ヴィクトリアマイル、オークスに続いてダービーも的中!しかし今回は肝心の◎スキルヴィングが17着大敗。押さえの○ソールオリエンス(2着)から流した△タスティエーラ(1着)と穴ハーツコンチェルト(3着)の三連複フォーメーションでかろうじて的中と、余り喜べる内容ではありませんでした。
在日スリランカ人のウシュマ・サンダマリさんが、同郷彼氏のDVから逃れる為に警察に駆け込んだら、不法滞在を理由に入管に収容され、本国への強制送還の措置が取られた。それでは本国でまた彼氏のDV被害に遭うと抵抗したら、体調悪化しても治療も受けられずに衰弱死。誰が考えても悪いのは入管だ。
でも梅村みずほ議員の理屈では、ウシュマさんに詐病やハンストを唆した支援者が悪いとなる。確かに不法滞在は犯罪だが、それは彼氏のせいで語学学校に通えなくなり滞在資格を喪失してしまったからだ。彼のDVこそが元凶なのに何故被害者のウシュマさんやそれを助けようとした支援者が悪者にされるのか?
では、不当解雇された労働者が地域の労働組合に駆け込み、組合がその労働者を支援したら、組合による不当介入になるのか?悪いのは不当解雇する経営者であって、被害者の労働者やそれを支援する組合ではない。でも梅村議員の理屈で行くと、悪いのは労働者を扇動した組合だとなる。筋違いも甚だしい。
これでは只の逆恨みだ。50年前の千日デパート火事で焼け死んだ怨霊と同じだ。怨霊が恨みをぶつけるべき相手はスプリンクラーの設置を怠ったデパート経営者やそれを見逃した国なのに、経営者や国などの強い奴には何も言えずに、罪のない通行人に化けて出て八つ当たりするしかない哀れな怨霊と同じだ。
梅村みずほは大阪選出の維新の参院議員で、児童虐待防止を公約に掲げているが、強い奴には何も言えずに、弱い者を虐待していたら世話はない。衆院千葉1区に維新から出て落選した長谷川豊もそうだ。腎臓病患者に対して飽食による自業自得なのに国の税金で人工透析なぞするなと発言して物議を醸し出した。
人が腎臓病患者になった理由は千差万別。中には過労による不規則な食生活のせいでなった人もいるだろう。昔は贅沢病と見なされていた肥満の広がりも、実は長時間労働による食生活の乱れやジャンクフードの蔓延によるものだった。それを全て贅沢病と見做し自己責任と切り捨てる。それで喜ぶのは一体誰か。
昔流行ったサラ金地獄も然り。高利のサラ金に手を出すのは個人の自己責任とされて来たが、実は低賃金や貧困な福祉、銀行の貸し渋りや低利の公的融資の敷居の高さが原因だった。その真の原因から目を背け、何でも自己責任に話をすり替え。吉村も橋下も元はサラ金の顧問弁護士。弱い者虐めは維新のお家芸。
今は大阪府知事の吉村洋文の元の肩書はサラ金武富士の顧問弁護士。維新創業者で元大阪府知事の橋下徹も元はサラ金アイフル子会社シティズの顧問弁護士。橋下は同時に飛田新地料理組合の顧問弁護士でもあった。顧問弁護士を引き受けたのは多重債務者の弁護をするよりサラ金の弁護をした方が儲かるからだ。
彼らが本当に庶民の味方なら、サラ金ではなく多重債務者の弁護をする筈だ。飛田新地組合の顧問弁護士なんかにはならずに、借金の形として飛田に売られて来た女の子の身受けや待遇改善に奔走する筈だ。でも、そんな形跡はない。労働者よりブラック企業の弁護をした方が儲かると。只の守銭奴じゃないか。
維新がかつて掲げた大阪都構想も結局は弱い者虐めでしかない。本当に地方分権を主張するなら、何故、三割自治の現状を是正しないのか?原発や米軍基地を過疎地や沖縄に押し付けている現状を是正しないのか?地方分権と言いながら、結局は大阪を副首都にして、東京の猿真似をしたかっただけではないか。
今は教育無償化を目玉政策として宣伝する維新も、かつて橋下徹が大阪府知事の時に、私学助成増額を訴えてきた高校生に、「悔しかったら君達も私の様に勉強して国公立大学に入れ」と言い放ち、高校生を泣かしてしまった。こんな弱肉強食の自己責任論者が、自分の都合の良い時だけ弱い者の味方面するな。
維新は二言目には共産党を独裁政党と非難するが、議会の定数削減を強行する維新の方がよっぽど独裁だ。定数削減して身を切る改革推進と言いながら、自分達も政治資金流用疑惑だらけ。セルフ領収書やビラ印刷代のカラ請求で百条委員会にかけられた維新議員は数知れず。それをもみ消す為の定数削減。
維新も自民党を批判するが、そのやり方は「自分達こそが本気でムダ(福祉)削減、憲法改正、日の丸・君が代法制化」。それで言いなりにならない教員をクビに。ひたすら自民党政権の太鼓持ち、時には弱腰だと後ろから尻叩き。これが独裁でなければ何なのか?維新こそがソ連や中国の共産党と同じ独裁政党。
地方分権と言いながら追求するのはひたすら東京の猿真似。自民党以上の右傾化や規制緩和。叩くのは森友・加計問題ではなく市営バス運転手の「厚遇」。そのくせ自分達は知事や市長のくせに役所にろくに出勤せず、道頓堀プールや大阪城のイルミネーション、御堂筋の歩行者天国などのやってる感演出ばかり。
本当に自民党を批判するなら、自民党府政時代に大削減された保健所の復活こそ急務だった。だが、それをせず自民党以上に悪政推進。そのせいでコロナ禍にも対応できず、人口当たりのコロナ死者数は東京抜いて断トツ一位。休業支援金の支給も全国一遅れ。鳴り物入りで作られた療養施設も閑古鳥がなく有様。
ポーズだけの自民党批判や庶民の味方ヅラ。ところが実際の行動は自民党の尻叩き。本当に強い者には何も言えずに、ひたすら弱い者虐めばかり。ジャイアン(自民党や財界、米国)には何も言えず、ひたすらノビ太(公務員、労働組合、生活保護世帯などの経済弱者)を虐めるしか能のないスネ夫みたいな維新。
そんなスネ夫維新が何故、関西ではジャイアン自民すら追い抜いて第一党にのし上がったのか?本来ならジャイアンと闘わなければならないノビ太野党が余りにもだらしないからだ。立憲も、本来なら野党第一党として政権交代の青写真を提示しなければならないのに、ひたすら共産党叩きで維新にすり寄り。
野党を無能社員に置き換えるとそれが良く分かる。本来なら社員もバイトも同じ労働者として団結しなければならないのだが、社員が余りにもだらしないと、そんなまだるっこい事するよりも、社員叩きでバイトの時給アップを図る方が手っ取り早いとなってしまう。だから維新の公務員叩きがウケるのだ。
梅村みずほの支援者叩きもそれと同じ。常識で考えれば仮病で人は死なない。それが死んでしまったのは仮病ではなく本当に衰弱死してしまったからだ。悪いのは密室で人権侵害が横行する入管だ。ところが梅村は、政府の報告書にすら書いていない事を憶測で言い、被害者に悪魔の証明を強い、加害者を免罪。
何故そんな陰謀論がウケるのか?不法滞在し犯罪に走る一部外国人のせいで、外国人全体が犯罪者みたいに受け止められてしまっているからだ。誰も好きで犯罪を犯したりしない。外国人労働者を食い物にするブローカーや悪徳企業こそが犯罪の温床なのに、それを叩かず支援者叩きで矛先そらす梅村の罪は重い。
更に追記。
維新のデタラメは他にも。公務員削減で道路の白線補修も間に合わずとか、緑化予算削減を街路樹伐採で乗り切ろうとしている等、色々あるが、その中で私が目にするのは難波駅前のタクシー乗り場移転と御堂筋の歩道拡張だ。どちらも観光客呼び込む為らしいが、それで交通渋滞引き起こしていたら世話ない。
グリ下の監視カメラも、家出少女さえ排除できればそれで良しという姿勢が見え見えだ。たとえそれでグリ下から家出少女を追い出しても、近くの地下街や駅裏で立ちんぼ売春拡散していたら何もならない。少女が家出しなくても良いように、家庭崩壊の背景にある貧困・格差を解消するのが真の政治ではないか。
しかし維新の政治家は見て見ぬふり。カジノの様な儲け話にしか関心がない。中にはウシュマ攻撃と同じ理屈でコラボカフェを貶める輩も。貧困ビジネス一掃してこそ観光客も来るのに。まさか弱い者虐めのネタとして温存したいとでも?公娼復活論者の橋下にとっては支援者の存在なぞ邪魔でしかないのだろう。
5月14日放送のテレビ朝日「ナニコレ珍百景」という番組で、勤務先女性社員の母校の事が取り上げられていました。彼女は入社2年目の女性社員で、奈良県大和高田市にある市立高田商業高校が彼女の母校です。その高校では毎年、新入生歓迎の為の「すき焼きパーティー」が開催されて来ました。その母校のすき焼きを生徒が商品化し、次々とヒット作を生み出しているという事で、番組で取り上げられていました。
同校ではクラブ活動の一環として「まち部。」というサークルが作られ、自分たちの作ったすき焼きや、地元産食材の普及活動が行われてきました。「まち部。」が地元企業とタイアップして、「すき焼きおにぎり」や「すき焼き風ピザ(略して「すきピ」)」などを開発して来ました。過去にはフードグランプリの大会で優秀賞を受賞したり、ふるさと納税の返礼品に選ばれた事もあったそうです。
その中でも、すき焼きのレトルトパックが好評だと言うので、私も早速買いに行きました。当該商品は地元の中でも数か所でしか販売されていないので、「まち部。」のホームページで販売店の場所を下調べしてから、大和高田に向かいました。
大阪市内から電車で大和高田に向かうには、次の3つのルートがあります。①天王寺からJR大和路線・桜井線で高田まで。②上本町から近鉄大阪線で大和高田まで。③阿倍野橋から近鉄南大阪線で高田市まで。私は③のルートで向かいました。奈良県の当市も大阪の通勤圏内にあるので、簡単に着くだろうと思っていたが甘かったです。阿倍野橋から古市までは電車の本数もそこそこありますが、そこから先は本数がぐっと減るのです。高田市駅に着いたらもうお昼前になっていました。
それにしても、人口6万の小都市に過ぎない大和高田市に、「高田」と名の付く駅が3つもあるとは。一体どこが町の中心なのだろうか?調べたら、JR高田駅から近鉄高田市駅(私の下りた駅)にかけての、本町とか大中と呼ばれるあたりが、町の中心だそうです。ここの専立寺というお寺を中心に発展した寺内町が、高田の街の原型だそうです。市役所もこの付近にあります。
同時に、五条から和歌山に抜ける下街道と、大阪から奈良盆地を抜けて伊勢の方に向かう竹ノ内街道(横大路)、伊勢本街道の結節点でもあるので、市場町としても発展しました。江戸時代には木綿の集散地として栄え、明治以降は繊維産業の中心地として発展しました。だから鉄道の駅が3つも出来たのだそうです。町から市に昇格したのも、奈良市に次いで県下で2番目に古いのだそうです。なるほど、そんな商業都市だから、県立高校とは別に市立の商業高校もあるのか…。
高田市駅で下り、地元の商店街を抜けた先に、まず最初の販売店があります。「大卯商店」という惣菜屋さんですが、あいにくその日は定休日でした。そこで駅の方向に引き返し、「コスモスプラザ」という公民館みたいな施設の喫茶コーナーで、そのすき焼きのレトルトパックを買う事が出来ました。
レトルトパックは1人前で600円。他のスーパーで売っているすき焼きのレトルトパックと比べると値段が高いですが、地元でしか扱っていない商品なので、この値段でも仕方ないでしょう。カンパするつもりで2個購入しました。
帰りは高田市駅前の片塩商店街の中にある喫茶店で、鶏の天ぷら定食を注文しました。鶏の天ぷらにネギ・ポン酢、小鉢、漬物、わかめスープ、フルーツゼリーまで付いて、たったの650円です。月曜日にはコーヒーも無料で付くらしいです。良心的な価格設定に感激しました。この片塩商店街自体も、産直の野菜市が開催されたり、そこに足湯も併設されたりと、なかなかユニークな商店街でした。
しかし、この数日で急に暑くなりました。関東では最高気温は30度を超えたようです。今年に入って初めての真夏日です。私は普段は冷蔵倉庫で商品仕分けの仕事に就いているので、5月に入っても長袖を着ていました。でも、さすがに真夏日ともなると、長袖では暑過ぎます。その日を境に、私も半袖を着るようになりました。
「ナニコレ珍百景」を観た日曜日は、まだそこまで暑くはなかったので、すき焼きを買う事にしましたが、さすがにここまで暑くなると、もうすき焼きを食べる気にはなれません。「まち部。」のホームページにアレンジレシピが載っていたので、その中の「すき焼きカレー」を晩ごはんで食べる事にしました。
レトルトパックに入っているのは、(以下、パッケージの原材料表示より引用)牛肉(オーストラリア)、こんにゃく、玉ねぎ、麩、まな、ねぎ、醤油、砂糖、水飴、清酒/水酸化カルシウム、(一部に牛肉・小麦・大豆を含む)。「まな」と言うのは奈良県特産のアブラナの一種だそうです。食べごたえのあるカレーにするには、やはり玉ねぎとジャガイモを別に入れる必要があります。ちょうど両方とも残っていたし、カレーのルウも残っていたので、それらをまず包丁で切り、耐熱ボウルに入れて電子レンジで温めました。そして、レトルトパックの中身もボウルに入れて、同じ時間だけ温めました。
アレンジレシピの記載も無視して、全て電子レンジだけで調理を済ませたので、レシピの写真みたいなキレイな盛り付けにはなりませんでしたが、味はそこそこ美味しかったです。でも、果たしてこれが大阪でも売れるかどうかとなると…正直言って難しいと思います。
上段右がアレンジレシピのすき焼きカレー、下段右が私の作ったすき焼きカレーwと付け合わせの胡瓜・トマト。
私はどうしても「銚電のぬれ煎餅」と比較してしまいます。「銚電のぬれ煎餅」は、千葉県銚子市内を走る赤字ローカル・ミニ私鉄の銚子電鉄(銚電)が、電車修理代をひねり出すために商品化した地元産醤油のぬれ煎餅です。「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」という必死の宣伝文句が効いて、全国から注文が殺到するようになりました。
市販の煎餅が1個200~300円なのに引き換え、「銚電のぬれ煎餅」は1個500円と比較的高額です。でも、そんな値段でも飛ぶように売れるのには理由があります。その一つは、赤字ローカル線を救おうとする鉄道ファンの心意気です。でも、それだけが理由ではありません。私も買って食べた事があるので分かりますが、濡れ煎餅なので、普通の煎餅のように、割れてポロポロこぼれ落ちないのです。しかも、食感がしっとりとして柔らかく、非常に食べやすいので、特にお年寄りに大好評なのです。
だから、そんな値段でも、飛ぶように売れるのです。それと比べると、市販のすき焼きレトルトパックとそう変わらない商品が、1個500円もするのでは、余り売れないのではないでしょうか。もう少し値段を下げるか、具材を充実させてレトルトだけで晩ごはんのおかずになるようにするか、販路をもっと拡大してコストダウンを図るか、いずれかの方法を取らなければ、売り上げ増加は難しいと思います。
共産党が議席を前半の都道府県議・政令市議選で2割も、後半の市町村議選でも1割減らした今回の統一地方選挙。私がかつて住んでいた大阪府高石市の市議選でも、共産党は大きく得票を減らしました(参考記事)。その得票減は決して一過性のものではなく、構造的な要因によるものである事が、この20年来の得票推移で明らかになりました。(以下、市議選施行年、定数/立候補者数、投票率、共産党候補の票数、順位をリストアップ)
https://go2senkyo.com/local/jichitai/2406
1999年 17/22 69.32%
鈴木七重 1,922 2位当選
小谷 喬 1,465 9位当選
阪口孝雄 1,306 14位当選
出川康二 1,010 17位当選
今から24年前の1999年の市議選の時は、私も高石在住、いずみ生協在職中の共産党員で、鈴木さんのビラを近所でポスティングしたりしていました。選挙でも鈴木さんに投票しました。ちなみに、この時にトップ当選したのが、当時はまだ一介の市議に過ぎなかった阪口伸六氏でした。
2003年 17/18 73.48% 按分票は切り捨て
阪口孝雄 2,413 4位当選
出川康二 1,941 7位当選
福島恵子 1,755 9位当選
その次の2003年市議選の時は、私は既に生協を退職し求職活動中で、地域の共産党居住支部で活動中でした。選挙では共産党の誰かに入れたと思いますが、誰に入れたのかもうはっきり覚えていませんw。この時に同時に施行された高石市長選挙で、阪口伸六氏が初当選しました。この初当選については居住支部でも盛んに話題で持ち切りだったのを覚えています。
2007年 17/19 61.58%
西内 正 1,610 8位当選
出川康二 1,409 14位当選
2007年市議選あたりから共産党の凋落が始まりました。投票率と共に共産党の得票もガタッと減っています(6109→3019票に半減)。この時に市議にトップ当選したのが、当時無所属で出馬していた畑中政昭氏でした。橋下徹が大阪府知事に初当選したのが2008年ですから、この時はまだ「維新の会」(以下、維新と略す)は登場していません。一体、高石の政界に何が起こったのか?
この前後に私は共産党を離党しました。離党理由は、意見の違いやパワハラなんかではなく、今の会社に契約社員として採用され、勤務シフトの関係で党の支部会議に参加できなくなり、党費未納が続くようになったからです。但し、共産党の活動にも以前ほど魅力を感じなくなっていたのは事実です。でも、地域には共産党の知り合いもまだ大勢いたので、ボランティアでビラのポスティング等は続けていました。
その後も共産党は高石市議選で得票を減らし続けています。私も2017年8月に親父と喧嘩して実感を飛び出してからは、高石の知人との繋がりもなくなり、地元の情報も入らなくなりました。
2011年 17/21 60.00%
出川康二 1,494 8位当選
明石宏隆 1,161 14位当選
2015年 16/21 52.47%
出川康二 1,196 10位当選
明石宏隆 1,108 12位当選
2019年 16/19 52.31%
明石宏隆 1,045 13位当選
松田亜季 1,001 16位当選
2023年 15/22 56.53%
松田亜季 903 13位当選
明石宏隆 798 14位当選
最盛期には4人の議員団を抱え、党の得票も5~6千票あったのに、直近の市議選では2人合わせても1701票しか得票出来ず、本当に首の皮一枚繋がったような状態で、ようやく最下位当選。もう目も当てられない惨状です。
ここで改めて気が付いたのですが、共産党のベテラン議員の後を継いだ新人議員がいずれも一期で辞めています。鈴木七重氏、福島恵子氏、西内正氏しかり。これらの議員の活動実績についても、私の頭の中には余り記憶に残っていません。まだ党と何らかの繋がりがあった当時の私ですら、そんな状態なのですから、一般の有権者にとっては尚更です。
他方で、維新躍進の中でも、選挙のたびに得票を伸ばし、上位当選し続けている議員もいます。木戸あきら・山敷めぐみの両市議です。この両氏は2人で「市民の声」という会派を作って議員活動されています。そして、周辺他市の市民派議員とも交流され、コンビナート防災や水道事業の府市統合問題に取り組んでおられます。過去にはそれぞれ阪口市長の対抗馬として市長選に出馬された事もあります。この時の市長選では、どちらも阪口市長に負けはしましたが、多い時は1万票以上の得票を得ています。「市民の声」の会派自体も、どちらかと言うと維新の進める公務員のリストラや民営化推進政策には批判的で、時には共産党と共闘したりもしています。
過去に市長選に出馬しただけあって、私もこの2人の議員については、名前を聞いたことはあります。2人とも公式ウェブサイトを運営されており、フェイスブックだけでなくブログやツイッター、ユーチューブ、議員通信などでも積極的に情報発信されています。だから、今もどの政党にも属していないにも関わらず、維新が躍進した今回の地方選挙においても、市議選では得票を伸ばし続け、上位当選し続けているのです。
2015年 16/21 52.47%
木戸あきら 1,503 5位当選
山敷めぐみ 1,429 7位当選
2019年 16/19 52.31%
木戸あきら 1,702 3位当選
山敷めぐみ 1,512 6位当選
2023年 15/22 56.53%
木戸あきら 1,691 5位当選
山敷めぐみ 1,632 6位当選
翻って前記の共産党市議はどうか?発信媒体はフェイスブックだけで、他の媒体については全然使いこなせていません。フェイスブックだけでは情報伝達力は限られます。それに、いくらネット全盛のご時世と言えども、ネットを使わない人も決して少なくありません。そういう人には、紙媒体の議員通信や街頭宣伝で、自らの政見や活動報告を伝えなければなりません。
少なくとも、木戸・山敷の両市議については、日頃どういう活動されているのか、公式ウェブサイトを見れば分かります。ところが、明石・松田の両市議は、どちらも共産党議員であり、「しんぶん赤旗」などの媒体や民商(民主商工会)などの人脈を使えば、諸派の議員よりもっと多くの情報を伝達できるはずなのに、一向にそれらを使いこなしているようには見受けられません。
明石さんは54歳の男性で、議員になる前はガソリンスタンドでアルバイトをしていたと聞きました。松田さんは39歳の女性で、幼稚園PTAの会長もされていたと聞いています。特に明石さんなぞは非正規雇用の経験もあるのですから、非正規労働者の気持ちも分かるはずです。「維新の会」の市議には非正規雇用の経験者なんてほとんどいません。女性の市議も皆無です。そういう意味では、少なくとも維新の議員よりは非正規労働者や女性の気持ちが分かるはずです。なのに、何故、木戸・山敷の両市議のように、コンスタントに得票を伸ばし続ける事が出来ないのか?
維新躍進の影響を受けているのは木戸・山敷の両市議も同じです。でも、この両市議は、その影響下においても、得票をコンスタントに伸ばし続け、今も上位当選を果たしています。共産党も2008年前後まではそれなりに得票していた訳ですから、「ソ連・中国の悪いイメージから来る共産党アレルギー」だけでは凋落の説明が付きません。かつて共産党の幹部だった松竹伸幸さん・鈴木元さんが先日相次いで党を除名された影響も勿論ないとは言えませんが、それがいきなり小都市の一市議選にまで直接響くとも思えません。
共産党の票が維新に流れているのは事実ですが、それはあくまで結果論です。では、何故、共産党の票が維新に流れるようになってしまったのか?言い換えれば、有権者は自民党政治からの転換を、何故、共産党ではなく維新に託すようになってしまったのか?かつての「革新政党」の伝統や実績の上にあぐらをかき、こまめな日常活動を怠って来たからではないでしょうか?フェイスブックでしか情報発信しない。議員通信も出さない。だから知名度もない。新人議員の育成もうまくいかず、ひどい場合は1期だけで使い捨て。これでは得票が大きく目減りするのも当然です。
ゴールデン・ウィークで世間は休みですが、あいにく私は通常勤務です。せめて5月6日(土)・7日(日)ぐらいは有休取って一泊二日でどこか旅行に行こうかと思っていましたが、天気予報では両日とも雨模様なので旅行は諦めました。その代わりに、5月3日(水)の公休日に、昨年歩き残した高野山トロッコ道(森林鉄道跡)の高野下から九度山までの区間を歩いて来ました。
南海高野線の特急「天空」で、まず先に九度山まで行きました。特急と言っても、4両編成のうちで座席指定券を買わなければ乗れないのは前の2両だけで、後ろの2両は自由席です。その上、「天空」の走る橋本・極楽橋間は単線で、トンネルと急カーブが連続する区間なので、スピードは普通電車とほとんど変わりません。おまけに、窓も広いので、自由席でも十分、外の景色を堪能出来ます。
九度山駅に着いたら午前11時前だったので、11時にオープンする「おむすびスタンド・くど」で、おむすびのランチを食べようと、列の前に並びました。同店は九度山駅上りホームに併設されたおむすびスタンドです。窯で炊いたおむすびが好評で、休日ともなると店の前には長蛇の列が出来ます。
しかし、並んでから15分経ってもなかなか前に進みません。私はもう「くど」で食べる事は諦めて、駅の外に出て、町の中にある「いこい茶屋」でランチを食べる事にしました。同店は地域の主婦が町おこしの為に始めた休憩所兼カフェ・売店です。カフェ・売店と言っても郊外の道の駅とは違い、うどんやカレーなどの簡単なメニューしかありません。しかし、値段も安くて真心のこもったもてなしをしてくれるので、私は九度山に来たら必ずここに立ち寄ります。
今日はここでカレーを注文しました。カレーには手作りのこんにゃくが付いています。私は大阪のスーパーで買うおでん用のこんにゃくしか知らないので、手作りこんにゃくの美味しさにビックリ!食後のコーヒーにもクッキーのデザートが付きます。これでカレーが600円、コーヒー250円!おむすび1個だけでも250円以上もする「くど」とは大違いです。
九度山から先は山間の秘境駅ばかりなので、飲食店はほとんどありません。なので九度山で早めに昼食を済ませました。九度山町は戦国時代の武将、真田幸村(本名は信繁)が関ヶ原の戦いに負けた後、徳川家康に命じられて、次の大坂冬・夏の陣に出陣するまでの14年間、謹慎させられていた所です。それをしのんで5月4日・5日には真田まつりが盛大に行われます。町はその準備に追われていました。私はあいにく当日は仕事で参加できないので、開催中の「町家の人形めぐり」で、軒先に飾られた各家庭のひな人形を堪能して、町を後にしました。
当初はこの後、次の高野下駅で降りて、高野山トロッコ道ハイキングコースの中で、まだ歩いてなかった九度山までのコースをたどるだけで帰ろうと思っていました。しかし、下記のブログを読んでいるうちに考えが変わりました。このブログによると、廃道をたどれば今も残る旧トロッコの鉄橋やトンネルにたどり着く事が出来るそうです。以前来た時には、ハイキングコースから鉄橋跡の橋脚を眺める事しか出来ませんでした。
#218 高野森林鉄道跡(トロッコ道) / 柿ピーさんの高野参詣道(高野山・楊柳山・雨引山)の活動日記 | YAMAP / ヤマップ
このブログの通りに、私は上古沢駅を降りて、ハイキングコースとは逆向きの上手に向かって歩き始めました。しかし、どこまで行っても廃道の入口にたどり着く事は出来ませんでした。踏切を超えて、それっぽい道を進むと、道はやがて獣道へと変わります。このまま進めば遭難するおそれがあるので、私は探索を諦め、帰ろうとした矢先に、謎の施設に出くわしました。それは、まるで巨大なジェットコースターみたいな施設でした。
私はそれを見て一瞬、山間傾斜地のミカン畑でよく見かける、ミカン運搬用のモノレールかと思いました。でも、それにしては余りにも規模がデカすぎます。しかも、よくよく見たら、2本のレールの真ん中に歯車の付いたラックレールも付いています。昔の碓氷峠や今の大井川鉄道井川線にあるアプト式鉄道みたいな形状をしています。そんな「ジェットコースター」が、向こうの方まで延々と続いているのです。
鉄オタのジャンルの中には「特殊軌道めぐり」と称すべきものもあります。普段はめったにお目にかかれない貨物線、工場専用線やその廃線跡をたどるものです。鉄オタの中でもかなりニッチな分野です。もう使われているのか、いないのかも定かでない、錆び付いたへろへろ線路の先をたどれば、工場の門の中に、今まで見たこともない変な形の機関車が停まっていた…この時の私も、それをひそかに期待していました。
でも、「変な形の機関車」はついぞ現れませんでした。その「ジェットコースター」は工事用のモノレールでした。崖下の道の所に工事のクレーン車が停まっていました。その横からレールが上に延びています。軌道の上には台車と機関車が停まっていました。そして、私が通って来た道の上をまたいで、崖の上の斜面でレールが終わっていました。そこにもショベルカーが停まっていました。レールが2本(ラックレールも含めれば3本)あるこの軌道も、工事資材運搬用のれっきとしたモノレールである事が分かりました。(内田産業というメーカーのホームページに、そのモノレールの写真が載っています)
「変な形の機関車」にこそ出会えませんでしたが、普段目にすることのない「ジェットコースター」に出会えて、もうそれで満足です。私は次の電車で高野下駅まで向かう事にしました。橋本から高野下までは、まだ30分に1本の割で電車が走っていますが、そこから先は1時間に1本のダイヤになります。もう14時を回ったので、先を急ぐ事にします。
高野下駅のホームには昔使われていた古レールが展示されていました。古レールの一部は駅の建物の柱にも使われています。柱の古レールには1987年に米国のカーネギー社で製造された事を示す刻印も残されていました。現在、この駅は無人駅ですが、旧駅舎がホテルとして活用されています。ダブルベッド2台の「高野」、同1台の「天空」の2部屋で営業中です。どちらも元々は駅の宿直室で、当時の駅の制服や道具が今も室内に残されています。部屋からは駅構内の様子が手に取るように分かります。詳細は高野下駅舎ホテルを参照の事。
高野下から九度山までがトロッコ道ハイキングコースの未踏区間です。駅の下をくぐり、集落から一歩外に出ると、切通しが現れます。やがて車止めが現れ、ここから先は遊歩道となります。舗装も途切れ、砂利道となります。道に沿って流れる川も、これまでは高野山から流れ出てきた不動谷川でしたが、ここで丹生川(にゅうがわ)と合流し、川の名前も丹生川に変わります。この辺り一帯を竜王渓と言い、渓谷美が堪能できます。
南海高野線の丹生川橋梁の下をくぐります。橋梁のすぐ横には椎出トンネルが口を開けています。トンネルの前に渡し板のない踏切がありました。これがいわゆる「勝手踏切」なのでしょうか?但し、階段も併設されていたので、保線用の踏切の可能性もあります。
それにしても、ぬかるみの酷い事。これまでのトロッコ道ハイキングコースは生活道路として活用され、道も舗装されていました。それに引き換え、この竜王渓遊歩道は、至る所に沢の水がしみ出しており、敷石でぬかるみの中を渡らなければならない所や、屋根の上を沢水が滝となって落下している所もあります。
実は、この辺一帯は、紀ノ川に沿って、中央構造線という巨大断層が走っているのです。その関係で、地盤がもろく、台風のたびに鉄砲水やがけ崩れが起こる所なのです。さっきの「ジェットコースター」も、崖を補強するための工事用軌道だったのかも知れません。こんな所によく鉄道を敷いたものです。南海高野線や森林鉄道を建設した先人の苦労が偲ばれます。
沿道にはミカン運搬用のモノレールもありました。さっきの「ジェットコースター」とは大違いです。やがて高速道路の下をくぐると、九度山の街の中に入ります。丹生川と紀ノ川の合流地点では、巨大な鯉のぼりがはためいていました。近くの道の駅で、晩ごはんのおかずを買って帰りました。