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アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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先に出馬表明した人に降りろと言うのは非常識

2007年02月28日 10時07分46秒 | 反石原・’07東京都知事選
 今年の春に行われる東京都知事選挙の候補者選びが混迷の度を深めています。現時点で立候補表明しているのは次の三人です。―(1) 現職都知事で三選を目指す石原慎太郎、(2) 元々石原シンパだった建築家の黒川紀章、(3) 「革新都政をつくる会」から出ている元足立区長の吉田万三。それ以外には、民主党が候補者選定を進めていますが、こちらは暗中模索で事実上頓挫している状態でした。そこに急遽浮上したのが元宮城県知事の浅野史郎。市民派が強く推し民主党も「渡りに船」と秋波を送り始めましたが、本人は一旦出馬を固辞した上で、現在様子見の状況です。

 この今年の東京都知事選挙ですが、分らない事や納得のいかない事が多すぎます。一つは黒川紀章の立候補。右翼団体「日本会議」の構成メンバーで石原慎太郎を今まで応援していたくせに、何故今頃になって「石原三選阻止」を掲げて立候補してきたのか。ここにきてやおら「側近政治・五輪招致反対」を掲げていますが、そのくせ「石原都政の継承すべき点は継承する」なんて事も言っています。当の黒川氏は盛んに否定していますが、これでは「反石原票分断の為に出てきた石原別働隊候補ではないか」と思われても当然でしょう。また、仮に幾許かの「反石原感情」が当人にあったとしても、それは大方「私怨絡み」か「出世欲」から出たものでしかないでしょう。

・〔メモ〕都知事選に出馬する黒川紀章氏は「日本会議」の代表委員(低気温のエクスタシーbyはなゆー)
 http://alcyone.seesaa.net/article/34392449.html
・都知事選に出馬表明 黒川紀章氏の真意は(東京新聞)
 http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070224/mng_____tokuho__000.shtml

 もう一つは、急遽浮上した浅野史郎氏の擁立劇。AMLの下記投稿でその足跡を辿る事が出来ますが、この2月に入って急に、石原三選阻止で動いていた市民団体の一部から話が出てきて、民主党も巻き込んでの擁立劇に発展しました。

・[AML 11749] ■東京都知事選~革新統一候補は実現するのか?(東本高志)
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-February/011328.html
・[AML 11838] 『脱石原・統一候補を!』ml参加へのお誘い(murmurkiwi)
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-February/011416.html
・[AML 11889] 16 日に都知事に浅野史郎さんを!の相談会(宿六)
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-February/011467.html
・[AML 11900] 浅野史郎さんに出馬要請メールを送りましょう!(椎名裕)
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-February/011478.html
・[AML 11901] 16日の「浅野史郎さんを都知事に!」の主催団体は
「東京。をプロデュース2007」です(東本高志)
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-February/011479.html
・[AML 12041] 浅野氏擁立は疑問(新・矢野周三)
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-February/011615.html
・[AML 12050] Re: 浅野氏擁立は疑問(東本高志)
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-February/011624.html
・[AML 12045] Re: hagitaniさん、私はこう思います。(hagitani ryo)
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-February/011619.html
・[AML 12057] 都知事候補に関して(宿六)
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-February/011631.html
・[AML 12125] 薪をくべろ炎を燃やせ!25日浅野さん集会案内(宿六)
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-February/011698.html
・[AML 12073] 先に出馬表明した人に降りろと言うのは非常識(msq)
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-February/011647.html
・[AML 12117] 村岡到:都知事選で大胆な政治的妥協、共同の努力を!(村岡 到)
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-February/011690.html

 「ボカサ石原」が「トンデモ」な人物である事は、今更言うまでもない事です。侵略戦争肯定の歴史観や日の丸・君が代強制、「ババア・三国人」発言に見られる弱者蔑視・弱肉強食肯定の歪んだ人間性、ワンマン・側近重用・行政私物化、五輪招致・湾岸開発やカジノ誘致などに見られる大型開発・イベント偏重の土建行政、等々。こんな人物の三選など、絶対に阻止しなければなりません。

・「東京の金正日」を倒せ!(拙ブログ)
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/c5f7c5bc47418ee1058fbbb9dff1df50
・サヨナラ!石原都知事(知事選告示前日に閉鎖の期間限定HP)
 http://www5.famille.ne.jp/~ishihara/index.html

 しかし、それが何故「浅野史郎」でなければならないのかが、私には全然理解できません。「石原に勝てるのは浅野しかいない」だって? 吉田万三候補がいるじゃないか!
 そもそも、今まで石原都政に最も対抗してきたのは誰だったのか。誰も遠慮して突かない石原タブーに挑み、「赤旗・石原戦争」と言われるほどに、石原の数々の疑惑を暴いて化けの皮をひん剥いてきたのは、一体誰だったのか。共産党や「革新都政をつくる会」であり、そこから立候補した吉田万三候補ではないですか。石原都政の下でも足立区長として住民の暮らしを守り、その施策故に石原や自公民の石原与党に睨まれ、謀略紛いのリコールで無理やり区政を追われた吉田万三氏こそ、石原三選阻止の対抗馬に最も相応しい候補者だと、私は思います。

 方や浅野氏はと言うと、「宮城県知事時代には福祉に力を入れた」「改革派知事だ」とか言われていますが、その割には、当人が今まで何をやってきたのか、これから何をしたいのかが、全然見えてきません。当人のHP「浅野史郎・夢らいん」を見ても、具体的な政策については何も書かれていない。世間では「改革派知事」だと言われている様ですが、改革派と言っても高知県の橋本知事から三重県の北川知事まで色々で(最近では宮崎県の東国原知事もそれに含まれるのでしょうが)、中には「看板だけの改革派」もいます。こんなキャッチフレーズなど何の判断材料にもなりません。

 その浅野氏に「渡りに船」と乗る民主党も、見苦しい事この上もない。そもそも、民主党が石原都政と対決した事など、今まで全然無かったではないですか。土屋たかゆきなどの反動右翼都議を筆頭にして、石原都政を露骨に擁護する事こそ在れ。それで今まで石原に散々尻尾をふっていたくせに、ここに来て愈々石原の化けの皮が剥がれ落ちてきても、自力で対抗馬一つ立てる事も出来ずに右往左往した挙句に、他人の褌で相撲を取り漁夫の利を掠め取る事にばかり汲々として。これでは、郷ひろみへの参院選出馬打診など、なりふり構わぬ醜態を演じている自民党とも何ら変わらないではないですか。こういう事をやっていると、反石原の大義すら「小泉劇場」と同列視されてしまい、石原はそれを尻目に余裕で当選してしまいます。

・都知事選:「最強の候補」菅氏巡りせめぎ合い激化 民主党(毎日新聞)
 http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/news/20070215k0000m010125000c.html
・浅野氏は石原氏に勝てるのか!?…都知事選を占う(スポーツ報知)
 http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070227-OHT1T00013.htm

 浅野氏擁立に動く市民派は、「確かに吉田氏も立派な人物だが、如何せん共産党では選挙には勝てない」と言います。しかし、選挙をやる前から一方的に「お前ではダメだ」と決め付けて、先に立候補表明していた人物を無理やり下ろして、未だ立候補の意志も固めていない人物を無理やり担ぐようなやり方こそ、傲慢で一方的ではないでしょうか。最初から寄って集って吉田氏の足を引っ張っておいておきながら、「吉田氏では勝てない」もクソもないでしょう。

 当の吉田氏はそれでも、「私よりもっと相応しい候補者が現われたら私は辞退する」という事を言っています。若しそういう事態になれば、私も吉田氏の選択を尊重します。そうなれば選挙の様相は一変します。野党統一・革新統一候補とボカサ石原との全面対決となり、"山が動く"でしょう。しかし、その為には、浅野擁立派や民主党は、次の疑問に答えなければなりません。そういう最低限のケジメもなしに、ただムードだけで、海のものとも山のものとも分らない候補者を、なし崩しに支持する事などは出来ません。

(1) 何故、浅野史郎でないといけない(勝てない)のか?
(2) 何故、吉田万三ではいけない(勝てない)のか?
(3) 民主党は、今まで石原都政を支持してきた事を、どう総括するのか?
コメント (5)
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偽装請負NO! 「うそつきキャノン」の横暴を許すな!

2007年02月27日 10時10分40秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
【「偽装請負」No!】キヤノン請負労働者の実態~民主党と公明党にメールを!

「キヤノン請負労働者「生身の人間。正社員と同じ賃金を」」(朝日 07.02.22)

>キヤノンの工場で請負で働く大野秀之さん(32)が22日午前、衆院予算委員会の公聴会に招かれ、非正規雇用の労働者の思いを語った。長年にわたる職場の「偽装請負」も指摘し、「厚生労働省は労働者派遣法を適用して直接雇用をキヤノンに指導してほしい」と訴えた。

>「何年働いても賃金は上がりません。ボーナスはなく、退職金制度もありません。私たちには景気回復傾向の実感はまったくなく、待遇は日に日に悪くなっているのが現状です」

>「私たちは生身の人間です。正社員と同じ仕事をしているのであれば、同じ賃金をもらいたい。安心して子どもを産み、十分な教育を授けたい。親の面倒を見たい。そして自分自身も社会に貢献しながら幸せな老後を送りたい。そんな生活をしたいです」

「偽装請負への思い、国会で訴えへ キヤノン工場の男性」(朝日 07.02.22)

>大野さんには、「世界一のレンズの製作に携わっている」との誇りがある。しかし、今の雇用形態だと、いつクビを切られるか分からない。「だから正社員になり、契約更新におびえずに、いいものづくりをしたい」

>キヤノンはこれまで偽装請負を否定し、大野さんらとの団体交渉を拒否している。「請負会社と業務委託契約に基づき請負取引しているもので、貴組合員は請負会社の従業員として当該業務に従事しているにすぎない」

>大野さんは、この言い分を聞き、悲しくなった。「キヤノンという会社が好きだし、ここで今後も働いていきたい」との思いを国会でぶつけようと考えている。

●大野秀之さんも参加する労働組合「キヤノンユニオン」
 http://www.t-union.or.jp/hyousi.html

この大野秀之さんの公聴会招致を受け、民主党はキヤノンの会長でもある御手洗冨士夫・日本経団連会長の国会への参考人招致を求めているようですが、与党側は応じていないようです。

いま、経団連には<「偽装請負」>の"合法化"を狙う動きがあるようです。

こうした動きに「待った」を掛けるためにも、御手洗氏の参考人招致を求める民主党には「もっと頑張れ!」との励ましの声を、そして福祉政策を重視している"らしい"公明党には「与党の側から御手洗氏の参考人招致を政府・自民党に求めてください!」との声を送りましょう。

●「民主党」メールアドレス
 info@dpj.or.jp

●「公明党」メールフォーム
 https://c.fresheye.com/p/access_page/enq/entry.asp?id=question&d=komeitou

あと、キヤノン株をお持ちの「心ある人々」は、株主としての正当な権利を行使してキヤノンの労働実態の是正、および経団連会長としての御手洗氏の姿勢の是正を訴えましょう。
------------------------------------------------------------------
 以上、まことさんのブログ「ある国際人権派の雑食系ブログ。(仮)」より転載。
 http://blog.livedoor.jp/zatsu_blog/archives/51349045.html

 上記記事はキャノンにおける偽装請負の実態を告発したものですが、実は単なる偽装請負だけではありませんでした。
 前述の内部告発によって厚労省から指導が入ると、社内に「外部要員管理適正化委員会」なる組織を置いて、さも今後は派遣・請負労働者の正社員化に前向きに取り組んでいくかのようなポーズを取りながら(キャノンユニオンのHP参照)、実際は「技術の伝承、組織の活性化のために、若い人を採ることになった。新卒の定期採用のほうが中長期には人材的に安定する」(キャノンの人事本部長・談)として、派遣・請負労働者の正社員化の話は結局立ち消えになってしまったそうです(朝日新聞の記事参照)。
 なるほど、偽装請負の実態も知った「勝手知ったる擦れたベテランバイト」よりも「まだナマの資本主義の洗礼を受けていない社会人1年生の新卒」の方が、会社にとってはずっと扱いやすいですからね。

 「偽装請負」について改めて説明すると、実態は「派遣」労働者であるにも関わらず、形式上は「請負」労働者として働かされる事です。
 アウトソーシング(企業が進める業務・人材の外注化)の下では、雇用は主に「派遣」と「請負」の2つに分かれます。「派遣」では派遣先の企業が派遣社員に業務指示を出します。それに対して、本来の「請負」では、外注元企業は請負会社に業務を丸ごと委任します(請負会社を飛び越して請負労働者に直接業務指示は出せない)。
 この様に、本来ならば両者は明確に区別されます。それが何故「偽装」されるかというと、「派遣」が派遣期間が終了すると直接雇用の義務が生じるのに対して、「請負」にはそういう義務が生じないからです。要は、雇用義務逃れの為の手口なのです。

 そして、「偽装請負」を告発されたら、企業は次はいろいろな形での「告発逃れ」に走ります。例えば、(1) 正社員を請負会社に出向させて、その社員に現場業務の指揮をさせ、恰も請負会社の社員が現場を仕切っているかのように見せかける手口や、(2) 直接雇用とは名ばかりの期間工に切り替えて、短期の契約更改を繰り返したり、(3) 請負から派遣に切り替えて派遣期間終了間際にまた請負に戻したり、等々のいろんな手口が横行しているそうです。詳細はウィキペディアの「偽装請負」項目を参照して下さい。

 ここで注意しなければならないのは、単にこの問題は、「偽装請負という違法労働だから悪い」のではない、という事です。その様な違法行為は当然糾弾されて然るべきですが、では「違法でさえなければ良い」という事になると、上記(1)~(3)事例の様な合法ギリギリの脱法行為には何ら対処出来なくなります。
 問題は「派遣と請負の区別をつける」所にではなくて、「たとえ派遣であろうと請負であろうとその他の業種であろうと、そんな事とは関わりなく、人を雇う以上は、人間らしい暮らしを営めるだけの最低限度の賃金を保障しなければならないのに、それが守られていない」所にあるのです。
 事業者としての社会的責任を自覚した上で、「今は残念ながらこれだけしか出せないが、将来的には充分な賃金を出せるように努力する」というのなら未だ分ります。しかし、何かと言えば従業員を脅しつけあら捜しに終始し、人件費を値切り、「安かろう悪かろう」でもお構いなしにコストダウンを推し進め、法の抜け穴探しばかり考えるという姿勢では、もうバカバカしくて、誰もまともに仕事をする気にはなりません。

 キャノンはご存知の通り、日本経団連の会長企業です。そして、安倍政権とタイアップして、「教育基本法も改正された。今後は社内イベントでも積極的に日の丸掲揚・君が代斉唱を取り入れ、愛国心・愛社精神・道徳心の涵養を図る」なんて事を臆面も無く言い放っています。(「安倍と御手洗が説く愛国心の反人民的本質」参照)
 そうして、従業員には奴隷道徳を押付けて一方的に犠牲を強要しておきながら、その生活については何ら顧みる事もせず、人に公徳心を説きながら、当の自分たちはというと違法労働も何のその、「邪魔な労働法制など変えてしまえ」との給い、企業献金で政治買収を図る。正に「うそつきキャノン」の所業です。「うそつきは泥棒の始まり」。皆さんも是非、この「うそつき」是正に立ち上がった労働者の生活権擁護の闘いを応援して下さい!
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参考:赤木智弘「『丸山眞男』をひっぱたきたい」(抄)

2007年02月23日 10時45分02秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
※前号記事の参考資料として、雑誌「論座」2007年1月号所収の標記論考から幾つか特徴的な箇所をテキストアップしました。ブログでの紹介記事だけでは、その余りにも刺激的・挑発的な論理展開故に、誤読の可能性も無きにしも非ずと判断しましたので。その趣旨から言うと本来は全文転載が最も好ましいのかもしれませんが、そうすると著作権との絡みもあるし、テキストアップに余りにも時間がかかるので、ここでは抄録(一部引用)形式での紹介に止めされて貰います。

※本記事はあくまで参考資料としての扱いに止めたいので、コメント投稿をされる場合は、全て前号記事「戦争を待望するワーキング・プア」のコメント欄の方にお願いします。


「『丸山眞男』をひっぱたきたい」31歳フリーター。希望は、戦争。(赤木智弘)

(前略)
 バブル崩壊以降に社会に出ざるを得なかった私たち世代(以下、ポストバブル世代)の多くは、これからも屈辱を味わいながら生きていく事になるだろう。一方、経済成長著しい時代に生きた世代(以下、経済成長世代)の多くは、我々にバブルの後始末を押付け、これからもぬくぬくと生きていくのだろう。なるほど、これが「平和な社会」か、と嫌みのひとつも言いたくなってくる。
(中略)

●NHKスペシャル「ワーキングプア」が見過ごしたもの

(中略)
 特に、仕立て職人が、妻の葬儀のために手をつけずにいる貯金のために、生活保護を得られないことについて、識者が「妻の葬儀の費用を自力でまかないたいというのは人間の尊厳であり、それを捨てないと生活保護を得られないことに問題がある」と述べていたことが気にかかる。それが尊厳だというのなら、結婚して家庭を持つことや100万円の貯金など夢のまた夢でしかない我々フリーターの尊厳は、いったいどこに消えてしまったのか。
(中略)
 不況直後、「ワークシェアリング」などという言葉はあったが、いまだにそれが達成される兆しがないのは、誰も仕事を若者に譲らないし、譲らせようともしないからだ。若者に仕事を譲ろうとすれば、誰かの生活レベルを下げなければならないのだが、それは非常な困難を伴う。持ち家で仲良く暮らしている家族に、「家を売って下さい。離婚してください」とは言えないだろう。一方で最初からシングルでアパート暮らしの若者に、結婚して家を買えるだけの賃金を与えないことは非常に簡単だし、良心もさほど痛まない。だから社会はそれを許容する。

●ポストバブル世代に押しつけられる不利益

 思えば私たちは、このような論理に打ちのめされ続けてきた。バブルがはじけた直後の日本社会は、企業も労働者もその影響からどのように逃れるかばかりを考えていた。会社は安直に人件費の削減を画策し、労働組合はベア要求をやめてリストラの阻止を最優先とした。そうした両者の思惑は、新規労働者の採用を極力少なくするという結論で一致した。企業は新卒採用を減らし、新しい事業についても極力人員を正社員として採用しないように、派遣社員やパート、アルバイトでまかなった。
(中略)
 このような不平等が、また繰り返されようとしている。この繰り返しを断ち切るために必要なことは、現状のみを見るのではなく、過去に遡って、ポストバブル世代に押付けられた不利益を是正することだろう。近視眼的で情緒的なだけの弱者救済策は、経済成長世代とポストバブル世代間の格差を押し広げるだけである。

●戦争が起きれば社会は流動化する

 平和な社会を目指すという、一見きわめて穏当で良識的なスローガンは、その実、社会の歪みをポストバブル世代に押しつけ、経済成長世代にのみ都合のいい社会の達成を目指しているように思えてならない。このようなどうしようもない不平等感が鬱積した結果、ポストバブル時代の弱者、若者たちが向かう先のひとつが、「右傾化」であると見ている。
(中略) 
若者にしてみれば、非難の対象はまさに左傾勢力が擁護する労働者だ。だから若者たちはネオリベ政府に「労働者の利権を奪い取って、おれたちに分けてくれ」と期待してしまうのだ。小泉前首相が「郵政職員26万人の既得権を守って、何の改革ができるか!」と叫んで若者の支持を集め、衆院選で圧勝したことは記憶に新しい。
 確かに、右傾化する若者たちの行動と、彼らが得る利益は反しているように見える。たとえば一時期のホリエモンブームなどは、貧困層に属する若者たちが富裕層を支持するという、極めて矛盾に満ちたものだった。小泉政権は改革と称して格差拡大政策を推し進めたし、安倍政権もその路線を継ぐのは間違いない。それでも若者たちは、小泉・安倍政権に好意的だ。韓国、中国、北朝鮮といったアジア諸国を見下し、日本の軍国化を支持することによって、結果的にこのネオコン・ネオリべ政権を下支えしている。
(中略)
 だが私は、若者たちの右傾化はけっして不可解なことではないと思う。極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。多くの若者は、それを望んでいるように思う。

●国民全員が苦しむ平等を

(中略)
 我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。それなのに社会は我々に何の救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。こうした閉塞状況を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か―。その可能性のひとつが、戦争である。
 識者たちは若者の右傾化を、「大いなるものと結びつきたい欲求」であり、現実逃避の表れであると結論づける。しかし、私たちが欲しているのは、そのような非現実的なものではない。私のような経済弱者は、窮状から脱し、社会的な地位を得て、家族を養い、一人前の人間としての尊厳を得られる可能性のある社会を求めているのだ。それはとても現実的な、そして人間としての当然の欲求だろう。
(中略)
 戦争は悲惨だ。
 しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
 もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。
(中略)
 かつて思想犯としての逮捕歴があった丸山(注:リベラリスト思想家の丸山眞男)は、陸軍二等兵として平壌へと送られた。そこで丸山は中学にも進んでいないであろう一等兵に執拗にイジメ抜かれたのだという。
 戦争による徴兵は丸山にとってみれば、確かに不幸なことではあっただろう。しかし、それとは逆にその中学にも進んでいない一等兵にとっては、東大のエリートをイジメることができる機会など、戦争が起こらない限りはありえなかった。
 丸山は「陸軍は海軍に比べ『擬似デモクラティック』だった」として、兵士の階級のみが序列を決めていたと述べているが、それは我々が暮らしている現状も同様ではないか。
(中略)
 しかし、それでも、と思う。
 それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争で苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないで欲しいと。
 しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみ続ける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。
(以上)
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戦争を待望するワーキング・プア

2007年02月23日 01時57分36秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
 雑誌「論座」1月号に掲載された赤木智弘氏の論考「『丸山眞男』をひっぱたきたい」の内容が、ブログ界で話題になっていると言う。何でも、自分自身がワーキング・プア(以下、WPと略す)である事をダシにして、「若者WP切り捨ての上に立つ平和なんてウザイ、いっそのこと戦争でも起こってくれた方が自分たちはのし上がれる」なんて言説を、誌上で展開しているらしい。
 そう聞き及び、当該雑誌が手に入らぬまま、氏の主宰する「深夜のシマネコBlog」その他のネット媒体を見ると、やはりそれらしき事が書かれている。何だ結局こいつは、自分自身がWPである事を免罪符に、被害妄想に囚われて、自分より下の弱者を貶めて日頃の鬱憤を晴らしているだけじゃないか。そういう今流行のネットウヨの一種だと思っていた。
 そして今日、その当該論考の原文を初めて入手した。そして読んでみて、もっと根深い問題が提起されている事を知った。以下、当該論考の内容について考えてみた。

 1975年生まれの独身フリーターの赤木は、自らを「ポストバブル世代」と位置付ける。それは、それまでの世代とは違い戦後の経済成長の恩恵に浴する事も無く、寧ろそれら世代が引き起こしたバブルの尻拭いを押付けられた世代だ。そういう赤木にとっては、識者による「格差社会」批判や「戦争」批判も、所詮はバブル以前の世代による既得権益独占にしか他ならない。
 2006年7月に放送されたNHKスペシャルのワーキング・プア特集番組も、赤木にとっては差別の隠蔽でしか無い。番組の中で、妻の葬儀資金に貯めていた僅かな貯金が在るために生活保護が受けれない仕立て職人の話が出てくる。そこで「妻の葬儀も自費でしてはいけないというのでは、もはや人間の尊厳を捨てろという事か」と憤る番組コメンテーターに対して、「ではそんな葬儀資金も貯金できない自分たちにとっては、ハナから人間としての尊厳は無いのか」と憤る。

 同じリストラをされるにしても、中高年の家族持ちは最後まで大目に見られるのに対して、自分たち若者WPは真っ先に犠牲にされる。セーフティネットも中高年の家族持ちに偏重している。「格差社会」批判論者も実際は「中高年の救済まず先に在りき」で、若者WPやニートの問題は後回しにしている。
 こんな中では、「反リストラ」をいう左翼こそが自分たちの敵であり、寧ろ「リストラ」や「右傾化・戦争」を唱える右翼こそが、バブル以前の世代の既得権益を打破してくれ自分たちにも浮上するチャンスを与えてくれる救世主に写る。こうして若者は「労働者の利権を奪って我々に与えてくれ」と右傾化に走るのだ。

 以上が、赤木の言う「いっそのこと戦争でも」云々の本当の意味だという。そして彼は、それが所詮は「貧困層が自分たちを苦しめている富裕層を支持する」「自分で自分の首を絞める」逆説でしかない事も見抜いた上で、敢えて警鐘を鳴らす意味で挑発的な言説を誌上で展開しているのだという。
 私は、それが必ずしも彼の本意であるとは、まだ完全には思えない。何故ならば、彼のブログを読むと、自分より下の弱者(在日外国人や未解放民など)を貶めて日頃の鬱憤を晴らしていると思えるような言説も、確かに散見されるからだ。「実際には差別など無いのに差別を言い募る」などという能天気な言説にも賛同しかねる(連合の労働貴族や解同利権の存在を割引いてもだ)。実際、彼の言説を支持する者からも、それらの問題点を指摘する声は上がっている。

 ただ、論考原文を読んで初めて気付いた事がある。それは、これは決してネットウヨクの戯言ではないという事だ。赤木は実は自分の分身ではないのか。そういう気すらしてくるのだ。
 確かに歳は一回り離れているが、私も赤木と同様にパラサイトのワーキング・プアだ。収入も赤木より少し上を行く程度だろう。今でこそ親はまだ健在だが、一寸先は闇という意味では赤木以上に深刻だ。

 赤木が経験している下流同士の軋轢は私もよく分る。前職の生協職員時代に、春闘でパート労組が残業拒否の時限ストを打った事があった。現場の正規職員労組員がその尻拭いをさせられる事を承知で山猫ストを打ったのだ。この時ほどセ・パ共闘のスローガンが空虚に響いた時は無かった。所詮現場では正規とパートは敵なのだ。
 そして時は巡り巡って今、今度は業務請負のアルバイトとして、当該請負会社の管理職正社員温存のしわ寄せをかぶせられようとしている。今のバイト先に配属になって少し分ってきたのは、今の所は結構「人を大切にする」という事だ。但し良い意味でも悪い意味でも。良い意味では、偽装請負でないしバイトにも社会保険も有給休暇もあり寸志も出る(本来はそれで当たり前なのだがその当たり前でない会社が多すぎる)が、悪い意味では管理職を温存し飼い殺しにしている、そういう面がある。
 たかが労働安全衛生活動の職場巡視にいちいち管理職が何人もぞろぞろ付き従い、現場作業の邪魔をする。管理職が首切られない分、設備投資は後回しで、使い勝手の悪い老朽化した施設での構内作業を余儀なくされている。それに加え最近ではバイトの実労働時間まで削減され始めている。ワークシェアリングといえば聞こえが良いが、何の事はない、バイトの収入減と引き換えに中高年管理職の温存を図ろうとしているだけなのだ。それで今度は設備投資無しのまま請負の仕事だけとって来ようとしている。繁忙期になれば、それこそ「自分で自分の首を絞める」事にしかならないのは目に見えているのに。我々の要求は、あくまでも「人間扱いされる事」であって、こんな「飼い殺し」や「矛盾のツケ回し」などではない。

 そういう意味では、赤木のいう事も実感として分る。但し、ウチは平社員やバイトには若者もおれば中高年もおり、それらが全て管理職のしわ寄せを受けているので、対立図式は「若者vs中高年」ではなく「平・バイトvs管理職」だ。しかも、「平・バイト」にもハナから仕事を投げているような部分すら見受けられる。平社員やバイトの先輩が職場の問題点を管理職に指摘するでもなく、ただ愚痴をこぼしているだけ、それで休憩時間にTVニュースの前で、やれ「機械」だの「労働時間だけが売り」だのとこれだけ自分達がコケにされているにも関わらず相変わらずお上を庇い、「朝鮮人などやっつけてしまえ」と言って日頃の溜飲を下げているだけ。そんな中でも、そんな退嬰的・反動的な封建オヤジの職場支配を少しずつでも変えていこうと、私も最近は自分のブログの内容を少しずつ周囲の者に広め始めているのだが。

 ただそれでも、赤木の対立図式には賛同は出来ない。その図式は余りにも世代論に偏した物の見方だ。赤木はバブル以前の世代との対比で、社会人1年生のスタートラインから下流として宿命付けられた自らの世代の不運を嘆くが、それは過渡期の現象にしか過ぎないと思う。
 このまま行けば必ず格差・貧困は固定化される。赤木も言うように、「再チャレンジ」の本質はセーフティネットを装ったギャンブルだ。ギャンブルは胴元だけが儲ける仕組みになっている。機会平等や公正競争や自己責任などの言説はそれを隠蔽する煙幕にしか過ぎない。そのうち嫌でも「中高年も若者も平等に総ホームレス」な社会がやってくる。そんな中で、徒に「中高年vs若者」の対立図式に拘泥するのは、その隠蔽に一役買っている事にしかならない。
 「いっそのこと戦争でも」云々についても同じ。現代の戦争は戦国時代の合戦ではない。核戦争には勝者も敗者も無く、自滅あるのみ。否、戦国時代の合戦ですら、個人の裁量だけではのし上がれなかった筈だ。個人の才覚と思われるものの大部分は、実はその時々の偶然にしか過ぎなかった(神風がその好例)。「戦場での万人平等の実力主義」などは単なる幻想だ。一兵卒に特攻・自決・餓死を強いておきながら自分だけ愛人とこっそりルソンやインパールの戦線から離脱した将校がいた。満州731部隊の将校は細菌戦の研究データと引き換えに戦犯追及から逃れられた。戦場でも生き残るのは特権階級だけ。そんな中で「実力主義」の幻想を抱く奴は、格好の「将棋の駒」にされるだけだ。

 赤木は戦後の経済成長や民主化、平和運動の欺瞞を突く。「中産階級主導の恵まれた平和でしかなかった」と。そして、その主因を戦後左翼に求める。しかしそれにはもっと裏がある。戦後の経済成長そのものが、実は東西冷戦の下で、日本を日米安保の頚木に引き止めておく為に、「米国流民主主義」のショーウインドウとして米国によって意図的に作り出されたものである。労働組合の「物取り主義」やその後の右翼的労戦再編そのものが、ケネディ・ライシャワー路線によって意図的に作りだされたものなのだ。戦後の民主化は、そういう「与えられた民主主義」を一歩一歩自分たちの物に作り変えていく過程でもあったのだ。
 しかしその後の冷戦終結と米帝の相対的な力の後退で、戦後日本を「アメリカン・ドリーム」漬けしておく必要も余裕も無くなった米国は、日本にも応分の負担を求めて来るようになる。80年代の中曽根臨調行革、90年代以降の米軍再編、日本右傾化、経済バブルとその崩壊、これらの一連の流れは全てその下で引き起こされたものだ。
 同じ「論座」1月号所収の渋谷望の論考「「総下流化社会」日本」にその事が書かれている。渋谷は、赤木の言う下流同士の軋轢に対して、それは「共に沈み往くタイタニック号の中の、真っ先に水につかり始めた移民たちと今はまだ安泰な一等船室客の争い」にしか過ぎないと断じている。私も、この渋谷の見立ての方がより真実に近いと思う。そういう構造的な問題を抜きにして、それを若者WPの意識の問題のみに還元し労組の「物取り主義」批判に終始しているだけでは、赤木の左翼批判も所詮はケネディ・ライシャワー路線の掌の中で演じられる「下流スペクタクル」にしか過ぎない(注:スぺクタクル=見世物)。

(参考記事)

・参考:赤木智弘「『丸山眞男』をひっぱたきたい」(抄)
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/3acde4a221d5d8fb5205007d3a2df57d
・希望は戦争(狂童日報)
 http://d.hatena.ne.jp/qushanxin/20061206
・論座のプロフィールを読んで来た方へ(深夜のシマネコBlog)
 http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/12/post_171.html
・格差社会を容認する類の弱者が望むもの(同上)
 http://www.journalism.jp/t-akagi/cat58/
・新年の悪夢というよりは正夢─若者は暴走するか?(新庄新田トラスト)
 http://www.nurs.or.jp/~suiden/text/20070101.htm
・『バックラッシュ!』を非難する(深夜のシマネコBlog)
 http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/07/post_136.html
・共感はできても賛同してはいけない「『バックラッシュ!』を非難する」(macska dot org)
 http://macska.org/article/145
・現代の貧困をめぐって。(シャ ノワール カフェ 別館あるいは黒猫房主の寄り道)
 http://d.hatena.ne.jp/kuronekobousyu/20061208
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北朝鮮問題にどう向き合うか―私なりの結論

2007年02月19日 00時53分18秒 | 北朝鮮・中国人権問題
 以前の記事「北朝鮮とどう向き合うか―1.21シンポ参加報告」でも触れた事ですが、「北朝鮮とどう向き合うか」については、左右のスタンスが大きく異なります。
 国内外での拉致や政治犯収容所、極度の個人崇拝、特権階級の存在と人民の飢餓。この元凶である金正日体制は清算されなければならない、そこまで行かなくても、少なくともこんな政治はゴメン蒙る。この北朝鮮問題の<現状認識>については、右翼と左翼の間でもそんなに意見の違いは在りません。しかし、その前後の、北朝鮮問題の拠って生まれた<原因>と、それを解決するための<方針、展望>は、右翼と左翼とでは全然異なります。

 右翼は、「金正日体制は共産主義の申し子である」と説き、「日米ネオコンの力で、イラク戦争と同じやり方で、北朝鮮とそれを支援する中国の共産主義を打倒しなければならない」と主張します。
 それに対して左翼は、「金正日体制は東西冷戦の申し子である」と説き、イラク戦争の様な侵略戦争には反対します。日米ネオコンを当てにするなどという「別の独裁で以って独裁を制す」やり方などではなく、あくまで日本国憲法や世界人権宣言の論理で北朝鮮の独裁に対抗します。その上で、ある人たちは太陽政策による緊張緩和・開放促進を主張し、また別の人たちは東欧型の革命による解放を主張します。有体に言えば、ざっとこういう風に分かれるのではないでしょうか。
 これを縦横の座標軸で説明してみます。横軸は左端が左翼、右端が右翼。対する縦軸の指標は左右両方に二種類あり、右側が国権(国益)、左側が人権です。こうして横の左右軸、左縦の人権軸、右縦の国権軸という三本の軸を設定します。次にグラフを二本引きます。国権軸下端から人権軸上端に向かう左肩上がりの人権度グラフを一本と、人権軸下端から国権軸上端に向かう右肩上がりの国権度グラフをもう一本。この二本のベクトルが交差する座標点にあるのが北朝鮮問題なのです。(あまり上手く説明できませんが・汗)

 この「北朝鮮とどう向き合うか」という問題は、「戦争もリストラも人権抑圧もゴメンだ」という当ブログにおける最大のテーマでもあります。私は、今までこの問題について、ずっと考えてきました。そして、この間の北朝鮮難民支援活動へのささやかな参加を通して、この問題について、ようやく、自分の進むべき道がおぼろげながら見えてきた様に思えます。

 「北朝鮮問題にどう向き合うか」について、以下が自分なりに決めた結論です。

・あくまでも、日本国憲法や世界人権宣言が指し示す、平和・人権・民主主義を基調に考える。
・その観点から、北朝鮮の人権抑圧を非難し、脱北者救援・定着活動を支援する。その事を通して、北朝鮮民主化促進と同時に、日本国内における排外主義克服・多民族共生の在るべき姿を追求する。
・「別の独裁(ネオコンによる帝国主義戦争)で以って独裁(金正日体制)を制す」イラク戦争のような形での「解決」、東アジア・日本民衆の「平和に生きる権利」「人間らしい暮らしや幸福を求める権利」「自分たちの将来を自分たちで決める権利」を犠牲にして憚らないような形での「解決」、改憲・右傾化・増税・生活破壊・売国政治の方向には明確に反対する。

 拉致問題が表面化してこの方、よく「北朝鮮・拉致問題の解決には右も左も無い」という事が言われました。これは、確かに言っている事は間違いではありませんが、実際には奇麗事にしか過ぎないと思います。先の座標軸の説明で言うと、確かに二本のベクトルが交わる点はありますが、互いのベクトルが向かう先はそれぞれ右肩上がりと左肩上がりという様に、全然方向性が異なります。
 米国や安倍政権を巡る左右の評価の違いに、それが最も鋭い形で現われています。教基法・憲法改悪・靖国参拝・教科書・従軍慰安婦・命令放送の問題然り。WE・消費税増税・食と農の安全・格差社会・グローバル化・国内産業空洞化の問題然り。沖縄・岩国・在日米軍再編・海外派兵・アフガン・イラク・パレスチナ・新植民地主義の問題然り。
 それらの問題のどれをとっても、右翼側の言い分は「北朝鮮・拉致問題がある限り、我々日本国民は米国ブッシュ政権や日本の安倍政権を支持しなければならない」というものでしょう。それに対して左翼側(というよりは我々)の言い分はというと「いくら北朝鮮・拉致問題があるからと言われても、こんな自分たちを貶め苦しめるような政治など支持できるか!」というものです。誰が、こんな「自分で自分の首を絞めるような真似」など容認できますか。
 これは断じて、単なる「イデオロギー」の問題などではありません。拉致被害者と同様に、こちらも生活がかかっているのです。いくら「日本を信じろ」と言われても、そう簡単に「はいそうですか」という訳にはいきません。

 そういう実際にある矛盾を「右も左も無い」の奇麗事でウヤムヤにするから、得てしてミイラ取りがミイラになってしまったり、逆にそれを怖れる余り、問題自体から目をそむけてしまったり、という事が起こるのです。「右も左も無い」のではなく、「右と左の違い」を正直に認めた上で、その相反するベクトルが交わった瞬間においては期せずして「別個に進んで撃つ」事もある。それぐらいで丁度良いのではないかという気がします。

 運動の歩調を左右で無理に合わせる必要もありません。「救う会」が北朝鮮経済制裁発動を求めているからといって、左翼が同じ様にそれに歩調を合わせたり無理に態度表明をする理由はありません。内部で今すぐ結論が出ない間は無理に結論を出そうとしたりなどせずに、目先の脱北者救援に精力を注いでおれば良いのです。一致点を見出だす努力は必要だと思いますが。
 これはまた右翼側にも言える事だと思います。「家族会」の座り込みを巡って「救う会」支持者の間で意見が割れた事がありましたが、これは左翼側の戦術を無理に真似ようとした所があったのかも、という気がします。
 そうではなくて、左翼・右翼でそれぞれが自分たちの得意分野や持ち味を生かして、それぞれが北朝鮮問題に取り組む。左翼ならば日朝交流や在日の人権擁護、右翼ならば日米政権との太いパイプを生かすとか。両者はそもそも拠って立つ世界観・価値観が違うので、ベクトルが交差する事は殆どありませんが、偶にはベクトルが交差する瞬間も在る。これ位に割り切った方が、結果的に北朝鮮問題解決の進展にも資する事に繋がるのでは。
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搾取されたがる人たち

2007年02月16日 08時54分17秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
 以前、ある所で、こんな人を見かけました。TV国会中継か何かで、野党議員が青年の就職難・結婚難の問題で政府を追及しているシーンを前にして、やにわに「××党は何言っとんじゃあ、こんな奴らは中国・北朝鮮へでも行ってしまえ」という事を言った人を。

 後でその人に話をよくよく聞いて見ると、その人は、休みの日にまた別のフルタイムの仕事を掛け持ちしているダブルワーカーでした。ダブルワークの理由は、二人の子どもの教育費を稼ぎ出す為です。それで「自分はこうやって結婚も仕事もしているのだ、人間その気になれば何でも出来るのだ、文句いう奴は世間に甘えている」という結論になるのでしょう、この人の場合は。

 しかしそんな生活は、はっきり言って「人間の暮らし」ではありません。ただただ生存の為、食いつなぐ為だけに、365日休み無しの働き尽くめで生きて行かなければならないと言うのは、それはもう「動物の暮らし」と同じです。

 そういう風に、何でも「自己責任」で受け入れて「個人が受忍すべき試練」と思うのは、それは当人の勝手ですが、誰もがそんな暮らしが出来る訳ではないし、それで以って「怠け者」だとか「甘え」だとか言われる筋合いもありません。少なくとも私はそんな「奴隷労働」など真っ平ゴメンです。そういう価値観を人にまで押付けられたら堪ったものではありません。

 「最低限度の健康で文化的な生活を送る権利」は、単に日本国憲法25条に書かれているだけに止まらず、どんな国の人であれ人間ならば誰もが持っている当然の権利であると、私は考えます。
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拉致問題を言い募りつつ、実際は北朝鮮解放に敵対するという自己撞着

2007年02月16日 08時29分52秒 | 北朝鮮・中国人権問題
 こういう人が未だによくいます。TVが北朝鮮や拉致問題のニュースを流す度に、「北朝鮮なんかやっつけてしまえ」とか「このチョンが」とか、そういう言葉を平気で吐く人が。そんな場面に何度も出くわすと、もういい加減ウンザリきます。「戦後日本の60年の歩みは一体何だったのか」と、つくづく思います。

 この発言の裏には、「北朝鮮の恫喝、瀬戸際政策に屈するな」という想いがあるのは確かでしょう。しかし、この手の人がこういう発言をすればするほど、北朝鮮・拉致問題の実際の解決は逆に遠のいてしまうのです。
 これは何故かと言うと、この手の人たちというのは得てして、北朝鮮問題を、単に「日本人拉致の問題」「日本vs韓国・北朝鮮・中国の、民族・国家対立の問題」としてしか理解出来ないからです。だから、金正日や北朝鮮の事をクソミソには言うが、その当事国の犠牲者である在日コリアン・帰国者・脱北者の救援の問題には逆に事の外無関心で冷淡なのです。中には「在日の北朝鮮帰国者は自分の意志で北朝鮮に行ったのだ、たとえ騙されて行ったとしてもそれは当人の自己責任であって、日本人拉致被害者と同じには扱えない」、もっと酷いのになると「朝鮮人がどうなろうと知ったこっちゃ無い、日本人の拉致被害者だけ助かれば良いのだ」と言わんばかりの人までいます。

 確かに、「救う会」系や右翼の中にも、脱北者・帰国者救援や在日コリアンの地位向上の問題に取り組まれている人は少なくありません。また、「拉致被害者家族会」の方々の多くが脱北者・帰国者救援や在日の問題にも心を寄せてくれている事も確かです。実際、横田さんなどは民族学校への心無いバッシングに対して非難の声を挙げました。
 しかしその裾野(拉致問題支援者)はどうかというと、まるで「親の心子知らず」ともいうべき心理で、相も変わらず朝鮮人・在日コリアンバッシングに奔走しているだけなのです。

 よく脱北者救援と言うと、何か北朝鮮国内に潜入して意図的に脱北や内乱を扇動する運動であるかのように捉えられる向きもあるようですが、実際は違います。脱北の手助けもしますが、それはあくまで脱北者本人の意志によるものです。そして、脱北の危険も然る事ながら、寧ろ本当の困難は脱北後の定住にあるのです。言葉も喋れず、日本での勤労の経験も技能も無い脱北者の方に、日本語を教え住居や勤務先を斡旋する、そういう地味で苦労も多い地道な運動なのです。また、在日コリアン社会との協力・連携も不可欠です。
 それに対して最大の壁として立ちはだかっているのが、何かといえば自国本位の歪んだナショナリズムを振り回し、在日の人たちを「チョーセン」と蔑み、事あるごとに外国人バッシングに走る、この手の人たちなのです。

 中国・韓国などの北朝鮮周辺諸国が何故北朝鮮を持て余しているかといえば、金体制崩壊を機に脱北者・北朝鮮難民が自国に大挙して押し寄せてくるのを怖れているからです。この難民問題について、いきなり全員救出とまでは行かなくても、その道筋(難民受入れの国際的枠組み構築と各国での一定程度の受入れ・生活支援)さえつける事が出来れば、冷戦の仇花である金正日体制など自然に瓦解し、北朝鮮問題は基本的に全て解決するのです。北朝鮮問題の基本はあくまで人権問題です。核放棄や安全保障などは全て二次的な問題です。況してや民族・国家対立や「自国本位の国益」の問題なんかでは決してありません。

 しかし安倍政権は、自身の有力な支持基盤でもある「この手の人たち」を敵に回すようなことなどは絶対にしません。それでも一国の政権担当者ともなれば、流石に「この手の人たち」の価値観だけでは実際の政治は回らない事も、薄々は分ってきたようではありますが。それでも、これだけ支持率が低落している中にあっては、ただひたすら「この手の人たち」に阿り排外主義を煽り立てて、それを自身の内閣と自民党政治の安定に利用しようとしているだけなのです。
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転載:WE反対大阪法律家7団体共同アピール

2007年02月13日 09時29分01秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
日本版「ホワイトカラー・エグゼンプション」導入を許さず、人間らしい働き方を取り戻そう!―法律家7団体共同アピール―

1 日本の労働現場はいま、不安定雇用労働者をはじめとして低賃金と無権利状態にあえぐ一方、正社員も含めて過密・長時間労働に苦しんでいます。家族間の絆が絶たれ、かけがえのない個人の自由な生活が奪われる事態が広がっています。労働者の肉体的・精神的ストレスも強まり、職場内の不和やいじめ、過労死・過労自殺者が増大しています。
 にもかからわず、政府は、労働者を保護し、格差社会の是正・貧困の救済の施策をとろうとはせず、逆に、財界の強い要求に応えて、アメリカの「ホワイトカラー・エグゼンプション」の日本版の導入を画策しています。本年2月2日には、これを「自己管理型労働制」と銘打って「労働基準法の一部を改正する法律案要綱」にまとめ、今国会での成立を狙ってきました。

2 要綱によれば、「自己管理型労働制」とは、対象労働者に付いて労使委員会での議決等があれば、労働基準法で定められている労働時間規制及び割増賃金支払義務規定を一切適用しないというものであり、対象労働者は、①労働時間では成果を適切に評価できない業務に従事する者、②業務上の権限及び責任を相当程度伴う地位にある者、③業務遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしないこととする者、④年収が相当程度高い者、の要件を満たす者とされています。
 しかし、使用者は、労働者が行うべき業務内容、業務量及び業務完了の期限等を自由に指揮命令できるのですから、実際には労働者が労働時間を「自己管理」することなど出来ません。むしろ、命じられた業務をこなすために、残業代の支払も無い状態で、果てしない長時間労働を強いられます。
 また、対象労働者に関する要件はあいまいであり、唯一具体的な年収要件についても、厚生労働省令で定めるとされていますので、一度法律が成立すれば、年収要件を引き下げて対象労働者の範囲はいくらでも広げられます。労働時間規制が実質上無になる危険があるのです。
 さらに、対象労働者の健康に関しては、週40時間を超える在社時間等がおおむね月80時間程度を超える場合で、かつ、労働者からの申し出があった場合に、医師による面接指導を行うという規制しかなく、ある労働政策審議会の使用者側委員が述べたように、まさに「過労死は自己管理の問題」とする制度となっています。
 このように、「ホワイトカラー・エグゼンプション」は、いかなる名称をつけようとも、「残業代ゼロ法」であり「過労死促進法」であることに何ら変わりはありません。

3 政府は、先日、この法案の今国会提出を見送る方針を決めたといわれています。しかし、これは与党が、今後の統一地方選挙、参議院選挙をたたかう上で不利になるので今は避けておこうと判断しただけで、選挙後には国民の理解を得たと強弁して国会に提出される可能性は極めて高い状況にあります。
 労働者が長い歴史で勝ち取り、グローバル・スタンダードともなっている1日8時間・週40時間労働制を守るため、また、労働者の生活と権利を守るため、この法案の問題点を世論に訴え、その提出を真に断念させるまでたたかいましょう。そして、人間らしい働き方を取り戻すためにどうしたらいいかを議論していこうではありませんか。
 人間らしい働き方を取り戻し、働く者の生活と権利、家庭と健康といのちをまもるために。以上

 2007年2月9日
 過労死促進+家庭破壊+残業代ゼロ法案「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入を許さず、人間らしい働き方を取り戻そう!大阪法律家7団体共同シンポジウム 参加者一同
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WEも代替改悪も徹底粉砕!我々は「働く機械」ではない!

2007年02月12日 00時12分55秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
※写真はチャップリン「モダンタイムス」のDVD。引用はツタヤのHPから。
 
 前回記事で紹介の、2月9日の『「ホワイトカラー・エグゼンプション」(以下、WEと略称)導入を絶対に許さない!大阪法律家7団体共同シンポジウム』に参加してきました。会場に着いたのは開演時間ギリギリの18時半で、着いたら直ぐにシンポジウムが始まりました。会場のシアターホールは人が一杯で、ほぼ満席に近い状況でした(後日確認した所では約700名参加との事でした)。
 最初に田島さん(労働政策審議会労働者代表委員)の情勢報告があり、それから西谷さん(大阪市大教授)の基調講演、各職場・過労死遺族からの訴えと続き、その次に会場からも「私も一言言いたい」という形で数人の方から発言があり、最後にアピールを拍手で採択して終了しました。

 このシンポジウムで私が一番勉強になったのは、西谷さんの、「WE―10の設問と解答」と題する講演です。この講演で、WEの本質を分りやすく突いておられました。以下、その「10の設問と解答」の要旨について解説していきます。但し、解説には私自身の思い入れも相当入っていますので(書いているとどうしても感情移入してしまうのです)、その点はご留意を。

(1)WEとは何か?

 世間では「残業代ゼロ」法案と揶揄されているWEですが、それはあくまでも現象面から見た捉え方です。現行の1日8時間・1週40時間の労働時間規制に大きく穴を開け、働きすぎの歯止めを骨抜きにして、「お前らは働く機械だ!死ぬまで働け!」という状況に多くの労働者を追いやる。それがWEの本質なのです。
 それに対して国は「そうではない、歯止めはちゃんと在る」と詭弁を弄していますが、そんなモノは嘘っぱちです(この事については以下順次後述)。

(2)WEは誰に適用されるのか?

 「管理職一歩手前の者」なのだそうですが、その規定は曖昧で、如何様にも解釈出来る代物です。
 具体的には「労働時間だけでは仕事の成果が評価出来ない者」「相当の権限と責任の在る者」「勤務時間を自分で自由に設定出来る者」の3要件を全て満たす者なのだそうですが、そのいずれの要件も、どうとでも解釈出来る曖昧な規定であり、それ以前に、実際にはこんな労働者など何処にも居ません。「勤務時間を自分で自由に設定出来る者」など現実には企業のCEOだけです。
 あと4番目の要件として「年収が相当高い者」というのが在りますが、日本経団連では400万円以上のホワイトカラー全て(つまり全勤労者の大半)を対象にしています。それに対して国は、900万円以上だと勝手に言い募って火消しに躍起となっていますが、こんなモノは一旦法律さえ作ってしまえば後は政省令でどうとでも出来ます

(3)誰が何のために推進してきたのか?

 日米の政府・財界が、「お前らは働く機械だ!死ぬまで働け!」という状況に労働者を追いやる為に、です。推進者は、日本経団連と、その意を呈した規制改革会議や経済財政諮問会議。裏で糸を引いているのが在日米国商工会議所です。
 目先の動機は、この間の不払い残業・偽装請負取締りの厚労省通達の効力失効。「赤信号で止まらなければならない様な不便な法律など丸ごと無くしてしまえ」という理屈です。「ドライバーの利益が最優先、歩行者はみんな死ね」と言うことです。その背景には、90年代以降の資本のグローバル化と、それに伴う賃金や労働条件のソーシャル・ダンピングの流れが在ります。そういうグローバル資本の野望に対しては、「人間らしい働き方」「公正な社会の在り方」を対置していく事が求められています。

(参考資料) WE導入の足取り
~岩波ブックレット「これ以上、働けますか?」及び当日配付資料より
・1994年11月 日経連意見書―裁量労働制拡大、WEに一歩踏み出す
・2005年 6月 日本経団連「WEに関する提言」―WE導入を呼号
・2005年12月 規制改革・民間開放推進会議「第二次答申」―WEを政策要求
・2006年 4月 厚労省「時間研報告」―WEを正式に提唱
・それ以降、厚労省労政審・労働条件分科会で素案作りが進行
・2007年2月 労政審分科会「労働契約法・改正労基法」法案要綱提出
 それも、労使の意見が完全に対立したままであるにも関わらず、「概ね妥当である」と結論を一方的に導き出して、そのまま両論併記の形での異例の提出。

(4)労働者に何をもたらすか?

 どこぞのバカ殿が「残業代が払われなくなるのでみんな早く帰宅するようになり、ワーク・アンド・バランスが促進される」などという世迷い言をの給っていましたが、そんな事は絶対に在りません。事実はその全く逆の、正規雇用も非正規雇用も一切合財含めた全労働者の「管理監督者一歩手前=仕事奴隷」化です。
 「明日の朝までに契約を1万件取って来い、時間配分はお前に任す」。そう言われた方が仕事のし過ぎで過労死しても「死ぬまで働けなんて誰も言わなかったぞ~、俺は知らね~ぞ~」でチョン。こんな「自由な働き方、自立的労働」が、今後は「あらゆる働き方の基準」とされようとしているのです。
 「今までも不払い労働や休日出勤が横行しているのに、今更抵抗した所で何も意味ないじゃないか」という人も中には居ます。トンデモありません。今は曲りなりにも労働時間規制が行われているので、過労死も裁判に訴える事が出来るのです。しかし、労働時間の規制が取っ払われてしまったら、いくら過労死しても裁判に訴える事すら出来ない世の中になってしまうのです。そんな「殺され損」を甘受出来ますか?

(5)年収要件をどう見るか?

 労働基準法と言うのは、「人間たるに相応しい労働」(労基法第1条の規定、今時の言葉で言えば「ディーセント・ワーク」と言うそうですが)を保障する為に、「万人に」適用されるべきものです。本来、年収だとか身分だとかでより分けされるべきものではありません。これが、日本やヨーロッパの労働法制の大原則。
 それに対して、「年収で労働者保護もランク分けする」というのは、これは米国流の発想です。そもそも米国には日本の労働基準法に当る法律は存在しません。代わりに「公正労働基準法」という法律は存在しますが、其処には「×時間以上働かせる場合はコレコレの割増賃金を払いなさい」という事が書かれているだけなのです。過労死するのも、ゴマすりで自分だけはのし上がれると信じるのも、万事金次第で弱肉強食の世の中。これが米国株主資本主義の特徴・本質。それを後追いしようとしているのが日本。

(6)労使委員会決議と個人合意は歯止めになるか?

 WE導入に際しては、職場労使委員会の議決(8割の賛成)と対象者本人の合意が必要ですが、そんなモノは全然歯止めにはなりません。
 労使委員会の構成を、仮に使用者側5名、労働者側5名としましょう。5名の使用者は全員、「何が何でもWE導入」で階級的に固く団結しており、「アメとムチ」で労働者側を切り崩しにかかります。自分の身(労働力)しか売るものの無い労働者側は簡単に切り崩され、5名中の3名が導入賛成に回ってしまえば、それで「計8名=労使委員の8割が賛成した」という事で、簡単に導入されてしまいます。そんな中では本人合意の有無要件など屁の突っ張りにもなりません。

(7)休日保障は意味を持つか?

 また、WE導入の代替措置として年間104日の休日を対象労働者に付与する事が謳われていますが、これも導入の為のゴマカシにしか過ぎません。
 休日年間104日というのは完全週休2日に対応しています。「週休1日の義務規定しか無い現行労働基準法よりは良いではないか」と思われる向きも在るかも知れませんが、豈図らんや。
 いくらこんなモノを法律で決めた所で、「明日までに100件の契約を挙げて来い、出来ない奴はクビだ!」と言われたら、今の日本では我が身可愛さにしぶしぶ休日に出てきてタイムカードも打たずに「勝手に、自発的に」仕事をする社員ばかりではないですか。それが嫌ならトットと正社員など辞めてフリーターになるしか無いのですが、妻子持ちにそんな「自由な働き方」など出来る訳が無し、フリーターになればなったで、そこでも偽装請負などの違法労働がまかり通っている訳でしょう。
 一旦労働時間規制が取っ払われてしまったが最後、いくら形だけの休みを増やした所で、こんなモノは何の保障にもなりません。仮に休めたとしても、深夜の11時・12時・1時まで及ぶような労働実態の中では(そもそもWE賛成論者はこういう実態を知った上で発言しているのか?有閑ブルジョアの無知戯言なら只のバカ、御用労務屋の意図的発言なら鬼畜の所業!)、「ただひたすら寝るだけの休日」に終わってしまいます。こんな状況では労働者の人間的成長や社会参加は望むべくもありません(実はそれが資本の真の狙いなのかも知れませんが)。今でも不払い労働、不払い休日出勤が横行しているというのに、こんなモノなど何の屁のツッパリにもなるか!

(8)現行の合法的残業代不払い制度との関係は?

 今はともすればWEだけに注目の眼が注がれていますが、労基法改悪はそれだけに止まりません。管理監督者に対する適用除外(労基法第4条)や裁量労働制の導入という形で、既に大幅に改悪されているのです。
 管理監督者というのは、労基法制定当初は、ホンの限られた重役クラス(今風に言えばCEOクラス)を指していたようです。しかし今では、バイト業務の穴埋めもしているマクドナルドの店長のような、実態的には現場の労働者としか言えない様な層も管理監督者の範疇に入れられてしまっています
 また裁量労働制について言うと、これは実際には規定以上の時間を働いても規定時間しか働いていないと看做される制度ですが、それが導入されたらどうなるかは、学校の教育現場を見れば一目瞭然です。教育現場では既に遥か以前の1971年から裁量労働制が適用されています。残業代が一切付きません。その結果は衆知の通り、風呂敷残業、フロッピー・CD残業の横行です。
 しかも、当初は「専門業務型」「企画業務型」という形で、あくまでも限定的に導入されていた裁量労働制ですが、一旦導入されると「小さく入れて大きく育てる」の例え通りに、その適用範囲が大幅に拡大されようとしています。中小企業では専門・企画・分析を「主たる」業務とする労働者に、という具合に。
 WEと引き換えに裁量労働制やフレックスタイム制の更なる改悪が行われる可能性を見逃してはなりません。WE絶対阻止は勿論至上命題ですが、それだけを阻止すれば事足れりでは無いのです。労基法の骨抜き、WEと引き換えの代替改悪をこれ以上許してはなりません。WEもその他の改悪もNO!

(9)何故この様な矛盾に満ちた法律が出てきたのか?

 労働政策審議会(労政審)の場では、WE導入と抱き合わせに、非WE労働者の残業割増率アップについても議論されています。根強いWE反対世論を意識して、残業割増率アップを先行実施する事も労政審の場では議論されているそうです(使用者代表は強硬に反対していますが)。尚、この「残業割増率アップ」は何ら実効的な措置を伴わない努力義務規定にしか過ぎず、その内容も隔靴掻痒としか呼べないような代物です。そういう意味では「WE導入の為のアメ」でしかありません。ただ、「何故この様な矛盾に満ちた法律が出てきたのか?」という事は、きちんと見ておく必要があります。
 厚生労働行政の中では、「労働者保護の建前」と「資本の代弁者としての実態」がぶつかり合っているのです。だからこういう相異なる方向の矛盾した議論や答申が出されるのです。しかし、その実態・本質はあくまでも「資本の代弁者」です。但し、厚労省はあくまでも「使い走り」であって、その裏で実際に糸を引いているのは、在日米国商工会議所・日本経団連・規制改革会議・経済財政諮問会議などの日米財界中枢に他なりません

(10)労働時間短縮に向けての課題は?

 WE導入絶対阻止と併せて、これ以上労基法を改悪させない闘い、改良していく闘いが求められています。今の様な三六協定さえ結んでしまえば何でも在り」のザルではなく、「どんな業種や雇用形態や職階であろうともこれ以上は絶対に働かせない」という形での、明確で実効性を伴った時間外の上限規制を要求していく必要があります。例えば、EU労働指令に見られるような、「時間外労働も含めて週48時間上限」とか「勤務終了から次の勤務開始まで最低10時間以上開ける」とかいう形で。その為には労働組合も、「安易に三六協定を結ばない」という姿勢を堅持すべきです。
 それと、資本の側からのマヤカシを打破していくだけの力をつけていく、つまり「人間らしい働き方」の論理を「資本の論理」にぶつけていく事が必要です。
 例えば、資本の側は、WEや成果主義賃金制度の導入に際しては、こういう事を言ってきます。「一生懸命仕事して8時間で仕事を終える人よりも、ダラダラ仕事して10時間かかって仕事を終える人の方が給料が高いのは、オカシイではないか?」と。しかし、それは詭弁にしか過ぎません。まずその8時間なり10時間なりの仕事の中身が重要です。手抜きや要領をかまして形だけ8時間以内に終わらせたのと丁寧に仕事をして10時間かかったのとでは、どちらが優れているのか。そもそもそういう仕事の中身まできちんと見て評価しているのか。上辺だけ、目先の数字だけ、見てくれだけで評価しているのじゃないのか(不二家やパロマ、JR西の様に)。また、大器晩成型や新人で在るが故に時間がかかっているのかも知れないし、単純に鈍くさいからだけなのかも知れない。それならそれで、適材適所の人材配置や業務量の調整を図るのが、長や経営者の役目ではないのか。ところが実際は、最近の企業経営はと言うと得てして、安上がりの労働力を即戦力で採って使い捨てしているだけではないか。安上がりの外国人を雇って最低賃金以下の給料で働かしたり下請け虐めをしているだけではないか。「そういう、人材育成も業務量の調整も最低限の福利厚生の義務も放棄した単なる私利私欲の徒が経営や政治の実権を握っている方が、よっぽどオカシイじゃないか!!」
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柳沢厚労相の人格否定発言を巡って3

2007年02月09日 09時39分42秒 | お笑い安倍政権
※「産む機械」発言は既に海外でも物笑いの種になっています。とうとう「産む機械」ロゴ入りのTシャツまで出回りだしました。(写真はそのロゴ、詳細は下記URL参照)
 http://www.cafepress.com/macska/
 http://blog.izumichan.com/article.php?id=441


●慇懃無礼の下からとうとう居直りの本音が―柳沢大臣曰く「少子化は若者に子どもを産む意識がないから」

・柳沢厚労相:子ども2人以上「健全」発言、波紋に拍車(毎日新聞)

>「女性は産む機械」と発言し釈明に追われている柳沢伯夫厚生労働相が、6日の記者会見で結婚したい、「2人以上子どもを持ちたい若者」を「健全」と表現したことが波紋を広げている。首相官邸は問題視しない構えだが、野党側は「子どもが2人以上いなければ不健全なのか」と一斉に反発。<
>(記者) 少子化対策は女性だけに求めるものなのか、考えはいかがか。
(厚労相) 若い人たちの雇用形態が、例えば婚姻状況などに強い相関関係を持ち、雇用が安定すれば婚姻率も高まるような状況なので、まず若者に安定した雇用の場を与えていかなければいけない。また、女性あるいは一緒の所帯に住む世帯の家計が、子どもを持つことで厳しい条件になるので、それらを軽減する経済的支援も必要だろう。もう一つは、やはり家庭を営み、子どもを育てることには人生の喜びのようなものがあるという意識の面も若い人たちがとらえることが必要だろう。そういうことを政策として考えていかなければならない。他方、当人の若い人たちは結婚をしたい、それから子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいるわけだから、本当にそういう若者の健全な、なんというか希望というものに我々がフィットした政策を出していくことが非常に大事だと思っている。<
 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070207k0000m010115000c.html

 さすが戦前封建アタマ!今までの謝罪は全て上辺だけのものでした。如何に取り繕っても人間の本性は覆い隠せない。

 この期に及んでもまだ安倍マルコスとその取り巻きは、「雇用の安定が大事とも言っているではないか」と戦前封建アタマを必死で擁護するのでしょうが、本音は後段部分の「家庭を営み、子どもを育てることには人生の喜びのようなものがあるという意識の面も若い人たちがとらえることが必要だろう」にある事は一目瞭然。
 これは裏を返せば、「少子化の原因は、お前ら若者の意識の持ち様に問題が在るからだ」と言っているのと同じではないですか。

 そもそも、人間の意識の裏には、必ずその裏づけとなる社会情勢や経済的な背景があります。そういう背景とは無縁に意識だけが出てくるという事は(オウムや統一協会や北朝鮮の主体思想などがその考え方の典型ですが)、普通はあり得ません。但し、そうして生まれた意識の広がりによって更に社会の変化が促される、という事は在りますが。いずれにしても、基本はあくまでも「先に社会的・経済的背景在りき」なのです。人間の意識と社会的・経済的背景は、「並列の関係」なんかじゃ決して無い。
 WE(ホワイトカラー・エグゼンプション)の問題にしても、そうでしょう。誰が好き好んで、過労死するほどサービス残業や休日出勤をするのですか。ギリギリまで人員が削減され何でも個人責任にすり替えられる中で、自分の身を粉にして働かなければ仕事が終わらないから、嫌でもせざるを得ないのでしょう。それを安倍さんや労政審の使用者代表は、あろうことか「ダラダラと仕事をしている労働者の意識の問題」に話をすり替えようと、躍起になっているでしょう。上記の柳沢発言もそれと同じです。

 子どもを作りたくても作れない、若者が自立できない、健康で文化的な最低限度の生活が遅れない、公的医療の切捨て、病院リストラでおちおちお産も出来ない、そういう格差や貧困の問題を脇に追いやっておいて、しかもその福祉切り捨て・WE強行の当事者・A級戦犯である厚生労働大臣が、「若者の意識の問題」にすり替えて個人に責任を擦り付けている。そして当の本人はその事に全然気が付いていない。ここまで来れば、もう「漫画」ですね。


●町村信孝のダブスタ

・町村前外相:柳沢氏辞任要求を「言葉狩り」と批判(毎日新聞)

>自民党の町村信孝前外相は8日、町村派の総会であいさつし、柳沢伯夫厚生労働相の「女性は産む機械」発言について「もう済んだ話。言葉狩りという表現がぴったりだ」と、同党内外の柳沢氏辞任要求を批判した。<
>「2人以上子供を持ちたい若者」を「健全」と表現した柳沢氏の発言についても、「(子供が)2人、3人、4人いたらいいねと、ごくごく当たり前のことを言った」と擁護。「(一連の厚労相)批判は安倍(晋三首相)さんのイメージをひたすら落としたいという目的以外の何物でもない。私はしっかりと柳沢さんを支え、安倍内閣を支えていく」と強調した。<
 http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/photojournal/news/20070209k0000m010100000c.html

・イラク人質事件について(町村信孝HP)

>人名尊重という名の下に、反自衛隊、自衛隊イラク派遣反対という政治的主張を行うことは、目的のために手段を選ばない、誠に理不尽なやり方だと多くの国民が思ったことでした。<
>更に、20回以上、政府が「危険だからイラクにいかないように」との退避勧告を行ったにも関わらず、イラクに行き人質となり、危険がふりかかと「政府は何をやっているのか、自衛隊は即時撤退」という誠に身勝手な政府批判の主張を振りかざしました。これらは逆に多くの国民の批判の対象となり、「自己責任の原則」という議論や、膨大なコストを人質も負担すべきという要求が出てくるのも、止むを得ないと考えざるをえません。<
 http://www.machimura.net/column_b/pages_65.html

 約3年前のイラク人質事件の件について先に言うと、高遠菜穂子さんは自衛隊がイラクに来るずっと前からバグダッドでストリートチルドレン支援の活動をやっていました。それを邪魔したのは寧ろ、「大量破壊兵器のウソ」に乗っかり只々米国の言いなりになってイラク侵略戦争に派兵した自衛隊の方。
 それを、ネットウヨクどもによるイラク人質バッシングの陰湿な言論弾圧・「言葉狩り」を、あの時は裏から煽っておきながら、当の自分たちが批判された途端に、今度はやにわに被害者面して「言葉狩り」と居直る、このダブスタ(ダブルスタンダード、二重基準)ぶりは如何なものか。

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 私も本当の事を言えば、今後はWEや共謀罪の問題も取り上げていかなけければならないと思っているのに、「いつまでもこんな柳沢如きなどに構っては居られない」というのが本音です。しかし、ここまで「あくまでも居直る」と言うのであれば、こちらもこの問題については白黒決着がつくまで徹底的に取り上げていきます。
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