JR久留里線乗り鉄レポート(初日、2日目)の記事に続き、周辺観光地を巡った記録も少し書きます。しかし、初日は雨にたたられ、実際に回れたのは2日目だけです。特に初日は雨で靴や靴下がびしょびしょに濡れてしまった為に、乗り鉄レポート以外は、久留里駅前の名水広場と酒ミュージアム(旧・久留里観光交流センター)を見学しただけで終わりました。
前回記事の中で南海平野線で使われていた架線柱がまだ健在である事に触れました。その架線柱の写真を撮って来ましたので、これもブログに載せる事にします。
阿倍野の交差点で上町線の架線柱から2本の電線が枝分かれして、阪神高速の下道(大阪市道津守阿倍野線)沿いに阪堺線の方に向かって伸びています。その電線を支える架線柱こそが旧南海平野線で使われていたものです。
この電線は今も南海電鉄玉出変電所から供給された電力を阪堺線経由で上町線の方に流しているので、昭和から平成に変わっても、古い鉄製の架線柱から新しいコンクリート製の架線柱に更新されています。架線柱の標識番号の隣に平成27年11月製の表示があるのがその何よりの証拠です。
やがて南海平野線当時の架線柱も現れます。この鉄製の架線柱は昭和32年製で、標識の左側には南海電鉄の旧社章である羽根と輪っかのマークや、上町線の饋電線(きでんせん:配電線)を意味する「上キ」の記号が記載されています。
この架線柱の標識には何と「昭和18年1月設置」との記載が。戦時中の大空襲下でも持ちこたえた昭和の産業遺産が、まだこういう形で残っているのです。
やがて電線は阪堺線今船駅横の踏切で阪堺線の架線柱に繋がります。
阪神高速の下道の隣は飛田新地で、この辺りには平野線の飛田駅がありました。この空地こそが、今も唯一残る平野線の遺構です。
最後に、南海平野線は何故廃止されなければならなかったのでしょうか?赤字だったからではありません。戦前でもラッシュアワー時には2両編成で運行しなければならないほど需要はありました。その上、戦後は沿線の宅地開発も進み、ますます急増する需要に路面電車では対応できなくなってしまったのです。
そこで都市政策審議会の答申に沿って、平野線の線路用地をつぶして、そこに地下鉄谷町線と阪神高速14号松原線を建設する事になりました。平野線の線路は阿倍野を出ると後は平野まで一直線に伸びていたので、そこに目を付けられたのです。一時は平野線を高速鉄道に作り替えて、天王寺から平野よりさらに先の八尾や柏原まで延長する計画もあったのに。(詳しくはウィキペディアの記述参照)
平野線運行最終日の1980年11月27日は、始発から終電まで終日無料で電車が運行され、チンチン電車との別れを惜しむ客でどの電車も満員だったそうです。その3日後に阪堺線・上町線も南海電鉄から阪堺電気軌道株式会社(今の阪堺電車)に分社化されてしまいました。儲かる黒字部分は親会社が独占してしまい、子会社には赤字部門だけが押し付けられる。今の新幹線と並行在来線の関係と余りにも良く似ています。
今の地下鉄や高速道路も、チンチン電車の犠牲の上に成り立っているのです。チンチン電車がなければ今の地下鉄や高速道路の繁栄はありませんでした。なのに、美味しい黒字部分だけ横取りし、赤字部分は子会社に押し付けておいて、やれ「コストがかかる」だの「輸送効率がどうの」と言って、赤字の責任を子会社や沿線住民だけに押し付けるのは、私は盗人猛々しいにも程があると思います。それでも「自己責任」と言うなら、良いとこ取りした親会社の南海電鉄や大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)、阪神高速道路公団(現在は株式会社に改組)にこそ、真っ先にその責任を果たさせるのが本来あるべき姿ではないでしょうか。
遅くなりましたが、10月26日に阪堺線恵美須町行き電車に乗った時の写真をブログに載せます。先に載せた阪堺電車訪問記事の続編として読んでいただければ助かります。まず住吉電停手前の車窓から。この電車は恵美須町行きなので、右の上町線には入らずそのまま阪堺線の恵美須町行き線路の方に直進します。
読者の中には大阪在住以外の方もおられるので簡単に補足しておきます。左の路線図を見て下さい。路線図のY字形の左の頭が恵美須町、右の頭が天王寺駅前です。そしてY字が一つに合流する所に住吉の駅があります。その住吉から4つさらに下った所にあるのが我孫子道。阪堺電車の本社や車庫もある主要駅です。恵美須町から来た電車は全て我孫子道止まり。天王寺駅前から来た電車も、その半分は我孫子道止まりです。この先の浜寺駅前方面に行くには、我孫子道で乗り換えなければなりません。恵美須町、天王寺駅前のどちらから乗っても、我孫子道まで約20分、終点の浜寺駅前までは約50分かかります。運賃は全区間均一料金で片道大人230円、小児120円です。
路線の名称は恵美須町から浜寺公園までが阪堺線、天王寺駅前から住吉までが上町線です。これは昔も今も変わりません。昔はこの他にも平野線や大浜支線もありましたが、いずれも廃線になってしまいました。残った阪堺線と上町線も、他に並行路線が走っていない上町線は今も黒字ですが、南海本線と並行して走っている阪堺線は赤字です。その赤字を少しでも減らそうと、阪堺電車は2009年に運行形態を大幅に見直しました。それまで恵美須町・浜寺駅前間の阪堺線が本線で、天王寺駅前行きの上町線は支線だったのが、上町線の方を事実上本線に格上げし、浜寺駅前・恵美須町間の電車をほとんど天王寺駅前行きに変更してしまいました。浜寺から天王寺まで乗り換えなしで行けるようにする事で、南海本線に対抗しようとしたのです。
そして運賃も今の均一片道230円に値下げしました。阪堺電車を廃止されたら困る堺市が、阪堺電車の支援に乗り出したからです。これが奏功して、今も赤字基調ながら、阪堺電車の乗客減少に一定歯止めをかける事が出来ました。しかし逆に、それまで本線だった阪堺線の住吉・恵美須町間は、事実上の支線となり、全ての電車が我孫子道発着となってしまいました。そして運行本数も、後述するように大幅に削減されてしまいました。ところが路線の名称は今も浜寺駅前・恵美須町間が阪堺線で、住吉・天王寺駅前間が上町線です。今はもう運行実態に合わせて路線名称も変える時期に来ていると私は思うのですが。以上、補足しておきます。
住吉から2つ目の塚西電停。併用軌道上の停留所ですが、道幅が余りないので、道路の左寄りに設置されています。その関係で、下りホームには安全地帯が設置されていますが、上りホームは道路上にホームのマークが描かれているだけで、安全地帯は設置されていません。すぐ横は歩道なので移動するには便利ですが、車道と歩道の区別がないので、夜などは見通しが悪く危険ではないかと心配です。まあ、そうは言っても、すぐ前が交差点で、電車が停まっている時は自動車も赤信号で停まっているだろうから、その点では余り心配要らないのかも知れませんが。(なお、「駅・電停・停留所」と駅の呼び名が変わりますが、全て同じ意味です。余り気にしないで下さい(__))
併用軌道から専用軌道に入ると、すぐに南海高野線の下をくぐります。高野線のガードのすぐ向こうに、昔のホーム跡があるのが確認されます。かつてここには宮ノ下という電停がありました。
聖天坂の電停。駅の活性化の為にホームの壁にはペインティングが施されています。ここから再び恵美須町行きの電車に乗ります。前述したように、恵美須町行きの電車は全て我孫子道から出ています。浜寺駅前方面からの電車は全て天王寺駅前行きになっていますので、恵美須町に行くには、途中の我孫子道で乗り換えなければなりません。それなら、南海本線に乗って、天下茶屋で高野線の各駅停車に乗り換え、今宮戎で降りて恵美須町まで歩く方が早いかも知れません。
北天下茶屋電停とコーヒールンバ。下りホームのすぐ横に喫茶店があり、モーニングの種類も多かったので、電車を見ながらコーヒーが飲める喫茶店として、西成区の広報誌に紹介された事もあったそうです。残念ながら後継者難で閉店してしまいました。線路上に草が生い茂っているのが気になります。赤字路線なので保線にまで手が回らないのでしょうか?
今や野良猫が北天下茶屋駅の常連です。閉店したコーヒールンバを阪堺電車が買い取り、「電車を見ながらコーヒーが飲め、猫とも遊べる喫茶店」として売り出せば、天下茶屋駅前商店街の活性化に一役買うかも知れません。
今池電停は土手の上にあります。かつてはここから南海平野線が分かれていました。平野線はここで阪堺線と別れると、飛田新地の方に向かって線路が伸びていました。そして飛田電停の先で併用軌道に出て、阿倍野電停で上町線とクロスしていました。かつて併用軌道が走っていた所には、今でも当時の架線柱が残っています。この架線柱は、鉄道廃線後の今も、阪堺線の電気を上町線の方に供給しています。(この件については次回の記事でさらに詳しく取り上げるのでお楽しみに!)
今池のガードの下は萩之茶屋の商店街。立ち飲みで有名な「ホルモンやまき」もここにあります。私が訪ねた時はあいにく定休日でした。
新今宮駅前電停。かつては南霞町という電停名でした。今でもJR環状線の乗換駅として機能し、平日の一部時間帯には定期券の販売も行っています。目の前の道路の向こうには「あいりんセンター」もありました。この駅も、かつてあいりん地区で頻発した暴動の際には、投石や焼き討ちの格好のターゲットにされました。今では駅前にコンビニも出来、観光客で賑わうようになりましたが、駅は逆に寂れる一方です。
新世界の通天閣。新今宮駅前や終点の恵美須町からは目と鼻の先にあります。今やここは大阪観光のランドマーク。最近では観光客を当て込んで「滑り台」も併設されています。こんな「滑り台」に1回千円の使用料を払うくらいなら、1日600円のフリー切符を買って阪堺電車に終日乗る方がよっぽど楽しいと私は思うのですが。
終点の恵美須町電停。かつては恵美須町の交差点横に、2面3線のターミナル駅として、阪堺線だけでなく平野線の電車も発着していました。平野線が廃止になってからも、駅構内の喫茶店からは、コーヒーを飲みながら浜寺駅前行きの電車を眺める事が出来ました。ところが、今やその駅も、老朽化に伴い、新今宮寄りに100メートルも南に移され、わずか1面1線だけの捧駅に格下げされてしまいました。
電車のダイヤも、天王寺駅前発着の上町線の方がメインルートになってしまい、恵美須町からの電車は全て我孫子道止まりになってしまいました。駅の発着時刻もラッシュ時以外は1時間に0分、40分、20分間隔刻みの不規則ダイヤとなり、早朝・深夜には1時間に1本しか走らない超閑散路線となってしまいました。昔のターミナルのままリニューアルしていたら、地下鉄堺筋線経由で新世界に来る観光客もある程度は呼び込め、それなりに人気になっていたかも知れないのにと悔やまれます。
この前の日曜日も、「大阪にさらに観光客を呼び込む為に、御堂筋を歩行者天国にするんだ」と、そのリハーサルに、難波駅前のロータリーで盛大なイベントが開催されたそうですが、その予算の何十分の一かを、恵美須町駅前や天下茶屋商店街の活性化に回してもらえれば、阪堺電車も地元の商店街も、もっと潤うと思うのですが。
例えば、昔の恵美須町駅を取り壊してしまわずに、路面電車博物館としてリニューアルさせ、単に昔の写真だけでなく、東京さくらトラム(都電荒川線)や札幌市電環状線、富山ライトレール、宇都宮ライトレールなどの現在の先進事例も紹介すれば、それなりに観光客を呼び込む事も十分可能だと思います。同時に、恵美須町行き電車のダイヤも、今の不便なダイヤではなく、データイムでも20分等間隔ぐらいの乗りやすいものに変えれば、かつての賑わいをある程度は取り戻せるのではないでしょうか。(下の写真は開通当時の恵美須町駅前の賑わいぶりを表現したジオラマ。通天閣内の資料館に展示されていたもの)
株の入門書を勧められて読んだ。漫画で読みやすかったが、株を買う金のない人には縁のない話である。それでも、円安の恩恵に浴するのは自動車などの輸出産業だけで、原材料を輸入・加工・販売する小売業には物価高などの悪影響しかなく、それを推進したアベノミクスが如何に酷い物だったか良く分かった。