今、職場で少し腹に据えかねている事がある。
それはバイト朝礼のいい加減さと、それを主宰する社員の傲慢な態度についてだ。
うちの会社のバイト朝礼がどれだけいい加減かと言うと、以前も社員による朝礼すっぽかし事件があったが、ここ数日も、社員が朝礼開始の号令をかけておきながら、バイトが検品等で抜けられないのにそのまま放置し、中止の連絡もせずにそのまま流してしまう事が何度かあった。
また、朝礼をやったらやったで、社員が作業手順の変更を指示する際も、まともに理由も説明せずに「上からのお達しでこう変える事にした」の一言で済ませた事も何度かあった。それに対して、我々バイトも問い質せば良かったのだろうが、こちらも気が急いている中で、それでなくとも慌しい始業時の時間帯に、いちいちそんな事にかまけている余裕なぞなかった。その積み重ねが今の体たらくを招いてしまったのだ。
こんな朝礼を、午前7時の始業時と午前9時15分のバイト全員が揃った時間に、一日に二度もやっていたのだ。9時15分の二度目の朝礼の内容も、7時の最初の朝礼で言った事の繰り返しと作業進捗状況の報告だけだ。何故こんな朝礼を二度もやるかと言うと、進捗状況を全員で共有し合う為なんだそうだw。ところが実際の朝礼はかくの如し。こんな朝礼なら何もしない方がまだマシだと、今まで何度も社員や副所長に掛け合って来た。その甲斐あって、ようやく二度目の朝礼は廃止になった。
後は「上からのお達し」云々だけで済まさず、ちゃんと手順変更の理由を社員に説明させる事だけだ。
それも、何もいちいち事細かに説明しろと言っているのではない。「同じ日配品なのに何故○社と△社の商品だけ別の場所で仕分けるのか?」「一番下に積まなければならない水物の商品を何故この店の分だけ最上段に積まなければならないのか?」と言った程度の事を、「上からのお達し」だの「これはこうするんや」だけでなく、「何故そうするのか?」もちゃんと説明もしてくれと言っているだけなのだ。
もちろん、急な変更があった時なぞ、社員もその理由を聞かされていない事もあるだろう。そんな時は「ちょっと理由までは聞いていなかったので、それについては後で説明する」と言えばそれで済む問題だ。
たったそれだけの事が何故できないのか。もはや、物理的にできないのではなく、最初からやる気がないとしか思えない。もっと言えば、我々バイトを人間としてではなく、家畜や奴隷のようにしか見なしていないからではないのか。今度この様な発言を社員がしたら、その際は朝礼のみんなが見ている前で、徹底的にそいつを問い詰めてやろうと思っている。
そんなモンモンとした思いの中で、今日の公休日に本屋で目にしたのが上記の本だ。松沢直樹・著「うちの職場は隠れブラックかも」(三五館・刊)。ブラック企業関連の別の本を探している時に、書棚の隣でたまたま見つけた。元々買おうとしていた本より価格が少し安かったのと、表紙の「隠れブラック」という本のタイトルや、「上司にこまめにメールを送る事で、後々にサービス残業を強いられていた証拠として社内メールを活用する」といった裏ワザの記述に惹かれて、こちらの方を買ってしまったのだ。
ブラック企業と言えば、「24時間365日死ぬまで働け!」の居酒屋チェーン「和民」や、残業代も払わず深夜10時間以上も一人で調理も接客もレジもさせる牛丼チェーン「すき家」などの例が有名だ。ところが実際には、そこまでは酷くなく、一応給料だけはまともに支払われる、うちの会社の様な「プチ・ブラック企業」も多いのだ。しかし、たとえ「プチ」であろうとも、その本質においては有名どころのブラック企業とも何ら変わらない事は、前述の朝礼や「お達し」発言の話からもお分かりになるだろう。
むしろ、うちの会社の様なグレーゾーンの「プチ・ブラック」企業こそ、法律の盲点やマスコミによる監視の目をより巧妙にすり抜けているという点では、有名どころ以上に悪質なのかも知れない。今日買ったばかりなのでまだほとんど読んでいないが、一応読者の皆さんにも勧めておきます。
但し、ここでも最後にぶち当たるのは政治の壁だ。この本のキャッチにはこう書かれている。
―会社に「?」を感じたら、迷わないこと!
―うちの職場は隠れブラックかも
―大丈夫だ、安心してほしい!
―職場で悩むあなたに役立つ 日本国憲法を味方につけた「鬼の就業マニュアル」登場!!
なるほど、第二次大戦の焼野原の中から、戦前の軍国主義者の圧力を排して国民が勝ち取った「日本国憲法」が、我々の最後の後ろ盾として機能している限りはまだ大丈夫だろう。今の「労働基準法」や「労働組合法」も、「日本国憲法」があってこそ初めて機能するのだから。
でも、その憲法が改悪されてしまったとしたらどうなるだろう。
今、憲法改正と言えば、とかく憲法9条の「戦争放棄」とか、そういう面ばかりに目が行きがちだが、自民党などが変えようとしているのは9条だけではない。「誰でも健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある」とする憲法25条や、「基本的人権は侵す事のできない永久の権利として、将来の国民にも与えられる」とする憲法12条や97条も含めて、人権の内容そのものが大幅に弱められようとしている。その事は既に今までもこのブログでも何度も取り上げてきたので詳しくは書かない。
ここでは、我々にとってもより身近な「残業代ゼロ法案」についてだけ取り上げておく。これは安倍首相が、「日本を世界で一番企業が活動しやすい国にする」と言って、制定しようとしている法案の一つだ。残業代を、これまでの労働時間を基準にしたものから出来高払いに近い形に変え、いくら残業しても成果が出なければ払わなくても良いようにするというのが、この法案の中身だ。(参考:「残業代ゼロ」一般社員も 産業競争力会議が提言へ 4月22日付朝日新聞)
今でも管理監督者(単なる中間管理職ではなく重役以上を指す)や一部の賃金体系適用者については残業割増賃金を支払わなくても良い仕組みになっているが、その枠をもっと大幅に広げようとしているのだ。もちろん、いきなり労働者全員にそれを強制する事は出来ないから、今の所は(1)労働者本人や労働組合と合意した場合に限り、(2)年収1千万以上の一般社員にも「残業代ゼロ法案」を適用しようとしているのだ。
でも、こんな制限をいくらつけた所で、絵に描いた餅にしかならない事は直ぐに分かるだろう。労働者と経営者(資本家)が対等だというのはあくまでも法律の上だけの事であり、実際はカネも権力も握っている経営者の方がはるかに強い。労働基準法や労働組合法もそんな弱い立場の労働者を保護する為にあるのだが、その中で(1)のような事をいくら決めても、組合を会社の息のかかった社員で牛耳ってしまい、「同意しなければ出世させないぞ」と本人を脅かせば、いくらでも会社のしたい放題にできる。(2)の年収制限にしても、後でいくらでも引き下げる事ができる。
残業代や賃金も労働時間を基準にしたものから成果を基準にしたものに変える。これは一見すると「信賞必罰」で当然の事と思われがちだが、その評価は一体誰がするのか。経営者が金儲けを基準に好き勝手に設定するのだ。いくら残業しても成果がでなければタダ働きにしかならない。また、たとえ自然エネルギーの開発に成功したとしても、原発企業では金儲けにはならないので、いくら社会的に価値のある研究でも成果としては認められない、という事にもなりかねない。第一、成果なんてそう簡単に誰にも出せるものではない。ちょっとやそっとの努力だけで成果が出るなら、誰でもオリンピック選手になれるし競馬も当てる事ができる。かと言って、「ちょっとやそっとの努力」だけでは不十分だ、「24時間365日死に物狂いで努力せよ」となれば、もう日本中が「すき家」みたいなブラック企業ばかりになってしまう。
そもそも、こんな法案一つでダラダラ仕事が一掃でき、メリハリが出て効率も上がると本気で思っているなら、わざわざこんな法案なぞ作らなくても、今までの「労働基準法」による8時間労働規制で充分対応できた筈だ。国家ぐるみの人権侵害を労働者のやる気や能力の問題にすり替えるな。しかも、第一次安倍政権の時にも、全く同じ趣旨の「ホワイトカラー・エグゼンプション」法案を出そうとして、世論の袋叩きに合ってひっこめたくせに、性懲りもなく同じ物を出して来るとは。もはや安倍・自民党は我々労働者に喧嘩を売っているとしか思えない。
要するに、「人よりも国」「何よりもお上大事」というのが安倍や自民党の考え方だ。その為には、日本国憲法に盛られた「自由、人権、平和」の考え方そのものが邪魔なのだ。だから二言目には「今の憲法はアメリカの押し付けでケシカラン」と息巻いているのだ。実際にはアメリカ言いなりの政治を推し進めているくせに。
その為に、単に憲法9条だけでなく、「労働組合も自由に作れる」とする労働組合法や、「原則1日8時間を超える労働をさせてはならない、超える場合はそれに見合った割増賃金を支払わなければならない」とする労働基準法や、「労働者も資本家も、バイトも社員も一人の人間としては平等だ」「どんな人間にも平等に人権がある」「もし生活に困窮している人があれば、その人の生きる権利を国が保障しなければならない」とする憲法の他の条文にまで、安倍は手をつけようとしているのだ。
そりゃあ、確かに自民党の憲法改正案にも、「自由や人権を尊重する」「今の憲法の平和主義は受け継ぐ」といった事が表向きには書かれている。でも、その改憲案をよく読めば、「人権」を「永久に侵す事のできない権利」から「国の都合でいくらでも縮小できるもの」に巧妙に変質させられている事が、いくらでも見て取れる。現に、自民党改憲論者の片山さつきや石破茂が、公的な場でそれに類する事をどんどん言っているじゃないか。自由や人権獲得の歴史もろくに教えないまま、「自由には責任がともなう」としか書いていない道徳の教科書を使わせようとしたり。この発想も、何でも「お達し」だけで人を動かそうとするうちの社員と全く同じだ。
上の写真は前述「残業代ゼロ」報道の当該紙面とその図解拡大図。
アベノミクスのお零れなんて、せいぜい大企業の上級社員止まり。2011年の国内餓死者は、栄養失調と食糧不足を合わせ1746人も。およそ5時間に1人が餓死している勘定になる。日本の貧困率(所得が標準の半分に満たない貧困層の割合)は今や16%。先進国の中でもワースト4位。日本が総中流社会と言われたのは昔の事で、今や押しも押されぬ貧困・格差大国だ。それでも片山さつきなぞは、全体の僅か0.4%しかない不正受給ばかり言い募り、生活保護制度を更に名ばかりのものにしようとしている。
それもこれも全て、今の政府が「人よりも国」「国家権力さえ安泰であれば国民の事なぞどうなっても良い」と考えているからに他ならない。戦時中もそんなろくでもない政府指導者ばかりだったから、日本の兵士はガダルカナル島やインパールの戦場で、ろくに補給もされずに飢えやマラリアでばたばた犬死にさせられたのだ。ブラック企業に使い捨てされる今の労働者のように。「人を物扱い、家畜・奴隷扱い」の国家体質は今も昔も変わらない。
「憲法改正」と言えば、アホの一つ覚えみたいに、従軍慰安婦がどうたら靖国参拝がこうたらと喚き立て、「憲法9条のせいで中国や北朝鮮が攻めてくる」と言うしか能の無いバカウヨ、ネトウヨは、憲法改悪で日本中をブラック企業だらけ、昔の「蟹工船」や「女工哀史」のような職場だらけにしたいのか。
それはバイト朝礼のいい加減さと、それを主宰する社員の傲慢な態度についてだ。
うちの会社のバイト朝礼がどれだけいい加減かと言うと、以前も社員による朝礼すっぽかし事件があったが、ここ数日も、社員が朝礼開始の号令をかけておきながら、バイトが検品等で抜けられないのにそのまま放置し、中止の連絡もせずにそのまま流してしまう事が何度かあった。
また、朝礼をやったらやったで、社員が作業手順の変更を指示する際も、まともに理由も説明せずに「上からのお達しでこう変える事にした」の一言で済ませた事も何度かあった。それに対して、我々バイトも問い質せば良かったのだろうが、こちらも気が急いている中で、それでなくとも慌しい始業時の時間帯に、いちいちそんな事にかまけている余裕なぞなかった。その積み重ねが今の体たらくを招いてしまったのだ。
こんな朝礼を、午前7時の始業時と午前9時15分のバイト全員が揃った時間に、一日に二度もやっていたのだ。9時15分の二度目の朝礼の内容も、7時の最初の朝礼で言った事の繰り返しと作業進捗状況の報告だけだ。何故こんな朝礼を二度もやるかと言うと、進捗状況を全員で共有し合う為なんだそうだw。ところが実際の朝礼はかくの如し。こんな朝礼なら何もしない方がまだマシだと、今まで何度も社員や副所長に掛け合って来た。その甲斐あって、ようやく二度目の朝礼は廃止になった。
後は「上からのお達し」云々だけで済まさず、ちゃんと手順変更の理由を社員に説明させる事だけだ。
それも、何もいちいち事細かに説明しろと言っているのではない。「同じ日配品なのに何故○社と△社の商品だけ別の場所で仕分けるのか?」「一番下に積まなければならない水物の商品を何故この店の分だけ最上段に積まなければならないのか?」と言った程度の事を、「上からのお達し」だの「これはこうするんや」だけでなく、「何故そうするのか?」もちゃんと説明もしてくれと言っているだけなのだ。
もちろん、急な変更があった時なぞ、社員もその理由を聞かされていない事もあるだろう。そんな時は「ちょっと理由までは聞いていなかったので、それについては後で説明する」と言えばそれで済む問題だ。
たったそれだけの事が何故できないのか。もはや、物理的にできないのではなく、最初からやる気がないとしか思えない。もっと言えば、我々バイトを人間としてではなく、家畜や奴隷のようにしか見なしていないからではないのか。今度この様な発言を社員がしたら、その際は朝礼のみんなが見ている前で、徹底的にそいつを問い詰めてやろうと思っている。
そんなモンモンとした思いの中で、今日の公休日に本屋で目にしたのが上記の本だ。松沢直樹・著「うちの職場は隠れブラックかも」(三五館・刊)。ブラック企業関連の別の本を探している時に、書棚の隣でたまたま見つけた。元々買おうとしていた本より価格が少し安かったのと、表紙の「隠れブラック」という本のタイトルや、「上司にこまめにメールを送る事で、後々にサービス残業を強いられていた証拠として社内メールを活用する」といった裏ワザの記述に惹かれて、こちらの方を買ってしまったのだ。
ブラック企業と言えば、「24時間365日死ぬまで働け!」の居酒屋チェーン「和民」や、残業代も払わず深夜10時間以上も一人で調理も接客もレジもさせる牛丼チェーン「すき家」などの例が有名だ。ところが実際には、そこまでは酷くなく、一応給料だけはまともに支払われる、うちの会社の様な「プチ・ブラック企業」も多いのだ。しかし、たとえ「プチ」であろうとも、その本質においては有名どころのブラック企業とも何ら変わらない事は、前述の朝礼や「お達し」発言の話からもお分かりになるだろう。
むしろ、うちの会社の様なグレーゾーンの「プチ・ブラック」企業こそ、法律の盲点やマスコミによる監視の目をより巧妙にすり抜けているという点では、有名どころ以上に悪質なのかも知れない。今日買ったばかりなのでまだほとんど読んでいないが、一応読者の皆さんにも勧めておきます。
但し、ここでも最後にぶち当たるのは政治の壁だ。この本のキャッチにはこう書かれている。
―会社に「?」を感じたら、迷わないこと!
―うちの職場は隠れブラックかも
―大丈夫だ、安心してほしい!
―職場で悩むあなたに役立つ 日本国憲法を味方につけた「鬼の就業マニュアル」登場!!
なるほど、第二次大戦の焼野原の中から、戦前の軍国主義者の圧力を排して国民が勝ち取った「日本国憲法」が、我々の最後の後ろ盾として機能している限りはまだ大丈夫だろう。今の「労働基準法」や「労働組合法」も、「日本国憲法」があってこそ初めて機能するのだから。
でも、その憲法が改悪されてしまったとしたらどうなるだろう。
今、憲法改正と言えば、とかく憲法9条の「戦争放棄」とか、そういう面ばかりに目が行きがちだが、自民党などが変えようとしているのは9条だけではない。「誰でも健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある」とする憲法25条や、「基本的人権は侵す事のできない永久の権利として、将来の国民にも与えられる」とする憲法12条や97条も含めて、人権の内容そのものが大幅に弱められようとしている。その事は既に今までもこのブログでも何度も取り上げてきたので詳しくは書かない。
ここでは、我々にとってもより身近な「残業代ゼロ法案」についてだけ取り上げておく。これは安倍首相が、「日本を世界で一番企業が活動しやすい国にする」と言って、制定しようとしている法案の一つだ。残業代を、これまでの労働時間を基準にしたものから出来高払いに近い形に変え、いくら残業しても成果が出なければ払わなくても良いようにするというのが、この法案の中身だ。(参考:「残業代ゼロ」一般社員も 産業競争力会議が提言へ 4月22日付朝日新聞)
今でも管理監督者(単なる中間管理職ではなく重役以上を指す)や一部の賃金体系適用者については残業割増賃金を支払わなくても良い仕組みになっているが、その枠をもっと大幅に広げようとしているのだ。もちろん、いきなり労働者全員にそれを強制する事は出来ないから、今の所は(1)労働者本人や労働組合と合意した場合に限り、(2)年収1千万以上の一般社員にも「残業代ゼロ法案」を適用しようとしているのだ。
でも、こんな制限をいくらつけた所で、絵に描いた餅にしかならない事は直ぐに分かるだろう。労働者と経営者(資本家)が対等だというのはあくまでも法律の上だけの事であり、実際はカネも権力も握っている経営者の方がはるかに強い。労働基準法や労働組合法もそんな弱い立場の労働者を保護する為にあるのだが、その中で(1)のような事をいくら決めても、組合を会社の息のかかった社員で牛耳ってしまい、「同意しなければ出世させないぞ」と本人を脅かせば、いくらでも会社のしたい放題にできる。(2)の年収制限にしても、後でいくらでも引き下げる事ができる。
残業代や賃金も労働時間を基準にしたものから成果を基準にしたものに変える。これは一見すると「信賞必罰」で当然の事と思われがちだが、その評価は一体誰がするのか。経営者が金儲けを基準に好き勝手に設定するのだ。いくら残業しても成果がでなければタダ働きにしかならない。また、たとえ自然エネルギーの開発に成功したとしても、原発企業では金儲けにはならないので、いくら社会的に価値のある研究でも成果としては認められない、という事にもなりかねない。第一、成果なんてそう簡単に誰にも出せるものではない。ちょっとやそっとの努力だけで成果が出るなら、誰でもオリンピック選手になれるし競馬も当てる事ができる。かと言って、「ちょっとやそっとの努力」だけでは不十分だ、「24時間365日死に物狂いで努力せよ」となれば、もう日本中が「すき家」みたいなブラック企業ばかりになってしまう。
そもそも、こんな法案一つでダラダラ仕事が一掃でき、メリハリが出て効率も上がると本気で思っているなら、わざわざこんな法案なぞ作らなくても、今までの「労働基準法」による8時間労働規制で充分対応できた筈だ。国家ぐるみの人権侵害を労働者のやる気や能力の問題にすり替えるな。しかも、第一次安倍政権の時にも、全く同じ趣旨の「ホワイトカラー・エグゼンプション」法案を出そうとして、世論の袋叩きに合ってひっこめたくせに、性懲りもなく同じ物を出して来るとは。もはや安倍・自民党は我々労働者に喧嘩を売っているとしか思えない。
要するに、「人よりも国」「何よりもお上大事」というのが安倍や自民党の考え方だ。その為には、日本国憲法に盛られた「自由、人権、平和」の考え方そのものが邪魔なのだ。だから二言目には「今の憲法はアメリカの押し付けでケシカラン」と息巻いているのだ。実際にはアメリカ言いなりの政治を推し進めているくせに。
その為に、単に憲法9条だけでなく、「労働組合も自由に作れる」とする労働組合法や、「原則1日8時間を超える労働をさせてはならない、超える場合はそれに見合った割増賃金を支払わなければならない」とする労働基準法や、「労働者も資本家も、バイトも社員も一人の人間としては平等だ」「どんな人間にも平等に人権がある」「もし生活に困窮している人があれば、その人の生きる権利を国が保障しなければならない」とする憲法の他の条文にまで、安倍は手をつけようとしているのだ。
そりゃあ、確かに自民党の憲法改正案にも、「自由や人権を尊重する」「今の憲法の平和主義は受け継ぐ」といった事が表向きには書かれている。でも、その改憲案をよく読めば、「人権」を「永久に侵す事のできない権利」から「国の都合でいくらでも縮小できるもの」に巧妙に変質させられている事が、いくらでも見て取れる。現に、自民党改憲論者の片山さつきや石破茂が、公的な場でそれに類する事をどんどん言っているじゃないか。自由や人権獲得の歴史もろくに教えないまま、「自由には責任がともなう」としか書いていない道徳の教科書を使わせようとしたり。この発想も、何でも「お達し」だけで人を動かそうとするうちの社員と全く同じだ。
上の写真は前述「残業代ゼロ」報道の当該紙面とその図解拡大図。
アベノミクスのお零れなんて、せいぜい大企業の上級社員止まり。2011年の国内餓死者は、栄養失調と食糧不足を合わせ1746人も。およそ5時間に1人が餓死している勘定になる。日本の貧困率(所得が標準の半分に満たない貧困層の割合)は今や16%。先進国の中でもワースト4位。日本が総中流社会と言われたのは昔の事で、今や押しも押されぬ貧困・格差大国だ。それでも片山さつきなぞは、全体の僅か0.4%しかない不正受給ばかり言い募り、生活保護制度を更に名ばかりのものにしようとしている。
それもこれも全て、今の政府が「人よりも国」「国家権力さえ安泰であれば国民の事なぞどうなっても良い」と考えているからに他ならない。戦時中もそんなろくでもない政府指導者ばかりだったから、日本の兵士はガダルカナル島やインパールの戦場で、ろくに補給もされずに飢えやマラリアでばたばた犬死にさせられたのだ。ブラック企業に使い捨てされる今の労働者のように。「人を物扱い、家畜・奴隷扱い」の国家体質は今も昔も変わらない。
「憲法改正」と言えば、アホの一つ覚えみたいに、従軍慰安婦がどうたら靖国参拝がこうたらと喚き立て、「憲法9条のせいで中国や北朝鮮が攻めてくる」と言うしか能の無いバカウヨ、ネトウヨは、憲法改悪で日本中をブラック企業だらけ、昔の「蟹工船」や「女工哀史」のような職場だらけにしたいのか。
昨日、仕事の帰り際に、先月行われた定期健診の結果を会社から受け取り、何気なく中身を見た途端に・・・一瞬目が点になりました。何と「糖尿病の疑いがあるので、精密検査や再検査を受けて下さい」と書かれてましたから。それまでは、糖尿病なんて一種の「ぜいたく病」で、私とは全く縁がないと思っていたので。
実際には糖尿病は「ぜいたく病」なんかではなく、過労やストレスでも発症し、それに苦しんでいる患者も多くいる訳ですが。でも、私の頭の中では、まだまだ酒飲みやヘビースモーカーやメタボな奴がなる病気だというイメージがありました。その意味では、腰痛を患っている私の身体は、外科的にはおせじにも健康体とは言えませんが、酒もタバコもやらないので、内科的にはそういう病気とは今まで無縁だと思っていましたので。
以下がその健診結果通知書の要旨です。(上の写真の赤線部や赤枠で囲った部分)
総合判定→要再検・精検:詳しい検査が必要ですので受診して下さい。
指示項目→尿糖陽性(2+)で精密検査を受けて下さい。血糖値異常(113)で尿タンパク(+)も陽性なので経過観察を要します。
※血糖値とは血液1デシリットル中の血糖(ブドウ糖)量をmgで表示したもので、0~99が正常値なのだそうです。
注意事項→就業注意。糖尿病疑です。食事のバランスや糖分、飲酒に気を付け、3ヶ月後に再検査を受けて下さい。
はあっ??何でやねん!酒もタバコもやらず、暴飲暴食やメタボとも無縁で、実際に昨年までは何の異常も見られなかった私が、何でよりによって糖尿病なんかに・・・??
しかし、もし本当に糖尿病なら、医療費だけでもバカになりません。食事も制限されるし、下手すれば仕事も辞めなければならなくなる・・・お役所ですら、あれこれ難癖つけて生活保護の申請すらさせないようにしているこの国で、失業すれば一体どうやって食べて行けば良いのか・・・。私は途方に暮れてしまいました。
もはや「3ヶ月後」まで待っておれません。幸い翌日の今日が公休日なので、さっそく近所の総合病院に精密検査を受けに行く事にしました。それに先立ち、自宅に帰ってからもネットで糖尿病について調べてみました。
そもそも糖尿病とは、簡単に言えば、すい臓で作られるインスリン(インシュリン)というホルモンの分泌や調節がうまく働かなくなった結果、ブドウ糖やタンパク質が栄養として体内に取り込まれず、血液や尿にあふれ出す病気であり、酒やタバコ、暴飲暴食や不規則な食事以外にも、過労やストレスによっても誘発されます。その結果、疲れやすくなったり、やたら喉がかわいたり、何度もおしっこに行きたくなったり(頻尿)といった症状が出てきます。今の治療は、そのつどインスリンの分泌を促したり血糖値を下げたりといった対症療法がまだまだ主流で、いったん糖尿病になると、今でもなかなか治りにくいのだそうです。
そう言われれば、確かに私は酒もタバコもやらないし、むしろ小柄でメタボとは縁遠い身体ですが、最近朝はやたらトイレに行きたくなります。起床後に1回、出勤前に1回小便をしても、1時間後にまたしたくなります。その後は午前中に約1回、午後からも仕事が終わるまで1~2回程度なので、朝の頻尿は、早朝から寒い所での作業にいきなり入る為に、身体がまだそれに適応できずに起こるものだと思っていたのですが。ひょっとしたらひょっとするかも・・・。
毎日の食事も、確かに生協時代みたいに夜遅くまで働かされて寝る間際に夕食を食べるような事はもうないものの、母が亡くなってからは毎日のおかずも出来合いの惣菜ばかりなので、知らず知らずのうちに栄養が偏っていたり、ヘルシーだと思っていた魚や豆腐も取り過ぎるとプリン体の過剰摂取につながると、どこかに書いてあったので、ひょっとしたら・・・と、徐々に不安な気持ちになって来ました。
(参考資料)
・日本糖尿病学会 http://www.jds.or.jp/
・(社)日本糖尿病協会 http://www.nittokyo.or.jp/
・糖尿病ネットワーク http://www.dm-net.co.jp/
それで、今日、意を決して病院で精密検査を受けてきた結果・・・やっぱりシロでした!(上の写真の赤枠囲み部分)
血糖値は84、HbA1c(血液中のヘモグロビン濃度?)5.1%、その他の数値も全て正常の範囲内で、尿中の潜血や糖やタンパクも陰性でした。
では、会社の定期健診でなぜ今回、糖尿病の疑いがあると診断されたかというと、この健診を受けた日は、朝からメチャメチャ仕事が忙しかった日でした。もう1ヶ月も前の事ですが、余りにも忙しかったので手帳の余白にもその旨をたまたま書き記していたのが、思い出す決め手となりました。その後、昼食も含めて1時間の休憩の後に、午後からすぐ受診したので、当日の激しい労働に昼食後という条件が加わり、このような数値が出たのではないかと思っています。実際、再検査した病院でも同じ様な事を言われました。
しかし、会社の定期健診でも、こんな事って実際にあるのですよね。意外と「いい加減」と言うか。お蔭でせっかくの公休日も、精密検査の結果を待つだけで丸々半日かかってしまったので、もう後は近所で買い物をしたりスーパー銭湯で休んだりして過ごすしかありませんでした。それでも何もなくてまずは一安心な一日でした。
NHKスペシャルで「廃炉への道」というシリーズ番組をやっていました。事故が起こった福島第一原発と近くの第二原発を、今後40年かけて廃炉にしていく様子を記録に残すという触れ込みで、その初回の放送が4月20日の日曜日夜にありました。普段はTVなぞほとんど観ない私も、タイトルに惹かれて観る事にしました。
番組の前半は結構惹きつけられました。
いわく、事故当初はガレキだらけで高い放射線量を記録していた原発敷地内も、ガレキが除去されたお蔭で何とか作業が出来る様になった。次はいよいよ原子炉建屋内のガレキや原子炉内のデブリ(核燃料の破片・残滓)の除去に向かう。しかし、建屋内はまだまだ放射線量が高く、とても人間が作業できる環境にはない。そもそも、建屋内の破損状況すら全然分かっていない。
そこで、ガレキを取り除いたり放射線量を図るロボットが原発の建屋内に投入される事となった。まず建屋の損傷が最も少なかった2号機で、ウォーリアというロボットが障害物を取り除き、その次にマイスターというロボットでオペフロ(原子炉格納容器の天井部)のコンクリートを採取し放射線量を測る方法が取られた。ところが実際は、ウォーリアが段差に乗り上げ転倒して使い物にならなくなり、マイスターが採取したコンクリートのサンプル片にも放射能が厚さ1ミリ以上も浸透している事が明らかになり、まだまだ人間が作業できない環境である事が判明した。
また、原子炉内部の損傷やデブリの分布状況も調べなければならないが、その為には原子炉の貫通口まで観測機材を作業員が持って行かなければならない。しかし、その貫通口の周囲には高い放射線量を出す配管が走っていて、とても作業員が近づける環境にはない。それに対し、原子炉の反対側は比較的線量が低く、そこにも別の貫通口があるのだが、その貫通口は直径10センチしかない。通常の観測機材では通す事は出来ないので、そこを通す特殊な蛇型の機材を開発する事になった・・・と。
ここまでは結構良かったです。廃炉の技術的な内容やその困難さなぞ、素人にはなかなか分かりませんから。それを分かりやすく解説してくれていて、結構勉強になりました。ところが、その後がいけません。
いわく、原子炉内に残存している核燃料やデブリからの熱の発生を抑え、それらを取り出す為にも、原子炉内への注水が欠かせない。しかし、それは他方では大量の汚染水を生み出す事になる。汚染水を保管するタンクの増設も追いつかない。そこで、苦肉の策として、山から原発の下を通って海に流れ込む地下水を、原発の手前のまだ放射能に汚染されていない段階で迂回路に流し込み海に放流したい。その了解を漁業関係者から得ようと東電やメーカーが苦労している。その中で、最初は風評被害を気にして心を閉ざしていた漁業者も、徐々に廃炉事業に協力する中で復興をめざす方向に傾きつつある・・・と。まるで政府や東電の受け売り番組そのものじゃないか!
何が「まだ放射能に汚染されていない段階で迂回路に流し込み」ですか。既に事故直後に大量の放射能が原発から漏れ出て太平洋上や阿武隈山地の方に飛散している事がスピーディのデータで明らかになっています。その上、その後も汚染水を保管したタンクや格納容器の亀裂から大量の汚染水が漏れ出て海に流出している事も、これまでの報道でとっくに明らかになっています。その原発から漏れ出た放射能の大気や海に流れ出た汚染水が蒸発して、再び雨となって山に降り注いで地下水として原発に流れ込んでいるのでしょう。既に原発の手前で充分汚染されているじゃないか!しかも、そうやって何度も蒸発を繰り返しているうちに、食物連鎖による生物濃縮も加わり、放射能はますます濃縮されていきます。
それに加え、実際の廃炉作業も、ヤクザを使って素人の作業員をかき集め、ろくに安全対策も講じないまま、被曝線量の上限をクリアさせる為にわざと線量計を外して作業させたり、多重下請構造の中で危険手当や賃金のピンハネが公然とまかり通っていたり、汚染水タンクの増設だけに追われる中で、ろくに溶接もされないタンクが作られ、そこから水が漏れ出している事も、もはや公然の秘密となっています。嘘だと思うなら、「福島原発、汚染水流出」でも何でも良い、適当なキーワードで少しネット検索するだけでも、一杯その手の情報が入手できます。
・福島第1原発のタンクから100トンの高濃度汚染水漏れ=東電(ロイター)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1J01W20140220
・焦点:福島原発汚染水、漏えいタンクに違法労働の影(同上)
http://jp.reuters.com/article/jp_energy/idJPTYE9B906720131210
・福島第1原発 汚染水ますます深刻 海水の放射性物質 濃度下がらず(しんぶん赤旗)
http://blogos.com/article/76972/
・福島原発問題について(科学者の眼)――科学者による原発事故の解説(日本科学者会議)
http://www.jsa.gr.jp/pukiwiki/index.php?%CA%A1%C5%E7%B8%B6%C8%AF%CC%E4%C2%EA%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6
政府や東電が今回の事故対策のモデルケースにしているのが米国スリーマイル原発の事故ですが、この事故の場合はメルトダウンこそしたものの、まだ格納容器はかろうじて破損からまぬがれる事が出来ました。炉心が露出していた時間も100分前後と、福島原発事故の数日間と比べはるかに短かった。だからこそ、まだ注水で何とかしのげたのです。
NHKの当該番組では東電の廃炉工程表の解説もされましたが、その工程表には最も肝心な事が抜け落ちています。その最も肝心な事とは、安倍政権の退陣で、一刻も早く今の原発固執政策と決別し、脱原発に舵を切る事です。脱原発を実現すれば、注水も廃炉も不要になる。
そうすると「そんな事を言うなら電気を使うな」という人が必ず出てきますが、そんな論理のすり替えに騙されてはいけません。何も原子力でなくても発電はできるのに、勝手に原子力の比重を高めておいて、まるでそれ以外には選択肢がないかのような物言いこそがマヌーバー。火力発電では石油を輸入に頼る事になる?地球温暖化が更に酷くなる?原発燃料のウランやプルトニウムは石油以上に輸入依存ですが?過酷事故で一旦放射能に汚染されたら将来の地球温暖化どころの騒ぎでは済まなくなるのも、チェルノブイリや福島の事故で既に充分証明済みですが。発電所のタービンを回す蒸気の、その元となるお湯を何で沸かすかという、たったそれだけの為に何故これほど犠牲を払わなければならないのか。
上記はこの4月28日に福島で開催される汚染水問題の集会案内です。関心のある方は是非ご参集下さい。
もう大阪では桜も散ってしまいましたが、今年撮った桜の写真をブログに載せておきます。今年はどこにもお花見に行けなかったので、近所の浜寺公園の桜で我慢していました。その時に撮ったうちの一枚が上記左の写真です。
昔の海岸沿いの土手道を、北側から南に向けて撮りました。浜寺公園を訪れるのはもう子供の時以来です。その頃に見た交通遊園の遊覧汽車は今も走っていましたが、古い南海電車の展示はもうなくなっていました。
今の石油化学コンビナートが出来る前は、この土手の右側に遠浅の海水浴場が広がっていました。白砂青松の砂浜で、毎年夏になれば百万人もの海水浴客が詰めかけていたらしいです。
そうやって何気に撮った桜の写真が今頃役に立つとは、その時は全然思っていませんでした。何と高石の市役所で、桜フォトコンテストの写真を応募していました。応募規定によると、今年、高石市内か浜寺公園(つまりうちの近所限定)で撮った未発表の写真1点を、カラープリント四つ切サイズで原版(カメラならネガ、携帯写真ならCDファイル)と一緒に、下記の要領で郵送か直接持参で市役所の窓口に届けて下さいとの事です。私も今日の休みに早速、市役所に直接持って行って来ました。以下、高石市のHPより転載。商品券当たれば良いな。
桜フォトコンテストを開催します!
高石市内・浜寺公園で撮影した桜の写真を大募集します。
あなたのとっておきのベストショットをお待ちしております。
○応募期間
平成26年4月14日(月曜日)から平成26年4月25日(金曜日) ※当日必着
○応募方法
たかいし桜フォトコンテストチラシの裏面、応募票に必要事項を記入し、
写真の裏面に貼付して「たかいし桜フォトコンテスト係」まで郵送、または持参ください。
(詳しくは下部「たかいし桜フォトコンテストチラシ」をご確認ください。)
○応募先
〒592-8585 高石市加茂4-1-1
高石市役所 政策推進部 地域活力創出課 「たかいし桜フォトコンテスト」係
○入賞発表
平成26年5月中旬予定。
審査後、入賞者に直接通知します。
最優秀賞 1名(賞状・副賞たかいし共通商品券20,000円分)
優秀賞 2名(賞状・副賞たかいし共通商品券10,000円分)
入賞 7名(賞状・副賞たかいし共通商品券2,000円分)
○作品展
平成26年5月中旬予定。
入賞作品及び応募作品は市役所本館ロビーにて展示します。
(以下略)
http://www.city.takaishi.lg.jp/kakuka/seisakusuishin/tiikikaturyokusoshutu_ka/sakura_photo.html
4月13日(日曜日)15時半から、私の地元、大阪・高石の中央公民館で、「パッチギ!」「岸和田少年愚連隊」等の映画監督である井筒和幸さんを招いての憲法9条講演会があり、私も参加してきました。
公民館には15時過ぎに着きました。開演の15時半にはもう会場の大ホールが満席となっていました。最初に講演主催者の「高石9条の会」を代表して弁護士の山崎国満さんから挨拶があり、そこから井筒さんの「いま憲法9条を熱く語る」と題しての講演が1時間15分ほど、その後に講演を受けての質疑応答があり、羽衣保育所の民営化・廃止差し止め裁判への支援とカンパの訴えと、集会アピールの採択という流れで、夕方17時半ぐらいに終わりました。
講演に先立ち、集団的自衛権に関する新聞切抜き記事を集めた資料が配布され、それを見ながらの講演傍聴となりました。その資料はA3サイズで52ページもあり、正直言って目を通すだけで一苦労でした。但し、内容そのものは優れており、自宅では親父が購読している産経のクソみたいな記事しか目に入らないので、そういう意味では、朝日や赤旗の記事も多く収録された資料は大変勉強になりました。
その新聞切抜き資料の中でも、とりわけ内田樹(うちだ・たつる)さんのインタビュー記事が特に印象に残りました。内田さんはその中で、集団的自衛権は確かに国連憲章でも認められた主権国家の権利だが、実際は安全保障の名の下に、超大国が自国の勢力圏にある国々の反政府運動、民主化運動や独立運動を弾圧する口実として使われてきた事を指摘されていました。なるほど言われてみればそうです。かつてのソ連・ワルシャワ条約機構によるチェコスロバキア侵略も、米国・米州機構によるキューバ・ニカラグア革命への干渉も、全て「機構加盟国の安全と利益を守る」という集団的自衛権の論理で正当化されてきました。
これは重要な指摘だと思います。日本での集団的自衛権の議論と言えば、これは日米安保条約の是非をめぐる議論でもそうですが、ともすれば「米国の戦争に巻き込まれる」という「受け身」「被害者」の視点でしか取り上げられて来ませんでした。反対派は「怖い、恐ろしい」と反発し、賛成派は「それは心配し過ぎだ」と取り合いませんでした。でも、本当に怖いのは「戦争に巻き込まれる」だけでなく、自分も「加害者」として、かつての大日本帝国のように、他国を侵略する側に回らされかねない事ではないでしょうか。米国が911テロにやられたのも、帝国主義国家として、ベトナム・中東や中南米を始め、第三世界の民衆から恨まれるような事を過去に一杯やってきたからではないですか。
それを安倍政権は、トップダウンの手法で、今までは歴代の自民党政府ですら認めなかった集団的自衛権を、国会にもはからず閣議決定の一片の通達だけで、認めようとしているのです。これはいわば、今まで裁判所が踏襲してきた過去の判例を、首相が自分の判断だけでひっくり返そうとするようなものです。選挙に勝ったからといって、首相や与党が何しても良い訳ではありません。もし、そんな事になれば、国会も裁判所も内閣の下請け機関に成り下がってしまいます。これではもはや三権分立でも民主主義でもありません。戦時中の日本の大政翼賛会や今の北朝鮮のような独裁政治と同じです。
このような独裁政治が行われようとしているのに世論は無関心です。選挙の投票率は過半数を割り込み、消費税増税や原発推進には反対なのに安倍政権・自民党の支持率は依然として高い。井筒監督もそれをしきりに嘆いておられました。
某TV番組の街頭インタビューで、「かつて日本が戦争した国を、韓国・米国・ドイツの三ヶ国の中から選べ」という質問に対し、若者の男女が「韓国かなあ?」と答えていた事を取り上げ、自分たちの中学生時代には考えられなかった事だと仰っていました。今時の若者は、松茸の匂いを嗅がせても「どぶ川の匂いがする」と答える。大人が、戦後の高度経済成長の中で金儲けだけに走り、近現代史や政治の基礎的知識や、生活や生き様を、次の世代にきちんと引き継いで来なかったツケが、今一気に出てきているのだ。
学校もマスコミも、どうでも良い事ばかり教え、肝心な事は何一つ教えない。「平安時代の乱交パーティー」でしかない源氏物語の文章は大学入試問題に出題しても、「第二次大戦の交戦国はどこか」といった最低限の歴史的知識も教えない。STAP細胞論文の真偽については事細かく報道するが、消費税や原発や憲法改正のニュースについては政府当局者の言い分をそのまま垂れ流すばかり。そんな中で、憲法改正の国民投票をやっても、憲法の条文の意味すら理解できないのではないか・・・と。
そして、憲法9条の意義を理解していない人が余りにも多い。9条の意義は「丸腰こそが一番強い」と言い切った所にある。多くの人は「腕っぷしが強くて武器も多く持っている人が一番強い」と思いがちだが、いくらそんな物をちらつかせて腕力・暴力で他の人をねじ伏せても、反発を招くだけで、さらに腕っぷしが強い人が現れれば簡単に負けてしまう。でも、本当に強い人は、たとえ腕力や武器がなくても、人徳で人を惹きつける事ができる。どんなに力が強くて武器を多く持っていても、「この人には人間的にかなわない」となる。お坊さんがそうだ。その事はヤクザ自身が一番良く知っている。
昨今、歴史問題や領土問題などで中国・韓国との対立を煽る政治家が少なくないが、実際にはそれらの国々からも大勢観光客が日本にやって来ている。それも決して富裕層ばかりではなく、一般庶民も大勢いる。それもこれも、憲法9条のお蔭で日本が今まで曲がりなりにも平和を維持してこれたからだ。
今、百田尚樹の書いた「永遠の0」という小説がロングセラーになり映画にもなっている。あの小説を反戦小説だと誤解している人が多いが、あんなもの反戦小説でも何でもない。前半でいくら主人公のパイロットが「とにかく生き抜くんだ」と叫び、軍上層部の腐敗や無能を告発した所で、最後にはその主人公も自ら特攻に志願して死んでいくのだろう。ゼロ戦の故障により戦線離脱で生還できるチャンスがありながら、その故障機を赤の他人のパイロットに譲り、自分はむざむざ死を選ぶという、現実にはあり得ない話にまで仕立て上げて。これでは、「主人公の様な奴でも最後はお国の為に死んでいった」という美談にしかならない。
実際の特攻作戦はそんな美しいものではなかった。志願というのは形だけで、半ば強制的に特攻に駆り立てられながらも、何とか最後まで生き残ろう、少しでも故障機に当たるようにと祈りながら、泣く泣く出撃していったのだ。その陰で、高級将校は戦艦大和の中で豪華料理に舌鼓を打ちながら、下っ端の兵士や下士官にばかり犠牲を強要していたのだ。
あんな小説を読み映画を観るぐらいなら、まだかつての東宝映画「あゝ決戦航空隊」を観る方がはるかにマシだ。鶴田浩二や菅原文太などのヤクザ映画の俳優がそのまま軍人に扮した映画だが、天皇や軍上層部の責任逃れもごまかさずにきちんと描いている。「永遠の0」のような、史実を捻じ曲げたごまかしなぞは一切ない・・・と。
そして最後に、その東宝映画「あゝ決戦航空隊」と「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて―元兵士102人の証言」(社会評論社)という書物を薦められて、講演を終わられました。
この講演を聞いて、政府やマスコミの垂れ流す北朝鮮・中国脅威論や韓国に対する反感に、私も知らず知らずのうちに絡み取られている事に改めて気付かされました。確かに北朝鮮の拉致や人権侵害は酷い。中国の少数民族抑圧や環境汚染も酷い。最近の韓国人のナショナリズムも目に余るものがある。しかし、では日本はどうかと問われれば、日本政府も国内では同じ様な事をやっているではないですか。秘密保護法の強行採決や集団自衛権を巡る安倍政権の前述の独裁ぶりや、福島原発事故の影響をひた隠しにするような政府の対応や、靖国問題や慰安婦問題での居直りぶり一つとっても。今の北朝鮮の個人崇拝にも、昔の天皇絶対崇拝の影響が観て取れます。
福島の被災者を見殺しにするような政府が、北朝鮮や中国の人権について説教を垂れる資格なぞあろう筈がありません。過去の歴史に真摯に向き合い、日本国憲法に謳われた平和や人権を〈名実ともに〉尊重する政府であってこそ、初めて北朝鮮や中国、韓国にも是々非々で臨めるのです。先の例で言えば、「ヤクザ」が何を言っても誰も聞く耳を持ちません。「お坊さん」としての人徳を備えてこそ、初めて人を惹きつける事が出来るのです。「丸腰こそが一番強い」と言うのは、とどのつまりはそういう事です。
でも、それをいくら言ってもなかなか広がらないのは何故か。確かに会場は盛況でしたが、参加者の大半は中高年で、若い人はチラホラとしか見かけませんでした。それには、右傾化の風潮や政府・マスコミの宣伝・洗脳、国民の大勢順応の「奴隷根性」の影響もあるでしょう。しかし、それだけではなく、私たちのこの取り組みの姿勢にも問題があるのではないでしょうか。
例えば、当日になって会場に配られたA3版52ページもの大量の資料がそうです。私は何とか目を通しましたが、普通の人はあれを見ただけで敬遠します。しかし、それはその人だけが悪いのでしょうか。
このご時世、日曜だからと言って必ず休める人ばかりとは限りません。何とか講演に参加出来た人の中にも、夜勤明けで仮眠を取っただけの人や、夜から仕事に出掛けなければならない人がいるかも知れません。そんな人にとっては、あの資料に目を通すだけでも至難の業です。でも、本当は、そんなブラック企業に搾取されるワーキングプアの人や、非正規雇用の若者にこそ、一番講演を聞いてもらわなければならないはずなのに。
本気でそういう人に参加してもらいたいと思うのであれば、戦時中の話や憲法9条の事ばかり言っていてはダメです。そういう人にとっては、「永遠の0」も単なるメロドラマの延長でしかない。感動もあくまでメロドラマとしての物でしかない。「かつて日本と戦争したのはどの国か?」と聞かれて「韓国かなあ?」と答えるような人に、最初から歴史や戦争についてのきちんとした知識なぞ求めても無理です。それを今さら嘆いた所で何も始まらない。
そんな人に集団的自衛権の事を説明するには、特攻作戦や靖国や慰安婦の話のよりもむしろ、堤未香「貧困大国アメリカ」(岩波新書)の中に出てくる徴兵リクルーターの話から入っていく方が、よほど分かりやすいのではないでしょうか。高校の学費も払えず、卒業してもまともな仕事につけない生徒を、奨学金をエサに軍隊に勧誘し、イラクやアフガニスタンで侵略のお先棒担ぎをさせる。集団的自衛権が認められ憲法9条が改悪されたら、日本もそうなる事はもはや火を見るより明らかです。その問題を何故もっと取り上げないのか。会場で配られたファイル(下記写真)に、憲法前文や9条だけでなく25条(生存権)や28条(労働基本権)の条文も明記されていたのは何故なのか。そういう取り組みをしない限り、若者を講演に呼んでくる事も、憲法改悪(明文改憲)や集団的自衛権行使(解釈改憲)を阻止する事も出来ないと思います。
先の記事で取り上げた職場問題の続報です。
私のバイト先(某大手スーパーの物流センター)で、商品の仕分け間違いなどの作業ミスが多いという事で、部長から直々の通達があり、何とバイトに個人面談までする騒ぎになっていますw。私なぞは、まさか個人面談までするとは思っていなかったので、通達に添付の意見記入欄に言いたい放題書いて出してしまった・・・という所までが先の記事の内容でした。今回はその後の展開についてお知らせします。
個人面談そのものについては、心配したような「会社側からの恫喝(どうかつ)w」もなく、非常に友好的な雰囲気の中で、15分位で終わりました。私が指摘したレイアウトの不備や作業マニュアル未整備の問題についても、結構真剣に聞いてくれたように思います。社員が作業マニュアル一つ作ってくれないので、バイトの私が仕方なく手製のマニュアルで代用していた件についても、「我々もマニュアル作成の参考にしたいので、是非それを今度事務所に持ってきて下さい」と言われました。
しかし、その後が問題です。個人面談の翌日ぐらいから、さらに社員が朝礼でバイトに色々言ってくるようになりました。
例えば、商品の数を数えたら今までは検品表の個数欄にチェックのサインを入れるだけで良かったのが、これからは個数欄だけでなく出荷先の店名欄にもサインを入れなければならなくなりました。まあ、それぐらいなら、数だけ見て「思い込み」で他の出荷先に間違えて出してしまった事も実際に何度かあったので、それを予防する為には必要な措置だとは思います。
でも、それぐらいならまだ分かりますが、積み分けた商品一つ一つのラベルにまで赤マジックでチェックのサインを入れなければならなくなったのは、さすがに少し行き過ぎではないでしょうか。
左上写真の例で説明すると、○○○店行きのキャリーに農産のケースを積んだら、○○○店行きの床面表示とケースの行先店名シールを照合して、これからは店名シールにも赤マジックで一々サインを入れなければならなくなったのです。「今までよりも多少時間がかかっても構わないから、一度試しにやってみよう。もしそれで作業が間に合わないとなれば、また別の方法を考えるから」という事で。
私、アホかと思いましたね。だって、
(1) 今までも積み終わって一杯になったケースを所定の置場に持って行くたびに、他店のケースが混じっていないかを持って行った人が目視で確認しているのですよ。別に積み分けるたびに一々シールにサインなぞ入れなくても。万一そこで積み間違いを見逃して違う店に行ってしまったとしても、次から目視を確実に行うように指導すればそれで防げる問題でしょうが。何故こんな二度手間な事をしなければならないのか。
(2) 逆に、一々ケースのシールにサインを入れなければならなくなった為に、サインを入れる事にばかり注意が行ってしまい、余計に積み間違える可能性があると思います。一件サインを入れるのに要する時間はわずか数秒でも、それが積み重なれば何十秒、何十分の遅れにつながるのですから。それで現場が混乱して、出荷ミスだけでなく衝突事故が起こるかも知れません。そんな事は、物流や配送の仕事をやっている人間なら誰でも直ぐ分かるはずなのに。
(3) そうすると会社は、「今まで目視がおろそかになっていたから積み間違いが防げなかったのだ。それを完全に予防する為にサインも導入したのだ」と言うかも知れませんが、その発想が完全に間違っています。肝心の目視がおろそかになっていた原因を追究せずに、いたずらに目先を変えた所で、今度は「おろそかなサイン」が増えるだけです。何故、目視がおろそかになっていたのか。バイト教育がおろそかになっていたのか。そもそも作業計画自体に無理があったのではないか。人員配置や作業レイアウト、入荷タイミングに問題はなかったのか。そこをまず見直すのが筋でしょう。
(4) そもそも、左上写真にある床面の行先店名シールを誰が貼ったと思っているのか!本来なら社員がすべき仕事なのに、社員が何もしてくれないから、仕方なくバイトの私がわざわざ少し残業までして全店分のシールを貼ったのじゃないか。それを今頃になって、何もしてくれなかった会社が「床面のシールと商品のシールを照合しろ」だと?ふざけるな!
(5) 何故このように、一律に「みんなこれからはこうするんだ!」みたいな形で、安易に目先を変えようとするのか。部長通達に書かれていたミス件数のデータからも、ミスが特定の時間帯や部門に集中しているのは明らかです。その特定の時間帯や部門にスポットを当て、問題点を洗い出し改善策を講じるのがまず先ではないでしょうか。
右上の画像がそのミス件数の内訳です。
3月度のミス件数98件のうち、時間帯では1便(夜勤)が82件、2便(昼勤)が16件と、夜勤の時間帯が大半を占めています。
また、98件のミスのうち、誤って他の店に転送されていたのが判明した件数が全部で61件。それで見ても、2便がわずか8件なのに対して1便で53件も発生しています。物量自体も1便(夜勤)の方がはるかに多いので、ある意味「出るべくして出た数値」ではあるのですが、だったら何故、夜勤からまず是正しようとしないのか?
その誤出荷判明分61件については部門別の内訳も出ています。それによると水産鮮魚だけで17件、塩干も合わせると水産部門だけで24件も占めています。今、水産部門は主に夜勤者によって担われていますので、昼勤シフトの私には作業の詳細は分からないものの、ミスの大半がここに起因しているのは明らかでしょう。何故、そこにスポットを当ててミス多発の原因を究明し対策を講じないのか?
私が思うに、どうせまた下らない「縄張り争い」みたいなものが社内にあって、その裏返しとして、「夜勤がやるなら昼勤も同じ様な事をしなければならない」という変な「横並び」意識が働いているのではないでしょうか?
それに加え、「どうせ私の会社はスーパーの下請け」「元請けに意見するなぞ畏(おそ)れ多い」という腐った奴隷根性の影響もあって、「何とか社内だけの問題で収めてしまおう」としているのではないでしょうか。
しかし、たとえ下請けであろうと、商品を買う消費者や、そこで働く労働者の事を考えれば、言うべき事は言わなければならないはずです。これは何も労働条件だけに限った話ではありません。無理な納品スケジュールをゴリ押しした為に、製造が間に合わなかったり品質に問題のある商品が納入されて、それを買った消費者が食中毒でも起こしたら、一体誰が責任を取るのでしょうか。実際にそれで雪印(現・日本ミルク)が一度倒産の憂き目に遭っているでしょうが。
そういう問題点や可能性があるのに、それを見て見ぬふりして、罪をすべてバイト個人に押し付けて、「お前ら、たるんどる!一度気合いを入れてやる」という安直な姿勢で、精神論や根性論ばかり振り回されたのでは堪ったものじゃありません。これでは、戦前・戦中の旧日本軍の中で横行した新兵虐めや、大阪市立桜宮高校体育科で起こった体罰事件の構図と何ら変わりません。社員の物の言い方こそ丁寧(ていねい)なものの、発想の本質は「しごき」そのものです。
私のバイト先(某大手スーパーの物流センター)で、商品の仕分け間違いなどの作業ミスが多いという事で、部長から直々の通達があり、何とバイトに個人面談までする騒ぎになっていますw。私なぞは、まさか個人面談までするとは思っていなかったので、通達に添付の意見記入欄に言いたい放題書いて出してしまった・・・という所までが先の記事の内容でした。今回はその後の展開についてお知らせします。
個人面談そのものについては、心配したような「会社側からの恫喝(どうかつ)w」もなく、非常に友好的な雰囲気の中で、15分位で終わりました。私が指摘したレイアウトの不備や作業マニュアル未整備の問題についても、結構真剣に聞いてくれたように思います。社員が作業マニュアル一つ作ってくれないので、バイトの私が仕方なく手製のマニュアルで代用していた件についても、「我々もマニュアル作成の参考にしたいので、是非それを今度事務所に持ってきて下さい」と言われました。
しかし、その後が問題です。個人面談の翌日ぐらいから、さらに社員が朝礼でバイトに色々言ってくるようになりました。
例えば、商品の数を数えたら今までは検品表の個数欄にチェックのサインを入れるだけで良かったのが、これからは個数欄だけでなく出荷先の店名欄にもサインを入れなければならなくなりました。まあ、それぐらいなら、数だけ見て「思い込み」で他の出荷先に間違えて出してしまった事も実際に何度かあったので、それを予防する為には必要な措置だとは思います。
でも、それぐらいならまだ分かりますが、積み分けた商品一つ一つのラベルにまで赤マジックでチェックのサインを入れなければならなくなったのは、さすがに少し行き過ぎではないでしょうか。
左上写真の例で説明すると、○○○店行きのキャリーに農産のケースを積んだら、○○○店行きの床面表示とケースの行先店名シールを照合して、これからは店名シールにも赤マジックで一々サインを入れなければならなくなったのです。「今までよりも多少時間がかかっても構わないから、一度試しにやってみよう。もしそれで作業が間に合わないとなれば、また別の方法を考えるから」という事で。
私、アホかと思いましたね。だって、
(1) 今までも積み終わって一杯になったケースを所定の置場に持って行くたびに、他店のケースが混じっていないかを持って行った人が目視で確認しているのですよ。別に積み分けるたびに一々シールにサインなぞ入れなくても。万一そこで積み間違いを見逃して違う店に行ってしまったとしても、次から目視を確実に行うように指導すればそれで防げる問題でしょうが。何故こんな二度手間な事をしなければならないのか。
(2) 逆に、一々ケースのシールにサインを入れなければならなくなった為に、サインを入れる事にばかり注意が行ってしまい、余計に積み間違える可能性があると思います。一件サインを入れるのに要する時間はわずか数秒でも、それが積み重なれば何十秒、何十分の遅れにつながるのですから。それで現場が混乱して、出荷ミスだけでなく衝突事故が起こるかも知れません。そんな事は、物流や配送の仕事をやっている人間なら誰でも直ぐ分かるはずなのに。
(3) そうすると会社は、「今まで目視がおろそかになっていたから積み間違いが防げなかったのだ。それを完全に予防する為にサインも導入したのだ」と言うかも知れませんが、その発想が完全に間違っています。肝心の目視がおろそかになっていた原因を追究せずに、いたずらに目先を変えた所で、今度は「おろそかなサイン」が増えるだけです。何故、目視がおろそかになっていたのか。バイト教育がおろそかになっていたのか。そもそも作業計画自体に無理があったのではないか。人員配置や作業レイアウト、入荷タイミングに問題はなかったのか。そこをまず見直すのが筋でしょう。
(4) そもそも、左上写真にある床面の行先店名シールを誰が貼ったと思っているのか!本来なら社員がすべき仕事なのに、社員が何もしてくれないから、仕方なくバイトの私がわざわざ少し残業までして全店分のシールを貼ったのじゃないか。それを今頃になって、何もしてくれなかった会社が「床面のシールと商品のシールを照合しろ」だと?ふざけるな!
(5) 何故このように、一律に「みんなこれからはこうするんだ!」みたいな形で、安易に目先を変えようとするのか。部長通達に書かれていたミス件数のデータからも、ミスが特定の時間帯や部門に集中しているのは明らかです。その特定の時間帯や部門にスポットを当て、問題点を洗い出し改善策を講じるのがまず先ではないでしょうか。
右上の画像がそのミス件数の内訳です。
3月度のミス件数98件のうち、時間帯では1便(夜勤)が82件、2便(昼勤)が16件と、夜勤の時間帯が大半を占めています。
また、98件のミスのうち、誤って他の店に転送されていたのが判明した件数が全部で61件。それで見ても、2便がわずか8件なのに対して1便で53件も発生しています。物量自体も1便(夜勤)の方がはるかに多いので、ある意味「出るべくして出た数値」ではあるのですが、だったら何故、夜勤からまず是正しようとしないのか?
その誤出荷判明分61件については部門別の内訳も出ています。それによると水産鮮魚だけで17件、塩干も合わせると水産部門だけで24件も占めています。今、水産部門は主に夜勤者によって担われていますので、昼勤シフトの私には作業の詳細は分からないものの、ミスの大半がここに起因しているのは明らかでしょう。何故、そこにスポットを当ててミス多発の原因を究明し対策を講じないのか?
私が思うに、どうせまた下らない「縄張り争い」みたいなものが社内にあって、その裏返しとして、「夜勤がやるなら昼勤も同じ様な事をしなければならない」という変な「横並び」意識が働いているのではないでしょうか?
それに加え、「どうせ私の会社はスーパーの下請け」「元請けに意見するなぞ畏(おそ)れ多い」という腐った奴隷根性の影響もあって、「何とか社内だけの問題で収めてしまおう」としているのではないでしょうか。
しかし、たとえ下請けであろうと、商品を買う消費者や、そこで働く労働者の事を考えれば、言うべき事は言わなければならないはずです。これは何も労働条件だけに限った話ではありません。無理な納品スケジュールをゴリ押しした為に、製造が間に合わなかったり品質に問題のある商品が納入されて、それを買った消費者が食中毒でも起こしたら、一体誰が責任を取るのでしょうか。実際にそれで雪印(現・日本ミルク)が一度倒産の憂き目に遭っているでしょうが。
そういう問題点や可能性があるのに、それを見て見ぬふりして、罪をすべてバイト個人に押し付けて、「お前ら、たるんどる!一度気合いを入れてやる」という安直な姿勢で、精神論や根性論ばかり振り回されたのでは堪ったものじゃありません。これでは、戦前・戦中の旧日本軍の中で横行した新兵虐めや、大阪市立桜宮高校体育科で起こった体罰事件の構図と何ら変わりません。社員の物の言い方こそ丁寧(ていねい)なものの、発想の本質は「しごき」そのものです。
今日、バイト先に出勤したら社員から下記の文書を渡されました。私だけでなく他のバイトや派遣会社・協力会社のバイトにも全員に社員から直接手渡しで渡されました。
文書の内容は部長からの業務通達でした。私のバイト先は某大手スーパーの物流センターですが、「昨年度からの大規模な改装工事やシステム変更もようやく無事に乗り切る事が出来たが、ミスや事故が依然として減らない。この3月だけでも商品の誤配や破損が全体で98件も発生している。そのうち我々バイトによる商品仕分けミスだけでも61件もある。このままでは信用問題に関わる。業務を請け負っている大手スーパーの仕事も失いかねない。何とかミスや事故を減らすように各自頑張ってほしい」云々という、部長からの直々のお達しでした。
そして裏面で各部門別のミス・事故件数を列挙した後に、「基本動作を忠実に行え」との喝や、「意見や提案があれば書いて欲しい」との欄があり、最後に「私は最低これだけは実行する」との決意表明記入欄で締めくくっていました。
これを読んで「何を今さら」と思いましたね。今までも散々色んな「意見」や「提案」をしてきたのに、「言い訳」ばかりして何もして来なかった会社が、今更何を言っているのかと思いますね。確かに会社も、「文句があるなら辞めろ」一辺倒だった前所長とは違い、床の凸凹補修等、ある程度は改善もしてくれるようになりましたが、それでも根本的な体質は全然変わっていません。
むしろ今まで以上に、コスト削減でギリギリまで人員を絞り込んでおきながら、作業終了時間の厳守ばかりをやたら言ってくるようになりました。荷崩れを起こさない様に商品の積み方を手直ししていても、「そんな事をしていたら配送の出発時間に間に合わない」と言われたり。今まで定期的にやっていた清掃も、時間がないから誰もしないようになり、気がつけばゴミだらけの作業場になっていました。(但し、上から言われて先週からまた一斉清掃するようになったがこれも後述の有様)
また、物流センターなのに基本的な作業マニュアルもなく、出荷場所と納品場所が同じエリアにある為に、いつも商品の搬入出で身動きがとれなくなる等、「果たしてこれで本当に大手スーパーのセンターなのか?」と思う事も一度や二度ではありません。
それだけ問題が山積しているのに、うちの社員と来たら、ただ上から言われた事をそのまま下すばかりで、現場の意見を言ってくれる事はまずありません。
そのくせ、基本的なマニュアルもないのに、やたら細かなルールばかり決めたがリ、決めても決めっぱなしで後の点検やフォローもなく。ミスや事故が起こるたびに、予防策と称して「屋上にさらに屋(おく)を重ねる」ようなルールにしてしまい、その繁雑なルールに気を取られて更にミスを誘発するような事もしばしば。そのルールもしょっちゅうコロコロ変わり、変わった事も全然伝わらず・・・そういうのがずっと積み重なって、今回の事態に立ち至ったのです。
それで、お尻に火がついてから、ようやく「知恵を出してくれ」「意見や提案があれば書いて欲しい」と言っては来たものの、その記入欄も申し訳程度にたった二、三行では、単なる「アリバイ工作」と見られても仕方ないでしょう。
それでもまあ、せっかくの機会なので、ダメ元で、その二、三行には「別紙参照、何でもバイト個人に責任転嫁するな」として、「今日中に提出」を求めながら白紙の紙も用意していなかったので、ごみ箱から適当な紙を拾ってきて下記内容の意見を別紙添付の形で具申しました。(文字化け防止の為に、箇条書きの番号表記を丸数字から囲み数字に変えて転載します)
作業での改善要望の詳細
☆ 搬送・格納に関して言えば、(←注:実は今起こっているミスの大半がこの作業に関するものです)
(1) 待機場のライン表示が旧レイアウトのままで全然修正されていない。
(2) 今のレイアウト自体も実態にそぐわないままずっと放置されてきた。
(商品の多い店舗が隣同士になっていたり特定の場所に集中していたり)
(3) 納品バースと出荷バースが同じ所になっていてきちんと区分けされていない。
だから、荷受けの邪魔だからと商品をあちこち移動して混乱。
(4) ドーリーの種類が増えているのにモギリの仕様はそのまま。
○、ド、無印、3種類の表記が混在。
無印のモギリに搬送者がわざわざ○印を記入したりしている。(←ムダ!)
(5) ドーリー仕分け場所が狭い。
☆ その他、全般的に言える事では、
(1) 決めた事をコロコロ変える。「行き当たりばったり」「その場しのぎ」の仕事になっている。
(13時半からの一斉清掃が中止になった時も連絡は皆無)
(2) 決めても決めっぱなしで後の点検もフォローもない。
単に社員が権力をふりかざして偉そうに言うのは”フォロー”でも”指導”でもない。ただの嫌がらせだ。
(3) 朝礼で作業手順の変更を社員が説明する際も、結論だけ押し付けて理由を言わないのは何故か?バイトは犬猫ではない。
手順変更の際には理由もバイトに分かるように説明するのは当然の事でしょう。
(例―××観音の節分会で交通規制がかかり××店の2便配送が中止になった時も、理由の説明が全然なかった)
ちなみに、「ドーリー」とは下記左写真のオレンジ色の台車、ないしはそれに積まれた商品の事で、「モギリ」というのは同じく右写真の黄色のワッペンの事です。商品の積み間違い、積み忘れを防止する為に、カゴ車やドーリーに1台ずつ「モギリ」を貼って行きます。
以上、社外のブログ読者にもなるべく分かるように書きましたが、それでも社外の人にとっては何が何だかよく分からなかったと思います。社外の読者については、業務の詳細については別に読み飛ばしてもらって結構です。会社の雰囲気さえ感じ取ってもらえればそれで良いです。
こんな会社でも、誰かが何か行動を起こさない限り何も変わりません。逆に行動を起こせば、それなりの反応が返ってきます。
先日、このブログで「すき家」バイトの大量退職問題について取り上げました。吉野家、松屋と並ぶ牛丼チェーンの「すき家」は、ブラック企業としても有名な会社です。バイトに残業代は払わないし、深夜には平気で一人で働かせたりします。いくら客の少ない深夜と言えども、たった一人で調理も接客もレジもなんて無理です。不用心な事この上もない。バイトがそれに怒って労働組合を結成したら、組合員に無銭飲食の罪をなすりつけて来るような会社です。
そんな会社で、この冬に吉野家に対抗して、調理に時間のかかる新メニュー(牛鍋定食)を売り出した為に、ただでさえ少ない人員でやりくりしていた現場がとうとう回らなくなりました。それに愛想を尽かしたバイトがどんどん辞めて、閉店する店が続出。最初は「文句があるなら辞めろ」と言っていた会社も、次々閉店に追い込まれる中で、とうとう新メニューの一時終売に追い込まれる事態に。
ここで何が言いたいかと言うと、たとえそんな会社でも、バイトがインターネットの繋がりを活かして「退職スト」の形に持ち込む事が出来れば、要求を勝ち取る事もできる―という事です。
この「すき家」の「退職スト」を、数年前に中東アラブ諸国のチュニジアやエジプトで、国民が情報統制下でもインターネットの繋がりを活かして独裁政権を打倒した「アラブの春」になぞらえて、「すき家の春」と呼んだ人がいました。
何も今すぐ大量退職せよとかストをしろという気はありませんが、いざとなったら、このアラブの民衆や「すき家」のバイトのように、会社の不法をやり込める事は可能なのです。その気になれば、いくらでも方法が思い浮かぶものです。但し、最初から諦めているようでは、もうずっとそのままです。
また、古いタイプの活動家の中には、「退職するよりも組合を結成して闘わないとダメだ」という人もいるかも知れません。確かに私もそれがベストだと思いますが、これだけ個人がバラバラにされた中では、全員の団結なんてそう簡単に勝ち取れる訳ではありません。人間、本当に追い詰められたら「退職する」(逃げる)という事すら思い浮かばなくなる。過労自殺に追い込まれるのは大抵このパターンです。その中で、確かに一人や二人の規模では「泣き寝入り」にしかならない「退職」も、ネットの情報でみんな一斉に動き出せば「スト」と同じ効果を発揮する場合もあるという事です。
今回、私が投じた一石がどこまで効果があるかは、当の私にも分かりません。しかし、「言論の自由」は憲法でもちゃんと保障されているのですから、まずは、出来る事から何かを始めてみなければ。黙っているだけでは何も変わりません。
文書の内容は部長からの業務通達でした。私のバイト先は某大手スーパーの物流センターですが、「昨年度からの大規模な改装工事やシステム変更もようやく無事に乗り切る事が出来たが、ミスや事故が依然として減らない。この3月だけでも商品の誤配や破損が全体で98件も発生している。そのうち我々バイトによる商品仕分けミスだけでも61件もある。このままでは信用問題に関わる。業務を請け負っている大手スーパーの仕事も失いかねない。何とかミスや事故を減らすように各自頑張ってほしい」云々という、部長からの直々のお達しでした。
そして裏面で各部門別のミス・事故件数を列挙した後に、「基本動作を忠実に行え」との喝や、「意見や提案があれば書いて欲しい」との欄があり、最後に「私は最低これだけは実行する」との決意表明記入欄で締めくくっていました。
これを読んで「何を今さら」と思いましたね。今までも散々色んな「意見」や「提案」をしてきたのに、「言い訳」ばかりして何もして来なかった会社が、今更何を言っているのかと思いますね。確かに会社も、「文句があるなら辞めろ」一辺倒だった前所長とは違い、床の凸凹補修等、ある程度は改善もしてくれるようになりましたが、それでも根本的な体質は全然変わっていません。
むしろ今まで以上に、コスト削減でギリギリまで人員を絞り込んでおきながら、作業終了時間の厳守ばかりをやたら言ってくるようになりました。荷崩れを起こさない様に商品の積み方を手直ししていても、「そんな事をしていたら配送の出発時間に間に合わない」と言われたり。今まで定期的にやっていた清掃も、時間がないから誰もしないようになり、気がつけばゴミだらけの作業場になっていました。(但し、上から言われて先週からまた一斉清掃するようになったがこれも後述の有様)
また、物流センターなのに基本的な作業マニュアルもなく、出荷場所と納品場所が同じエリアにある為に、いつも商品の搬入出で身動きがとれなくなる等、「果たしてこれで本当に大手スーパーのセンターなのか?」と思う事も一度や二度ではありません。
それだけ問題が山積しているのに、うちの社員と来たら、ただ上から言われた事をそのまま下すばかりで、現場の意見を言ってくれる事はまずありません。
そのくせ、基本的なマニュアルもないのに、やたら細かなルールばかり決めたがリ、決めても決めっぱなしで後の点検やフォローもなく。ミスや事故が起こるたびに、予防策と称して「屋上にさらに屋(おく)を重ねる」ようなルールにしてしまい、その繁雑なルールに気を取られて更にミスを誘発するような事もしばしば。そのルールもしょっちゅうコロコロ変わり、変わった事も全然伝わらず・・・そういうのがずっと積み重なって、今回の事態に立ち至ったのです。
それで、お尻に火がついてから、ようやく「知恵を出してくれ」「意見や提案があれば書いて欲しい」と言っては来たものの、その記入欄も申し訳程度にたった二、三行では、単なる「アリバイ工作」と見られても仕方ないでしょう。
それでもまあ、せっかくの機会なので、ダメ元で、その二、三行には「別紙参照、何でもバイト個人に責任転嫁するな」として、「今日中に提出」を求めながら白紙の紙も用意していなかったので、ごみ箱から適当な紙を拾ってきて下記内容の意見を別紙添付の形で具申しました。(文字化け防止の為に、箇条書きの番号表記を丸数字から囲み数字に変えて転載します)
作業での改善要望の詳細
☆ 搬送・格納に関して言えば、(←注:実は今起こっているミスの大半がこの作業に関するものです)
(1) 待機場のライン表示が旧レイアウトのままで全然修正されていない。
(2) 今のレイアウト自体も実態にそぐわないままずっと放置されてきた。
(商品の多い店舗が隣同士になっていたり特定の場所に集中していたり)
(3) 納品バースと出荷バースが同じ所になっていてきちんと区分けされていない。
だから、荷受けの邪魔だからと商品をあちこち移動して混乱。
(4) ドーリーの種類が増えているのにモギリの仕様はそのまま。
○、ド、無印、3種類の表記が混在。
無印のモギリに搬送者がわざわざ○印を記入したりしている。(←ムダ!)
(5) ドーリー仕分け場所が狭い。
☆ その他、全般的に言える事では、
(1) 決めた事をコロコロ変える。「行き当たりばったり」「その場しのぎ」の仕事になっている。
(13時半からの一斉清掃が中止になった時も連絡は皆無)
(2) 決めても決めっぱなしで後の点検もフォローもない。
単に社員が権力をふりかざして偉そうに言うのは”フォロー”でも”指導”でもない。ただの嫌がらせだ。
(3) 朝礼で作業手順の変更を社員が説明する際も、結論だけ押し付けて理由を言わないのは何故か?バイトは犬猫ではない。
手順変更の際には理由もバイトに分かるように説明するのは当然の事でしょう。
(例―××観音の節分会で交通規制がかかり××店の2便配送が中止になった時も、理由の説明が全然なかった)
ちなみに、「ドーリー」とは下記左写真のオレンジ色の台車、ないしはそれに積まれた商品の事で、「モギリ」というのは同じく右写真の黄色のワッペンの事です。商品の積み間違い、積み忘れを防止する為に、カゴ車やドーリーに1台ずつ「モギリ」を貼って行きます。
以上、社外のブログ読者にもなるべく分かるように書きましたが、それでも社外の人にとっては何が何だかよく分からなかったと思います。社外の読者については、業務の詳細については別に読み飛ばしてもらって結構です。会社の雰囲気さえ感じ取ってもらえればそれで良いです。
こんな会社でも、誰かが何か行動を起こさない限り何も変わりません。逆に行動を起こせば、それなりの反応が返ってきます。
先日、このブログで「すき家」バイトの大量退職問題について取り上げました。吉野家、松屋と並ぶ牛丼チェーンの「すき家」は、ブラック企業としても有名な会社です。バイトに残業代は払わないし、深夜には平気で一人で働かせたりします。いくら客の少ない深夜と言えども、たった一人で調理も接客もレジもなんて無理です。不用心な事この上もない。バイトがそれに怒って労働組合を結成したら、組合員に無銭飲食の罪をなすりつけて来るような会社です。
そんな会社で、この冬に吉野家に対抗して、調理に時間のかかる新メニュー(牛鍋定食)を売り出した為に、ただでさえ少ない人員でやりくりしていた現場がとうとう回らなくなりました。それに愛想を尽かしたバイトがどんどん辞めて、閉店する店が続出。最初は「文句があるなら辞めろ」と言っていた会社も、次々閉店に追い込まれる中で、とうとう新メニューの一時終売に追い込まれる事態に。
ここで何が言いたいかと言うと、たとえそんな会社でも、バイトがインターネットの繋がりを活かして「退職スト」の形に持ち込む事が出来れば、要求を勝ち取る事もできる―という事です。
この「すき家」の「退職スト」を、数年前に中東アラブ諸国のチュニジアやエジプトで、国民が情報統制下でもインターネットの繋がりを活かして独裁政権を打倒した「アラブの春」になぞらえて、「すき家の春」と呼んだ人がいました。
何も今すぐ大量退職せよとかストをしろという気はありませんが、いざとなったら、このアラブの民衆や「すき家」のバイトのように、会社の不法をやり込める事は可能なのです。その気になれば、いくらでも方法が思い浮かぶものです。但し、最初から諦めているようでは、もうずっとそのままです。
また、古いタイプの活動家の中には、「退職するよりも組合を結成して闘わないとダメだ」という人もいるかも知れません。確かに私もそれがベストだと思いますが、これだけ個人がバラバラにされた中では、全員の団結なんてそう簡単に勝ち取れる訳ではありません。人間、本当に追い詰められたら「退職する」(逃げる)という事すら思い浮かばなくなる。過労自殺に追い込まれるのは大抵このパターンです。その中で、確かに一人や二人の規模では「泣き寝入り」にしかならない「退職」も、ネットの情報でみんな一斉に動き出せば「スト」と同じ効果を発揮する場合もあるという事です。
今回、私が投じた一石がどこまで効果があるかは、当の私にも分かりません。しかし、「言論の自由」は憲法でもちゃんと保障されているのですから、まずは、出来る事から何かを始めてみなければ。黙っているだけでは何も変わりません。
河野談話「見直しは考えていない」菅長官 検証作業は進める考え(産経新聞)
菅義偉官房長官は10日午前の記者会見で、慰安婦募集の強制性を認めた「河野洋平官房長官談話」の根拠となった元慰安婦への聞き取り調査などの再検証に関し、「河野談話を見直すことは考えていない」と述べた。
菅氏は「確認作業はきちんと行っていきたい。すり合わせが行われたのではないかとの証言があったので、極秘の検証チームをつくって行っていく」とも語った。(以上引用)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140310/plc14031013540013-n1.htm
今までも安倍やその取り巻き、お仲間の物言いには辟易(へきえき)させられてきましたが、それでもまだ言っている事の内容自体は理解できました。「私は賛同する気にはとてもなれないが、安倍の立場ならそういう理屈になるだろうな」という具合で。でも、ことこの上記の河野談話に関する内容については、言っている事の内容自体も全く理解できません。
だってそうでしょう。菅は河野談話について、「見直しは考えていない」が「検証作業は進める」と言っているのですから。【見直し】も【検証】もほとんど同じ意味なのに。(以下、引用は全てコトバンクから)
けん‐しょう 【検証】
[名](スル)
1 実際に物事に当たって調べ、仮説などを証明すること。「理論の正しさを―する」
2 裁判官や捜査機関が、直接現場の状況や人・物を観察して証拠調べをすること。「現場―」「実地―」
み‐なお・す 〔‐なほす〕 【見直す】
[動サ五(四)]
1 もう一度改めて見る。また、その結果気づいた欠点を是正する。「提出前に作文を―・す」「仕事の進め方を―・す」
2 それまでの認識を改める。「今回のことで新しい市長を―・した」
3 病気や景気などが回復してよいほうに向かう。「八月の半ば過ぎになると、稲穂もよほど―・した」〈藤村・夜明け前〉
ほら、「検証」も「見直し」もほとんど同じ意味でしょう。なのに「見直しは考えていない」が「検証作業は進める」とは???これって、コロッケを「買わない」が「購入する」、風邪ひきで会社を「休まない」が「欠勤する」、お前は「アホではない」が「無能だ」・・・と言っているのと同じではないですかwww。一体どっちやねん。もう言っている事が【支離滅裂】で理解できません。
しり‐めつれつ 【支離滅裂】
[名・形動]物事に一貫性がなく、ばらばらで、まとまりのないこと。また、そのさま。「―な話」
こういう「アホではない」が「無能だ」という類の事を人が言う時は、大抵はどちらかが嘘なのです。本当は「お前はアホだ、お前みたいなアホは死んでしまえ」と思っているのだが、それを公衆の前であからさまに言ってしまうと、逆に自分の人間性を疑われかねないので、「君は能力がない」とか、他の言葉に置き換えて言っている場合がほとんどなのです。
この場合は、「見直しは考えていない」なら普通はする必要もないのに、わざわざ「検証作業は進める」と言っている訳ですから、本当は河野談話を「見直す」気満々なのです。
でも、そんな事をしたら、中国・韓国だけでなく、米国やその他の国々からも相手にされなくなるのが、安倍や菅も分かっているので、「見直しは考えていない」が「検証作業は進める」なぞという「???」な表現をせざるを得ないのです。
そうすると、日本語というのは不思議なもので、同じ意味でも日常の話し言葉から「ちょっと小難しい言葉」に置き換えただけで、「どぎつさ」が相当緩和されます。例えば「武器」を「防衛装備品」、「死の商人」を「防衛産業」、「カジノ」を「統合型リゾート(IR)施設」・・・などの様に。
では何故、「どぎつさ」を和らげなければならないのか。それは、本当は今でも「女なぞみんな男の言いなりになれば良い」「女なんてみんな慰安婦だ」と思っているのに、それをあからさまに言ってしまうと、もうどの国からも相手にされなくなるので、女性の人権侵害を「戦時中の慰安婦の話」に矮小化し、「当時は慰安婦は合法だった」「慰安婦は性奴隷なんかではなくただの売春婦だった」という言葉で誤魔化しているのです。
ここで仮に百歩譲って、安倍や菅が言う様に、本当に「当時は慰安婦は合法だった」「慰安婦は性奴隷なんかではなくただの売春婦だった」としましょう。しかし、たとえそうであったとしても、「それが現代の基準からすれば人権侵害であり到底許されない事である」と本当に思っているなら、それなりに行動や態度として現れる筈です。少なくとも、「もう二度とこんな事は許さない」という言葉なり態度が自然に出てくる筈です。
靖国神社(遊就館)の特攻美化展示や百田尚樹の特攻美化小説「永遠の0」の様な「言い訳まず先にありき」ではなく、原爆慰霊碑の「もう二度とこんな過ちは繰り返さない」という言葉や、核廃絶を率先して行うなどの行動が、真っ先に出て来る筈です。それでこそ本当の「積極的平和主義」ではないでしょうか!
でも、安倍や菅の発言からは、そういう思いは微塵も伝わってきません。伝わってくるのは「当時は合法だった」とか「慰安婦がいたのは日本だけではない」とかいう言い訳ばかりです。
「当時は合法だった」?「慰安婦がいたのは日本だけではない」?だったら人権侵害しても良いというのか?「必要悪だった」とでも言うのか?
そこが問われているのでしょうが。それを安倍も菅も実は薄々感じていて、後ろめたいものがあるからこそ、こんな「カジノ」を「統合型リゾート」、「サラ金」を「消費者金融」と言い換えるようなゴマカシをやっているのでしょうが。こんな言い換えが通用するのは日本国内だけで、外国語に翻訳すれば直ぐに嘘がばれるのに。
この様な「人権侵害に対する無頓着」こそが、今の日本政府に問われているのです。これは何も戦時中の慰安婦の話だけに限りません。また、女性だけに限った話でもありません。それが証拠に、今でも原発事故の責任も取らず福島の被災者を見殺しにしている。解雇特区だの規制緩和だのと言ってブラック企業を野放しにしている。ごく一部の不正受給だけを針小棒大に言い立て、その数十倍、数百倍もの母子家庭やネカフェ難民に生活保護も受けさせようとしない。「俺様が憲法解釈をするんだ」と言って三権分立のイロハもわきまえない輩が首相をしている。「権利主張も義務を果たしてから」とか言って、勤労や納税の義務を果たそうにも果たせない障碍者や失業者にはまるで人権なぞないかの様に思っている輩が政治をしている・・・言えばキリがありません。
そういう昔から今も続く日本政府の「人権侵害に対する無頓着」、もっと有体に言えば「人権侵害への加担、セカンドレイプ」こそが問われているのです。「日本は本当に民主国家なのか?」と。それを安倍も菅も薄々感づいていて、後ろめたい気持ちがあるからこそ、こんな日本国内の、その中でも相当頭の程度の低い連中にしか通用しない【支離滅裂】な言い換えに終始し、【自縄自縛】の【袋小路】に陥っているのです。
じじょう‐じばく 【自縄自縛】
《自分の縄で自分を縛る意》自分の心がけ・言葉・行為のために、自由な動きがとれず苦しい立場になること。「―に陥る」
ふくろ‐こうじ 〔‐こうぢ〕 【袋小路】
1 行きどまりになっている路地。袋道。
2 物事が行きづまって先に進めない状態。袋道。「審議は―に入ってしまった」
菅義偉官房長官は10日午前の記者会見で、慰安婦募集の強制性を認めた「河野洋平官房長官談話」の根拠となった元慰安婦への聞き取り調査などの再検証に関し、「河野談話を見直すことは考えていない」と述べた。
菅氏は「確認作業はきちんと行っていきたい。すり合わせが行われたのではないかとの証言があったので、極秘の検証チームをつくって行っていく」とも語った。(以上引用)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140310/plc14031013540013-n1.htm
今までも安倍やその取り巻き、お仲間の物言いには辟易(へきえき)させられてきましたが、それでもまだ言っている事の内容自体は理解できました。「私は賛同する気にはとてもなれないが、安倍の立場ならそういう理屈になるだろうな」という具合で。でも、ことこの上記の河野談話に関する内容については、言っている事の内容自体も全く理解できません。
だってそうでしょう。菅は河野談話について、「見直しは考えていない」が「検証作業は進める」と言っているのですから。【見直し】も【検証】もほとんど同じ意味なのに。(以下、引用は全てコトバンクから)
けん‐しょう 【検証】
[名](スル)
1 実際に物事に当たって調べ、仮説などを証明すること。「理論の正しさを―する」
2 裁判官や捜査機関が、直接現場の状況や人・物を観察して証拠調べをすること。「現場―」「実地―」
み‐なお・す 〔‐なほす〕 【見直す】
[動サ五(四)]
1 もう一度改めて見る。また、その結果気づいた欠点を是正する。「提出前に作文を―・す」「仕事の進め方を―・す」
2 それまでの認識を改める。「今回のことで新しい市長を―・した」
3 病気や景気などが回復してよいほうに向かう。「八月の半ば過ぎになると、稲穂もよほど―・した」〈藤村・夜明け前〉
ほら、「検証」も「見直し」もほとんど同じ意味でしょう。なのに「見直しは考えていない」が「検証作業は進める」とは???これって、コロッケを「買わない」が「購入する」、風邪ひきで会社を「休まない」が「欠勤する」、お前は「アホではない」が「無能だ」・・・と言っているのと同じではないですかwww。一体どっちやねん。もう言っている事が【支離滅裂】で理解できません。
しり‐めつれつ 【支離滅裂】
[名・形動]物事に一貫性がなく、ばらばらで、まとまりのないこと。また、そのさま。「―な話」
こういう「アホではない」が「無能だ」という類の事を人が言う時は、大抵はどちらかが嘘なのです。本当は「お前はアホだ、お前みたいなアホは死んでしまえ」と思っているのだが、それを公衆の前であからさまに言ってしまうと、逆に自分の人間性を疑われかねないので、「君は能力がない」とか、他の言葉に置き換えて言っている場合がほとんどなのです。
この場合は、「見直しは考えていない」なら普通はする必要もないのに、わざわざ「検証作業は進める」と言っている訳ですから、本当は河野談話を「見直す」気満々なのです。
でも、そんな事をしたら、中国・韓国だけでなく、米国やその他の国々からも相手にされなくなるのが、安倍や菅も分かっているので、「見直しは考えていない」が「検証作業は進める」なぞという「???」な表現をせざるを得ないのです。
そうすると、日本語というのは不思議なもので、同じ意味でも日常の話し言葉から「ちょっと小難しい言葉」に置き換えただけで、「どぎつさ」が相当緩和されます。例えば「武器」を「防衛装備品」、「死の商人」を「防衛産業」、「カジノ」を「統合型リゾート(IR)施設」・・・などの様に。
では何故、「どぎつさ」を和らげなければならないのか。それは、本当は今でも「女なぞみんな男の言いなりになれば良い」「女なんてみんな慰安婦だ」と思っているのに、それをあからさまに言ってしまうと、もうどの国からも相手にされなくなるので、女性の人権侵害を「戦時中の慰安婦の話」に矮小化し、「当時は慰安婦は合法だった」「慰安婦は性奴隷なんかではなくただの売春婦だった」という言葉で誤魔化しているのです。
ここで仮に百歩譲って、安倍や菅が言う様に、本当に「当時は慰安婦は合法だった」「慰安婦は性奴隷なんかではなくただの売春婦だった」としましょう。しかし、たとえそうであったとしても、「それが現代の基準からすれば人権侵害であり到底許されない事である」と本当に思っているなら、それなりに行動や態度として現れる筈です。少なくとも、「もう二度とこんな事は許さない」という言葉なり態度が自然に出てくる筈です。
靖国神社(遊就館)の特攻美化展示や百田尚樹の特攻美化小説「永遠の0」の様な「言い訳まず先にありき」ではなく、原爆慰霊碑の「もう二度とこんな過ちは繰り返さない」という言葉や、核廃絶を率先して行うなどの行動が、真っ先に出て来る筈です。それでこそ本当の「積極的平和主義」ではないでしょうか!
でも、安倍や菅の発言からは、そういう思いは微塵も伝わってきません。伝わってくるのは「当時は合法だった」とか「慰安婦がいたのは日本だけではない」とかいう言い訳ばかりです。
「当時は合法だった」?「慰安婦がいたのは日本だけではない」?だったら人権侵害しても良いというのか?「必要悪だった」とでも言うのか?
そこが問われているのでしょうが。それを安倍も菅も実は薄々感じていて、後ろめたいものがあるからこそ、こんな「カジノ」を「統合型リゾート」、「サラ金」を「消費者金融」と言い換えるようなゴマカシをやっているのでしょうが。こんな言い換えが通用するのは日本国内だけで、外国語に翻訳すれば直ぐに嘘がばれるのに。
この様な「人権侵害に対する無頓着」こそが、今の日本政府に問われているのです。これは何も戦時中の慰安婦の話だけに限りません。また、女性だけに限った話でもありません。それが証拠に、今でも原発事故の責任も取らず福島の被災者を見殺しにしている。解雇特区だの規制緩和だのと言ってブラック企業を野放しにしている。ごく一部の不正受給だけを針小棒大に言い立て、その数十倍、数百倍もの母子家庭やネカフェ難民に生活保護も受けさせようとしない。「俺様が憲法解釈をするんだ」と言って三権分立のイロハもわきまえない輩が首相をしている。「権利主張も義務を果たしてから」とか言って、勤労や納税の義務を果たそうにも果たせない障碍者や失業者にはまるで人権なぞないかの様に思っている輩が政治をしている・・・言えばキリがありません。
そういう昔から今も続く日本政府の「人権侵害に対する無頓着」、もっと有体に言えば「人権侵害への加担、セカンドレイプ」こそが問われているのです。「日本は本当に民主国家なのか?」と。それを安倍も菅も薄々感づいていて、後ろめたい気持ちがあるからこそ、こんな日本国内の、その中でも相当頭の程度の低い連中にしか通用しない【支離滅裂】な言い換えに終始し、【自縄自縛】の【袋小路】に陥っているのです。
じじょう‐じばく 【自縄自縛】
《自分の縄で自分を縛る意》自分の心がけ・言葉・行為のために、自由な動きがとれず苦しい立場になること。「―に陥る」
ふくろ‐こうじ 〔‐こうぢ〕 【袋小路】
1 行きどまりになっている路地。袋道。
2 物事が行きづまって先に進めない状態。袋道。「審議は―に入ってしまった」