当選 畑中政昭 維新・新 42歳 当選1回 14,708 56.2%
阪口伸六 無所属・現 66歳 当選6回 11,456 43.8%
私が数年前まで住んでいた高石も、とうとう維新の市長になってしまいました。今からちょうど20年前の2003年の市長選挙で、堺市との合併が争点になった時に、合併を市民の頭ごしで進めようとした当時の現職市長に対して、待ったをかけたのが、今回落選した阪口伸六氏でした。この時はダブルスコアで阪口氏が得票を集めました。
私もこの選挙結果は予想外でした。高石は、どちらかと言えば保守的な土地柄で、市長選挙では常に現職の市長が勝ってきましたから。その中で、合併反対を掲げた阪口氏が現職に圧勝。
しかし、その阪口氏も、当選を繰り返す中で、次第に独断専行が目立つようになり、それまで市長を応援していた人たちも、次第に市長から距離を置くようになりました。その後の市長選挙では、それらの「元市長派」と阪口氏が争うようになりましたが、いずれも阪口氏にはかないませんでした。
その中で、今回、維新の会から畑中政昭氏が出馬し、阪口氏と市長の座を争う事になりました。阪口氏は「畑中氏が勝てば高石市はまた堺市に吸収されてしまう」と訴えましたが、相手が言ってもいない事を言った為に、かえって逆効果となり、維新に市長の座を奪われる事になってしまいました。
確かに阪口市長の言う事も分かります。現に維新は大阪都構想を掲げて、大阪市廃止を公約に掲げていましたから。でも、阪口市長も、それまで大阪都構想については、賛否を明らかにしませんでした。それが市長選の直前になって急に反対を叫んでも、有権者からすれば「今頃何言ってんねん!」という事にしかなりません。
それよりも驚いたのが、市議選での共産党の退潮ぶりです。堺市との合併が市長選の争点になっていた頃は、共産党市議はまだ3人ほどいて、市議選でも4千票前後の票を集めていました。しかし、その後は得票を減らし続け、今回の市議選では、2人いる市議はいずれも千票を割り込むまでになってしまいました。以前の市議選では当選ラインを下回る票数ですが、今回は維新の市議が大量得票した為に、最下位当選ラインが下がり、そのおかげでギリギリセーフでどうにか当選できたようです。(上記資料参照)
維新の市議は、いずれも「市政の活性化」や「身を切る改革」と言った「威勢の良い」公約を掲げていました。よく言えば「大所高所」、悪く言えば「物価高に苦しむ庶民の生活実感とはかけ離れた」「強者目線」の、そういう公約を掲げていました。
それに対して、共産党の市議は「保育所民営化反対」や「国保料値上げ・生活保護切り捨て反対」と言った、「庶民の生活実感に寄り添うような」「弱者目線」の公約を掲げていました。でも、そんな公約を幾ら掲げた所で、勢いが全然感じられませんでした。議員紹介ページにも顔写真が載っておらず、ブログで自分の意見を発信する事もせず。フェイスブックには投稿していたようですが、私はフェイスブックをやらないので見る事は出来ません。
私は今も住民票は高石にあるので、選挙のたびに高石で投票して来ましたが、今回は府知事選のみ投票し、府議選・市長選・市議選については棄権しました。府議選を棄権した理由については、先の記事で既に述べました。市長選・市議選についても、上記の理由で棄権する事にしました。
私は現在、大阪市内の住之江区に住んでいますが、こちらも選挙事情は高石市と大差ありません。維新を批判している自民党や共産党に、選挙で勝とうという気概が全然感じられません。地下鉄の駅前で宣伝しているのは、ほとんどが維新の候補者でした。マンションの集合ポストに入るビラも、ほとんど維新のものばかり。
町に貼ってある選挙ポスターも、公設掲示板以外はほとんど維新のものばかり。それ以外では公明党のポスターが一部の地域で目立つ程度です。後は自民党のポスターが少し。共産党のポスターはほとんど見かけなくなりました。立憲民主党に至っては、立憲系の無所属市議候補のポスターがたまに目に付く程度で、政党ポスターは皆無。
しかも、府知事選では、負けると分かっているのに、反維新で候補者一本化できず、谷口真由美と辰巳孝太郎の両氏が立つ分裂選挙に。たとえ候補者一本化しても勝てるかどうか怪しいですが、分裂していて勝てる訳がない。候補者擁立して票の掘り起こしが図れるのは、その候補者に勢いのある場合だけです。勢いもないのに、分裂して勝てる訳がない。
それをツイッターで谷口・辰巳両氏に指摘し、なぜ候補者一本化できなかったのか質問しても、どちらからも返事はありませんでした。それでも府知事選挙では、私は辰巳氏に投票しましたが、こんな選挙ばかり続けているようでは、はっきり言って、もう応援する気にもなれません。
京都競馬場が2年半ぶりにリニューアルオープンしたので4月23日に早速行って来ました。京都競馬場に入場するには事前にネットで入場券を予約しなければなりません。私は前日の土曜日に予約しました。そして当日は大阪から地下鉄と京阪を乗り継ぎ、お昼前に最寄り駅の淀に着きました。
競馬場ではリニューアルオープンを記念してグルメフェアが開催されていました。ステーションサイド横の陽だまり広場で関西各地の有名レストランが出店し、キッチンカーの前には既に長蛇の列が出来ていました。しかし、どの店も総じて値段が高めです。大体1500円から2000円ぐらいします。私はその中で一番安そうなステーキ丼を注文しました。それでも1200円。さすがに名店のステーキなので肉厚ジューシーで美味しかったですが、味噌汁どころかお茶もないのに弁当に1200円も取られるのはやはり納得いきません。次からは建物内のフードコートで手軽に昼食を済ます事にします。武豊ビールは売り切れてTシャツのみ販売していました。
新しい京都競馬場には神社まで「創建w」されていました。モチノキ神社(左)と馬頭観音(右)です。ちゃっかり賽銭箱まで用意されていました。「ギャンブルも神頼み」という訳ですが、こんな商業主義丸出しの「神社」に「ご利益」を期待しても無駄です。余分にテラ銭を取られるだけです。
ステーションサイドからゴールサイドの方に向かうとパドックが見えて来ます。そのパドックを取り囲むように、コントレイルやシンザンの像が建立されています。その横の三冠メモリアルロードには、ジェンティルドンナやアパパネの像も建立されていました。
パドックもリニューアルされ、芝がきれいに生えそろっていました。パドックで馬を見た後、ゴールサイドの方に向かいましたが、入場券のみの客は立ち見しか許されていません。立ち見の場所もゴール前のわずかなエリアに限られています。ゴールサイドで座席に座って観戦するには、さらにネットで席を予約しなければなりません。勿論、有料です(400円~4000円)。これならまだウインズで観戦した方がマシです。
当日のメーンレースはGⅡレースのマイラーズカップ。GⅠレース安田記念の前哨戦です。本当は翌週のGⅠレース天皇賞(春)開催に合わせて京都競馬場に来たかったのですが、当日は午前中に予定があり、混雑も予想されるので今回来る事にしました。
本命◎はガイアフォース。当初は三連勝の勢いに乗る差し馬の〇ジャスティンスカイを本命にするつもりでしたが、中距離からマイルに転進した先行馬ガイアフォースの方が、コーナーの下り坂で加速できる利点があり、調教映像でも好調ぶりが目に付いたので、急遽こちらを本命に。昨年の勝ち馬▲ソウルラッシュと合わせて三頭から三連単のフォーメーションで流しました。
やはり予想通り◎▲が2・3着に来ましたが、1着は△シュネルマイスターが来て、頭の残り〇ジャスティンスカイは9着に沈んでしまいました。GⅡではまだ力及ばずです。シュネルは出走メンバーの中では唯一のGⅠホースなので、本来なら1着固定で流しても良いぐらいです。しかし近走成績も調教もイマイチだったので、私は▲から△に評価を下げてしまいました。それでも三連複なら△◎▲で的中していましたが、取りガミや元返しになるのを避けて、敢えて三連単と馬単で勝負したので外す羽目に。でも、予想そのものは見直し後の方がより的中に近づき、今後に向けて弾みとなったので悔いなしです。
2023年 マイラーズカップ(GⅡ) | 第54回 | JRA公式
和歌山で岸田首相に爆弾投げた容疑者のツイッター・アカウントをフォローしました。「『被選挙権年齢・選挙供託金違憲訴訟』広報」というアカウントです(アドレスはhttps://twitter.com/hisenkyoken)。「選挙権は満18歳以上の成人全員に付与されるのに、被選挙権は満25歳以上にならないと付与されない。しかも、出馬するには高額の供託金を用意しなければならない。これらは全て参政権を保障した憲法に違反している」と言うのが、このアカウントの主張です。
勿論、私は容疑者のやった事は肯定しません。また、容疑者の主張の中の被選挙権年齢の制限についても賛同出来ません。「同じ成人なのに24歳以下は選挙に出馬出来ないのは憲法違反だ」との主張ですが、それは有権者の社会経験の有無を踏まえた上で課せられる制約であり、満25歳以上になれば誰でも出馬出来るようになるのですから、別に目くじら立てて騒ぐほどの事でもないと思います。
確かに、選挙の制約は出来るだけ無い方が好ましいですが、そんな事に目くじら立てて騒ぐよりも、他に先に改善しなければならない課題が山積しています。国政選挙における小選挙区の弊害や、選挙区ごとの1票の格差の問題、戸別訪問の禁止などの行動制限、政党助成金や次に述べる供託金制度の問題点、等々。それらの弊害を除去する方が優先です。その後で、被選挙権の年齢制限についても見直せば良いと思います。
但し、容疑者の主張するもう一つの論点である供託金の廃止については、私も常日頃からそう思っていたので、こちらは全面的に賛同します。供託金制度が設けられた表向きの理由は、当選を度外視した売名目的による出馬を制限し、候補者乱立を防ぐ為です。しかし、売名行為であるか否かを判断するのは、あくまでも行政ではなく有権者であるべきです。有権者が売名行為だと判断すれば、そんな候補者には投票しなければ良いだけの話です。もし、そんな理由で行政による介入を許してしまえば、売名行為取り締まりの名目で、幾らでも言論弾圧が出来てしまいます。
日本で供託金制度が創設されたのは1925年です。当時、大正デモクラシーの風潮の下で、普通選挙実施を求める運動が盛り上がりました。その中で、国が普通選挙実施と引き換えに、治安維持法とセットで、労働者の政治参加や無産政党の進出を抑える為に、導入されたのが供託金制度です。選挙出馬に際して高額の供託金を用意しなければならなくなった事で、労働者や一般庶民は簡単に出馬出来なくなり、政治が「一部の金持ちの道楽」と化してしまったのです。その結果、ブルジョアジー(資本家階級)や皇族・華族の利害を代弁する政党や政治家だけが幅を利かすようになり、それを暴力で打破しようとする軍部やファシストの台頭を招いてしまったのです。
だから、今でも日本だけが選挙出馬の際に高額の供託金を用意しなければならないのです。こんな国は先進国の中では日本だけです。ドイツやフランス、米国には、そもそも供託金の制度自体がありません。その他の供託金制度のある国でも、用意しなければならない供託金は精々数万円程度です。ところが日本では、国政選挙に出馬するには小選挙区で300万円、比例区になると600万円もの供託金を用意しなければならないのです。
その結果、政治が庶民から縁遠いものとなってしまい、一部の政治屋による道楽と化してしまいました。世襲候補やタレント候補が、企業や労働組合などの組織票や、宗教団体の動員票、実際は有権者の3割程度しかいないとされる岩盤支持層の票だけで、楽々と当選できるようになってしまいました。
その典型が先の参院東京選挙区における生稲晃子の当選です。元おニャン子クラブの知名度だけで、政治の事は何も知らない生稲晃子が、何故、参院東京選挙区で大量得票出来たのか?統一教会の支援があったからです。そして、本日投開票される衆院山口2区の補選でも、演説もまともに出来ない岸信千世が、安倍晋三の祖父である岸信介の孫で、安倍晋三からすれば甥に当たるという事で、それを家系図にして、わざわざ選挙ポスターに掲げて、安倍晋三の弔い合戦で逃げ切ろうと目論んでいるのです。
高額の供託金制度がある為に、一般庶民が政治から排除される一方で、世襲候補やタレント候補は、たとえ供託金制度があっても、金に物を言わせてバカでもチョンでも当選できてしまうのです。これでは選挙の投票率が年々低下するのも当然です。本当に投票率を上げたいのなら、有権者に投票を呼び掛けるより先に、政治参加を阻んでいる障害を除去すべきです。供託金制度は売名防止の為ではなく、一般庶民の政治参加を阻止する為にあるのです。こんな制度は百害あって一利なしです。だから、たとえ首相狙撃の容疑者でも、言っている事はその通りなのでフォローする事にしました。
しかし、これは容疑者の行動を肯定する事を意味しません。供託金廃止の主張を考慮しても、容疑者の行動には謎が多いです。例えば、供託金廃止の違憲訴訟を、弁護士も雇わずに本人訴訟で進めようとした点について、私は全く理解出来ません。素人が弁護士も雇わずに国家権力相手に裁判やって勝てる訳がないでしょう。そんな事するぐらいなら、既に供託金廃止を求めて違憲訴訟を進めている弁護士の方々もおられるのですから(例えばこちらの団体など)、その方の支援をする方がはるかに現実的です。
また、いきなり高額の供託金を用意しなければならない国政選挙に出馬するのではなく、少額の供託金(15万円)で済む市町村議選からスタートして、そこで政治家としての経験を積み、人脈を培いながら、やがて国政進出を目指した方が、はるかに現実的です。地方の中には、過疎化で議員の成り手がおらずに、無投票当選を繰り返している市町村も少なくないのですから。身近な地方の課題も解決出来ずに、国政の課題を解決出来る訳がない。
以上述べたように、容疑者の行動にはいまだに謎が多いです。容疑者の主張についても、賛同出来ない点は少なくありません。これらの疑問点については、容疑者が弁護士と接見を果たし、黙秘を解いて口を開き、裁判で真実が明らかになるに連れて、徐々に解明されていくでしょう。それでも、供託金廃止の主張については、私もその通りだと思います。その法律の不備を何も批判しなかった者に、容疑者を非難する資格はないと考えます。
JR名松線の旅について、投稿字数の制約もあり、前回は割と硬派(政治的)な切り口での紹介となってしまいました。そこで、今回はもう少し旅先の風景やエピソードについても織り交ぜて書く事にします。
そもそも、私が名松線に乗ろうと思ったのは、大阪からも近く、一泊二日もあればあちこち回れると思ったからです。それに、旅館に泊まればお風呂にも入れてゆっくりくつろげると思ったからです。ワンルームのユニットバスではゆったり足も伸ばせませんから。
だから、最初はそんなに期待していませんでした。とりあえず近鉄難波から賢島行きの特急に乗り、松阪で降りたらもうお昼時だったので、「名物の松阪肉でも食べようか、でも一体どこの店がお勧めかもさっぱり分からない、一流のレストランは高そうだし、もう面倒なので駅弁で済ましちゃえ」と、駅の売店で「モー太郎弁当」を買って食べました。
「モー太郎弁当」は松阪牛の牛丼弁当です。松阪牛の肉なので吉野家の牛丼とは味が全然違いました。でも、たったこれだけの量で1700円はないでしょう。いくら松阪牛とは言え、所詮は牛丼でしかないのに、そんなものに何故2千円近くも出さなければならないのか?おまけに雨も降って来ました。「天気予報では曇りのち晴れと言っていたのに。もう今日は乗り鉄だけにして撮り鉄は明日に回そう」。そんな感じで名松線のディーゼルカーに飛び乗りました。
たった1両のディーゼルカーです。超赤字ローカル線と聞いていたので、人っ子一人いないガラガラな車内を想像していましたが、10人ほどの乗客が乗っていたので安心しました。でも、途中駅での乗り降りはほとんどなく、大半の人が撮影に興じていたので、鉄道ファンでどうにか持っている鉄道である事を思い知らされました。
ところが、終点の伊勢奥津駅に着いて、駅の隣にある「ひだまり」という観光施設に立ち寄った事で、私の名松線に対する認識はガラッと変わりました。この施設は小さな道の駅に喫茶店を引っ付けたようなお店で、観光案内所も兼ねています。土産物や鉄道グッズも売っていましたが、その価格が結構良心的なのです。地元産の食材を使った炊き込みご飯が何と400円!先程のモー太郎弁当とは大違いです。確かに弁当の中身は地味ですが、こんな値段で美味しい弁当がいただけるなら御の字です。(弁当自体はごくありふれた炊き込みご飯だったので写真は撮りませんでした。今となっては悔やまれます)
それ以外にも、2時間に1本しか列車が来ないダイヤの中で、次の列車に間に合わないからと、コーヒーを残して立ち去ろうとした私に対して、「蓋をすれば列車の中でも飲めるよ」と、わざわざ蓋をして私の所に持って来てくれたり。翌日も、無料で電動自転車を貸していただき、アップダウンのきつい坂や、場所によっては45度の傾斜のある急な坂道でも、比較的楽に絶景スポットにたどり着く事が出来たり。(レンタサイクル以外にコミュニティバスの便もあり)
翌日は天気も回復したので、伊勢奥津周辺の「のれん街」(宿場町の跡)や、そこから約2キロ先にあるミツマタ群生地、さらにその3キロ先にある三多気の桜を見に行きました。2時間おきにしか列車が来ない山間部でこれだけ回れたのも、「ひだまり」の電動自転車があればこそです。あいにくソメイヨシノの桜は散ってしまいましたが、遅咲きの山桜はまだ見頃の最中でした。ミツマタは枝の先が3つに分かれているからその名が付き、昔から和紙の原料として重宝されて来ました。これも名松線に乗りに来て初めて知った事です。
本当は名松線の車窓から撮影するだけでなく、絶景スポットを背に走る列車も撮りたかったです。でも、2時間おきにしか来ない列車をずっと待っていたら、もう他はどこも回る事が出来ません。秘境駅の伊勢鎌倉駅や、ミツマタの咲き誇る比津駅、白山高校のある家城の街並みも散策したかったのに。
でも、たった2時間に1本のダイヤでは、どこも回る事が出来ません。おまけに片道切符しか売ってくれない。私鉄なら大抵どこでも売っている1日フリー切符もない。これでは途中下車して周遊しようと思っても無理です。JRは「鉄道離れが進んだからダイヤを削減した」と言います。確かにそれも間違いではありません。しかし、逆に「ダイヤ削減が鉄道離れをさらに促進した」とも言えるのではないでしょうか。これがせめて1時間に1本のダイヤなら、もっと乗る人は増えると思います。
伊勢奥津の宿場町を再生して、松阪だけでなく伊勢奥津でも泊まれるようにすれば、もっと人は来るのではないでしょうか。一泊数万円もするバカ高い美杉リゾートには泊まれない人も、リーズナブルな民宿には泊まれるかも知れない。さらに、伊勢奥津から名張までバスで通えるようにすれば、赤目四十八滝にも立ち寄れるようになり、近鉄もJRも客が増えるのに、なぜそれをしようとしないのか?
それでも鉄道の赤字は解消しないかも知れません。でも、周囲にこれだけ絶景スポットが散在し、住民も行政も鉄道存続を願っているのに、JRが赤字を口実に、仕事を「手抜き」して良いのでしょうか?もう少しダイヤを増やせば、もっと乗る人が増えるのが分かっているのに、自分たちの都合だけで、不便な「手抜き」ダイヤで「渋々」列車を走らせている。心の中では「早く廃線になればよい」と願いながら。
そのくせラッシュアワーのない日曜日も2両編成のディーゼルカーを走らせたり。赤字解消を口実に、2時間おきにしか列車が走らない、不便なダイヤを沿線住民に押し付けておきながら、逆にこんなムダな事して。まともに仕事する気がないのでしょう。惰性で仕事をしているから、こんな事になるのです。
これ、商売人としてどうなんですかね?昔よりはだいぶ減ったとは言え、その商品を買いたいという人がまだいる。商品の味を改善して値段も下げれば、買いたいという人が増えるのも分かっている。でも、儲けにならないから本当は切り捨てたい。しかし、それを言っちゃうと叱られるので、渋々まずい商品を高い値段で売り続けている。これでは「プロとして失格」じゃないですか。
確かに商売ですから、採算が取れなければ話になりません。それは分かります。でも、商売ってそれだけではないでしょう。その商品を買ってくれる人がいる限り、何とか商品を作り続けようとするのが、「プロの意地」ではないでしょうか?その為の業務改善でありムダ削減であるはずなのに。
鉄道がないと困る人がいる。行政も鉄道存続を望み、支援策を講じている。その中で、JRだけが「儲けにならないから」と、「手抜き仕事」に甘んじている。そんな商売人なら、「最初から商売なんてやるなよ。客はただの金づるじゃないぞ」と言いたくなります。親方日の丸の上にあぐらをかいて、ブラック企業みたいな行いを今後も続けるなら、経営陣を総入れ替えして、やる気のある人に仕事を任せるしかない。それを行政も「上下分離方式」「公設民営方式」でバックアップすれば良いのではないでしょうか。今回も「政治的」な記事になってしまいました。私としてはごく当たり前な事を書いているつもりなんですが。
最後に、私が伊勢奥津駅の駅ノートに書いた文章を紹介して締めくくります。この文章は後でJR東海にも当社ホームページから要望として上げました。
JR名松線を愛し、存続を願うからこそ、敢えて苦言を申し上げます。
本当に存続を願うなら、
・1日フリー切符ぐらい発行して下さい。
・SLやお座敷列車の運行ぐらいやって下さい。
・前日に60人以上もの乗客を単行1両のディーゼルカーですし詰めにしながら、翌日の日曜に通学の高校生もいないガラガラの車内に、わずか12人ほどしか乗客がいないのに、2両で運行するようなアンバランスな事をしないで下さい。
これでは折角、高校生が頑張って廃線反対の署名を集め、行政も主要駅に観光ポスター張って鉄道存続に向けて頑張っているのに、肝心のJRが何もしないのでは、誰も乗りに来てくれなくなりますよ、
ダイヤ大削減の裏でイベント列車の運行にばかり力を入れる地方ローカル私鉄や第三セクターの今の姿が良いとは私も決して思っていません。
また、高速道路や新幹線にばかり予算をつぎ込み、少子高齢化や過疎化に有効な手を打てず、農林業切り捨てで地方衰退に拍車をかける今の政権の責任を免罪するものでもありません。
でも、肝心のJRに鉄道を守ろうという気が全く見られないのでは、やがてはこの名松線にも、誰も乗りに来なくなりますよ。今こそJRの奮起を望みます。
JRは一体誰の為に仕事をしているのでしょうか?