今、露のウクライナ侵略を盛んに非難する米国も、過去に今の露と同じ手口でメキシコからカリフォルニア・テキサスを強奪。どちらも元はメキシコ領だったが、米国は米系移民に反乱唆して傀儡政権樹立。当該政権の米国編入請願を口実に介入・併合。露と同じ穴の狢の米国言いなりで本当に良いのか?(12/20日の私のツイート)
上記のツイートにもある通り、テキサスやカリフォルニアは元々メキシコの領土でした。それを米国が侵略戦争で分捕ったのです。詳しくは下記の資料を読んで下さい。少し長くなりますが、「世界史の窓」という歴史学習用サイトの「アメリカ=メキシコ戦争/米墨戦争」のページからそのまま引用します。
19世紀前半にアメリカ合衆国は領土の拡大を続け、メキシコの領土を侵犯するようになった。メキシコ領であったテキサスにはアメリカ人が入植して、1836年に一方的にテキサス共和国の独立を宣言、さらに1845年、アメリカはテキサス共和国を併合した。メキシコが抗議すると、アメリカ合衆国はメキシコを挑発し、メキシコ側が先に領土を侵犯したと口実をもうけてメキシコ本土への侵攻を開始し、1846年5月、アメリカ=メキシコ戦争(米墨戦争)となった。
アメリカで戦争を望んだのは、西部・南部のプランター、大地主階級の膨張主義者であったが、道議無き侵略戦争に反対する国内世論(若きリンカンなどは議会で反対した)があったが、民主党のポーク大統領は出兵に踏み切った。メキシコ側は共和政に移行していたが保守派と改革派が対立、同時にフランスの干渉、インディオの反乱、ユカタン半島のマヤ族の分離運動などがあって、かつて独立戦争でスペイン軍と戦ったサンタ=アナが大統領に復帰したが、全面的な抵抗を組織できなかった。
メキシコの敗北と領土縮小
アメリカの陸軍はニューメキシコとカリフォルニアを制圧し、海軍は海兵隊をベラクルスに上陸させ、首都メキシコ=シティまで攻め込んで攻撃した。メキシコ=シティでは六人の少年兵の英雄的な戦いがあったが、アメリカ軍の近代装備の前に敗北し、1847年9月14日、アメリカ軍が占領、星条旗が首都に掲げられた。
翌1848年2月3日、両国は講和条約「グアダルーペ=イダルゴ条約」を締結、メキシコはカリフォルニアとニュー=メキシコの領土約240万平方kmを、1500万ドルでアメリカに譲渡し、両国国境はリオ=グランデ川とされた。
さらにメキシコのサンタ=アナ大統領は、1853年にアメリカとガスデン協定を結び、国境地帯のラ=メシージャ地域を700万ペソで売却した。こうして一連の領土喪失により、メキシコの国土は建国時の約半分の約200万平方kmに減少した。
Episode 「天国に最も遠く、アメリカに最も近い国」
メキシコ国民は、このアメリカ=メキシコ戦争での、アメリカの不当な侵略と、それによる国土の喪失を当然忘れていない。メキシコ=シティで侵略軍と戦った六人の「英雄少年兵」の記念碑はチャプルテペック公園に作られ、毎年記念日には大統領が献花している。また、グアダルーペ=イダルゴ条約の締結された日は屈辱の日として記憶されている。
(引用)「天国に最も遠く、米国に最も近い国」という名言は戦争の後の両国関係を物語ったものである。ポルフェリオ=ディアスが言ったという両国の地政学的位置を示す言葉だった。現在でも、メキシコ国民がアメリカ合衆国に対して、一種独特の嫌米感情を抱く背景には、この時期の両国の戦争とその結果として生じた領土喪失が尾を引いている。<大垣貴志郎『物語メキシコの歴史』2008 中公新書 p.111>
今、ロシアのウクライナ侵略を米国は非難していますよね。そして日本も、この侵略を口実に、防衛費を倍増しようとしていますよね。ところが、その侵略を非難する米国自身も、ほんの180年ほど前に、メキシコに対して、今のロシアと同じ事をやっていたのです。当時メキシコ領だったテキサスに盛んに移民を流入させ、移民をそそのかして「テキサス共和国」という国をでっち上げ、「テキサス共和国が米国編入を望んだ」からテキサスを併合した…。
これ、ロシアがウクライナ侵略した時の手口と全く同じじゃないですか。ロシアもクリミア半島やウクライナ東部に侵攻し、住民投票や「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」などの傀儡(かいらい=操り人形)政権をでっち上げ、「住民投票の結果」や「傀儡政権からの併合要請」を口実に隣国の領土を強奪しましたよね。
米国が他国の領土を侵略した例は、この「米墨戦争」以外にも一杯あります。例えばハワイもそうです。19世紀末までハワイは独立王国でした。王国でしたが近代的な立憲君主制の憲法を持っていました。ところが太平洋への進出を狙う米国は、ここでも米国系移民をそそのかして、クーデターで国王を追放し「共和国政府」をでっち上げます。そして「共和国政府からの要請」でハワイを米国に編入してしまいます。(Wikipedia「ハワイ併合」参照)
だからと言って、私は「米国が侵略したからロシアも侵略して良い」とは思いません。ウクライナに関しては100%ロシアが悪いです。しかし、それを非難する米国も「正義の味方」とはとても言えないのは、前述の事例からも明らかです。その米国の言いなりに、何でもかんでも従うのは、私は間違っていると思います。
ロシアのウクライナ侵略に抗議するなら、米国によるかつてのベトナム戦争や、今のイラク侵略戦争にも抗議すべきです。幾ら日本が日米安保条約で米国の庇護の下にあるとしても、それぐらいは言えるはずです。米国と同盟関係にあるドイツやフランスでも、イラク戦争の時は米国に反対したのですから。
岸田首相が会見 新たな安保3文書を閣議決定(2022年12月16日)ーこの総理記者会見を受けての私のこの間のツイート(ツイッター投稿)全文をこちらに転載しておきます。但し、ツイッターに添付した写真・画像は省略して投稿文のみ転載します。
岸田首相が12月16日の記者会見で、「防衛費を今までの倍のGDP比2%に引き上げる」と言った。しかし「防衛費倍増」「GDP2%」「反撃能力」がどうこう言われても普通の人は余りピンと来ない。そこで防衛費を家賃に例えてみた。
温泉に入る前に、まず犬鳴山の霊場にお参りしました。犬鳴山は修験僧の役行者 (えんのぎょうじゃ)が開いた日本最古の霊場で、七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)というお寺を中心に、渓谷沿いに滝や険しい岩場が点在しています。
犬鳴山の名前も、大蛇が猟師を襲おうとしていたのを、猟犬が見つけ吠え立てたので、猟師が「うるさい!」と怒って猟犬の首を斬り捨ててしまった後で、頭だけになってもなお蛇を咥えて離さなかった猟犬を見て、猟師が犬を弔う為に出家した故事に由来します。
左:塔の滝、右:7つの滝全てが記載された昔の地図
犬鳴山の名前の元になった猟犬の墓を通り過ぎ、韋駄天明神に腰痛防止のお願いをしたら、いよいよ七宝瀧寺の本堂と行者の滝です。この行者の滝で修験僧が滝に打たれて修行します。本格的な修行はこの滝の上の山の中で行われます。その山中にも修行の為の祠や岩場が点在しています。そこによじ登って行く為の鎖が行者の滝の横に付いています。
左:猟犬の墓、右:韋駄天神(腰痛防止の神様)
犬鳴山の修行の中には、奈良県の大峰山などで行われている度胸試しの「覗き」もあるようです。縄で足を括りつけられ、先輩の僧たちの手で引っ張られた修験僧が、断崖絶壁から下をのぞき込む荒行です。一般の方でも申し込めば修行体験できるそうです。うちの会社でも、出来の悪い社員に渇を入れる為に、社員研修で修行に参加させたらどうでしょうか?w。
犬鳴山は、標高こそ低いものの谷が険しいので、大阪の近くにいながら、まるで深山幽谷に迷い込んだかのような気分が味わえます。行者の滝から更に奥へハイキングコースは延びています。最終ゴールは山頂付近の五本松の展望台です。展望台の近くにはハイランドパーク粉河という休憩所もあり、レストランで簡単な食事もいただけます。でも、ここから先はもうハイキングというより登山に近くなるので、今回はパスして麓の温泉街まで戻ります。
左:行者の滝(遠くから見た図)、右:同(間近に見た図。崖をよじ登る鎖も付いている)
温泉街まで戻ったらもう正午過ぎになっていました。お昼は温泉街の外れにある「カフェテラス空」という喫茶店で、犬鳴地鶏の唐揚げ定食をいただきました。前菜も付いて税込千円です。その値段で地元産の新鮮なお肉や野菜がいただけるので、旅館のランチよりはるかにお得です。喫茶店も古風な落ち着いた感じで癒されました。
左:カフェテラス空(外観)、右:同(店内)
左:犬鳴地鶏の唐揚げ定食(前菜)、右:同(メインディッシュ)
温泉は「み奈美亭」という旅館の温泉に入りました。割引券もその旅館が発行したものです。霊場の渓谷を潤した犬鳴川が温泉街の中を流れ、やがて樫井川と名を変え大阪湾に注いでいます。旅館の内風呂や露天風呂からは犬鳴川の渓谷が見渡せます。私が温泉に入った時は他に先客が誰もいなかったので、露天風呂からの眺望もこっそり写真に撮らせてもらいました。
左:み奈美亭(外観)、右:同(露天風呂からの眺望)
お土産には和歌山県産のジャバラ(注)ジャムと柿の羊羹、大阪湾で獲れたガッチョ(メゴチ)の唐揚げ、熊野牛のカレーを購入しました。こちらは割引クーポンなぞ持っていなかったので、ちょうど税込二千円かかりました。少し使いすぎたかも知れません。(注)ジャバラ:和歌山県北山村に自生する幻の果実。みかんの様な形をしていて栄養豊富。
旅館の看板犬「さくらちゃん」も、初めて来た時は宿泊客にワンワン吠えていましたが、今やこんなに人懐こくなりました。私も動物好きなので癒されます。
その熊野牛のカレーを今夜の夕食にいただきました。レトルトパウチのカレーで、案の定、具はほとんど入っていませんでした。そんな事もあろうかと、事前にヒレカツを買っておいて良かったです。大根サラダやカボチャポタージュスープと一緒にいただきました。
左:看板犬のさくらちゃん、右:ホテルで買ったお土産
実は犬鳴山温泉以外に近くの健康ランドの入浴割引券も持っています。しかし、その健康ランドはいつも満員なので、いつしか行かなくなりました。これからは、少し遠いですが静かに、ゆっくり入浴できる犬鳴山温泉の方に日帰り入浴に行く事にします。
名古屋の知人がコロナに感染してしまいました。幸い軽症で体調不良もなかったので、12月8日まで自宅待機となりました。その知人が自宅に配達された療養食の写真をLINEで送ってくれました。上記がその写真です。以下がそのLINEのやり取りです。知人の了解が得られましたので、やり取りの全文をここに公開させてもらいます。
知人:名古屋のコロナ自宅療養者向けの配食サービスの宅配が先ほどありました。これで3食分となります。