アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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私の永続敗戦レジーム脱却作戦

2015年12月29日 18時23分31秒 | 戦争法ではなく平和保障法を
マンガでわかる永続敗戦論
クリエーター情報なし
朝日新聞出版


 白井聡さんの「永続敗戦論」講演会に参加した事を前々回の記事で書きましたが、その時に、以前、所長と社員登用試験の件で休日にお会いした時に、所長が安保法制の強行採決を強く非難していた事を思い出しました。そこで、ちょうど上記の「マンガでわかる永続敗戦論」を読み終えた所だったので、この本を所長にも読んでもらおうと、思い切って先日、職場で渡しました。ついでに、前回記事の内容をコピーした物も、記事そのもののコピーを渡したのではブログでの会社批判記事の存在が発覚してしまいますのでw、それをワードに落とし込んだ物を一緒に、「こちらもご参考に」という事で渡しました。
 既に年末繁忙期に突入していたので、「何もこんな忙しい時に渡してくれなくても」と所長から言われるかもと少し心配でしたが、意外にも快く受け取ってくれました。所長はこの時も、新国立競技場建設問題で、結局、当初案に採用が決まった事に対して、「あの設計見直し劇は一体何だったのか?所詮は安保法制の目くらましだったのか!」と憤っておられました。所長からはまだ本を返してもらっていませんが、返却の折にまた感想でも聞いてみようと思います。
 ところで、上記の漫画本ですが、非常に重宝しています。著者の白井さんは、元々は左派に属する人なのでしょうが、石橋湛山や江藤淳、福田恆存(ふくだ・つねあり)などの一部右翼人士についても、戦後民主主義の欺瞞を突いたという点で、左派同様に評価しています。実は12月20日の講演会場でも、自分を「サヨク」呼ばわりする一部参加者からの感想文に対して、「私は左翼も右翼も評価すべき点はきちんと評価している。それを上っ面だけ見て、サヨクやウヨクなぞとカタカナで罵倒するような傲慢な態度は取らない」と、その場で一喝していたのです。そういう奥の深い論考を、どうやったら職場の読者にも分かりやすく説明できるだろうか分からず、ブログ記事にする際もなかなか筆が進みませんでした。それを分かりやすく漫画にしてくれたので、非常に助かっています。

格差固定 下流社会10年後調査から見える実態
クリエーター情報なし
光文社


 また、それと同じ頃、休日に私がブログを書いている所に、親父が亡き母の仏壇にお茶を供えたついでに私の部屋にやって来て、毎月の貯金額について「月々1万円余では少ない、もっと貯金するように」と言って来ました。そこで私は、「子供じゃあるまいし、何でそんな事まで親父からあれこれ言われなければならないのか?」と思いつつ、「確かに俺の給与は毎月17万円ぐらいあるが、税金や社会保険料を差し引けば手取りは13~14万円ぐらいにしかならない。そんな中で、3万も4万もどうやって貯金しろと言うのか。今や全然蓄えのない世帯も少なくないのに」と言い返すと、更に親父が「お前、もうこの歳になって、たったそんな少しかもらっていないのか?」と言ってきました。
 さすがに、その差別的な物言いにはカチンと来たので、「今や、これだけ格差・貧困問題が言われるようになった中で、今頃一体何を言っているのか?そもそも、何で日本が今のような格差社会になってしまったのか?全ては自民党政治のせいであり、何も考えずにせっせと選挙のたびに自民党や維新の会に投票してきた親父のせいじゃないか!」と言ってやりました。そうしたら、親父はもう黙って何も言えなくなってしまいました。
 その他にも、「社会保険料を払っている以上は正社員じゃないのか?契約社員は正社員じゃないのか?」とか、余りにも浮世離れした発言を繰り返していたので、その日の夕飯の席でも、「俺は慢性腰痛の持病を抱えているが、国の医療費削減政策の為に、今や整骨院でも腰痛治療に健康保険は使えなくなってしまった。全て実費払いなので、その治療費だけでも毎月2万円以上もかかっている。自民党はアベノミクスで景気が回復したように宣伝しているが、あんな物、株価バブルで無理やりインフレ起こしているだけで、仮に一時的に景気が上向いても、潤うのはバブルの恩恵に浴する事のできる一部の大金持ちだけだ。庶民には物価高と国の借金が押し付けられるだけじゃないか!そんな世の中にしてしまったのも、自民党の政治家であり、それを支持してきた親父じゃないか!」と一気にまくし立ててやりました。
 この時も、親父は何も言い返すことが出来ませんでした。昔、私が大学生で親父も元気だった頃には、こんな話題になったら、いつも親父と取っ組み合いの喧嘩になっていたのに。これもまた「永続敗戦レジーム」の名残なのでしょうか。今度また親父が浮世離れした事を言ってきたら、この上記の本を薦めてあげようと思っています。
 ただ、そういう親父ではありますが、それでも親父自身も少しずつ変わろうとしているようです。数年前まで携帯も触ろうとしなかったのに、今やパソコンまで買って地元商工会議所主催のPC講習にも通うようになりました。



 今日も各紙の朝刊一面には、日韓外相会談で慰安婦問題に決着がついたかのような記事が載っています。「日本側が戦時中の従軍慰安婦の件で謝罪を表明し、日韓両国合同で慰安婦支援基金を作り、そこに日本側が10億円の運営資金を拠出する代わりに、もうこの慰安婦問題については、両国のどちら側からも再び蒸し返すような事はしないでおこう」というのが、外相会談での合意内容のようです。
 しかし、おかしいと思いませんか?この慰安婦問題も、元々は日本による過去の侵略戦争や植民地支配によってもたらされたものです。いわば、日本側は加害者であり、韓国側は被害者です。日本が、今のドイツのように、この問題に対してしっかり向き合ってきて、謝罪も賠償も十分行ったにも関わらず、韓国側がこの問題を口実に無理難題を吹っかけてくるというならまだしも、実際は日本側の謝罪もおざなりで、謝罪した尻から再び慰安婦を貶めるようなヘイトスピーチを政治家が繰り返している中で、いくらこんな合意を結んでも、また誰かがぶち壊して振り出しに戻してしまう可能性が高いでしょう。現に、尖閣問題でも、せっかく当時の周恩来と田中角栄の間で棚上げ合意に至ったのに、石原慎太郎がそれを全てぶち壊してしまったではないですか。
 先日、ワタミの過労死裁判で、ワタミが遺族に賠償金を払い、長時間労働撲滅にむけての施策を講じる事で、遺族と和解に至りましたが、この問題も、ワタミを許すかどうかは遺族が決める事であって、第三者やましてや加害者のワタミが、遺族に対してあれこれ言える筋合いなぞありません。そうであるにも関わらず、この慰安婦問題に限っては、謝罪や賠償よりも「蒸し返さない」事が優先されるのは、どう考えてもおかしいでしょう。そうやって、本筋の議論から逃げ回って、やり過ごす事ばかり、適当にお茶を濁す事ばかり考えているから、いつまでたっても「永続敗戦レジーム」から抜け出せないのです。

 今日は年末繁忙期の中での貴重な公休日。明日からまた正月明けまで慌しい日々が始まります。このブログも、多分この記事が年内最終の更新となるでしょう。では、よいお年を。
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再掲:集団的自衛権に反対する元自衛官の言葉

2015年12月26日 04時55分31秒 | 戦争法ではなく平和保障法を
共産市議、陸自工科学校を「殺人練習する学校」と発言 埼玉・上尾市広報誌への生徒募集掲載中止要請 25日に謝罪へ(産経新聞)
http://www.sankei.com/politics/news/151225/plt1512250005-n1.html

 埼玉・上尾の共産市議が陸自工科学校を殺人学校と貶めたとして問題になっているそうだが、実際その通りなんだから、市議も何も謝罪しなくて良かったのに。仮にその市議発言が不穏当だったとしても、真に悪いのはイラク派兵や集団的自衛権容認で自衛隊を安倍私兵の殺人部隊に変えようとする面々だろう。
 この共産市議を叩いているのが、例によって自民御用達の産経だが、産経こそが、自衛隊イラク派兵違憲訴訟を提起した元国防族の箕輪登さんや、集団的自衛権行使に反対している元自衛官の泥憲和さんの気持ちを思いっきり踏みにじり、自衛隊を貶めているではないか。
 …という事で、以前このブログでも取り上げた事のある、集団的自衛検行使に反対する元・自衛官、泥憲和さんの言葉を、もう一度ここに再掲しておきます。以下、泥憲和さんのフェイスブックのページより。


街頭にて

突然飛び入りでマイクを貸してもらいました。
集団的自衛権に反対なので、その話をします。
私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました。
日本に攻めて来る戦闘機を叩き落とすのが任務でした。

いま、尖閣の問題とか、北朝鮮のミサイル問題とか、不安じゃないですか。
でも、そういったものには、自衛隊がしっかりと対処します。
自衛官は命をかけて国民をしっかり守ります。
そこは、安心してください。

いま私が反対している集団的自衛権とは、そういうものではありません。
日本を守る話ではないんです。
売られた喧嘩に正当防衛で対抗するというものではないんです。
売られてもいない他人の喧嘩に、こっちから飛び込んでいこうというんです。
それが集団的自衛権なんです。
なんでそんなことに自衛隊が使われなければならないんですか。
縁もゆかりもない国に行って、恨みもない人たちを殺してこい、
安倍さんはこのように自衛官に言うわけです。
君たち自衛官も殺されて来いというのです。
冗談ではありません。
自分は戦争に行かないくせに、安倍さんになんでそんなこと言われなあかんのですか。
なんでそんな汚れ仕事を自衛隊が引き受けなければならないんですか。
自衛隊の仕事は日本を守ることですよ。
見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけないじゃないですか。

みなさん、集団的自衛権は他人の喧嘩を買いに行くことです。
他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね。
当然ですよ。
だから、アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってるじゃないですか。
イギリスも、スペインも、ドイツも、フランスも、みんなテロ事件が起きて市民が何人も殺害されてるじゃないですか。

みなさん、軍隊はテロを防げないんです。
世界最強の米軍が、テロを防げないんですよ。
自衛隊が海外の戦争に参加して、日本がテロに狙われたらどうしますか。
みゆき通りで爆弾テロがおきたらどうします。
自衛隊はテロから市民を守れないんです。
テロの被害を受けて、その時になって、自衛隊が戦争に行ってるからだと逆恨みされたんではたまりませんよ。
だから私は集団的自衛権には絶対に反対なんです。

安部総理はね、外国で戦争が起きて、避難してくる日本人を乗せたアメリカ軍の船を自衛隊が守らなければならないのに、いまはそれができないからおかしいといいました。
みなさん、これ、まったくのデタラメですからね。
日本人を米軍が守って避難させるなんてことは、絶対にありません。
そのことは、アメリカ国防省のホームページにちゃんと書いてあります。
アメリカ市民でさえ、軍隊に余力があるときだけ救助すると書いてますよ。

ベトナム戦争の時、米軍は自分だけさっさと逃げ出しました。
米軍も、どこの国の軍隊も、いざとなったら友軍でさえ見捨てますよ。
自分の命の方が大事、当たり前じゃないですか。
そのとき、逃げられなかった外国の軍隊がありました。
どうしたと思いますか。
軍隊が、赤十字に守られて脱出したんです。
そういうものなんですよ、戦争というのは。

安倍さんは実際の戦争のことなんかまったくわかってません。
絵空事を唱えて、自衛官に戦争に行って来いというんです。
自衛隊はたまりませんよ、こんなの。

みなさん、自衛隊はね、強力な武器を持ってて、それを使う訓練を毎日やっています。
一発撃ったら人がこなごなになって吹き飛んでしまう、そういうものすごい武器を持った組織なんです。
だから、自衛隊は慎重に慎重を期して使って欲しいんです。
私は自衛隊で、「兵は凶器である」と習いました。
使い方を間違ったら、取り返しがつきません。
ろくすっぽ議論もしないで、しても嘘とごまかしで、国会を乗り切ることはできるでしょう。
でもね、戦場は国会とは違うんです。
命のやり取りをする場所なんです。
そのことを、どうか真剣に、真剣に考えてください。

みなさん、閣議決定で集団的自衛権を認めてもですよ、
この国の主人公は内閣と違いますよ。
国民ですよ。
みなさんですよ。
憲法をねじ曲げる権限が、たかが内閣にあるはずないじゃないですか。
安倍さんは第一回目の時、病気で辞めましたよね。
体調不良や病気という個人のアクシデントでつぶれるのが内閣ですよ。
そんなところで勝手に決めたら日本の国がガラリと変わる、そんなことできません。
これからが正念場です。
だから一緒に考えてください。
一緒に反対してください。
選挙の時は、集団的自衛権に反対している政党に投票してください。
まだまだ勝負はこれからです。
戦後69年も続いた平和を、崩されてたまるもんですか。
しっかりと考えてくださいね。
ありがとうございました。

https://ja-jp.facebook.com/norikadzu.doro/posts/331946086956229
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奴隷の無責任こそが永続敗戦レジームを支えてきた

2015年12月23日 23時39分42秒 | 戦争法ではなく平和保障法を


 12月20日の日曜日に、堺市で行われた白井聡さん(京都精華大学専任講師)の講演会に行ってきました。
 講演会を主催したのは、「いま九条と私たち、非戦の市民講座」という団体で、今までも15回に渡り、慰安婦問題や沖縄問題、植民地支配や非正規労働問題について、それぞれの分野の講師を呼んで、講演会を開いてきたのだそうです。昨日の講演会がその16回目との事でした。
 講師の白井聡さんは若手の社会学者で、2年前に「永続敗戦論―戦後日本の核心」という著書を出した事で、俄然注目を浴びるようになった人です。
 その方が、午後2時から4時半ぐらいまで、JR堺市駅前にあるサンスクエア堺のホールで、「”戦後70年”『敗戦』を否認し続けてきた日本社会~なぜ日本はアジアと向き合えないのか~」というタイトルで、前述の「永続敗戦論」の立場から解き明かしてくれました。
 私が会場のホールに入った時は、既にほぼ満員で、前座の合唱コーラスがちょうど終わる所でした。ほどなくして白井さんが登場し、2時から3時半過ぎまで講演を行い、休憩を挟んで3時50分から、休憩中に視聴者から出されたアンケート質問に答えるという形で進められました。

 まず、「永続敗戦論」とは何か。私が理解した範囲で簡単に説明しておきます。
 毎年、8月15日になるとテレビや新聞で「終戦」記念行事のニュースが流れます。でも、本当は「終戦」ではなく「敗戦」だったはずです。第二次大戦で日本は負けたのですから。本当は、「なぜ負けるような戦いを日本がやったのか?」「なぜ、そんな戦いをしなければならなかったのか?」、きっちり総括すべきでした。そうしてこそ初めて、日本の明治以来の歩みが、「脱亜入欧」を旗印に掲げ、アジアを侵略していった歴史であり、自由民権運動や社会主義運動を押さえつけ、国民を「蟹工船」や「女工哀史」のような奴隷状態に押しとどめてきた歴史だった事が理解できるのです。その結果、天皇の下に一部の官僚・財閥・軍人・地主だけが政治を独占し、20世紀になっても、日本だけがそのような遅れた状態から抜け出せず、不況の打開策として戦争に突き進み、アジアからも世界からも孤立し、最後には空襲で国土が焼き払われ、原爆まで落とされた末に、無条件降伏しなければならなくなったのです。

 もちろん、一応は「敗戦」のケリをつけた事にはなっています。戦後の東京裁判で、東条英機を始め、13名の戦争指導者が絞首刑を宣告されました。しかし、その一方で、それ以上に多くの戦争指導者が、米国と裏取引をする事で、戦犯追及の手を逃れ、やがて政界に復帰してきました。現首相・安倍晋三の祖父の岸信介や中曽根康弘などが、その代表的な政治家です。
 その背景には、戦後ますます激化する東西冷戦がありました。反ファシズムの連合国として共にドイツ・イタリア・日本の枢軸国と戦った米国とソ連が、戦後対立を深める中で、日本を「反共の防波堤」にしようとした米国が、当初「ポツダム宣言」で掲げた軍国主義一掃・日本民主化の方針から次第に逸脱し、当時の戦争指導者を含む日本の保守勢力(自民党)を、「自分の手下」として育成するようになりました。

 日本は、表向きは戦後新しく生まれ変わった事になっています。大日本帝国憲法に代わって、「主権在民・戦争放棄・基本的人権尊重」の三原理を掲げた今の日本国憲法が制定され、共産党や労働組合も合法化され、婦人参政権も認められるようになりました。しかし、実際は、戦犯追及を逃れた当時の戦争指導者が生き残り、戦後も自民党の政治家として日本を支配してきたのです。
 それも、戦前には「鬼畜米英、米国と戦え」と国民を戦争に駆り立てた当時の指導者が、戦後はコロッと手のひらを返すように、「米国には絶対服従」とばかりに、米国の言いなりになって、ベトナム戦争やイラク戦争に加担した挙句に、今や集団的自衛権(自衛隊の海外派兵)まで容認し、憲法も変えようとしているのです。



 日本は、本当は敗戦の総括をきちんとしていませんでした。戦後の民主化も、国民が当時の戦争指導者を倒して革命によって勝ち取ったものではなく、あくまでも米国から与えられたものでした。憲法9条で戦争放棄を掲げた今の日本国憲法すら、日米安保条約とセットで、米軍による沖縄支配や横田・岩国などへの基地駐留と引換えに、米国から与えられたものだったのです。

 日本の自民党を始めとする保守勢力が、敗戦の総括をきちんとせず、上辺だけの反省でお茶を濁し、心の中では「あの戦争は正しかった、侵略戦争ではなかった」と思っている為に、その本音が至る所で露呈し、中国や韓国、米国から指弾されるたびに、また謝罪を口にしなければならなくなる。しかし、その謝罪も面従腹背でしかない為に、また同じような本音が露呈し、また謝罪に追い込まれる。
 そして、戦後、政界に復帰できた昔の戦争指導者も、米国のお陰で復帰できた為に、一生米国には頭が上がらない。だから、「今の憲法は米国による押しつけ憲法だ」と言いながら、憲法とは比べ物にならないほど売国的なTPP(環太平洋経済連携協定)は推進し、米国に日本の産業も国民の暮らしと健康も身ぐるみ差し出そうとしている。
 白井さんは、その状態を、「敗戦を否認しながら、ずっと敗戦し続けなければならないような状態に陥っている」という意味で、「永続敗戦レジーム」と名付けたのです。



 今の安倍政権は、中国や韓国との間で、靖国参拝や領土問題を巡って対立し、「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法解釈を捻じ曲げてまで、戦争法(安保法制)を強行成立させ、自衛隊の海外派兵を本格化させようとしています。そして、将来の核保有をにらんで、福島原発事故以降も原発再稼働に突き進んでいます。
 その一方で、「米国から押し付けられた憲法を変える」「日本を守る」と言いながら、ひたすら米国の為に、TPPで日本の国土も国民の暮らしも米国のハゲタカファンドに貢ごうとしています。自衛隊の海外派兵も、「テロとの戦い」の名目で、ひたすら米軍の使い走りや盾に甘んじているだけです。

 「日本を守る」と言いながら、やっている事はひたすら米国の機嫌取りばかり。「愛国者」を装いながら、やっている事は他国に国を売り渡すような「売国奴」の所業。安倍政権の言っている事とやっている事は全く正反対です。なぜ、こんな矛盾した正反対な姿勢が取れるのか。
 無責任で、いい加減で、チャランポランだからです。日本軍の将校が、レイテ沖海戦やインパール作戦で、補給を一切無視した無謀な作戦を立て、下士官や一兵卒には玉砕を強要しながら、自分たちはさっさと本国に逃げ帰り、芸者とドンチャン騒ぎを繰り広げていたのと同じです。だから、今も、福島では放射能の汚染水がダダ漏れになっているのに、「冷温停止」「アンダーコントロール」の嘘までついて、原発再稼働に奔走できるのです。今まではせいぜい個別的自衛権(専守防衛)しか認められて来なかったのに、憲法解釈を勝手に変えて、憲法が禁じる集団的自衛権(海外派兵)も認めようとしているのです。昔、丸山真男という文化人が「無責任の体系」と呼んだ国家体質が、今もそのまま引き継がれているのです。



 そんな安倍政権でありながら、なぜいまだに内閣支持率が50%近くもあるのか。
 一つには、国民の堕落があると思います。白井さんはこれを「日本人の知的劣化」と言っていました。

 革命前の中国に魯迅(ろじん)という作家がいました(1881~1936年)。「阿Q正伝」「狂人日記」などの代表作で有名な人です。その魯迅の書いた作品の中に、「賢者と愚者と奴隷」という逸話があります。「部屋に窓もない」と嘆く奴隷に、「いつかきっと良い事があるよ」と慰めるだけの賢者に対し、愚者は「窓ぐらい作ってもらえ!」と奴隷を一喝し、自ら部屋の壁を叩き割って窓を作ってやろうとします。それに驚いた奴隷が、「主人に断りもせずに勝手な事をするな!」と愚者を追い払い、主人から「よくやった」と褒められます。そして、賢者にも「有難うございました。やはり、あなたの言った通り、良い事がありました」と礼まで言って。本当に偉いのは、慰めしか言わない賢者ではなく、実際に奴隷の為に窓を作ってやろうとした愚者の方なのに、奴隷はそれに気付かす、自分を奴隷状態に縛り付けている賢者や主人に礼を言ってしまうという、皮肉のこもった逸話です。

 これは、革命前の中国の逸話ですが、今の日本にも充分当てはまる話ではないでしょうか。例えば、消費税の8%から10%への引き上げに伴う低所得者層向けの緩和策として、一部の食品には従来通り8%に据え置く「軽減」税率が適用されようとしていますが、実際は従来通りの税率に据え置かれるだけなのに、まるで「軽減」してやったかのように言う安倍首相を「主人」に、それをもてはやす公明党などの取り巻き連中を「賢者」に、それが「軽減」詐欺である事を指摘して、逆に「ご主人様にケチばかりつけよって、反対するなら対案を示せ」と咎められる安倍批判者を「愚者」に、詐欺に騙されている事にも気付かず「軽減」税率適用や、安倍のやっている戦争法や原発再稼働、派遣法改悪の目論見に目を塞ぎ、「アベノミクス」のホンの一部のお零れや「1億総活躍社会」の宣伝に惑わされている多くの国民を「奴隷」に置き換えれば、今の日本の現状にそっくりではないですか。

 そして、その堕落は、安倍に惑わされている自民・保守派ばかりではなく、反安倍・反自民であるはずの左派リベラルにも、知らず知らずのうちに浸透してしまっているかも知れません。
 なぜなら、憲法9条で戦争放棄を定めた今の日本国憲法も、実際は日米安保条約とセットで、沖縄に基地を押し付ける代償として、米国から日本に与えられた「恩恵」でしかなかった事に、日本の左派も薄々は感じていたはずです。だから、安保廃棄の旗を掲げ、沖縄返還運動やベトナム反戦運動、イラク反戦運動にも立ち上がったのでしょう。60年安保の戦いでは、連日、数十万のデモ隊が国会周辺を取り巻き、全国各地に安保改定阻止の共闘会議が結成されたのでしょう。
 ところが、いつしか安保廃棄の課題は後景に退けられ、代わって9条改憲阻止や集団的自衛権反対のスローガン〈だけ〉が叫ばれるようになりました。もちろん、今はそれが緊急の課題である事は言うまでもありません。まずは、集団的自衛権行使を阻止しなければ、安保廃棄も何も実現できません。それには多大なエネルギーがいるし、長期的な戦略も必要です。しかし、そのシンドさを回避する為に、緊急の課題だけに留まり、そこに「満足」してしまっては、私たち左派リベラルも、「軽減」税率に安住する「奴隷」と同じ立場になってしまうのではないでしょうか。その事に気付かされた講演会でした。


永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04)
クリエーター情報なし
太田出版


マンガでわかる永続敗戦論
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朝日新聞出版


「戦後」の墓碑銘
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金曜日
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参考資料:「放送法遵守を求める視聴者の会」意見広告全文

2015年12月20日 10時11分48秒 | 監視カメラよりも自由な社会に


私達は、違法な報道を見逃しません。
私達の「知る権利」はどこへ?

 「メディアとしても(安保法案の)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」
 2015年9月16日放送のTBS報道番組「NEWS23」で、メインキャスター(司会者)を務める岸井成格(しげただ)氏(以下、岸井氏)は、こう発言しました。
 私たち国民は、国民主権に基づく民主主義のもと、多様な情報や意見を広く見渡しながら、政治判断をしていく必要があります。その為、放送法第4条では、放送局に対して「放送番組の編集」にあたって、「政治的に公平であること」や「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を要求しています。

 第4条
 放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号に定めるところによらなければならない。
 1、公安及び善良な風俗を害しないこと。
 2、政治的に公平であること。
 3、報道は事実をまげないですること。
 4、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 右記の岸井氏の発言は、この放送法第4条の規定に対する重大な違反行為だと私達は考えます。理由は以下の3点です。

1、岸井氏は報道番組「NEWS23」のメインキャスター、司会者であり、番組と放送局を代表する立場の人物です。そのような立場から、一方的な意見を断定的に視聴者に押し付ける事は、放送法第4条に規定された番組編集準則に明らかに抵触します。
 周知のように、安全保障法案は国民各界で意見が対立し、国論を二分した法案です。岸井発言は、TBSが、新聞や雑誌などと違い番組編集準則を踏まえなければならない放送事業者であるにもかかわらず、そのような多様な国民の意見を無視し、「法案廃案」を全国の視聴者に拡宣しようとした、放送法違反の発言としか言いようがありません。
 我々は、岸井氏が、テレビで、個人の立場で自身の見解を語ることを封じようとしているのではありません。
 岸井氏は、同じTBS放送の「サンデーモーニング」でも同様の発言をしていますが、そこでの岸井氏は「コメンテーター」に過ぎません。コメンテーターとしての岸井氏の発言の自由は同然尊重されなければなりません。
 しかし、「NEWS23」における岸井氏の発言は、局を代表します。その点で、コメンテーターとしての発言を同一に見なすことはできません。

2、岸井氏の「メディアとしても(安保法案の)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」との発言は、放送事業者全般に対して、放送法への違反行為を積極的に促す発言と受け止めざるを得ない点で悪質です。

3、当日の番組では、法案に賛成する第三者の意見が紹介される意見は皆無でした。それどころか、「NEWS23」は、法案成立までの一週間、法案反対側の報道のみに終始しています(※1参照)。下図を見れば明らかなように、余りにも一方的な時間配分です。ここまで来ると、偏向報道と言うよりも、国民の知る権利を蹂躙(じゅうりん)するプロパガンダであって、報道番組とは見なし難いと言わざるを得ません。

さらに、私たちは放送を管轄する総務省にも、見解の見直しを求めます。

 放送法第4条が求める、放送の政治的公平性や多様な見解への配慮については、平成19年の総務大臣の答弁において、「一つの番組ではなく当該放送事業者の番組全体を見て、全体としてバランスの取れたものであるかを判断することが必要」との見解が示されています。この見解に従うなら、9月16日の「NEWS23」という単独の番組が不公平で一方的であったとしても、直ちには「TBSが放送法に違反している」とは言えないことになります。しかし、この総務大臣見解そのものが、そもそも不適切なのではないでしょうか。
 一般視聴者は、ある一局の報道番組全体を見ることはできません。したがって、なるべく一つの報道番組内で公平性や多様な意見の紹介に配慮しようと努めるのは、放送事業者の当然の責務だと我々は考えます。そのような配慮によってこそ、放送法第4条の理念は守られ、国民の知る権利が守られるはずです。ところが、右記総務大臣答弁が「当該放送事業者の番組全体を見て」公平性を担保すると言う、現実には誰にも確認不可能な判断を示したため、放送事業者がこれを盾に、個々の番組の中での公平性や意見の多様性への配慮を怠る結果となっています。
 この「怠り」の積み重ねこそが、放送法第4条の事実上の死文化を招いているのです。
 したがって私たちは総務省に対し、国民の知る権利を守るために放送法第4条が正しく活かされるよう、平成19年の大臣答弁より妥当性の高い見解を示すよう求めます。(以上、意見広告)

(注)文中の「※1参照」については下記リンク先の図表を参照の事。いくら、こんなデータを示して「反対派の意見ばかりだ」と言われても、賛成・反対の基準が曖昧で各人各様である以上、何の意味もありません。また、それ以前に、例えば、パリ同時多発テロの報道に際しても、「偏った報道をするな」との同会の主張に従うなら、テロリスト側の主張も欧米側のそれと同等に報道しなければ筋が通りません。しかし、同会が今までそれを主張した事は一度もありません。その一事を以てしても、このデータの恣意性は明らかです。

http://media.wix.com/ugd/5fed6f_915f771e9f744b42b2cb4f8b344b5d87.pdf
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私達こそ政治的中立を口実とした違法な言論弾圧を許しません。

2015年12月20日 10時10分46秒 | 監視カメラよりも自由な社会に

 
 「放送法遵守(じゅんしゅ)を求める視聴者の会」なる団体による上記の意見広告が産経・読売の2紙に掲載されたのが今年の11月14日から15日にかけてでした。
 そして、私がその事を知ったのは、11月30日に回ってきた下記のネット署名を読んでからでした。

私達は、政治家に対し「放送法」の遵守を求めます!!(報道への介入をやめて下さい)
【BPOは政治家の駆け込み寺じゃない、放送法はテレビ局を黙らせる道具じゃない】
https://www.change.org/organizations/政治家に放送法の遵守を求める視聴者の会

 「どうやら、意見広告の名を騙って、政府・自民党や右翼が、TBSの安保報道に対して、不当な圧力を加えているらしい」という事で、そのネット署名にはサインしたものの、「放送法」や「BPO」がどうたらこうたら書かれていて、詳しい事情がよく分からなかったので、もうそのままにしておきました。
 その後、社員登用試験の面接を受けたり、色々ありましたが、それも落ち着いたので、改めて、最初のきっかけになったくだんの意見広告を改めて読んでみました。そうしたら、そこにはとんでもない内容が書かれていました。(参考資料
 遅くなりましたが、今回は上記の意見広告について取り上げてみたいと思います。

―2015年9月16日放送のTBS報道番組「NEWS23」で、メインキャスター(司会者)の岸井成格(しげただ)氏が、「メディアとしても安保法制の廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」と言ったのは、政治的偏向に基づく個人の主観を公共の電波を使って垂れ流すものであり、放送法第4条に定める政治的公平に反してる。我々「放送法遵守を求める視聴者の会」は、決してこのような偏向番組を容認しない。岸井氏やTBSに断固抗議すると共に、今後もこのような偏向番組には監視の目を光らせていく―というのが、この意見広告の趣旨であるようです。

 しかし、私に言わせれば、「政治的に偏っているのは、むしろ、放送法何ちゃらの会の方ではないか?」と思います。

 その理由は、第一に、この「放送法遵守を求める視聴者の会」(以下、「会」と略す)呼びかけ人の経歴です。
 すぎやまこういち/代表(作曲家)、渡部昇一(上智大学名誉教授)、渡辺利夫(拓殖大学総長)、鍵山秀三郎(株式会社イエローハット創業者)、ケント・ギルバート(カリフォルニア州弁護士・タレント)、上念司(経済評論家)、小川榮太郎(文芸評論家)の、以上6名が呼びかけ人との事ですが、いずれも安倍政権・自民党の応援団みたいな人たちばかりじゃないですか。
 例えば、「会」の事務局長を務める小川榮太郎氏の著書には、「国体の回復に『勝機』はあるか」(「Voice」1月号)、「保守的理念実現の基盤としてのアベノミクス」(「言志」Vol.4)、「「日本は大国であることを引き受けよ」(「祖国と青年」7月号)などの右翼的なタイトルのものが一杯並んでいます。そして、ご自身も「美しい日本の憲法を作る国民の会」代表発起人や「平和安全法制の早期成立を求める国民フォーラム」呼びかけ人を務めておられます。そりゃあ、こんな人から見たら、そうでない普通の人は、全て「左に偏っている」と見えるでしょう。こんな人たちに、他人様のことを「政治的に偏っている」だの何だのと非難する資格はないと思います。

 第二に、番組の取り上げ方が余りにも恣意(しい)的です。この意見広告では、TBSの「NEWS23」が「反政府、反権力に偏っている」と攻撃されていますが、この程度の報道で「偏っている」なぞと攻撃するのであれば、昨日12月18日に橋下徹・大阪市長の引退会見を、どのテレビ局も「橋下ヨイショ」一色で報道した事については、一体どう思っているのでしょうか。実際、この引退会見のニュースをテレビで見た知人も、「どの局も橋下ヨイショ一色で薄気味悪かった」と、私へのメールの中でぼやいていました。一番組、一キャスターの一発言よりも、こちらのメディアジャック状況の方が、よっぽど「偏っている」じゃないですか。
 また、毎週日曜日午後1時半から、読売テレビが関西中心に流している「そこまで言って委員会」という番組がありますが、その番組では、毎回、辛坊治郎や金美齢などが、安倍・橋下ヨイショ一色の発言を、公共の電波を使って垂れ流していますが、それは無視するのですか?
 他にも、NHK会長・籾井勝人の「政府が右と言うものを左と言う訳にはいかない」発言や、作家・百田尚樹の自民党懇話会での「沖縄の新聞を懲らしめる」発言等々、枚挙に暇(いとま)がありません。これらを全て黙認・容認しておいて、なぜTBSでの岸田氏の発言ばかりを攻撃するのか?

 第三に、この意見広告の中で、岸田氏について、「一コメンテーター、一個人としてではなく、番組司会者として発言したから問題なのだ」という箇所がありますが、これも私に言わせると全く的外れです。なぜなら、いくら司会者を何も知らない無色中立の人物にさせても、周囲のコメンテーターを右寄りや左寄りの人物で固めてしまえば、それで番組の流れが決まってしまいます。
 また、「会」主催の説明記者会見では、「購読者が金を出して買う新聞や雑誌ではなく、公共の電波を使って一方的な情報を垂れ流すから問題なのだ」と言う事も言っていますが、これも見当違いです。なぜなら、今や日本のメディアは、大新聞がそのまま放送局を傘下に収めるクロスオーナーシップ制度の下にあります。読売新聞―日本テレビ、毎日新聞―TBS、産経新聞―フジテレビ、朝日新聞―テレビ朝日、日経新聞―テレビ東京という形で、他の先進国には見られないほど、マスコミの系列化が完成しています。このマスコミの系列化による情報独占こそが問題なのに、それを問題にせずに無条件に肯定したまま、「公共の電波を使って」なぞと言われても、「問題のすり替え」にしかならないでしょう。

 第四に、放送法第4条も、あくまでその前段の第1条を前提としたものであるのに、なぜ、この意見広告は、放送法第1条や放送法全体からこの問題を取り上げずに、第4条違反だけを言い募るのか?
 
 放送法第1条(目的) 
 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
 一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
 二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
 三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

 第3条(放送番組編成の自由) 
 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

 第4条(国内放送等の放送番組の編集等) 
 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
 一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
 二 政治的に公平であること。
 三 報道は事実をまげないですること。
 四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
 http://www.houko.com/00/01/S25/132.HTM#s1


 放送法は上記の体系になっています。治安維持法や検閲で言論が抑圧され、大本営発表や御用報道しか許されなかった為に、侵略戦争の実態や軍部の暴走が国民の目から覆い隠された戦前の教訓から、もう二度と戦前の轍を踏まない為に、放送法が制定されたのです。「放送の不偏不党」や「政治的公平」も、放送法第1条に掲げる「表現の自由」確保や「健全な民主主義」発達に資する為のものです。「政府や権力を批判する自由」、「監視する活動」が保障されてこそ、初めて「政治的公平」や「事実を曲げない報道」「多角的な論点」も実現できるのです。
 もちろん、そこには一定の節度があってしかるべきですが、一キャスターの政府批判にまで一々目くじら立てられては、政府批判なぞ一切できなくなってしまいます。

 日本国憲法第12条にある「国民は、これ(憲法が保障する基本的人権)を濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」という規定も、例えばマンション住民の日照権と居住権や、個人のプライバシー権と「知る権利」が対立した時に、お互いの権利や自由が侵害されないようにする為に、それぞれがどう折り合いをつけるべきかを定めたものであって、国が一方的に「あれはダメだ、これもダメだ」と指図できるものではないでしょう。

 ところが実際は、国が一方的に「あれはダメだ、これもダメだ」と指図できるようになりつつあるようです。本来なら、この憲法12条の精神で、放送への意見や苦情、放送倫理上の問題に対して自主的に独立した立場で活動している第三者機関のBRO(放送倫理・番組向上機構)に対して、主に与党政治家の方から「名誉を傷つけられた」との苦情が殺到し、まるで「与党政治家の駆け込み寺」のような状況になっているそうです。
 「どこまでが政治批判で、どこからが名誉毀損か」については、具体的な例に即して考えなければなりませんが、明らかな恐喝や虚偽の告発でない限り、政治家への批判は許容されるべきです。政治家なんて批判されて何ぼなのですから。
 それが、私が第二で上げたようなメディアジャック、情報独占や、「政府が右と言うものを左と言う訳にはいかない」「沖縄の新聞を懲らしめる」発言に見られるような政治家によるマスコミ支配の状況には頬かむりしたまま、逆に正当な批判まで名誉毀損として封殺されるなら、この国にはもはや民主主義なぞ存在しないと言わなければなりません。

 第五に、この意見広告の中ではこんな事も言っています。総務大臣ですら「一つの番組だけ見て政治的に偏っていると断ずるのは早計だ」と言っているにも関わらず、「視聴者は全部の番組なんて見れないのだから、一つの番組の中においても公平性確保や多様な意見紹介が為されるべき」だと。つまり「どんな番組も両論併記の形にしろ」と言っているのです。
 しかし、もしそんな番組ばかりになったら、一体どうなります?ある企業の公害や過労死問題を取り上げようとしても、そこに必ず企業側の言い分も織り込まなければならなくなってしまいます。それも「偏るな」と言うのですから8対2ぐらいでは不十分でしょう。5対5か6対4の割合で、企業側の言い分も入れなければならなくなってしまいます。しかし、それでは、この番組の主題がぼやけてしまいます。一体何を言いたいのか、皆目分からない腑抜けみたいな番組になってしまいます。現に、第一次安倍政権の時に、従軍慰安婦の事を取り上げた番組が、政権側の圧力によって、当初の内容とは正反対の、まるで「従軍慰安婦なぞいなかった」かのような内容に改ざんされてしまいました。
 それでは、報道番組はただの政府広報に成り下がってしまいます。何か伝えようとしても、一々偏っているかどうか気にしなければならなくなれば、もはや新聞の首相動静記事のような、政府にとって無害な都合の良い事実しか、伝えられなくなってしまいます。既に今でも、ニュースキャスターが政治家にインタビューする際に、キャスターが自分の言葉で語らず、政治家の発言をそのまま垂れ流す場面ばかりになってしまっているじゃないですか。これでは戦前の大本営発表と同じです。

 「公平」や「中立」を御用報道の言い訳にしてはなりません。番組で何かを伝えようとする限り、そこには必ず番組編集者の主観、意見が混ざるのは避けられません。何か問題だと思うから報道するのである以上、それは当然の事です。それが「偏っている」かどうかを判断するのは視聴者であって政治家ではありません。そもそも、「そのニュースが真実であるかどうか」が問題なのであって、「偏っているかどうか」なんて二の次です。それが真実であれば、たとえ今の政府からすれば「偏っていよう」とも、それを伝えるのがマスコミの使命です。それを見て、真実であるか虚偽であるか、正当な批判であるか行き過ぎであるかを判断するのも、視聴者であって政府ではありません。
 「偏っている?」、大いに結構じゃありませんか。それに文句があるなら、自分も「偏った」意見を発表すれば良いだけです。その成否を判断するのは国民であって政府ではありません。今、当然のように思われている主権在民や民主主義の考え方も、戦前の日本では非国民の異端思想でした。それが今のようになるには、多くの犠牲がありました。腑抜けのような報道や大本営発表ばかりの世の中よりも、多少偏っていようとも、自由に意見が言える世の中の方がはるかに健全です。
 何が「私達は違法な報道を見逃しません」か。私達こそ、政治的中立を口実とした違法な言論弾圧を絶対に許しません。
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犬鳴山ハイキングコースの安全対策を問う

2015年12月15日 23時34分09秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ


 前回記事の続きです。温泉旅館でもらった割引券を早速使ってみたかったし、前回は時間がなくて見送った頂上までのルートを今度こそ踏破しようと思ったので、また昨日の公休日に犬鳴山に行ってきました。
 その前に、前回記事で書きそびれた事を一つ補足しておきます。犬鳴山という山が単独である訳ではありません。元々は、麓の七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)という寺の山号だったものが、燈明ヶ岳(558メートル)や大天上岳(612メートル)、経塚権現山などの周囲の山々を総称して犬鳴山と呼ぶようになったのです。つまり、高野山と同じ形のネーミングです。高野山も、元々は総本山・金剛峯寺(こんごうぶじ)の山号だったものが、楊柳山など付近の4つの峰の総称になったものです。



 前回は犬鳴トンネルを訪れた所まで書きました。今回はそこから更に奥の、紀泉高原の頂上にあるハイランドパーク粉河(こかわ)のロッジを目指しました。
 七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)から上に上がると犬鳴トンネルに向かう林道犬鳴東手川(とてがわ)線に出ます。林道横の道標には「五本松展望台のある頂上まで2.7キロ」とあります(左上写真)。「それぐらいの距離なら、上り坂を考慮に入れても1時間あれば充分だ。正午には頂上に着くだろう」と、最初思っていました。ところが、いざ林道を歩き始めると、どうにか平坦だったのはトンネルを抜けるまでで、後は歩くほどに勾配がきつくなってきました。
 コースの所々に森林組合の道標が立っていて、現在地の標高が記されていました。その道標によると、トンネル入口付近ではまだ標高340メートルだそうです(右上写真)。



 やがて林道の分かれ道にさしかかります。林道は左にカーブし、右に分かれる林道には車止めのゲートが設置されていました。近くの案内板によると、この右の林道は途中で行き止まりになっています。だから車両進入禁止のゲートが設置されているのですね。南海電鉄のパンフレット(記事冒頭の地図)にも「車止めゲートを入る」とあります(左上写真)。
 ちなみに、「左の林道は15.7%の勾配」との道路標識もこの近くにありました。「15.7%の勾配」という事は、「1000メートル走ると157メートル上がる」という事ですね。
 ところで、私の進んだ右の林道ですが、車両進入禁止の林道なので、今までとは比べ物にならないほど落ち葉が積もっています。まだ舗装道路なので普通に歩けますが、落ち葉で路面が濡れて滑りやすくなっています。
 やがて、その林道とも分かれ、いよいよ地道の登山道に入ります。登山道(階段)の入口に道標と目印の柵が設置されているので迷う事はありませんでしたが、その登山道の傾斜のきつさに思わずたじろぎました(右上写真)。でも、そんな物はまだ序の口でした。




 だって、後はもうこんな急な岩場や階段の上りばかりなのですよ。傾斜が急なだけでなく、谷側が完全に「崖」なのですから。途中の尾根道が少し平坦なだけで、後は全部こんな感じです。少しでも足を滑らせたら谷底まで真っ逆さまです。それでも、まだ上りは良い。問題は下りです。この写真のような風景を目の当たりにしながら、うねうねと曲がった急な坂道を下って帰らなければならないのですよ。せめて、曲がり角の部分だけでも、転落防止用の柵を設置してもらいたいと思います。(上記写真)



 そして、途中で林道を2度横断します。下からは登山道だけでなく林道でも上がって来れますが、林道は自動車が通るので、等高線のへりに沿って、グネグネと蛇行を繰り返しながら、徐々に高度を上げていきます。これを歩くとなると、頂上に着くまで4時間ぐらいかかってしまいます。それでは、頂上に着く頃には日が暮れてしまいますので、時間短縮の為に登山道が作られたのです。その登山道と林道との交差地点に、さっきの森林組合の道標が立っています。その道標には標高600メートルとありました。麓のトンネル手前の標高が340メートル、車止めゲート付近でも大体400メートルぐらいなので、前述のパンフレットの地図で見ると、わずか2~300メートル移動する間に200メートルも上った事が分かります。(上記写真及び記事冒頭の地図参照)



 下から上がってきた林道と再び合流し、ようやく高原の頂上に着きました。頂上の標高は約740メートル。頂上といっても、山と山の間の鞍部(あんぶ=峠)みたいな所ですが、それでも高原には違いありません。既に生駒山の標高(641メートル)を超えています。再合流点の道標には「七宝瀧寺まで3.4キロ」とあります。そのわずか3.4キロの間に、標高300メートルぐらいから740メートルまで約400メートルも一気に上がってきたのです(右上写真)。登る時は冬でも汗でぐっしょりでしたが、さすがにここまで来ると寒さを感じます。
 ここから更に葛城山や岩湧山の方にも道が通じていますが、そちらはまた別の機会にでも行ってみたいと思います。



 そして、これが前述したハイランドパーク粉河のロッジです。1階が農産物の直売所と管理事務所、2階が食堂も兼ねた喫茶店となっています。私が事前にネットで調べた時には「一時休業中」と書かれていたので、ハイキングに入る前に泉佐野のスーパーで昼食弁当とお茶を買ってきたのですが、どうやら営業を再開したようです。仕方がないので、喫茶店のマスターに頼んで、店内でお弁当を食べさせてもらう事にしました。(実は、1階には休憩室もあったので、そこで食べても良かったのですが、その時はそこまで気付きませんでした)

 お弁当を食べた後、コーヒーを注文してマスター夫婦としばし雑談。その中で、「道に迷うハイキング客が多い」とマスターがしきりにぼやいていました。そして、「その原因は、南海電鉄の案内パンフレットにある地図にあるのではないか」「実際に、このパンフレットの地図が分かりにくいというハイキング客の声を耳にする」と言っていました。
 私は、それを聞いて、「この地図には結構詳しい情報が載っているのに」と、最初はいぶかしく思っていました。でも、よくよく見ると、林道も登山道も同じ茶色で塗られ、どこから登山道に入るのかハッキリしません。それに、あくまでも「ハイキング」とあるので、登山道が石ころだらけで、谷側が崖で柵もない事にも一切注意喚起がされていません。これでは、せっかく詳しい所まで載っていながら、「ハイキングではなく登山のつもりで来るべし」という、一番大事な注意事項がスッポリ抜け落ちてしまっています。
 それと、道に迷う原因については、もう一つ、車止めゲートの横に、「こちらのゲートの横を入れ」と明確に書かれた道標が設置されていない事もあるのではないでしょうか。確かに、パンフレットには「車止めゲートを入れ」旨の注意書きがありますが、ハイカーがまず見るのはパンフレットよりも道標です。現に私も、近くの案内板をたまたま見たから良かったものの、もし見ていなければ、左の林道に迷い込んだかも知れません。もちろん、道標や案内板を設置するのは、一私鉄にしか過ぎない南海電鉄ではなく、犬鳴山も含めた金剛生駒紀泉国定公園を管理している大阪府の仕事ですが、南海電鉄の方も、パンフレットでハイキングの宣伝をする以上は、ただ宣伝するだけでなく、安全対策の働きかけを大阪府や関係先に対して行うべきではないでしょうか。事故が起こってからでは遅いのですから。



 頂上には、麓の大阪府側や和歌山県側から自動車道路が通じています(左上写真)。しかし、その自動車道路や林道は、前述したように、蛇行を繰り返す大回りなルートになっていて、日帰りのハイキングには向きません。勢い、ハイカーは傾斜が急な登山道を利用せざるを得ません。もっと言えば、犬鳴山自体もただのハイキングコースではありません。標高こそ低いものの、表行場や裏行場のような、鎖伝いでしか行けない場所もある、険しい修験道の行場でもあるのです(参考資料)。そういう事もパンフレットに記載すべきではないでしょうか。「たとえハイキングと言えども、近郊の野山に行くような安易な気持ちで行ってはダメだ」と言う事も、ちゃんと書くべきだと思います。
 頂上には前述のロッジ以外に、有料の展望台もあります。五本松の展望台です(右上写真)。有料と言ってもわずか200円ですが、和歌山県側については別にそんな所に登らなくても、頂上からでも充分眺望がききます。大阪府側のみ、樹木が生い茂って眺望がきかないのです。でも、その程度なら、別に展望台に登らなくても、ロッジの2階からでも何とか見れます。



 左上写真は、ロッジの写真集に載っていた大阪府側の眺望です。ロッジのマスターが仰るには、はるか彼方の四国の山々までうっすらと写っているそうです。私はよく確認できませんでしたが。そして右上写真が、私が頂上から和歌山県側を撮影したものです。
 なお、「犬鳴トンネルの心霊スポットとしての噂の真偽」についても、ロッジのマスターに聞いてみましたが、「私ら毎日、あのトンネルを通って麓に買い出しに行っているが、今まで幽霊に出くわした事なぞ一度もないですよ」との事でした。
 そう言えば、この近くの、泉南市の金熊寺(きんゆうじ)から和歌山県の岩出の方に抜ける根来街道(府県道泉佐野岩出線)の途中にも、風吹峠のトンネルがありますが、そこも心霊スポットで有名です。トンネルの上には火葬場もあります。しかし、そこも、昔、私が生協の商品管理担当だった時に、農産物の納品に来るドライバーにその峠の事を聞いたら、「いつも、納品にそこのトンネル通ってくるけど、別に何もないで」と言っていましたっけ。

 ハイキングの帰りに、再び犬鳴山温泉の前回と同じ旅館に立ち寄りましたが、ちょうどその日は「温泉デー」という事で、割引券よりも更に安い、わずか375円で日帰り入浴を楽しむ事が出来ました。そして、自宅に帰った後、南海電鉄と国定公園を管轄する大阪府環境農林水産部みどり推進室に、以下のような趣旨のメールを送っておきました。

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犬鳴山ハイキングコースの安全対策について
 初めまして。先日12月14日(月)の公休日に、大阪府が管理している金剛生駒紀泉国定公園内にある、犬鳴山のハイキングコースを、麓の温泉郷から頂上のハイランドパーク粉河まで往復踏破して来た者です。そこで感じたのが、七宝瀧寺から先のコースの安全対策の不備です。特にコース後半の、林道犬鳴東手川線から分かれ登山道に入る付近から後は、急峻な岩場や石段を上らなければなりません。しかも、谷側はすぐ横が崖です。にもかかわらず、この区間には柵が一切設置されていません。これでは、上る時はまだしも、下山する時に転倒して石段に頭を打ちつけたり、滑落して谷底に転落する可能性があり、非常に危険です。せめてカーブ区間だけでも、谷側に転落・転倒防止用の柵を設置していただけないでしょうか。
 また、犬鳴東手川線の車止めゲートから行き止まりの林道に入り登山道に折れる区間で、車止めのゲートがある為に勘違いして、そのまま犬鳴東手川線を直進してしまい、大幅な遠回りをしてしまうハイカーも少なくないと聞きます。私が歩いた時も、確かにゲートの周囲には国定公園の案内図があり、それを見ればゲートの方の道を行かなければならない事は分かります。しかし、その案内図がゲートの真横にはない為に、ゲートだけを見て、林道をそのまま直進してしまうハイカーが少なくないのではと推察します。車止めゲートの横にも案内の道標を設置してもらえたら助かります。
 大阪府の財政が逼迫しており、国定公園内では施設の新設・改造が制限される事も承知していますが、この案件は人命に関わる内容です。事故が起こってからでは遅いです。何卒宜しくお願い致します。
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犬鳴山の温泉・霊場・心霊スポット巡り

2015年12月11日 22時29分47秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

南海電鉄「犬鳴山温泉&ハイキングきっぷ」のパンフレットより

 12月9日(木)の公休日は、寒さも和らぎ絶好の小春日和となったので、気分転換に、また一人でぶらっとハイキングに行ってきました。今度の行き先は犬鳴山です。南海本線の泉佐野駅からバスで約30分、大阪と和歌山の府県境近くにある、温泉と霊場で有名な所です。
 その日は、午前中に片付けなければならない用事が少しあったので、犬鳴山に着いた時には、もうお昼どきになっていました。バスを降りて、小さな旅館街を行くと、ひなびたカフェテラスがあったので、そこで昼食を取ることにしました。


 犬鳴山の旅館街とカフェテラスの飼い猫「さくらちゃん」。猫は最初、人見知りしていたが、頭を撫でてあげたら徐々になついてきました。
 大阪府の周辺部には、摂津峡や天見(あまみ)、奥水間(おくみずま)などの温泉郷が存在します。いずれも天然温泉で、地元の湯治客(とうじきゃく)が中心のローカルな温泉郷ですが、その中でも、この犬鳴温泉郷だけが、旅館街もある府内で唯一の温泉集落なのだとか。温泉の泉質は純重曹冷鉱泉(ナトリウム・炭酸水素塩泉)で、美肌効果や皮膚病の治療、疲労回復に効果があるのだそうです(参考資料)。私は冬はいつもアカギレに悩まされているので、ちょうど良いかも。


 カフェテラスを出てしばらく行くと、霊場の入口をくぐります。ここから先はもう修験道の聖域です。犬鳴川の渓谷に沿って岩だらけの道が続きます。その道に沿って電線が奥に向かって伸びていました。多分、この奥にあるお寺に通じているのでしょう。「電柱や電線なぞ渓谷美の景観にそぐわない」と眉をしかめる人も中にはいるでしょうが、この時の私にとっては、この電線も、不安定な足場を補う格好の目印となりました。


 やがて最初の滝が見えて来ます。これが「両界の滝」で、別名「犬鳴大明神」として崇め祀られてきたと、案内板にありました。


 その先にあるのが「瑞龍門」、別名「行者迎えの門」です。この門をくぐると、道は石畳となり少し歩きやすくなります。
 この先で参拝路と別れて左の階段を登ると修験道資料館の前に出ますが、あいにく今日は閉館日でした。その代わりに、ここで散りそめ寸前の山の紅葉を堪能する事ができました。


 再び参拝路に戻り、しばらく行くと、護摩壇のある広場や赤い橋があります。


 そして、横に「出世稲荷」と「九頭龍(くずりゅう)大神」が見えてきます。「出世稲荷」と言うからには、拝めば転就職や昇進に恵まれるのでしょうか。どちらにしても、面接試験が散々な結果に終わった今となっては、もう後の祭りです。


 その先にあるのが、犬鳴の地名の由来ともなった「義犬の墓」です。伝説によると、犬を連れた猟師が、けたたましく吠える犬に、猟の邪魔をされたと勘違いし、怒って犬の首をはねてしまいます。ところが、実は犬が吠えていたのは、猟師を狙う大蛇の存在を教える為でした。首を切られた後も犬は大蛇に噛み付き、そこで絶命します。それを知った猟師は、愛犬を弔う為に出家し、ここで修行に励んだとの事です。それを聞いた宇多天皇の命により、それまでの「一乗山」から「犬鳴山」に山の名前が変わりました。


 「義犬の墓」を通り過ぎた後も次々と史跡が現れます。左が「厄除(やくよけ)十一面観世音」、右が「身代わり不動明王」。


 「韋駄天(いだてん)大明神」の祠(ほこら)と、そのいわれを書いた案内板。足腰の痛み封じの神様だそうで、毎月第一日曜日には、この前で痛み封じのお祈りが行われるそうです。腰痛の持病を抱える私にとっても、決して他人事ではないので、ここだけは私も少し真剣にお祈りしました。


 霊域の一番奥に「七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)」があり、境内の「行者の滝」では、今でも滝に打たれる修験者の姿を見る事ができます。この七宝瀧寺は、奈良時代に活躍した役小角(えんのおずの)という有名な修行僧が開いた真言宗のお寺で、奈良県・大峰山の霊場よりも早く開かれたそうです。
 もともと、この犬鳴渓谷には大小あわせて48もの滝があるそうです。そのうち、主なものだけでも7つあり、それが寺の名前の由来にもなっています。私が確認できたのは、前述の「両界の滝」とこの「行者の滝」の2つだけですが。

 参拝路はもうここで終わりですが、ハイキングコースはこの後もずっと続きます。七宝瀧寺に向かう参拝路と分かれ、横の急な階段を登ると、突然、一車線の舗装道路に出ます。これが林道犬鳴東手川(とてがわ)線で、葛城山や五本松の展望台の方まで続いています。実は、参拝路と並行する形で、この林道も山の奥に通じているのですが、いかんせん、この林道はやたら曲がりくねっていて、おまけに麓(ふもと)の温泉街には通じていないので、帰りに温泉に立ち寄る為には、岩だらけの渓谷沿いの参拝路で戻るしかないのです。(冒頭の地図参照)


 この林道を犬鳴トンネルまで進みます。ハイキングコースは、この奥の五本松の展望台まで続くのですが、現地に着いたのがもう昼前だったので、今日はここで引き返す事にします。
 地図には犬鳴隧道(ずいどう)と書かれているこのトンネルこそが、何を隠そう、「犬鳴の化けトン」と呼ばれる心霊スポットなのです。今までも、「夜に首なしライダーや少女の霊に出くわした」という噂(うわさ)が絶えない場所でした。
 しかし、私が見た限りでは、何の変哲もない普通のトンネルでした。改修工事が行われる前の素掘りのトンネルだった頃は、もっと凄い雰囲気だったそうですが。
 私が思うに、現場は一車線しかない林道で、付近には街灯もない上に、トンネルに入る直前に急カーブがあり、トンネル内もカーブしている事で、この周辺が修験道の霊場である事と相まって、夜ここを通るドライバーの恐怖心から、そんな根も葉もない噂が広まっていったのではないでしょうか。
 だって、本当に「霊の力」なぞという物があるなら、そのパワーで面接試験も通るはずだし、秘密保護法や戦争法の強行採決も阻止できたはずです。この前のダブル選挙でも、大阪維新を打ち倒す事ができたはずです( *`ω´)キリッ。ところが、現実には全然そんな事は起こらなかった。この一事だけでも、心霊現象なぞ実際には存在しない事が分かります。

 実は私、昔は結構こういう心霊話が好きでした。その手のテレビ番組があると必ず見てました。でも最近は、「着信アリ」などの映画の影響からか、「スマホを操る霊」「メール交換する霊」などの安っぽい心霊体験談の胡散(うさん)臭さや、駆け出しの三流芸人に安いギャラで体験談をしゃべらせるテレビ局の姿勢に疑問を感じ始め、今はむしろ、そういう心霊話の嘘を暴くようになりました。例えば、こちらの過去の記事のように。


 帰りは再び渓谷沿いの岩だらけの参拝路を下ります。これは途中の「白瀧大神」(例の犬に噛み付かれた大蛇を祀ったものか?)と、道の真ん中に立っている全長38メートルの「のっぽ杉」。


 帰りの温泉は、この「み奈美亭」という旅館の温泉に入りました。なかなかいい湯でした。この「み奈美亭」も含め、5軒の旅館や入浴施設があり、いずれも千円以下で日帰りの入浴サービスが受けられます。ハイキングコースから離れた旅館の方が入浴料は若干安いですが、その分、施設が古かったりします。
 右の写真は、その旅館の飼い犬です。「犬鳴」の故事にちなんで飼い始めたのでしょうか。但し、前述のカフェテラスの猫とは違い、「噛み付かれる恐れがあるので、むやみやたらと触らないように」との注意書きがあったので、この犬については、名前もうかがわずに、遠くから撮影するだけにしておきました。 
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奴隷の協調性に支えられたニセ家族経営の無責任

2015年12月06日 22時39分34秒 | 職場人権レポートVol.3


 前回記事の予告通り、12月3日(木)午後2時過ぎから本社で社員昇格試験の面接がありましたが、結果は最悪でした。そして、会社批判てんこ盛りの応募書類を出したにも関わらず、なぜ私が最終段階の面接まで残ったのか、その理由も面接の席で明かされる事になりました。

 面接当日は午前中まで仕事で、昼休みを1時間取ってから午後1時に職場を出て、電車で本社に向かえば、2時までには充分間に合うと思っていました。その想定で、友達のバイトと昼食を取っていると、副所長から「下で待っているので食べたらすぐ来るように」と言われました。何と副所長が本社まで車で送ってくれるそうです。そこで、昼食もそこそこに済ませ本社に向かい、本社近くの集合場所で所長や同じ受験者の丘染(おかぞめ、仮名)さんたちと落ち合いました。そこで、所長から「頑張って来いよ」と声をかけていただいた後、私と丘染さんの二人で本社に向かいました。丘染さんたら、ガチガチに緊張してやんの。(^O^)

 本社ビルはもう直ぐそこでした。そこの2階の会議室で、面接開始まで待機する事になりました。会議室には既に2名の受験者と案内役の本社人事部員がたむろしていました。私と丘染さんも含めれば受験者は4名で、私以外は全員スーツを着ていました。皆さんガチガチで緊張されていました。(^O^)
 面接は、私たちが待機している部屋の向かいの会議室で行われました。面接の順番が来ると1人ずつ呼ばれ、約20分ぐらいかけて面接が行われました。それまでは、この会議室で待機です。私は最後の順番だったので、約1時間そこで待機する事になります。
 受験者の中で制服(作業着)で来たのは私だけでした。午前中まで現場で仕事でしたから。面接の案内文書には「スーツまたは制服着用で臨む事」とあったので、別に制服でも一向に問題なかったはずですが、それが後に面接で問題とされる事になります。

 その待機中に配られたのが上記写真の「面接心得(こころえ)」です。その心得には、ヘアスタイルやスーツの色、ネクタイの結び方から、面接の際のノックの仕方やお辞儀の仕方まで、注意すべき点がこと細かに載っていました。例えば「入室の際にはドアのノブは両手で持たなければならない」「椅子に座る際には椅子の後ろを通って着席しなければならない(前を横切るのはダメ)」という具合に。
 この心得の内容は、多分、接遇本や就活本のコピーなのでしょうが、私はそれを読んで非常に違和感を感じました。なぜなら、私が生協に正規職員として採用された時は、面接でこんな細かな事まで要求されませんでしたから。その時も、もちろんスーツ着用で、人事教育部長と1対1の面接でしたが。当時は羽曳野(はびきの)にあった生協物流センター2階の本社会議室で面接が行われ、面接終了後に部長の案内で物流センター内部を見学させてもらったっけ…。もう何十年も前の話で、今とは雇用情勢も違いますが…。

 また、待機中の会議室では、「面接心得」の他に、私が休日に所長からもらったカードに書かれていた社是や経営方針の内容も、改めて紹介されました。カードを超拡大コピーしたような物を会議室に持ってきて、「面接で多分聞かれるであろうから覚えておけよ」と。そこには、「社会に貢献、社員の幸せ」とか、「天の時は地の利に如(し)かず」と言った、どこぞの戦国武将の言葉みたいな事が書かれていました。受験者は皆、必死になって覚えようとしていましたね。私は、そんな物全部覚えられる訳もなく、所長も「適当に何か一つでも覚えておけば良い」と言われたので、その「戦国武将の言葉」だけを語呂合わせで覚えましたが。
 だって、そのカードに載っているのが、経営方針(6行)、社是(2行)、基本政策(2行)、営業方針(1行)、安全理念(3行)、改革コンセプト(1行)、スローガン(1行)、経営理念(1行)と、8つもあるのですよ。どれもこれも似たような項目ばっかりで、同じような美辞麗句(びじれいく)を書き連ねたものが8つも。こんなもの、「はい、これ」といきなり渡されて、1日や2日で全部覚えられる訳がないでしょう。(^O^)

 でも、私に言わせると、これらの面接心得や経営方針などの言葉も、当たり前の事が出来る会社であってこそ初めて言える事ではないでしょうか。ゴミを散らかしたら、散らかした人間が後片付けをする。バイトの配置を変更したら、変更した社員がちゃんとそのバイトに変更した事を知らせる。そんな当たり前の事も出来ない会社に、何でこんな、こと細かな事までアレコレと、偉そうに指示されなければならないのか?!その当たり前の事も出来ていないのに、それを放置したままで、「ドアノブは両手で持て」とか「社会に貢献」とか、バカにするのも大概にせえよ。(`Δ´)!
 これぞ形式主義の極(きわ)みではないですか。前回記事で問題にした「上層部の視察があるから元気に挨拶(あいさつ)、整理整頓」の業務連絡と同じです。普段の整理整頓や挨拶(あいさつ)こそが大事なのに、普段は散らかし放題で、バイトをモノ扱いしまくっているくせに、上層部の視察や面接の時だけ、何でこんな「戦国武将の言葉」なぞ覚えなければならないのか。第一、バイトの配置や勤務シフトを勝手に変更されても声もかけてもらえなかったのに、何が「社会に貢献、社員の幸せ」か。言っている事が白々しいにも程がある。(`Δ´)!

 そうこうしているうちに、とうとう私に面接の順番が回ってきました。「面接心得」の通り、向かいの面接会場のドアをノックし、「失礼します」と声をかけ、ドアノブを両手で回し、「こんにちわ。××から参りました××と申します。本日はよろしくお願いいたします」と名乗りを上げ、お辞儀して、面接官に「どうぞ」と促されてから、椅子の後ろを通って着席しました。
 面接官は6名もいて、私の椅子と向かい合って一列に座っていました。その6名を紹介された後、私の面接が始まりました。

 まず開口一番、左端の刺々気(ささき、仮名)次長から、私がなぜ最終ステップの面接にまでたどり着いたのか、聞かされる事になりました。ちなみに、この刺々気次長は以前、私が前の配属先で働いていた時の所長でもあり、私が知っている唯一の人物です。
 その刺々気次長が言うには、やはり面接官6名中5名までが私の社員採用には二の足を踏んでいたようです。そりゃあそうでしょう。あんな会社批判ばかり書き連ねた応募用紙を見せられたら、私が面接官でも不採用にします(笑)。私はむしろ、それも承知の上で、ダメ元で一石を投じる為に、敢えてそこまで書いたのです。

 その中で、刺々気次長の尽力により、何とか面接までたどり着く事が出来たのです。その次長いわく、「××さん(私の本名)は確かに筆記試験も高得点で通過している。筆記試験と同時に実施した適性検査でも、長所とされる面では非常に優秀な結果が出ている。その反面、協調性の部分では非常に点数が低く、上司や取引先、部下との衝突が懸念されるとの但書(ただしがき)も付けられる結果となっている」「この社員応募書類にある、『下手な社員よりも、よっぽど会社に貢献してきた自負がある』との記述や会社批判の部分も、本来ならば書かなくても良い事だ。そんな事を書くくらいなら、なぜもっと、自分は会社でこうしたい、これが出来ると、積極的にアピールしないのか」と言われました。

 これで面接の流れが決まってしまいました。だって、そうでしょう。その他の5名の面接官から何を言われようと、私にとっては痛くも痒(かゆ)くもありません。この5名の面接官は、私にとっては「敵」でしかないのですから、「敵」にどれだけ攻撃されようと、私にとっては勲章にしかならない。むしろ、「敵」から攻撃されればされるほど、こちらも反撃のやり甲斐があるというものです。
 ところが、私を評価してくれた唯一の人物からそんな辛口の評価をされたら、私は困ってしまいます。下手にその人物に反撃して、唯一の味方を失う羽目になっては元も子もありません。勢い反撃を手控えざるを得なくなりました。

 その後はもう完全に「敵」のペースです。次に発言した人事部長の運尽(うんのつき、仮名)という奴からは、「なぜ君だけスーツを着て来なかったのか?」と聞かれました。それに対して、私が「午前中は現場作業でしたから」と答えても、「着替える時間はなかったのか?」と。(しかし、書いているうちに、だんだん「敵」の仮名が酷くなってきました…w)
 私は、「着替える暇なんてある訳ないだろう。そんな事言うなら、お前こそ、午前中にスーツ着て白菜の仕分けでもしてみろや。第一、面接の案内には『スーツまたは制服着用の事』とあるじゃないか。それがダメだと言うなら、最初から『スーツのみ着用の事』と、ちゃんと書いとけよ。このヴォケ!」(`Δ´)と言いたのを、ぐっと堪えていました。



 何を隠そう。この「運尽」こそが、私が前の配属先で、会社のドーリー発注サボタージュに抗議して、個人加盟の労働組合に入り会社と団体交渉した時に、会社側の人間として交渉に出てきた人物の一人でした。そう言えば、こいつは交渉の席でも、「我々のやっている事が何か法律に違反しているのかね?」とうそぶいていました。何十キロもある荷物をカゴ車からドーリーに積み替えさせても、労働基準法や労働安全衛生法には荷物の重量制限なぞ無い事を盾にとって、法律の網の目をすり抜けるような事をやっていたのです。(上記がその時の証拠写真。詳しくは当時のブログ記事を参照の事)

 その「運尽」野郎が、今回の面接で、私に次に投げかけてきたのか、「あなたの職場での人気はどれ位あると思いますか?」という問いかけでした。それに対しても、「芸能人の人気投票じゃあるまいし。そんなに三流のお笑い芸人みたいな奴ばかり入れたいなら、一層の事、吉本の子会社にでもなって、ブースの磯野(仮名)みたいな奴ばかり入れれば良いだろう。彼こそ会社の超有名人じゃないかw。但し、そんな奴ばかりになったら、ますます、ハローワークにいくら求人出しても誰も寄り付かなくなるが」と言いたいのを、ぐっと我慢して。(`Δ´)!

 そして、最後に言い放った言葉が、「『社会に貢献』という経営方針にもあるように、我が社は昔から家族経営でやってきたのだ。従業員あっての会社なのだ。もし、その中で社員としてやって行こうと思うのであれば、協調性も今まで以上に求められるのと違うか?」。細かい言い回しについては、必ずしもこの通りではなかったと思いますが、大体そんな意味の事を聞かれました。

 これにはさすがに頭にきました。
 …何でそんな事まで、こんなバカ会社から言われなアカンねん!そりゃあ、私は八方美人ではない。人によっては「協調性に欠ける」と取られかねない面もあるだろう。しかし、これも取り方一つだ。協調性がある事が必ずしも長所だとは言い切れないのではないか。むしろ、今の会社の現状では、何でもイエスマンで上の言いなりになる事を、「協調性」という言葉でごまかしているだけではないか。そんな「協調性」なぞ、むしろ無い方がよっぽどマシだ。
 …「家族経営」という言葉もそれと同じだ。ブラック企業などで、社内にはびこるパワハラ、セクハラや、法律違反のサービス残業や不払い労働の実態を覆い隠す為に、ことさら「家族経営」とか「社員の幸せこそが会社の幸せ」という美名で取り繕う例がよくあるが、それと一緒じゃないか。
 …よしんば、私にそのような欠点があったとしても、私よりもはるかに欠点だらけのダメ会社やダメ社員から、何でそんな事を言われなければならないのか。他人の事をあれこれ言う前にまず我がふり見て直せ……言いたい事は他にも山ほどあります。(`Δ´)!

 そんなこんなで、もう散々なクソみたいな面接でした。
 もし、私が「協調性に欠ける」と言うなら、私よりもっと協調性に欠け、しょっちゅうバイトとトラブルを起こしている井下(仮名)や、しょっちゅう事故やミスを起こして業務発注元からフォークリフト運転禁止の通達まで食らっている崖淵(仮名)を、なぜ社員として採用したのか?そして、なぜ、それを今まで放置してきたのか?それを棚に上げて、私ばかりに色々言われても全然説得力がありません。

 でも、それを今さら運尽をはじめとした「上層部」に面接で言っても、奴らが聞く耳持つとは思えません。完全に喧嘩する覚悟なら別ですが、最初の刺々気の発言で奴らに面接の主導権が奪われてしまったので、それも出来ずじまいに終わってしまいました。もし、万一喧嘩になったとしても、1対6では勝ち目がありません。
 まあ、それでも「奴隷根性を社内から一掃しなければならない」という事は、最低限言ったつもりですが、それもどこまで伝わっている事やら。
 もう、所長には、面接翌日に社員昇格辞退の意向を伝えました。「こんな会社なぞ、こちらから願い下げです。もう今まで通りバイトのままで結構です」と。でも、「せっかくここまで来たのだから。まずは面接の結果を待ちましょう」という事になりました。

 ただ、これだけは、はっきり言っておきます。この会社の言う「家族経営」というのは完全な偽物(にせもの)です。
 もし、この会社が、本当に従業員を大事にする「家族経営」の方針で運営されているなら、上の顔色ばかりうかがって、ドーリー発注の要望も出せずに、ドーリー不足のツケを、危険な積み替え作業の形でバイトに押し付けるような真似はしなかったはずです(前述)。また、改装工事中で通路が狭くなった現場で、出来上がりドーリーを後ろに搬送する際に、前がよく見えずに前方にいた作業員の後ろ足にドーリーを当ててしまった私の過失に対して、会社の安全管理手落ちの責任もあるのに、労災申請もせずに私個人の過失だけで済まそうとはしなかったはずです(この件については、こちらの関連記事を参照の事)。

 つまり、この会社の言う「家族経営」とは、本当に「従業員を家族のように大事にする」という意味ではなく、単に「子供は黙って親の言うことを聞け」「ゴチャゴチャ文句を言うな」と言っているにしか過ぎないのです。こんな物はただの「奴隷の服従」でしかない。
 そして、「無責任の極み」でもあります。本当に従業員の事を思うなら、ダメ社員の井下や崖淵も、今までずっと「飼い殺し」になぞしておかなかったはずです。会社の責任において、一人前の社員に育てるべく、今まで何らかの手を打ってきたはずです。ところが、それを行った形跡すらない。こんな無責任な会社が一体どこにありますか。
 そんな「奴隷の服従」に屈し、「会社の無責任」を「家族経営の嘘」で取り繕う事が「協調性」であるなら、むしろ私は「協調性に欠ける」事を誇りに思います。会社の思い通りにならず、「協調性に欠ける」私がいるからこそ、他のバイトの権利もかろうじて守られているのですから。

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会社の中から奴隷根性を一掃する

2015年12月02日 23時37分32秒 | 職場人権レポートVol.3

 うちの会社の業務連絡板には、つい昨日まで、「×日に安全パトロールや社内上層部の視察があるから、元気に挨拶(あいさつ)しよう、整理整頓に心がけよう」と書かれていました。今はもうないはずです。昨日、私が社員に指摘して消させましたから。
 なぜなら、挨拶も整理整頓も、たとえ安全パトロールや上層部の視察があろうがなかろうが、そんな事には関わりなく、普段から心がけなければならない内容です。それを、「誰それが来るから、やらなければならない」(来なければやらなくて良い)と言ってやらせるのは、明らかに間違っています。
 そもそも、私たちは何も「安全パトロール」や「上層部」の為に仕事をしている訳じゃありません。会社の商品を買ってくださるお客様や、自分たちの生活を支える為に仕事をしているのです。「安全パトロール」や「上層部」(会社の経営者や重役連中を指すと思われる)も、その仕事を進める上での単なる役割分担でしかない。本来は、どちらが「上」とか「下」とかいう物ではないはず。それが、この21世紀にもなって、いまだにこんな封建時代さながらの「お上意識」「奴隷根性」に支配されていてどうするのですか?
 むしろ、床の穴ボコも補修されずに、テープの危険表示だけでずっと放置されてきた現状こそ、視察で認識してもらわなければなりません。「お前ら、今まで何をパトロールして来たのか?何を視察してきたのか?」と、私たちの方から問題にしなければならないはずです。そして、会社の方も、前述のような事を業務連絡板に書いている暇があるなら、少しでも現場の不備、不具合や危険箇所の是正に動かなければならないはずです。労災事故が起こってからでは遅いのだから。

 恥ずかしながら、これが今の私のバイト先の現状です。この現状を少しでも改めるべく、私が社内の正社員登用試験に応募した事は、既にこのブログでも折に触れて書いてきました。しかし、最近は社内のブログ読者も増えた事ですので、ここで改めて、私がなぜ試験応募に至ったのか、その経緯(いきさつ)について書いておきます。
 社員登用の話があったのは9月頃です。契約社員対象に毎年1回実施される社内募集で、書類選考、筆記試験、面接を経て、合格者が翌年3月21日付で正社員に昇格します。当初は私も、「自分自身そんなに若くはないし、今更こんなブラック企業の社員になった所で、たった一人の力で会社が直ぐに変わる訳じゃなし。逆に、新人社員の私にばかり、責任やしんどい仕事を押し付けられるだけじゃないか」と思っていました。だから、所長からの登用試験受験の勧めも、今まで全部断ってきました。

 しかし、その話を近所の行きつけの鍼灸(しんきゅう)師さんにすると、意外にも「むしろ会社を変えるチャンスじゃないか」とアドバイスされました。その鍼灸師さんと言うのは、完全予約制の治療院をされていて、私もそこに腰痛の治療に定期的に通っています。単に鍼灸治療だけでなく、心療内科や職場のメンタルヘルス的な相談も承っています。私もこれまで、治療の傍(かたわ)ら、職場の話も雑談の中でしてきたので、その中で今回の社員募集の話も、単なる職場のエピソードとして紹介しただけでした。だから、まさか、そんな感じで勧められるとは思ってもみませんでした。
 でも、その鍼灸師さんが言うには、「たとえ無能社員だらけのブラック企業でも、本当に会社を中から変えていこうとするなら、バイトや契約社員よりも正社員になった方がはるかに有利だ。やはり『腐っても鯛』で、社員になればバイトみたいに簡単には解雇できないし、バイトにはない権限も付与される。その代わりに一定責任も負わされるだろうが、平社員が負わなければならない責任なぞ、たかが知れている。もし嫌な事を押し付けられそうになっても、逆に開き直って、適当に受け流しておけば良い」と。

 その一言が最後の決め手となり、応募締切の9月30日ギリギリに、応募書類を提出しました。その時点では、多分、書類選考ではねられると思っていましたので、ダメ元で「もし面接までたどり着けるようなら、そこで面接官に思いっきり言いたい事を言って喧嘩してきてやろう」ぐらいに思っていました。だから、別の記事の中でも書いたように、応募書類の入社志望動機欄には、前述の奴隷根性の件も含め、会社批判を一杯書き連ねてやりました。しかし、ただ批判するばかりでも芸がないので、この間、必要に迫られて自分で作って現場に掲示した、外国人バイト向け作業マニュアルの紹介も、志望動機の冒頭部にさりげなく入れておいたのです。

 ところが、予想に反して書類選考も筆記試験も通過してしまったので、我ながら驚いています。いくら既にバイトとしての勤続経験があるとしても、もう数年もすれば定年の身なのに。普通ならこんなオッサン採らないでしょう。
 しかも、私の場合は、前の配属先で組合活動したり、ここでも賛同者を募るビラまきが会社に見つかって顛末(てんまつ)書を取られたりしているのですよ。もちろん、これも私に言わせれば、私が前の配属先で組合に入るキッカケとなったのも、業務発注元のスーパーの顔色ばかりうかがい、必要備品のドーリー発注すらケチって、無意味で危険な積み替え作業をバイトに強いた会社にこそ非があるのです。何十キロもある重たい商品を、カゴ車からドーリーに、なぜわざわざ積み替えなければならないのか。充分な数のドーリーさえあれば、こんな無駄な事なぞせずに済むのに。しかも、私は腰痛も抱えているのに。
 だから、バイトの組合のない職場でも、一人からでも加入できる労働組合に入って、このドーリーの件で会社と団体交渉やったのです。会社は開き直ってケンモホロロでしたが。その会社の無為無策を棚に上げ、法律で保障された組合活動の自由を制限しようとするなぞ言語道断です。(当時の経緯については、こちらの関連記事等を参照の事)

 私としては、むしろ、そんな会社への「意趣返し」のつもりで、社員登用試験に応募したのです。
 もちろん、それだけではなく「中から会社を少しでも変えたい」という思いも当然あります。そして、実際に、会社に文句を言うばかりではなく、自分で出来る範囲の中でも、業務改善に取り組んだりしてきました。社員が何もしてくれないので、バイトの身でありながら自作のマニュアルを作ったり、床にレイアウト表示を施したりして。「それだけの事をしてきた」という自負も当然あります。
 でも、常識的に考えれば、こんな会社批判ばかりするオッサンよりも、体力もあり従順な若者の方が、よっぽど会社にとっては有難いはずです。

 だから、「面接では言いたい事を言うます。それでたとえ喧嘩になったとしても」という事も、所長にはあらかじめ言っていました。そして今週の月曜日に、その事で所長・副所長と約30分間面談もしました。所長が言うには、「私の口からは、××さん(私の本名)に対して、あれを言うなとか、これを批判するなとかは言えない。ただ、せっかくここまで来たからには、面接も喧嘩腰ではなく建設的な対話になるよう心がけて欲しい。多分、面接では志望動機について聞かれると思うので、自分が社員として一体どんな事をしたいのか、答えられるようにしておいて欲しい」という事でした。そして、「もし面接試験に受かれば、社員になる前にでも一度、毎週定例の社員会議にオブザーバーとして参加してもらい、自分は社員として何をしたいのか、抱負を是非聞かせて欲しい」と言われました。
 「自分は社員として何をしたいのか」という事については、私も色々と思うところはあるのですが、それはこの後で述べるとして、その場では即答せず、所長には「ダメ社員の井下(仮名)と崖淵(がけっぷち、仮名)をまず何とかして欲しい」とだけ言っておきました。

 まず崖淵については、無意味な注意喚起のマイク放送を止めさせるよう進言しました。多分、所長から指示されてやっているのでしょうが、崖淵がいくら無線マイクで「出荷時のラベルの貼り間違いに気をつけましょう」とか呼びかけた所で、「自分自身がいい加減でしょっちゅうミスや事故を起こしている中では、かえって反発を覚えるだけだ」と言ってやりました。そして、バイト朝礼での崖淵の発言についても、「今日は××の特売があるのでよろしくお願いします」と言うような、無責任で曖昧(あいまい)な指示の仕方ではなく、「誰が何をすべきなのか」「その特売商品を扱う際にはどういう点に注意すべきなのか」と言うように、もっと具体的で明確な形で指示するように指摘しました。
 そして、井下についても、勝手にバイトの作業配置を変更しながら、掲示板の名札を変えただけで、当のバイトにすら声もかけないような非常識な真似や、何かといえば直ぐに「上からのお達しにより」という言い方をして、まるでバイトを会社の奴隷や部品扱いするような朝礼での物の言い方についても、苦言を呈しておきました。
 これにはさすがに所長も呆れ果てていました。「崖淵のマイク放送も、職場の課題や問題点を自ら感じ取ってもらう為にやらしていたのだが、そんな調子では先が思いやられる。もし、津波が来てどっちに逃げたら良いか決断しなければならない時にも、そんな無責任で曖昧な指示の仕方をしていたのでは、みんな逃げ遅れて溺(おぼ)れ死んでしまう」と仰っていました。

 そして、明日12月3日木曜日午後からの面接試験を迎えた公休の今日水曜日に、床屋で散髪してもらっていると、やにわに私の携帯に着信音が二度も。何と会社の所長からの電話でした。まだ散髪の途中でしたが、床屋に頼んで電話に出させてもらうと「渡したい物がある」と。「一体何だろうか?」と訝(いぶか)しく思いながら、約束の午後2時に近所の喫茶店で所長と落ち合い渡されたのが、うちの会社の社是や経営理念が書かれたカードでした。だいぶ以前にも、社員・バイト全員に配られたカードです。まあ、何の変哲もないただのカードですが、それを「もし明日の面接で聞かれても良いように」との事で、わざわざ私のところまで持参してくれたのです。
 まあ、有難いといえば有難いのですが、たったこれだけの為に、せっかくの休みにも関わらず、どこにも行けなかった私としては、少々複雑な心境です。明日からまた雨天で寒くなるというのに、せっかく最後の小春日和(こはるびより)となった休日を潰されたのですから。せっかく所長が私の事を思ってわざわざ持ってきてくれたのに、こんな事を書くと罰が当たるかも知れませんが。

 しかし、まあせっかくの機会なので、私からマイナンバーの届出書類を渡した後、喫茶店の中で所長としばらく雑談する事になりました。
 そこで飛び出したのが所長の安倍政権批判。いや、これホンマの話ですよ。まさか、こんな自宅近所の喫茶店で、所長と政治談議で盛り上がるとは、夢にも思いませんでした。ヽ(・∀・)ノ
 所長いわく、「法律家のほぼ全員、国民の約7割が反対している安保法制(戦争法)を、安倍政権がムチャクチャな理屈でゴリ押ししている。こんな事を許していたのでは、日本の民主主義は滅んでしまう」と。

 全くその通り!!本来なら日本には憲法9条があるので軍隊なぞ持てない。しかし、日本が攻められた時に自国を守る物が何もないのでは不安なので、軍隊に代わる物として自衛隊という組織が作られた。しかし、その自衛隊も目的はあくまで日本を守る為の物であり、他国の戦争には介入できないはず。でも、米国が「今後は自衛だけでなく他国の戦争にも介入できるようにしろ」と命令するので、「上層部」の命令には逆らえない安倍政権がゴリ押しして作ったのが、「たとえ地球の裏側で起こった他国の戦争でも、日本と密接に関係があると自分たちが判断した物については介入できる」とする安保法制(戦争法)なる法律。この法律が憲法違反である事は国民も薄々感づいているので、世論調査では今でも国民の半数以上が反対しているが、その一方で、安倍政権という「上層部」に睨(にら)まれては怖いので、誰も安倍に面と向かって反対と言わなくなったのです・・・うちの会社と全く同じじゃん。

 安倍政権・自民党は、二言目には「中国が攻めてくるから必要だ」と、尖閣諸島や南シナ海の領土問題も利用して、安保法制や集団的自衛権(他国への戦争介入)行使をゴリ押ししようとしていますが、こんな物は目くらましです。今や、中国が日本の貿易相手国のトップとなり、海外では日本の自衛隊と中国の人民解放軍が合同軍事演習までしていると言うのに、今さら中国と戦争になぞなる訳が無いじゃないですか。たとえ領土問題があったとしても。では、なぜ米国が、日本に集団的自衛権行使を迫ろうとしているか。それは、米国が巨額の財政赤字を抱え、膨大な軍事力を今までみたいに維持する事ができなくなったからです。このまま行けば、下手すれば米国もかつてのソ連みたいに崩壊してしまうかも知れない。だから、その肩代わりを日本に押し付けようとしているだけなのです。本当に戦争になるなら、沖縄・辺野古(へのこ)の基地よりもまず、日本の原発を守らなければならないはずです。日本も、海岸沿いに54基も原発を立地させたりはしないはずです。

 そこから、「アベノミクスなんて所詮、株価バブルでしかない。その為に無理やりインフレ起こしても、その借金のツケを後で国民が払わされるだけだ」「小泉構造改革の恩恵を被(こうむ)ったのも、パソナのシャブ接待でイイ目を見た竹中平蔵などの御用学者や、自民党などの政治家や大企業の経営者だけで、我々、中小企業や貧しい庶民は、消費税や社会保険料を上げられるばかりで、福祉は切り捨てられ踏んだり蹴ったりじゃないか」「今ニュースで話題になっているTPPも、市場開放で潤うのは一部の輸出大企業だけで、その他の農業や医療は全て外国資本に乗っ取られる事になる。こんな弱肉強食の世の中で、公正な競争なぞ行われる訳がない。このままでは日本は米国の植民地に成り下がってしまう」・・・という話で盛り上がりました。いや、これもホンマの話ですよ。ヽ(・∀・)ノヽ(・∀・)ノ

 そして、「いや~、××さんとは、会議室で仕事の話をするばかりではなく、こういうプライベートな場で政治談議も交わしてみたかった」と言う事で、お開きになったのですが。こんな場末のブラック企業、ド底辺企業にも、政治談議ができる管理職がいたとは思いもよりませんでした。しかし、所長は、わざわざそんな話をするだけの為に、休日に私のところまで来たのだろうか?今もって謎です。そう言えば、以前所長に井下の件について現場で苦情を言った時に、「井下の言い訳は、まるで安保法制についての安倍の国会答弁と同じ位デタラメだ」と言うような事を私が所長に言った記憶があります。それを思い出してくれたのかなあ。
 そこで私もついつい調子に乗ってしまい、「私もブログで政治記事を書いたりしています」なんて言ってしまったものだから、「ほお、どんなブログですか。私も是非見たい」と言われてしまいました。危ない危ない。でも、ご安心を。いざとなれば、「職場人権レポート」カテゴリーの全記事を非表示にする事が出来ますから。

 最後に、「自分は社員として何をしたいのか」について書いておきます。私も明日の面接試験に向けて頭の中を整理しておかなければなりませんから。

 まず第一に、井下と崖淵の責任を最初の社内会議で徹底的に追及します。
 元はと言えば、私たちバイトがいつまでもシンドイままで、一向に仕事がやりやすくならないのも、全てはこいつら二人が、業務改善をサボタージュしてきたからではないですか!!
 確かに、彼らも会社にこき使われている同じ労働者であるという意味では、私たちバイトと同じです。でも、それを彼らが自覚しない以上は、私たちからすれば彼らは「敵」でしかない。
 一つ例を挙げましょうか。ヒトラー政権下にアドルフ・アイヒマンという男がいました。ナチス親衛隊の中佐でユダヤ人大虐殺の陣頭指揮をとった人物です。戦後も戦犯追及の手を逃れ南米に潜伏していましたが、イスラエルの秘密警察につかまり1961年に処刑されました。その戦犯裁判の席上でアイヒマンが言ったのが、「私はただ上司の命令に忠実に従っただけだ」「あの時はそうするしか他に方法が無かったのだ」という弁解です。
 確かにアイヒマンにとってはそうだったでしょうが、そんな理屈で殺されたユダヤ人の遺族が納得できますか?出来る訳ないでしょう。もし、そんな理屈が通るなら、水俣病を起こしたチッソの経営者や、原発安全神話を振りまいて福島の事故を起こした東電の経営者の責任も、一切追及できなくなってしまいます。
 井下や崖淵もこのアイヒマンと同じです。別に私たちに賛同までしてくれなくても良いから、権威主義を振りかざして私たちの意見を押さえつけようとしたり、保身の為に自分の責任を曖昧にして私たちにその責任を押し付けたりするような真似を、もうこれ以上許してはなりません。何も「処刑」までする気はありませんが、この二人にはそれ相応の反省をしてもらわねばなりません。(但し、この第一項目については、これをそのまま言ったのでは私怨晴らしとも受け取られかねないので、面接の席上では言わない事にします)

 そして第二に、そうは言っても一番悪いのはやっぱり会社です。井下や崖淵が「奴隷根性」や「保身」や「責任転換」や「事なかれ主義」に染まってしまったのも、会社が社員を単なる「捨て駒」と見なして、社員教育や人材育成や業務改善を怠ってきたからではないですか。業務連絡掲示板にあった「安全パトロールや上層部の指示でしか動けない」会社の体質こそが、井下や崖淵のような社員を生み出してきたのでしょうが。
 この奴隷根性や無責任体質、事なかれ主義こそが、この会社にはびこる諸悪の根源です。これがある為に、本当はたとえ下請けであっても出来る事はいくらでもあるのに、皆「しない事の言い訳に出来ない」と言う悪風が社内にはびこり、会社全体が世の中の成長や進歩から取り残され、いくら求人広告を打っても人がなかなか集まらないブラック企業、ド底辺企業に成り下がってしまったのでしょうが。
 これでは北朝鮮と同じではないですか。こんな状態を放置したままで、北朝鮮の悪口を言う資格なぞ、この会社の社員やバイトにはありません。いくら憲法で民主主義や人権尊重が謳(うた)われていても、自分の足元が奴隷状態のままでは、せっかくの民主主義や人権も「絵に描いた餅」でしかありません。

 しかし、第二項目のような事をいくら主張した所で、私一人では何もできません。第二項目を実現しようと思えば、もっと大勢の賛同者と長い年月が必要です。だから、第二項目については、あくまでも長期目標として見定め、そこに向かう道筋として、より具体的で細かな目標を定める必要があります。
 その為の第三項目が、例えば今年の6月6日に所長に提出した22項目の業務改善要望事項であり、それ以外にも今まで折に触れて会社に提出してきた各種の要望書です。それらをマニフェストとして自分の中に掲げ、何をいつまでに達成するか決めます。6月6日の要望書一つとっても22項目もあるので、多分それが定年までの私のライフワークとなるでしょう。その要望書には、ハンディの反応速度が遅い問題や、農産PCケースの積み方の問題(最下段のケースだけ別の店舗になっているので、その上のケースが同じ店舗の商品であっても全部積み替えなければならず、非効率この上ない)等、多岐に渡る要望事項が列挙されています。
 その為の時間も確保できるように、所長や他の社員に要求します。下らない見回りやマイク放送なぞやっている暇があるなら、まずは自分ひとりでも床の補修やレイアウトからやるつもりです。私が社員になろうと思い立ったのも、今までバイトでありながら自宅のパソコンで作ってきた作業マニュアル等を、いつまでもこんなサービス残業の形ではなく、これからは社員として業務時間内に会社のパソコンで作りたいからです。その他の雑事や「仕事の為の仕事」等は全部、井下や崖淵にやらせます。

 第四に、少なくとも私は、外国人労働者も、低賃金労働力や単なる「捨て駒」としてではなく、「一人の人間」として扱おうと思っています。
 今後は、経済の国際化や日本の少子高齢化に伴って、外国人労働者が日本で働く事も多くなるでしょう。安倍政権や自民党も同じ事を言っていますが、彼らは所詮、外国人を安くこき使う事しか考えていません。それは、自民党政権や財界が私たち日本の労働者をどう扱って来たかを見れば明らかです。
 そんな中でも私は、日本語が不自由な外国人労働者にも分かるマニュアルを作り、外国の言葉や文化や歴史も日本のそれと同じように学ぼうと努力して来ました。これは、何も私が大上段に立って「異文化交流」について一説ぶちたいからではありません。自分も「捨て駒」扱いされるのは嫌ですから、自分がされて嫌な事は他人にもしないようにしようと思うだけです。それが結果的には、人権尊重や民主主義の気風を生み出し、会社から「奴隷根性」や「事なかれ主義」を一掃し、ひいては会社や日本のイメージアップにもつながるのだと思っています。

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大阪自民内部の確執について(ダブル選私的総括の補足)

2015年12月02日 06時15分47秒 | 都構想・IRカジノ反対!
 前回記事のコメント欄に自分で付けた下記の投稿を、最後にダブル選総括の補足として記事にしておきます。この投稿で取り上げた大阪自民党内部の確執について「実際のところはどうなのか?」、知り合いの共産党関係者に頼んで調べてもらったりしましたが、彼らも「他党内部の事なのでよく分からない」との事でした。今となってはもう遅いですが、私も一度くらいは、柳本さんや栗原さんの演説会場に足を運び、自民党の応援弁士がどんな演説をしていたのか、自分の目と耳で確かめていたら良かったと悔やまれます。

この総括はまだ終わらない (プレカリアート)
2015-11-27 22:36:56

 せっかく大阪ダブル選挙の総括記事を仕上げながら、こんな事を書くのも気が引けますが。新たな疑惑が急浮上してきたので。
 その疑惑というのは、自民党大阪府連内部にも、維新と気脈を通じた者がいて、安倍官邸筋や橋下・松井サイドと裏で連絡を取りながら、柳本氏や栗原氏を支援するふりしながら、実際は反維新の団結を破壊するような事をやってきたのではないか、という内容です。
 具体的には、両陣営の演説会には自民党支持者だけでなく共産党支持者や民主党支持者も多数詰めかけている事も承知の上で、わざわざ安倍政権や戦争法成立をことさら持ち上げ、まるで維新がやるような共産党批判を会場で展開し、野党支持者をドン引きさせ票を蹴散らすような発言を繰り返していたのではないか、という疑惑です。下記ブログの記事にその事が詳しく載っています。

中山泰秀自民党大阪府連会長は首相官邸から派遣された「オール大阪」壊しのトロイの木馬だった、おおさか維新を野党分断カードに起用する安倍戦略が着々と進行している(1)、大阪ダブル選挙の行方を考える(その11)(広原盛明のつれづれ日記)
http://d.hatena.ne.jp/hiroharablog/20151126/1448496723

 もちろん、これはあくまで疑惑でしかありません。実際に演説会場でどのような発言が行われていたのか。私は参加していないので皆目分かりません。自民党大阪府連の公式HPを見ても、当たり障りのない内容しか載っていません。

自民党が共産党と共闘しているというご批判について(自民党大阪府連HP)
http://osaka-jimin.jp/special/#2

 上記のHPに載っているのは、「地方政治の二元代表制の下では、国政で対立している政党同士でも政策が一致すれば協力し合う事はいくらでもある。現に、維新と共産党の間でも、そのような例が多数あるじゃないか」という程度の内容です。この程度の内容なら何も問題はないでしょう。
 ところが、それを超えて、会場で反共攻撃みたいな事が行われていたとしたら、共産党支持者としても見過ごす訳には行きません。

 実際、柳本氏や栗原氏の得票も、自民党から共産党まで支援したにしては、(新人候補で告示直前の出馬表明となった点を割り引いても)余りにも少なすぎます。栗原氏の得票に至っては、わずか105万票しかありません。これぐらいの票なら、かつての共産党の府知事候補でも一党だけで取っていました。亀田得治や鯵坂真の例を上げるまでもなく。
 得票が不自然なまでに少なすぎるのも、この疑惑と関係があるのでしょうか。ここは是非、実際に演説会に参加された方からのコメントを期待したいところです。
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