この前の日曜日に、私の住んでいる大阪・高石の母親大会に行ってきました。
母親大会というのは、戦後の原水禁署名運動を担ったお母さん方が、その後もそれぞれの地域で、平和や子育ての問題に取り組み交流する場として始まったものです。この高石でも、1957年に最初の大会が開催された後、長い間活動が滞っていましたが、 88年以降は再び毎年開かれるようになりました。大会で取り上げられるテーマも、子育てや教育、食の安全から、原発の放射能汚染や格差問題、戦争法廃止の署名まで多岐に渡ります。それらのテーマについて、講師を呼んで学習会を開いたり、その後の交流会で地域の問題を話し合ったりしています。女性だけでなく男性も、誰でも自由に参加できます。私も、数年前にたまたま参加したのが縁で、毎年招待されるようになりました。
今年は、「世界中のママの願い どの国の子も誰の子どもも殺させない」と題して、大阪在住のフリー・ジャーナリストで「イラクの子どもを救う会」代表の西谷文和さんをお呼びして、中東で紛争の続いているイラクやシリアの現状について、お聞きする事になりました。
大会は午後1時きっかりに、高石のデージードーム(コミュニティセンター)2階のホールで始まりました。まず最初に、お母さん方のコーラスがあり、大会構成団体の一つ、新婦人(新日本婦人の会)高石支部会長の船冨さん(私に招待状を送って下さった方です(^^)v)や、阪口新六・高石市長のあいさつの後、1時半から西谷さんの講演が始まりました。
西谷さんの講演は、シリア内戦の激戦地の一つ、アレッポに潜入取材した話から始まりました。シリアというのは中東のトルコの南にある国で、周囲にはイスラエルやイラクがあります。古代文明発祥の地の一つで、古くから多くの民族が行き交った土地です。(左上の地図参照)
ここで注目して欲しいのが地図上の国境線です。シリアやイラクの南側の国境線が、まるで定規で引いた様に真っすぐなのが地図でも分かります。何故こんなに真っすぐなのか?一つには、南側は砂漠地帯で人がほとんど住んでいないからですが、理由はそれだけではありません。ここの地域一帯は、元々オスマントルコ帝国の領土でした。ところが、オスマントルコが第一次大戦でドイツ側に付いて戦争で負けた為に、戦勝国のイギリスやフランスに分割され、それぞれの植民地にされてしまったのです。
しかも、イギリスやフランスはずるい事に、戦争を有利に進める為に、そこに住んでいるアラブ人やユダヤ人には「戦争に協力したら独立を認めてやる」と言っておきながら、戦争が終わった途端に、その約束を反故にしてしまったのです。今のパレスチナとイスラエルの対立も、元をたどれば、このイギリスやフランスの身勝手な態度によって引き起こされた物です。
国境線が真っすぐなのは、この為ですが、問題はそれだけに留まりません。先述した様に、この地域には、アラブ人やイスラム教徒だけでなく、ユダヤ人やクルド人、キリスト教徒やユダヤ教徒など、様々な民族や宗教が混在しています。その中で、イギリスやフランスは、地域の住民が団結して独立運動を起こさない様に、それぞれの民族や宗派の対立を煽ったのです。シリアでも、少数派のアラウィー教徒(イスラム教の一派)を優遇し手なずける事で、多数派のイスラム教スンニー派の人々を支配して来ました。それが独立後の現在も尾を引いているのです。
数年前に、アラブ諸国を席巻した民主化運動の波(いわゆる「アラブの春」)が、シリアにも及んできました。この時に、シリアのアサド独裁政権は、民主化を要求するデモ隊に、徹底した弾圧を加えました。非暴力のデモを行う自国民のデモ隊に、機銃掃射だけでなくミサイル攻撃まで加えて、住宅地ごと爆撃したのです。何故アサド大統領がそこまで残虐になれるのか?それは、アサド自身が代々世襲の少数派アラウィー教徒出身の大統領なので、負けたら自分も同じ目に遭うのが分かっているからです。(右上の説明参照)
こんな弾圧が加えられたら、当然、反政府側も狂暴化します。そこに石油などの利権を巡る周辺国や大国の思惑が絡みます。シリアと仲が良かったイランやロシアはアサド政権を支援し、仲が悪かったイギリスやフランス、アメリカは反政府勢力を支援します。武器も流れ込みます。その中から、より過激なIS(イスラム国)が生まれ、政府軍だけでなく従来の反政府勢力の自由シリア軍まで追い出して、支配地域を拡大するようになったのです。狂暴化したISは、もはやアメリカの言う事も聞かなくなりました。そこで、今頃になって「テロとの戦い」と称して、日本も憲法9条を改正してIS掃討作戦に参加するよう要求してきているのです。
大国が資源目当てに途上国の紛争に介入し、自国の都合だけで独裁政権や反政府ゲリラを支援し、余計に紛争をこじらせ逆に民主化を遅らせてしまう。これは、アフリカの内戦が、携帯電話の材料となるレアメタルの争奪戦として長期化する構図ともよく似ています。その結果、いつも犠牲になるのは民衆です。シリア北部の内戦激戦地アレッポでは、政府軍が市内中心部の城砦(じょうさい)に閉じこもり、市内を制圧する反政府軍が城砦を攻撃しました。地上戦では政府軍が劣勢ですが、逆に制空権は政府軍が抑えており、反政府軍は、南方の首都ダマスカスの方から飛んでくる政府軍のミグ戦闘機の空爆に晒されています。
イブラヒームさん(当時26歳)は、2015年にアレッポで、バイクで走行中にロシア軍機の空爆に遭いました。爆弾がバイクに命中し、ガソリンに引火してイブラヒームさんは全身に大火傷を負い、左目は完全に失明し、右目だけがかろうじて見えます。国際社会からの支援で、何とかトルコで火傷と目の手術を受ける事が出来るようになりました。(左上写真)
リムさん(当時12歳)は、2012年にシリア・トルコ国境の町で、アサド政府軍の空爆に遭いました。リムさんも顔に大火傷を負い、喉に穴が開いて、指で喉を抑えなければ喋れない身体になってしまいました。お尻の皮膚を顔に移植して火傷を治す手術を受けていますが、栄養失調の為に、いくらお尻の皮膚を移植しても全然治りません。彼女は今、弟と共に、トルコ南部のガシアンテップという町で、トルコ人から身を隠すようにして難民生活を送っています。(右上写真)
大国が資源利権目当てに地域紛争や革命に介入し、自国の都合で独裁政権や反政府勢力を支援する。その中で、独裁政権も反政府勢力も増長し、更に狂暴化していく。最初は革命の理想に燃えていた反政府勢力も、長年に渡る民族・宗派間の対立の中で、次第に野盗化し統制が取れなくなる。その中から、更に新たな反政府勢力が生まれ、政府軍も旧来の反政府勢力も駆逐していく。その新たな反政府勢力が、アフガニスタンのタリバンや、イラク・シリアで生まれたアルカイダやIS(イスラム国)なのです。
つまり、タリバンやアルカイダ、ISも、アフガニスタン戦争やイラク戦争などの、大国による干渉・侵略戦争が生み出したものなのです。そして、地域紛争の基になった民族・宗派間の対立も、大国が植民地支配の中で、住民が独立運動に結集して自分たちに刃向かって来ないように、互いにいがみ合わせ反目させ合う中で、広がって来たものなのです。
このイラク・シリアでは、既に少なくない日本人が犠牲になっています。2004年にイラクの武装勢力に拉致された高遠菜穂子さん、同じ年にイラクのアルカイダに殺された香田証生さん、2012年にシリア政府軍に殺された山本美香さん、2015年1月にISに殺された後藤さん・湯川さん、いまだに行方が知れない安田純平さん等、主な方だけでも既に6名に上ります。
そのほとんどの方が、当地で人道支援や報道活動に従事中に、政府軍や反政府勢力に拉致されました。助かったのは高遠菜穂子さんだけです。この時、政府は何をしたか。高遠菜穂子さんに対して、当時の小泉首相は「勝手にイラクに渡航した当人の自己責任」と言ってのけました。自分たちは、米国の尻馬に乗って自衛隊のイラク派兵に汲々とするばかりで、イラク民衆の事なぞ全然眼中になかったくせに。後の山本美香さんや後藤さん・湯川さん・安田さんに対しても、「テロリストと戦う振りをするだけ」で、実際の救援活動は何もしませんでした。それどころか、常岡さん等の民間人の救援の動きを「テロの手先」呼ばわりして、妨害する事までやってのけました。
2015年1月に、フランスの首都パリにある新聞社シャルリー・エブドが、ISのテロリストに襲われ、17名もの犠牲者が出ました。この新聞社がイスラム教の教祖ムハンマドを皮肉る風刺画を掲載したのが、テロリストの逆鱗(げきりん)に触れたのです。この事件を契機に、フランス全土でテロに反対するデモが広がりました。デモでは、「決してシャルリー・エブドを孤立させてはいけない、断固として表現の自由をテロリストから守り抜く」との願いを込め、「私はシャルリー」のスローガンが唱和されました。
この時に、日本も含む40か国の首脳がデモの先頭に立ちました。左の写真にも、ドイツのメルケル首相がフランスのオランド大統領と腕を組み、颯爽(さっそう)と行進する姿が映っています。
ところが、この首脳のデモ参加そのものがヤラセであった事が、後に明らかになりました。右がその写真です。それを見ると、40か国の首脳は別にデモの先頭に立っていた訳ではなく、デモとは別の所で、警備員に後ろを守られながらゾロゾロと歩いていたに過ぎなかったのです。
何故こんな事が起こったのか?西谷さんは、「それは西側首脳が、フランスのIS空爆を延長させるために仕組んだ猿芝居に過ぎない」と断じていました。
フランスの憲法では、軍隊を海外に派兵させる為には、4か月ごとに議会の承認を得なければならない規定になっています。フランスが最初にISへの空爆を開始したのが2014年9月。その4か月後の期限が2015年の1月だったのです。
当時のフランス世論はIS空爆に批判的でした。軍備にばかり金をつぎ込み国民生活を顧みないオランド政権に、国民は愛想を尽かし始めていました。そこに降って湧いたように、シャルリー・エブド事件が起こり、フランスは空爆賛成一色になりました。政権支持率は急上昇し、空爆延長決議が賛成488票、反対1票、棄権12票の圧倒的多数で、国会を通過してしまいました。
その後で、40か国首脳のデモ参加が、完全なヤラセである事が発覚したのです。でも、いくら発覚しても、もう後の祭りです。空爆は延長されてしまったのですから。
いつも戦争は、このように謀略で始まります。戦前の満州事変も戦後のベトナム戦争も、全てこのような謀略によって始まりました。90年代の湾岸戦争も、クウェートを侵略したイラク兵が病院の赤ん坊を皆殺しにしているとの、在米クウェート大使の娘の涙の証言で始まりました。しかし、後にこの娘の証言自体がでっち上げだった事が明らかになります。くだんの娘は、アメリカから一歩も外に出た事が無かったのです。
イラク戦争も、フセインが隠し持っていた大量破壊兵器の嘘で始まりました。しかし、その戦争の発端になった大領破壊兵器は、いまだに見つかっていません。もうフセイン政権が打倒されて何年にもなるのに。
でも、世間は、もうすっかりそんな事は忘れてしまっています。それは、政府が国民にそう仕向けているからです。甘利大臣のスキャンダルも清原の麻薬報道で押し流し、川内(せんだい)や伊方の原発再稼働もベッキーの不倫報道で押し流し。そうして、どうでも良いニュースばかり流して、肝心な事は全然報道しようとはしない。まれに報道しようとしても、政府や右翼が陰で圧力をかけて、特定の番組やキャスター個人を狙い撃ちするような事が続いています。
今、政府は盛んに中国や北朝鮮の脅威を煽る事で、何とか日本も憲法を改正して「大国の利権争い」に加われるようにしようと画策しています。ところが、実際に自衛隊が派遣されるのは、朝鮮半島でも南シナ海でもありません。中東やアフリカの戦場です。何の事は無い。大国の尻ぬぐいをさせられようとしているだけじゃないですか。そうして、他国の紛争に介入した挙句、政府側からも反政府側からも恨まれるようになる。もう「踏んだり蹴ったり」です。今、自衛隊がPKO部隊を派遣しているアフリカの南スーダンなんて、正にそんな戦場でしょう。だって、南スーダンPKOで自衛隊が警護しようとしている相手こそ、何を隠そう、尖閣の領土問題で対立しているはずの中国軍なのですから。大国が資源目当てに途上国の紛争に介入しようとしているのは、アメリカも日本も中国も、皆同じです。
第一、そんなに北朝鮮が怖いなら、何故、北朝鮮に狙ってくださいと言わんばかりに、日本海側に原発を乱立させるのか?飛んでくるか来ないか分からない北朝鮮のミサイルよりも、地震や津波が起これば確実に福島のようになる原発の方が、数倍も恐ろしいにも関わらず。
そんな政府の嘘に騙されてはいけない。
「今後ますます社会が高齢化、少子化に向かう中で、消費税増税は仕方ない」と言いながら、増税分は福祉には全然回らず、全て法人税の減税に化けてしまっている。そうやって、大企業をしこたま儲けさせても、内部留保でため込む一方で、賃上げや労働条件改善には全然反映されない。「大企業に課税したら海外に逃げる」と庶民を脅しつけながら、実際はタックス・ヘイブン(海外の租税回避地)への税逃れも全て黙認。生活保護の不正受給や老人の病院通いの回数ばかりあげつらって、それとは比べ物にならない政治家の白紙領収書や、パナマ文書で明らかになった大金持ちの税逃れについては、ほとんど何も追及されない。
日本人はシリア・イラクや北朝鮮の事を世襲の独裁国家だと言ってバカにするが、今や日本も、大政党に有利な小選挙区制の下で、世襲政治がはびこるようになった。麻生も安倍も世襲政治家じゃないか。1発数千万円もするトマホークや、1機65億円もするオスプレイを買うのを止めて、その浮いた金で海外の人道支援NGOを助けたり、半ばサラ金と化した奨学金制度を元の正常な姿に戻させ、最低賃金を引き上げれば、戦争も独裁も貧困も全て解消に向かうのに、何故それをしないのか。そんな事ハナから無理だと、諦めさせられているからだ。かつての戦争の嘘を、決して忘れない事。もう二度と、そんな嘘には騙されない事。そして、決して諦めない事。この三つの事が大事だ・・・と、西谷さんは仰っていました。
この講演の後、質疑応答と休憩を経て、午後3時からは地域の交流会に移りました。高石の阪口市長は、平和問題については、この講演にも駆けつけて下さったりしているのですが、その一方で、公立保育園や幼稚園の統合・民営化を強引に進めようとしています。それに反対して、署名活動などに取り組む若いお母さん方の取り組みが、そこで紹介されました。なるほど。だから、阪口市長は最初のあいさつだけして、すぐに帰ったのかと、妙に納得。その他にも、学校の定期考査に加え、文部省の全国学力テストに大阪府独自のチャレンジテストと、小・中学校の教育がテスト漬けになってしまっている事などについても議論されました。そして最後に、「私たちが安心して生きられる社会を、子どもが安心して生きられる社会を目指して力を合わせましょう」と結んだ大会宣言を承認して、散会となりました。
(巻頭言)
ブログ開設宣言 2006年08月31日 23時03分08秒 | 当ブログと私の生い立ち
(前略)
911テロと北朝鮮・拉致問題によって、日本も世界も変わりました。
「テロとの戦い」という事で、アメリカは一方的にアフガニスタンやイラクに攻め込み、民間軍事会社を使って多数の市民を令状もなしに拘束・虐待しています。
日本でも、「北朝鮮のテロと戦う」という口実の下で、改憲・有事法制や海外派兵が声高に唱えられ、「過去の戦争・植民地支配は正しかった」「日の丸・君が代を尊重するのは当たり前」という風潮が広まっています。
その右傾化の風潮の陰で、労働者の権利は切り縮められ、正社員は派遣・請負などのアウトソーシングに置き換えられ、失業・過労死・自殺が増えています。弱肉強食の格差社会の下で、「失業者はイラクへ行け」で最後には徴兵制など、真っ平ゴメンです。
その一方、北朝鮮では、金正日体制の下で人権侵害や食糧飢餓が広まり、多くの人々が中国・韓国に脱北を図っています。中国でも、「世界の工場」の美名の下で、低賃金労働者が外資系の「スウェット・ショップ」でこき使われています。
拉致問題にもイラク戦争やリストラ問題にも心を寄せる事の出来る感性を磨く事、日本・北朝鮮・中国・アフガン・イラク民衆の、「どれかを生かすために他方を切り捨てる」のではなく、共に人権を享受出来る道を探る事こそが、今求められているのではないでしょうか。
アフガン・イラク戦争も金正日もNO!
搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!
アフガン・イラク戦争や米国の一国覇権主義に反対し、北朝鮮や中国の人権抑圧を終わらせ、『平和・民主・人権の東北アジア』を実現するにはどうすれば良いか、一緒に考えていきたい―これが、当ブログが追求しているテーマです。(後略)
(人気記事トップ10)
第1位
反原連のネトウヨ・封建オヤジ体質
2012年08月25日 07時10分34秒 | 福島原発震災・脱原発 B!5 イイネ!89
反原連(首都圏反原発連合)が毎週金曜日に首相官邸前で行ってきた反原発デモ。大飯原発再稼働反対に的を絞った素人同然のデモが、当初の数百人から今や十数万人を集めるまでに成長し、とうとう野田首相と会見を行うまでになった。その一方で、日の丸を黙認しながら労働組合の旗は下せと言ったり、デモ参加者から逮捕者が出ても選り好みしてまともに救援に取り組まなかったりなど、反原連幹部の恣意的な発言や行動も目につくようになった。
(中略)
そんな折り、「週刊ポスト」8月31日号に反原連幹部の一人Misao Redwolf(ミサオ・レッドウルフ)氏の単独インタビュー記事が載った。自由報道協会代表の上杉隆氏によるインタビュー記事だが、その内容を見て驚いた。記事の中で展開されているミサオ氏の価値観が、まるでネトウヨや橋下・石原のそれと瓜二つだったからだ。主張こそ、前者の反(脱)原発に対して後者は新自由主義者や右翼で原発・核武装にも賛成(容認)と違うものの、その論理展開の仕方が余りにも似通っている事に今更ながら呆然とした。以下、記事の中から幾つか特徴的な箇所を抜き書きする。文中の「上」が上杉隆氏、「M」がミサオ氏の発言である。(後略)
第2位
高野山を再び戦争の基地にするな!
2014年09月11日 06時07分24秒 反ヘイト・ネオナチ B!2 イイネ!69
安倍が祝辞を送ったA級戦犯の慰霊碑が高野山の奥の院にあると聞き、先日の公休日に早速行楽がてら見て来ました。
まずは、2014年8月27日付朝日新聞の関連記事「首相、A級戦犯ら法要に哀悼メッセージ「祖国の礎に」」から引用します。
(中略)
その戦犯慰霊碑(昭和殉難者法務死追悼碑)が上記の写真です。高野山奥の院の中ほどにある「英霊殿」という施設の隣にあります。通常の参拝路入口「一の橋」よりも終点の「奥の院前」バス停で降りて裏参道から入る方が近道です。
慰霊碑には建立の由来なども書かれているのですが、昔の文章で今の私には一体何が書いてあるか理解できないので、前述「追悼碑を守る会」のホームページに載っていた2004(平成16)年の式典挨拶から、その由来について言及された部分を次に引用します。
(中略)
この挨拶の内容を要約すると、おおよそ次のようになるのではないでしょうか。
「ここに眠る英霊たちは、祖国を守る一心で自らの命を投げ打ったのに、戦争に負けたとたんに、一方的に戦争犯罪人にされ、濡れ衣の罪を着せられて殺された。でも、その尊い犠牲のおかげで、アジア諸国は欧米の植民地支配から解放され、戦後日本も経済大国としてよみがえる事が出来たのだ。皆も、この英霊のおかげで今あるのだから、ずっとこの英霊たちを弔わなければならない」と。
でも、おかしいとは思いませんか?そんなに「アジアを欧米の植民地支配から解放した」と言うなら、何故、その前に、日本の植民地だった台湾や朝鮮の独立を認めなかったのですか?何故、「日本は植民地統治で良い事もした」とか、「当時アジアを植民地支配していたのは日本だけではなかった」とか、言い訳ばかりするのですか?言い訳なぞせずに、「まずは隗(かい)より始めよ」で、自分から解放の模範を示せば良かったのではありませんか。なのに「日本は良い事もした」「当時は他国も植民地支配していたではないか」とか。こんな物は「他にも強盗(侵略や植民地支配)している奴が一杯いるのに俺もして何が悪い」という「居直り強盗」の屁理屈でしかない。(後略)
第3位
夏!脱原発 !! ゲバラと君が代 !!! サウンドデモ参加報告
2011年08月01日 07時05分08秒 | 福島原発震災・脱原発 B!30 イイネ!63
先日告知していた上記7月31日大阪の脱原発集会・デモに行って来た。「ナツダツゲンパツ」と銘打ったこの企画は、「せっかくの夏なのに、海も山も食べ物・飲み物も放射能に汚染されてしまって、何処にも行けねえ・何も食えねえ!」「このまま黙っていていいのか!個人でも何か出来る事はあるだろう!」とのノリで、個人でも気軽に参加できるカーニバル形式の、歌と踊りの集会・サウンドデモとして取り組まれたものだ。
(中略)
いよいよゴールの難波に入る手前で一悶着あった。街宣トラックの音楽が、いつの間にかロック調から河内音頭に変わったと思ったら、今度はやにわに「君が代」を流し始めた。シュプレヒコールも、今までの「原発やめろ、東電は嘘をつくな」から、「私たちは右でも左でもない只の普通の市民です」「右の人も左の人も反原発の人は是非デモに参加を」「君が代を(強制ではなく)普通に歌わせろ」「私たちはこの国が好きなんだ」というものに代わっていた。それに反発したデモ参加者の一人が主催者に食ってかかっていたのだ。
私はその場面を見て複雑な気持ちになった。デモ主催者の言いたい事も分かる。一旦原発で大事故が起これば国民全員が被曝してしまう。そうなれば右も左も、原発推進派も反対派もないだろう。国を愛するという事は、何も時の権力や体制に媚びへつらう事ではない。寧ろ愛するが故に反体制の立場に立つ事だってある筈だ。恐らくそう言いたいのだろう。
でも、ちょっと待って欲しい。これが政治とは全く無関係のワールドカップの応援なら、私は何も言わない。でも、仮にも脱拝金(それはアンチ弱肉強食という事で脱資本主義・反帝国主義にも繋がる)や戦争反対、路上解放(表現の自由)を掲げてデモしているのだろう。そのデモが、実際に戦前の日本で、「蟹工船」「女工哀史」の搾取に支えられ、台湾・朝鮮・中国侵略の精神的支柱となり、戦争反対の声もパーマネントの自由も押し潰し、天皇の為に死ぬ事を特攻隊員に求め、彼らから生きる権利まで奪った「君が代」を、無批判に賛美して良いのか。デモ主催者・参加者には在日三世や台湾のカップルもいた訳だろう。その人たちが「君が代」を聞かされてどう思うか、デモ主催者は考えなかったのだろうか。(後略)
第4位
曽我村長こそ真の愛国者 エセ愛国のクズ橋下こそが非国民
2012年06月17日 20時24分12秒 | 反ハシズム・弱い者虐め イイネ!41
長野県の伊那谷に中川村という人口5千人余りの村があります。今年2月に村ぐるみで反TPPデモに取り組み、ネットでも話題になった所です。そこの村長、曽我さんという方ですが、この6月に村議会で、「国旗掲揚の際に何故礼をしないのか」と質問されて、こう答弁したそうです。
(中略)
せっかく今の憲法で平和や人権の理想を掲げながら、現実にはそれを踏みにじるような政治ばかり行われてきた為に、せっかくの理想も画餅に終わってしまっている。そのくせ、自分たちの不作為を棚に上げて、国民にばかり愛国心や誇りを持てと「日の丸・君が代」を強制してくる。
これでは本末転倒じゃないか。本当に国民に愛国心や誇りを持ってほしいと思うのであれば、「日の丸・君が代」を強制する前に、憲法の理想実現めざして努力するのが筋じゃないか・・・。
まことに格調の高い、堂々とした答弁ではありませんか。私は寧ろ、この様な答弁を堂々と述べる事が出来る曽我村長こそが真の愛国者であり、それを攻撃する石原・橋下やその他の保守改憲派こそよっぽど「反日」「非国民」ではないかと思いますね。(後略)
第5位
右翼系教科書のトンデモぶりを改めて思い知らされた
2015年06月03日 19時32分05秒 | バカウヨ・アホノミクス批判 B!25 イイネ!26
ひょうんな事から、大阪市教委が、市内のいくつかの図書館や区役所で、来年度に使用する学校教科書の展示会を開催中である事を知りました。開催期間は6月初めから7月中頃まで。開催場所など詳しい事は、「「つくる会」系教科書を子どもたちに渡さないために!」というブログの、次の記事を参照して下さい。
(中略)
早速私も、今日の公休日に、大阪市内の西長堀にある市立中央図書館に行って来ました。教科書展示コーナーは1階の受付横にあり、小・中・高の主要科目の教科書が開架棚に並んでいました。そこには、右翼団体「新しい歴史教科書をつくる会」(略称:つくる会)系出版社2社のうちの、育鵬(いくほう)社版はなく自由社版だけがあったので、自由社の「新版 中学社会 新しい歴史教科書」を手に取り、幕末の頃から現代の項目を中心に、ざっと目を通しました。
その自由社版教科書の感想ですが、余りの酷さに今更ながら驚きました。もうアホらしくて何も書く気が起らなかったぐらいです。(後略)
第6位
拡散:アベ政治を許さない!!7月18日(土)午後1時きっかりに同じポスターを全国一斉に掲げよう
2015年07月10日 21時31分20秒 | 戦争法・集団的自衛権NO! イイネ!35
以下、澤地久枝さんのHPより転載。
(中略)
アベ政治を許さない!!
7月18日(土)午後1時きっかり
同じポスターを全国一斉にかかげよう
(中略)
要するに、7月18日午後1時にみんなで一斉に、「アベ政治を許さない」というポスターを掲げる事で、
(1)普段は集会やデモに参加出来ない人でも、誰でも参加出来る形で意志表明する。
(2)自分自身の意志で掲げる事で、自分達自身の問題である事を明確にする。
(3)ひとりひとりの声は小さくても、それが集まれば大きな力になる事を示す。
(4)それによって、戦争法案の強行採決を阻止する事を目指す。
という事だと思います。
私は、当日は仕事で会社に出勤しますが、多分昼休みの時間帯になると思うので、何とか職場内で会社の目を盗んで掲げたいと思います。
第7位
人権不在の道徳教育なぞクソ食らえ
2014年02月25日 23時28分25秒 | 反改憲・戦争協力 イイネ!24
この4月から小中学校で道徳を正式な教科として教える事になったそうです。それまでも道徳の授業はありましたが、正式な教科として教えられていた訳ではありませんでした。だから正規の検定教科書もなく、「心のノート」という副読本を教科書代わりに使っていただけでした。その4月から使われる「私たちの道徳」という教科書の内容が文部科学省のHPでも公開されていますので、是非ご覧下さい。どれだけ下らない教科書かよく分かります。
もう建前論のオンパレードです。例えば、小学校低学年の最初の単元で、「早寝早起き、朝ごはん」という事が強調されています。確かに「早起きは三文の得」と言います。夜更かしするよりも朝早く起きる方が、頭もシャキッとするし勉強も仕事もはかどります。朝ごはんも欠かさず食べた方が良いに決まっています。でも、今の格差社会の日本では、そんな事が出来る家庭ばかりではないのです。
両親とも共働き、両親とも非正規雇用で、夫婦合わせても年収2~300万円行くか行かないかというカツカツの生活で、場合によっては母子家庭だったり、親が失業中だったり、生活保護受給者だったりで、学資も満足に払えない、学用品も満足に買えない親の子どもが、そんな生活なぞまともに送れる訳がないでしょうが。ひょっとしたら、両親の勤め先がブラック企業で、朝早くから夜遅くまで働かされていて、休日も出勤させられていたとしたらどうでしょう。下手すれば食事する時間すらなかったりする。「一体いつ寝てるの?」という状態の親子に対して、こんな建前論だけを振りかざされても、何の役にも立たないでしょうが。
本当に本心から「早寝早起き、朝ごはん」が大事だと思うのであれば、ブラック企業で酷使されている親やその子供を、更に追いつめるような、こんな虐めみたいな事なぞせずに、ブラック企業的な働き方をなくす事の方が、はるかに実効性があるのではないですか。それこそが真に道徳的な態度ではないでしょうか。(後略)
第8位
参考:赤木智弘「『丸山眞男』をひっぱたきたい」(抄)
2007年02月23日 10時45分02秒 | 反貧困・新自由主義 B!22 イイネ!1
「『丸山眞男』をひっぱたきたい」31歳フリーター。希望は、戦争。(赤木智弘)
(前略)
バブル崩壊以降に社会に出ざるを得なかった私たち世代(以下、ポストバブル世代)の多くは、これからも屈辱を味わいながら生きていく事になるだろう。一方、経済成長著しい時代に生きた世代(以下、経済成長世代)の多くは、我々にバブルの後始末を押付け、これからもぬくぬくと生きていくのだろう。なるほど、これが「平和な社会」か、と嫌みのひとつも言いたくなってくる。
(中略)
不況直後、「ワークシェアリング」などという言葉はあったが、いまだにそれが達成される兆しがないのは、誰も仕事を若者に譲らないし、譲らせようともしないからだ。若者に仕事を譲ろうとすれば、誰かの生活レベルを下げなければならないのだが、それは非常な困難を伴う。持ち家で仲良く暮らしている家族に、「家を売って下さい。離婚してください」とは言えないだろう。一方で最初からシングルでアパート暮らしの若者に、結婚して家を買えるだけの賃金を与えないことは非常に簡単だし、良心もさほど痛まない。だから社会はそれを許容する。
(中略)
若者にしてみれば、非難の対象はまさに左傾勢力が擁護する労働者だ。だから若者たちはネオリベ政府に「労働者の利権を奪い取って、おれたちに分けてくれ」と期待してしまうのだ。小泉前首相が「郵政職員26万人の既得権を守って、何の改革ができるか!」と叫んで若者の支持を集め、衆院選で圧勝したことは記憶に新しい。
確かに、右傾化する若者たちの行動と、彼らが得る利益は反しているように見える。たとえば一時期のホリエモンブームなどは、貧困層に属する若者たちが富裕層を支持するという、極めて矛盾に満ちたものだった。小泉政権は改革と称して格差拡大政策を推し進めたし、安倍政権もその路線を継ぐのは間違いない。それでも若者たちは、小泉・安倍政権に好意的だ。韓国、中国、北朝鮮といったアジア諸国を見下し、日本の軍国化を支持することによって、結果的にこのネオコン・ネオリべ政権を下支えしている。
(中略)
だが私は、若者たちの右傾化はけっして不可解なことではないと思う。極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。多くの若者は、それを望んでいるように思う。(後略)
第9位
戦争を待望するワーキング・プア
2007年02月23日 01時57分36秒 | 反貧困・新自由主義 B!16
雑誌「論座」1月号に掲載された赤木智弘氏の論考『「丸山眞男」をひっぱたきたい』の内容が、ブログ界で話題になっていると言う。何でも、自分自身がワーキング・プア(以下、WPと略す)である事をダシにして、「若者WP切り捨ての上に立つ平和なんてウザイ、いっそのこと戦争でも起こってくれた方が自分たちはのし上がれる」なんて言説を、誌上で展開しているらしい。
そう聞き及び、当該雑誌が手に入らぬまま、氏の主宰する「深夜のシマネコBlog」その他のネット媒体を見ると、やはりそれらしき事が書かれている。何だ結局こいつは、自分自身がWPである事を免罪符に、被害妄想に囚われて、自分より下の弱者を貶めて日頃の鬱憤を晴らしているだけじゃないか。そういう今流行のネットウヨの一種だと思っていた。
そして今日、その当該論考の原文を初めて入手した。そして読んでみて、もっと根深い問題が提起されている事を知った。以下、当該論考の内容について考えてみた。(後略)
第10位
橋下の沖縄レイプ発言を許さない
2016年05月25日 23時35分49秒 | 辺野古・普天間・米軍再編
今日、夕方6時から7時まで、大阪・淀屋橋の米国総領事館前で、沖縄の米兵による女性暴行殺人事件に対する緊急抗議集会が行われ、私も飛び入りで参加してきました。
(中略)
前述したように、私がこの集会に飛び入り参加しようと決断したのは、下記の橋下「風俗活用」発言がきっかけです。
「(以前に)風俗の活用でも検討したらどうだ、と言ってやった。まあこれは言い過ぎたとして発言撤回したけど、やっぱり撤回しない方がよかったかも。きれいごとばかり言わず本気で解決策を考えろ!」
「朝日・毎日新聞をはじめとする自称人権派が米軍基地の存在を問題視している。ちょっと待て。日本人の殺人事件の比率と比較をしたのか。外国人だけと殊更批判するのであれば、自称人権派がいつも叫ぶ移民差別の流れになるぞ」(以上、地元紙・琉球新報の記事から引用)
橋下の事ですから、以前にも言った前段の「風俗活用」発言を公式には撤回した後も、本音では全然反省していないだろうなと思っていましたが、まさか事件発覚後にまた同じような事をツイッターでつぶやくとは思ってもみませんでした。しかも、それに留まらず、沖縄を軍事占領支配した米軍を少数派の移民にすり替え、加害者をまるで被害者であるかのように言い募る厚顔無恥まで、後段でさらけ出してしまっています。
米軍基地のない大阪では想像も出来ないでしょうが、沖縄では毎年のように米兵によるレイプ事件が起こっています。それが米軍占領時代も、沖縄が日本に復帰してからも、ずっと続いて来ました。その中にはもみ消された事件も多い。犯人が米軍基地の中に逃げ込めば、治外法権で日本の警察は手も足も出ないのだから。だから、日本人の犯罪発生率と比較する事自体がそもそも無意味。
このような米軍による事実上の植民地支配の下で、レイプや強盗殺人などの基地犯罪が、構造的・系統的に繰り返されてきたのです。差別されてきたのは一体どっちやねん?米兵ではなく沖縄県民でしょうが!それを、移民差別の問題にすり替え、加害者と被害者の関係を逆転させ、白を黒と言いくるめるような詭弁(きべん)がまず許せません。
そして、「風俗活用」についても、一見高給に釣られて自分から風俗嬢になる事を志望しているように見える女性も、実際は食い詰めた末に、他にまともな就職口がなく、今やデリヘルが「最貧困女子の駆け込み寺、福祉施設」と化してしまっている中では、もはや風俗嬢を選択する他ない現状を、一体どう捉えているのか?
本来なら、そんな事で苦しむ事がないように、貧困や格差問題に取り組むのが政治家の仕事ではないのか。それを、あろう事か、その植民地支配や貧困搾取の上にあぐらをかいて、「代わりに風俗嬢でも当てがって置けば良い」とは、一体何という言い草か。これでは、沖縄が丸ごと橋下にレイプされたようなものじゃないですか。こんな政治家を、演説がうまいとかイケメンだからという理由だけで、大阪の人間はよくも知事や市長にして来たものです。このままでは、大阪府民として沖縄の人々に顔向け出来ません。だから、せめてもの罪滅ぼしに、今日の集会に参加したのです。
以上が、自分のブログの中で、上位10人気にランキングした記事です。自分で言うのも何ですが、昔は「硬派」な記事を一杯書いてきたのですね~。
その一方で、こんな「軟派」な記事も書いています。何の変哲もない地元心霊スポットの探索記事であるにもかかわらず、ランキング順位こそ低いものの、書いた後も数年間に渡ってアクセス数上位を保ち続けた記事です。
番外編
旧生駒トンネルにまつわる怪談話
2007年09月01日 01時19分46秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ イイネ!6
●夏の最後は心霊スポット散策で締めくくり
今日の休みは、心霊スポットとしても有名な旧生駒トンネルを散策してきました。心霊スポットの探索を思い立ったキッカケは、ブログ更新の合間にホンの息抜きで見ていたオカルト・サイトのインターネットです。それで暑気払いを兼ねて、近場でそんなに金もかからず、尚且つ新アフガン板の作風にもマッチした所をという事で選んだのが、この旧生駒トンネル。以前見た映画「パッチギ」第一作に、主人公の日本人高校生が在日の母親から「生駒トンネル誰が掘ったか知っているか!」と言われた場面があったのも思い起こしながら、訪ねる事にしました。(後略)
以上で、この10年間の記事から代表的な物(と自分で勝手に判断した物)を紹介しました。これ以外にも、職場のレポートや自分の日常生活に関する記事もあるのですが、そこまで書いていると、字数が余りにも膨大になるので、今回は割愛します。
我ながら10年間もよく続いたなと思います。それが文章力・表現力の上達となって結実し、プレゼン表彰やサブリーダーへの昇格という形で、仕事にも反映されるようになりました。
その一方で、10年前はイラク反戦や北朝鮮問題など、何だかんだ言ってもまだ自分の生活には直接関係ない事を話題にしていたのが、今や改憲や格差問題、親の介護など、自分に直接関わって来る問題を話題にしなければならなくなった所に、切迫感をひしひしと感じる様になりました。
次の10年後には、自分は一体どうなっているのだろうか?もうブログも自由に書けなくなっているのではないか?それどころか、ひょっとしたら、もうその頃には自分は生きていないのではないか?マジでそう感じるようになりました。そんな事にならないように、これからも出来る限りブログを更新して行こうと思っています。今後とも宜しくお願い申し上げます。
家族という病 (幻冬舎新書) | |
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年寄りほど、「家族愛」や「親子の情」をやたら美化する人が多いように思う。
しかし、家族って、そんなに良いものだろうか。
確かに、サザエさんのような家族も、決して少なくはないだろう。
しかし、それとは正反対の、「姥捨て山」や娘の身売り話も、決して少なくなかったはずだ。
それは何も昔に限った話ではない。
現代の「派遣切り」や過労死も、昔の「女工哀史」や「蟹工船」と全く同じじゃないか。
現代の貧困家庭やDVも、昔の「姥捨て山」や丁稚奉公、娘身売りの悲劇と全く同じじゃないか。
しかも、「家族愛」を美化する年寄りに限って、「派遣切り」等の被害者を「怠け者」と叩く傾向にある。
貧困で進学をあきらめた女子高生に対して、「もっと節約できるじゃないか」「努力が足りない」とか。
ブラック企業でうつ病を発症して生活保護に頼らざるを得なくなった人を、「怠け者」と罵倒したり。
そのくせ、生活保護不正受給の何倍もの年金損失を出した政治家の不始末は、見て見ぬ振り。
労働者を過労死やうつ病発症に追い込んだブラック企業の搾取も、見て見ぬ振り。
何の事は無い。
そんな自分の卑怯さを、「家族愛」や「親子の情」といった美辞麗句で覆い隠し、オナニーにふけっているだけだ。
最近やたら目につくようになった「日本人凄いデスネ」系のテレビ番組と同じように。
数年前にお袋が亡くなってから、親父はささいな事で、私と衝突するようになりました。
衝突のきっかけは、いずれも、ほんのささいな事です。帰宅メールの仕方や、おやつのさつま芋を食べるか食べないかといった、他人から見たら取るに足らない事で、たびたび衝突するようになったのです。
そして、最近では、私がまだ未婚である事に対しても、「お前は『のんべんだらり』と生きてきたから、いまだに独身なのだ」と、たびたび人格攻撃まがいの嫌味まで加えられるようになりました。
しかも、「いい加減独り立ちしろ」と言ったかと思えば「何も急に出て行く事ないじゃないか」と言ったり、「今後は夕飯は外で食べてきてくれ」と言ったかと思えば「今日は食材が余っているので家で食べてくれ」と言ったりと、親父の言う事がコロコロ変わり、そのたびに私が親父の言動に振り回されるようになりました。
そんな中で、9月12日の早朝出勤前に、親父から「近所の人と結婚してはどうか?」と言われ、私が「何故そこまで結婚にこだわるのか?」と返した途端に、「アホウ!もう60近くにもなって、まだそんな事を言っているのか!」と、言い合いになってしまいました。それを機に、これまでの経緯も手伝って、とうとう私は実家を飛び出してしまいました。勤務先には通常通り出勤しながら、最初の数日間はカプセルホテルやネットカフェに泊まったりしていました。
その後、実家を飛び出してから3日目に、兄貴から、「それならウチで泊まったらどうか?」と誘われ、それから18日まで、兄貴の家に居候させてもらいました。
それが、これまでの大まかな経過です。その時に親父と交わしたメールのやり取りも、前々回と前回の記事で取り上げていますので、詳しい経過はそちらを参考にして下さい。
その経過を踏まえた上で、今後私がどうするのか、家を出るかどうかを決める家族会議が、9月18日の日曜日に、兄貴の家で開かれました。
会議は、兄貴の司会で、親父と私が、それぞれの思いをぶちまけ、それを兄貴と兄貴の嫁さんが汲み上げる形で、進められました。
親父の言い分をまとめると、次のようになります。以下は、あくまでも親父の立場からとの想定なので、親父は「ワシ」、私は「お前」となります。
●兄も妹も、無事伴侶を見つけて実家から巣立っていく中で、次男のお前だけがいまだに独身という事で、お前を幸せにしてやれなかった事を、親として残念に思う。
●お前の事を「のんべんだらり」となじったのも、「お前も、もう少し、しっかりせえよ」という、一種の「はがゆさ」から出た発言に過ぎない。決して、親の見栄や嫌味で言った訳ではない。お前を見下したり差別したりなぞ、誰がするものか。
●独り立ちや夕飯の件で、話が二転三転したのも、どうすればお前が結婚相手を見つけられるか、色々気を揉む余りに、そうなってしまったのだ。
●「独り立ちしろ」と言ったのも、転居先で新たな出会いが生まれるきっかけになればと思って、言ったまで。実は、ワシがまだ働いていた時にも、通勤電車の車内で、倒れた傘を拾ってあげた事でお近づきになった女性がいた。その女性に、ある時、冗談で「息子と結婚してくれへんか?」と言うつもりが、うっかり「息子」を飛ばして言ってしまった為に、「ワシと結婚してくれへんか?」と受け取られてしまうエピソードがあった。一歩間違えればストーカー扱いされかねない、そういうエピソードだったが、その女性は、「あなたと同じような歳になるまで、私が生きていられるかしら?」と、洒落た返事で返してくれた。世の中には、そういう出会いもあるのだ。
●「独り立ち」については、上記の理由以外に、「夕飯の用意が煩わしい」というのもあった。しかし、その煩わしさも、お前が夕飯を、社内食堂等で済ますようになった事で解消された。
●ところが、その結果、話が二転三転してしまい、かえってお前やその同僚・関係者の方に迷惑をかけてしまった事については、素直に謝る。
●それに対して、お前が「別に結婚する気がない」と言うのであれば、「それでも結婚しろ」とまで無理強いするつもりはない。なぜ、その気持ちをはっきり言ってくれなかったのか?
●それを「未婚者や非正規労働者を見下している」だの「差別している」だと捉えるのは、余りにも被害者意識に凝り固まった考え方ではないか?
それに対して、私も言いたい事はいくらでもあります。
●未婚者も既婚者も、チョンガーもバツイチも所帯持ちも、人間としての値打ちは何ら変わらないはずなのに、何故それを「はがゆい」と思うのか?その点について、親父は全く無自覚なのだが、それこそ差別心の現れじゃないか。人間を個人として捉え、平等に人権を尊重するのではなく、あくまでも所帯持ちかどうかで区別し、家族単位でしか物事を捉える事が出来ないのだ。つまり、親父にとっては、個人は所詮「家族の駒」でしかないのだ。その発想そのものが封建的だと、何度も指摘しているのに、何故分からないのか?
●別に独り立ちなぞしなくても、今のままでも、ブログを通して、地元の母親大会関係者と繋がりが出来たりもしている。今、下手に転居してしまったら、その繋がりも疎遠になってしまうじゃないか。親父とたった二人で無人島に住んでいるのでもない限り、独り立ちと出会いとの間には、何ら相関関係はない。
●赤の他人の女性に、少し傘を拾ってあげた位で、いきなり「ワシと結婚してくれへんか?」なんて声をかけるか?たとえ息子想いから出た言葉だとしても、それは幾ら何でも行き過ぎだろう。自分の思いだけで、相手がどう思うかについては思い至らない。そういう自己チューな押し売りを、「息子想い」の一言で免罪されたのでは堪らない。
●「夕飯の用意が煩わしい」なら、無理に自炊にこだわらなくても、自分の分だけ買って食べればそれで良いじゃないか。「買い物がシンドイ」と言うが、家から50メートルも歩けばスーパーもコンビニもあるのだ。そこで一人用の食材や惣菜も一杯売っているのだ。「安売りの時にまとめ買いしておきたい」と言うが、一人や二人分だけまとめ買いした所で、節約の効果なんてほとんど無い。逆に、冷蔵庫の中が狭くなったり廃棄する分が増えたりして、時間と手間のロスや光熱費が逆にかさむだけだ。
●「なぜ、その気持ちをはっきり言ってくれなかったのか?」だと?「何が何でも独身を通すつもりはないが、さりとて何が何でも結婚にこだわるつもりも無い。今は、結婚よりも仕事やブログの方が私にとっては重要だ。それらを犠牲にしてまで結婚する気はない」と、今までも折に触れて言ってきた。親父の所帯じみた、辛気臭い、保守的で封建的な考え方そのものが、私は大嫌いなのだ。その説明も終わらないうちに、人の事を「のんべんだらり」だ何だのと決め付けて、自分の家族至上主義の封建的な価値観や生き方を散々押し付けてきておいて、今更何を言っているのか?
●「家族を守る為に」社畜として選挙のたびに企業ぐるみ選挙で与党に投票させられた挙句に、ブラック企業に酷使され過労死させられても泣き寝入り。そんな桎梏(しっこく=手かせ足かせ)でしかない「家族」なら、むしろ最初から無い方がマシだ。
その話し合いの中で、親父と交わしたメールの個々の文言が槍玉に上げられ、親父が「ワシはそんな事は言っていない!」と声を荒げる一幕もありました。
例えば、親父が私の事を「のんべんだらりと生きてきた」と決め付けたのに対し、私が次のように反論したくだりに対して。
昨日、所長からサブリーダーに昇格の内示があった。雇用形態は依然として非正規のままだが、ホンの少し(20円)だけ時給が上がる。プレゼンで発表した業務改善の実践が評価されての事だ。
たったこれだけの昇給でも、きちんと評価されたら嬉しい物だ。
ところが親父と来たらどうだ。「何だこんな物」と貶(けな)すばかりで、「60近くにもなって未婚」としか見ない。それでよく「俺は差別者なんかじゃない」と臆面もなく言えるな。それだけでも立派な「差別者」じゃないか。(以上、9月13日に交わしたメールより引用)
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/df2fe6e3914b68ba333f9f491d94b81f
親父の「のんべんだらり」発言への反証として、私がプレゼン表彰の事を言った時に、「何だそんな物。お前には、たったそれだけしか自慢できる物がないのか!」と、親父は、はっきりとそう言いました。そうでなければ、私が、わざわざここで取り上げたりなぞしません。
それに対して、普通の人なら、たとえ細かに一字一句まで覚えていなくても、「そう言えば、そんな事を言ったな」位は覚えているものです。それを「全く何も言っていない。ワシは、この時ただ黙っていただけだ。普通なら、当然褒めて然るべき場面なのに、ここで下手に息子を褒めて天狗にしては行けないと、変に勘ぐってしまい、ついつい黙ってしまったのだ。そういう点では、ワシも至らなかった。しかし、幾らなんでも、こんな事は言っていない。それはお前の勘違いだ。そういう点では、お前も被害者意識に凝り固まってしまっているではないか!」と。
つまり、これは私の捏造(ねつぞう)だと言うのです。誰が、捏造でこんな事を言うか!誰が、捏造の為に、わざわざ家を飛び出したりするか!
年寄りは、昨日言った事と逆の事を今日平気で言ったり、自分の都合の悪い事はすっかり忘れて、都合の良い事だけを覚えていたり、よくするものですが、これなぞも正にそうでしょう。
「普通なら、当然褒めて然るべき場面なのに、ここで下手に息子を褒めて天狗にしては行けないと、変に勘ぐってしまい」云々も、余りにも不自然な物言いです。別にそんなに勘ぐらなくても、素直に喜んでくれたら良いのに。別に褒めて欲しいとは思いませんが、何もわざわざ勘ぐらなくても良いじゃないですか。それを、ことさら勘ぐろう、敢えて息子の揚げ足を取ろうとする所に、妙に不自然さを感じてしまいます。
これにはさすがに、兄貴や兄嫁も、「親父は軽い気持ちで言ったので、実際には言ったのに覚えていないのかも知れない。決してワザとシラを切ろうとしているのではない」と、私と親父の間に割って入って来ましたが。「被害者意識に凝り固まってしまっている」も何も、実際にこの間の経過を見れば、親父こそが加害者で、私は被害者なのは一目瞭然ではないですか。私から親父に何か嫌がらせをした事は一度もありません。常に親父の発言が発端となっているのです。
そのくせ、自分はここまで人の事をけなしておきながら、自分に対しては、例えば「ワシの蒸したさつま芋が要らないなら、ただ要らないと言うだけでなく、明日食べるわと言う位の優しさが、お前には無いのか?」と。私にはそこまで要求するのです。「自分に甘く他人にだけ厳しい」ダブルスタンダード(二重基準)も、大概にせえよと言いたいです。
でも、そんな事を言い出せば、お互い「売り言葉に買い言葉」で終わってしまいます。元はと言えば親父の発言から全て始まった事ですが、今回は私の方も、親父に対抗する為とは言え、他人が聞いたら眉をしかめるような事も、かなり言ってしまっています。
問題の本質はあくまでも、上記に上げた私と親父の結婚観の行き違いにあり、その後のメールのやり取りについては、そこから派生した「オマケ」でしかない。その本質を脇に置いて、オマケ部分についてばかり議論しても仕方がない。
私がメールの中で言及した、正規雇用と非正規雇用の格差拡大から来る晩婚化や少子化の問題も、それはあくまで社会一般の出来事であって、私と親父には、間接的な影響はあっても直接関係は無い。ここでは、そんな一般論ではなく、あくまでも、私と親父の関係を今後どうするかについて、議論を深めるべきだ・・・。
そういう兄夫婦のジャッジもあって、「何が何でも独身を通すつもりはないが、さりとて何が何でも結婚にこだわるつもりも無い。今は、結婚よりも仕事やブログの方が重要だ。それらを犠牲にしてまで結婚する気はない」という私の思いを親父が尊重し、私の方も、親父の親心から来た思いを必要以上に曲解して決めつけたりはしない、という結論になりました。
また、転居や夕食の支度を巡って、話が二転三転した事についても、全ては結婚観の行き違いから来ている。「外で食べて来てくれ」と言ったり「家で食べてくれ」と話がコロコロ変わったのも、別に買い物自体が疎ましいのではなく、いちいちメニューを考えなければならないのが煩わしいだけなのだ。その一方で、「たまには自分の手で美味しい料理を作って食べてみたい」という気持ちもある。一見、相反するようだが、主婦にはそれが良く分かる。しかも、親父は料理を作り慣れていないから、余計それが強く出るのだ・・・という事に、最終的に落ち着きました。
現実的に考えても、私は毎日、朝の6時半や7時から、夕方4時や5時まで仕事です。その後、社内食堂で夕飯を済ませ、家に帰るのは7時過ぎ。そこから、ネットのニュースを見たりメールをチェックして、入浴を済ませたらもう夜9時を回っています。翌日も早朝から仕事なので、もう寝なくてはなりません。平日はブログ更新もままならないので、更新はたいてい休日です。その休日も、ブログ取材を兼ねて、集会やらデモにも自分の方から出来るだけ参加するように心がけています。そんな中で、婚活に割ける時間やエネルギーは、そんなに多くはありません。
それなら一層の事、少なくとも今の会社を退職するまでは、無理に婚活なぞせずに、自分のやりたい事にエネルギーを注いだらどうか。退職して時間の余裕が出来てから、婚活を再開すれば良い。それで、仮に出会いが無くて独身で終わっても、別に自分の人生に納得しているなら、それでも良いではないか。世の中には、自殺したり一家路頭に迷ったりする人も少なくないのに、無事に暮らせるだけでも儲け物だと思わなければ。婚活に焦って結婚詐欺に遭う位なら、まだ納得ずくの人生を送れる方が、よっぽどマシではないか・・・と、兄も言っていました。
これで、私と親父は、再び実家で今まで通り同居する事になりました。当初は、私からのメールがよっぽどこたえたのか、親父自身も「もう元のさやに戻るのは無理だ」とメールで言っていたくせに。
兄貴も、最初のうちこそ私に同情して、「俺も親父は余りにも頑固だと思う」「親父が余りにも頑固な為に、ウチではDVが絶えなかった」「余りにも家族喧嘩が絶えなかったので、もう喧嘩は止めてと、両親の前で俺が泣き叫んだ事もあった」と言っていたのに。やはり兄貴も、次男の私が親父と同居を続けて欲しいようです。そうしなければ、今度は長男の自分が、いよいよ親父の介護をしなければならなくなりますので。
それに加えて、兄貴の家も、実は兄貴には所有権は無く、親父の名義になっているのだそうです。余り私に加勢し過ぎて、親父を怒らせてしまうと、下手すれば兄夫婦も親父から出て行け呼ばわりされかねないのです。それを兄貴は恐れたのでしょう。私なら、たとえそんな場合でも、地上げ屋みたいに占有権を主張して、とことん抵抗しますが。
しかし、これでもう親父も懲りた事でしょう。余り親父風吹かせて、私に偉そうに言おうものなら、本当に私が家を飛び出してしまう事が、これでやっと分かったようです。もうこれで、私の事を「のんべんだらり」と決めつけたりはしなくなるでしょう。実際、この一件があって以来、親父の私に対する態度がガラッと変わりました。
しかし、人間の性格は、そう簡単に変わるものではありません。いつ何時、また別の口実を付けて、親父が私にちょっかい出してくるか分かりません。ゆめゆめ警戒だけは怠らないでおこうと思っています。
これだけを読んでいると、「高齢の親に対して何て冷淡な」と思う人も、ひょっとしたら居られるでしょう。そういう人は、実際に親父みたいな人と同居してみたら良いのです。そうなった時に、果たして同じ事が言えるかどうか?加害者は一体どちらか?年寄りや親なら、何をしても許されるのか?
そして、私と親父で、仲直りの握手をした後、家族一緒で、近所の鰻(うなぎ)屋に夕食を食べに行きました。全て兄貴のおごりです。関西ではほとんど食べる機会がない、江戸前の背開きの鰻重を堪能した後、タクシーで親父を最寄り駅に送り届け、私と兄夫婦はそこから徒歩で兄貴宅に帰りました。まだ乾いていない私の洗濯物が残っていたので、後一日、私は兄貴宅に泊まる事になっていたのです。
ところが、兄貴宅に帰り着くやいなや、私の携帯が無い事に気が付きました。私は携帯を、いつもGパンの前ポケットに入れているのですが、それが丸々無くなっている事に気づいたのです。
私は、大慌てで、兄貴宅からタクシーを降りた所まで、捜索に出かけました。兄貴も、家族一緒に食事をした鰻屋さんに、携帯を忘れていないか電話をかけてくれました。ところが、どちらも出て来ず。
後残るのは、タクシーの後部座席に落とした可能性です。タクシーの座席はフカフカしているので、他の席よりも身体が沈み込んでしまいます。その時に、Gパンの前ポケットから落としたかも知れないのです。それなら、タクシーの中で直ぐに見つかりそうなものです。しかし、実際にはタクシーの床やシートはクッションに覆われている為に、たとえ携帯を落としても音はほとんどしません。シートの下に潜り込んでしまったら、もうお手上げです。車庫に帰所後の点検でも、タクシードライバーが見つけるのは、ちょっと難しいかも。
もう、その日は、携帯の販売店で利用一時停止の手続きをした後、警察に遺失物届を出しただけで終わりました。
そして、月・火曜日と二日間様子を見て、今日水曜日の公休日に、わざわざ大阪市鶴見区のタクシー協会まで出向いて、乗車したタクシーの特定をしてもらおうとしましたが、そこでも紛失届の受理だけで終わってしまいました。その後、どこからか拾得の連絡がないか待ちましたが、どこからも連絡が入りませんでした。
これでは、自宅パソコンのインターネット以外には、もう何も外部と連絡が取れません。最初は、公衆電話がまだある程度、撤去されずに残っているだろうとタカをくくっていたのですが、もうどこにもそんな物はありません。ここまで携帯電話に生活全体が依存していたとは、思いもしませんでした。もう、いつまでも電話無しではいられません。背に腹は代えれません。明日にでも携帯の販売店に出向いて、同じ電話番号で携帯を再購入する事にします。
それにしても、交友関係の住所録バックアップを取っていなかったは迂闊(うかつ)でした。家族の連絡先については、きちんとバックアップを取っていたのですが。まだ職場の同僚については、職場で携帯の電話番号を聞き出す事が出来ますが、プライベートな知人関係については、相手から電話がかかって来ない限り、こちらからは連絡の取りようがありません。ひょっとしたら、親父の悪口を書き過ぎて罰が当たったのかもw。携帯紛失前に親父とのメール会話をパソコンに保存しておく事が出来たのが、せめてもの幸せですw。
●親父→私(送信時間未表示)
Re:メールしても、時間がながくなるだけ~、親子の間で話した方が、誤解なくてよいのでは~
●9月12日(月)22:45 親父→私
Re:いつまで、こだわっているのか、~早く帰ってこい 待っているぞ
●同日(送信時間未表示、多分上記の後しばらくしてから送信したと思う) 私→親父
幾ら二人で話し合っても、また前回の繰り返しに終わるだけ。
親父が本当に反省し、二度とパワハラをしないと私に約束するまで、自宅には帰らない。
今の様子では、何がパワハラや人権侵害なのか、自分の一体どこが封建的・差別的なのかも、親父には全然理解出来ないと思うけど。
●同日(送信時間未表示) 親父→私
××(私の名前)も考えがあれば、その都度言ってくれたら良いし、ワシも考えあれば言う。
互いに、助け合っていけば~いいじゃん
何と言っても、親子二人じやん
今夜帰ってくるか~待ってるぜ
●9月13日(火)6:17 私→親父
やかましい。
今も、「話し合おう」と言いながら、いざ議論になると、こちらは具体的事例も上げて反論しているのに、そちらは「勝手に憶測するな」と一方的に終了宣言して、印象操作に逃げ込んでるだけじゃないか。
言い訳も、上辺ばかり取り繕って、既に論破済みの物を何度も繰り返すばかりで。
そんな話し合いなら何度しても無駄だ。
もう「歳相応」と言う言い方で、自分の封建的な価値観や生き方を一方的に息子に押し付けたり、パワハラまがいの恫喝で息子の人権を踏みにじったりしないと、口約束なんかではなくメールの文章できちんと確約しない限り、一切家には帰らない。
●同日8:08 親父→私
Re:××(私の名前)の考え方、生き方も、色々あらう~
今後互いに、尊重して、助け合って生きて行こう
●同日20:24 私→親父
(長文になるので数回に分けて送信する)
何が「60近くにもなって」か?何が「歳相応」か?「所帯持ち」がそんなに偉いのか?
昨日、所長からサブリーダーに昇格の内示があった。雇用形態は依然として非正規のままだが、ホンの少し(20円)だけ時給が上がる。プレゼンで発表した業務改善の実践が評価されての事だ。
たったこれだけの昇給でも、きちんと評価されたら嬉しい物だ。
ところが親父と来たらどうだ。「何だこんな物」と貶(けな)すばかりで、「60近くにもなって未婚」としか見ない。それでよく「俺は差別者なんかじゃない」と臆面もなく言えるな。それだけでも立派な「差別者」じゃないか。
そもそも、「歳相応」の「相応」の基準は何か?昔は定年間際の昇格なんて考えられなかったよな。その一点だけで見ても、「相応」の基準なんて、時代によって幾らでも変わるんだよ。
それを折角、天皇主権で帝国主義の戦前と、曲がりなりにも民主主義で平和主義の戦後との対比で、分かりやすく説明してやったのに。まだ、そんな事言っているのか。(続く)
●同上 私→親父
(前の続き)
結婚の件でもそうだ。
総務省の労働力調査による最近のデータでは、未婚率も雇用形態で大きく異なる。正社員では3割の未婚率も、非正規雇用全体では7割、中高年だけに限っても6割が未婚だ。
その主な原因は非正規雇用の不安定な低収入にあるが、それだけではない。同じ非正規でも直雇用と派遣・請負・下請け等に分かれ、それぞれ仕事も勤務場所も勤務時間も休日もバラバラで、仲の良い友達同士以外は互いの名前も分からないのでは、従業員同士の交流なんて生まれようもないじゃないか。
それを親父は、「学校の勉強サボったから赤点取ってしまった」程度にしか理解できず、個人の能力だけではどうにもならない部分にまで、個人の自己責任だけに問題を矮小化(わいしょうか)し、時代遅れの「歳相応」基準から外れるからという理由だけで、俺の事を「のんべんだらり」と決め付けたのだ。
そして、努力している部分にまで、「たったそれだけしかお前には自慢出来る物は無いのか」と決め付けたのだ。俺の他の仕事ぶりや職場の状況も知らないで。
これが「決め付け」でなくて一体何なのか?これが「差別」でなくて一体何なのか?誰が「何でも社会や政治の所為にした」?社会や政治とは無関係に個人として努力している部分にまでケチ付けておいて。よくもそんな厚顔無恥な事が言えるな。(続く)
※注:
上記の「総務省」云々のくだりは、あくまでもネット記事からの引用です。孫引きだけでは何なので、念のために、私の方でも総務省のHPに当該データがあるか確認しましたが、探し出す事が出来ませんでした。しかし、内閣府HPの「平成26年版男女共同参画白書」のページに、同種のデータが掲載されていましたので、そちらを参考資料として記事冒頭に掲げておきます。
●同上 私→親父
(前の続き)
「親をアンタ呼ばわりするな」だと?自分の時代遅れで封建的な「歳相応」基準だけで一方的に決め付けて、息子の人権を踏みにじり差別するような「毒親」は、「オマエ、アンタ」呼ばわりされて当然じゃないか。
今はもう、士農工商エタの江戸時代や、天皇陛下万歳で女性や子供の人権も認められなかった戦前とは違うのだ。
そんなに「アンタ」呼ばわりされるのが嫌なら、偉そうに親の権力を振りかざすより先に、そうされないように努力するのが筋だろう。(続く。次の段落で終わる)
●同上 私→親父
(前の続き)
「それぞれ生き方、考え方の違いもあろう。今後はお互い尊重し助け合って」だと?今まで散々、人を差別しておきながら、今頃になって、そんな都合の良い綺麗事(きれいごと)で誤魔化そうとしても無駄だ。
それより前に、既にメールで送信済の俺の次の質問に、きちんと文書(メール)で答えろ。
①親父の「歳相応」基準に見られる様な、封建的、差別的で時代遅れな価値観や生き方を、もう二度と俺に強要しないか?
②パワハラまがいの恫喝・暴言を吐いて、俺の人権を踏みにじったり、もう二度としないか?
もはや「結婚の是非」なんてどうでも良い。結婚したければすれば良いし、したくなければしなければ良いだけだ。問題はそんな所にあるのではない。「早く結婚するに越した事は無い」なんて口では言いながら、実際には家庭の中でパワハラし放題の、親父の存在そのものが問われているのだ。
家に帰るかどうかは、その返答を見て判断する。
但し、たとえ家に帰ったとしても、はっきり言って、今はもう親父、アンタの顔も見たくない位なのだ。少なくとも数日間は、最低限の実務連絡以外は俺に話し掛けないでくれ。やれ「飯は家で食え」とか「メールしろ」とか、細々とした事まで一々俺に指図しないでくれ。
他人が買い物するのではない。親父が買い物するのだ。今はもう少量パックの食材も幾らでも販売している。その気になれば幾らでも計画的に購入できる筈だ。(終わり)
(追記)
予想以上に遅くなってしまったので、どちらにしても今夜はもうどこかサウナかビジネスにでも泊まる。
●同日 親父→私
Re:
サブリダの発令良かったね
今日昨日のメール見た。
残念だが、一緒に住むのが、どうもムリな様に思う
これから先のこと~何かと相談したいと、思う
●9月14日(水)1:25 私→親父
どの道、今後の事は相談して決めなければならないと思う。
しかし、俺はもうアンタの顔も見たくないと言ったのだ。それに、二人だけであれこれ決めても、また親父の心変わりの所為で話をコロコロ変えられたのでは堪らない。
ここは兄夫婦にも証人&調停役として参加して貰う。この間やり取りしたメールの文章も、討議資料として相談(調停)の場に配布させて貰う。もはや、事態をここまでこじらせておきながら、まだ「世間体がどうの」とか「臭い物に蓋」等の「甘え」が通用するとは、親父もよもや思っていないだろう。
その条件でなら、兄の家で今後の事を話し合っても良い。元はと言えば、今回の件も全て親父に原因があるのだから、親父から兄貴に話をして日程調整するのが筋だろう。
●同日7:06 親父→私
Re:
もう、もとにもどる話にはならんだろう。
みんな寄って決めたら良いのかな。
わしから△△(兄の名前)に話す。
(追記)
職場読者の皆様へ
上記の親父とのメール会話の中で、私のサブリーダー昇格の話が出て来ますが、この話については、決して読者(後述)以外には口外しないようにお願いします。まだ、あくまでも内示だからという事で、所長からも口外しないように、釘を刺されていますので。ちなみに、今の職場の読者は、杉本さん、小杉君、戸塚君、武内さん、庄内さん、岩本さんの6名です。(いずれも仮名だが、分かる人には分かるw)
このブログも、この8月30日に開設10周年を迎えたので、記念記事の下書きに取り掛かっていたのですが、それは後回しにします。実は、また親父とのバトルが再燃し、遂にプチ家出に踏み切りました。いわば抗議の無期限ストライキに突入です。この記事もネットカフェから投稿しています。今回も、親父とのやり取りをメールに残していますので、まずはそこから引用します。(記事のタイトルを「親父バトル再燃 遂に無期限スト突入!」から「最初の家出ストライキ」に変更しました。2018.07.06追記)
その前に、バトル再燃までの経緯をまず説明しておきます。
昨夜は、親父から「自分の大学同窓会が同窓生とその子息を対象に婚活サークルを運営しているので、お前の名前も申し込んでおくが良いか?」と私に聞いてきたので、私は「別にそれで良いよ」と言って寝ました。
そして、私はいつも仕事柄朝が早いので、翌日の今日も早朝4時半に起きて1階に降りて来たら、何と親父が応接間で、電気をつけっ放したままソファーに座り込んでいました。そこで私が、洗面所で顔を洗いながら、「何だ、親父、寝ていなかったのか?」と聞いたら、やにわに親父が近づいて来て、「もうSさんと結婚したらどうか?」と、いきなりそんな事を言って来たのです。
Sさんと言うのは、近所に住んでいる、目の不自由な独身女性の整体士です。年齢は私より少し下ぐらいだったと思います。親父や亡きお袋はSさんとも付き合いがあった様ですが、私は今まで一度もその方と喋った事はありません。そんな、ほとんど一面識もない方と「もう結婚したらどうや?」なんて言われても、びっくりするだけじゃないですか。そこで、私がいぶかしく思いながら、何気なく「何故そこまで結婚に拘(こだわ)るのか?」と聞いた途端に、また親父のヒステリーが始まったのです。
「アホウ!お前、自分はもう歳いくつになったと思っているのか?60歳近くにもなって、まだそんな『のんべんだらり』とした事を言っているのか!」と言ってきたので、私も、「またその『のんべんだらり』かよ」と思いながら、「いくら所帯持っていても、精神年齢がガキで仕事も出来ない奴だって、いくらでもいるじゃないか。そんなに所帯持ちが偉いのかよ!」と言い返したら、「そんな問題じゃないだろう!」と、また喚きだして。
もう出勤時間が迫っていましたので、その場ではそれ以上深追いせずに、通勤の始発電車の中で、下記のメールを親父に送りつけてやりました。(以下、文章はそのまま引用しますが、読みやすくする為に改行を施しました。また、メールの合間に必要に応じて、私のコメントや補足説明を入れました)
●9月12日(月)5:23 私→親父
何故息子の結婚にばかり拘るのか?結局は親の見栄じゃないか。
本当に息子の事を思うなら、独身だからとか貧乏だからと言った理由で、息子個人を詰(なじ)ったり見下したりはしない。
それを見下すと言う事は、自分の世間体ばかり気にしているからだ。だから、息子を自分の所有物と見なして、自分の思い通りにならないからと言って、息子に八つ当たりするのだ。
たまたま観たテレビ番組で、そんな自分本位の親の特集をやっていたけど、その特徴10箇条に親父は全部見事に当てはまる。
やっぱり、世間体(外見)や地位や財産の有無で人間を見下し差別しているじゃないか。だから親父は封建的だと言うのだ。
幾ら親子でも、そんな人権蹂躙(じゅうりん)は許されない。
その後、兄貴にも下記のメールを送りました。
●同日5:49 私→兄貴
今朝4時半に起きたら、親父がまだ寝ず昨夜と同じ様に1階の応接間に座っていた。
「何故寝ないのか?」と聞いたら、また昨夜みたいに結婚の事ばかりあれこれ詮索してきた。
それで「何故そんなに結婚の事ばかりあれこれ拘るのか?」と聞いた途端に、「お前、もう歳幾つになると思っているのか!」と急に怒り出した。
そこで俺も、そんな事で一々親父に気を使わなければならないのでは堪らないので、先程、通勤車内から下記の写真とメールを親父に送り付けてやった。
もう鬱陶(うっとう)しいので今日は家に帰らないかも知れない。兄貴からも親父を説得して欲しい。
(以下、上記と同じメール文と添付写真を付記)
●同日7:19 親父→私
Re:そんなメール送る時間はロス
●私→親父(もう仕事中だったが、余りにもウザイので間髪入れず返信)
だったら、そんな無駄な言いがかりを付けて来るな。
●親父→私(送信時間未表示。昼休みの時間帯には表示されていた)
Re:ばかたれ
●同日12:56(昼休み中) 私→親父
もうこれ以上、あんたのパワハラに耐えるつもりはない。
あんたの封建的、差別的な考え方や態度が改まらない限り、今日から当分家には帰らない。9月22日の墓参りにも参加しない。あんたの大学同窓会主宰の婚活サークルの会費も払わない。
●同日16:28 親父→私
Re:
・おやじに、「あんた」は、ない。
・結婚するなら、早い方が良いと思っているだけ、~結婚しない考えなら、その様になぜ言わぬ
・××(私の名前)を見下しているつもりは毛頭ない~独断で物事を判断するな
・世間体を気にしているつもりは毛頭ない~勝手に憶測するな
・思い通りにしたい→××の考えをなぜ言わぬ~人を物となぞ思っていない
・見下げている~被害者意識も、いい加減にしろ
・地位財産で人を差別~何を独断で、決め付けて、言っているのか~いい加減にしろ、そんな幼稚な考えは毛頭ない
以上で、オヤジの考えを言ったつもりだが、もの足りなかったら、言ってくれ~
(私のコメント)
ほらほら、また言い訳に回り始めました。
>結婚するなら、早い方が良いと思っているだけ、~結婚しない考えなら、その様になぜ言わぬ
それだけなら、ここまで揉めたりはしません。今はもう「結婚の是非」が問題ではありません。「結婚至上主義」の己の価値観を、自分以外の人間にも強要するのは、もはや立派な人権侵害だと言う事を、親父が全く理解できないのが問題なのです。
>××(私の名前)を見下しているつもりは毛頭ない
>世間体を気にしているつもりは毛頭ない
>思い通りにしたい→××の考えをなぜ言わぬ~人を物となぞ思っていない
>地位財産で人を差別
全部その通りじゃないですか。これがその「論より証拠」です。(以下、以前の記事から引用)
(「象牙の印鑑を持てと言ったのは縁起物だから、名刺を持てと言ったのも営業に回れば必需品だから」と言い訳したのに対して)
物流の現場で働いている中高年の非正規社員が今さら営業職に配置転換される可能性なんて、誰が考えてもありえないじゃないですか。仮にそうなったとしても、わざわざ自分で名刺なぞ用意しなくても会社の方で作ってくれます。もし自営業に転職するようになって自分で印鑑や名刺を用意しなければならなくなったとしても、そんな物、後で幾らでも用意できます。まだ、その予定もないうちから、そんな細かな事まで、なぜ親父に指図されなければならないのか?「今は象牙の捕獲が禁止されているので、時代遅れな物言いである事は承知している」なら、わざわざ、そんな意味もない事を言う必要はありません。
実際は、印鑑や名刺で外見を取り繕いたいだけなのです。「親の見栄」以外の何物でもありません。本当に息子の事を思うなら、たとえ息子が印鑑や名刺を持っていなくても、それで引け目に感じる事なぞありえません。ところが、そこに引け目を感じるのは、裏返せば、その事で私や他の非正規労働者の事を見下している、差別しているからに他なりません。そこをメールで私から突かれたので、こんな取って付けたような見苦しい言い訳を始めたのです。
次の「外見や地位や財産の有無で人を差別した覚えはない」と言うのも嘘です。その証拠に、「(業務改善のプレゼン表彰に対して)たったそれだけしかお前には自慢する物がないのか」「(私の給与明細を見て)たったそれだけしか給料貰っていないのか?」という形で、私や他の労働者の事を実際に差別しているじゃないですか。
本当に「他の先進国と比べて日本の最低賃金が低過ぎる事も知っているし、問題だと思っている」なら、なぜ、今までそんな政治しかして来なかった自民党や、その自民党・安倍政権と似たり寄ったりの準与党「維新の党」をずっと支持してきたのか?体制べったりの物の見方や発言しかできないのか?言っている事が矛盾だらけです。
それは「年相応」という言葉に最もはっきりと表れています。「もう30歳を過ぎたら、独立・結婚して所帯を持って、子供ももうけて社内で出世して」という、自分中心の保守的な物の見方しかできず、その封建的な価値観や生き方を一方的に私に押し付けているだけなのです。そして、それを「親子の情」という「お為ごかし」な表現で取り繕っているだけなのです。少子高齢化や格差社会の拡大によって、そんな昔の総中流時代のモデルなぞ、とっくに崩壊してしまっているのに。
この他にも一杯証拠があります。
例えば、別に私の方から怒鳴ったり喚いたりした事は一度も無く、別に防音性皆無の仮設住宅に住んでいる訳でも無いのに、応接間で話し合いをするたびに「隣近所に聞かれたら世間体が拙いので窓を閉めろ」と、やたら世間体ばかり気にして。本当に自分が正しいと思い、正々堂々と議論しようとする気があるなら、別に少しぐらい近所にもれ聞こえたって一向に構わないはずです。そんなに近所迷惑が気になるなら、親父も怒鳴ったりせずに落ち着いて議論すれば良いのです。ところが実際は、窓を閉め倒して、密室で隠れてこそこそ暴言。「近所迷惑」との言い訳は、それを誤魔化す為の口実にしか過ぎません。
親父の言い訳は、まるで、従軍慰安婦問題や集団的自衛権、核武装についての安倍政権の言い訳にそっくりです。仲間内の集まりでは、「従軍慰安婦なんてただの商売女だ」とか、「核武装も憲法違反ではない」と言いながら、野党や外国の前では「戦争で女性の人権が侵害された悲劇を21世紀に持ち越さない」「非核三原則や憲法の平和主義は変えない」と、いかにもしおらしく装って、その場しのぎの嘘で誤魔化す、醜い言い訳そのもので。
それで、散々パワハラで自分以外の意見を押しつぶしておきながら、「何故そのように言わぬ」「勝手に決め付けるな」とは(呆)。「被害者意識もいい加減にしろ」とは、むしろ私が親父に言い返すべき言葉です。
●私→親父(16時半過ぎの小休止の時間に送信、但し送信時間は未表示)
「別に独身に固執する気もないが、さりとて急いで無理に結婚する気もない。相手が見つからないなら別に独身でも構わない」と、今まで折に触れて言って来た。
それを、こちらの説明も終わらないうちから、頭ごなしに決め付けて、上から目線でどなり散らしてきた癖に。今頃になって「何故それを先に言わない」なんて言われても通らない。そんな状況の中で話し合いなんか出来るか。
今朝のSさん(メールでは実名)の娘さんの件も、付き合う前から「もうSさんと結婚してはどうか?」なんて言って。相手に対しても失礼だと思わないのか。まるで(最初の安倍内閣の時の)柳沢元大臣みたいに、女性を「産む機械」みたいに見なして。だから封建的だと言われるのだ。
いつも自分から先に嫌がらせみたいな事ばかり言っておきながら、今になって被害者面(づら)するな。
●親父→私(送信時間未表示)
Re:メールしても、時間がながくなるだけ~、親子の間で話した方が、誤解なくてよいのでは~
(私のコメント)
誰がもう親父なんかと二人で話すものですか。以前にもそうやって話し合って、親父もある程度、表面的には反省した素振りを見せながらも、結局、本性は全然変わらなかったじゃないですか。
そんな事しても、またぞろ破綻済みの言い訳で、上辺だけ取り繕うとするだけです。
今度話す時は、そんな安倍流の「ゴマカシ話法」なんかじゃなく、兄夫婦や妹夫婦も同席の上で、「言った言わぬ」の水掛け論でウヤムヤにされないように、このメールのコピーも証拠物件として配布した上で、今までの親父の行状を全て提示して、とことん白黒決着付けるまでやらなければ意味がありません。もはや、親だから年寄りだからと言って大目に見る事は出来ません。人権侵害の糾弾に、親も年寄りもありません。
・・・という訳で、当分家には帰りません。数日はネットカフェやカプセルホテル、外国人観光客向けの民泊ホテルに泊まりながら、数日経っても親父の態度が改まらないようなら、次は家具家電付きの家賃日払いアパートに引越し、やがてURの旧公団住宅をまた借りるつもりです。既に、勤務先の所長にも、私の家庭事情や親父とのトラブルの経緯について、かいつまんで話し、当面は仮住まいを続けざるを得ない事や、格安の賃貸物件があれば紹介して欲しい旨のお願いをしています。この際、もはや選り好みなぞしていられません。
公休日に所用で大阪市内まで。ランチは西成・天下茶屋の下町洋食・とたん屋のサービスランチで。他の客はほとんどこれより少し大振りのメガ盛りオンザライスを注文していたが、このサービスランチも割とボリュームが。
この下町洋食店はご飯の量が多い事で有名で、「ガツ飯系」雑誌にもよく取り上げられている。ハンバーグ、トンカツ、エビフライにパスタやサラダ、スープまで付いて850円。これは結構お得。
夕食は難波千日前の食堂しみずでお袋の味を堪能。チェーン店よりも割高な難点も、おかずの選択を工夫する事で何とか切り抜ける事が出来た。
大衆食堂では自由におかずを選べるが、見栄えの良いおかずは大抵値段が張る。下手すれば直ぐ千円以上になってしまう。それを防ぐには、造り等の高価なおかずを避け、卵焼きや冷奴、じゃこ卸し、納豆、味噌汁等の、比較的安価なおかずや、焼き飯や丼物中心に注文すれば良い。
今日のメニューでも、これだけ注文しても、たった750円。脂の乗った秋刀魚にボリュームたっぷりの冷奴、じゅん菜入りの味噌汁も、チェーン店では絶対に味わえない。
下町洋食の流れを継ぐ「とたん屋」も、大衆食堂の雰囲気を残す「食堂しみず」も、残念ながら今のご時世では次第に淘汰されゆく運命にある。幾ら「庶民の味だ」「健康志向だ」と言っても、やっぱり1円でも安い店に客は流れる。そういう廉価販売が出来るのは、資本力や宣伝力にたけた大手のチェーン店に限られる。
そういう大手チェーン店は、得てして原材料費の無理な切り詰めや、生産者への買い叩き、従業員を酷使したりしているものだが、そういう「影の部分」は客にはなかなか見えない。過労死や食中毒事件が起こってから、ようやく問題が明るみに出るが、それも、ほとぼりが冷めればまた元の木阿弥だ。
私のように「昔ながらの庶民の味」を求める人も確かに一定いるが、それ以上に「安けりゃあ何でも良い」という人の方が多い。それに、たとえ今は「昔ながらの味が良い」と言っていても、今より更に生活が切羽詰まって来ると、人間どうしても「安けりゃあ何でも良い」という方に流れてしまいがちだ。「悪貨は良貨を駆逐する」のたとえ通り。
それでも、繁華街の難波にあって吉本帰りの客や外国人観光客も来る「食堂しみず」は、まだ経営を続けていける可能性があるが、下町・天下茶屋の地元客が中心の「とたん屋」は、今後更に経営が厳しくなるだろう。
この流れを変えるには、経営者の個人的努力だけでは、もうどうにもならない。まず、私たち消費者自身が、「安けりゃあ何でも良い」という発想から抜け出さなければならないし、国や自治体も、消費者・国民の生活支援や格差是正に、もっと本腰を入れなければならない。
ところが、国のやっている事はどうだ。アベノミクスと称して、株価対策にばかり力を入れ、日銀債券や年金資金を投入してまで株価を買い支えて来た。これらの原資は全て国民の税金だ。株なんて買えるのは、経営者や大企業に勤める正社員だけだ。その一方で、労働者の実質賃金は低下の一途をたどっている。社会保障費は年々値上がりするが、肝心の給付は切り下げられる一方だ。年金なんて、その最たる物だろう。株価バブルで有効求人倍率は上がったが、求人内容は非正規の低賃金雇用かブラック企業の名ばかり正社員求人ばかり。何の事は無い。国民から搾取した税金で、大企業の経営を買い支えているのだ。これでは、「タコが自分の足を食う」ような形で、その場しのぎの対策でお茶を濁しているだけじゃないか。
そして、グローバル化(国際化)やEPAと称して、海外から出稼ぎ目的の外国人を、留学生や技能実習生と偽って雇い入れ、安い賃金で違法に長時間こき使ったり、TPPと称して、海外から農薬まみれの農産物や粗悪品の医療薬をどんどん輸入して、国内産業を衰退させ産業空洞化を推し進め、「安かろう悪かろう」を更に推し広げるような事ばかりしている。これでは、ブラック企業の「すき家」や「ワタミ」の様な「悪徳」大手チェーンばかりが栄え、「とたん屋」や「食堂しみず」の様な「良心的」個人経営のお店は、ますます寂れる一方だ。
その現実から目を背けて、選挙で与党の自民・公明や準与党の維新に投票したり棄権したりしながら、テレビの安上がりなB級グルメ番組で自分を慰め誤魔化し、「昔は良かった」「和食が一番」等とほざく「偽善者」や「ニセ愛国者」の何と多い事か。「三丁目の夕日」を懐かしんでいる暇があるなら、それをぶち壊す政治に早くストップをかけろ。
しばらくしていなかった競馬を、またボチボチやり始めました。再開早々、先々週の札幌記念と先週のキーンランドカップを的中させ、幸先の良いスタートとなりました。今週も普通なら新潟記念(GⅢ)の馬券を買う所ですが、今回は私が密かに期待している「ある馬」が、遂に日曜メーンレースに出走して来ると聞き、重賞は見送り、オープン特別・丹頂ステークスの馬券を買う事にしました。
労働者階級を意味するプロレタリアートに由来するプロレタリアト(牝5歳・小島厩舎所属)こそが、「ある馬」です。中山準メーンのグッドラックハンデを初め、準オープンの活躍で穴党の注目を集める様になった馬です。今回の丹頂ステークスも、小回り平坦コースの札幌競馬場で開催されるレースで、どちらかと言えば、コーナーを先行する逃げ馬の方が有利とされます。追い込み一辺倒のプロレタリアトにとっては、決して得意なレースではありません。それでも、最初の格上挑戦レースとなった前走の札幌日経オープンも、着順こそ8着だったものの、勝ち馬に4馬身差余りにまで迫りました。元々、どのレースでも大抵最速の上り時計をマークするほど、勝負根性のある馬です。それに加え、今回は50キロの軽量ハンデしか課されていません。「馬名の良さ」もさる事ながら、この地力をもってすれば、たとえ格上挑戦のオープン特別でも、何とかなるのではないかと思い、3着狙いで買ってみる事にしました。
結果は、やはりヤマカツライデンの逃げ切り勝ちに終わりました。2着にも終始2番手につけたタマモベストプレイが入り、典型的な前残り決着となりました。プロレタリアトは、4コーナー付近で若干追い上げたものの、最終的に7着に留まりました。やはりオープン特別の壁は厚かったようです。何とか、秋のエリザベス女王杯(GⅠ)に出走して、出来れば勝って欲しいものです。世の労働者階級を励ます意味でも。
こんな事を書くと、今のご時世「競馬にまで政治の話を持ち込むな」と言われるかも知れません。しかし、私に言わせれば、政治も普段の生活の延長でしかありません。「もっと給料上げてくれ」「もっと労働条件を良くしてくれ」と要求するのも、既に立派な政治的行為です。それを橋下徹みたいに、あたかも選挙で当選した政治家だけに許される特権のように捉え、「一般庶民には縁遠い」という風潮がはびこってしまったら、有権者としての権利を放棄する事にもなりかねません。
それに、スポーツも決して政治と無縁ではありません。それが証拠に、本来は「平和の祭典」として祝われるべきオリンピックも、現実には政治宣伝の場として散々利用されてきました。ベルリン五輪をナチス宣伝に利用したヒトラー然り、わざわざリオまで出かけて行って醜いパフォーマンスに明け暮れた安倍晋三然りで。その一方で、それに抗い、外国人選手への人種差別に抗議するサポーターの運動や、メダルをはく奪されてもベトナム戦争への従軍を拒否して黒人としての誇りを貫いたモハメド・アリ、ソ連のチェコ侵略に抗議の声を上げ続けた体操選手チャスラフスカの例もあります。その中で、ヒトラーもモハメド・アリも、味噌もクソも一緒くたにして、訳知り顔で「スポーツに政治を持ち込むな」と言う事で、一番得をするのは誰なのか?
私が競馬でプロレタリアトを応援するのも、ただのゲン担ぎです。それを他人にまで強制するつもりは毛頭ありません。その反対に、ちょっと競馬でゲン担ぎをした位で、一々「政治の話を持ち込むな」と言われるのも、私にとっては心外です。政治も生活の一部であり、政治を身近なものにする為には、むしろ普段の日常生活も、もっと政治と関連付けて捉える位でないとダメだと思います。