【驚愕の事実】安倍総理がドヤ顔で「云々」を「でんでん」と言い放つ
安倍首相が国会答弁で、答弁書の「云々」という漢字を、「うんぬん」と正しく読めずに、「でんでん」と読み間違えた事が話題になっています。この話題に対して、私は最初、首相ともあろう人が、「云々」もまともに読めないのか、と思う一方で、漢字の読み間違いぐらいでそこまで揚げ足を取るのもいかがなものか、という気持ちでいました。
かくいう私も、昔は結構、漢字の書き間違いが多かったです。大学時代に、うっかり「評価」を「評加」と書いたレポートを提出してしまい、ゼミの教授に怒られた事がありました。また、生協に勤めていた時も、「法令遵守」の「遵守」を「じゅんしゅ」と正しく読めずに、「そんしゅ」と堂々と読んでいた上司も実際にいました。
でも、「云々」を「でんでん」と読み間違えるのは、「遵守」を「そんしゅ」と読み間違えるのとは、全然質が違うのではないでしょうか。なぜなら、「遵守」なんて、書物や新聞記事には割と出て来ますが、話し言葉では余り使われない言葉です。日常生活では余りなじみがないからこそ、たまに出て来た時に読み間違えるのです。
それに対して、ほとんどの東京の人は、「京浜急行」を「けいひんきゅうこう」と正しく読めるでしょう。ほとんどの大阪の人も、「高野山」を「こうやさん」と正しく読めるでしょう。純粋に漢字読みの難しさだけで見れば、「浜」を「ひん」と読める人はそういないはずだし、「高野山」を「たかのやま」と読み間違えても全然不思議ではないのに。なぜ、これらの「難読漢字」を、ほとんどの地元の人が正しく読めるのか。それは、これらの路線名や地名が、地元にとって非常になじみのあるものだからです。
「云々」も、それと同じではないでしょうか。字面だけ見ると、一見難しそうな漢字ですが、表現自体はごく平易で、書き言葉でも話し言葉でも、ごく普通に使われる言い回しです。大抵の人は間違わずに読めるからこそ、読めない事がニュースになる訳で。それに、仮に漢字が読めなくても、答弁書をしっかりと読み込み、その内容が理解できていたら、文章の前後のつながりから、そこは「うんぬん」と読む事は、容易に推察できるはずです。
問題の場面は、1月24日の参院本会議で起こりました。民進党の蓮舫議員と安倍首相との間で、ちょうど下記のような議論の応酬になっていた時でした。
安倍:議場の中でプラカードを掲げても何も変わらない。
蓮舫:自民党も野党の時は議場の中でプラカードを掲げていたではないか。
安倍:プラカードの件は、あくまでも一般論として言ったまでであって、別の民進党をあげつらうつもりで言ったのではない。だから、訂正云々という話にもならない。
安倍首相の答弁内容はおおよそ、こんな感じでした。もっとも、首相が答弁したと言っても、実際には、前日に蓮舫議員から受け取った質問書を元に、役人が書いた答弁書を、首相は読んでいただけなのですが。答弁書を役人に書かせる事については、別に何の問題もありません。首相一人で何もかも調べて答弁する事なぞ出来ないのですから。細かな数字については、役人に調べてもらって、自分は読むだけでも一向に構いません。しかし、それでも最終的には自分の名前で答弁するのですから、何が書いてあるか、そこに自分の考えがどれだけ反映されているかぐらいは、答弁する前に分かっていなければなりません。そうしなければ、自分が責任もって答弁したとは言えません。
少なくとも、そのような姿勢で答弁しようとしていたら、「云々」を「でんでん」と読み間違えるような事なぞ起こりようがありません。何度も言うようですが、「云々」の場合は、たとえその漢字が正しく読めなくても、そこは「うんぬん」と読むしかない事は、答弁書の文章を読めばすぐに分かるはずです。そうであるにもかかわらず、「うんぬん」と読めずに「でんでん」と言い放ち、まだ間違いに気づかないという事は、答弁書の内容を理解できずに答弁していたのではないか、もっと勘ぐれば、答弁書の内容なんてどうでも良い、ただ単に質問をやり過ごして、最後には「数の論理」で強行採決してしまえばそれで良い、ぐらいにしか考えていなかったのではないか。
【国会】山本太郎『今日は褒め殺します!!いつ総理の座から降りてくれるんだ!?』 平成29年1月25日
同じ事は、翌日1月25日の参院本会議に起こった議事録削除問題についても言えると思います。この日は、自由党・共同代表の山本太郎議員が、安倍首相に対して、「いつも批判ばかりと言われているので、今日は褒め殺し気味に安倍首相をたたえて見せる」「大企業ファーストのアベ政治こそ、正に政治家の鏡」と批判したのが問題になり、質問者の発言を議事録から削除する騒ぎになりました。私はそれを聞いて、「議事録削除など、もっての外だ」「削除される前に自分のブログに山本太郎の質問内容を保存しておこう」と、参院のネット中継や山本太郎のHPにアクセスしました。その中で、山本議員が下記のように、「安倍さんは、自分にとって都合の良いデータだけを拾い集めて、アベノミクスの粉飾決算に必死になっている」と批判しているのを知りました。
「庶民を犠牲にして大企業をもうけさせる。その御活躍ぶり、歴代の総理大臣を見てもナンバーワン」
「庶民から搾り取った税金で、庶民への再分配は最低限に抑え、真っ先に手当てをするのは選挙や権力基盤づくりでお世話になった経団連など大企業や資本家、高額納税者への御恩返し。とことんおいしい減税、補助金メニューを提供」
「一方で、派遣法を改悪し、働く人々をコストとして、切り捨てやすくする、ルール改正などを取りそろえる。おかげで、上場企業はあのバブルのときよりももうかり、過去最高益。一方で、中小零細企業の解散、休業は過去最高。見ているのは大口の支持者のみ。まさに大企業ファースト」
「子供の貧困問題を人々の善意、基金で解決しようというウルトラCは、安倍総理が薄情で指導者の器ではないのではなく、総理はただ興味がないだけ」
「今まで国会やメディアで取り上げられてきた厚労省の国民生活基礎調査ではなく、違うデータを持ち出して、総理は、子供の貧困率が低下したと演説されました。持ち出したのは総務省の全国消費実態調査。この調査は非常に面倒な作業を対象者に求めるもので、お金と時間に余裕がある人しかなかなか対応することができず、低所得者層の実態をしっかり反映しづらいという傾向があると言われます」
「厚労省の国民生活基礎調査では、子供の貧困率は一六・三%。今年、最新のものが発表される予定ですが、この調査で、アベノミクス効果により子供の貧困率がどれぐらい下がるのか、総理の予想値を聞かせていただくとともに、今年、子供の貧困改善の数値目標をお答えください」(以上、山本議員の代表質問より)
そして、安倍首相の反論答弁も、山本太郎さんのHPで、同時に読む事が出来ました。
「総務省の全国消費実態調査は、家計の収支などを総合的に把握している調査です。詳細な家計簿を三か月間付けていただくなど、一定の御負担を掛けることは確かですが、所得の低い世帯からも回答をいただいています。低所得者層の実態がどのように推移しているかを把握できるものと考えています」
「昨年公表された全国消費実態調査における子供の相対的貧困率については、集計開始以来初めて低下しています。十五年前の九・二%から、十年前に九・七%と上がり、五年前に九・九%と更に上がったものが今回七・九%と、二ポイント改善しています。これは、アベノミクスの成果により雇用が大きく増加するなど経済が好転する中で、子育て世帯の方々の収入が増加したことによるものです」
「国民生活基礎調査における子供の貧困率については、本年、精査の上、取りまとめる予定であり、それ以前の段階での予想は用意していません。子供の貧困率については、世帯の資産が評価されないこと、算定の基礎となる所得に現物サービス等が含まれないことなど、指標として制約、限界があるため、数値目標とするにはなじまないと考えています」(以上、安倍首相の答弁より)
https://www.taro-yamamoto.jp/national-diet/6635
この流れの中で、厚生労働省が行う「国民生活基礎調査」と、総務省が行う「全国消費実態調査」という、同じ相対的貧困率について調べた二つの分析データの内容に、なぜそんな違いが現れるのか、私は俄然、興味を持ち始めました。「相対的貧困率」というのは、大ざっぱに言えば、「国民の中で、平均所得の半分以下の貧困層が、一体どれぐらいの割合で存在するのか」を示す指標です。今の日本で言えば、大体年収200万円以下の層が、この率の範囲に該当します。それが前者のデータでは16%余なのに後者では10%前後と、約6ポイントの差が出て、首相は後者の低い方の数値を採用しているのです。
アフリカや北朝鮮の難民のような、飢え死にする寸前の「絶対的貧困」状態にあるような人は、はた目にもすぐ分かります。しかし、たとえ平均の半分以下の所得しかない「相対的貧困」状態の人は、絶対的貧困ほど、すぐには目に付きません。だから、ネットカフェ難民やシングルマザーや下流老人のような人でも、「アフリカ難民よりは相対的にはまだマシだろう。苦しいのは本人の甘えだ」と見なされて、ずっと問題が放置されてきたのです。
その相対的貧困の問題にも、最近になって、ようやく政治の光が当てられるようになりました。でも、その元になるデータがまちまちでは、施策の進めようがありません。内閣府・総務省・厚労省の三者が共同で執筆した「相対的貧困率等に関する調査分析結果について」と題する資料に、前述の厚労省の調査と総務省の調査の違いが、比較して載っていましたが、それを読んでもイマイチよく分かりませんでした。
どうやら、総務省の「全国消費実態調査」の方が、データの取り方が細かそうです。家計簿を付けさせて資産額まで調べるのですから(耐久財務調査など)。それに引き換え、厚労省の「国民生活基礎調査」の方は、家計簿なぞ付けなくて良いし、資産額までは調べないようです。なぜ、調査方法にそのような違いがあるかというと、前者は家計動向を把握して経済政策の立案に反映させる為に、データの正確性を重視するのに対し、後者は福祉事務所のケースワーカーなどが対象世帯の経済状態を把握して、生活困窮者の自立を促す為のもので、こちらは正確性よりもむしろ迅速性の方が求められるからではないでしょうか。つまり、相対的貧困率を調べるという目的は同じでも、それを何に使うかによって、調査の重点が変わるのです。
それで、「厚労省の調査では相対的貧困率が16.3%にもなるが、総務省の調査では5年前と比べ、9.9%から7.9%に貧困率は逆に下がっている。これこそがアベノミクスの成果だ」と、安倍はドヤ顔で言っているのです。そりゃあ、総務省の調査では収入だけでなく持ち家などの資産価値もデータに反映されるので、厚労省の収入だけのデータと比べると、家計は「名目上」豊かになり、貧困率も若干下がるでしょう。
でも、おかしいと思いません?例えば私のように、親と息子が同じ実家に住んでいる場合、息子は非正規のワーキングプアでも、親の実家に住んでいるので、今はそんなに生活に困窮していません。でも、やがて親が亡くなると、親の年金は入らなくなります。逆に実家の固定資産税や水光熱費も息子が全部負担しなくてはならなくなります。「固定資産税=家賃」と考えると、もうその時点で、生活の負担は借家住まいと変わらなくなります。非正規の給料で、果たしてどれだけ持つか?仕事をクビになったら、もう実家を売るしかない。下手すればネットカフェ難民やホームレスに転落しかねない。
また、親が認知症になったら、誰が面倒を見れるか?非正規の息子に、親を介護する余裕なんてありません。高額の養護施設に入れる金もありません。今はもう少子高齢化や晩婚化が進んで、そんな家庭が増えつつあります。そんな状況下で、仮にいくばくかの資産があったとしても、果たしてどれだけの値打ちがあるか?ほとんど無いに等しいじゃありませんか。
資産なんてものが意味を持つのは、中産階級以上の大金持ちに限られます。それ以下の貧乏人にとっては、たとえ実家住まいであったとしても、「とりあえず親が亡くなるまでは家賃を払わなくても良い」という程度の「一時しのぎ」にしかなりません。親が亡くなった後は、むしろ実家の維持費がかさんで、逆に「資産リスク」に苦しむ事にもなりかねません。そんな中で、いくら「相対的貧困率が9.9%から7.9%に下がった」と言われても、「アベノミクス万歳!」なんて気持ちになれる訳ないじゃないですか!
ひょっとして、安倍首相は「サザエさん」のような家庭を想定して、「持ち家があるから良いじゃないか」「持ち家などの資産価値も含めて考えると、決して貧困や格差が拡大しているとは言えない」「低収入だ非正規だと文句ばかり言ってないで、実家を残してくれた親にもっと感謝しなさい」「社会保障なぞ当てにせず、親の面倒は子どもが全て見ろ」「もっと親をいたわり、国に対しても愛国心を持て」と、私のような人間に言いたいのでしょうか?実際に、自民党などの保守系政治家は、「サザエさん」モデルを「古き良き日本」の象徴のようにみなして、それを憲法改正や愛国心宣伝、福祉削減などの口実に利用しています。
しかし、今やどこにそんな「サザエさん」みたいな家庭があるでしょうか?今時、三世代同居で、「波平、フネ」もピンピンしていて、「マスオさん」は正社員で毎日定時に帰宅でき、「サザエさん」も専業主婦で夫の給料だけで食べて行け、「カツオ」の学校生活も自由奔放で受験競争なども無く。「ワカメ」「タラ」と3人も兄弟がいて。連載何十年もの漫画なのに、キャラクターは全然年をとらず。ブラック企業や過労死や派遣切りや、DVや介護自殺や下流老人などの問題も、今これだけ世間で問題になっているにもかかわらず、そこには一切存在しない。戦後の総中流社会ならいざ知らず、今時そんなユートピアみたいな現実離れした家庭がどこにあるというのか?
安倍がドヤ顔で「云々」を「デンデン」と読み、いまだにその間違いに気付かず、手抜き答弁に対する反省がないのも、貧困・格差の問題で、「今日、明日の生活に困っている」と言う話をしているのに、いきなり「資産があるから、まだまだ生活には困っていないはずだ」なんて話にすりかえようとするのも、実際の庶民の暮らしやその困窮ぶりについて何も知らないし、知る気もないからでしょう。まわりもイエスマンばかりで、誰も安倍のトンデモをいさめようとしない。これこそが「デンデン」問題の真相なのです。決して、単なる漢字の読み間違いで済む話ではありません。そもそも、日本を「総中流社会」から今のような格差社会にしたのは当の自民党なのに、その責任を「親も養えない息子」になすりつけるとは…。こんな「サザエさんフェチのデンデン虫」野郎に、これ以上好き勝手にされては堪らない。
※追記。実は資産がどうこうなんて一切関係なかった。全国消費実態調査でも国民の所得額は低下していた。でも、その為に平均所得や貧困ラインも下がり、貧困率も見かけ上は下がった、という事を、下記の赤旗記事が暴露していた。「率」だけでなく「額」の推移もちゃんと見れば見破る事の出来る話だった。http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-01-29/2017012903_01_1.html
数日前のニュースで、トランプ大統領の就任式の様子を流していました。ニュースでは、就任会場に集まった人数も歴代大統領と比べるとまばらで、会場の外では、映画監督のマイケル・ムーアや俳優のマドンナなども加わって、50万人もの人間が反トランプ集会に参加した事が報じられていました。(関連動画)
トランプ大統領は、選挙戦のさなかでも女性蔑視や移民差別の発言を繰り返し、国民のわずか4割からしか支持されないまま、番狂わせで大統領に就任する事になりました。普通は、どんな大統領でも、ご祝儀相場で最初は高めの支持率が出るものです。しかし、このトランプ大統領に限っては、政権発足当初から支持よりも不支持の方が多い、正に前途多難な門出となりました。これはまた同時に、たとえ国民の4割からしか支持されない人物でも、大きな州で他候補より1票でも多く得票できれば、全国規模ではたとえ相手候補の票の方が上回っていても全て死票となってしまう、米国大統領選挙のいびつさをも、全世界に再認識させる結果となりました。
その中で、ひとり日本の安倍首相だけは、米国内だけでなく全世界で反トランプ・デモが吹き荒れるさなかでも、「何があっても米国に従うのみ」と、ジャイアンにどこまでも媚びへつらうスネ夫の醜態を、またしても世界にさらけ出す事になりました。トランプ自身が「ご破算にする」と言っているTPP(環太平洋パートナーシップ協定)にも、いまだに未練たらしく固執して、「見捨てないで」と逆にTPP批准を進めようとするに至っては、「安倍は一体どこの国の首相か?」と言いたくなります。こんな売国奴でも「愛国者」のように振る舞える日本は、つくづくお目出たい国だなと思います。
でも、そんなトランプの様な人物でも、そこそこ人気があるから大統領になれたのです。トランプ支持層の多くは、五大湖沿岸のラストベルト(寂れた地帯)に住む貧しい白人だと言われています。かつては、製鉄所や自動車工場の立ち並ぶ屈指の工業地帯として、米国の繁栄をけん引した、自分たちの街が、今や外国に職を奪われシャッター街と化してしまった。失望にうちひしがれた彼らには、「外国人から職を取り戻し、再び強い米国を実現する!(Make America Great Again!)」と叫ぶトランプが、救世主のように見えたのでしょう。
真の繁栄は、どこか強い国が弱い国をねじ伏せて、自分の言いなりにする事では実現されません。それで、もし一時の繁栄を築く事が出来ても、更に強い国が現れれば「いたちごっこ」になるだけです。そうではなく、強い国も弱い国も、みんなともに繫栄できるようにしないと、本当の繁栄なぞ在り得ません。今の米国の衰退も、ただ単に「外国に職を奪われた」のだけが原因ではありません。それまでの半世紀以上に及ぶソ連との東西冷戦や、核戦争一歩手前まで行ったキューバ危機、ベトナム戦争やアフガニスタン戦争、イラク戦争への出費で、際限のない軍拡競争に巻き込まれ、国全体が疲弊していったところに、真の原因があります。軍拡優先から民需優先に産業構造を切り替えない限り、「貧しい白人」も「貧しい女性」や「貧しい有色人種」も救われません。トランプのように大企業減税一本槍のやり方では、「貧しい白人」は、外国人に代わって白人の大金持ちから搾取されるだけに終わってしまいます。
その一番肝心な事を、日本のマスコミは一切指摘しません。トランプがまだ泡沫候補だった時は、面白おかしく彼の差別発言を取り上げておきながら、彼が大統領になった途端に「今太閤」と持ち上げる。トランプの掲げる「米国第一主義(America First)」に対しても、より一層の米国追従を説くばかり。沖縄の辺野古・高江の米軍基地建設強行についても、あれだけ知事選挙や総選挙で新基地建設反対の民意が示されたにも関わらず、相変わらず建設工事をごり押ししようとしています。TPPや原発推進についても同様です。国民の健康や暮らしよりも、米国言いなりで己の保身しか顧みない安倍は、一体どこの国の首相なのでしょうか?
よろしい。そんなにトランプの「米国第一主義」を持ち上げるなら、私も「非正規第一主義」「バイト・ファースト」を掲げるまでです。選挙のたびに自民党や、安倍応援団と化した「維新の党」に投票し、投票しなくても棄権という形で安倍の悪政を黙認し続ける「社畜」どもに対して、今さら「同じ労働者」とみなす気には到底なれません。会社や社員が、我々、非正規労働者を「使い捨ての駒」とみなし続ける限り、我々も「非正規第一主義」で対抗するまでです。トランプなら認められて、我々には認められない、そんな不公平はもはや通用しません。
バイト・ファースト(非正規第一主義)具体化の例
(1)時給千円への即時引き上げ断行!
独仏など他の先進国の最低賃金がとっくに時給1500円の大台に乗り、日本と同様に時給が低かった米国でも、大都市では1500円に迫る勢いとなっている。その日本でも、東京や横浜では既に最低賃金の時給が900円を超えている。今や時給千円への引き上げ要求は、ゼイタクどころか最低限の要求になろうとしている。そんな中で、ウチの会社だけが、いつまでも時給800円台や900円台の低水準に甘んじていて良いはずがない。ウチの会社もゆくゆくは時給1500円台を目指すべきだろう。その中で、時給千円への引き上げについては、もう待ったなしで今すぐにでも断行すべきだ。
(2)通勤交通費の実費支給!
ウチの会社の通勤交通費は最大でも月1万円までしか出ない。しかも、月20日以上出勤してようやく1万円だ。そこから、有休も含めて休んだ日数に応じて500円ずつ減額される事になっている。以前はもっと酷かった。日数に応じて減額どころか、1日でも20日を切ったら交通費支給が打ち切られていた。2月のように出勤日数が少ない月は、1日休んだだけで、もう交通費も全く出なかったのだ。同じ1ヶ月でも、出勤日数の多い少ないによって月1万円も差が出るのは余りにも不公平だし、交通費欲しさに無理に出勤して、負傷したり伝染病が広まったりして逆に業務に支障を来すようでは、当人にとっても会社にとってもマイナスでしかない。そのように、私などがずっと要求してきて、ようやく出勤日数に応じて月1万円まで支給されるようになったのだ。これはこれで、一つの進歩ではあるが、元々、仕事する為に電車やバスに乗って来るのだから、交通費ぐらい必要経費として実費全額を支給すべきである。
(3)非正規間の差別撤廃!
同じ非正規労働者同士でも、直接雇用の契約社員と外部の派遣社員や外国人留学生とでは、賃金も、契約時間も、交通費支給や社会保険の有無などの契約内容も、社員食堂の価格などの福利厚生面についても、細かな格差がある。例えば、直接雇用の契約社員については、社員と同様に1食400円で食券を購入できるが、外部の派遣社員などについては、食券販売が認められていない為に、1食540円の割高な値段で、券売機で食券を購入しなくてはならない。それが嫌さに、コンビニ弁当で済まそうと思っても、弁当ガラもゴミ箱に捨てられないようになってしまった。派遣社員にとっては嫌がらせ以外の何物でもない。こんな差別は今すぐ撤廃すべきだ。今後は、雇用形態の違い如何に関わらず、時給も労働条件も食券の値段も全て同じとする。
(4)「ルール優先」から「人間優先」の運営に変える。
ウチの会社には色々「謎」のルールが存在する。その一つに「月曜から次の日曜までの1週間に公休日を必ず2日入れなければならない」というルールがある。これだけを見れば、いかにも労働者の健康に配慮しているかのように思われるかも知れないが、実際にはこのルールの為に、逆にかえって自由に休みが取れなくなってしまっている。
例えば、いつもは毎週水曜日と日曜日が公休だが、急に月曜日に休まなければならない用事が出来たとする。今までなら、バイト同士で公休日を融通し合って、自分は月曜日に休む代わりに日曜日は出勤するようにしていたのだが、それでは公休日が週1日だけになってしまうからダメという事になった。2週間の間では休日数は変わらず、連続勤務も最大4日に抑えられるにも関わらず。
そうなると、月曜日に休む為には、公休日以外に有給休暇として別途申請するか、次の水曜日を月曜日にずらす以外に方法がない。でも、そんな事をしたら、翌日の火曜日から次の日曜日まで、連続5日勤務になってしまう。水・月曜日休みの当初のスケジュールでは、木曜日から日曜日までの連続4日勤務で済むのに。労働者保護の為のルールをしゃくし定規に適用して、かえって労働者を苦しめる結果になってしまっているのだ。こんなルールは今すぐ見直すべきだ。(もちろん、自分から望んで、このように変更したい場合は一向に構わない)
(5)備品も仕事も簡素化する
ウチの会社は「行き当たりばったり」で仕事をして来た為に、非常に仕事がやりにくくなっている。例えば、「行き当たりばったり」で備品購入を進めて来た為に、カゴ車だけでもL・S・青の3種類、台車も赤ドーリー・青ドーリー・鉄キャリーの3種類と、備品の数は全然足らないのに、やたら種類ばかりが増え、確保に駆けずり回る一方で保管の手間だけが増えるようになってしまった。それ以外にも、二重検品(前検、後検)などの「意味のない仕事」「仕事の為の仕事」が余りにも多すぎる。その為、業務が煩雑になり、かえって事故やミスが増える結果となってしまっている。この際、かねてから使い勝手の悪かった青カゴと鉄キャリーについては、全て廃棄処分とする。これを機に、他の備品や業務についても、簡素化、一本化の方向で、積極的に整理していく。
(6)ダメ社員、ダメ管理職のリストラを断固進めていく。
ウチの会社は、昔はド底辺企業だったせいか、今も社員のレベルが総じて低い。文章を書かせても、漢字どころか平仮名もまともに書けない社員がいる。もはやマネジメント以前の問題だ。現場には平社員だけで、所長・副所長の下には主任もグループ長も不在なのも、それに見合う人材が育っていないからだ。そのくせ、本社にはやたら役職者が多い。バイトの給与が低く抑えられているのも、現場の声が上に届かず業務改善や労働環境の整備が進まないのも、ひとえに会社の人事構成が、このように逆ピラミッド型になってしまっているからではないか。
仕事の出来ない社員、やる気のない社員なぞ要らない。平仮名も満足に書けない社員なぞ、もはや論外だ。今後は、全社員に研修や資格取得を義務付け、付いて来れない社員は、前述の青カゴや鉄キャリーと同様に、どんどんリストラし、浮いた経費でバイトの時給アップや業務改善を推し進める。
(7)外国人労働者には、最低限の日本語会話能力取得を義務付ける。
外国人労働者も日本人と分け隔てなく、同一労働同一賃金の原則を適用すべきだ。トランプが主張するような外国人排斥の動きには組しない。しかし、日本で働く以上は、最低限の日本語の会話能力が無ければ、お話にならない。外国人労働者には、最低限の日本語会話能力を求める。本当は、掲示物やポスターの漢字が読めて内容も理解できるレベルまで求めたいところだが、たとえそれが無理でも、最低でも平仮名とカタカナぐらいは読めないと、仕事を教える事なぞ到底できない。これは外国人差別でも何でもない。
もちろん、今でも建前上は、最低限の日本語会話能力がなければ就労できない事になっているが、実際は「何でもアリ」だ。そこをとりあえず、今、会社にいる日本語が全く喋れない人については、雇った会社の責任で、日本語の日常会話が喋れるようになるまで、日本語学校への通学時間を保障すべきだ。金が無いというなら、会社が賃金を補助してでも。その上で、一年後に外部団体が主催する日本語能力テストの結果を見て、日頃の勤務態度も考慮した上で、正式に採用するかどうか見極めれば良いのではないか。
そして、外国人労働者に対してだけでなく、既存の日本人社員に対しても、外国語や他国文化への理解や意欲についてのテストを随時行い、人事評価の基準にすべきだ。職場内の掲示や社員食堂のメニューも外国語併記に変える。メニューにも外国料理を積極的に取り入れる。外国人を雇う以上はそこまで責任持て。それが嫌なら最初から外国人なぞ雇うな。
もし、私が社内でトランプのような立場になる事が出来れば、とりあえず上記の公約だけでも即実行に移したいと思います。
かつて、赤木智弘という人が、「戦争こそが我々の希望だ」という事を言って、議論になった事がありました(当時のブログ記事)。この赤木という人も、一介の中年フリーターでした。かつて就職氷河期に若者だった人が、中高年になっても正社員になれずに、フリーターのまま一生を終わらなければならなくなった。こんな格差社会の日本に一体だれがした。正社員やマスコミなどの知識人じゃないか。もはや、戦争でも起こって下剋上の世の中にでもならない限り、非正規の人間は一生浮かばれない、と。そして同時に、俺も本当は戦争なぞ起こって欲しくはないのだ。戦争になっても、生き残る事が出来るのは金持ちだけで、貧乏人は国家の「使い捨ての駒」として殺されるだけだから。そんな事は百も承知の上で、でも、ひょっとしたら万が一、自分が生き残る事が出来るかも知れない。俺はその万が一のチャンスに掛ける、と。
この赤木の物言いを、「怠け者のわがまま」と一笑に付している限り、第二、第三のトランプや橋下徹が現れ、非正規も正社員も、白人も有色人種も、「自国に雇用を取り戻す」という掛け声の下で、「日産のカルロス・ゴーン」や「ソフトバンクの孫正義」みたいな連中に、ずっと搾取され続けるようになるでしょう。
ネットで一時話題になった中国嫁日記が、漫画となって近所のコンビニに一冊だけ残っていたので、つい衝動買いしてしまった。今の中国叩きの世相と同時に、婚活詐欺が暗躍する中国人との結婚話にも眉をひそめる私でも、この漫画は素直に読める。先程出会った赤旗配達オバチャンにも早速勧めた(1月11日)
AEQUITAS /エキタス @aequitas1500 (1月11日)
「過去3年賃金引上げを続けているにもかかわらず個人消費が伸びていない」 賃上げが足りないだけ。実質賃金の推移をみろよ。さっさと #最低賃金を1500円に 「賃上げしても消費は拡大しない」 経団連会長、政府に対策要請へ http://www.huffingtonpost.jp/2017/01/09/story_n_14070114.html?ncid=engmodushpmg00000004 … #
数日前から右の奥歯が痛かった。歯医者で歯石を取っても痛みが引かないので、レントゲンを撮って貰ったら、歯周病が進行して最悪歯の神経抜かなければならないかも、と言われた。昼食はラーメン一杯食うのにも一苦労。ずっと麺類ばかりという訳にもいかず、夕食は炒飯と唐揚げに挑戦し何とか完食。鬱(1月13日)
作業場の補修要望アンケートに、床面の穴ボコ埋めて欲しい、壁の鉄板を止め直して欲しいと書いた。特に、床の穴ボコはカゴ車転倒事故の原因ともなるので、至急直して欲しいと赤ペンで強調しておいた。そしたら、穴ボコも壁の鉄板もすぐ直してくれたのは良いが、テープを貼っただけでお茶を濁されたw(1月14日)
スピン経済の歩き方:反対運動の日当は、なぜ「2万円」だったのか (5/5) - ITmedia ビジネスオンライン(1月17日)
一週間前から歯痛で医者通い。典型的な歯周病で、一時はラーメン一杯食べるのが精一杯だった。今は何とか通常に食事が取れるようになったが、「最悪、歯の神経を抜かなければならないかも」と言われた時は流石にドキッとした?(1月18日)
読売1/18日付コラムより。神奈川・小田原市職員が「生活保護なめんな」ジャンパー着て家庭訪問した件。自分が買い物する店の従業員が「万引きするな、クズ!」と書いた服着ていたらどう思うかと。それを読んで最初は感心したものの、読売自身が今まで生保受給者をクズ呼ばわりしてきた事を思うとw(同日)
天ぷら食堂「まきの」の新店で初ランチ。丸亀製麺の系列店で、客の食べ具合を見ながら店員が次の天ぷらを対面の網皿に置いて行く。揚げたての天ぷらが食べられると好評だが、その陰で従業員はチャップリンのモダンタイムスみたいな働き方を強いられる。「お客様に笑顔」とか言う前に時給もっと上げろ!(同日)
そちらが「不正受給はクズだ、保護なめんな」と生保受給者を恫喝するなら、こちらも「公約破りや強行採決こそクズだ、国民なめんな」と上着に書いて安倍に見せつけてやろうか?上着の種類も、米軍艦で邦人救出(戦争法)やTPP反対、原発安全の嘘から甘利口利き、パンツ泥棒、土人発言まで無限にある(1月19日)
沖縄の基地反対座り込み参加者が中国・北朝鮮からの資金援助で2万円の日当を得ているって?そんな割の良いバイトならもっと応募者が殺到する筈。特に就職難の沖縄では。それに連日多い日には数百人が座り込むのに1人1日2万円も外国から資金が流れていたら入管が黙っていない。妄想も大概にしろw(同日)
さる1月11日(水)に、大阪・西区九条のシネ・ヌーヴォという映画館で、「チリの闘い」という映画を観てきました。
この映画は三部作で、全編通して観るには半日は優にかかります。しかも、各部入れ替え制で、一部観る毎に通常なら1800円もチケット代を払わなければなりません。私はこの手のマイナーなドキュメンタリー映画が好きで、気が向いたら不定期に観に行ったりするのですが、普段なら観てもせいぜい一部止まりです。しかし、この映画館では私の公休日の水曜日がサービスデーに当たっており、通常なら全編観ると5400円もする所を3300円と、2千円以上も安く観れる事が分かりました。上映時間も通しで観れば夕方には観終える事が出来ます。「こんなチャンスは滅多にない!これは絶対観るしかない!」という事で、三部とも一気に観てきました。
この映画は、南米チリのアジェンデ社会主義政権が、右翼のテロで行き詰まり、軍部の反革命クーデターで崩壊するまでの、数か月間のチリ国内の様子を捉えたドキュメンタリー映画です。映画監督のパトリシオ・グスマンも一度は軍事政権に捕らえられますが、やがて貴重な映像フィルムと一緒に国外脱出に成功します。そのお陰で、私も当時の映像を観る事が出来るのです。但し、その陰では、映画撮影者のホルヘ・ミューラー・シルバが、撮影中に兵士の放った凶弾に撃たれて亡くなっています。
南米のチリは、アンデス山脈の西側にある細長い国で、日本では地震の多い国として知られています。最近ではチリ・ワインでも有名ですね。銅・硝石などの鉱物資源が豊富な事でも知られています。しかし、その世界的な鉱山を含め、経済の実権は米国系の外国資本や国内の財閥・大地主に握られ、多くの国民は貧しい暮らしを強いられていました。
そのチリで、1970年に大統領選挙で初めて、社会主義を掲げる左派のサルバドール・アジェンデが大統領に当選し、鉱山国有化や農地改革などの政策を推し進めます。それまでは、社会主義政権といえば、ロシア・中国・キューバを始め、武力による革命で政権を取った国がほとんどでした。その中で、チリでは武力によらず選挙によって初めて革命政権を樹立できたという事で、世界から注目されました。
しかし、それを快く思わない米国は、政権成立直後から、CIAなどの諜報組織を使って、破壊工作に乗り出します。
米国がまず始めたのが野党の懐柔です。左派・人民連合のアジェンデが大統領に当選できたのも、右派の野党が強硬派の国民党と穏健派のキリスト教民主党に分裂し、穏健派の後者が前者の強硬姿勢を嫌って、決戦投票でアジェンデ支持に回ったからです。政権基盤は必ずしも盤石ではありませんでした。そのキリスト教民主党を政権から引きはがす事にまず成功します。
そして、左派が政権を取ったと言っても、経済は依然として米国系企業や国内の財閥・大地主が支配しています。マスコミも企業寄りです。経営者も財閥の端くれなのだから当然です。それらが、CIAから資金援助を得て、一斉に政府批判を始めました。批判といえば聞こえは良いですが、要はただの揚げ足取りです。今まで散々、労働者のストを弾圧してきたトラック業者やバス業者が、政権が左派に変わった途端に、一転して労働者にストをけしかけ始めたのですから、もう笑止千万です。そうやって、自分たちの方から経済混乱を引き起こしておきながら、その責任を全てアジェンデ政権に擦り付けたのです。チリ経済を支える銅鉱山では、労働者の中では比較的高給の鉱夫に、鉱山主が更なる賃上げをけしかける事までしました。主力鉱山の一つエル・テニエンテでは、それに煽られ組合集会でスト突入決議に至ります。しかし、もう一つの主力鉱山であるチュキカマタでは、スト突入提案が否決されています。労働者も、必ずしも資本家の扇動に乗せられる一方ではなかったのです。それが「チリの闘い」第一部「ブルジョワジーの叛乱」のあらすじです。
そのような米国や国内反動勢力が引き起こした経済混乱にも関わらず、1973年3月の総選挙では、左派の人民連合は、得票は減らしこそすれ、引き続き第一党を維持します。右派は、大統領弾劾に必要な3分の2の議席獲得に失敗します。右派は、その後、選挙闘争から、ストやデモ、テロ扇動などの過激な街頭闘争に、戦術を次第にエスカレートさせていきます。軍部の中でも、右派と気脈を通じる勢力が次第に勢いを増し、中立派の軍将校を罷免や暗殺で追い出し、6月にはクーデター未遂事件まで起こします。
この最初のクーデターは未遂に終わりましたが、右派にとってはホンの予行演習に過ぎませんでした。末端の兵士や下士官がクーデターに同調せず、労働者や市民の反対が急速に広まった事で、右派は、クーデターはまだ時期尚早と判断したに過ぎなかったのです。本番のクーデターが起こるのは、もはや時間の問題と思われていました。このように、右派が着実に勢力を強める一方で、人民連合に参加する左派は、穏健派の共産党と急進派の社会党や革命左翼運動(MIR)に分かれ、互いに相手をののしり合っていました。何か、安保法制反対で足並み揃える前の日本の左翼と、よく似ていますね。
その中で、一時は左派支持に回ったキリスト教民主党などの穏健保守派や中産階級が、ついに右派の側につきます。穏健保守派や中産階級が自分たちの支持に回った事で、右派はいよいよ本番のクーデターを決行します。それが1973年9月11日です。一般に「911」と言えば、2001年9月11日にニューヨークで起こった同時多発テロの事を指します。イスラム過激派に乗っ取られた航空機がWTCビルに突っ込む映像が全世界に流されたので、覚えている人も多いのではないでしょうか。ところが、中南米では、「911」と言えば、1973年のアジェンデ政権打倒のクーデターを指します。港湾都市バルパライソで始まったクーデターが首都のサンチャゴにも波及し、大統領は亡命か辞任を迫られます。この時、大統領に辞任を迫ったのが、最初のクーデターの時には猫をかぶっていたアウグスト・ピノチェト将軍です。大統領は辞任を拒否し、少数の民兵と共に、大統領宮殿に立てこもります。サンチャゴ市内やその他の主な都市は、既にクーデター派が全権を掌握しています。空軍機が大統領宮殿を爆撃する中で、大統領は最後まで戦った末に、拳銃で自殺したと言われています。アジェンデ大統領による当日朝の最後の国民向けメッセージが、ユーチューブに字幕付きで公開されているので、興味のある方はそちらをご覧下さい。ここまでが、第二部「クーデター」のあらすじです。
しかし、労働者も、ただ黙って右派の蛮行に手をこまねいていた訳ではありませんでした。運輸業者がトラックやバスをストップさせると、労働者は自分でトラックやバス、自家用車まで仕立てて、何とか生活物資や通勤客の輸送を確保しようとします。数少ないバスに群がる通勤客の姿が、映画の中でも度々登場します。経営者による買い占めに対しても、配給・統制委員会を自発的に組織し、買い占め物資の摘発や自分たちで商店を経営する「人民の店」を立ち上げ、暴利をむさぼる闇市場に対抗します。「人民の店」というのは、いわば生協のようなものでしょうか。鉱山ストに際しても、6割の労働者がストには加わらず、残業で何とか操業を維持しようとします。地域労働者連絡会を立ち上げて、人手不足に陥った職場には、会社の枠を超えて労働者が応援に駆け付けます。何故、労働者がそこまで頑張れるのか?その答えは、「今までは人間扱いされて来なかった。アジェンデが大統領になって、我々も初めて人間扱いされるようになった」という、貧しい労働者の声に現れています。これが第三部「民衆の力」のあらすじです。映画監督が最も強調したかったのも、ひょっとしたら、この第三部ではないでしょうか。
ピノチェトのクーデターで何千、何万という野党や労働組合の活動家、音楽家、ノーベル賞作家などが、クーデターの中で暗殺され、あるいは軍隊に拉致されたまま行方不明になりました。数年も経ってから、暗殺されたり行方不明になった人の遺体が、墓地の中から大量に出てきたりしました。軍事政権が進める規制緩和で、路頭に迷う人が続出し、失業率も物価もうなぎ上りになります。それでも、どんなに深い夜でも明けない夜はありません。ピノチェト政権末期には、アジェンデ政権末期にも勝るとも劣らない経済混乱が、全国に広がります。それを見て、今まで軍事政権を支えて来た米国も、ついに見切りをつけます。米国にも見放されたピノチェト大統領は、1988年に国民投票で不信任を突きつけられ、とうとう辞任に追い込まれます。そうして、2006年に誰にも看取られずに寂しく死んでいきます。虐殺の実行犯として裁かれなかった事が、彼にとっては唯一の救いであり、弾圧犠牲者にとっては歴史に残る汚点として、その後も長く記録される事になりました。
私がこの映画で注目したのも、第三部での労働者の頑張りです。だって、資本家がストをけしかけ、労働者が「それではいけない、仕事しよう」と応じるなんて、普段の私の感覚からすれば、全く逆じゃないですか。でも、「自分は一体何の為に仕事をしているのか?単に、自分や家族の為だけでなく、人間らしい社会を作って、もっとより良い国にしていかなければならない。その為に頑張るのだ」と、労働者が本当に自覚する事が出来れば、こんな「奇跡」も起こり得る事が、チリの歴史で証明されたのです。
翻って、今の日本ではどうか。別に軍事政権に弾圧された訳でもないのに、アベノミクスなるバブル景気に酔いしれて、大企業正社員の自分の給料さえ上がれば良い、東京などの大都市さえ潤えばそれで良い、地方の農民や非正規労働者、原発事故に苦しむ福島や基地被害に泣く沖縄住民の事なんかどうでも良いとばかりに、選挙にも行かず、行っても、ただムードだけで自民党や維新の党に投票する輩の、何と多い事か。御用マスコミの垂れ流す宣伝だけを鵜呑みにし、安倍政権も何か胡散臭いけど、北朝鮮のミサイルも怖いからと、よく分からずに自民党を支持するグータラ社畜の何と多い事か。上司や上役には何も言えず、バイトに当たり散らすしか能がなかった誰かさんを筆頭に。
私が、日頃職場で進めている業務改善も、単なる小手先の「改良」で終わるのではなく、そんな社員の怠慢や奴隷根性まで一掃する契機にする事が出来れば、どんなに素晴らしい事かと思います。
映画 『チリの闘い』 予告編
アジェンデ 最後の演説 チリ・クーデター (日本語字幕付) Salvador Allende ultimo discurso
昨年末にブログに書いた例のパワハラ社員ですが、数日前に昼勤から夜勤に異動になりました。同じ事業所内で勤務時間が変わっただけなので、正確には異動ではないかも知れませんが。でも、私としては、彼の顔を観なくても済むようになっただけでも良かったです。
例の謝罪誓約書の後段で、いきなり「会社に対しいかなる債権も異議もありません」「今後、名目などの如何を問わず、いかなる請求もしない」なんて書いてあったので、幾らパワハラの加害者と言えども、「身から出た錆とは言え、そこまで書いてしまって大丈夫なのか?」と、実は私も他人事ながら少し気がかりでした。それが、いきなりこんな形で現れるとは、私も予想していませんでした。でも、パワハラ被害者の立場としては、やはり喜びの方が大きいです。
今回の彼の異動については、バイトの間でも色々憶測が飛び交っています。
一応、表向きの異動理由は「夜勤体制の強化の為」という事になっています。確かに、ウチの勤務先では7対3の割合で夜勤の方が仕事のボリュームが大きく、人員もそちらに傾斜配分されていますが、それでも部門によっては人手不足が顕在化していましたから。
でも、それを額面通りに捉える人は、バイトの中にはほとんどいません。何故なら、元々、彼は徒歩通勤も可能なくらいに職場の近くに住んでいるのに、今まで一度も夜勤に異動になった事が無かったのですから。他の社員は頻繁に夜勤に異動になったりしているのに。昼勤でも使い物にならない彼に、ハードな夜勤業務なぞ務まる訳がありません。多分、また昼勤に戻されるか、いよいよ退職に追い込まれるか、そのどちらかでしょう。(尚、彼と入れ替わりに夜勤から昼勤に新入社員が回って来るという話は、私の勘違いでした。申し訳ありません。当該コメントも既に削除しました。)
彼も、私に謝罪して以降の数日間は、今まで全然やらなかったレイアウトの床の線引きも、自分から進んでやるようになっていました。この会社に入社してから20数年目にして、やっと反省の心が芽生えて来たようです。しかし、もはや遅すぎました。40歳以上にもなって、あんな小学生並みの反省文しか書けないようでは、お話になりません。自業自得です。
そして昨日、所長から「プレカリアートさんも朝礼に出てくれないかな?」と「打診」されました。実は私、パワハラ社員の行う朝礼の余りのデタラメぶりに愛想を尽かして、もう半年ぐらい、バイト朝礼をボイコットしていたのです。朝礼のデタラメぶりについては、今までの記事やコメントにも書いていますので、それを見て下さい。
「確かに、至らない社員で、至らない朝礼ではあったけれども、今回××(例のパワハラ社員)も異動になった事だし、これを機に、皆と足並みを揃えてくれないかなあ」と、哀願調に頼まれました。普通の会社なら、バイトが勝手に朝礼をボイコットするだけで処罰の対象になるのにw。
「足並みを揃えて」という所に、この会社の体質が如実に現れています。形式主義というか、上辺だけ取り繕えば良いという姿勢が、もう見え見えで。朝礼ボイコットなんて、私も本当はしたくはないのです。でも、そこまでやらずにはおれないほど、バイトを追い詰めたのは一体誰なのか?例のパワハラ社員を放置し、人材育成や業務改善をサボりまくってきたのは一体どこの会社なのか?その根本原因を是正せずに、「足並みを揃えて」と、あくまで形式にこだわる時点で、もうアウトです。軍隊や刑務所じゃあるまいし。そんな会社が大半だと言ってしまえば、もうそれまでですが。
もう、朝礼ごときで所長ともめても仕方がないので、一応、次から出るようにしますが。でもまた、社員の方から朝礼をすっぽかしたり、肝心な連絡は何も言わずに、お題目の唱和やバイトの揚げ足取りばかりに終始するような朝礼なら、またいつでもボイコットしてやります。
私、所長に言ってやりました。「俺らバイトの時給が低いのも、ただ飯食いのダメ社員が大勢いるからじゃないか!会社もダメ経営者がダメ社員の上にあぐらをかいているからじゃないか!」と。バイトが正社員を攻撃して、労働者同士の対立の陰で資本家だけがほくそ笑むような、こんな言い方、本当はしたくはなかったのですが、この会社については、ここまで言ってやらないと分からないので。
つい先日、「アイヒマンを追え!」という映画を観て来ました。戦後、偽名を使って南米に逃れていたナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンの所在を突き止め、国際法廷で裁く事に成功したユダヤ系ドイツ人検事長フリッツ・バウアーの実話を基にした、今話題の映画です。アイヒマンはナチス最高幹部の一人で、数百万人のユダヤ人をポーランドのアウシュビッツ強制収容所のガス室に送り込んだ戦争犯罪人です。ところが、実際のアイヒマンは、何の変哲もない几帳面で小心者の男でした。その小心者の男が、良心を失い組織の歯車になった途端に、大量虐殺も平気で行えるようになる事が、国際法廷の場で白日の下にさらけ出されました。そして、国際法廷の場でも、「私は上司の職務命令に忠実に従っただけだ」と、見苦しい言い訳に終始していました。例のパワハラ社員と同じように。
他方で、この映画に出てくるアイヒマンを追い詰めたバウアー検事長も、同性愛者としてナチスに弱みを握られ、仲間を売る事で処刑を免れた過去を持ちます。つまり、戦犯もそれを追い詰めた検事長も、どちらもごく普通の人間であったのです。戦犯が几帳面だけがとりえの小心者なら、それを追い詰める検事の方も、当時のドイツでは性犯罪として処罰の対象になっていた同性愛者でした。どちらもスネに傷持つ身でありながら、方や戦争犯罪人として処刑され、もう方や戦争犯罪を暴くきっかけを作った歴史の功労者として名を残すまでになった、その分岐点は一体どこにあったのか?ひとえに、当人の心がけ次第ではないでしょうか。
現総理の安倍晋三を筆頭に、今も戦前美化の本音をポロッともらす政治家の発言が後を絶たない日本とは対照的に、ドイツはナチスの戦争犯罪と真剣に向き合ってきたとよく言われます。ところが、そのドイツ(旧・西ドイツ)も、1960年ぐらいまでは、日本と同じように、ナチスの生き残りが政治・経済や社会の実権を握っていました。映画の中でアイヒマンを追い詰めた検事長も、政府内に潜むナチスの残党から、執拗な妨害や脅しに遭います。しかし、それに屈しなかった検事長も、決して特別な人間ではありませんでした。
実は、人は、本気で変わる気さえあれば、後はちょっとしたチャンスさえあれば、いくらでも変わる事は可能なのです。逆に、変わる気がなければ、いつまで経っても同じです。このパワハラ社員や、それを放置して来た会社も、それと同じではないですか。
アイヒマンを追い詰めたバウアー検事長も、自分の職務の範囲内で出来るだけの事をしたという意味では、「職務に忠実に」大領虐殺を実行したアイヒマンや私に暴力を振るったパワハラ社員とも、何ら変わりはありません。ただ、バウアーの場合は、そこに保身だけでなく、戦争犯罪などの不正を許さない義侠心(ぎきょうしん)や、職務に対する誇りみたいなものもありました。
それがあるから、バウアーは一歩前へ足を踏み出すことができたのです。そして、バウアーの後に続く人間も出て来て、戦争犯罪に甘い当時のドイツ政府の姿勢を変えていったのです。それがそのまま、戦争責任に一定ケジメをつけて諸外国からも信頼されるようになった現在のドイツと、いまだにA級戦犯を祀り「あの戦争は正しかった」と主張する靖国神社に参拝し、慰安婦やアジアの戦争犠牲者だけでなく国内の日本軍兵士や戦争犠牲者をも貶める安倍政権を容認する「社畜」日本の違いとなって現れているのです。
山城博治氏の釈放を求める刑事法研究者の緊急声明
第二次集約と差し替えました。
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12月28日午後1時に第一次集約を締めて、下記のプレスリリースとともに発表した声明です。
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プレスリリース「山城博治氏の釈放を求める刑事法研究者の緊急声明」について
2016.12.28
日本政府は、民主的に表明される沖縄の民意を国の力で踏みにじっておきながら、日本は法治国家であると豪語する。法律を学び、教える者として無力感におそわれる。まことに残念ながら刑事司法もこれに追随し、非暴力平和の抗議行動を刑法で抑え込もうとしている。平和を守ることが罪になるのは戦時治安法制の特徴である。しかし、今ならば引き返して「法」をとり戻すことができるかもしれないので、刑事法学の観点から、山城氏の逮捕・勾留こそが違法であり、公訴を取消し、山城氏を解放すべきであることを説明する必要があった。
10日前に海外識者らの「山城博治氏らの釈放を求める声明」が発表され、その後、沖縄県内の二紙が、勾留中の山城氏の「県民団結で苦境打開を」「未来は私たちのもの」とする声を伝えた。日本の刑事法研究者としても、刑事司法の側に不正がある、と直ちに応じておかねばならないと考え、別紙のとおり、「山城博治氏の釈放を求める刑事法研究者の緊急声明」(2016.12.28)を発表する。
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呼びかけ人(50音順)
春日勉(神戸学院大学教授) 中野正剛(沖縄国際大学教授)本庄武(一橋大学教授) 前田朗(東京造形大学教授) 森川恭剛(琉球大学教授)
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賛同人(50音順)
足立昌勝(関東学院大学名誉教授) 雨宮敬博(宮崎産業経営大学准教授) 石塚伸一(龍谷大学教授) 稲田朗子(高知大学准教授) 内田博文(神戸学院大学教授) 内山真由美(佐賀大学准教授) 梅崎進哉(西南学院大学教授) 大場史朗(大阪経済法科大学准教授) 大藪志保子(久留米大学准教授) 岡田行雄(熊本大学教授) 岡本洋一(熊本大学准教授) 垣花豊順(琉球大学名誉教授) 金尚均(龍谷大学教授) 葛野尋之(一橋大学教授) 黒川亨子(宇都宮大学講師) 斉藤豊治(甲南大学名誉教授) 櫻庭総(山口大学准教授) 佐々木光明(神戸学院大学教授) 笹倉香奈(甲南大学教授) 島岡まな(大阪大学教授) 鈴木博康(九州国際大学教授) 陶山二郎(茨城大学准教授) 関哲夫(國學院大学教授) 高倉新喜(山形大学教授) 寺中誠(東京経済大学非常勤講師) 豊崎七絵(九州大学教授) 新倉修(青山学院大学教授) 新村繁文(福島大学特任教授) 平井佐和子(西南学院大学准教授) 平川宗信(名古屋大学名誉教授) 福井厚(京都女子大学教授) 福島至(龍谷大学教授) 福永俊輔(西南学院大学准教授) 保条成宏(福岡教育大学教授) 本田稔(立命館大学教授) 前野育三(関西学院大学名誉教授) 松宮孝明(立命館大学教授) 松本英俊(駒澤大学教授) 三島聡(大阪市立大学教授) 水谷規男(大阪大学教授) 宮本弘典(関東学院大学教授) 宗岡嗣郎(久留米大学教授) 村井敏邦(大阪学院大学教授) 村田和宏(立正大学准教授) 森尾亮(久留米大学教授) 矢野恵美(琉球大学教授) 吉弘光男(久留米大学教授) 他4人
以上 56人(2017/01/05現在)
以上 41 人(12月28日13:00 第1回集約)
(注) 引き続き賛同を呼びかけ、2017年1月中旬に次回集約の予定。
Chuc mung nam moi. チュック ムン ナム モイ(新年明けましておめでとうございます)
昨日、職場のベトナム人バイトから教えて貰った前記の挨拶を、初詣で買った絵馬に書いていると、隣の若者が私の絵馬をしげしげと眺めていました。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
2017年元旦 ブログ「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」主宰者 プレカリアート
職場のベトナム人従業員向けポスター。