アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
 「プレカリアート」という言葉の意味は→こちらを参照。
 コメント・TB(トラックバック)については→こちらを参照。
 読んだ記事の中で気に入ったものがあれば→こちらをクリック。

転載:中国・北朝鮮関連の企画案内

2006年11月29日 09時57分40秒 | 北朝鮮・中国人権問題
※下記の情報がメールで送られてきましたので、拙ブログでも紹介しておきます。いずれも東京都内での企画です。都内・関東在住の方でご関心の在る方はどうぞ。

-------------------------------------------------------------------------
●講演:
 核実験は独裁政権の断末魔か? 北朝鮮で今何が起きているのか?
 RENK代表 李英和による最新情勢分析(12月9日)

核実験を強行した金正日独裁政権。そして、水害などによる被害と冬の訪れの中、飢餓と抑圧に苦しむ北朝鮮民衆。これから北朝鮮はどこへ行くのか、独裁政権の崩壊と民主化に向けて私たちは何が出来るのか、何をしなければならないのか。あくまで北朝鮮民衆の救援と独裁体制の政権変換と民主化を見据えて考える緊急集会です。北朝鮮人権侵害啓発週間開幕前日、RENK代表李英和が講演します。

司会 高英起(RENK東京、ジャーナリスト)
講師 李英和(RENK代表 関西大学教授)
日時 12月9日 午後6時開場 6時半開会
場所 食糧会館(有楽町線麹町駅下車、徒歩1分)
参加費 1000円
連絡先 info@renk-tokyo.org


●討論会:
 「中国の民主化とアジア」(12月10日)

主催=アジアと中国の民主主義を考える会(代表:牧野聖修・前衆議院議員)
電話:090-3510-7606(日本語)、090-2179-9812(中国語)

アジア地域において、政治的にも経済的にも大きな影響力を持つ中国は、残念ながら民主的な国家とは言えず、人権問題をはじめとする多くの問題を抱えています。
これらの問題に取り組む民主化活動家たちは、どのようなことを考え、中国をどのような国にしようとしているのでしょうか。中国が大きな影響力を持つ国であるだけに、民主化の行方もアジア地域に大きな影響を及ぼすものと考えられます。
そこで、中国民主化運動のリーダーである費良勇・民主中国陣線主席、薛偉・中国民主団結連盟主席、そして台湾から世界の民主化を支援している蔡昌言・台湾民主基金会副執行長の各氏が来日するのを機に討論会を開き、意見を交換したいと思います。
皆様のご参加をお待ち申し上げております。

日時=2006年12月10日(日)13時15分から16時45分まで
場所=TKP秋葉原ホール(東京都千代田区岩本町3-3-6 井門岩本町ビル7F)
アクセス:JR秋葉原駅・昭和通口徒歩5分、都営新宿線岩本町駅・A4徒歩1分、東京メトロ日比谷線秋葉原駅・4番出口徒歩4分
会場費=1000円

基調講演=費良勇・民主中国陣線主席
発言=蔡昌言・台湾民主基金会副執行長
   薛偉・中国民主団結連盟主席
   岡田英弘・東京外国語大学名誉教授
   宮脇淳子・東京外国語大学講師    ほか

ウイグル、チベット、北朝鮮等と中国民主化との関係についても、発言予定。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄県知事選挙の教訓

2006年11月29日 00時11分28秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 先の沖縄県知事選挙で野党統一候補の糸数慶子候補が惜敗しました。勝ったのは自民・公明両党が支持し稲嶺県政の継承を掲げた仲井真弘多氏。両者の得票は、糸数氏30万9985票に対して仲井真氏34万7303票と、その差は3万7千票余り。私個人としても、今回の県知事選では是非糸数氏に勝って欲しいと思っていたので、この選挙結果は残念なものでした。

 如何に出遅れたとは言え、糸数氏と言えば、参院議員として、また沖縄社会大衆党の副委員長として、地元では知名度抜群の候補者でした。それに今年の春には、「此処で勝てば県知事選にも勝つ」と言われていた沖縄市長選挙で革新市政の奪還が成し遂げられていましたので、「勝算はかなりある」と思われていたのですが。

 与党としては、「福島県知事選挙や福岡市長選挙は、最悪取りこぼしても別に構わない。民主党系や保守の反主流が当選しても、次にそいつをオール与党に取り込んでしまえばそれで良い。しかし沖縄だけは、取りこぼして在日米軍の再編に支障をきたす様な事があっては、絶対にならなかった」という事でしょうか。今回の選挙では、何時にも況して企業ぐるみ・業界ぐるみの締め付け選挙が横行しました。何せ相手の仲井真候補は沖縄電力の会長で、前知事の稲嶺恵一氏ともども、通産・経済官僚畑を歩んできた方ですから、ぐるみ選挙はお手の物でしたでしょう。

 また、今回の選挙で期日前投票の票数が11万余票と、投票総数の1割以上を占めた事も、はっきり言って異常です。期日前投票と言うのは、従来の不在者投票制度とも違い、特別な理由が無くても期日前に投票できる様になったというものです。公明党・創価学会がこれを悪用して、選挙直前に学会員の住民票を異動させて期日前投票に動員したという事が言われています。この党・団体は過去もそういう前科が色々ありますから。

 その相手の与党候補ですが、選挙戦では徹底的な「与党隠し、基地隠し」を図りながら、普天間移設・基地問題から経済問題に、巧妙に争点逸らしを図ったのが功を奏したと言われています。これが、県内失業率8%と全国一高失業率の沖縄で、最後には与党に有利に働きました。それは、知事選の争点選択での基地問題重視26%に対して経済振興重視52%という県内世論調査の結果にも、如実に現われていましたから。

 戦前から戦後と「日本本土の捨て石」にされてきた沖縄には根強い反中央感情があり、それは革新系だけでなく保守系の政治家にも見られる傾向なのですが、沖縄保守には「我々の犠牲のお陰で日本本土の繁栄がある、本土がその犠牲に報いるのは当然」という意識があり、その見返りを求めてアンクル・トムよろしく本土への忠勤に励むという、"政治のねじれ現象"が存在します。本土の方はそれをまた逆手にとって、沖縄を援助漬けにして安保の前線基地に仕立て上げてきました。それが、沖縄であれだけ基地被害が頻発していても、尚且つ保守と革新が拮抗して「革新一色」とは必ずしも成らない理由です。

 それは結局は、青山貞一氏も指摘しているように、「安保の前線基地ととっかえひっかえに、国依存、公共事業依存、特例的補助金依存、公債依存といった体質を余儀なくされてしま」う事にしかならず、沖縄の経済的自立や失業解消には全然結びつかない訳ですが、それでも安保の捨て石として沖縄をずっと飼い殺しにしておきたい日本政府と、お零れを頂戴する事に汲々としている沖縄保守との政治的馴れ合いが続いてきたのが、沖縄の政治構造の一断面でした。

 しかし、この"政治的ねじれ構造"の中でも、尚且つ保守と拮抗して実際に県政を何度も担った経験を有する所に、沖縄革新勢力の根強さがあります。本土ではとっくに失われた革新統一や全野党共闘の伝統が沖縄では未だ息づいているのも、その一つの現れです。戦前の琉球処分や戦時中の沖縄戦の体験、戦後の「安保の捨て石」という辛苦の体験が、それを後押ししているのです。これも又別の沖縄政治構造の一断面です。

 それに加えて、沖縄革新には「ごった煮の強さ」もあるのではないでしょうか。先に保守勢力の所で述べた"政治のねじれ現象"は、実は沖縄の革新勢力の間にも別の形で、「本土支配からの離脱を求めながら本土復帰を希求する」「日の丸を掲げて復帰闘争を闘ってきた」という形で存在するのですが、私はこれは逆に、沖縄革新の強さでもあると思うのです。
 沖縄の革新勢力の中には、本土からの政治的独立を求める琉球独立党や沖縄の政治的独自性を強調する沖縄社会大衆党から社民党・共産党を経て嘉納昌吉氏など民主党「左派」の潮流まであり、その周縁部にも保守でありながら反中央意識が強い下地幹郎氏ら率いる政治団体「そうぞう」などがあります。
 それらの潮流は、時には先述した「アンクル・トム」や「本土への甘え」の形で弱点として露呈する場合もありますが、逆に戦後の祖国復帰運動や1995年の米兵幼児レイプ事件を契機に沸きあがった全県ぐるみの抗議運動の様に、政治的立場を超えた結集として結実する場合もあります。

 「沖縄革新勢力の弱点は経済問題だ」という意見があります。「いくら基地経済からの脱却を叫んだ所で、目の前の高失業の前では画餅にしか過ぎない。それよりも、国との条件闘争の中で如何にうまく立ち回るかを考えた方が得策だ」という意見です。「では保守勢力は上手く立ち回れたのか、稲嶺保守県政の下で失業や生活苦は軽減したのか」と具体的に問われると、潤ったのは本土資本だけでありそれに群がる一部の利権集団だけに過ぎませんでした。それに対して、太田県政時代の脱基地アクションプログラムの様に、地元経済の活性化や基地経済からの脱却の試みは、いずれも革新県政下でこそ本格的・具体的に進められたのですが、それが形となって現われる前に保守に県政を奪われてきたというのが、本当の所ではなかったのでしょうか。その真実をもっと県民にアピールしていけば、当落は逆転しその票差ももっと開いていたのではないかと、悔やまれます。

 最後に、公明党対策について。彼の党・宗教団体の謀略的手口については、不断の革命的警戒心で以って注意・監視していかなければならない、としか言い様がありませんが、その中で、沖縄県知事選挙と同日に行われた兵庫県尼崎市長選挙の結果から、教訓を引き出せないか、という気がします。尼崎と言えば公明党・冬柴幹事長のお膝元です。そこで、利権談合政治打破を掲げて前回初当選した市民派の女性現職市長が、今回は自民・公明推薦の新人候補相手に、10万1千余票対4万7千余票と、ダブルスコア以上の票差で圧勝しました。如何に新人とは言え、相手は与党候補。それをここまでの票差で勝つ事が出来たのは、相手の謀略に機敏に徹底的に反撃したからに他なりません。ここから教訓を引き出して、次回は沖縄でも県民の良識が謀略に打ち勝つ事を、示してやらなければなりません。

(参考資料)

・沖縄県知事選、全野党共闘の敗因と問われる今後の行方1~3(青山貞一)
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col7227.html
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col7228.html
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col7229.html
・沖縄県知事選2006(荒野草途伸BLOG出張所)
 http://xatosi.at.webry.info/200609/article_1.html
・沖縄知事選の敗因と参院選への対策(カナダde日本語)
 http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-315.html
・沖縄県知事選は、全然接戦なんかじゃない(タカマサの気まぐれ時評)
 http://blog.drecom.jp/tactac/archive/1217
・沖縄県知事選、負けていたら特措法も…防衛長官明かす(読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061123i112.htm
・「沖縄県知事選・期日前投票」・・・・・又してもカルト票にやられたね。(kobaちゃんの徒然なるままに)
 http://blogs.yahoo.co.jp/posutoman21/267908/24162925.html?p=1&m=c&pm=l
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕張市財政破綻問題に見る「美しい国」の本質

2006年11月24日 23時03分33秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
※はじめに

 11月22日投稿の身辺雑記エントリー「メバチコが出来た」のコメント投稿のうちで、夕張市財政破綻問題関連のコメントを、全て下記に移動・転載の上、新規エントリーとして格上げ・再編集します。夕張市問題は重要な国政上の問題であり、身辺雑記カテゴリーのコメント投稿の範疇には到底収まる問題ではないと判断したのが、その理由です。
 夕張市を始めとする地方財政破綻問題、平成の大合併、三位一体改革、道州制、地方公立学校・病院の統廃合・・・。「美しい国」を標榜し、憲法や教育基本法を変えてまで「郷土の伝統を守る」と公言している政府が、実際にやっている事は何か。自治体版・不良債権処理に名を借りた郷土切り捨て・地域破壊・棄民・亡国政策でしかないではないか。これでは正に「国敗れて山河在り」成らぬ「山河破れて国在り」ではないか。そこまでしてまで守らなければならない「国益」「国際競争力」とは、一体誰の為のものなのか。こんな棄民・亡国政府に「愛国心」の説教を垂れる資格などあるのか。

------------------------------------------------------------------------
<コメント1>
北海道の夕張市の財政再建計画 (まこと)
2006-11-23 01:33:21

社会主義者さん、こんばんは。

このエントリーとは直接結びつく話では無いのですが、医療や社会保障の問題を考える上で決して無視できる問題では無いと思うので、投稿させて頂きます。

一般企業で言えば経営破綻状態とも言える状態(財政再建団体)に陥った北海道夕張市の再建計画がまとまったようですが、予想以上の凄まじい計画に私は<絶句>してしまいました。

・夕張市再建案に市民ら悲鳴・怒り 「出るも残るも地獄」
http://www.asahi.com/life/update/1122/005.html

・財政破たんの夕張市。廃止の小中9校舎が野ざらしの恐れ(北海道)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news2/20061121wm00.htm

・◆"再建計画”住民は猛反発
http://www.stv.ne.jp/news/item/20061120185203/

・財政破綻の夕張市、老人ホーム閉鎖へ 市内唯一
http://www.asahi.com/national/update/1117/TKY200611170365.html

私、昨日出先から事務所に帰る際の小休止の車中で視聴していた「スーパーJチャンネル」でこの再建計画のニュースを知ったのですが、公共図書館・市民会館・プール・美術館などに加え、市内にたった一箇所しかない特養老人ホームすら<完全閉鎖>されるとのニュースには<絶句>してしまいました。

しかも、総務省はこの再建計画にすら<まだまだ甘い>との意向を示しているとのことで・・・。政府は特養ホームのお年寄りに<死ね>とでも言うつもりなのでしょうか!

このニュースを伝えていたキャスターの小宮悦子さんも、思わず声を詰まされていました。

財政的にヤバい自治体は他にもゴマンとある訳で(というか日本国の財政自体が危機的なのですが)、夕張市の問題はとても他人事には思えません。



<コメント2>
夕張市問題とくりはら田園鉄道廃線問題 (社会主義者)
2006-11-23 17:00:56

 夕張市の問題は、私もブログで取り上げてみようと思っていたのですが、他のエントリーとの絡みがあって、なかなか取り上げる事が出来ずにいました。

 しかし、市バスが4倍に値上げで職員給与は3割減ですか、凄まじい内容ですね。月収百万円の高給取りが70万円になった所で当人は痛くも痒くもありませんが、20万円でやり繰りしていたのが急に14万円に下げられたのでは、生活していけません。

 それに対する総務省の言い分が「もっと切り詰める事が出来るだろう」ですって。まるで鬼ですね。元はといえば、エネルギー産業政策の転換で旧産炭地を切り捨ててきた事が根本原因でしょう。謂わば己らの失政によって引き起こされた問題なのに。

 趣味の鉄道ネタでも、似たような問題があります。宮城県に「くりはら田園鉄道」という非電化の第三セクター鉄道があります。元は栗原電鉄という電化私鉄で、東北本線の石越と細倉鉱山の間を結んでいました。
 この細倉鉱山は三菱系列の鉱山で亜鉛や銅などを産出していたのですが、80年代の経済バブルで円高が進んだ結果、海外からのダンピングに太刀打ちできなくなって閉山してしまったのです。それに沿線地域で離農や過疎が進んだ事も加わって、域内のヒト・モノの流れが全然変わってしまった為に(域内流動の途絶と仙台への流出)、2007年の廃止に追い込まれたのです。単にモータリゼーションが進んだから廃止に至ったというだけでなく(それも勿論ありますが)、国の農業・エネルギー政策による所が大なのです。
 http://members2.tsukaeru.net/kuriden/infomation/info-index.htm



<コメント3>
夕張は「ショーケース」 (まこと)
2006-11-24 07:39:46

夕張は自治体破綻法の制定作業を進めている総務省によって「見せしめ」「ショーケース」的に使われていますよね。

とんでもない話。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「すき家」でバイト労組結成

2006年11月23日 11時18分13秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
・すき家:アルバイトが労組結成 牛丼チェーン(毎日新聞)
 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061110k0000m040076000c.html
・牛丼「すき家」に労組 バイト青年 解雇撤回させる(しんぶん赤旗)
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-11-10/2006111001_03_0.html
・牛丼チェーン「すき家」に労働組合「すき家ユニオン」結成しました(首都圏青年ユニオン)
 http://www.seinen-u.org/

 この間、教育基本法改悪阻止の課題から目が離せない状況が続いており、他にも書きたい・書かなければならないエントリーがあるにも関わらず、なかなかそこまで手が回りませんでした。教育基本法の問題は今後も集中的に取り上げていきますが、その他のエントリーも随時アップしていこうと思っています。

 今回は遅まきながら、牛丼チェーン「すき家」の東京・渋谷の店舗で働いているバイトが6名で11月9日に労働組合を結成した―というニュースについて。この労組結成に至る経緯は、店舗改装リニューアルを口実にした雇止めで、解雇されそうになったバイトが首都圏青年ユニオンに駆け込んで労組を立ち上げた―というものです。

 この話題ですが、実はこの前に職場の休憩室での雑談の中でも少し出ていました。話題を振ってきたバイトは「吉野家でバイト労組結成」と言っていたのですが、多分「吉野家」は「すき家」の間違いで、前述のニュースの事を指していたのだと思います。

 そのバイト曰く、「実際には、バイトの中には繁忙期でもお構い無しに仲間と釣るんで一斉に有休を取った奴もいるのに、恰も会社が全面的に悪いかのように言われている」との事。だから店舗改装リニューアルを口実にした指名解雇も致し方ない、という事らしいです。
 そりゃあ、バイトの中にも色々在り、中にはそういう不届き者もいるでしょう。みんなが一斉に休まれたのでは、仕事が回らなくなるのは当たり前です。それは、お互いが出来るだけ調整しあって、みんなが満遍なく有休を取得出来るようにすれば良いだけの話です。それでバイト同士で話がまとまらなければ、店長などの現場管理者が最終的に有休取得時季変更権を行使すれば、それで済む話です。

 若しそのバイトの言う「一斉有休取得」の話が本当であったとしても、そういう有休所得時期の調整なり時季変更権行使の手順を踏みもせず、いきなり店舗改装リニューアルを口実にした解雇というのは、話の筋が通りません。両者は全然次元の違う別の話です。
 店舗が改装される度に雇止めの不安に怯えなければならないようでは、おちおちマトモに仕事など出来ません。これは完全な解雇権の乱用です。

 「整理解雇の4要件」というのがあります。次の4つです。

 (1) どうしても整理解雇をしなければならないほどの経営状態にあることが証明されること。
 (2) 解雇を回避するためにあらゆる努力がつくされたこと。
 (3) 解雇対象者の人選基準が客観的で合理的であること。
 (4) 労働者および労働組合と事前に協議をつくすなど、解雇にいたる手続きに合理性・相当性があること。
 http://www.tcn.zaq.ne.jp/njlu/page018.html

 企業が整理解雇を行うに当っては、上記の4要件を必ず満たしていなければならないのです。この4要件を満たさない整理解雇は全て不当解雇です。それ以外の、「有休の使い方」などという、個人的主観に基づく価値判断が介在する余地などはありません。それでも「使い方」云々を言うのであれば、有休100%取得という本来の正しい「使い方」がされていない現状こそ、真っ先に問題にされるべきです。

 日本マクドナルドやケンタッキー・フライドチキンなど、今まで「労組不毛の地」とまで言われてきた外食産業の職場で、労組結成の動きが相次いでいます。いずれも、諸手を上げて歓迎すべき事です。
 有休など絵に書いた餅でなかなか取れない職場や、有休取得の権利すら認めない違法職場の方が、実際には圧倒的に多いのです。一部の不届き者の事例だけをことさら取り上げて、正当な権利行使まで十把一絡げに「ごね得」呼ばわりするような議論には、騙されないようにしなければ。

 それよりも私が気になったのは、その職場が、あのゼンショー系列の「すき家」であった事。ゼンショーは、一般営利企業でありながら、BSE対策が皆無の米国産牛肉は取り扱わない旨の経営方針を貫くなど、一本筋を通した所があったので、私としても陰ながら応援していたのですが。

・安全な食の提供がゼンショーの使命(株式会社ゼンショー)
 http://www.zensho.co.jp/fspu/pdf/051209.pdf
・今再び、米国産牛肉は安全なのか?(同上)
 http://www.zensho.co.jp/fspu/20060915.html

 これは単に「良い事もしているが悪い面もある」という事なのか、または生協などの民主経営でよく見られる「運動面では非常に先進的な役割を果たしているが、それは職員の一方的献身によって成り立っている」「内部経営は資本主義的手法そのもので、しかも運動的性格を盾にとって私企業以上の搾取がまかり通っている」という「本来理念と実際経営との乖離」問題なのか、はたまた自動車製造・原発・エネルギー業界などが行っているエコロジーや植林事業の宣伝の様に「悪い面を覆い隠すために良い事もアリバイ的にやっているだけなのか」、そのどちらがより本質的な面であったのかは、今は何とも言えませんが、「良い面を更に強めて悪い面を払拭」していくためにも、労働者や消費者による企業監視が必要です。

 最後に蛇足ですが、ゼンショーは、大阪近辺では「すき家」ではなく、「なか卯」で主にチェーン展開しています。「すき家」の店舗も一部にはあり、わざわざ試食もしに行きましたが、残念ながら味は「なか卯」や「吉野家」よりはイマイチでした(心なしか食感がパサパサしていた)。「なか卯」は、味はソコソコで吉野家とも遜色が無いのですが、メニューが限られているので、何度も行くと仕舞には飽いてきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メバチコが出来た。

2006年11月22日 00時51分05秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 先週ぐらいから、私の右目下の瞼にメバチコが出来てしまいました。初めのうちは別に何ともなかったので市販の目薬で済ませていたのですが、だんだん瞼に違和感を感じるようになったので、今日医者に行ってお薬をもらってきました。今回はその事で、身辺雑記も交えながら思う所を少し。

●医療費が高い。

 メバチコで医者に通うのは今回が初めてで、初診という事もあって、治療費が3千円ぐらい掛かりました。医者の領収書を見ると、診療報酬のかなりの部分を検査代が占めていました。月収20万円あるかないかの私にとっては、不意の出費は3千円でも大きいのです。それでなくても鍼灸治療で毎月1~2万円の出費があるのですから。今年の夏に歯周病の治療を受けた時も、毎月5千円前後の出費があって、貯金するのに苦労しました。ちなみに、この鍼灸治療費は保険が利かないので、毎年せっせと領収書をためて医療費控除の確定申告をしています。
 実際に計算してみたらよく分りますが、大の大人が食っていく為には、単身者でも月収10数万円は最低必要です。何もしなくても、税金・社会保険料・光熱費・昼食代等々の必要経費に、大半のお金が消えていきます。だから月収10~20万円台のワーキングプアにとっては、数千円・数万円の違いが、貯金出来るか出来ないかの損益分岐点なのです。ボーナスなど基本的には無いので(在ってもせいぜい寸志程度)、家計の赤字が続くとそれはもう即、借金生活への転落(多重債務者への道)を意味します。たとえ毎月数万円、否数千円であっても、お金を貯めれるか貯めれないかの違いは大きいのです。その為に私も一時は3箇所のダブルワークで生活をしのいだりもしましたが、そういう無茶はそうそう出来るものではありません。こんな気持ち、ホリエモンなどのヒルズ族や、天下り・親の七光り・議員年金などのお陰で遊んで暮らしているような奴らなどには、絶対に分らないだろう。一刻も早く、社会保険料を以前の様に1割負担に戻せ!

●肝心な時に掛かれる医者が無い。

 地方の過疎地では、医者不足や医療機関の統廃合で、無医村やお産も出来ない地域が広がっています。大都市部はそれに比べたらまだマシですが、医療機関の不足・偏在は、都会でも目に見えない問題となって広がっているのではないでしょうか。
 私の住んでいる地域は大阪市郊外の人口数万人の衛星都市ですが、最寄り駅周辺の半径約300m以内にある医療機関は、斯くの如く偏在しています。鍼灸整骨医6軒、歯科医4軒、内科医1軒、整形外科医1軒、耳鼻咽喉科1軒。眼科医も一応1軒あるにはある。昔は外科医や小児科医も各1軒あったのですが、当の昔に廃業しています。ちなみに、私の市には公立病院がありません。市は、市立病院を求める住民運動に対して、形ばかりの診療・保健センター設置でお茶を濁しました。
 眼科医も、昔からの開業医が1軒未だあるにはあるのですが、もう今は殆ど休業に近い状態なので(診察日は僅か週3日)、私も仕事のある平日には到底通えないので、今回はわざわざインターネットで調べて、隣駅の近くの民間総合病院で診てもらう事にしました。

●鍼灸整骨医が近年やたら増えたのは何故?

 先述した様に、医療機関の分布が特定の診療科目に偏在しています。小児科や産婦人科が見当たらないのは、これらの科目の診療報酬が低く抑えられており、労に見合うだけの収入が得られないので医者の成り手がいないからですが、鍼灸医や歯科医にばかり偏在しているのは、一体何故なのだろうか?
 内科や外科に比べたら医者になり易い、というのはあるでしょう。医師国家試験の難易度や診療報酬点数との関係も大いにあるのでは。それと鍼灸医について言えば、需要が増大しているからか。
 鍼灸整骨医については、その大半はこの10年のうちで開業したものであり、そのほぼ全てが、保険非適用の鍼灸専門医とは別の、電気治療やマッサージが中心の保険・労災適用開業医です。それは、裏を返せば取りも直さず、ストレスや過密労働の為に、腰痛や頚肩腕症候群に悩まされる人が激増した、という事ではないでしょうか。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊吹・石原みたいな輩などトットとクビにして、太田光を政治家に

2006年11月18日 23時51分29秒 | 教育基本法やらせ改悪
 文部科学省が伊吹大臣名で、虐め自殺防止の緊急アピールを出しました。
 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06110713.htm

 その緊急アピールには「弱い者虐めは恥ずかしくて卑怯な事」「虐めている側も、いつ虐められる側になるかわからないんだよ」「虐められている事を話す勇気を持とう」等々という趣旨の文面が並んでいます。私から見ると、「架空履修で現場に責任を擦り付けた挙句に何人もの校長を自殺に追い込んでおいて、よくもこんな白々しい事が書けるなあ」と、思わずツッコミを入れたくなるような文面なのですが。まあそれはとりあえず横に置いておくとして。

 実は昨夜たまたま、日本テレビ系列番組の「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」を見ました。「見ました」といっても、仕事で帰りが遅くなったので、実際に見る事が出来たのは番組終了間際の10分ぐらいだけでしたが。そこで司会の太田光が良い事を言っていました。その発言で、改めて彼を見直しました。「やはりこいつは、只のタレントではないな」と。

 その番組では、「国民の怒り募集」という事で、「国民が怒っているネタ」を10個集めてそれぞれのネタにコメントを加えていて、私が見たのは最後の第1位の「虐め問題多発」ネタでした。
 私は最初、「虐め事象の上っ面を取り上げるだけで、その裏にある教育格差の問題や、今一番大事な教育基本法改悪問題に、何故正面から切り込まないのか」「これが民放の限界なんだな」と思いながら見ていました。番組コメンテーターの面子(山本一太、原口一博、金美齢など)も全然期待外れだったし。

 そこでは、金美齢がまず口火を切って、「何故、虐められている事を親や兄弟に言わないのか、相談しないのか」と発言していました。これは言葉を返せば、「大人しく黙っているから虐められるのだ」「虐められるのは、そいつが弱いからだ」という「自己責任論」でしょう。実際、金美齢のその時の口調も、かなり詰問調でしたしね。

 それに真っ向から反論したのが、タレントの和希沙也でした。彼女は自身の虐め経験から、「虐められる方は、もう虐められるという事で自分自身が凍りついてしまって、何も言えなくなる」「虐められるのは虐められる側が弱いから、という理屈には絶対に納得できない」と言っていました。

 その後の太田光の発言が秀逸でした。番組を見た当初は引いていた私ですが、「この発言で唯一救われた」という感じがしました。
 太田曰く、「和希沙也は、自分の悩みなども飾らずに曝け出せる、自分に正直で誠実なキャラなんだけど、世間では得てしてそういう人は浮いてしまう」「そういう人にとっては、徒に頑張れ頑張れと発破を掛けるのではなく、自分を丸ごと肯定してくれる、そういう自分の居場所が必要なのだ」と。そう、SMAPが歌っていた「世界に一つだけの花」に出てくる下記の歌詞の様な、そんな居場所が。

 ♪そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
  一人一人違う種を持つ
  その花を咲かせることだけに
  一生懸命になればいい

 ♪小さい花や 大きな花 一つとして
  同じものはないから
  No.1にならなくても いい
  もともと特別な Only One
  http://www.momo-mid.com/mu_title/sekaini_hitotsudakeno_hana.htm

 虐められる側だけでなく虐める側も、そういう「ありのままの自分で良い」という、人それぞれが誰でも持っている個性を最初に認められた上で、「その素晴らしい個性を、更に素晴らしいものにするためには、どうしようか?」という事で初めて、「自己評価の必要性」や「長所の伸長・短所の克服」という事がその次に来るのでしょう。そこで初めて、「頑張る」とか「勇気を持とう」とか言う気持ちにもなれるのでしょう。今の競争教育の問題点は、そういう人間教育として必要不可欠な「自己肯定感」や「多様な個性の尊重」という事を完全にすっ飛ばして、市場原理主義・新自由主義に基づく大人社会の「××に負けるな、差をつけろ」という価値観からいきなり入っていっている所から、全て来ているのではないでしょうか。だから子供同士の間でストレスが生まれ、虐めも無くならないのです。

 これは「競争が全て悪だ」と言っているのではありません。「勝ち組・負け組」教育ではなく、一人一人の個性を認め合った上で、お互いに良い所を評価し合い至らない所は直し合って、みんなの力が必要な事については協力もし合いながら、一人の落ちこぼれも出さずに全員が高まっていく―そういう競争なら大いに結構なのです。ともすれば人のあら捜しに陥る減点法(相対評価)でなく、人の長所を評価する加点法(絶対評価)に基づく教育。

 フィンランドが総合的な学力評価で世界トップの座にあるのも、長年のそういう教育の賜物でしょう。フィンランドは何も特別な教育をしてきた訳ではありません。日本の教育基本法が目指した戦後民主教育の理想を、歪曲せずにそのまま素直に実践してきただけなのです。その後の日本政府の教育政策が、教育基本法の理想とは似ても似つかない「受験・競争・格差」教育、戦争や弱肉強食の社会の仕組みをただただ宿命として受け入れ、ひたすら国や企業の言いなりになる人間作りに邁進してきたのとは、凡そ対極にある教育の姿がそこにはあります。

 そういう「一人一人の違いや多様性、それぞれの良さをお互い認め合った上で、そこからみんなで一歩前へ進んでいこう」という視点が、文部科学省の虐め自殺防止緊急アピールや金美齢の発言には全然見られません。太田光は、その事を既に見抜いていたのではないでしょうか。和希沙也が番組で垣間見せた誠実さも、見ていて好感が持てました。

・「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」公式サイト
 http://www.ntv.co.jp/souri/
・「和希沙也」公式サイト
 http://www.horipro.co.jp/talent/PF077/

 その太田光や和希沙也と対極の立場にあるのが、石原慎太郎の11月10日の定例記者会見での暴言。文部科学省に送られてきた自殺予告手紙に対して、「届けられた方は迷惑千万でね、放てきするわけにはいかないだろうから、防ぎようもない」と言い、しかもそれだけでなく、「とにかく親が関与すべきではないか。私なんか、子どもにけんかの仕方を教えた。非常に効果があって、たちまち相手を倒したら小学校で番長になっちゃった」「自分で戦ったらいい。ファイティングスピリットがなければ、一生どこへ行ってもいじめられるのではないか」とまで言い放ちました。「弱肉強食大いに結構、やられたらやり返せ、それが出来ない奴など一生虐められて当然」と言っているようなものです。
 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061111k0000m040066000c.html 

 当の本人はそれで一端の傾奇者気取りでいるのでしょうが、「言われた方はどう思うか?」という事を慮るだけの感受性など、この御仁に期待するだけ無駄でしょう。和希沙也が聞いたら、どう思っただろうか。

 安倍や伊吹にしても、今でこそしおらしく虐め自殺防止の緊急アピールなんて出していますが、自分の所にお鉢が回って来ていなければ、絶対にそんなモノは出さなかったでしょう。石原慎太郎は、安倍や伊吹が言いたくても言えない事を、本音の形で言っただけにしか過ぎないのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「茶色の国」を髣髴とさせる状況だが、それでも未だチャンスはある

2006年11月16日 23時43分55秒 | 教育基本法やらせ改悪
 昨日11月15日に衆院特別委員会で、とうとう教育基本法改悪法案が強行採決されました。当日の夜はいてもたっても居られなくなり、私も兵庫県高教組のサイトから抗議メールを各関係先に同報メールで送りつけましたが、強行採決を止める事は出来ませんでした・・・。

 この改悪法案は、審議すればするほどボロが出てきます。曰く、

(1) 改悪法案自体のトンデモ内容。人格の完成をめざし子供・国民が主人公の民主教育から、兵士や企業戦士の育成をめざし国が国民に滅私奉公を強要する調教教育へ。権力の介入を戒め国民全体に直接責任を負う崇高性をかなぐり捨て、政府の好き勝手を法律の名で隠蔽する反教育的悪法に。この様な『教育偽装』を、長い間人の目を避け密室論議を続けた挙句に、何でもかんでも教育基本法に責任転嫁する形でいきなり出してきた。
 http://www.kyokiren.net/_recture/

(2) 虐め自殺問題で、教育委員会が虐めの事実をもみ消していた。そもそも虐め問題は、教育基本法の理念とは正反対の往年の「勝ち組・負け組」教育の中で、学校が生存競争の場になってしまっていたからこそ起こっている問題である。そして、その根本問題には何ら手をつけず、虐めの個別事例に即してその背景を調べて被害者も加害者の子供も立ち直る様な手立てを講ずる事もなく、徒に虐め件数だけを減らそうと教育委員会や学校に発破をかけてきた、国の上辺だけの虐め対策が、こういう『件数偽装』を引き起こしたのである。そうであるにも拘らず、国はあろうことか、自らの姿勢については完全に頬かむりしたまま、現場にその責任を擦り付ける事にのみ終始している。

(3) 必修科目の未履修・架空履修問題も、前述の虐め問題と同じ構図の中で起こった問題である。受験偏重・学歴偏重・学力格差放置という根本問題には何ら手をつけずに、徒に授業時数やカリキュラムの手直しでお茶を濁そうとしてきた事で、現場の実態との間で乖離が生まれ、矛盾をしわ寄せされた現場が『履修偽装』で切り抜けるしか仕方の無い所まで追い詰められていたのだ。そして当の国・文部科学省も、教育委員会への出向・天下りなどの人事交流を通して、こういう事実はとうに知っていたのだ。国は自らの姿勢については完全に頬かむりしたまま、この事件を逆にリークする事で、教育への国家介入を正当化する理由付けに使おうとすらした。しかし実際には薮蛇で逆に国の不手際を際立たせる事になってしまったが、国は依然としてその邪な思惑を変えようとはしていない。

(4) 教育問題のタウンミーティングで、数々の"やらせ"質問の事実が発覚している。政府寄りの質問(教育基本法改悪正当化答弁を引き出す為の誘導尋問)をする質問者を募り、謝礼まで渡していたという。これは正に『世論偽装』とも言うべき工作であり、民主主義の根幹に関わる問題である。そもそも、教育基本法を「改正」しなければならない理由などは何も無い。それを無理にこじつけて「改正」しようとするから、こういう裏工作に走らなければならなくなるのだ。そうであるにも拘らず、国は「"やらせ"の事実と法案の正否は別問題」と詭弁を弄して、逃げ切りを図ろうとしている。

(5) そして今回の強行採決に際しても、自民党が国民新党の議員に、採決に協力すれば自民党への復党の便宜を図ってやると、利権取引まで持ちかけていた事が明るみに出た。正に、『良心偽装』とも言うべき政界の権謀術数、汚い裏取引で法案を成立させようとしている。今回の改悪法案は、教育関連法案を名乗る資格すら疑われる、稀に見る悪法である。

 「こんなデタラメ法案に、消極的支持まで集めたら66%もの割合で、何で支持が集まるの?」(先の読売新聞世論調査)というのが、今の一番正直な気持ちです。

 勿論、その世論調査自体がかなり恣意的なものである事は、既に述べました。また、ついこの間の教育基本法改悪反対緊急集会に8千名もの人々が集まった事や、現役校長の66%が教育基本法改悪に反対している事、保守系の人も含め、多くの自治体首長や学識経験者が声をあげている事は知っています。それでも、この改悪法案のトンデモ内容からすると、まだまだ反対の声が小さすぎるような気がしてなりません。かつての売上税・消費税反対闘争の時は、津々浦々で反対の声が湧き起こり、当時の中曽根・竹下内閣は極限まで追い詰められましたが、今回の教育改悪も、売上税・消費税導入に勝るとも劣らない重大な内容を孕んでいるというのにも関わらず。

 一つには、「これはあくまで子供の教育問題に限ったことだ」という誤解があるのかも知れません。また、今まで余りにも日本国憲法や教育基本法が定着してきた事に安心しきって、まるで空気みたいな感覚で、絶対に不可欠な存在であるにも関わらずその有難さを痛感しないまま、「改悪するぞ改悪するぞ」と言われても「まさか本当に改悪する事など出来やしない」という油断がどこかにあったのでは―という気もします。

 しかし、実際にはこの教育基本法は、「教育・子供の世界」に限定の事項でもなければ「空気の様な存在」でも無かったのです。

・戸田市教育長が発言撤回~ブログでも反響~(とだ9条の会ブログ)
 http://toda9jo.no-blog.jp/network/2006/06/post_9ad1.html
・<埼玉県戸田市教育長「はらわたが煮えくりかえる」と発言>起立せぬ親と来賓調査 君が代/式典で徹底図る(東京新聞)
 http://www.asyura2.com/0601/senkyo23/msg/345.html

 埼玉県戸田市の教育長が、学校卒業式で日の丸・君が代に起立・斉唱しなかった来賓に対する思想調査まで呼号した挙句に、各界の反撃にあって発言撤回に追い込まれた―との事です。これは未だ今だから発言撤回に追い込めたのであって、若しこれが教育基本法や憲法が完全改悪された後なら、沈黙を強いられるのが我々の方であるのは明白です。あの有名なマルチン・ニーメラーの詩を今の状況に即して下記の様に敷衍してみましたが、こういうブラックユーモアみたいな状況が、すぐ近くまで来ています。

『国旗国歌法が制定された時、私は不安に駆られたが、内心の自由は侵さないという事だったので、何の行動も起こさなかった。後日、卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱が義務付けられた。私はさらに不安を感じたが、自分は、国旗掲揚・国歌斉唱は単なる社会慣例だと思ったので、何の抗議もしなかった。それから教育基本法改悪法・共謀罪法・防衛省法・改悪憲法が次々に成立し、その度に私の不安は増したが それでも私は行動しなかった。ある日、ついに政府はホワイトカラー・エグゼンプション反対運動すら「非国民の運動だ」として弾圧してきた。私はホワイトカラー・ホワイトカラー・エグゼンプションには反対だった。だから行動に立ち上がったが、その時は既に目配せすら出来なかった。』

 しかし、諦めるわけにはいきません。こんな、フィリピンのマルコス政権末期も斯くやと言わんばかりの、「勝つためには何でも在り」のやり方の与党を、これ以上のさばらす訳にはいきません。「これだけバカにされても尚且つ何も出来ない」というのでは、余りにも理不尽です。次は衆院本会議、その次には参院に、攻防の舞台が移ります。また、沖縄県知事選挙や和歌山県知事選挙もあります。既に福島県知事選では自公連立与党が一敗地にまみれました。こんな法案、絶対に葬ってやる!

※表題の「茶色の国」とは、ファシズム体制下の世界を揶揄した表現。原典はフランスの寓話「茶色の朝」より。
 http://www.fiberbit.net/user/notzu130/zuisou/zuiso8-19.html


(参考情報)

●【緊急】与党が特別委員会で強行採決!明日も緊急行動をやります!(あんころブログ)

 与党は、野党が審議拒否する中、単独で賛成討論のみを行って、15日17時過ぎに教育基本法改悪法案を強行採決しました!
 15日の午前中の中央公聴会では、参考人5名中3名が与党案反対の意見を明確に述べていたにもかかわらずです。
 また、与党は、野党の国民新党の糸川委員に対して、「この法案に賛成したら、自民党に復党させ、議席も保証する」との買収工作を行ったことがわかっています。
 野党は、これに抗議し、結束して審議拒否しましたが、それでも与党は無理やり採決を行いました!許せません!
与党は、明日13時ごろに野党不在のまま衆議院本会議での採決を強行しようとしています。
 全国連絡会では、明日も朝9時から国会前での座り込みを行い、18時から緊急国会前集会を行います。お昼頃がヤマになるので、昼休みの5分だけでも、国会前に来てください!
 特別委員会では強行採決されてしまいました。しかし、「やらせ」や野党委員の買収をしても、強行採決せざるを得なかったのは、わたしたちの行動が政府与党の不正をあきらかにし、一歩一歩確実に相手を追い込んでいることの反映でもあります。展望は十分あります。今国会での成立を絶対にとめましょう!来られる人は、友人を誘って短い時間でも国会前に!!!!
 行動の詳細は、緊急国会前集会案内、座り込み第二弾をご覧下さい。
 http://www.kyokiren.net/

●怒り持て、日本のおかあさんたち!!(お玉おばさんでもわかる政治のお話)

>マスコミがいじめ問題を煽るので、毎日毎日子供が死んでいる。自殺はマスコミが取上げて煽ることで確実に「後追い自殺」がでることをマスコミは経験上知っている、だから全国版でなるべく取上げない姿勢を普段はとっているはずなのに・・なにか、おかしい。今日の強行採決のニュース、松坂の移籍よりもなぜ低い扱いなのだろう。いいえ、トップでなくてもよいからどうして、もっとそのときの模様をきちんと伝えない?<
>でも、戦いはこれからです。こんな事がいつまでも許されるわけがない!!<
 http://otama.livedoor.biz/archives/50642172.html

●[メモ][教基法]教基法特別委員会議事録データベース(もじもじ君の日記。みたいな)

 教育基本法改悪強行採決に至るまでの当日の委員会議事録を論点別に整理。私もざっと見てみましたが、余りのデタラメぶりに今更ながら愛想が尽きました。
 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20061004/p2

●気味の悪い愛国教育・きのうのクローズアップ現代(あんち・アンチエイジング・メロディ)

 NHK番組「クローズアップ現代」で14日の放送された、改悪教育基本法を先取りしたような現場報告(事前に知っていたら見たのに・・)。「日本は四季があって素晴らしい」という、教師の主観が多分に入った授業を行い、その中で「ハワイには四季はないけれど素晴らしい」といった反応を示した生徒に、「そんな事はないでしょう」と半ば恫喝するかのような教師の対応。
 http://blog.goo.ne.jp/ibis083/e/701a5b2786872b4f76a403d040a9500d
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

転載:[AML 10502] 【教育基本法】今週の採決をとめましょう!

2006年11月14日 23時26分01秒 | 教育基本法やらせ改悪
■緊急座り込み&緊急集会のお知らせ■

教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会です。
緊急事態です!与党は、野党4党の反対を
押し切り、明日15日17時に特別委員会での
教育基本法改悪法案の強行採決を行おうと
しています。その翌日あるいは翌々日には、
衆議院通過が狙われています。
これをくいとめるため、全国連絡会は明日
の18時から衆議院第2議員会館前で、緊急
国会前集会を行います。
また15日~17日は、9時から17時まで、国
会前で座り込みもやります。
与党も追い込まれています。ここをとめれば、
廃案は目の前です。緊急集会&座り込みに駆
けつけてください!

よろしくおねがいします!

転送大歓迎です。

====================
★座り込み第2弾!!

一人で不安な人も、初めての人も誰でも
参加しやすい座り込みです。
全国連絡会の黄色のバナーを目印に来てください。
ほんの少しの時間でもOKです。
一緒に座り込んで、意思を表明しましょう。

・日時
2006年11月15日(水)~17日(金) 午前9時~午後5時

・場所
衆議院第二議員会館前
(地下鉄千代田線・丸の内線「国会議事堂前」駅下車3分)

・参加のしかた
とにかく場所へ行けば、どなたでも参加できます。

============================
★教育基本法の改悪をとめよう!
11・15緊急国会前集会

今ががんばり時です。
一人でも多くの知り合いを誘ってください!
私たちの底力を見せつけましょう!!

日 時
2006年11月15日(水)18時~19時

場 所
衆議院第二議員会館前
(地下鉄千代田線・丸の内線「国会議事堂前」駅下車3分)

発 言
全国連絡会呼びかけ人(大内裕和、小森陽一、高橋哲哉、三宅晶子)
国会議員から
さまざまな立場から

参加のしかた
とにかく場所へ行けば、どなたでも参加できます。

主 催
教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会

問合せ
電話/03-3812-5510 メール/info at kyokiren.net

=============================
http://list.jca.apc.org/public/aml/2006-November/010092.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今こそ教育委員会を公選制に戻せ!

2006年11月12日 23時44分24秒 | 教育基本法やらせ改悪
 今までも言われていた学級崩壊や不登校などに加え、必修科目未履修や虐め自殺などの教育現場の混乱ぶりについて、教育基本法にさも原因があるかのような意見が、国や一部政治家の方から盛んに言われています。

・「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」(教育基本法・前文)
・「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」(同・第1条)
・「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によつて、教育上差別されない。」(同・第3条)
・「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」(同・第10条)
 http://www.kyokiren.net/_misc/kihonhou

 以上、現行の教育基本法の条文から代表的な条項をいくつか抜粋しましたが、これらの条項の一体何処が問題なのでしょうか?
 虐め自殺も不登校も学級崩壊も、『人格の完成』などそっちのけで受験学力ばかり重視され、「正直者がバカを見る」(例:西宮冷蔵の倒産)「出る釘は打たれる」(例:ヤミカルテル告発で解雇されたトナミ運輸社員)社会風潮の中で『平和的な国家及び社会の形成者として真理と正義を愛』する人間が疎まれ、「勝ち組・負け組」競争の中で『個人の価値』が散々踏みにじられてきた事の、当然の報いではないですか。踏みにじってきたのは一体誰? 教育基本法ですか? そうではないでしょう。当のお役人・政府・文部官僚・財界などでしょう。

 親や子供は「学級崩壊や不登校や虐めの原因を取り除いてくれ」「我々は機械や部品ではない、みんな人間として尊重してくれ、そういう社会であってくれ」と言っているのであって、「教育基本法を変えろ」などと言った覚えは全然ありません。「教育基本法を変えろ」というのは、常に国や一部政治家の方が一方的に言い出した事です。

 いつも何か問題が起こるたびに、常に国の方から「時代遅れの教育基本法を変えなければいけない」と声が上がります。しかし、「では、その教育基本法の何処が時代遅れなのか?」と具体的に問うと、国は全然答えられません。
 答えられないのも当然です。「時代遅れ」の具体的根拠など何も無いのですから。しかし、道理があろうが無かろうが、そんな事などお構い無しに、とにかく教育基本法は変えたい。そこで出てきたのが、内閣府主催のタウンミーティングでの、国が裏に手を回して"サクラ"を使っての"やらせ"質問。教育基本法を変える道理が無いから、こんな事をするしか能が無いのです。

 やれ「"やらせ"質問はあくまで現場が勝手に暴走した事であって、国は一切関与していない」だの、果ては「"やらせ"の有無と法改正論議は別だ、法律は予定通り変える」と居直り居士まで現われる始末で(事は民主主義の根幹に関わる内容であるにも関わらず)。その裏で、国と世論の板ばさみになった校長があちこちで自殺しています。それに対して、国は涼しい顔して「トカゲの尻尾きり」で済ませています。そもそも、『平和的な国家及び社会の形成者として真理と正義を愛』す教育が今まで本当に行われてきたのなら、こんな自殺者など一人も出ない筈です。これだけをとっても、「実際には、如何に憲法・教育基本法の理念に反する政治や教育が行われてきたか」という事の、立派な証です。

・タウンミーティングやらせ質問案、文科省元室長が作成(読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061111i101.htm
・やらせ質問:政府の説明は前提が崩れた 伊吹文科相(毎日新聞)
 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061110k0000e010062000c.html
・やらせ質問「教育基本法とは別問題」 首相(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/politics/update/1111/002.html
・社説:やらせ質問 政府説明会と名を変えろ(毎日新聞)
 http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061110ddm005070093000c.html
・「やらせ」質問 甘く見られている国民(中国新聞:社説)
 http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200611040161.html

 それでも、読売新聞の世論調査によると「教育基本法改正賛成が66%」との事。この読売の世論調査に対しては、沖縄タイムスや豊島耕一氏が異論を呈しています。曰く「この世論調査結果は、教育基本法の条文や歴史的背景もロクスッポ読みこなしもせずに、教育の現状に対する危機感だけを煽られた事によるものだ」と。また、読売新聞とは全然異なる世論調査結果も既に出ています。

・教育基本法改正案「賛成」66%…読売世論調査(読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe6100/news/20060516it16.htm
・教育全国世論調査 基本法の実現こそ急務 現状の危機感が改正に(沖縄タイムス)
 http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20040927.html
・[AcNet Letter 187] 豊島耕一氏「26日の教育基本法改正世論調査について」
>教基法改正についての賛否を問うのが主な目的ですから,その前提,つまり教基法について回答者がどの程度の認識があるのかというのが,最小限必要な質問項目であるはずです.ところがその質問項目はありません.では,調査者は教基法全文を用意していたのかと聞いたところ,これも持たず,回答者に提示可能だったのは簡単な要約(“とは物”と表現されました)だけとのことです.<
 http://letter.ac-net.org/04/09/29-187.php
・教育基本法 変える?変えない?全国意見投票
 教育基本法を変えるほうがいい 1437票 28%
 変えないほうがいい      2811票 54%
 わからない           969票 19%
 http://kyokihou.exblog.jp/i0

 ただ私が思うのは、「如何に煽られたからにせよ、これだけボロが次から次へと出てきているのに、よくもまあ何も分らずにイメージだけで安易に賛成出来るものだなあ」と、もう半ば呆れ返っているのですが。もうまるで「詐欺とペテンの小泉劇場が、そのまま安倍劇場に摩り替わっただけ」というか。

 あるいは、教育基本法改悪賛成派の中には、ひょっとしたらこういう事を思っている人もいるのかも知れません。「お前ら先公は、口先では平和だとか民主主義だとか建前ばかり言っていたが、実際には受験競争を煽る側にいるじゃないか」「教育基本法の言っている事は単なる奇麗事であって、実際にはこんなモノでは虐めも学級崩壊も無くならない。戸塚ヨットスクールみたいに、道徳と強制力で有無を言わさず無くすしかないんだよ!」と。
 これは私の脚色も多分に入っていますが、特に前段の「口先では」云々部分などはかなり当っているのでは。実際、私の中学生・高校生時分には、こういう形での「ニヒリズム」「三無主義」というのが結構流行りで、実は私もその口でしたから。

 しかし、これは今になって学生時代を振り返ってこそ初めて言える事なのですが、《いくらそれが建前だけの平和や民主主義であったとしても、だからと言って、戦前の特攻隊、お国の為に死ぬ為だけの教育が良いという事には、絶対にならないじゃないか》という事です。その理念がまだまだ建前だけに終わっているというのなら、それを少しでも現実のものに近づけていくのが本来の姿です。それを一切せずに只の天邪鬼気取りのまま、その「ニヒリズムの空虚さ」を埋める為に、紛い物の「癒し」に引き寄せられて、自ら東尋坊から身投げするかの様な、自分で自分の首を絞めるかの様な愚だけは、まかり間違えても犯してはならない―という事です。
 
 実際には学校や家庭でこれだけ問題が多発しているにも関わらず、教育基本法や戦前・戦後の教育の事について、余りにも知らな過ぎ、知らなされ過ぎの感を強く感じます。知っていたら、読売新聞の世論調査の様な結果などは出てきようがありません。

 以下は共産党も含めてどこの野党も未だこの国会では取り上げていない主張ですが、今回の一連の教育問題を機に、教育委員会を公選制に戻すべきではないでしょうか。
 戦後、教育基本法が施行されてから1956年までは、市町村・都道府県教育委員会も、今の農業委員会や海区漁業調整委員会などの他の行政委員会と同様に、住民による直接選挙で選ばれていました。これは戦後の民主改革の一環を為すものでしたが、それがその後の、愛国心教育復活への地均しや教育に対する国家統制・差別選別教育強化を目論む逆コース路線(池田・ロバートソン会談、教育二法、勤評・学テ強行など)の中で、公選制から市町村長・都道府県知事による任命制に変えられて、教育委員会法も廃止されて現行の地教行法(地方教育行政法:正式名称は「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」)に改悪されたのです。その後、東京都中野区などで準公選の試みも行われましたが、自民党などの反対によって潰されました。
 
・映画「世なおし準公選」(映画配給会社シグロのHP)
 http://www.cine.co.jp/php/detail.php?siglo_info_seq=39
・教育委員会制度 高まる見直し論(神戸新聞「アクセス 地方から」)
 http://www.kobe-np.co.jp/rensai/access/43.html

 今こそ、教育委員会の公選制を復活させるべきです。そして、文部科学省役人の出向・天下りや国家権力からの介入を排して、そこで虐めや未履修の問題を討議すべきです。そこで議論するのは勿論、今の様な「道理も何も無いのに先に教育基本法廃止在りき」の"やらせ"・ウソで固めた密室議論などではなく、「今の現実・社会を教育基本法の理念にどう近づけていくか」という事を、もっとオープンに議論すべきです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奢るネオコンは久しからず

2006年11月10日 00時17分58秒 | その他の国際問題
・米民主党、下院で過半数奪還へ 主要メディア報道(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/international/update/1108/012.html
・米国防長官更迭:イラク政策の誤り認める ブッシュ大統領(毎日新聞)
 http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20061109k0000e030034000c.html
・ニカラグア大統領選、オルテガ氏が16年ぶり返り咲き(読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20061108i511.htm

 米州大陸の二つの選挙が米国のブッシュ政権を更に追い詰めています。その一つは自国の中間選挙で、もう一つはニカラグアの大統領選挙です。

 米国中間選挙で与党の共和党が大敗し、議会の過半数を失いました。イラク戦争の泥沼化や与党スキャンダルに対する米国内世論の批判をモロに受けた格好になりました。これを機にブッシュ大統領はラムズフェルド国防長官を解任し、後任には比較的穏健派と目される人物を任命しました。
 この選挙は名前こそ「中間選挙」と地味ですが、下院の全議席と上院の1/3の議席が改選され、併せて州知事選挙や各種の地方住民投票も同時に行われる、米国の一大選挙イベントなのです。大統領選と次の大統領選の間に施行されるからこういう名称がついているのであって、日本で言えば衆参同日選挙と統一地方選挙が合わさったものに相当します。
 http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20061002A/index.htm

 この選挙結果については日本のマスコミもそれなりに詳しく報じていますので此処では逐一引用はしませんが、それを単に表層的に「民主党の勝利、共和党の敗北」とだけ捉えるのではなく、「イラク反戦の意思が選挙結果に示された」事こそが重要なのであって、それが前述の形となって現われたと見るべきでしょう。
 何故ならば、今更言うまでも無い事ですが、共和・民主両党も大資本擁護の保守二大政党である事には変わりなく、それぞれの中にイラク戦争支持派も反戦派も同居しているからです。例えば、コネチカット州選出民主党大物上院議員のリーバーマン候補などは典型的なイラク戦争支持の隠れブッシュ派で、それが民主党予備選挙で反戦派のラモント候補に敗れて党の公認を得られずに無所属で出馬して、大物議員でありながら反戦候補に追い上げられた挙句に、どうにか逃げ切る事が出来ました。
 それに、米国には戦争や新自由主義を巡る対立軸の他に、同性愛や避妊や銃の自由所持といったキリスト教倫理観とも関わる別の対立軸があり、それが政治対立にも微妙に影を落しており、イラク反戦の意思がそのままストレートに現われるとは限らないからです。
 そして、第三政党の進出を阻む小選挙区制や有権者登録制の介在、電子投票機メーカーと政権との癒着も噂され、貧民層やマイノリティの声が簡単には政治に反映されにくくなっている構造の中で、選挙が小市民・中産階級中心の単なるイベント・お祭りと化している現状もあります。

 その様な政治状況の中でも、イラク反戦の世論の意思が明確に反映された(中産階級にとってもイラクで無駄死にはしたくはないだろうし戦費増大は増税となって跳ね返ってくる)―これが2006年米国中間選挙に現われた結果です。

 もう一つのニカラグアの大統領選挙は、米国による露骨な選挙干渉をはねつけて、ニカラグア国民が自らの意思で新自由主義政治に終止符を打つ事が出来た―という事に最大の意義があります。
 ニカラグアでは1979年にソモサ独裁政権が打倒されFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)による自主的・民主的な国作りが開始されましたが、その後は米国の反革命干渉によって90年代以降は右派政権が復活し、国民の間に貧富の格差が広がっていました。それが、この間の南米左派躍進の波を受けて、FSNLによる政権奪回の可能性が生まれていました。

 こちらも内実はそう単純なものではなく、今まで米国の後ろ盾を得て反FSLNでまとまっていた右派が、革命以前の保守二大政党対立を引きずる形でPLC(立憲自由党)とALN(国民自由同盟)に分裂し、その漁夫の利にも助けられて、FSLNのオルテガ候補(元大統領)が、決選投票を経ることも無く第1回投票で見事政権復帰を果たしました。
 得票分布を見ると、FSLNが北部、PLC・ALNが南東部・南西部の地盤でそれぞれ地歩を確保し、首都マナグアでは三党鼎立の様相を示しています。選挙戦では、右派二党が反共攻撃やネガティブキャンペーンに終始したのに対して、FSLN側は元コントラ(反革命干渉軍)幹部も取り込んで国民和解政府の実現を訴えたのが功を奏し、地盤の北部で右派を圧倒したのが最後の勝利の決め手になった様です。また、この20年来の右派政権の下で、FSLC自身も社民化して行政ポストを保守と分け合うなど利権構造に取り込まれつつあったという側面もあり、それに対する批判票が左派分派MRS(サンディニスタ刷新運動)の得票として現われています。
 http://www.elecciones2006.net.ni/escrutinio/general_p.html

 そういう諸々の要素にも関わらず、この20年来のIMF構造調整政策・新自由主義経済モデルの押し付けで貧窮化の淵に追いやられてきた中南米諸国人民による「こんな政治はもう沢山だ」の声にも励まされ、ニカラグア人民がアメリカ帝国主義の干渉をはねつけて「新自由主義NO!」の候補に一票を投じた―ここにこそ、この選挙結果の政治的意義があるのです。
 今までは、これらの中南米における社会変革の動きは、20世紀初期のメキシコ革命と1959年のキューバ革命の例外を除いて、後は全てアメリカ帝国主義によって潰されてきました。グアテマラ・ドミニカ・ボリビアの革命、チリのアジェンデ政権、パナマの革命、等々。しかし、ベネズエラのボリバル革命を皮切りに、その後はブラジル・アルゼンチン・チリ・ウルグアイ・パラグアイ・パナマ・ボリビアで相次いで革新政権が誕生し、その他の国々でも革新勢力の前進が従来の保守寡頭支配体制を脅かすまでになっています。今までの様な横暴勝手な反革命干渉は通用しなくなっているのです。
 
 この二つの選挙から共通して言えるのは、「奢るネオコンは久しからず」という事です。2001年9月11日のNY同時多発テロで折角世界から同情と共感を集めながら(その時に多国間協調路線に舵を切っておればまた違った展開になっていたかも知れないものを)、その同情・共感に悪乗りする形で「目には目を、テロには国家テロを」の論理で逆上・暴走し、イスラム原理主義とは何の関係も無いイラクのアラブ社会主義政権を一方的に打倒し、彼の国を内戦の淵に追いやった。そういう嘘で、いつまでも世界を欺き続ける事は出来ません。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする