今の私にとっては、生き抜く事自体が一つの闘争となりつつある。野宿者にとって冬を越す事自体が一つの闘争(越冬闘争)であるのと同じ様に。
毒親の重石が取れた代わりに生活費の重石がのしかかって来た。予想通り今月は大幅な赤字超過となりそう。唯一の救いは食費が想定内の出費に収まっている事だ(社食ランチ除き1日千円以内キープ)。生活費の大半は収納グッズ等の初期投資による物なので、赤字額も翌月からは次第に減少していく…かな?(8月16日)
月収18万円から固定支出を引いた残金3万7千円=1日当たり1200円以内に出費を抑えねば。食費だけなら何とかなるが現実はそれだけでは到底収まらず。個人年金は将来必要だが現状では逆に保険料負担が家計を圧迫。鍼灸治療も高額だが腰痛治療には欠かせない。後、削れるのは携帯代ぐらいか(8月20日)
夕食は毎日カレーで食費削減と栄養摂取の両立図る事に。牛カレー¥378、生卵¥65、ウインナーと茄子のミニ天2点で¥152。計¥595で何とか600円以内に。カレーだと飽きが来ないし栄養も取れる。毎日弁当や即席麺だと流石に栄養が偏るし飽きる。お茶まで買えば外食並の値段になってしまう(8月21日)
兄貴の話では、親父は何とか俺に戻って来て欲しいと、俺に手紙を書くそうだ。その一方で、こんな事になったのも、俺が婚活を望まないとはっきり言わなかったからだと思ってるらしい。どこまで自分勝手な親父か!婚活には気乗りがしないとずっと言って来たのに、それを遮り写真までゴリ押ししといて!(同上)
幾ら困窮してもブラック企業のすき家では絶対に食べない!(同上)
今日の夕食はカレー代わりに炒飯を主体に。炒飯195円、豚キムチの野菜炒め324円、味噌汁87円の計606円で、500円台は惜しくもキープ出来ず。これでも野菜炒めと味噌汁で栄養バランスも考慮したつもりだ。しかし満腹にはなったが風情には程遠い食事だった。明日は再びカレー主体で行こう(8月23日)
今日8月24日の夕食は17時まで残業したので社食のA定食(おろしハンバーグ)にした。ご飯、味噌汁、小鉢付で、食券では400円、現金では540円。食券は10枚綴りでバラ売りはしていない。無駄に使うと給与天引き額が増えるので、夕食は現金で購入。今の私にとっては、この社食が命綱だ(8月24日)
今日の夕食は、昼に食べたA定食しか残ってなかったのでカレーセットにした。同じ値段で白ご飯をカレーに変更できる。但し、小鉢が冷奴や酢の物しか残ってない時は悲惨。食堂のオバちゃん曰く、外国人バイトの中には「ラーメンのチャーシューを豚肉から牛肉に変えてくれ」と言って来る人もいるそうな(8月26日)
今日27日の夕食は新今宮駅中コンビニで買った弁当とお茶で計508円。昼食が600円弱のカツカレーだったので、夜は駅中立ち食いそばの定食か、同じく駅中蓬莱の豚まんにしようか迷った結果、この形に。それでも今日までの今月食費累計は2万5千円余に。勿論、最も家計を圧迫しているのは家賃だが (8月27日)
月曜日には求人誌の掲載が更新されるので、早めにWワークのバイトを見つけねば。知人曰く、ミナミ近辺なら飲食店のバイトも良いかも。ブラックな業界だが、繋ぎのバイトなんて大抵そんな物。別に調理なぞ出来なくても、皿洗いでも何でも仕事はある。賄い付なら食費を丸々浮かす事も可能と(同上)
親と喧嘩し実家を飛び出して来たものの、パソコンを置いて来てしまったので家計簿作成やブログ更新はネットカフェでやる羽目に。その出費がもう1万円近くに。ブログの話題も、生活維持が最優先で政治談義は遥か彼方に。別に贅沢なぞしてる訳じゃないのに、何故こんなに苦労しなければならないのか?(同上)
そんな俺から見たら、民進党代表選での前原や、細野・長島など民進離党組の主張なぞ糞でしかない。野党共闘の共産党とは一線画し自民とは是々非々に。これが彼らの主張だが、今の格差社会を作った自民党政治のどこに是の部分がある?そんなに権力に擦り寄りたければハッキリ自民に入ると言えば良いのに(同上)
大体、民進党は右派の前原でさえ「All for All」や「共生」を口にしながら、何故、一般党員が一票しか持てない代表投票権を国会議員だけが二票分も行使できるのか?そんな株主総会みたいな発想でいる限り、「民主」も「共生」もお題目で終わるだろう。それでは自民や維新と何ら変わらない(同上)
そもそも、毎日、普通に真面目に働いて残業までしてんのに、なぜ給料がたった月18万しか無いのか?定期代も満足に出ないのか?その安月給から4分の1も税金や社会保険料に取られ、家賃も同じ位取られた上、個人年金まで掛けなければならないのか?そこまでしてまで、なぜ非正規だの独身だのと蔑まれなければならないのか?給料が安すぎるからじゃないか!税金や保険料や家賃が高すぎるからじゃないか!それなのに、安倍は毎日ゴルフ三昧で、お友達の加計や萩生田とポッポナイナイ。その癖、俺らには、やれ「権利ばかり主張せず義務を果たせ」と、偉そうに難癖ばかり付けて。義務を果たしてないのは、俺らではなく安倍の方じゃねえか!そんなの誰が考えてもオカシイだろ!こんなの、もはや右とか左とか、自民とか共産とか言う以前の問題だろう!そんな事も前原は分からないのか?ウチのクソ親父も分からないのか?
毒親の重石が取れた代わりに生活費の重石がのしかかって来た。予想通り今月は大幅な赤字超過となりそう。唯一の救いは食費が想定内の出費に収まっている事だ(社食ランチ除き1日千円以内キープ)。生活費の大半は収納グッズ等の初期投資による物なので、赤字額も翌月からは次第に減少していく…かな?(8月16日)
月収18万円から固定支出を引いた残金3万7千円=1日当たり1200円以内に出費を抑えねば。食費だけなら何とかなるが現実はそれだけでは到底収まらず。個人年金は将来必要だが現状では逆に保険料負担が家計を圧迫。鍼灸治療も高額だが腰痛治療には欠かせない。後、削れるのは携帯代ぐらいか(8月20日)
夕食は毎日カレーで食費削減と栄養摂取の両立図る事に。牛カレー¥378、生卵¥65、ウインナーと茄子のミニ天2点で¥152。計¥595で何とか600円以内に。カレーだと飽きが来ないし栄養も取れる。毎日弁当や即席麺だと流石に栄養が偏るし飽きる。お茶まで買えば外食並の値段になってしまう(8月21日)
兄貴の話では、親父は何とか俺に戻って来て欲しいと、俺に手紙を書くそうだ。その一方で、こんな事になったのも、俺が婚活を望まないとはっきり言わなかったからだと思ってるらしい。どこまで自分勝手な親父か!婚活には気乗りがしないとずっと言って来たのに、それを遮り写真までゴリ押ししといて!(同上)
幾ら困窮してもブラック企業のすき家では絶対に食べない!(同上)
今日の夕食はカレー代わりに炒飯を主体に。炒飯195円、豚キムチの野菜炒め324円、味噌汁87円の計606円で、500円台は惜しくもキープ出来ず。これでも野菜炒めと味噌汁で栄養バランスも考慮したつもりだ。しかし満腹にはなったが風情には程遠い食事だった。明日は再びカレー主体で行こう(8月23日)
今日8月24日の夕食は17時まで残業したので社食のA定食(おろしハンバーグ)にした。ご飯、味噌汁、小鉢付で、食券では400円、現金では540円。食券は10枚綴りでバラ売りはしていない。無駄に使うと給与天引き額が増えるので、夕食は現金で購入。今の私にとっては、この社食が命綱だ(8月24日)
今日の夕食は、昼に食べたA定食しか残ってなかったのでカレーセットにした。同じ値段で白ご飯をカレーに変更できる。但し、小鉢が冷奴や酢の物しか残ってない時は悲惨。食堂のオバちゃん曰く、外国人バイトの中には「ラーメンのチャーシューを豚肉から牛肉に変えてくれ」と言って来る人もいるそうな(8月26日)
今日27日の夕食は新今宮駅中コンビニで買った弁当とお茶で計508円。昼食が600円弱のカツカレーだったので、夜は駅中立ち食いそばの定食か、同じく駅中蓬莱の豚まんにしようか迷った結果、この形に。それでも今日までの今月食費累計は2万5千円余に。勿論、最も家計を圧迫しているのは家賃だが (8月27日)
月曜日には求人誌の掲載が更新されるので、早めにWワークのバイトを見つけねば。知人曰く、ミナミ近辺なら飲食店のバイトも良いかも。ブラックな業界だが、繋ぎのバイトなんて大抵そんな物。別に調理なぞ出来なくても、皿洗いでも何でも仕事はある。賄い付なら食費を丸々浮かす事も可能と(同上)
親と喧嘩し実家を飛び出して来たものの、パソコンを置いて来てしまったので家計簿作成やブログ更新はネットカフェでやる羽目に。その出費がもう1万円近くに。ブログの話題も、生活維持が最優先で政治談義は遥か彼方に。別に贅沢なぞしてる訳じゃないのに、何故こんなに苦労しなければならないのか?(同上)
そんな俺から見たら、民進党代表選での前原や、細野・長島など民進離党組の主張なぞ糞でしかない。野党共闘の共産党とは一線画し自民とは是々非々に。これが彼らの主張だが、今の格差社会を作った自民党政治のどこに是の部分がある?そんなに権力に擦り寄りたければハッキリ自民に入ると言えば良いのに(同上)
大体、民進党は右派の前原でさえ「All for All」や「共生」を口にしながら、何故、一般党員が一票しか持てない代表投票権を国会議員だけが二票分も行使できるのか?そんな株主総会みたいな発想でいる限り、「民主」も「共生」もお題目で終わるだろう。それでは自民や維新と何ら変わらない(同上)
そもそも、毎日、普通に真面目に働いて残業までしてんのに、なぜ給料がたった月18万しか無いのか?定期代も満足に出ないのか?その安月給から4分の1も税金や社会保険料に取られ、家賃も同じ位取られた上、個人年金まで掛けなければならないのか?そこまでしてまで、なぜ非正規だの独身だのと蔑まれなければならないのか?給料が安すぎるからじゃないか!税金や保険料や家賃が高すぎるからじゃないか!それなのに、安倍は毎日ゴルフ三昧で、お友達の加計や萩生田とポッポナイナイ。その癖、俺らには、やれ「権利ばかり主張せず義務を果たせ」と、偉そうに難癖ばかり付けて。義務を果たしてないのは、俺らではなく安倍の方じゃねえか!そんなの誰が考えてもオカシイだろ!こんなの、もはや右とか左とか、自民とか共産とか言う以前の問題だろう!そんな事も前原は分からないのか?ウチのクソ親父も分からないのか?
私が借りている新今宮のホテルに、同じバイト先仲間の小杉君(仮名)も住む事になりました。今、彼は私の部屋の4階下の部屋に住んでいます。
そのホテルは、1泊2千円ですが月極にすると4万3千円と格安で、水光熱費込みでエアコンもテレビも使い放題、風呂・トイレは別ですが、展望式の共同浴場が最上階にあり、トイレも各階にあります。浴場も深夜(0~7時)・日中(12~17時)以外はいつでも使えます。
その条件を聞いたバイトは皆、羨ましがっていました。その家賃相場でも水光熱費は別という所が大半ですから。でも、まさか小杉君が本当に来るとは思いませんでした。彼は、とりあえず一週間住みながら他の物件も並行して探し、それでも他に良い物件がなければ、今の所に月極にして住むつもりでいるようです。
実家を出て本当に良かったと思います。
まず第一に、何よりも「毒親」に気兼ねしなくても良くなった事で、気が楽になりました。それが可能になったのも、経済的独立あればこそです。
そして第二に、通勤時間が半分に短縮されました。職場に近くなった事で、これまでより1時間は多く睡眠が取れるようになりました。それでも5時起きで、まだまだ朝は早いですが。
第三に、立地条件が全然違います。天王寺までなら余裕で歩いていけるし、難波や日本橋も無理すれば徒歩でたどり着く事は可能です。すぐ近くにはコンビニもスーパーも百均も量販店もあり、どんなに遅く帰ってきても買い物ができるようになりました。郊外住宅街の実家に住んでいる時は、つい最近になるまではコンビニすら近くになかったので、夜遅くなると、もうどこにも買いに行けませんでしたから。
しかし、良い事ばかりではありません。
欠点の第一は、4畳半1間で、部屋には最低限の備品しかない事です。テレビはあるものの、冷蔵庫はありません。テレビ台の下にある冷蔵庫は、実は本当の冷蔵庫ではありません。冷却機能のない、ただの「保冷箱」です。冷蔵庫として使う場合は、蓄冷剤を買ってきて冷やさなければなりません。その蓄冷剤も、せいぜいもって一晩が限界です。これでは自炊も買い置きも出来ないので、食事はすべて外食です。この出費がバカになりません。
欠点の第二は、前述の理由とも重なりますが、ホテルの仮住まいで部屋も狭い為に、自分で家具や家電を買い足したり、部屋の中を模様替えする事は、ほぼ不可能です。ベランダはおろハンガー掛けも二か所しかないので、洗濯物の部屋干しにも不自由しています。
欠点の第三は、居住者全員が限られた時間に共同浴場に殺到するので、なかなか落ち着いて入浴出来ません。銭湯のように、ゆったりと入浴という訳にはなかなか行きません。小杉君も、風呂はホテルの共同浴場ではなく、外の銭湯をもっぱら利用しているようです。
これが、トイレ・風呂付の普通の賃貸物件であれば、中古の小型冷蔵庫を買って自炊や買い置きもでき、洗濯も自分の下着ぐらいなら風呂で洗濯できるのですが。仮住まいだと、すべて外食やコインランドリーに頼らざるを得なくなり、その出費がバカになりません。
実際に試算してみましたが、月収わずか18万円前後の給料では、税金や社会保険料、通勤定期代、携帯電話料金、個人年金保険料、腰痛治療のための鍼灸治療費などの固定支出を差し引けば、手元に残るのは約3万7千円しかありません。1日当たりに換算すると僅か1200円余です。後は貯金を取り崩すしかありません。少しでもその目減りを抑えるべく、インターネットは基本的に携帯のみで行うようにします。ブログの更新も週一回ペースが限度です。夕食は、安価で栄養も確保できるように、できるだけカレーにしようと思っています。ひょっとしたらWワークも考えなければならないかも知れません。
秋田県横手市の木造2階建て賃貸アパートで昨夜起こった火災事故のニュースがテレビで流れていましたが、このニュースもとても他人事には思えませんでした。アパートの築年数が古く、いったん火が出れば、後はあっという間に燃え広がり、住民はもう為す術が無かったとの事です。食事付の物件だったので、中高年の一人住まいの方が住民の大半を占め、居住者同士の交流もほとんどありませんでした。居住者の大半が生活保護受給者で、近くの精神科のクリニックに通っている人も多かったようです。
私の今住んでいるホテルも、鉄筋10階建てでサービス内容の詳細こそ異なるものの、共同浴場に各階別トイレと、横手のアパートと同じような間取りです。
その一方で、横手のアパートでは、より多くの消火器を設置し、火災を想定した避難訓練も何度か実施していたそうです。食事込みの家賃にしたのも、できるだけ居住者の経済的負担を減らそうとしたのでしょう。
でも、大家サイドが幾らそのように個人的に努力しても、肝心の施設が老朽化していたのでは、しょせんは「焼け石に水」だったようです。民間や個人の努力だけでは限りがあります。安価で良質な公営住宅の建設こそ急務です。住まい(居住権、生存権)も基本的人権の一つです。私たちの税金も、それらの権利を政府に保障してもらう為にこそ払っているのですから。食費補助などの民間・個人の努力も、政府の後押しがあってこそ、初めてその真価を発揮する事が出来るのです。
私のほうも、とりあえず今日ホテルに帰ったら、避難経路図に記載されている避難ばしごの位置と使い方を、さっそくフロントに聞いてみる事にします。
以下、河北日報の記事より。
<横手アパート火災>生保受給者、精神科通院歴ある人ら多く入居
秋田県横手市南町で22日に全焼し、入居者とみられる5人が死亡・安否不明となった木造2階のアパート「かねや南町ハイツ」は、朝夕食付きで月5万円強という割安な家賃で全28室中、25室が埋まっていた。関係者によると、入居者には年金生活の高齢者や生活保護受給者、精神科の通院歴がある人もいて、社会的弱者の受け皿になっていた。
不動産登記簿によると、アパートは築48年。仕出し業のよこてフードサービス(横手市)が運営し、20〜70代の男性24人と男性管理人が住んでいた。風呂やトイレ、食堂、台所は共同で、各部屋に6畳間と1畳分の収納がある。
横手市社会福祉課の担当者は「個別の物件を紹介することはあり得ない」と否定するが、逃げて無事だった男性は「生活保護を受給する際、行政から紹介されるアパートだった。デイケアの生活訓練をしていた人もいた」と証言する。
よこてフードサービス社長の佐々木安弘さん(48)が約10年前、精神保健福祉ボランティアの会長を務めた経験から、そうした人々も受け入れ、家賃を据え置いていた。佐々木さんは22日午前1時5分ごろ、警備会社からの一報で駆け付け、1階の部屋の戸を蹴破って避難を促したという。
市消防本部が2012年に実施した立ち入り検査で、防火面の不備はなかった。15年に同社が管理する別のアパートが失火で全焼して以降、アパート内は火気を一切禁止していた。
佐々木さんは「防火対策を取っていたつもりだった。今後のことは考えられない」と肩を落とした。
https://news.goo.ne.jp/article/kahoku/nation/kahoku-01_20170823_43012.html
毒親育ちの苦しみについては、当事者以外にはなかなか分かってもらえない傾向があるようです。
そこで、以前メモ用に作成した資料を、ここに公開する事にします。
毒親の解説
(1)毒親とは
子供に悪影響をあたえる親を毒親といいます。
多くの場合、親本人は自分が毒であることに気づいていません。
暴力のほか、精神的ないじめや束縛、脅し、ゆがんだ愛情のかけ方など、さまざまな方向から子供を苦しめます。
(2)毒親のタイプ
①無関心型(世話しない)
子供に必要な親の義務を果たさない親。
満足な食事を与えない、必要なものや費用を渡さない、言葉をかけない等。
②過干渉型(支配する)
子供を自分の持ち物のように扱い、別人格であることを認めません。
親の指示通りに物事が進まないと子供が責められます。
③病んでる系(世話させる)
病んでいたり不幸な状態にあることをアピールし、子供に世話を焼かせます。
子供は小さな頃から親に甘えられず、自分の幸せを罪だと思うようになります。
アルコール・薬物中毒の親がその典型。
(3)よくある毒親の行動パターン
①条件つきの愛情
世の中の大多数の親は、子供の幸せを願っています。子供を愛しているからです。
一方、毒親は、自分の思い通りになる子供だけを愛します。自分だけを愛しているからです。
②言動が一貫しない
毒親は、子供に矛盾した指示を出します。
動物を大切にしなさいと言いながら、気に入らないペットを捨てる等。
心の支えとなる親の言うことが変わってしまうと、どの指示に従えばよいのかわからず、子供は混乱します。
③話し合いができない
ものごとを断定的にとらえ、話し合いができないのも毒親の特徴です。
その結果、子供は白か黒か言われた通りのものとして反応する事しかできません。
④子供に嫉妬する
人の親だから自動的に尊敬される存在になるわけではありません。
毒親は、ひとりの人間として見た時すでにダメな人であるという確率が高いです。
(4) 毒親の毒セリフ
・「親の言うことを聞いて置けばよい」
・「親に逆らうのか?」
・「親の言うことが聞けないのであればご飯は抜き」
・「親に逆らうなら勘当だ」
・「誰のおかげで飯が食えていると思っているんだ」
・「親の言うことを聞かない子はいらない」
・「あなたはブサイクだから」
・「あなたは頭が悪い子供だから」
・「お前は馬鹿だから」
・「弟と比べてお前は顔が悪い」
・「運動神経が鈍い」
・「誰がここまで育てた!」
・「学校に行かせたのに恩知らずが!」
・「お前らのために嫌な仕事でも我慢しているんだぞ!」
・「親の言うことに逆らうのか!」
・「お母さんの言うとおりにすれば安心だから」
・「子供の癖に生意気な」
(5) 参考資料
・壊れた器は捨てなさい~毒親・ダメな家族から立ち直るトレーニング
http://sayonara.xyz/
・毒親の支配→離れる→洗脳を解く→自分を取り戻す~毒親NEVERまとめ
http://matome.naver.jp/odai/2142825319218344501
・「毒になる親」(スーザン・フォワード/著 玉置悟/訳)
「毒親」という概念・言葉を最初に提唱した著者による、この問題についての入門書。
毎日新聞社から出ているハードカバー版と、講談社アルファ文庫から出ている文庫版の2種類がある。
上記が今、私の住んでいる賃貸物件の部屋です。新今宮駅近くのビジネス・ホテルを30日更新の連泊契約で借りました。
4畳半の1Rで風呂・トイレ別、家賃は4万3千円余り。家賃だけで見るとそんなに安くはありませんが、水光熱費も家賃に含まれています。風呂は、最上階の展望大浴場に深夜・日中以外はいつでも入れ、トイレも清潔。テレビも見放題。勤務先までの通勤距離も約半分に縮まり、今までよりも1時間は余計に寝る事が出来ます。そう考えると、かなりお得な物件です。
当初は、あくまで仮住まいのつもりで、ここを拠点に本格的に物件探しをするつもりでした。しかし、一人で住むにはこれほど好条件な物件は、そうめったにあるものではありません。確かに、あいりん地区とは目と鼻の先の立地ではありますが、最近はあいりん地区も、かつてのようなすさんだ雰囲気はほとんどありません。近くにはスーパーも百均もコンビニも量販店もあり、生活するには何不自由なく暮らせます。もう、親父の問題が片付くまでは、ずっとここに住む事にしました。
但し、良い事ばかりではありません。普通の賃貸物件とは違い、あくまでもホテルの連泊契約ですから、家電購入やインターネットのプロバイダ契約については制約を受けます。実家で加入していたプロバイダは、戸建て向けのサービスで集合住宅には適用されないので、これを機に解約しました。もう実家に戻る事もないでしょうし、少しでも無駄な出費を減らさないと、貯金の目減りを減らす事は出来ません。
あれから、兄貴夫婦と今後の事について相談しましたが、二人とも親父の「毒親性」について薄々感じていながら、でも結局は「親父を何とか立ち直らせてあげたい」「そうする為には、私も引くべき処は引かなければならない」という所に留まっています。しかし、子どもが何か言って立ち直れるぐらいなら、もうとっくに立ち直っています。それが出来ないから「毒親」と呼ばれるのです。虐待・暴力・暴言の被害者が加害者と何故譲り合わなければならないのか?親父が今までの罪を悔い改め本当に謝罪する以外に、一体どんな「立ち直り」があると言うのか?
はっきり言って、言っている事が甘すぎます。今回も兄貴は「うちにおいでよ」と言ってくれましたが、それに甘えてしまったら、また前回のように、一週間ほど別居してほとぼり冷ました後に、上辺だけの「手打ち」と引き換えに、親父と同居させられ、また同じ事が繰り返されるだけです。そうなるのが分かっていたから、今回は兄貴からの申し出も断り、早めに物件確保に動いたのです。「経済的独立なくして政治的・精神的独立なし」です。
その中で、前回記事に転載した「実家を出るまでの経過報告」については、そこから「安倍晋三」云々のくだりだけをカットしたものを、改めて兄貴夫婦に渡しました。いくら親父が安倍晋三に似ているからと言っても、そんな事を今更親父に指摘した所で、「お前は思想的に偏っているから結婚も出来ないのだ!」と、さらに歪んで捉えられるだけだと、兄貴に諭されました。その事で、本来議論すべき親父の問題がぼやけてしまっては何もならないので、このくだりについては丸ごとカットしました。
それを親父にも郵送してやろうと当初は考えていましたが、もう止めました。兄貴の話によると、親父はいまだに「婚活する気がないと私がはっきり言わなかったのが悪い」と思っているようです。実際は、私が何度もそのように言っているのに、親父が勝手に先走って浮いてしまっただけなのに。その親父の「毒親」としての独りよがりでワンマンな性格こそが、今の家庭内の最大の問題であって、婚活の強要は、あくまでもその現れにしか過ぎないのに。そんな事をまだ言っているようでは、何を話し合っても無駄です。
親父に言いたい事は、最後のメールで既に伝えています。この経過報告文書は、後々の検証資料、証拠物件として、私の手元に保管しておく事にします。
但し、実家を出た事で、経済的に厳しくなったのも事実です。毎月約18万円の給料から、税金・社会保険料・家賃・携帯電話代・医療費(腰痛の治療に毎月2万円前後)・個人年金保険料(生命保険の返戻金を元手に運用しているが保険料も毎月2万円余り支払)諸々合わせた出費を差し引くと、3万円前後しか残りません。1日当たりに換算するとわずか千円前後です。水道・洗面所は共有で、個室には流しもコンロもないので自炊もできません。毎日の食事は、昼の社員食堂以外は、外食かコンビニ弁当でしのぐしかありません。
そこで、ズボンのポケットに入るほどの小さな手帳に、毎日の出費を記録する事にしました。自動販売機で買う缶コーヒー以外は全てその手帳に記録しています。転居してしばらくは何かと入用な物があるので、しばらくは赤字続きとなるでしょうが、少しでも赤字額を減らして、何とか収支トントンぐらいに持っていけたらと思っています。競馬も、もう止めます。パソコンは実家に置いてきたので、このブログ更新も新世界や難波のネットカフェから投稿しています。更新は絶やさないつもりですが、更新頻度は以前よりは落ちると思います。悪しからずご了承下さい。
毒になる姑 | |
クリエーター情報なし | |
毎日新聞社 |
図書館で、スーザン・フォワード・著「毒になる親(毒になる姑)」を借りてきて読み始めています。毒親問題の古典的名著で、「毒親」という言葉も、この人が最初に言い出したそうです。私が借りたのは毎日新聞社から刊行されたハード・カバーの方ですが、より一般的な講談社の文庫版は、どこの図書館も貸し出し中で借りられませんでした。他にも同じような悩みを抱えた人が大勢いる事が分かります。これを二週間かけて読もうと思っています。
昨夜は近くの三角公園で行われていた第46回釜ヶ崎夏祭りに行ってきました。そこでSHINGO★西成のライブを堪能してきました。その場では一悶着もありました。元々、故郷に帰りたくても帰れない「あいりん地区」の人々が、盆の間だけでも故郷にいるような気分でいられるように、という事で始まった夏祭りなのに、いつのまにか、地元住民そっちのけで、ライブ目当ての客が会場を占拠するようになってしまっていました。それに対して、SHINGO★西成が「こんな事では、もう来年は来ない!」と言ってしまったのです。祭り関係者のとりなしで、どうにかその場は収まりましたが、一体何の、誰のためのお祭りかという事を、私も含めて、今一度思い起こさなければならないと思いました。
再び私が家を出るに至る経過
2017年8月9日 プレカリアート
★8月2日(水)17時21分に、私から親父に送ったメールと添付写真
今、◯◯駅◯◯の中。これから帰る。今日、難波の黒門市場で観光客に撮って貰ったこの写真を、■■会に出す身上書に添付する事にする。既に、◯◯の中にあるカメラのキタムラで、身上書のサイズに合わせて現像して貰った。これは特注サイズになるので1枚400円近くしたが、身上書とは別の6枚の写真については別にサイズの規定もない様なので、こちらは1枚37円で現像できる既存のL版(身上書写真よりも少し大ぶり)で仕上げようと思う。(※写真は下記参照)
★8月6日(日)夕方、帰宅前に親父と交わしたメールのやり取り
(親父から私へ)
Re:
今夜は夕食ビフテキ~うまく出来るかな
帰ってからする
(私から親父へ)
分かった。婚活の身上書、添え書も書けたで〜。但し、写真は、原本で提出しなければならない場合も想定して、ベタッと貼らずに、両面テープで直ぐに剥がせる様に貼った。
★8月6日夜、自宅での親父とのやり取りの概要
夕食後、実家2階の自分の部屋でくつろいでいると、親父が私を呼ぶ声がして、私は1階の親父のいる部屋に降りて行った。
親父が私を呼んだ用件は、前述の■■会に提出する身上書の内容についてだった。
「■■会」と言うのは、親父が1948年(昭和23年)に卒業した◯◯大学の同窓会の名称だ。その同窓会組織が、会員サービスの一環として、会員とその子息に対し、仲人(結婚相談室)の仕事も格安で請け負っていた。
親父は、その■■会の結婚相談室に提出する身上書の内容が拙いので書き直すよう、私に指示して来たのだ。
親父は、まず、「年収欄」の「年収200万円」との記載に対して、「これでは余りに少な過ぎる。これでは誰も嫁に来ないから、金額をもっと上乗せするように」と言って来た。
私も、その点については薄々自覚していたので、ある程度下駄を履かす事については了承した。
ただ、その時に親父が言った下記の物言いに対して、非常に違和感を覚えた。
何と親父は、「私が将来もらえるであろう個人年金の額や、親父が私名義で運用している株式の資産額なども、年収欄に計上しろ」と言って来たのだ。
しかし、年収はあくまでも、一年間の収入にしか過ぎない。資産とはまったく別物だ。
それに対し、親父の言っている事は、いわば「損益計算書の収支欄に、貸借対照表の資産や負債も計上しろ」と言うようなものだ。「本来、比較の対象にすべきではない別物の数値を計上しろとは、親父はまた何と非常識な事を言うのか」と、その時、非常に奇異に感じたのを覚えている。
その次に、親父は「家族欄も、親父や兄貴、妹の名前だけでなく、亡くなった母親や兄貴の嫁、妹の旦那の名前も書け」と言って来た。
でも、普通は、婚活のプロフィール欄に家族として書くのは、直系親族までだと思っていたので、この点についても非常に奇異に感じた。
身上書の家族欄には、記載者の生年や最終学歴(出身校)も全て記入しなければならない。直系親族の範囲までなら、生年月日や最終学歴もすぐに書ける。でも、それ以外の妹の旦那あたりまで家族欄に書かなければならないとなると、そんな事まで一々知っている訳がないので、直接当人に問い合わせなければならない。
冠婚葬祭の時ぐらいしか会わない相手に対して、いきなり電話して、そんな事を聞かなければならないのは、正直言って億劫だ。それでも親父は「聞いたら良いじゃないか」と、事も無げに言う。
その上、身上書に記入する記載者の並びも変わってしまうので、全部一から書類を書き直さなければならない。段々、書くのが面倒くさくなって来たのを覚えている。
しかも、この辺りから、親父の物の言い方が、次第に興奮気味で威圧的な物に変わって来た。
「別に今そこまで書かなくても、私の書いた内容で■■会に一旦提出した後に、同窓生(親父)とその息子同伴で、正式に会員登録に■■会事務局に赴いた際に、事務局の人に相談して、必要に応じて書き直せば良いではないか」と、私が言っても、親父は聞く耳を持たず、自説に固執し続けた。
そして、決定的だったのが、「私服の写真では、まるで遊び人みたいだ。家族全員が写ったこの写真と差し替えろ」という親父の発言だった。これには、さすがに呆気に取られた。
何故なら、私が最初、「身上書に載せる写真はスーツ姿が定番だが、俺はそんな形式ばった格好は性に合わん」と尻込みしていたのを、「婚活なんてプライベートな物なんだから、別に私服の写真でも良いんじゃないか」と言っていたのは親父の方だったからだ。それなのに、今まで言っていた事と正反対の事を今になって平気で言うとは…(呆)。そのたびに振り回されたのでは、もう堪ったものではない。
おまけに、添え書(身上書とセットで出す書類で、写真はこちらに貼る事になっている)に貼る写真は縦長でないといけないのに、親父の出してきた写真は、何と横長サイズだった。
「これでは、写真だけ横向きに貼らなくてはならない。それでは余りにも不自然だ」と私が言っても、「横向きに貼れば良いんだ」「お前はわしの言う通りにすれば良いんだ」の一点張りで、もう完全に聞く耳持たずだった。
「遊び人の私服写真」よりも、むしろこちらのほうが、よっぽど不自然ではないか。
私が最初に撮ってもらった写真(左)と、親父がこれと差し替えるように言ってきた写真(右)
第一、婚活するのは、あくまで私であって、家族なんかではない。しかも、その写真の中央に写っているのは親父で、家族は私も含め、その周りを取り囲むようにして写っている。そんな写真を貼ってしまったら、一体誰のプロフィールか分からなくなるじゃないか。親父は「他の家族と区別したければ、自分の頭上に何か目印を施せば良いではないか」と言うが、何故わざわざ、そんな事してまで、せっかく私が撮ってきた写真を、家族の写真と差し替えなければならないのか?
そこまでしてまで、家族の写真にばかりこだわるのは何故なのか?やはり親父は、戦前の「家制度」中心の発想をいまだに引きずり、「息子の婚活についても、仕切り役はあくまで親の俺だと言いたいのか?」と、勘ぐりたくもなる。
現代のファミリーとは違い、戦前の家族制度の下では、家族の間にも序列が厳然と存在した。
戸主の夫が一番偉く、財産を相続できるのも長男だけだった。その制度においては、次男坊以下は「ただの一兵卒」「使い捨ての消耗品」でしかなかった。女性に至っては「ただの産む機械」としか見なされず、参政権すら与えられていなかった。天皇を頂点とする、このような制度の下では、今のような個人主義や男女同権の発想は、ほとんど広まらなかった。
戦後になって、ようやくそんな世の中から抜け出し、曲がりなりにも民主主義社会となり、そこからもう70年以上も経つのに、いまだに親父は、そんな戦前の大日本帝国の頃の発想から抜け出せないのかと、自分の親ながら情けなくなった。
今の内閣総理大臣をやっている安倍晋三も、そんな親父みたいな人間だ。頭の中にあるのは、祖父の岸信介(元A級戦犯)が生きた戦前日本への憧れだけ。しかも、政治家の二世議員として苦労知らずに育ったせいか、人の痛みが分からない。だから、数年前に、最初に残業代ゼロ法案を国会に出してきた際も、「残業代が支給されなくなったら、労働者はむしろ早く帰るようになるだろう」と、労働者が最低限の人員でサービス残業を強いられている現状もわきまえず、能天気な事が言えるのだ。そして、労働者を単に人材(モノ)としてしか見る事ができず、電通の過労死事件があった後も、全然反省せずに同じような法案(「高度プロフェッショナル職」創設法案)を性懲りもなく提出できるのだ。
安倍は、安保法制や共謀罪法案の審議においても、野党の質問には何らまともに答えず、居直りや逆ギレに終始し、強行採決を繰り返して来た。憲法改正論議においても、仲間内では、単に憲法9条改正だけでなく、国民主権や基本的人権、平和主義の思想そのものまで敵視し、「家族の尊重」義務まで国民に課すような改憲案を党内に提示している。そのくせ、国民向けには「憲法9条もそのまま残し、自衛隊の規定を書き加えるだけだ」と、それまでの党内議論とも異なるウソを平気でつく。そして、「アベノミクス」なる株価バブル演出の粉飾決算みたいな手法で、国民を煙に巻いてきた。
コロコロ言う事を変える。矛盾を突かれたら直ぐに子どもみたいに逆ギレする。自分の言いなりになる人間は、加計学園の理事長のように可愛がるが、自分に刃向かう人間に対しては、森友学園の籠池・前理事長みたいに晒し者にする。安倍信者だった籠池を反安倍に追いやった自己保身への反省もなく。二言目には北朝鮮や中国の脅威を言い募りながら、理想とするのは北朝鮮と同じ戦前のような世の中。人権とか民主主義とか、少しでもリベラルがかった事を口にしようものなら、すぐに逆上して頭ごなしにアカ呼ばわり。その挙句に、東京都議選で惨敗に追い込まれても、謝罪の席ですら野党にその責任をなすりつけ、自分に都合の良いように解釈し、それを反省と開き直る…。まさにウチの親父と、論理展開がそっくりじゃないか!
そこで私が、「婚活するのは、あくまで私個人であって、家族ではない」と言った途端に、親父はまた逆ギレして、「もう勝手にせえ!」と突然怒鳴り出し、その写真を放り投げてしまったのだ。
私の方は、普通に自分の意見を言っているだけなのに。思い通りにならないと、直ぐに子どもみたいに逆切れする親父の方が、よっぽど「勝手」じゃないか!…憤りは頂点に達した。
親父も、さすがに逆ギレしたのは拙いと思ったようで、後で2階の私の部屋に上がって来て、「別に今の写真でも良い」と言ったが、謝罪もしない親父に対して、怒りは一向に収まらなかった。
親父との間には、昨年も婚活を巡って、同じようなトラブルがあり、それを契機に、私が一時家出にまで至った事があった。それ以外にも、親父とは色々あったので、8月7日(月)午前6時半頃に、親父に下記のショートメールを送信し、また実家を出る事にした。もう今度は二度と実家には戻らないつもりだ。このままでは、いくら親父が反省や謝罪を口にし、私が親父と和解しても、また前回や今回みたいな事が繰り返されるだけだからな。何故、親父が私から「毒親」と呼ばれるのか、親父はいまだに理解できないでいる。
★最後に親父に送ったメール
結婚キチガイの親父へ。
昨夜の一件で、親父が昨年の事件に対して、反省は言葉だけで、実際は全然変わっていない事がよく分かった。
こちらは普通に冷静に話しているのに、親父は直ぐに逆ギレし、一方的に自分の意見ばかりまくし立て、人の意見を全然聞こうとしない。
その癖、都合が悪くなると、直ぐ「親子だから話し合えば分かる」と泣き落としにかかり、親子の繋がりをまるで免罪符のように、自分にとって都合よく利用する。
そんな中においては、まともな会話なぞ成立するはずがない。それで、いつも俺の方が譲歩して来た。
もう、そんな下らない事で神経をすり減らさなければならないのは沢山だ。(続く)
(続き)
結婚するもしないも、個人の自由だ。そして、どんな人間にも人権があり、自由・平等に生きていく権利がある。その権利は、たとえ親であっても犯す事は出来ない。
こんな当たり前の事も分からず、お互いよい大人になっても、未だに親父は俺のやる事や生き方にケチを付け、一々指図がましく干渉して来る。もうウンザリだ。
婚活も、昔は好きでも嫌いでも無かった。しかし、今の様に、一々親父の顔色を伺いながら、親父の言う通りに動かなければならない婚活なら、もう二度としたくない。■■会に出す書類は、身上書も含め、全部破棄した。(続く)
(続き)
今度という今度は、親父が本当に変わらない限り、絶対に実家には帰らない。もう口約束だけではダメだ。「もう二度と、息子の生き方に干渉せず、息子の自由や人権を侵害しない。もしそれが出来なければ、親父の方が実家を出る」という位の内容で、誓約書として提出しない限り、実家には帰らない。(終わり)
★参考資料(別紙)(※いずれもネット非公開)
■■会の結婚相談室に提出予定だった身上書(添え書)
私が親父に書かそうと思っている誓約書の文案
2017年8月9日 プレカリアート
★8月2日(水)17時21分に、私から親父に送ったメールと添付写真
今、◯◯駅◯◯の中。これから帰る。今日、難波の黒門市場で観光客に撮って貰ったこの写真を、■■会に出す身上書に添付する事にする。既に、◯◯の中にあるカメラのキタムラで、身上書のサイズに合わせて現像して貰った。これは特注サイズになるので1枚400円近くしたが、身上書とは別の6枚の写真については別にサイズの規定もない様なので、こちらは1枚37円で現像できる既存のL版(身上書写真よりも少し大ぶり)で仕上げようと思う。(※写真は下記参照)
★8月6日(日)夕方、帰宅前に親父と交わしたメールのやり取り
(親父から私へ)
Re:
今夜は夕食ビフテキ~うまく出来るかな
帰ってからする
(私から親父へ)
分かった。婚活の身上書、添え書も書けたで〜。但し、写真は、原本で提出しなければならない場合も想定して、ベタッと貼らずに、両面テープで直ぐに剥がせる様に貼った。
★8月6日夜、自宅での親父とのやり取りの概要
夕食後、実家2階の自分の部屋でくつろいでいると、親父が私を呼ぶ声がして、私は1階の親父のいる部屋に降りて行った。
親父が私を呼んだ用件は、前述の■■会に提出する身上書の内容についてだった。
「■■会」と言うのは、親父が1948年(昭和23年)に卒業した◯◯大学の同窓会の名称だ。その同窓会組織が、会員サービスの一環として、会員とその子息に対し、仲人(結婚相談室)の仕事も格安で請け負っていた。
親父は、その■■会の結婚相談室に提出する身上書の内容が拙いので書き直すよう、私に指示して来たのだ。
親父は、まず、「年収欄」の「年収200万円」との記載に対して、「これでは余りに少な過ぎる。これでは誰も嫁に来ないから、金額をもっと上乗せするように」と言って来た。
私も、その点については薄々自覚していたので、ある程度下駄を履かす事については了承した。
ただ、その時に親父が言った下記の物言いに対して、非常に違和感を覚えた。
何と親父は、「私が将来もらえるであろう個人年金の額や、親父が私名義で運用している株式の資産額なども、年収欄に計上しろ」と言って来たのだ。
しかし、年収はあくまでも、一年間の収入にしか過ぎない。資産とはまったく別物だ。
それに対し、親父の言っている事は、いわば「損益計算書の収支欄に、貸借対照表の資産や負債も計上しろ」と言うようなものだ。「本来、比較の対象にすべきではない別物の数値を計上しろとは、親父はまた何と非常識な事を言うのか」と、その時、非常に奇異に感じたのを覚えている。
その次に、親父は「家族欄も、親父や兄貴、妹の名前だけでなく、亡くなった母親や兄貴の嫁、妹の旦那の名前も書け」と言って来た。
でも、普通は、婚活のプロフィール欄に家族として書くのは、直系親族までだと思っていたので、この点についても非常に奇異に感じた。
身上書の家族欄には、記載者の生年や最終学歴(出身校)も全て記入しなければならない。直系親族の範囲までなら、生年月日や最終学歴もすぐに書ける。でも、それ以外の妹の旦那あたりまで家族欄に書かなければならないとなると、そんな事まで一々知っている訳がないので、直接当人に問い合わせなければならない。
冠婚葬祭の時ぐらいしか会わない相手に対して、いきなり電話して、そんな事を聞かなければならないのは、正直言って億劫だ。それでも親父は「聞いたら良いじゃないか」と、事も無げに言う。
その上、身上書に記入する記載者の並びも変わってしまうので、全部一から書類を書き直さなければならない。段々、書くのが面倒くさくなって来たのを覚えている。
しかも、この辺りから、親父の物の言い方が、次第に興奮気味で威圧的な物に変わって来た。
「別に今そこまで書かなくても、私の書いた内容で■■会に一旦提出した後に、同窓生(親父)とその息子同伴で、正式に会員登録に■■会事務局に赴いた際に、事務局の人に相談して、必要に応じて書き直せば良いではないか」と、私が言っても、親父は聞く耳を持たず、自説に固執し続けた。
そして、決定的だったのが、「私服の写真では、まるで遊び人みたいだ。家族全員が写ったこの写真と差し替えろ」という親父の発言だった。これには、さすがに呆気に取られた。
何故なら、私が最初、「身上書に載せる写真はスーツ姿が定番だが、俺はそんな形式ばった格好は性に合わん」と尻込みしていたのを、「婚活なんてプライベートな物なんだから、別に私服の写真でも良いんじゃないか」と言っていたのは親父の方だったからだ。それなのに、今まで言っていた事と正反対の事を今になって平気で言うとは…(呆)。そのたびに振り回されたのでは、もう堪ったものではない。
おまけに、添え書(身上書とセットで出す書類で、写真はこちらに貼る事になっている)に貼る写真は縦長でないといけないのに、親父の出してきた写真は、何と横長サイズだった。
「これでは、写真だけ横向きに貼らなくてはならない。それでは余りにも不自然だ」と私が言っても、「横向きに貼れば良いんだ」「お前はわしの言う通りにすれば良いんだ」の一点張りで、もう完全に聞く耳持たずだった。
「遊び人の私服写真」よりも、むしろこちらのほうが、よっぽど不自然ではないか。
私が最初に撮ってもらった写真(左)と、親父がこれと差し替えるように言ってきた写真(右)
第一、婚活するのは、あくまで私であって、家族なんかではない。しかも、その写真の中央に写っているのは親父で、家族は私も含め、その周りを取り囲むようにして写っている。そんな写真を貼ってしまったら、一体誰のプロフィールか分からなくなるじゃないか。親父は「他の家族と区別したければ、自分の頭上に何か目印を施せば良いではないか」と言うが、何故わざわざ、そんな事してまで、せっかく私が撮ってきた写真を、家族の写真と差し替えなければならないのか?
そこまでしてまで、家族の写真にばかりこだわるのは何故なのか?やはり親父は、戦前の「家制度」中心の発想をいまだに引きずり、「息子の婚活についても、仕切り役はあくまで親の俺だと言いたいのか?」と、勘ぐりたくもなる。
現代のファミリーとは違い、戦前の家族制度の下では、家族の間にも序列が厳然と存在した。
戸主の夫が一番偉く、財産を相続できるのも長男だけだった。その制度においては、次男坊以下は「ただの一兵卒」「使い捨ての消耗品」でしかなかった。女性に至っては「ただの産む機械」としか見なされず、参政権すら与えられていなかった。天皇を頂点とする、このような制度の下では、今のような個人主義や男女同権の発想は、ほとんど広まらなかった。
戦後になって、ようやくそんな世の中から抜け出し、曲がりなりにも民主主義社会となり、そこからもう70年以上も経つのに、いまだに親父は、そんな戦前の大日本帝国の頃の発想から抜け出せないのかと、自分の親ながら情けなくなった。
今の内閣総理大臣をやっている安倍晋三も、そんな親父みたいな人間だ。頭の中にあるのは、祖父の岸信介(元A級戦犯)が生きた戦前日本への憧れだけ。しかも、政治家の二世議員として苦労知らずに育ったせいか、人の痛みが分からない。だから、数年前に、最初に残業代ゼロ法案を国会に出してきた際も、「残業代が支給されなくなったら、労働者はむしろ早く帰るようになるだろう」と、労働者が最低限の人員でサービス残業を強いられている現状もわきまえず、能天気な事が言えるのだ。そして、労働者を単に人材(モノ)としてしか見る事ができず、電通の過労死事件があった後も、全然反省せずに同じような法案(「高度プロフェッショナル職」創設法案)を性懲りもなく提出できるのだ。
安倍は、安保法制や共謀罪法案の審議においても、野党の質問には何らまともに答えず、居直りや逆ギレに終始し、強行採決を繰り返して来た。憲法改正論議においても、仲間内では、単に憲法9条改正だけでなく、国民主権や基本的人権、平和主義の思想そのものまで敵視し、「家族の尊重」義務まで国民に課すような改憲案を党内に提示している。そのくせ、国民向けには「憲法9条もそのまま残し、自衛隊の規定を書き加えるだけだ」と、それまでの党内議論とも異なるウソを平気でつく。そして、「アベノミクス」なる株価バブル演出の粉飾決算みたいな手法で、国民を煙に巻いてきた。
コロコロ言う事を変える。矛盾を突かれたら直ぐに子どもみたいに逆ギレする。自分の言いなりになる人間は、加計学園の理事長のように可愛がるが、自分に刃向かう人間に対しては、森友学園の籠池・前理事長みたいに晒し者にする。安倍信者だった籠池を反安倍に追いやった自己保身への反省もなく。二言目には北朝鮮や中国の脅威を言い募りながら、理想とするのは北朝鮮と同じ戦前のような世の中。人権とか民主主義とか、少しでもリベラルがかった事を口にしようものなら、すぐに逆上して頭ごなしにアカ呼ばわり。その挙句に、東京都議選で惨敗に追い込まれても、謝罪の席ですら野党にその責任をなすりつけ、自分に都合の良いように解釈し、それを反省と開き直る…。まさにウチの親父と、論理展開がそっくりじゃないか!
そこで私が、「婚活するのは、あくまで私個人であって、家族ではない」と言った途端に、親父はまた逆ギレして、「もう勝手にせえ!」と突然怒鳴り出し、その写真を放り投げてしまったのだ。
私の方は、普通に自分の意見を言っているだけなのに。思い通りにならないと、直ぐに子どもみたいに逆切れする親父の方が、よっぽど「勝手」じゃないか!…憤りは頂点に達した。
親父も、さすがに逆ギレしたのは拙いと思ったようで、後で2階の私の部屋に上がって来て、「別に今の写真でも良い」と言ったが、謝罪もしない親父に対して、怒りは一向に収まらなかった。
親父との間には、昨年も婚活を巡って、同じようなトラブルがあり、それを契機に、私が一時家出にまで至った事があった。それ以外にも、親父とは色々あったので、8月7日(月)午前6時半頃に、親父に下記のショートメールを送信し、また実家を出る事にした。もう今度は二度と実家には戻らないつもりだ。このままでは、いくら親父が反省や謝罪を口にし、私が親父と和解しても、また前回や今回みたいな事が繰り返されるだけだからな。何故、親父が私から「毒親」と呼ばれるのか、親父はいまだに理解できないでいる。
★最後に親父に送ったメール
結婚キチガイの親父へ。
昨夜の一件で、親父が昨年の事件に対して、反省は言葉だけで、実際は全然変わっていない事がよく分かった。
こちらは普通に冷静に話しているのに、親父は直ぐに逆ギレし、一方的に自分の意見ばかりまくし立て、人の意見を全然聞こうとしない。
その癖、都合が悪くなると、直ぐ「親子だから話し合えば分かる」と泣き落としにかかり、親子の繋がりをまるで免罪符のように、自分にとって都合よく利用する。
そんな中においては、まともな会話なぞ成立するはずがない。それで、いつも俺の方が譲歩して来た。
もう、そんな下らない事で神経をすり減らさなければならないのは沢山だ。(続く)
(続き)
結婚するもしないも、個人の自由だ。そして、どんな人間にも人権があり、自由・平等に生きていく権利がある。その権利は、たとえ親であっても犯す事は出来ない。
こんな当たり前の事も分からず、お互いよい大人になっても、未だに親父は俺のやる事や生き方にケチを付け、一々指図がましく干渉して来る。もうウンザリだ。
婚活も、昔は好きでも嫌いでも無かった。しかし、今の様に、一々親父の顔色を伺いながら、親父の言う通りに動かなければならない婚活なら、もう二度としたくない。■■会に出す書類は、身上書も含め、全部破棄した。(続く)
(続き)
今度という今度は、親父が本当に変わらない限り、絶対に実家には帰らない。もう口約束だけではダメだ。「もう二度と、息子の生き方に干渉せず、息子の自由や人権を侵害しない。もしそれが出来なければ、親父の方が実家を出る」という位の内容で、誓約書として提出しない限り、実家には帰らない。(終わり)
★参考資料(別紙)(※いずれもネット非公開)
■■会の結婚相談室に提出予定だった身上書(添え書)
私が親父に書かそうと思っている誓約書の文案
8月4日(金)の夜7時から豊中のアクア文化ホールで開催された「とことん追及!!森友学園市民集会」に行って来ました。
この集会の事はネットで知りました。「安倍晋三記念小学校」(瑞穂の國記念小學院)への国有地叩き売り疑惑から始まった森友学園事件では、ついに学園経営者だった籠池夫妻が補助金詐取の詐欺容疑で逮捕されるに至りました。しかし、悪いのは籠池夫妻だけではありません。籠池夫妻をそそのかし、幼稚園児に教育勅語や軍歌を暗唱させるような歪んだ右翼洗脳教育を全国に広めようとした安倍政権や、そのお先棒を担ぎ、問題の小学校認可を強引に進めようとした「おおさか維新の会」の松井府知事こそが、本当に裁かれるべき巨悪です。今、問題になっている加計学園の問題も、この森友学園問題の延長線上にあります。納税者・有権者として、この問題を決してウヤムヤに終わらせる訳には行きません。そこで、今後の捜査の進展がどうなるか、非常に興味があった事もあり、翌日も早朝から仕事なのに夜遅くまで大変な中ではありましたが、急きょ、私もこの集会に一個人として参加する事にしたのです。
仕事を定時に終え、会場の豊中市アクア文化センターには、夕方6時半頃に着きました。まだ開場まで30分あるにも関わらず、センター前の広場には既に大勢の人が集まり、入場整理券を発行する騒ぎになっていました。私の整理券番号は227番でした。平日の夜に、各駅停車しか止まらない駅前の文化センターでの開催なので、そんなに人は集まらないだろうと、高をくくっていたのが失敗でした。最終的には500人ぐらい集まったのではないでしょうか。それもこれも、「日本会議の研究」(扶桑社新書)の著者で、早い段階からこの問題についても取材してきた菅野完(すがの・たもつ)氏や、福島瑞穂など著名な野党政治家をパネラーにお招きしていたからでしょう。これらの人たちのネームバリューの大きさを改めて思い知らされました。
この集会を企画した「森友学園問題を考える会」発行のリーフレットに、この問題の経過が分かりやすく書かれています。私も読みましたが、本当に分かりやすいです。会に注文すれば1冊わずか50円で購入できます。大きさもA6版全8ページと小さく、いつでもどこでも手軽に読めます。皆さんも是非手に取って読んでみて下さい。
そのリーフレットによると、小学校建設予定地の国有地は、伊丹空港の騒音対策のため、地元の豊中市に無償で譲渡され公園になる予定でした。ところが、21世紀に入る頃から国は豊中市に対し、今まで無償だった土地を有償で買い取るよう迫るようになり、市は予算の都合で、仕方なく東半分だけを買い取り、防災公園にする事で国と折り合いを付けました。
では、残りの西半分は一体誰が買い取ったのでしょうか?それが森友学園でした。木村真(きむら・まこと)という無所属の豊中市議が、その経過を不審に思い、現地に行ってみると、まだ土地登記の移転も終わらず所有権が国にあるのに、もう小学校の建設が始まっているではないですか!その上、小学校の名前も戦前の旧字体で「瑞穂の國記念小學院」と、おどろおどろしく書かれ、「素晴らしい日本人の育成」「戦前の教育勅語を教育の柱に据える」なぞと書かれたポスターが張られています。そこで驚いて調べたら、森友学園の経営母体こそが、幼稚園児に教育勅語や軍歌を暗唱させる右翼洗脳教育で有名な塚本幼稚園でした。
しかも、国民の税金で賄われた国有地でありながら、土地の売買価格も非公表で、情報開示請求をかけても黒塗りの資料しか開示されません。そこで、裁判所に訴えて開示命令を出させて、売買価格を暴いたら、何と地価9億5千万円超の土地が約8億円も値引きされて、1億3千万余りで森友学園に売られようとしているではありませんか!
そこで、木村市議や共産党の市議が中心になって、前述の会の母体になる組織を作り、真相を次々に暴いていったのです。その結果、籠池夫妻が同じ右翼的な思想を持つ安倍政権に取り入り、安倍晋三の妻の昭恵が名誉校長に収まる事で(後に辞任)、普通なら借金経営の幼稚園に小学校の設立認可なぞ下りるはずもないのに、総理の意向で、近畿財務局や大阪府が、国有地の叩き売りに走ったのです。しかも、通常なら全額買い取りしかあり得ないのに、10年間分割払いの特例まで付けて、買い取り価格と同額に近い助成金まで支給して、実際は1億3千万どころか、わずか200万円のタダ同然の価格で叩き売られようとしていたのです!(拙ブログの過去記事参照)
この計画が明るみに出なければ、今年4月には問題の小学校が開校し、幼稚園だけでなく小学校も軍国主義教育のモデル校になっていました。ところが、この問題がマスコミに取り上げられ、幼稚園児が運動会で「安倍首相ガンバレ!」「安保法制、国会通過良かったです!」と選手宣誓する動画が拡散されるようになると、それまで森友学園を応援していた政治家が、今までとは打って変わって手のひらを返すように、いっせいに「籠池夫妻だけ」を叩くようになります。それが、この前の籠池夫妻逮捕に至るいきさつです。
市民集会は、「森友学園問題を考える会」所属の山本いっとく氏(共産党・豊中市議)による挨拶の後、菅野完(前述「日本会議の研究」著者)、杉尾秀哉(民進党・参院議員)、宮本岳志(共産党・衆院議員)、福島瑞穂(社民党・参院議員)によるパネル・ディスカッションの形で進みました。
まずは菅野氏の発言(要旨)から。
籠池夫妻による幼稚園児に対する洗脳・虐待教育で始まったこの問題も、今や安倍政権による籠池切り捨て・トカゲの尻尾切りで幕引きが行われようとしている。しかし、ただの右翼がかったオッサン・オバハンにしか過ぎず、ビジネス・スキルも何もない籠池夫妻に、国を相手にした詐欺師まがいの行為なぞできる訳がない。籠池夫妻は踊らされただけだ。詐欺の絵を描いたキアラ設計事務所や藤原工業(いずれも小学校の建設実務を担当)、大阪府私学課や松井知事(いずれも小学校を強引に認可)、近畿財務局の佐川局長(国有地叩き売り背任疑惑に対し、知らぬ存ぜぬでシラを切り通した功績により、後に国税庁長官に就任)、安倍夫妻こそが、本当の巨悪だ。
第二次大戦中に多くのユダヤ人を虐殺し、戦後は変装して南米に逃げたナチスの戦犯アイヒマンが、ついに居所を突き止められ戦争犯罪人として処刑されるようになった時も、実際のアイヒマンがただの凡人、小役人にしか過ぎなかった姿に、全世界が衝撃を受けた。この裁判の席で、アイヒマンは「私はただ上司の命令に忠実に従っただけだ」と言い逃れをしようとしたが、世間はそんな自分勝手な言い訳を許さなかった。アイヒマンは「人道に対する罪」で裁かれたが、安倍や松井などの本当の巨悪たちも、単に国に損害を与えただけでなく、「日本の法治主義、民主主義に傷をつけ、日本人自身の尊厳を傷付けた罪」によって裁かれなければならない。でないと、このままでは国税庁や政府自身が国民から信用されなくなり、誰もまじめに税金を払わなくなる。
次に杉尾秀哉氏の発言(要旨)。
私が国会でこの問題を追及するたびに、自民党の席から「いつまで、そんな重箱の隅をつつくような小さな問題にこだわっているのか!」「北朝鮮の問題は一体どうするのか?」と野次が飛んで来る。確かに、この問題は、かつてのロッキード事件や今の加計学園の問題と比べると、ワイロの額は桁違いに小さい。しかし「重箱の隅にこそ真実が宿る」。行政は一体どちらを向いて仕事をしているのか?国民の方ではなく官邸の方を向いて仕事をしているのではないか?これでは、公務員は国民全体の奉仕者ではなく、ただの「権力の犬」に成り下がってしまう。「絶対的権力は絶対に腐敗する」。安倍一人の独裁も食い止める事が出来ずに、北朝鮮の独裁やミサイルばかり言い募るのは、ただの目くらましだ。市民と野党による共闘の力で、安倍独裁を食い止めよう!
この後、宮本岳志氏の発言(要旨)。
森友学園問題の解説については、共産党の月刊誌「前衛」7月号にも記事を載せたので、良ければそちらも参考にして欲しい。この問題の核心は二つある。一つは、縁故政治、エコヒイキによる国有地の叩き売り。もう一つは、その事によって、とんでもない教育内容の小学校が危うく認可される所だったという点だ。今回の安倍内閣改造も、一言で言うなら「追い込まれ改造」「疑惑隠し改造」だ。加計学園の問題で官邸から圧力を加えられたと告発した文科省の前川喜平・前次官も、昔は国会で「教育勅語を教材として認めるかどうか」を巡って私と大論争になった。前川前次官ですら、かつてはアイヒマンのような「権力の犬」にしか過ぎなかったのだ。そんな人物でも、今や福島の講演では堂々と「安保法制は憲法違反だ」と言うようになった。それだけ時代は変わりつつある。
最後に福島瑞穂氏の発言(要旨)。
私が国会で加計幸太郎・理事長の名前を出したとたんに、安倍首相は血相を変えて「福島さん、あんた、そんな個人の名前まで出して、責任取れるのですか!」と恫喝してきた。でも、森友学園にしても加計学園の問題にしても、籠池さんや前川さん以外は皆「記憶にない、記録にない」「それは怪文書だ」「文書やデータは既に捨てた」と言うばかりで、「私はやっていない」と明確に否定した人物は誰もいない。それは、そんな事を言ってしまったら、後に決定的証拠が出てきた時に言い逃れが出来なくなるからだ。加計学園の問題にしてもそうだ。安倍首相は、今まで頻繁に加計理事長とゴルフや会食を繰り返しながら、今年1月20日に獣医学部の新設が正式に認可されるまで、加計学園からの申請内容を一切知らなかったと言い張っている。そんな見え透いた嘘を誰が一体信じるのか?言いなりになる奴はとことんかばうが、盾突く奴はとことん弾圧する。菅義偉(すが・よしひで)官房長官に鋭い質問を浴びせた東京新聞の記者に対し、長官は記者のスキャンダル探しまで命じて、言論封殺に躍起となっている。もはや安倍首相は「裸の王様」だ。こんな王様による「男たちの悪だくみ」「日本国憲法殺人事件」を決して許してはいけない。
もう、そうこうしているうちに、夜8時になり、福島氏は都合で退出しなければならなくなりました。その前に、野党共闘の更なる発展を願って、民進党・杉尾、共産党・宮本、社民党・福島の三氏で、エールを交歓し合いました。その後、残った二人と菅野氏、木村真氏の四人で、互いに机を引っ付けてディスカッションを続けました。その中で、菅野氏と杉尾氏が、次のように面白い事を言っていました。
安倍政権のほとんどの閣僚や、自民党議員の大半が加入し、野党議員の中にも構成員が少なからずいる、「日本会議」という右翼団体について。あの団体は右翼を自称してはいるが、実は「右翼」でも「愛国者の集まり」でも何でもない。ただの「左翼嫌い」の集まりにしか過ぎない。「日本会議」からすれば、今の安倍首相は、さしずめ左翼と戦う自分たちのヒーローだ。だから、安倍首相に少しでも歯向かう人物は、たとえ同じ自民党の中にいる野中広務や石破茂ですらも、「左翼」扱いされてしまうのだ。本当に右翼や左翼の事を勉強していたら、こんな定義に外れた事なぞ口に出来る訳がない。
それが証拠に、あれだけ幼稚園児に教育勅語を暗唱させていた籠池・前理事長自身が、自分では教育勅語を暗唱できないのだから。そういう意味では、教育現場への「日の丸」「君が代」強制に熱心だった石原慎太郎が、仲間内では「俺は天皇なんて嫌いだから君が代なんて歌わない」と言っていたのと、非常によく似ている。
加計学園は獣医学部だけでなくインターナショナル・スクールも経営しているが、そこで一体どんな教育をやっているかと言うと、日本とは何の関係もない白人や黒人にまで、意味も分からずに教育勅語を丸暗記させているのだ。
第三次安倍内閣(当時)の「日本会議・神道政治連盟」所属リストより
安倍晋三(総理)、麻生太郎(財務・副総理)、高市早苗(総務)、岸田文雄(外務)、松野博一(文科)、塩崎恭久(厚労)、山本有二(農水)、山本公一(環境)、稲田朋美(防衛)、今村雅弘(復興)、山本幸三(地方創生)、加藤勝信(1億総活躍)、丸川珠代(東京五輪)、菅義偉(官房長官)の各大臣が、日本会議と神道政治連盟の両方に加入。金田勝年(法務)、世耕弘成(経産)、松本純(国家公安)、鶴保庸介(沖縄北方)、石原伸晃(経済再生)の各大臣が神道政治連盟にのみ加入。
ところが実際の言動はというと、お騒がせ稲田朋美以外にも、「年寄りのくせに、いつまで生きているんだ」(麻生太郎)、「震災が起こったのが東北で良かった」(今村雅弘)、「学芸員はガン」(山本幸三)、「沖縄土人発言は差別ではない」(鶴保庸介)と、およそ道徳的ではないどころか、国民に喧嘩を売っているとしか思えない物ばかり。
軍艦マーチ 塚本幼稚園児が演奏する軍艦行進曲!愛国行進曲!森友学園・ 軍歌 自衛隊 カラーガードWarship March Gunkan March Kindergartener Japan
これは一体何を意味するか?いくら彼らが、「右翼」だの「保守派」だの「愛国者」だのと名乗った所で、そんな物はただの「ファッション、飾り、ビジネスの道具」でしかない。もしくは「自分は左翼ではない」という「存在証明、免罪符」にしか過ぎない。だから、「鳥インフルエンザ対策として加計学園などによる獣医学部の拡充が必要だ」と表向き口にしながら、系列大学の授業では、中学で習う英語のbe動詞や一次方程式のおさらいをしなければならないような、低レベルな形だけの講義でお茶を濁し、学生から高い学費だけふんだくるような、不道徳な真似が出来るのだ。他人には偉そうに「教育勅語」や「道徳」を説きながら、自分たちはハイヒール姿の遊び気分で自衛隊を視察し(稲田朋美・前防衛相)、国民の税金を食い物にするような真似も平気で出来るのだ。ここまで来たら、もはや「漫画」でしかない。
昔のヒトラー・ナチスも、実際の支持率は34%程度しかなく、他の保守派と連立を組まなければ政権に就く事が出来なかった。ナチスはそれを補う為に、自分たちに服従する奴には餌を与え、自分たちに歯向かう奴は徹底的に弾圧した。その結果、「自分は左翼ではない」という事を証明する為に、ナチス党への入党者が激増した…。まるで今の安倍政権にすり寄り忖度(そんたく)する風潮と、まったく変わらないではないか。
でも、そんな物はしょせん「砂上の楼閣」、ただの蜃気楼(しんきろう)にしか過ぎない。だから、「安倍首相ガンバレ!」「安保法制、国会通過良かったです!」と、幼稚園児を洗脳する軍国主義教育の姿が動画に流れ、自分たちの本当の姿があらわになったとたんに、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とばかりに、安倍内閣の支持率が急減してしまうのだ。そういう意味では、日本の世論はまだまだ健全だ。いくら自民党が憲法無視の政治を続けても、日本国憲法の精神は深い所で国民の間に根を張っている。でも、安倍政治を容認し続ける限り、今の日本も最後には昔のヒトラー・ナチスのようになってしまうだろう…。そう肝に銘じて、夜9時過ぎに会場を後にしました。
今日の内閣改造で問題閣僚は一時的に一掃されるだろうが、そんな小手先の子供だましに惑わされてはならない。この下の手紙に書かれている事こそが、安倍政権の本質であり正体なのだから。
この手紙を書いたのは神戸にある私立灘中学・高校の校長だ。その校長が、正規の手続きを経て民主的に歴史の検定教科書を採択したのに対して、教科書の内容が「反日・極左」だと右翼が一方的に言いがかりをつけて、安倍政権の威光を傘に、学校に圧力を加えて来ているのである。安倍がかつて行なった従軍慰安婦特集番組潰しや、今の「総理の口からは言えないから私が代わりに言う」という言い方で、安倍政権と加計学園による行政私物化に抗う官僚潰しと同じやり口だ。
それはまた、安倍政権の卑怯さや弱さをも同時にさらけ出す事にもなっている。国民の思いや願いとはかけ離れた所で、一握りの右翼団体が、政権の威光だけを頼りに、地方行政に圧力をかけて、自分たちの息のかかった市長や教育長、御用新聞などを動員して、自分達の思い通りに教育をゆがめようとしている。これは裏返せば、そんな陰謀的な手法でしか影響力を広める事が出来ないという事でもある。
籠池前理事長の逮捕も、このままでは単なるトカゲの尻尾切りだけに終わるだろう。森友学園のような教育を全国に広める事こそが、安倍政権の野望だったのだから。このような「ファシズムの正方形」を、絶対に再び蘇らせてはならない。
第二次大戦中の空襲で多くの市民が焼け死んだのも、単に逃げ遅れたからではない。逃げれば非国民だと言われて、バケツリレーの消火活動に強制動員されたからだ。一旦そんな世の中になってしまえば、いくら戦争に反対したくても反対できなくなる。そうなってしまってからでは遅いのだ。
謂れのない圧力の中でーーある教科書の選定について--
和田孫博
本校では、本年四月より使用する中学校の歴史教科書に新規参入の「学び舎」による『ともに学ぶ人間の歴史』を採択した。本校での教科書の採択は、検定教科書の中から担当教科の教員たちが相談して候補を絞り、最終的には校長を責任者とする採択委員会で決定するが、今回の歴史教科書も同じ手続きを踏んで採択を決めており、教育委員会には採択理由として「本校の教育に適している」と付記して届けている。
ところが、昨年末にある会合で、自民党の一県会議員から「なぜあの教科書を採用したのか」と詰問された。こちらとしては寝耳に水の抗議でまともに取り合わなかったのだが、年が明けて、本校出身の自民党衆議院議員から電話がかかり、「政府筋からの問い合わせなのだが」と断った上で同様の質問を投げかけてきた。今回は少し心の準備ができていたので、「検定教科書の中から選択しているのになぜ文句が出るのか分かりません。もし教科書に問題があるとすれば文科省にお話し下さい」と答えた。「確かにそうですな」でその場は収まった。
しかし、二月の中頃から、今度は匿名の葉書が次々と届きだした。そのほとんどが南京陥落後の難民区の市民が日本軍を歓迎したり日本軍から医療や食料を受けたりしている写真葉書で、当時の『朝日画報』や『支那事変画報』などから転用した写真を使い、「プロデュース・水間政憲」とある。それに「何処の国の教科書か」とか「共産党の宣伝か」とか、ひどいのはO B を名乗って「こんな母校には一切寄付しない」などの添え書きがある。この写真葉書が約五十枚届いた。それが収まりかけたころ、今度は差出人の住所氏名は書かれているものの文面が全く同一の、おそらくある機関が印刷して( 表書きの宛先まで印刷してある)、賛同者に配布して送らせたと思える葉書が全国各地から届きだした。文面を要約すると、
「学び舎」の歴史教科書は「反日極左」の教科書であり、将来の日本を担っていく若者を養成するエリート校がなぜ採択したのか? こんな教科書で学んだ生徒が将来日本の指導層になるのを黙って見過ごせない。即刻採用を中止せよ。
というものである。この葉書は未だに散発的に届いており、総数二百枚にも上る。届く度に同じ仮面をかぶった人たちが群れる姿が脳裏に浮かび、うすら寒さを覚えた。
担当教員たちの話では、この教科書を編集したのは現役の教員やO B で、既存の教科書が高校受験を意識して要約に走りすぎたり重要語句を強調して覚えやすくしたりしているのに対し、歴史の基本である読んで考えることに主眼を置いた教科書、写真や絵画や地図などを見ることで疑問や親しみが持てる教科書を作ろうと新規参入したとのことであった。これからの教育のキーワードともなっている「アクティブ・ラーニング」は、学習者が主体的に問題を発見し、思考し、他の学習者と協働してより深い学習に達することを目指すものであるが、そういう意味ではこの教科書はまさにアクティブ・ラーニングに向いていると言えよう。逆に高校入試に向けた受験勉強には向いていないので、採択校のほとんどが、私立や国立の中高一貫校や大学附属の中学校であった。それもあって、先ほどの葉書のように「エリート校が採択」という思い込みを持たれたのかもしれない。
三月十九日の産経新聞の一面で「慰安婦記述 三十校超採択--「学び舎」教科書 灘中など理由非公表」という見出しの記事が載った。さすがに大新聞の記事であるから、「共産党の教科書」とか「反日極左」というような表現は使われていないが、この教科書が申請当初は慰安婦の強制連行を強くにじませた内容だったが検定で不合格となり、大幅に修正し再申請して合格したことが紹介され、本年度採用校として本校を含め七校が名指しになっていた。本校教頭は電話取材に対し、「検定を通っている教科書であり、貴社に採択理由をお答えする筋合いはない」と返事をしたのだが、それを「理由非公表」と記事にされたわけである。尤も、産経新聞がこのことを記事にしたのには、思想的な背景以外に別の理由もありそうだ。フジサンケイグループの子会社の「育鵬社」が『新しい日本の歴史』という教科書を出している。新規参入の「学び舎」の教科書が予想以上に多くの学校で、しかも「最難関校と呼ばれる」( 産経新聞の表現) 私学や国立大付属の中学校で採択されたことに、親会社として危機感を持ったのかもしれない。
しかしこれが口火となって、月刊誌『W i l l 』の六月号に、近現代史研究家を名乗る水間政憲氏( 先ほどの南京陥落写真葉書のプロデューサー) が、「エリート校― 麻布・慶應・灘が採用したトンデモ歴史教科書」という二十頁にも及ぶ大論文を掲載した。また、水間政憲氏がC S テレビの「日本文化チャンネル桜」に登場し、同様の内容を講義したという情報も入ってきた。そこで、この水間政憲氏のサイトを覗いてみた。すると「水間条項」というブログページがあって、記事一覧リストに「緊急拡散希望《麻布・慶應・灘の中学生が反日極左の歴史教科書の餌食にされる; 南京歴史戦ポストカードで対抗しましょう》」という項目があり、そこを開いてみると次のような呼びかけが載っていた。
私学の歴史教科書の採択は、少数の歴史担当者が「恣意的」に採択しているのであり、O B が「今後の寄付金に応じない」とか「いつから社会主義の学校になったのか」などの抗議によって、後輩の健全な教育を護れるのであり、一斉に声を挙げるべきなのです。理事長や校長、そして「地歴公民科主任殿」宛に「O B 」が抗議をすると有効です。
そして抗議の文例として「インターネットで知ったのですが、O B として情けなくなりました」とか「将来性ある若者に反日教育をする目的はなんですか。共産党系教科書を採用しているかぎり、O B として募金に一切応じないようにします」が挙げられ、その後に採択校の学校名、学校住所、理事長名、校長名、電話番号が列挙されている。本校の場合はご丁寧に「講道館柔道を創立した柔道の神様嘉納治五郎が、文武両道に長けたエリート養成のため創設した学校ですが、中韓に媚びることがエリート養成になるような学校に変質したようです。嘉納治五郎が泣いていますね… … 」という文例が付記されている。あらためて本校に送られてきた絵葉書の文面を見ると、そのほとんどがこれらの文例そのままか少しアレンジしているだけであった。どうやらここが発信源のようだ。
この水間氏はブログの中で「明るい日本を実現するプロジェクト」なるものを展開しているが、今回のもそのプロジェクトの一環であるようだ。ブログ中に「1 0 0 0 名( 日本みつばち隊) の同志に呼び掛け一気呵成に、『明るい日本を実現するプロジェクト』を推進する」とあり、いろいろな草の根運動を発案し、全国にいる同志に行動を起こすよう呼びかけていると思われる。また氏は、安倍政権の後ろ盾組織として最近よく話題に出てくる日本会議関係の研修などでしばしば講師を務めているし、東日本大震災の折には日本会議からの依頼を受けて民主党批判をブログ上で拡散したこともあるようだが、日本会議の活動は「草の根運動」が基本にあると言われており( 菅野完著『日本会議の研究』扶桑社)、上述の「日本みつばち隊」もこの草の根運動員の一部なのかもしれない。
このように、検定教科書の選定に対する謂れのない投書に関しては経緯がほぼ解明できたので、後は無視するのが一番だと思っているが、事の発端になる自民党の県会議員や衆議院議員からの問い合わせが気になる。現自民党政権が日本会議を後ろ盾としているとすれば、そちらを通しての圧力と考えられるからだ。ちなみに、県の私学教育課や教育委員会義務教育課、さらには文科省の知り合いに相談したところ、「検定教科書の中から選定委員会で決められているのですから何の問題もありません」とのことであった。そうするとやはり、行政ではなく政治的圧力だと感じざるを得ない。
そんなこんなで心を煩わせていた頃、歴史家の保坂正康氏の『昭和史のかたち』( 岩波新書) を読んだ。その第二章は「昭和史と正方形--日本型ファシズムの原型--」というタイトルで、要約すると次のようなことである。
ファシズムの権力構造はこの正方形の枠内に、国民をなんとしても閉じこめてここから出さないように試みる。そして国家は四つの各辺に、「情報の一元化」「教育の国家主義化」「弾圧立法の制定と拡大解釈」「官民挙げての暴力」を置いて固めていく。そうすると国民は檻に入ったような状態になる。国家は四辺をさらに小さくして、その正方形の面積をより狭くしていこうと試みるのである。
保坂氏は、満州事変以降の帝国憲法下の日本では、「陸軍省新聞課による情報の一元化と報道統制」「国定教科書のファシズム化と教授法の強制」「治安維持法の制定と特高警察による監視」「血盟団や五・一五事件など」がその四辺に当たるという。
では、現在に当てはめるとどうなるのだろうか。第一辺については、政府による新聞やテレビ放送への圧力が顕在的な問題となっている。第二辺については、政治主導の教育改革が強引に進められている中、今回のように学校教育に対して有形無形の圧力がかかっている。第三辺については、安保法制に関する憲法の拡大解釈が行われるとともに緊急事態法という治安維持法にも似た法律が取り沙汰されている。第四辺に関しては流石に官民挙げてとまではいかないだろうが、ヘイトスピーチを振りかざす民間団体が幅を利かせている。そして日本会議との関係が深い水間氏のブログからはこれらの団体との近さがにじみ出ている。もちろん現憲法下において戦前のような軍国主義やファシズムが復活するとは考えられないが、多様性を否定し一つの考え方しか許されないような閉塞感の強い社会という意味での「正方形」は間もなく完成する、いやひょっとすると既に完成しているのかもしれない。(引用終了)
http://toi.oups.ac.jp/16-2wada.pdf