アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
 「プレカリアート」という言葉の意味は→こちらを参照。
 コメント・TB(トラックバック)については→こちらを参照。
 読んだ記事の中で気に入ったものがあれば→こちらをクリック。

やっぱり実家を出るのは止めにしました。

2015年03月29日 21時31分57秒 | 当ブログと私の生い立ち

 本題に入る前に、前回記事で触れた物件の下見写真を公開します。鉄筋4階建てワンルームマンションの1階102号室(洋室7帖、左上間取り図の赤枠の部屋)がその物件です。一応、バス・トイレもユニットバスの形で付いています。水道はありますが、ガスは元栓だけでコンロは自分で用意しなければなりません(右上写真)。


 そして上記がそのマンションの外観です。バルコニーがあるのは玄関正面の部屋だけで、102号室も含め側面の部屋には全然ありません。これでは洗濯物も干せません。前回記事で「近隣に銭湯やコインランドリーがあれば良い」と書いたのも、万一給湯器や洗濯機がぶっ壊れた時の為であって、毎日そんな物にばかり頼っていては、お金がいくらあっても足りません。その他にも色々あります。例えば、駐輪場もなく住民の自転車・バイクは全て雨ざらしです。防音性もイマイチで、業者さんとの会話が室内に響き渡っていました。ゴミ捨て場もちゃんとしたものはなく、玄関先のポリバケツで代用していました。
 これで家賃3万円、共益費6千円。世間相場からすればそんな物なのかも知れませんが、それでもやはり、ずっと住み続けるとなるとねえ。かと言って、これ以上の家賃負担ともなると、貯金をどんどん取り崩さなければならなくなる。早晩、生活が破たんするのは目に見えています。残念ながら、この物件については見送る事にしました。

 それで、この間ずっと仕事の合間をぬって引越し先の賃貸物件を探していたのですが、なかなか良い物件に巡り合う事ができません。それで今日、二人の知人に、前回のブログ記事のコピーも見せて、物件探しについて相談したのですが、二人からは「実家を出ない方が良い」と言われました。

 相談相手の一人目は行きつけの鍼灸医さんです。私は腰痛の治療に、隔週日曜日ごとに完全予約制のその鍼灸医さんの元に通っているのですが、そのお医者さんは、心療内科的な観点から、患者の生活相談にも乗っています。まあ私の場合は、ただブログの話題で盛り上がっているだけですが(例のダメ社員・井下の話を筆頭にw)。
 それで、今後の治療の予定もあるので、実家を出るつもりで物件探しをしている事を言ったら、「絶対に出るのは止めた方が良い」と言われてしまいました。いわく、せっかく実家があり、私以外の兄弟の部屋も余っている中で、わざわざ家賃に無駄金をつぎ込む必要はない。家賃だけでなく水光熱費や日々の生活費まで考えたら、膨大な無駄使いになる。親の封建的な性格は、もう変えようがないのだから、そんな事にいちいち目くじら立てていてもキリがない。年寄りは子どもと同じだ。目上の人物には何も言えず目下にばかり偉そうにするのも、親父の封建的な差別意識の現れでしかない。いつまでも保護者気取りで「お前を養ってやっているんだ」という横柄な態度が余りにも目につくなら、もうこちらも「ただの同居人」として割り切って、自分の食費や水光熱費相当分を、家賃代わりに親に支払えば良い。それでも実家を出るよりは、はるかに経済的負担は少ない。どのみち親の方が早く死ぬのだから。もう少し実利的に割り切って考えた方が良い・・・という事でした。

 そして、もう一人の相談相手が、もう大分以前に、私がパソコン教室に通っていた時に仲の良かった受講生です。そのパソコン教室に通っていたのは、私が生協を退職してすぐの時期ですから、もうかれこれ15年近く前になります。私より10歳ぐらい年上の人で、今もマンションの管理人をやっています。受講期間が終了してからも、私がその人の所にパソコンを教えに行ったり、その人からマンション清掃の仕事を紹介してもらったりしていました。最近は年賀状を交換するだけの仲になってしまっていましたが、あわよくば物件を紹介してもらえればと、その人とも久しぶりに会って相談に乗ってもらう事にしたのです。

 その人も、私が実家を出る事には反対でした。いわく、親はいつまで経っても息子を子ども扱いしたがるものだ。たとえ息子が50歳になっても、80歳の親からすれば子どもなのだ。確かに、いくら親の言う事であっても、現代の生活からすれば合わない事も多々ある。「男たるもの」云々という封建的・差別的な物言いもその一つだ。でも、たとえそうであっても、それが親の精一杯の愛情であるなら、息子はその愛を受け入れてやるべきだ。それが「人間の優しさ」だ。ところが××さん(プレカリアートの本名)の場合は、かつての親の家庭内暴力の影響や、少年時代に虐められっ子だった経験からか、相手に対して過度に厳しすぎる(優しくない)所がある。もっと相手に優しくした方が良い。そうする事で自分ももっと一回り大きくなれる・・・と、やんわりと諭されました。正に図星です。例えば、私のブログでの井下に対する辛辣(しんらつ)な物言いなぞ、正にその通りですから。

 そして、私の前回記事「長年住み慣れた実家を出る事にしました」のコピーを読ませてもらった中で、最初の方に出てくる「結婚しなかったのも成るようにしか成らなかったからだ」というくだりも気になる。いわく、人間、努力してもうまく行かない事も多いのに、最初からこんな調子で人生を投げていたのでは、うまく行くものも行かなくなる。これこそが「捨て鉢」な態度であり、××さんが忌み嫌う「奴隷根性」そのものではないか。これはブログに掲げている人権尊重や差別反対の立場とも矛盾するのではないか。
 逆に、相手に優しくなり、捨て鉢な態度を改める事で、福を呼び込む事もできるかも知れない。私がかつて雇った社員の中に、トイチの闇金に手を出して150万円の借金を抱えた女性がいた。トイチなので月々の利息だけでも40万円以上にもなる。こんなもの返済できる訳がないので、自分が闇金と交渉して百万円に減額の上、借金を立て替えてやり、その女性も会社に雇ってあげた。もう返済なんてハナから期待していなかったし、金をドブに捨てたようなものだが、そのお蔭で女性は立ち直り、私に借金を返済してくれるようになった。疫病神が福の神に変わったのだ。
 人生にはそういう「ひょうたんから駒」みたいな事もある。だから、××さんも、確かに親父から釣書の文面にまであれこれ指図されて鬱陶(うっとう)しいかも知れないが、親の勧める見合いにも応じてみてはどうか。
 但し、ただ「相手に優しい」だけでは情に流される。日本人が得てして権威に従順でマスコミの洗脳を受けやすいのも、論理的思考が苦手だからだ。それを補う為には、哲学の本を読む必要がある・・・と。
 そして最後に、「日本の人口1億2千万、世界の人口45億人の中で、一番××さんの事を心配してくれるのは自分の親やで」と、アドバイスしてくれました。

 う~ん。この二人からのアドバイス、取り分け二番目のマンション管理人の知人からのアドバイスには、非常に考えさせられるものがありました。このアドバイスも、道徳の教科書に載っているような単なるキレイ事と捉える事もできるでしょう。でも、少なくとも、この知人の場合はそうじゃないと思う。なぜなら、この知人が1階の喫茶店で話をしている時に、2階では知人仲間が麻雀に興じていたのですが、知人が仲間の一人に千円貸してくれと電話した時も、嫌な顔せず下の店に持ってきました。そして、喫茶店を出る時も、店のママが知人と私に、「今日もよく来てくれました」と笑顔で接してくれました。昨今、色んな接遇やマナーのハウツー本が出回っていますが、そんな小手先のハウツー本にはない本当の愛情を、ママの笑顔に感じる事ができました。
 その喫茶店は、あいりん地区にもほど近い場末の、決してキレイとは言えない古ぼけた店でしたが、ママが常連さんと楽しそうに話しているのを聞いているうちに、私も「また来ようか」という気になりました。ああ、これが「福を呼ぶ」「人に優しくできる」と言う事なんだなと思いました。安倍晋三や橋下徹の顔をいくら観ても、そんな感情なぞ絶対に湧き起こらないのに。
 そういう事で、それぞれ理由は全く異なるものの、このお二人からの「実家を出るのは止めた方が良い」という忠告を受け入れる事にしました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長年住み慣れた実家を出る事にしました。

2015年03月25日 19時05分26秒 | 当ブログと私の生い立ち
 この話をする為には、それまでの私の家族関係にも触れなければならないので、その点も含めてかいつまんで説明します。
 私は現在50歳代の未婚男性です。なぜ結婚しなかったかと言われても、「成るようにしか成らなかったから」としか言いようがありません。
 大学卒業後20年間働いた生協では長時間労働で異性とつきあう機会なぞほとんどなかったし、生協退職後も食うのに精一杯で、気がつけばもうこの歳になっていました。もちろん、その間には結婚情報サービス会社に入って見合いなどもした事がありましたが、成婚にたどりつく所まではいきませんでした。

 そんな私に対して、親父は何とか息子を結婚させようと、今まで何度か相手を紹介してくれました。でも、相手も私も、もうそれなりの年齢になっています。40歳代や50歳代で未婚・独身という事は、お互い、結婚にそんなに執着していないという事です。これは決して「絶対に結婚しない」という訳ではありません。でも、「自分には今他にやりたい事があるし、それを犠牲にしてまで結婚に固執したくもない。人間、成るようにしか成らないのだから、無理に焦って結婚する必要もないじゃん」と、そういう感じです。見合いを何度か繰り返すうちに、そういう事も肌で感じるようになりました。

 ただ、それが親父にとっては我慢ならなかったようです。昔気質の親父は、「男たるもの結婚して一家を構えてこそ一人前」という考え方からどうしても抜け出す事ができなかったようです。兄貴や妹も結婚して独立し、母にも死なれてからは、余計にその想いにとらわれるようになっていきました。その為、私ももう好い歳の大人だというのに、見合い相手に渡す釣書の文面にまで、いちいち干渉してくるようになりました。

 そして数日前に、ついにその矛盾が爆発してしまいました。亡き母の彼岸の墓参りから帰ってきて、実家で夕食を食べている時に、親父の方から「近所の独身の人と見合いしてみたらどうか」と聞いてきたので、私は、今まで一度も付き合った事もない相手で気乗りもしなかったので、「いいわ(結構です)」と断りました。そうしたら途端に不機嫌になって、「いつまでも居候されても、ワシはお前を養っていけない。もう結婚しないなら明日にでも実家を出て行ってくれ」と言ってきたのです。

 これは私にとっても意外でした。むしろ、私が出て行こうとするのを無理にでも引き止めるものだと思っていましたから。はっきり言って、昔気質で保守的・封建的な親父とは、私は今までもソリが合いませんでした。親父は、母が亡くなる前こそ母に優しくしていましたが、若い頃は母にしょっちゅう暴力を振るっていました。私に対しても、ちょっとした行き違いや政治的な立場の違いから、喧嘩になる事もたびたびでした。自分の意見や生き方だけを絶対視し、他人の意見や生き方も「それはそれ」として許容する事ができないのです。そして、性格的にも短気で、年上や目上の人には何も言えないくせに、年下や目下の人にはやたら偉そうに当たり散らすような所がありました。それも、普段は結構人当たりが良いのに、何が都合が悪くなると途端に不機嫌になるのです。
 そういう親父なので、むしろ私の方から独立する機会をうかがっていたくらいです。でも、今は元気な親父ですが、将来の介護の事も考えると、高齢の親父を一人にさせておく訳にもいかないので、今まで実家で一緒に住んでいたのです。

 もちろん、結婚に固執する親父の気持ちも分からなくはないです。「いつまでも、そんな不安定雇用でプータローみたいな気持ちでいたら、最後には誰も面倒見てくれなくなるぞ」と言いたいのでしょう。そりゃあ、「独身よりも結婚」「実家住まいのパラサイトよりも所帯持ち」「不安定な非正規雇用よりも正社員で出世して」の方が良いに決まっています。でも、その為に過労死やストレスと隣り合わせで、ブラック企業で安月給で長時間こき使われて、それでも家庭を守る為には何も言えず、人生を無駄に消耗するくらいなら、たとえ不安定な独身であっても、とりあえず食って行けて、自分で物を考え行動できるだけの時間も持てる今の方がはるかに良いです。

 それに、今日び、これだけ格差社会が広がり、一人当たり所得が中間値の半分以下の「相対的貧困率」が全世帯の2割弱、「貯蓄ゼロ」の世帯も全体の2割強にもなろうという時代に、自分だけ這い上がろうとあくせくした所で、どうなるものでもないでしょう。それならそれで、もう割り切って、貧困でも「貯蓄ゼロ」でも生きていける術を身に着け、その中で時間を稼ぎながら、自分だけでなく他の人も幸福になれるような、本当に自由・平等・平和で、一人一人の人権が尊重される社会を目指した方が、自分にとっても、はるかに精神衛生上好ましいです。これは「捨て鉢」や「成り行きまかせ」とは違う、むしろ「良い意味での楽天性」とも言うべきものだと思います。
 元はと言えば、日本がこんな今のような格差社会になってしまったのも、親父が自分の出世ばかり考え、選挙のたびに自民党や「維新の会」に投票してきたからではないですか。その自分の責任を棚に上げて、息子の生き方にいちいちケチつけないで欲しいです。

 まあ、親父も可哀想な人間だとは思います。子ども時代は戦時中の軍国主義、それが終戦で大人になった途端に戦後の民主主義へと、日本社会がガラッと変わったのですから。本当はその時点で「男たるもの」といった封建的な考え方から脱却すべきだったのでしょうが、時代の変化についていくだけで精一杯だったのかも。それで取りあえずは「寄らば大樹の陰」と、政権与党の自民党をずっと支持してきたのでしょうが、根本的な部分は戦前とちっとも変っていなかったので、部下から「セクハラだ、パワハラだ」となじられるたびに、余計に意固地になって行ったのかも。今の安倍政権を支持している右翼的な人たちも、案外こんな高齢者やそんな親似の子どもたちなのかも知れません。

 その後も、私は「本当に実家を出て行って構わないのか?」と親父に聞きましたが、「構わない」という事でした。親父いわく、「もうお互いに好い歳になった親父と息子が、いつまでも実家で同居している事自体が不自然だ。結婚する、しないに関わらず、もういい加減お互いに独立した方が良い。ワシの事は気にしないで良いから」という事でした。私にとっては正に「願ったりかなったり」です。親父の気が変わらないうちに、独立の準備を進める事にしました。

 しかし、そうは言っても、私はしがない非正規雇用の契約社員。額面でも月収16~17万円しかない給与では、余り家賃の高い物件に転居する事はできません。でも、まさか月1万円前後のタコ部屋みたいな所には住めないので、月3万円台ぐらいの所を中心に、物件を探す事にしました。
 その他に、立地条件も考慮に入れる必要があります。今、実家のある所は完全な住宅地で、周囲には銭湯やコインランドリーはありません。スーパーはありますが夜8時には閉まってしまいます。ようやく最近コンビニが出店するようになった地域です。これでは単身者が一人で住むには余りにも不便です。そして、今の仕事は朝が早いので、できれば住所ももう少し職場に近い所の方が良い。

 その為に、まずは家賃の安い公営住宅に入居を申し込む事にしました。一番近い所では、4月に大阪府営住宅の入居募集が始まるので、それに応募しようと思っています。それと同時に、民間の賃貸でも手頃な所がないか探していたら、運よく見つかりましたので、明日さっそく、仕事帰りに大家さんと物件の下見に行く事にしています。その辺の事は、まだ次回のブログ記事にでも書いていこうと思っています。家賃相場から言えば、「ゼロゼロ物件」の可能性も無きにしも非ずの物件ですが、今までの蓄えもある事ですし、いきなり家賃滞納になるようなブザマな事にはならないでしょう。こぎれいで、キッチン・トイレ・浴室もちゃんと付いていて、安眠できる程度に静かな環境でさえあれば、別に1Rや1Kの間取りでも構いません。
 なお、独立に向けて動き出している事については、まだ親父には何も言っていません。余り急に話を持ち出して、パニックになられても困りますから。具体的な転居先や転居の日取りが決まった時点で、親父に報告しようと思っています。転居の際の身元保証については、とりあえず親父に頼もうと思っていますが、もし親父に拒絶されても保証代行会社に頼むつもりです。


「いい部屋ネット」で検索した大阪市内某所の物件から。最寄り駅から徒歩4分、築36年・鉄筋コンクリート造りのマンションで、専有面積22m2の1K。家賃3万円、共益費5千円。明日下見に行く所とは別物件ですが、大体こんな感じの所を考えています。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

耳触りの良い呪文に騙されてはいけない

2015年03月22日 20時27分36秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな


 さる3月16日に、参議院予算委員会で、自民党議員の三原じゅん子が、多国籍企業の税金逃れを問題にする中で、「今こそ八紘一宇という戦時中のスローガンを思い起こせ」と言ったそうです。(その事を取り上げた3月17日付日刊ゲンダイの記事が左上写真)
 「八紘一宇」と書いて「はっこういちう」と読みます。「八紘」は四方八方、「一宇」は一つの家という意味です。「八紘一宇」と四文字熟語にすると、「全世界を天皇の下にひとつの家のようにする」という意味になります。その「八紘一宇」国会質問の当該部分が動画で公開され、文字起こしもされているので、次に紹介しておきます。

三原じゅん子 日本が建国以来大切にしてきた価値観「八紘一宇」


(三原じゅん子の質問内容)
「はい、ありがとうございます。私はですね、そもそもこの租税回避問題というのは、その背景にあるグローバル資本主義の光と影の影の部分に、 もう、私たちは目を背け続けるのはできないのではないかと、そこまできているのはないかと思えてなりません。
 そこで今日皆様方にご紹介したいのがですね、日本が建国以来大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります。
八紘一宇というのは、初代神武天皇が即位の折に「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と爲(なさ)む」とおっしゃったことに由来する言葉です。 今日皆様方のお手元には資料を配布させていただいておりますが、改めてご紹介させていただきたいと思います。
 これ昭和13年に書かれた『建国』という書物でございます。「八紘一宇とは、世界が一家族のように睦みあうこと。一宇、すなわち一家の秩序は、一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強い者が、弱い者のために働いてやる制度が家である。これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。現在までの国際秩序は弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族をしいたげている。世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度ができたとき、はじめて世界は平和になる」ということでございます。
 これは戦前に書かれたものでありますけれども、八紘一宇という根本原理のなかにですね、現在のグローバル資本主義の日本がどう立ち振る舞うべきかというのが、示されているのだと私は思えてならないんです。麻生大臣、いかが、この考えに対していかがお考えになられますでしょうか」

 この三原じゅん子の質問に対し、麻生太郎(副総理・財務相)も、「宮崎県には今も「八紘一宇の塔」というのがあって(右上写真)、地元の尊敬を集めている」みたいな事を言って、二人で勝手に盛り上がっていました。もう八百長質問そのもので見ていられませんでした。
 以前の中曽根内閣の時にも、この「八紘一宇」が国会質問で取り上げられた事がありましたが、その当時は、同じ自民党で極右政治家の中曽根康弘ですら、「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」と、むしろ否定的に捉えていました。その事と比べても、この麻生答弁の異常さは際立っています。(ウィキペディアの記述参照)

 同じ異常さは三原じゅん子の国会質問にも言えます。これではまるで八百長質問です。
 三原が国会で取り上げた多国籍企業の租税回避問題とは、「アマゾンやスターバックス、グーグルのような、世界を股にかけて活動するグローバル企業が、ケイマン諸島など、法人税のほとんどかからないタックスヘイブン(租税回避地)と呼ばれる所に本社を置いて、税金逃れをしている」事を問題にしたものです。しかし、本当にこれが問題だと思うなら、わざわざこんな太平洋戦争当時の戦争スローガンなぞ引き合いに出さなくても、サミット(先進国首脳会議)で議論されているようなタックスヘイブン規制や、多国籍企業の横暴を規制する資本取引税・金融取引税のような取り組みを紹介する方が、よっぽど実のある議論になるはずです。
 そういう、現代において実際に議論されている事例がいくらでもあり、そういう事は国会議員としても関連知識として当然知っておかなければならない事なのに、そんな事はおくびにも出さず、何の関係もない昔の戦争スローガンをなぜ唐突に持ち出したのか。本当は三原も麻生も、多国籍企業の横暴を規制する気なぞサラサラなく、ただ単に「当時の日本は正しかった、あの戦争は正義の戦争だった」と言いたかっただけ、その為の材料(ネタ)を探していただけではないでしょうか。そうでなければ、こんな、まるで二人で事前に示し合わせたかのような、芝居がかった質問になるはずがありません。

 異常なのは質問の仕方だけではありません。その内容も支離滅裂です。
 三原は、今の多国籍企業の横暴と対比する形で、「かつての日本は素晴らしかった」と言っているのですが、私から言わせると「はあっ?」としか言いようがありません。実際は、かつての日本も欧米諸国と同じように、欧米諸国と張り合う形で、植民地支配や搾取に積極的に加担していたのですから。
 ここで3.1独立運動や満州事変がどうたらこうたら書くよりも、何よりも「論より証拠」。そもそも、前述の三原質問の発言の中にある「一番強い者が、弱い者のために働いてやる」って何ですか。本当に、太平洋戦争が侵略戦争ではなくアジア解放の戦争だと思っていたら、こんな「~してやる」なぞという「上から目線」で呼びかけたりなぞしません。少なくとも「共に闘おう」という呼びかけになるはずです。もし、こんな「上から目線」で労働組合への加入を誘われたとしても、誰が組合に入ろうと思いますか。
 そして、当時日本の植民地だった台湾・朝鮮を真っ先に独立させたはずです。ところが、日本自身は台湾も朝鮮も独立させず、中国人の事もシナだのチャンコロだのと差別しながら、アジアの人々に「お前らを解放してやる」と「上から目線」で言った所で、誰が聞く耳を持ちますか。アジアの人々からすれば、支配者が欧米人から日本人に変わるだけなのですから。これこそ「弱肉強食」の「搾取」そのものじゃないですか。これの一体どこが「八紘一宇」「世界平和」なのか。
 それを、「昔は横暴だったが今は反省して、世界から暴力や差別をなくす先頭に立とうと思う」と言うならまだしも、「横暴だったのは他国だけで、日本は全然そんな事はしなかった」と居直った所で、誰が聞く耳を持ちますか。


「蟹工船」「女工哀史」といった小説には当時の日本の過酷な労働者搾取の実態が描かれている。また、昭和初期の東北の農村では、自分の娘を借金のカタに、遊廓や女中奉公に出さざるを得ない現実があった。これの一体どこが「八紘一宇」なのか。

 これは何も昔だけに限った話ではありません。日本も今の「グローバル資本主義」と無縁ではありません。それが証拠に、むしろトヨタなどの日本企業も、多国籍企業の一員として「グローバル資本主義」を後押しするような形で、アマゾンやスターバックスと同じように、「輸出戻し税」などの形で税金逃れをやっているではありませんか。トヨタもカンバン方式などの形で、アマゾンと同じような労働者酷使をやっているではありませんか。政府も、TPP(環太平洋経済連携協定)推進や法人税引下げ、「残業代ゼロ法案」や「生涯ハケン固定化法案」などの形で、それを後押ししているじゃないですか。そして、その法人税引下げのツケを、消費税増税の形で、我々庶民に一方的に押し付けようとしているじゃないですか。
 ワタミの女性社員は、午後3時位から深夜2時位まで、毎日十数時間も働かされた挙句に、休日も渡辺会長の講演会に、「自主参加」の形でタダ働きで参加を強制され、レポート提出まで義務付けられたのを苦に、「もう身体が持たない」と自殺してしまいました。その女性を過労自殺に追いやった会長の渡辺美樹を自民党の国会議員にしておいて、それに抗議する女性社員の遺族も自民党本部から門前払いにしておきながら、何が「世界が一家族のように睦みあう」「強い者が弱い者のために働いてやる」か。人をおちょくるのも大概にせえよ!


ワタミに過労死させられた女性社員は、「体が痛い、体が辛い、誰か助けて」というメモ書きの遺書を残して亡くなった。それでも会長の渡辺美樹は、「労務管理が出来ていなかったとは思わない」と、ツイッターでほざき続けている。そして自民党は、そんな人物を国会議員にしている。

 それに対し、三原じゅん子は、この「八紘一宇」発言について、自分のブログで次のように言い訳しています。

この言葉が、戦前の日本で、他国への侵略を正当化する原理やスローガンとして使われたという歴史は理解しています。侵略を正当化したいなどとも思っていません。私は、この言葉が、そのような使い方をされたことをふまえ、この言葉の本当の意味を広く皆さんにお伝えしたいと考えました。
ご指摘いただいた中にもありましたが、「八紘一宇」という四字熟語そのものは、大正時代に入ってからつくられた言葉であると言われていますが、もともとは神武天皇即位の際の「橿原建都の詔(みことのり)」にそもそもの始まりがあります。
是非、全文をお読みいただきたいと思いますが(「橿原建都の詔」の全文は、末尾に引用させていただきました)、まずは該当部分の抜粋をご覧ください。
「八紘(あめのした)を掩(おお)いて 宇(いえ)と為(せ)んこと 亦可(またよ)からずや」
今回、私が皆さんにお伝えしたかったことは、戦前・戦中よりも、ずっとずっと昔から、日本書紀に書かれているような「世界のすみずみまでも、一つの家族として、人類は皆兄弟としておたがいに手をたずさえていこう」という理念、簡単に言えば「みんなで仲良くし、ともに発展していく」和の精神です。
(中略)
今回の質疑では、グローバル資本主義の下、競争社会が行き過ぎ、つまり弱肉強食であって、自分さえ儲かれば他人などどうでもいいといった考え方が世の中にあることをうれい、それを正すための理念が必要だと考えました。
(以上、三原じゅん子公式ブログ「夢前案内人」の当該記事「予算委員会の質問でお伝えしたかったこと」より)

 言葉だけならいくらでもキレイ事が言えます。違法政治献金疑惑で次々大臣を辞任した自民党の政治家も、口を開けば道徳教育の大切さを力説していました。当の自分はワイロまみれなのを棚に上げて。ワタミやユニクロなどのブラック企業の経営者も、自分ところの会社の労働基準法違反や従業員の過労死を棚に上げ、「世のため人のため」と、心にもないキレイ事を並べ立て、消費者を欺いています。
 うちの会社の上司も、キレイ事だけなら何ぼでも言います。「危険箇所には気をつけろ」とか「労災事故を無くせ」とか。でも実際は、予算や権限がないからと言い訳ばかりして、補修もロクにせず、労災事故も私傷病扱いにして揉み消しを図った事もありました。
 肝心なのは、キレイ事の由来や講釈なんかではなく、「それが実際にどう使われてきたか」です。この「八紘一宇」にしても、元々は大正時代に、田中智学という日蓮宗の坊さんが、当時の戦争賛美の風潮を嫌って、それを批判する中で、仏教の教えの一つとして紹介したのが始まりです。それを後に軍部や政府が、元々の言葉の意味も無視して、「全世界を天皇の下にひとつの家のようにする」という部分だけを都合よくつまみ食いし、アジア侵略の戦争宣伝に利用して行ったのです。(前述のウィキペディアの記述参照)
 それ以前に、そもそも、「日本書紀」の中で神武天皇が橿原神宮で即位したとされる今から2700年近く前と言えば、日本ではまだ縄文時代です。その事だけでも、まともに議論するような話ではないでしょう。

 そうであるにもかかわらず、その「八紘一宇」を言葉尻だけで捉え、庶民向けにグローバル資本主義や格差社会・競争至上主義への批判に使われても滑稽(こっけい)なだけです。三原じゅん子や安倍晋三も、財界人との会合の場や実際の政治においては、むしろ逆に、格差社会・競争至上主義を更に煽るような事ばかり言ったり、したりしているくせに。
 この三原じゅん子の国会質問にも言える事ですが、小泉構造改革やアベノミクスにより、経済格差が広がる中で、ともすれば「昔は良かった」と、過去を懐かしむような議論が流行しています。でも、今の経済格差の広がりは、何もアマゾンなどの外資系企業やユニクロ・ワタミのような新興企業だけによってもたらされた訳ではありません。
 昔の「総中流時代」と呼ばれた終身雇用・年功序列の時代にも、トヨタなどの大企業は、期間工や下請け中小企業を搾取していました。むしろ、終身雇用・年功序列をエサに、積極的にサービス残業や長時間労働を押し付けてきたと言った方が良いでしょう。当時のトヨタ自動車の製造ラインの忙しさも、今のアマゾン物流センターの秒単位での忙しさと、そう変わる所はありません。その実態をごまかす為に、「会社と社員は運命共同体」とか「家族経営」という言い回しがされてきたのです。

 それが今や、「家族経営」「運命共同体」といった上辺のキレイ事もかなぐり捨てる形で、企業がリストラや経費削減に走り、正社員を派遣や請負のバイト・パートにどんどん置き換えて行っています。そのくせ、自分達の都合の良い時だけ、「家族」だの「共同体」だの「絆」だのと言った耳触りの良い言葉でなだめすかして、国民を奴隷状態に置いている事を気付かれないように仕向けているのです。
 実際には、これらの政治家や財界人は、国民の事を家族や仲間だなんて、これっぽっちも思っておらず、平気で国民や労働者の人権を踏みにじっているくせに。東日本大震災・福島原発事故の避難民を今も仮設住宅に閉じ込め、沖縄にも基地を押し付けながら、原発再稼働や海外派兵にばかり力を入れて。消費税増税や年金・生活保護の切下げ、「残業代ゼロ法案」や「生涯ハケン法案」で更に格差を拡大しながら、「アベノミクス」で一部の大企業正社員・幹部や新興成金みたいな奴らばかり優遇して。

 それでも大多数の国民は、いまだに「アベノミクス」のおこぼれにあやかろうと、自民党政治を黙認し続けています。積極的に支持するだけが黙認ではありません。「他に適当な人がいない」という理由で支持したり、選挙への棄権という形で悪政に目をつむるのも黙認の一種です。「他に適当な人がいない」と思うなら、自分が立候補すれば良いだけの話です。もし自分が殺されそうになったら、「他に適当な人がいない」なんて言っていられないはずです。
 これでは新興宗教の教組と信者の関係と変わりません。オウム真理教の信者やIS(イスラム国)の戦闘員も、教組や指導者からの見返り、おこぼれを当てにして、彼らにつき従っているだけです。自分の頭で物を考えよう、真実を見極めようとは一切せずに。

 戦前の大日本帝国も、戦争末期にはそんな感じだったのかと思います。連日の空襲で戦意もとうに失われ、「本当は負け戦だ」と薄々感じていたのに、誰もそれに疑問をはさもうとしなかった。確かに当時は、マスコミには大本営発表以外の報道は許されず、政府を批判しようものなら「非国民」として逮捕されたり村八分にされたりしました。でも、それだけではなく、国民の間にも、権力や金持ちに迎合する怠惰な気持ちがあったからこそ、なかなか政府を批判しようという所まで行かなかったのではないでしょうか。自分で何とかするよりも、力の強い者にすがろうという気持ちがあったからではないですか。
 国民がそんな気持ちでいる限り、また同じ歴史が繰り返されるでしょう。私たちは、ともすれば、目先の仕事や生活に追われる余り、自分の頭で物を考え行動するよりも、時流や権力によりかかり、「家族」や「共同体」「絆」なぞという、一見耳触りの良い「呪文」にすがりたくなる事がよくあります。でも、そういう他力本願な状態でいる限り、また同じ過ちが繰り返される事でしょう。くれぐれも、そんな呪文に騙されてはいけません。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これでは何の為の新幹線か分からない

2015年03月18日 22時12分49秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ


 さる3月14日に北陸新幹線が金沢まで開通しました。今まで長野止まりだった新幹線が金沢まで伸びたのです。この事により、今まで越後湯沢から北越急行(通称「ほくほく線」)経由でも4時間以上もかかっていた東京・金沢間が、長野新幹線経由で約2時間半で行けるようになりました。新幹線の終着駅となる金沢ではホームの支柱に金箔の装飾が施され、中間駅の富山も高架工事で様相を一変しようとしています。この2つの県都では、既に新幹線開通による観光客増加を当て込んで、ビルの建設ラッシュや地価高騰の兆しが見られると言います。
 しかし、その一方で、並行在来線のJR信越・北陸本線は、この3月14日を境にJRの手から離れ、県境で次の4社の第三セクターに分割されてしまいました。長野県内の「しなの鉄道北しなの線」、新潟県内の「えちごトキめき鉄道」、富山県内の「あいの風とやま鉄道」、石川県内の「IRいしかわ鉄道」の4社です。(上図参照)
 これにより、かつては北陸本線経由で大阪から「北陸」「雷鳥」「サンダーバード」、東京から上越線や信越本線経由で「あさま」「日本海」「つるぎ」等、多くの特急列車が乗り入れていた在来線から、特急が殆ど姿を消す事になりました。大阪から特急「サンダーバード」は金沢止まりとなり、越後湯沢から「ほくほく線」経由で乗り入れていた特急「はくたか」も無くなりました。まだ需要の多い金沢・富山間にはそれに代わる列車が走る事になりましたが、富山より東ではほとんど全ての列車が、富山・新潟県境近くの泊駅止まりとなってしまいました。

 このままでは、かつて東北新幹線が青森まで開通した時と同じ事が起こるでしょう。在来線にはJR貨物も走るので線路自体はなくなりませんが、旅客輸送は最悪なくなるかも知れません。以下、当時の私のブログ記事「鉄道も企業も大都市ネオリベ市民だけのものではない」から引用します。

(引用開始)
 昨年12月の八戸・新青森間開通により、東京から青森まで新幹線で結ばれるようになった一方で、並行して走っているJR東北本線については、盛岡から終点の青森までが、JRから切り離されて、岩手県内は「IGRいわて銀河鉄道」、青森県内は「青い森鉄道」と、それぞれ第三セクターに移管される事になりました。その為に、沿線では下記のような事態になっているというのです。

>開業から3日目、初の平日となった12月6日の朝、駅に入ってきたのは、JR時代の4両編成ではなく、たった2両編成の列車。車内は通学の高校生ですし詰め。病院へ通うお年寄りが列車に乗れず、ホームで立ち往生するほどだった。運賃も大幅に値上げされた。通学定期は据え置かれたが、普通運賃はJRの1・37倍、通勤定期は1・65倍となった。
>「当面は車両や運転本数をできる限り少なくして、輸送効率を高めるしか手がないのでは」(鉄道関係者)というように、縮小均衡以外の改善策は見あたらない状況だ。(引用元記事は2011年1月3日付産経「整備新幹線開業の陰で…どう守る地元の“足”苦悩する沿線自治体」より、リンク省略)

 これが所謂「並行在来線問題」というやつです。これは東北本線だけでなく、信越本線(軽井沢・横川間廃止と、軽井沢・篠ノ井間の「しなの鉄道」への移管)や、鹿児島本線(八代・川内間の「肥薩おれんじ鉄道」への移管)など、全国各地で起こっている問題です。
 何故こんな事態になってしまったのか。それは、1990年の政府・与党合意によって、それ以降に開通した整備新幹線の並行在来線については、不採算区間は全てJRから切り捨て第三セクターとする事で、沿線住民に赤字の尻拭いを押し付けるようにしてしまったからです。しかも、同じ並行在来線でも、まだ比較的採算が見込まれる線区についてはJRにそのまま留め置くという、JRによる「エエとこ取り」まで認めてしまっているのです。沿線住民には自己責任の名でとことん犠牲を強いておきながら。こんな不公正・不公平な話はありません。
(引用終了)

 今回の北陸新幹線金沢延伸に関しては、並行在来線全てが第三セクターに移管され、「JRによるエエとこ取り」は起こらなかったように見えます。しかし、全体的に見れば、JRによる在来線から新幹線への乗り換え自体が「エエとこ取り」に他なりません。新幹線延伸区間のうち、長野から上越妙高までがJR東日本、上越妙高から金沢までがJR西日本の管轄になります。JR東日本やJR西日本にとっては、並行在来線自体が「お荷物」なのです。それは、既に過去にも、JR幹部がゆくゆくは津幡・高岡間や魚津・直江津間の廃止を匂わせるような発言をしていた事からも明らかです。

1990年11月29日
JR西日本が、高岡~津幡間、魚津~糸魚川間を廃線、または経営移管を検討していることが明らかになる。その理由についてJRは、赤字が見込まれることをあげ、第三セクターによる経営を考えてもらいたいとした
12月7日  
県が並行在来線のJRでの継続経営を求めたのに対し、JR西日本角田社長は「並行在来線の経営分離は会社の経営方針であり、継続経営には応じられない」と述べる
(以上「公共交通をよくする富山の会」HPの参考資料年表より)

 しかし、JR幹部にとってはたかが「お荷物」かも知れない並行在来線も、沿線住民にとっては貴重な足であり、地域の大事な資源なのです。
 例えば、富山市には富山地方鉄道と富山ライトレール(旧JR富山港線)、高岡市には加越能鉄道から第三セクターの万葉線に移行した路面電車がそれぞれ走っています。どちらの路面電車も、地元商店街の活性化にとっては必要不可欠な物です。その為に、両市とも、低床式の新型車両投入を支援し駅前広場の整備も図って来ました。ところが、高岡では新幹線は従来の高岡駅前には乗り入れずに、1.5キロ離れた南の郊外に新駅を作る事になりました。新駅と従来駅の間はJR城端線で連絡が取れる事になりましたが、 それでも高岡駅前の客離れは避けられないでしょう。このままでは万葉線も、東北新幹線開通によって在来線の駅に特急が止まらなくなった事で廃止に追い込まれた十和田観光電鉄(青森県)の二の舞になるとも限りません。

 既にその兆候は現れています。北陸本線の三セク(第三セクター)分割化で、JRの「青春18きっぷ」が沿線の支線(七尾線・氷見線・城端線)で使えなくなってしまったのです。これについては、金沢・津幡間と富山・高岡間に限り、途中下車さえしなければ従来通り使えるようになりましたが、今後は整備新幹線の延伸に伴って、このような事態がどんどん広がるでしょう。そしてついには、せっかくの「青春18きっぷ」も、ますます使い勝手が悪くなり、どんどん利用が低迷して行く事になるでしょう。

 それでも、都市部の富山や高岡はまだ良いです。同じ旧信越・北陸本線の第三セクターでも、より人口の少ない過疎地帯を走る「えちごトキめき鉄道」の場合は、JRからの切り離しによって、在来線の存続すら危ぶまれる事になります。同鉄道は、旧信越本線区間(妙高高原・直江津間)の通称「妙高はねうまライン」と、旧北陸本線(直江津・市振間)の通称「日本海ひすいライン」に分かれますが、どちらの区間も冬季は豪雪や強風に悩まされてきました。特に親不知(おやしらず)の難所を抱える後者の区間については、JRから切り離される事で、更なるコスト削減で安全輸送までもが危ぶまれる事態になっています。

 そこまで無理してまで、なぜ新幹線を作らなければならないのかと思います。元々、新幹線は、在来の幹線だけでは輸送需要に対応できなくなったから、新たな幹線鉄道として作られるようになったのではないですか。東海道新幹線や山陽新幹線がそうであるように。それが、整備新幹線として北海道や九州にまで作られるようになるにつれ、当初の輸送量増加(より多く)への対応から、スピード競争(より速く)への対応に、より重点が置かれるようになって行きました。
 しかし、新幹線が作られ始めた頃のように、今まで目的地に着くまで一昼夜や半日近くもかかっていたのが、4~5時間で到着できるようになったと言うなら、まだ作るだけの値打ちはあるでしょう。でも、今やこれだけ新幹線網が広がった中で、残る4時間を3時間に、3時間を2時間にする為に、わざわざ並行在来線を切り捨ててまで、スピードを追求するだけの価値があるでしょうか。それ以上に早く行きたいのであれば、鉄道ではなく航空機を使えば良いのです。その為に安全がないがしろにされるようでは、もはや本末転倒です。
 それに、そこまでしても、新幹線で早く着く事が出来るのは乗り換えなしで行ける金沢だけで、富山や高岡、直江津では、乗り換えの待ち時間まで入れると、次に紹介するように、大して変わらないか、逆に遅くなる場合もあるようなのです。

富山から新大阪へは始発でも間に合わなくなる
これまでは始発のサンダーバード2号に乗れば8時17分に新大阪に着いていたが、このサンダーバード2号が金沢始発となり富山⇒金沢でこれに間に合う電車は現在予定されておらず、始発から乗って間に合うのはサンダーバード4号でもなければ6号となって新大阪への到着は9時19分となってしまう。
つまり、9時からの打合せには間に合わせようと思えば、前乗り、金沢駅までの自家用車に移動してサンダーバード2号に乗車、高速バス等となる。
(以上「ごにょごにょブログ」の「北陸新幹線開業による並行在来線問題に思うこと」より引用)

1.時間短縮効果は限定的
(要旨)東海道新幹線開通以前の「こだま」は東京―大阪間を6時間40分かかっていたそうです。新幹線が開通した翌年の1965年には3時間10分になり、半分以下で3時間30分の時間短縮が実現しました。一方、北陸新幹線は東京―金沢間でも1時間36分です。およそ従来の新幹線のような効果は期待できません。
2.新潟と富山ではお荷物
(要旨)北陸新幹線の開業によって石川県はメリットがあると思いますが、新潟と富山では「お荷物」だと思います。金沢―富山間は59.4kmしかありませんので、新幹線による高速化のメリットよりの乗換時間の増大に伴う遅延の方が大きいと思います。高岡に行く場合はもっと悲惨です。金沢と新高岡で2回の乗換が必要です。結局は北陸の東西の交通は金沢で分断され、北陸の中心は「金沢」に移って行きます。
(以上「めげ猫「タマ」の日記」の「北陸新幹線、開業まで半年」より引用。当該記事にはダイヤから割り出した所要時間の具体的な数値比較も掲載されているので大変参考になります)

 結局、言う程早くはならないのです。それでいて運賃だけは確実に上がります。新幹線は元々割高だし、在来線も赤字必至で乗り換え毎に初乗り運賃が加算されるのですから。だから、前述の「公共交通をよくする富山の会」が、かつて沿線住民に対して行ったアンケートでも、新幹線延伸に必ずしも諸手を上げて賛成という訳ではなく、在来線の三セク分割に至っては大多数が反対という結果になっているのです。
 それでも新幹線建設を強行するのは、次に紹介するように、それが本当に住民の要望から出たものではなく、むしろ政治家や財界人などのゼネコンや地域ボスの思惑から出たものだからでしょう。

新幹線の及ぼす影の部分についてはなにも今に始まったわけではありません。在来線時代には特急が停車し賑わっていた町が新幹線ルートから外れたがために多くの人々の意識から消滅して行きました。一方、新幹線の駅はできても従来の中心地から遠く離れた場所になったため中心部の空洞化が進んでしまったというのも珍しくはありません。今回では高岡や、直江津駅周辺がダメージを受けるでしょう。こうして考えると、新幹線によって本当に光が当った地域ってどれだけあるんだろう、と思います。県庁所在都市の長野、秋田、青森ですら新幹線開業を機に中心部への来街者の減少が顕著になっているとか。いったい、何のための、誰のための新幹線なんだと思います。所詮は人、物、金、情報他ありとあらゆるものを東京に集めるための道具に過ぎないのではないか、と結論付けたくなります。オカミはことあるごとに「一極集中の是正」、「国土の均衡ある発展」などと唱えていますが、実際の政策は真逆を向いているようにしか見えませんね。
(以上、「ホテル&トラベルジャーナル」の「北陸新幹線の裏側から」より)

 「JRと言えども営利企業、採算を無視しては企業として成り立たない」と、よく言われます。でも、その営利企業も経営者の手腕や財力だけで成り立っている訳ではありません。地域の沿線住民あっての企業なのです。そうであるにもかかわらず、駅の無人化に反対する署名が数万も集まったのに、JR西日本はそれを一顧だにする事無く、北陸本線入善駅(富山県)の無人化を強行した事がありました。当時の入善町長がそれを指して、「枝も幹もあって初めて松の木が生い茂るのに、JRは幹だけ横取りして、枝だけを赤字だからと言って我々に押し付けるような真似をしている」と表現していました。幹だけ横取りするようなエゴイスティックな企業に、「住民だけで枝を支えろ」と自己責任論を偉そうに吹聴する資格はありません。
 そんな事も分からないようなブラック企業に、住民の命と暮らしを預ける訳には行きません。今すぐJRを元の国鉄に戻すべきです。並行在来線の存廃問題も、元はと言えば、たとえ儲からなくても国や国民の為に必要なら作らなければならないインフラを、企業の損得勘定だけに委ねてしまったから起こった事なのですから。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法律や権利をただの飾りにしてしまってはいけない

2015年03月11日 19時59分39秒 | 職場人権レポートVol.3


 次も「職場人権レポート」カテゴリーの記事です。でも今回はいつもの「会社批判」ネタではありません。もっと深刻な話です。この話については、私も書こうかどうか迷いました。でも、仲間内に留めておくだけでは、いつまで経っても解決しないので、敢えてブログに書く事にします。

 私の職場同僚の中に、非常に経済的に困窮している人がいます。プライバシーに関わる事なので、今回は仮名にもしません。ブログでは一応「彼」と呼ぶ事にします。
 その「彼」には親父介護の負担が重くのしかかって来ています。近畿地方の日本海側にある「彼」の郷里には、仕事のケガで半身不随になった親父が一人で暮らしています。母は既に他界し、後は遠縁の兄が一人、遠く離れた地方に住むのみです。しかし、「彼」も郷里を離れ大阪に出て来て、非正規のアルバイトとして自分だけがどうにか食べていくだけで精一杯です。とても親父の面倒を見る余裕なぞありません。それでも「家族の中では自分だけがまだどうにか親の面倒を見る事ができる」と、月末の休みには郷里に帰って親の面倒を見ています。

 「彼」自身は、会社にも真面目に来て仕事もきちんとこなしていますが、家賃も滞りがちで、先日も税金の減免申請に区役所に行って来たそうです。私や他の同僚からも2千円、3千円と借金して、それでどうにか食いつないでいる状態です。最近はその返済も滞りがちです。
 「彼」の親父のケガは仕事によるものですから、当然、労災保険で治療費はまかなわれているはずです。また、親父は生活保護も受けているようなので、最低限の生活費についても心配の必要はないでしょう。でも、実際は10万円ほどの親父の過去の借金が後になって明るみになり、「彼」がその借金返済を全部立て替えたりした事もあったようです。

 その「彼」の姿を見るに見かねた私は、ついに一計を案じる事にしました。もう2千円とか3千円とかではなく、一度に1万円を「彼」に貸す事にしました。しかし、私も「彼」と同じ非正規労働者です。そんなに金銭的に余裕がある訳ではありません。そんな中で1万円もの大金を貸す訳ですから、当然、借用書を取りました。但し、借用書と言っても、「無い袖は振れない」事はこちらも分かっているので、無利子・無担保で、支払い遅延も1回だけは認める(2度目からは催告の通知なしに一括請求されても異議なしとする)という、比較的緩やかな返済条件の内容にしていますが(左上写真参照)。
 そして、今の税込16~17万円の月収でも実際は食うや食わずなのに、それでも生活保護をもらうにはまだ「高過ぎる」ので、次回の契約更新で、1日5時間などの短時間勤務に敢えて変えてもらい、必要生活費に満たない分だけ生活保護の申請をするように「彼」にアドバイスしました。そうすると、額面収入は今よりさらに減りますが、その代わりに家賃や帰省・通勤等の交通費は全てタダになりますので。日弁連(日本弁護士連合会)HPの生活保護申請マニュアルも、パソコンからダウンロードして、その時に一緒に「彼」に渡しました(中央・右上写真参照)。
 「彼」、非常に喜んでくれて、早速、地元の区役所に生活保護の申請に行って来ました。もちろん、申請理由も以上述べた通り、正直に申告させた上での受給申請です。「彼」の申請は区役所に受理され、今は審査待ちの状態です。

 確かに、これは余り褒められたやり方ではありませんが、では他にどんな方法があると言うのでしょう。
 なるほど、今の日本には、生活保護以外にも、貧困層対象の生活支援制度がいくつかあります。「生活福祉資金貸付制度」や「高額療養費補助制度」などです。しかし、これらの生活支援制度も、実際には「帯に短しタスキに長し」で、余り使い勝手が良いとは言えないのです。

 「生活福祉資金貸付制度」というのは、生活保護をもらうほどではないが、それよりもわずかに収入が多いだけの、ちょうど今の私や「彼」のような貧困層に、無利子や低利で生活資金を貸し付けてくれる制度です。地元の民生委員を通したり直接本人が役所に出向いたりして、借り入れを申し込み、審査で認められれば、社会福祉協議会から、日々の生活費や教育資金、住宅資金として、10万円ぐらいから借りる事が出来ます。半年間は返済据え置きで、その後の返済期間も最長20年間あります。
 でも、これは生活保護のような返済義務のない給付型の支援ではなく、期日内に必ず返済しなければならない貸与型の支援です。進学・就職・住宅購入などの一時的な資金を、将来返済できる当てがあって初めて借りる事が出来るものです。一時的どころか、常に何かでカバーしなければ日々の生活もままならない中では、たとえ公的な低利の融資制度と言えども利用する事は困難です。

 「高額療養費補助制度」というのは、大病を患った時に、いくらかかるか分からない高額の医療費を、一定の上限額に抑える事が出来る制度です。自分が今加入している健康保険組合に、この制度を適用してもらうよう申請します。しかし、その「上限額」も貧困層にとっては高額な為に(最低でも月21000円)、せっかくのこの制度も、一人暮らしのワーキングプアや高齢者にとっては余り意味のない物になってしまっています。



 何故「彼」はこんなにお金や親の介護の事で苦労しなければならないのか?
 まず第一に、非正規労働者の賃金が余りにも低すぎるからです。「彼」や私の会社も時給はわずか900円です。これでは税込みでも月収17万円前後にしかなりません。通勤手当や税金、社会保険料を引けば1ヶ月の手取りはわずか13~14万円にしかなりません。
 この日本の低賃金は各国の最低賃金の比較からも明らかです。日本以外の欧米先進国では、今やどの国も最低賃金は時給千円を上回る様になりました。日本だけが未だに時給700円台の低水準に抑え込まれているのです。最近ようやく最低賃金が引き上げられる様になりましたが、これすら、他国と比べたら「雀の涙」ほどの賃上げでしかない事が分かります(左上資料参照)。しかも、日本の場合は、ただ低いだけでなく、正社員と非正規との賃金格差も他の先進国よりも大きいのが特徴です(右上資料参照)。
 正社員をパート・バイトや派遣社員などの非正規雇用に置き換える流れは、今や日本だけでなく世界共通に広く見られるようになりました。しかし、他の先進国では、むしろ非正規雇用の方が時給単価が高いのです。これは、より不安定な非正規雇用だからこそ、その見返りに、正社員よりも時給単価を引き上げようとしているからです。
 
 第二に、家賃が余りにも高すぎます。民間の賃貸マンションでは最低でも月4~5万円はするでしょう。手取り13~14万円しかないのに、そこから家賃に4~5万円、その他に水光熱費や携帯電話料金も払わなければなりません。今や携帯電話はぜいたく品ではなく必需品です。これが無ければ求職活動もままなりません。それらを払ったら、もう後にはいくらも残りません。「貯蓄ゼロ」の世帯が今や日本の全世帯の4割近くにもなろうとしています。
 以前、「派遣切り」に遭った人が、派遣会社の寮も追い出されて、そのままホームレスになる事例がニュースで大々的に取り上げられました。また、職を失い生活保護も打ち切られた母子家庭で、追いつめられた母親が子供を虐待したり、料金滞納で電気・ガスも水道も止められた末に、母子ともに飢えて亡くなり、死後数か月も経ってから発見される事例が今も後を絶ちません。しかし、こんな事が頻発しているのも、実は先進国では米国と日本だけなのです。
 少なくともフランスやドイツ、イギリスでは、国が住宅開発を民間業者だけに任せるような事はせず、公営住宅も積極的に建設してきました。それは、これらの国々では、フランス革命などの伝統から、住まいや食生活も基本的人権の一部として、公営住宅の拡充に国も力を入れてきたからです。
 翻って日本ではどうか。公営住宅もあるにはありますが、それはあくまで「付け足し」にしか過ぎず、今やそのわずかに残ったUR(都市再生機構)の公営住宅も、行政リストラの対象として縮小される方向にあります。その下で、生活保護だけが唯一の命綱となり、そこからも落ちこぼれたら、住居さえ失い、マック難民・ネットカフェ難民やホームレスになるしかない「ハウジングプア」の状態に追いやられるのです。



 以下、国家公務員一般労働組合(国公一般)のブログ「すくらむ」の中の記事「ハウジングプア、路上に放り出される若者 -貧困な日本の住宅政策、住まいも自己責任」より引用します。

(引用開始)
 こうした「ハウジングプア」の状態が、幅広い立場の人にまで広がっている背景には国の住宅政策の貧困という問題があると思っています。
 日本の公的賃貸住宅は、2006年3月時点の数字で344万戸です。これは住宅全体の7%にすぎません。イギリスの公的賃貸住宅は20%、フランスは17%あり、それと比べて日本の公的住宅は3分の1程度しかないのです。
 1970年代以降、公的賃貸住宅の建設は減っていますが、とくに東京都は石原都政になった1999年から今まで都営住宅の新規建設はゼロ。このため、2005年度の公営住宅の応募倍率の全国平均が9.9倍に対して、東京都は32.1倍と狭き門になっています。
 日本の公営住宅は絶対数が少ない上に、若年単身者には入居資格すらありません。20歳を過ぎても親の家に同居する若者は「パラサイト・シングル」などと非難されたりすることがありますが、先進国で若年単身者に対する公的住宅支援や国による家賃補助政策などが無いのは日本だけなのです。ヨーロッパ諸国でほとんどの若者が早い時期に親元から自立をはたすのは公的住宅政策が充実しているからなのです。たとえば、フランスでは若年単身者への低家賃公営住宅への入居支援、若年失業者への公的住宅制度、借家契約の連帯保証人代行、保証金の無利子貸与、18カ月までの未払い家賃保障などの若者の移行期支援がきちんとあるのです。
 私は、日本にはワンパターンの「人生双六(すごろく)」しかなく、その「人生双六」から自分のコマが転げ落ちてしまうと簡単に「ハウジングプア」になってしまうような状況にあると思います。「標準的なライフコース」からちょっとはずれるだけで「ハウジングプア」になる可能性がとても大きくなってしまうのが日本社会です。
 これまでの「人生双六」は、終身雇用や右肩上がりの成長により、社宅や賃貸住宅にはじまり、給料アップとともにローンを組んで持ち家を購入するというパターン。でも今や非正規労働者が3人に1人、若年層では2人に1人が非正規労働者にされ、マイホームをゴールとする従来の「持ち家政策」や「住宅は自己責任」という政策を転換しなければ、とくに若年層の多くは「ハウジングプア」に陥ってしまいます。
 給料の半分が消えてしまうほどの高額な家賃や、一生かかって背負うことになる住宅ローンなど「家のために働いている」ようなこれまでの日本の「人生双六」を転換する必要があります。公的な住宅政策が貧困なために、これまで多くの人が人生のかなりの部分を“家”に縛られてきたわけですが、今や若年層は“家”に縛られるどころか派遣切りと同時に路上に放り出されるハウジングプア状態にさらされています。
(引用終了)

 これでもうお分かりでしょう。
 革命で市民が人権を勝ち取った歴史の無かった日本では、生活も住居も「基本的人権」としてではなく、あくまで個人の「自己努力」(自助)や、家族・親戚・近所づきあい等による「助け合い」「絆」(共助)でまかなう物とされてきたのです。国の福祉政策(公助)は、あくまでそれを補う為の、最後の手段でしかないという位置付けです。そして現実には、補う事すらせず、「公助」手抜きの口実に、「自助」や「共助」、「家族愛」や「絆」と言った美辞麗句を、人権保障サボタージュの隠れ蓑にしてきたのです。国が公営住宅建設よりも住宅ローン減税など「持ち家政策」の方を重視してきたのも、もし政策がうまく行かず国民が家を買えなくても、個人の責任に転嫁できるからです。
 そして日本国民も、革命によって人権を勝ち取るのではなく、「水戸黄門」や「天皇陛下」の「思し召し」や、最近では「橋下徹w」の「お力添え、ご威光」にすがり、その恩恵にあやかろうという考え方に染め上げられて来ました。その為には、ワンパターンの「人生双六」や「標準的なライフコース」から外れないようにしよう、「政府に楯突くなぞ畏れ多い」という、奴隷根性に支配されて来たのです。

 戦後70年と言えば長く感じますが、それでも明治維新以来の147年間の歴史からすれば、まだ半分にしか過ぎません。その戦後70年の中で、人権・民主主義や平和主義を定めた今の日本国憲法も、国民が革命で勝ち取ったものではなく、戦争に負けた結果、外国(米国を中心とした連合国)から与えられた物にしか過ぎませんでした。
 しかし、そうは言っても、それを70年の長きに渡り、隙あらば憲法の人権規定を骨抜きにしようとたくらむ自民党政治とも抗いながら、憲法の理念を守り発展させてきた国民の努力については、決して過小評価してはならないとは思います。しかし、その国民の長年に渡る努力も、今や、安倍政権が進める憲法改正(実際は改悪にしか過ぎない)によって、人権も民主主義も、単なる「お飾り」にしか過ぎない物に変えられようとしているのです。

 阪神・淡路大震災や東日本大震災の後、「家族愛」や「絆」が過剰にクローズアップされる中で、「日本って、実は外国よりも凄い国なんだ」という言説が、特に韓国や中国との対比の中で語られるようになりました。例えば、震災後の混乱の中でも、被災者が整然と行列を作って救援物資を受け取る姿などが、NHKのテレビニュースで大々的に流されました。
 しかし、その一方で、今も震災復興住宅の建設は遅々として進まず、原発事故も収束していないにも関わらず、東電も政府もその責任を取ろうとせず、相変わらず原発の再稼働や輸出を進めようとしているのに、それを表立って追求する声は小さくとどまったままです。
 本当に国民の間に「家族愛」や「絆」が満ち満ちているなら、こんな無責任な事は本来あり得ないはずです。これでは、本当はただ「無気力」「無責任」なだけなのに、それを「絆」などの美辞麗句で誤魔化しているだけだと言われても仕方ないと思います。

 だから、いつまで経っても最低賃金も引き上げられないし、安い家賃の公営住宅も建てられないのです。
 また、せっかくの生活保護制度も、「全ての国民には健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある、国にはその権利を国民に保障する義務がある」(日本国憲法第25条)との趣旨からすれば、年収200万円以下の貧困層全員に生活保護を受ける権利があるのに、実際に生活保護制度を利用できているのは、貧困層全体のわずか18%にしか過ぎません。これも、ヨーロッパ諸国では全体の60~90%にも達しているのにです。
 そして、そのわずか全体の18%の生活保護利用者に対してすらも、やれ「不正受給」だ何だのと、ごく一部の芸能人の特殊な例を持ち出して、実際は全体の0.53%にしか過ぎない不正事例を、さも大々的に行われているかのように政府は宣伝しています。利用者数や不正受給の少なさは、厚生労働省自身も自らの資料の中で明らかにしているにも関わらず。(いずれも前述の日弁連マニュアルより)
 そのくせ、小渕優子や松島みどり、下村文科相や望月環境相そして安倍首相自身の政治献金疑惑については、マスコミも国民も大して問題にしようとしません。それもこれも、時の政治家や経営者が、国民の「勤勉さ」や「家族愛」「絆」の上にあぐらをかいて、それを自分たちの都合の良いように利用しているからです。そして国民も、奴隷根性におかされて、己の無気力や無責任を棚に上げ、それをまるで政治家の宿命であるかのように捉えてしまっているからです。

 前回記事の中で、ネット通販大手の多国籍企業アマゾンのブラック企業ぶりについて書きましたが、少なくともドイツやフランスでは、そういうアマゾンのようなブラック企業にも、非正規労働者の組合が組織され、経営者の不正や搾取と闘っているのです。また、米国も日本に負けず劣らず格差社会ですが、この国も、「金の亡者」みたいな奴がウジャウジャいる一方で、それと闘う労働組合や市民運動の力も強いのです。これこそが本当の「絆」ではないでしょうか。
 2007年に北九州で、生活保護を打ち切られた男性が、「おにぎり食べたい」と日記に書き残して餓死する事件が起こりました。その男性は、何度も福祉事務所に生活保護を申請しに行きましたが、申請書も渡されずに放置され続けた挙句に、行政や社会から見殺しにされたのです。当時の北九州市も、国からの圧力の下、俗に「水際作戦」と呼ばれる生活保護削減策を強行していました。餓死した男性は、同じ日記に「法律はただの飾りか」と書き残して死んでいきました。
 法律も権利も、憲法も平和も民主主義も、決して「ただの飾り」ではありません。但し、法律に書いてあるからと言って、それだけで安心してしまい、国民がその権利を行使しないでいると、知らない間に本当に「ただの飾り」にされてしまいます。法律や権利を「ただの飾り」にしてしまうのも、実際に生活を守る武器として活用・拡充させていくのも、ひとえに国民の努力しだいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成果主義の行き着く先

2015年03月08日 21時38分09秒 | 職場人権レポートVol.3


 久々の「職場人権レポート」記事です。今回は山内さんと信田(のぶた)君の間に最近起こったトラブルについて書きます(登場人物はいずれも仮名です)。
 二人とも同じ物流センターの農産部門で働いています。パックセンターで加工されたカット野菜のケースを、スーパーの店舗別に台車に積んで出荷する作業に就いています(左上写真参照)。元々は二人とも同じ契約社員でしたが、信田君は社員登用試験に合格し、この春からは正社員として働く事になりました。
 正社員ともなると、ただ現場作業をこなすだけでなく、業務改善や作業効率の向上にも取り組まなければなりません。そこで信田君も、個人別作業日報から割り出した作業効率のデータを基に、作業が遅いといわれている山内さんに、「もっと早く作業するように」と発破をかけ始めたのです(右上写真参照)。

 その山内さんですが、確かに遅いのは遅いです。
 それは前述のデータにも現れています。毎日の仕分け物量(ケース数)を作業員の「のべ作業時間」で割った1時間あたりの「生産性」、つまり「1時間で何ケース仕分けできるか」の数値が、山内さんの出勤日と公休日(ピンク色でマーキングした日付)では、30~70ケースほども違うのですから。
 また、同じ様な物量の日同士で比較しても、例えば、山内さんが公休日の2月24日(火)には1193ケースをのべ5.83時間で仕分ける事が出来たのに対し、出勤日の26日(木)では1184ケースを仕分けるのに6.5時間と、0.67時間(約40分)も余分にかかっています(緑色のマーキング部分参照)。
 この作業に携わるのは、毎日午前中に山内さんも含め2~3名だけなので、余計にその差がはっきり出るのでしょう。
 (なお、2月20日以前のデータについては、契約社員の勤務シフト表が私の手元にないので、2月21日以降のデータで比較しています。)

 でも、山内さんにも言い分はあります。
 それは、まずデータ自体がはなはだ大雑把な物だという事です。もとより、この「生産性」データは、個人別に機械で正確に測って出した物ではありません。あくまでも、作業者の事後申告による、うろ覚えの記憶を基に書いた作業時間を、ただ単純に日付別に集計して、仕分け数量をそれで割った物でしかありません。
 このデータから分かるのは、「どの日の作業が遅くなっているか」というだけで、その原因については何も分かりません。例えば、この作業は、ケースをそのまま台車に乗せていたのでは容積がかさばるので、詰め合わす事の出来る商品は出来るだけ詰め合わせて、台車に乗せるケース数を少しでも少なくしなければならないのですが、その努力はこのデータには反映されません。うがった見方をすれば、詰め合わせをサボる事で時間短縮を図る事も出来るのです。
 おそらく、山内さんも自分が他人よりも作業が遅い事は自覚していると思います。でも、それは山内さんだけの責任でしょうか。例えば、先の詰め合わせの例で言うと、細かな葉物ばかりを先に持って来られて、後で大根や白菜などの大物を持ってこられたら、詰め替えにも時間がかかってしまいます。そういう諸々の要因も絡み合っているのに、そういう事はなおざりにしたまま、自分ばかりが槍玉に上げられたら、そりゃあ誰だって怒るでしょう。

 このトラブルが原因で、とうとう山内さんはこの3月20日で退職する事になってしまいました。既に副所長にも退職の意思表示を行ったとの事です。副所長からは、退職の理由も聞かれなかったそうです。そのくせ、未練たらしく「気持ちは変わらないか?また戻ってくるつもりはないか?」と聞かれた様です。そんな事を聞く暇があるなら、何故、山内さんが退職に至ったのか、再びこの様な退職者を出さない様にするにはどうしたら良いか、考えれば良さそうな物を。
 以上が、山内さんと信田君の間のトラブルの内容です。私は、午前中は別部門の作業に就いていて、山内さんや信田君とは一緒に作業していないので、両者の言い分のどちらが正しいのか、これだけでは判断しかねます。ただ、一般的に言わせてもらうならば、山内さんについては、午前中の作業が遅れると、それだけ午後からの作業にも支障をきたす訳ですから、早く正確にさえ仕分け出来るのであれば、詰め合わせはある程度省略しても良いのではないかと思います。そして信田君についても、ただ「早くやれ」と山内さんを急き立てるだけでなく、「普段は丁寧な作業を心がけてくれて有難う。但し、今日は物量が多いので効率優先でお願いします」と一声かける等していたら、少なくとも山内さんの退職は避けられたのではないでしょうか。信田君はまだ若いのですから、今回の事を教訓にして、今後の仕事に活かせてもらえたらと思います。

 しかし、この程度の事で済んでいたら、まだ可愛い物です。この「効率優先」が更に高じて、下記のアマゾンの様な職場になってしまったら、労働者の健康と生命すら危うくなります。
 以下、ハフィントンポストの記事「『アマゾン物流センターの過酷な労働』BBCが潜入取材」より引用します。

(引用開始)
英BBCは、ネット通販大手アマゾンの物流センターの労働環境について潜入取材を行った。23歳のアダム・リトラー記者が、派遣社員の「ピッカー」として入り込んだのだ。
同記者の取材によると、従業員たちは「想像を絶する」プレッシャーを受けており、「奴隷のように」労働させられている。1回のシフトで17キロメートルもの距離を歩かされ、「33秒に1つ」の割合で商品を集めなければならないという。
物流センターで働く従業員の話によると、その過酷さは「強制労働収容所」並みであり、従業員たちのプレッシャーは、「精神的および身体的疾患」につながりかねないほどだという。
取材対象になった職場は、英国ウェールズ南部の都市スウォンジにあるアマゾン物流センターで、広さは約7万5000平方メートルだ(約2万2000坪で、東京ドームの約1.5倍)。
同記者は、収集すべき商品の指示が表示される携帯端末を手に、台車を押して作業した。この端末には、各商品を探すための制限時間が表示され、カウントダウンされる。また、違う商品を収集すると、スキャナーが警告音を発する。
「われわれは機械、ロボットだ。スキャナーのスイッチを入れ、それを手に作業をしているが、むしろ、私たち自身にスイッチを入れているようなものだ」と記者は語る。「われわれは何も考えずに、ただ作業するだけだ。たぶんそれは、彼らがわれわれを信頼していないからだろう」
スキャナーは商品の収集スピードを監視しており、遅すぎると、訓練を受ける必要があると警告される。10時間半の夜間シフトを終えた記者はこう述べた。「足を引きずりながら、かなりの距離を歩いた。昨夜の歩行距離は17キロメートル弱というところだろう。もうくたくただ。正直言って、一番つらいのは足だ」
「まさに身を粉にして働くという感じだ。しかも、ねぎらいの言葉もなければ、ひと息つく暇も与えてくれない。こんな仕事は初めてだ。信じられないほどのプレッシャーだ」
(引用終了)

 ついでにこれも。
 Amazonの倉庫で働くときの知られざるルール10か条
 1.口紅は使用禁止。(単に風紀を乱すからでなく、口紅も商品として取り扱うから、盗難や横領の予防策として)
 2.原則としてガムも使用禁止。(社内に入る前に既に噛んでいた1粒だけは許可されるらしい)
 3.飲み物は水のみ許可。(実際にフロア監督がチェックするので透明の容器に入れて来る事)
 4.包装紙やテープを使い過ぎない事。(これも実際にフロア監督のチェックが入る)
 5.のろのろと働かない事。(携帯端末で歩行速度もチェックされるらしい)
 6.病気にかからない事。(インフルエンザにかかっても有休も使えないのか?)
 7.出勤・退勤の猶予は7分。(業務終了後7分以内にタイムカードを押して帰らないとダメ)
 8.私語は慎む事。(ただ黙って働けと言う事か)
 9.時計着用は禁止。(これも盗難防止の為だそうです)
 10.遅刻厳禁。(たとえどんな理由があろうとも。1時間の遅刻で1点、無断欠勤は3点減点)
 「上記の10か条は違反をするごとに1点減点され、6点減点になると(6回違反をすると)クビとなります。ちなみに、これら以外の違反についてはポイント減点はないものの、名前とバッジ番号が控えられるそうです。」

 アマゾンには他にも、「3ストライクアウト」(就業規則に3回違反すると即解雇)とか、「1フィートルール」(類似商品は目に届かない所に離して置く)等の独自の社内ルールがあるようです。それが純粋に作業の効率アップや負担軽減と結びついたものである限りは特に問題ないと思いますが、従業員をまるで犯罪予備軍であるかのように見なしたり、労働基準法や労働者の人権を踏みにじるような物であるなら論外です。
 その一方で、物流センター構内の除草用にヤギを飼い、ヤギにも社員証を付けさせて「エコ」だとうそぶいているのですから、どこまで「見てくればかり」取り繕うとするのか。確かに、物流作業にいち早く無人ロボットを投入する等、業務改革にかけるアマゾンの熱意については、私たちも見習わないといけないとは思いますが。


 左はアマゾン市川FC(千葉県)、右は同じく堺FC(大阪府)。FCはフルフィルメントセンターの略で、アマゾンジャパン・ロジスティクス株式会社が運営する物流拠点の事。

 企業経営の立場で言えば、アマゾンほど効率の良いシステムはありません。在庫は全てバーコードで管理され、棚に雑然と並べられてあります。全てバーコードで管理されているので、ジャンル・品目別に整理する必要もないのです。ピッカー(集品作業者)は、携帯端末を見ながら、指示された最短経路で所定の場所に行き、指示された商品を次々と台車に入れていくだけです。しかし、ひたすら歩かされるので、毎日作業していると足が水ぶくれのようになるそうです。
 私が以前働いていたのも、実はこういうアマゾンの様な職場でした。業種は今と同じスーパーの物流センターで、その下請けの契約社員として働いていたのですが、広い構内の中で、ひたすら出荷に追われていました。試しに1日の移動距離を万歩計で測ったら、毎日3万歩以上になっていました。私の場合も、アマゾンほどではないにしても、毎日仕事が終わると、足がパンパンにふくれ上がっていました。


 ちなみに上記が、その当時の職場の同僚が自分のガラケーに保存していた万歩計のデータ。左から順に1日の歩数、歩行距離数、消費カロリー数。これを見ると、前述の記事に出てきたアマゾンの歩行距離とも余り変わらないじゃないか!

 今、安倍政権が、「アベノミクス」や「規制緩和」でやろうとしている事も、こういうアマゾンの様なブラック企業の後押しに他なりません。
 まず、「残業代ゼロ法案」で、労働者をいくら働かせても残業代を払わなくて良いようにします。「対象を年収1075万円以上の労働者に限る」と言っているのも今のうちだけです。そのうちに、適用対象となる労働者の下限年収を、600万、400万と切下げにかかって来るに違いありません。現に、今の派遣労働も、最初はごく限られた業種だけにしか認められていなかったのに、今ではほとんどの業種に認められるようになりました。
 そして、「派遣労働法改正」で、正社員をどんどん派遣社員や請負社員に置き換えようとしています。私が今働いているのも、この業務請負の会社です。私はそこの契約社員として、前述のスーパーの物流センター業務に携わっているのです。スーパーが命令した事はどんな理不尽な事でも聞かなければなりません。業務請負会社にとっては、スーパーはあくまで「お客様」なのですから。労働条件改善を要求するなぞ、もっての外です。かくして、労働基準法はどんどん骨抜きにされていきます。
 そして、きわめつけが「TPP」です。「TPP」とは「環太平洋経済連携協定」の略です。「貿易にかかる関税を全て撤廃しよう」と言うのが、その協定の中身です。どんなに輸入しても関税がかからないので、農薬まみれの輸入農産物や、アフラックやアリコなどの外国の医療保険が、どんどん日本に入って来ます。
 入って来るのは農産物や医療保険だけではありません。ブラック労働を規制する為の労働基準法も、企業活動の邪魔者として、関税と同じ様にどんどん緩められてしまいます。それに対して、TPP加盟国が労働基準法強化で対抗しようとしても、協定違反の名で国際裁判にかけられ敗訴させられてしまうのです。それと言うのも、協定の目的はあくまでも企業利益の保護であって、労働者や国民の生命・財産の保護ではないからです。安倍政権が加盟を推進する「TPP」と言うのは、簡単に言うと、そういう協定なのです。


 今でも日本の年平均労働時間は米国と並んで(悪い意味で)世界のトップクラスなのに。

 その際に、「残業代ゼロ法案」や「派遣法改正」、「TPP」導入の口実として使われるのが、「これからは労働時間にではなく、成果に対して給与を払う様にしよう」という理屈です。これは、先の山内さんたちの例で言えば、「同じ時間だけ働いても、1時間200ケース以上仕分けできる人もいれば、170ケースしか仕分けできない人もいる。170ケースしか出荷できない人も、200ケース以上出荷できる人も、同じ給料なのはおかしいではないか。これからは、作業にかかった時間ではなく、仕分けしたケースの数に見合うだけの給料を支払うようにしよう」と言う事です。
 そんな事になれば、職場は一体どうなるでしょうか。まず職場のモラルは確実に下がります。「時間当たりの作業量」や「作業時間」と言った目に見える数字でしか評価されないので、数字には表れない「丁寧な商品の扱い」や「掃除、後片付け」等は誰もやらなくなります。
 モチベーションは確実に下がりますから、やがて出荷先の店舗や商品を買った客から、出荷間違いや商品破損のクレームが殺到するようになります。こちらはミス率としてちゃんと数字に出ますから、防止対策が取られるようになります。でも、職場全体のモチベーションが低下しているので、根本的な改善策は打たれずに、その場しのぎの対策でお茶を濁す事になります。実際に、私がずっと前にいたハンバーガーの物流センターでは、自分の後輩がハンバーガーショップの店長をしている事を良い事に、わざわざその店長に電話して、「俺の出荷ミスで違う店の商品がお前の店に行ってしまったけど、後でこっそり返せよ。会社に告げ口なんかしたら承知せんからな!」と、口封じの圧力をかけている契約社員の猛者(もさ)がいました(これは本当の話です)w。

 そうなると、バイトの給料も確実に引き下げられます。だって、いくら1時間170ケースしか出荷できなかった人が180ケース出荷できるようになったとしても、他の人がもっと出荷できるようになれば、人件費の総枠は決まっているので、給与は下がりこそすれ上がる事はまずありません。180ケース出荷できるようになった人が、他の人より余計に給料を上げようとするなら、自分が努力するよりも、他の人の足を引っ張る方が、はるかに手っ取り早いです。かくして、社員同士の足の引っ張り合いが、職場全体に蔓延する事になります。現に、成果主義賃金制度を一旦導入した企業も、そういう理由で、次々と見直しに着手せざるを得なくなりました。
 私は何も「効率なんてどうでも良い」と言っている訳ではありません。いつまでもチンタラ仕事していたら、いつまで経っても仕事が終わらず、いつまで経っても家へ帰れなくなります。そういう意味では、作業効率や生産性の追求も、もちろん大切です。でも、そればかりに汲々としていると、最後には「自分で自分の首を絞める」結果にしかならないと言う事も、頭に中に入れておいた方が良いでしょう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍閣僚の江戸しぐさw

2015年03月05日 22時30分02秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな
【井筒和幸】下村博文文科相が「違法献金」、望月環境大臣と上川法務大臣も?


 自分が大臣を務める官庁所管の企業・業界団体から、補助金給付の見返りに政治献金をもらったり、任意団体を装った未届けの政治団体から政治献金をもらったり。それでいて政党助成金も二重取り。そういうワイロ政治を公然とやりながら、国民には「親学」や「江戸しぐさ」で道徳教育を押し付け。もう国民をバカにしているとしか思えません。
 「母乳で子供を育てろ」とか「片親ではまともな子供は育たない」とか言うのが「親学」で、これについては「母乳育児どころではない貧困家庭や母子家庭の親なぞ親ではない」と言わんばかりの差別的な教育観が以前にも問題になりました。

 もう一方の「江戸しぐさ」と言うのは、私も今までよく知らなかったのですが、何でも、江戸時代の商人に伝わる処世術なのだとか。ウィキペディアによると、「傘かしげ」(雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違う事)や「肩引き」(道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩く事)等が、その模範的なしぐさなんだとか。しかし、その戒めの中には、時計もなく「暮れ六つ」等の大まかな時間管理しかしていなかった江戸時代にはあり得ないような「時泥棒」(遅刻の戒め)や、奴隷道徳の勧めでしかない「逆らいしぐさ」(上の者には逆らうな、長い物には巻かれろ)と言った物もあり、本当にそんな処世術が実在したのか怪しむ意見もあるそうです。
 「江戸しぐさ」推進団体のHPによると、「江戸しぐさ」とは、あくまで「人の上に立つ者の心得」なんだそうです。そのイメージからすると、江戸の商人や町人でも、山本周五郎の小説「さぶ」に登場する丁稚や番頭ではなく、むしろ大岡越前や水戸黄門の様な人たちの事だろうか?そんな商人、現実にいたっけ?紀伊国屋文左衛門なぞ、むしろ今のホリエモンやワタミの様な存在では?ますます訳が分からなくなります。

 あっ、分かった!ほらっ、時代劇にこんなシーンがよくあるでしょう。悪代官と悪徳商人が、秘密の小部屋で何やらヒソヒソ話を。「越後屋、そちもワルじゃのう」「いえいえ、お代官様こそ」と言って、二人で「ワッハッハッハッ」と笑うシーンが。あれが「江戸しぐさ」なんだ。それなら、今の安倍政権の閣僚にもピッタリ当てはまります。なるほど、あの「ワッハッハッハッ」と言うのが「江戸しぐさ」なんだ。これでよく分かりましたwww。
 同じ教えるなら、そんな得体の知れない「江戸しぐさ」より、大塩平八郎や佐倉惣五郎などの義民伝承の方が、よっぽど道徳教育の教材として相応しいと思いますけどね。民百姓の窮状を見るに見かねて立ち上がり、民衆に代わって一身に罪を背負って死んでいった、「江戸時代のチェ・ゲバラ」とも言うべき彼らの方が、よっぽど「愛国者」として相応しいのではないでしょうか。残念ながら、今の安倍政権の閣僚は、それとはまるで正反対のイメージですが。
 そんな「越後屋」や「悪代官」みたいな人が、くだんの推進団体HPと歩調を合わせるかの様に、「脱いだ履物をきちんと揃えろ」とか説教している図を想像すると・・・(プッw)。自分の政治資金の管理もまともに出来ないのに。もうブラックユーモアとしか思えませんね。

暮らしうるおう江戸しぐさ
クリエーター情報なし
朝日新聞社


江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)
クリエーター情報なし
講談社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする