回当たり月1万2千円の参加費や、月10万円以上もの会費が、参加企業から政治献金として支払われていました。金を直接政治家に渡すと贈収賄に問われるので、講演会や勉強会の会費として徴収していたのです。
 
講演会を仕切っていたのは「ライズ・ジャパン」というコンサルタント会社です。そのコンサルタント会社が、「志友会」という会を作って、会員から講演会参加費名目で資金を集めながら、一部の参加者には無料で講演会に招待し、利益供与や天下りの斡旋などを行っていました。
 
これは小泉進次郎だけではありません。菅総理や加藤官房長官、麻生副総理も、同じような手法で政治献金を集めていました。そして、講演会参加の会員企業も、勉強会に参加する事で政治家と繋がりが出来、自分達の思うように政治を支配する事が出来るのです。例の総務省違法接待事件は、そのホンの氷山の一角に過ぎません。もし発覚しても、トカゲの尻尾切りで済まされるだけです。
 
しかし、この問題を「積極的に、政治背景まで含めて」追及しているメディアが一体どれだけあるか?今や赤旗や週刊文春、日刊ゲンダイぐらいしかないじゃないですか。菅政権が鳴り物入りで推進する携帯電話料金の値下げや、デジタル化推進の国策の下で、菅の息子が部長を務める情報通信企業の東北新社が、接待攻勢で審議会の議論をゆがめ、低周波しか扱えないのに衛星放送の免許を不当に取得していたと言うのに。
 
 
そりゃあ、NHKや民放、全国紙なども、このニュースの事は「一応は」取り上げますよ。でも、その取り上げ方たるや、「菅正剛が左遷された」「山田真貴子が辞職した」と、単なる事実の羅列だけ。後は、政府関係者の言い分をそのまま垂れ流すだけです。先のコロナの「街の声」取材と、何ら変わりないじゃないですか。
 
それも、週刊文春や赤旗が最初にスクープとして取り上げたからこそです。もしスクープが無ければ、ずっとダンマリを決め込んでいたでしょう。もしくは月刊WiLLや月刊Hanadaのように、安倍・菅政権ヨイショと中国・韓国・野党の悪口ばかり書き立て、販売部数を稼ごうとするでしょう。総務省の違法接待の事を取り上げたら政府から睨まれますが、中国・韓国・野党の悪口だけなら、政府からは喜ばれこそすれ、目を付けられるような事は一切ない。そちらの方が、はるかに楽に商売出来ます。
 
その一方で、総理の記者会見の時だけ、まるで独演会の様に、一方的に垂れ流す有様です。会見後の質疑応答も、内閣記者会(記者クラブ)に属する御用マスコミ、御用記者との、当たり障りのない八百長質疑を、20分程度流すだけ。新聞記者一人に与えられた質問時間はわずか5分程度。たったそれだけの短い時間で、どうやって丁々発止の質疑応答が出来るのか?再質問も出来ないし、フリーの記者は最初から参加を締め出されてしまっている。これでは、もはや完全な八百長芝居です。
 
今やテレビニュースの大半がこの体たらく。新聞も殆どが政府の言い分を垂れ流すだけ。その後で、社説や論説記事で、アリバイじみた政府批判をホンの少し書くだけ。そんな批判なぞ、政府にとっては痛くも痒くもない。
 
だから、皆、新聞を読まなくなったし、テレビも見なくなりました。新聞を読んでも政府広報みたいな記事ばかりだし、テレビを付けても、下らないバラエティ番組や、過去の再放送、芸能ゴシップや三面記事のニュースばかり。観てても全然面白くない。ただ暇つぶしに観ているだけ。
 
そんな中で、幾らネットだけに頼ろうとしても、ネットの中の膨大な情報を個人で収集するだけでは限りがあります。それに、ネットだからと言って、必ずしも正しい情報が流れているとは限りません。フェイクニュースや陰謀論の類も沢山あります。それを無批判に受け入れているだけでは、ミイラ取りがミイラになってしまうだけです。
 
狂信的なトランプ支持者が、Qアノンという陰謀論サイトの情報を真に受けて、米国の連邦議会を襲撃する事件を起こしました。この日本でも、外国人犯罪が広まっている等の扇情的なネット投稿が目立つようになりました。犯罪白書などの統計を見れば、それが嘘である事は直ぐに分かるのに。
 
ネットでは自分にとって都合の良い情報をしか検索しなくなります。例えば、中国・韓国が嫌いな人は、中国・韓国の悪口しか載っていないサイトしか見ようとしない。そうすると、パソコンやスマホも、AI(人工知能)がそれを察知して、悪口が書かれたサイトばかり引き寄せるようになります。実際に、カーマニアの人が、自動車が好きで、毎日、自動車のホームページばかり観ていると、パソコンには自動車のCMばかり表示される様になるでしょう。それと同じです。
 
特に最近は、左寄りの本を出すよりも右寄りの本を出す方が売れるので、出版社もそんな本ばかり出す様になります。その結果、中国や韓国の悪口しか書かない月刊WiLLや月刊Hanadaのような極右雑誌ばかりが書店の陳列棚に並ぶようになる。
 
 
私は何も「中国や韓国を批判するな」と言っている訳ではありません。確かに中国の人権抑圧や少数民族抑圧は批判されて然るべきです。しかし、これらの極右雑誌は、中国の人権侵害は声高に批判する癖に、日本国内の人権問題については、被害者に寄り添うどころか、むしろ政権と一緒になって沖縄叩き・左翼叩き・女性叩きに精を出す有様です。
 
私は、これらの極右雑誌を応援している人たちは、本当はチベットや沖縄の問題なんてどうでも良くて、菅政権には何も言えずに、そのうっぷんを中国叩きで晴らしているだけだと思います。強い奴には何も言えずに、そのうっぷんを弱者叩きで晴らすしか能のない卑怯者です。極右雑誌の金づるとして「好いカモ」にされている事にも気付かずに。
 
そんな中で、個人が幾ら頑張って情報収集しようとしても、個人の努力だけでは限界がある事を、次第に痛感するようになりました。幾らネット全盛の世の中だと言っても、新聞やテレビが本当の事を報じてくれなければ、ネットでさらに詳しく調べようという気にはなりません。それにネットだけでは、どうしても単発の事件だけに目が行ってしまいます。菅正剛や山田真貴子、東北新社の個々の動きだけに目が奪われ、その裏にある政官財癒着や、企業による国家私物化の構造は、後景に退けられてしまいます。そして「よくある事」で済まされてしまうのです。
 
その「よくある事」の積み重ねで、今や森友・加計問題や「桜を見る会」、総務省の違法接待みたいな事が日常茶飯事となってしまいました。男女平等とは正反対の考え方の人間が、男女平等を推進する役職に就き、プライベートでは「女・子どもは黙っていろ」と言いながら、仕事では「割り切って(!)ジェンダー平等を推進する」とウソぶくようになってしまった。そんな理屈がまかり通るなら、泥棒でも同じ言い訳で警察官に就く事が出来ます。今や国民は、ここまで政治家に舐められてしまっているのです。
 
幾らネット全盛の世の中でも、情報を深く継続的に掴もうとするなら、やはり紙媒体も必要です。しかし、週刊文春も、本当に値打ちのあるスクープ記事は、ページの中のホンの一部です。そのホンの一部の記事を読む為に、毎週400円も出して週刊誌を買う訳にはいきません。他方で、赤旗も日刊紙は値段が高く、ブログも書かなければならない中で、毎日読むのは大変です。しかし、日曜版なら、週に一度読むだけだし、値段も月額930円で済む。そう考えて、赤旗日曜版を定期購読する事にしました。
 
勿論、赤旗を読む際も盲信するのではなく、あくまでも批判的に読むつもりです。しかし、それでも一般の新聞・テレビよりは、はるかに良質な記事が多いし、話題も豊富で、スクープ記事も多いので、赤旗日曜版を読む様にしました。
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イズミヤ vs スーパー玉出

2021年03月07日 21時37分42秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

私の住んでいる大阪・西成のあいりん地区と、その周辺では、出店しているスーパー・コンビニも数社に限られます。スーパーはそのほとんど全てがスーパー玉出です。玉出は、現在、今池と萩之茶屋、花園町、岸里に店を出しています。但し、萩之茶屋にあるお店の名前は、何故か「天下茶屋店」になっています。実際に店があるのは阪堺線今池駅の横なので、どう見ても天下茶屋よりも萩之茶屋の方が近いのに、何故かそんな名前になっています。コンビニも、あいりん地区内にあるのは、そのほとんど全てがローソンとファミリーマートだけです。セブンイレブンは一つもありません。

スーパー玉出はド派手な広告と値段の安さがウリですが、弁当の味はイマイチなので、私は玉出にはほとんど行かず、全て周辺のイズミヤで買い物をしていました。イズミヤも、あいりん地区内にこそ出店していないもの、その周辺部には、第1号店の花園町店を始め、天下茶屋や岸里などに多くのお店を出しています。(上の写真左がイズミヤのレジ袋、その右がスーパー玉出のレジ袋)

玉出のウリである値段の安さについても、安いのは1円セールだけで、中にはイズミヤより逆に値段の高い物もあります。例えば、下の写真の「STカフェオレ大人のほろにが1箱30本入り」なぞ、イズミヤが448円なのに玉出は498円と、50円も値段が高いのです。(下の写真左がイズミヤ、右が玉出)

それで、「玉出の弁当は”安かろう、悪かろう”だ」とSNSに投稿したら、ある方から反論されました。「玉出で売っている商品の全てが”安かろう、悪かろう”ではない。中にはデパ地下の弁当ですら足元に及ばないぐらい美味しい弁当もある」と。「特に塩鯖弁当は絶品だ!」と言うので、私も、その塩鯖弁当を買って食べてみました。そうしたら、まさに”目から鱗”。デパ地下で700円前後で売っている弁当とも引けを取らないぐらい、鯖の脂が乗って美味しかったです。これで368円ですから、非常にお得です。

 よくよく調べたら、スーパー玉出は、元は魚屋さんだったのですね。魚屋から始まったスーパーなので、今でも魚の旨さには定評があります。わざわざ玉出に材料の買い付けに来る料理人もいるぐらいです。現に、昨日買った焼トロ鯖棒寿司も、肉厚の棒鯖が1本8切れも入って、たった348円でした。単品の鯖の煮付けも、1尾たったの188円です。

しかし、それ以外の商品は余りお勧め出来ません。弁当はピンキリで、不味い物になると完食出来ずに残したりしてしまいます。鯖の醤油煮缶も1缶100円と安かったものの、味はイマイチでした。今日買ったオーストラリア産牛カレー肉も、165グラム227円と安かったものの、切り方も大雑把で、ドリップも出ていたりしたので、味も大味でした。これほど、商品によって差のあるスーパーは今時珍しいです。これからは、生身の魚はなるべく玉出で買い、それ以外の商品はイズミヤで買うようにします。

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今年遂に淡嶋神社の雛流しを全収録

2021年03月03日 21時26分23秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

今日3月3日の公休日は、桃の節句という事で、和歌山市加太の淡嶋神社で行われた雛流しの神事を観て来ました。実はこの日は昨年も休みで、淡嶋神社の雛流しを観に来たのですが、モバイルバッテリーを忘れた上、スマホが途中でバーストしてしまい、電池切れで肝心の雛流しの場面を撮影出来ませんでした。それが唯一心残りだったのですが、運よく今年もシフト休みとなり、今年はバッテリーも持参したので、神事の一部始終を写真に収める事が出来ました。

淡嶋神社に着いたら、もう正午を回っていたので、神事が既に始まっていました。巫女さんがお札と一緒に雛を小舟に入れ、軽トラで海岸の斜め桟橋まで運びます。やがて小舟が桟橋に到着。舟の後ろでは稚児たちが「あかりをつけましょ、ぼんぼりの〜」と歌っていました。
 
 
やがて神主さんのお祓いも済み、雛を乗せた小舟が流されます。この日の最高気温は10℃行くか行かないか。風も強い中、それでも伝統の神事を絶やすまいと、冷たい海の中に入って小舟の曳航と撮影をされた方々の努力に頭が下がります。海の向こうには友ヶ島の島影がくっきりと浮かんでいました。
 
 
淡嶋神社に集められた人形の数々。雛人形だけでなく武者人形や動物の置き物もあります。昼間はただの置き物も、夜になると不気味な趣に。一部では、この神社が心霊スポットと噂されるのも納得です。
 
 
雛流しが終わってから、お昼ご飯をいただきました。淡嶋神社の鳥居の前にある土産物店で、マグロ漬け丼ハーフとわかめうどんハーフのセットを注文。これで税込千円。現地には今年も南海加太線に乗って行きましたが、地元名産の鯛の横顔が描かれた話題の「めでたいでんしゃ」は、朝と夕方しか走らなくなり、今年は残念ながら乗れませんでした。
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