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転載:「金儲けより人命優先」という「当然」の事が書かれた「画期的」判決の要旨全文(NPJ)

2014年05月26日 18時36分17秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨

主文

1  被告は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

2  別紙原告目録2記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏外に居住する23名)の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、第2項の各原告について生じたものを同原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

理由

1 はじめに

 ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を間わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。

 個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。

2 福島原発事故について

 福島原発事故においては、15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名がその命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数を遥かに超える人が命を縮めたことは想像に難くない。さらに、原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の住民の避難区域も同様の規模に及んでいる。

 年間何ミリシーベルト以上の放射線がどの程度の健康被害を及ぼすかについてはさまざまな見解があり、どの見解に立つかによってあるべき避難区域の広さも変わってくることになるが、既に20年以上にわたりこの問題に直面し続けてきたウクライナ共和国、ベラルーシ共和国は、今なお広範囲にわたって避難区域を定めている。両共和国の政府とも住民の早期の帰還を図ろうと考え、住民においても帰還の強い願いを持つことにおいて我が国となんら変わりはないはずである。それにもかかわらず、両共和国が上記の対応をとらざるを得ないという事実は、放射性物質のもたらす健康被害について楽観的な見方をした上で避難区域は最小限のもので足りるとする見解の正当性に重大な疑問を投げかけるものである。上記250キロメートルという数字は緊急時に想定された数字にしかすぎないが、だからといってこの数字が直ちに過大であると判断す’ることはできないというべきである。

3 本件原発に求められるべき安全性

(1)  原子力発電所に求められるべき安全性

 1、2に摘示したところによれば、原子力発電所に求められるべき安全性、信頼性は極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置がとられなければならない。

 原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。このことは、土地所有権に基づく妨害排除請求権や妨害予防請求権においてすら、侵害の事実や侵害の具体的危険性が認められれば、侵害者の過失の有無や請求が認容されることによって受ける侵害者の不利益の大きさという侵害者側の事情を問うことなく請求が認められていることと対比しても明らかである。

 新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質やもたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差止めの可否を裁判所において判断することは困難を極める。しかし、技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には、技術の実施に当たっては危険の性質と被害の大きさに応じた安全性が求められることになるから、この安全性が保持されているかの判断をすればよいだけであり、危険性を一定程度容認しないと社会の発展が妨げられるのではないかといった葛藤が生じることはない。原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。

(2)  原子炉規制法に基づく審査との関係

 (1)の理は、上記のように人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない。したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、(1)の理に基づく裁判所の判断が及ぼされるべきこととなる。

4 原子力発電所の特性

 原子力発電技術は次のような特性を持つ。すなわち、原子力発電においてはそこで発出されるエネルギーは極めて膨大であるため、運転停止後においても電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならず、その間に何時間か電源が失われるだけで事故につながり、いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行くという性質を持つ。このことは、他の技術の多くが運転の停止という単純な操作によって、その被害の拡大の要因の多くが除去されるのとは異なる原子力発電に内在する本質的な危険である。

 したがって、施設の損傷に結びつき得る地震が起きた場合、速やかに運転を停止し、運転停止後も電気を利用して水によって核燃料を冷却し続け、万が一に異常が発生したときも放射性物質が発電所敷地外部に漏れ出すことのないようにしなければならず、この止める、冷やす、閉じ込めるという要請はこの3つがそろって初めて原子力発電所の安全性が保たれることとなる。仮に、止めることに失敗するとわずかな地震による損傷や故障でも破滅的な事故を招く可能性がある。福島原発事故では、止めることには成功したが、冷やすことができなかったために放射性物質が外部に放出されることになった。また、我が国においては核燃料は、五重の壁に閉じ込められているという構造によって初めてその安全性が担保されているとされ、その中でも重要な壁が堅固な構造を持つ原子炉格納容器であるとされている。しかるに、本件原発には地震の際の冷やすという機能と閉じ込めるという構造において次のような欠陥がある。

5 冷却機能の維持について

(1) 1260ガルを超える地震について

 原子力発電所は地震による緊急停止後の冷却機能について外部からの交流電流によって水を循環させるという基本的なシステムをとっている。1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどないことは被告において自認しているところである。

 しかるに、我が国の地震学会においてこのような規模の地震の発生を一度も予知できていないことは公知の事実である。地震は地下深くで起こる現象であるから、その発生の機序の分析は仮説や推測に依拠せざるを得ないのであって、仮説の立論や検証も実験という手法がとれない以上過去のデータに頼らざるを得ない。確かに地震は太古の昔から存在し、繰り返し発生している現象ではあるがその発生頻度は必ずしも高いものではない上に、正確な記録は近時のものに限られることからすると、頼るべき過去のデータは極めて限られたものにならざるをえない。したがって、大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。むしろ、①我が国において記録された既往最大の震度は岩手宮城内陸地震における4022ガルであり、1260ガルという数値はこれをはるかに下回るものであること、②岩手宮城内陸地震は大飯でも発生する可能性があるとされる内陸地殻内地震であること、③この地震が起きた東北地方と大飯原発の位置する北陸地方ないし隣接する近畿地方とでは地震の発生頻度において有意的な違いは認められず、若狭地方の既知の活断層に限っても陸海を問わず多数存在すること、④この既往最大という概念自体が、有史以来世界最大というものではなく近時の我が国において最大というものにすぎないことからすると、1260ガルを超える地震は大飯原発に到来する危険がある。

(2) 700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震について

ア 被告の主張するイベントツリーについて

 被告は、700ガルを超える地震が到来した場合の事象を想定し、それに応じた対応策があると主張し、これらの事象と対策を記載したイベントツリーを策定し、これらに記載された対策を順次とっていけば、1260ガルを超える地震が来ない限り、炉心損傷には至らず、大事故に至ることはないと主張する。

 しかし、これらのイベントツリー記載の対策が真に有効な対策であるためには、第1に地震や津波のもたらす事故原因につながる事象を余すことなくとりあげること、第2にこれらの事象に対して技術的に有効な対策を講じること、第3にこれらの技術的に有効な対策を地震や津波の際に実施できるという3つがそろわなければならない。

イ イベントツリー記載の事象について

 深刻な事故においては発生した事象が新たな事象を招いたり、事象が重なって起きたりするものであるから、第1の事故原因につながる事象のすべてを取り上げること自体が極めて困難であるといえる。

ウ イベントツリー記載の対策の実効性について

 また、事象に対するイベントツリー記載の対策が技術的に有効な措置であるかどうかはさておくとしても、いったんことが起きれば、事態が深刻であればあるほど、それがもたらす混乱と焦燥の中で適切かつ迅速にこれらの措置をとることを原子力発電所の従業員に求めることはできない。特に、次の各事実に照らすとその困難性は一層明らかである。

 第1に地震はその性質上従業員が少なくなる夜間も昼間と同じ確率で起こる。突発的な危機的状況に直ちに対応できる人員がいかほどか、あるいは現場において指揮命令系統の中心となる所長が不在か否かは、実際上は、大きな意味を持つことは明らかである。

 第2に上記イベントツリーにおける対応策をとるためにはいかなる事象が起きているのかを把握できていることが前提になるが、この把握自体が極めて困難である。福島原発事故の原因について国会事故調査委員会は地震の解析にカを注ぎ、地震の到来時刻と津波の到来時刻の分析や従業員への聴取調査等を経て津波の到来前に外部電源の他にも地震によって事故と直結する損傷が生じていた疑いがある旨指摘しているものの、地震がいかなる箇所にどのような損傷をもたらしそれがいかなる事象をもたらしたかの確定には至っていない。一般的には事故が起きれば事故原因の解明、確定を行いその結果を踏まえて技術の安全性を高めていくという側面があるが、原子力発電技術においてはいったん大事故が起これば、その事故現場に立ち入ることができないため事故原因を確定できないままになってしまう可能性が極めて高く、福島原発事故においてもその原因を将来確定できるという保証はない。それと同様又はそれ以上に、原子力発電所における事故の進行中にいかなる箇所にどのような損傷が起きておりそれがいかなる事象をもたらしているのかを把握することは困難である。

 第3に、仮に、いかなる事象が起きているかを把握できたとしても、地震により外部電源が断たれると同時に多数箇所に損傷が生じるなど対処すべき事柄は極めて多いことが想定できるのに対し、全交流電源喪失から炉心損傷開始までの時間は5時間余であり、炉心損傷の開始からメルトダウンの開始に至るまでの時間も2時間もないなど残された時間は限られている。

 第4にとるべきとされる手段のうちいくつかはその性質上、緊急時にやむを得ずとる手段であって普段からの訓練や試運転にはなじまない。運転停止中の原子炉の冷却は外部電源が担い、非常事態に備えて水冷式非常用ディーゼル発電機のほか空冷式非常用発電装置、電源車が備えられているとされるが、たとえば空冷式非常用発電装置だけで実際に原子炉を冷却できるかどうかをテストするというようなことは危険すぎてできようはずがない。

 第5にとるべきとされる防御手段に係るシステム自体が地震によって破損されることも予想できる。大飯原発の何百メートルにも及ぶ非常用取水路が一部でも700ガルを超える地震によって破損されれば、非常用取水路にその機能を依存しているすべての水冷式の非常用ディーゼル発電機が稼動できなくなることが想定できるといえる。また、埋戻土部分において地震によって段差ができ、最終の冷却手段ともいうべき電源車を動かすことが不可能又は著しく困難となることも想定できる。上記に摘示したことを一例として地震によって複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり故障したりすることは機械というものの性質上当然考えられることであって、防御のための設備が複数備えられていることは地震の際の安全性を大きく高めるものではないといえる。

 第6に実際に放射性物質が一部でも漏れればその場所には近寄ることさえできなくなる。

 第7に、大飯原発に通ずる道路は限られており施設外部からの支援も期待できない。

エ 基準地震動の信頼性について

 被告は、大飯原発の周辺の活断層の調査結果に基づき活断層の状況等を勘案した場合の地震学の理論上導かれるガル数の最大数値が700であり、そもそも、700ガルを超える地震が到来することはまず考えられないと主張する。しかし、この理論上の数値計算の正当性、正確性について論じるより、現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が平成17年以後10年足らずの問に到来しているという事実を重視すべきは当然である。地震の想定に関しこのような誤りが重ねられてしまった理由については、今後学術的に解決すべきものであって、当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。これらの事例はいずれも地震という自然の前における人間の能力の限界を示すものというしかない。本件原発の地震想定が基本的には上記4つの原発におけるのと同様、過去における地震の記録と周辺の活断層の調査分析という手法に基づきなされたにもかかわらず、被告の本件原発の地震想定だけが信頼に値するという根拠は見い出せない。

オ 安全余裕について

 被告は本件5例の地震によって原発の安全上重要な施設に損傷が生じなかったことを前提に、原発の施設には安全余裕ないし安全裕度があり、たとえ基準地震動を超える地震が到来しても直ちに安全上重要な施設の損傷の危険性が生じることはないと主張している。

 弁論の全趣旨によると、一般的に設備の設計に当たって、様々な構造物の材質のばらつき、溶接や保守管理の良否等の不確定要素が絡むから、求められるべき基準をぎりぎり満たすのではなく同基準値の何倍かの余裕を持たせた設計がなされることが認められる。このように設計した場合でも、基準を超えれば設備の安全は確保できない。この基準を超える負荷がかかっても設備が損傷しないことも当然あるが、それは単に上記の不確定要素が比較的安定していたことを意味するにすぎないのであって、安全が確保されていたからではない。したがって、たとえ、過去において、原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても、同事実は、今後、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しても施設が損傷しないということをなんら根拠づけるものではない。

(3) 700ガルに至らない地震について

ア 施設損壊の危険

 本件原発においては基準地震動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ、かつ主給水ポンプが破損し主給水が断たれるおそれがあると認められる。

イ 施設損壊の影響

 外部電源は緊急停止後の冷却機能を保持するための第1の砦であり、外部電源が断たれれば非常用ディーゼル発電機に頼らざるを得なくなるのであり、その名が示すとおりこれが非常事態であることは明らかである。福島原発事故においても外部電源が健全であれば非常用ディーゼル発電機の津波による被害が事故に直結することはなかったと考えられる。主給水は冷却機能維持のための命綱であり、これが断たれた場合にはその名が示すとおり補助的な手段にすぎない補助給水設備に頼らざるを得ない。前記のとおり、原子炉の冷却機能は電気によって水を循環させることによって維持されるのであって、電気と水のいずれかが一定時間断たれれば大事故になるのは必至である。原子炉の緊急停止の際、この冷却機能の主たる役割を担うべき外部電源と主給水の双方がともに700ガルを下回る地震によっても同時に失われるおそれがある。そして、その場合には(2)で摘示したように実際にはとるのが困難であろう限られた手段が効を奏さない限り大事故となる。

ウ 補助給水設備の限界

 このことを、上記の補助給水設備についてみると次の点が指摘できる。緊急停止後において非常用ディーゼル発電機が正常に機能し、補助給水設備による蒸気発生器への給水が行われたとしても、①主蒸気逃がし弁による熱放出、②充てん系によるほう酸の添加、③余熱除去系による冷却のうち、いずれか一つに失敗しただけで、補助給水設備による蒸気発生器への給水ができないのと同様の事態に進展することが認められるのであって、補助給水設備の実効性は補助的手毅にすぎないことに伴う不安定なものといわざるを得ない。また、上記事態の回避措置として、イベントツリーも用意されてはいるが、各手順のいずれか一つに失敗しただけでも、加速度的に深刻な事態に進展し、未経験の手作業による手順が増えていき、不確実性も増していく。事態の把握の困難性や時間的な制約のなかでその実現に困難が伴うことは(2)において摘示したとおりである。

エ 被告の主張について

 被告は、主給水ポンプは安全上重要な設備ではないから基準地震動に対する耐震安全性の確認は行われていないと主張するが、主給水ポンプの役割は主給水の供給にあり、主給水によって冷却機能を維持するのが原子炉の本来の姿であって、そのことは被告も認めているところである。安全確保の上で不可欠な役割を第1次的に担う設備はこれを安全上重要な設備であるとして、それにふさわしい耐震性を求めるのが健全な社会通念であると考えられる。このような設備を安全上重要な設備ではないとするのは理解に苦しむ主張であるといわざるを得ない。

(4) 小括

 日本列島は太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート及びフィリピンプレートの4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が狭い我が国の国土で発生する。この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原子力発電所が有する前記の本質的な危険性についてあまりにも楽観的といわざるを得ない。

6 閉じ込めるという構造について(使用済み核燃料の危険性)

(1) 使用済み核燃料の現在の保管状況

 原子力発電所は、いったん内部で事故があったとしても放射性物質が原子力発電所敷地外部に出ることのないようにする必要があることから、その構造は堅固なものでなければならない。

 そのため、本件原発においても核燃料部分は堅固な構造をもつ原子炉格納容器の中に存する。他方、使用済み核燃料は本件原発においては原子炉格納容器の外の建屋内の使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれており、その本数は1000本を超えるが、使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたときこれが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。

(2) 使用済み核燃料の危険性

 福島原発事故においては、4号機の使用済み核燃料プールに納められた使用済み核燃料が危機的状況に陥り、この危険性ゆえに前記の避難計画が検討された。原子力委員会委員長が想定した被害想定のうち、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのは使用済み核燃料プールからの放射能汚染であり、他の号機の使用済み核燃料プールからの汚染も考えると、強制移転を求めるべき地域が170キロメートル以遠にも生じる可能性や、住民が移転を希望する場合にこれを認めるべき地域が東京都のほぼ全域や横浜市の一部を含む250キロメートル以遠にも発生する可能性があり、これらの範囲は自然に任せておくならば、数十年は続くとされた。

(3) 被告の主張について

 被告は、使用済み核燃料は通常40度以下に保たれた水により冠水状態で貯蔵されているので冠水状態を保てばよいだけであるから堅固な施設で囲い込む必要はないとするが、以下のとおり失当である。

ア 冷却水喪失事故について

 使用済み核燃料においても破損により冷却水が失われれば被告のいう冠水状態が保てなくなるのであり、その場合の危険性は原子炉格納容器の一次冷却水の配管破断の場合と大きな違いはない。福島原発事故において原子炉格納容器のような堅固な施設に囲まれていなかったにもかかわらず4号機の使用済み核燃料プールが建屋内の水素爆発に耐えて破断等による冷却水喪失に至らなかったこと、あるいは瓦礫がなだれ込むなどによって使用済み核燃料が大きな損傷を被ることがなかったことは誠に幸運と言うしかない。使用済み核燃料も原子炉格納容器の中の炉心部分と同様に外部からの不測の事態に対して堅固な施設によって防御を固められてこそ初めて万全の措置をとられているということができる。

イ 電源喪失事故について

 本件使用済み核燃料プールにおいては全交流電源喪失から3日を経ずして冠水状態が維持できなくなる。我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、全交流電源喪失から3日を経ずして危機的状態に陥いる。そのようなものが、堅固な設備によって閉じ込められていないままいわばむき出しに近い状態になっているのである。

(4) 小括

 使用済み核燃料は本件原発の稼動によって日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っているといわざるを得ない。

7 本件原発の現在の安全性

 以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。

8 原告らのその余の主張について

 原告らは、地震が起きた場合において止めるという機能においても本件原発には欠陥があると主張する等さまざまな要因による危険性を主張している。しかし、これらの危険性の主張は選択的な主張と解されるので、その判断の必要はないし、環境権に基づく請求も選択的なものであるから同請求の可否についても判断する必要はない。

 原告らは、上記各諸点に加え、高レベル核廃棄物の処分先が決まっておらず、同廃棄物の危険性が極めて高い上、その危険性が消えるまでに数万年もの年月を要することからすると、この処分の問題が将来の世代に重いつけを負わせることを差止めの理由としている。幾世代にもわたる後の人々に対する我々世代の責任という道義的にはこれ以上ない重い問題について、現在の国民の法的権利に基づく差止訴訟を担当する裁判所に、この問題を判断する資格が与えられているかについては疑問があるが、7に説示したところによるとこの判断の必要もないこととなる。

9 被告のその余の主張について

 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

10 結論

 以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。

福井地方裁判所民事第2部

 裁判長裁判官 樋口英明

    裁判官 石田明彦

    裁判官 三宅由子

http://www.news-pj.net/diary/1001
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転載:「美味しんぼ」問題に関する編集部見解(週刊ビッグコミック・スピリッツHP)

2014年05月20日 20時38分39秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
ビッグコミック スピリッツ 2014年 6/2号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小学館


 「美味しんぼ」問題に関する編集部見解が「ビッグコミック・スピリッツ」最新号(6/2日付第25号)に出たので読みましたが、結構まともな内容でした。少なくともマスコミ報道にある様な「政府に屈服」というイメージとは全然違います。「風評被害を気にする余り、少数意見の封殺に繋がる様な事があってはならない」という事もちゃんと書かれていました。編集部に寄せられた意見の紹介も結構バランスが取れていた様に思います。「美味しんぼ」肯定派・否定派それぞれの見解が紹介され、読者が比較検討する際に非常に有益な教材になり得ると感じました。
 「美味しんぼ」の内容についても、過去に色々問題があった事も知りました。「美味しんぼ」に書いてあるからと言って、決してそれだけで信用してはならないと思います。それでは「お上の言う事は全て正しい」とする立場の単なる裏返しに過ぎなくなってしまいます。たとえ、漫画を描くに当って原子力の事を色々調べたとしても、当該分野については門外漢にしか過ぎない漫画家の描いた作品ですから、そこには誤った記述や舌足らずな表現もあるかも知れません。でも、「福島の真実を明らかにしたい」という目的さえ明確であれば、「鼻血」描写については許容範囲だと思います。流石にその次の号の「大阪のガレキ焼却で住民被害」表現については、私も作者の勇み足だったかも知れないとは思いましたが。
 でも、それならそれで、国や大阪府・市も、科学的データを出して反論すればそれで済む話です。作者の雁屋氏も、それに対して意見があるならまた反論すれば良い。それを見て正否を判断するのは、あくまでも読者であり有権者なのだから。それを、まるで「寝た子を起こすな」と言わんばかりの、風評被害を口実に頭ごなしに封殺しようとする今の風潮は明らかに行き過ぎです。そんな事では何も言えなくなってしまいます。また、いくらそんな事をしても逆に余計に不信を招くだけです。
 当該の編集部見解は「ビッグコミック・スピリッツ」HPにも掲載されていてネットでも読めますが、今後また同種の問題が出てきた時にも非常に参考になると思いますので、当ブログでも参考資料として全文を保存しておく事にしました。「同種の問題」というのは何も原発問題だけに限りません。かつての水俣病国賠訴訟やイラク日本人人質事件の時にも同種のバッシングがはびこりました。今の生活保護バッシングも根底にある構造はみな同じです。生保バッシングやヘイトスピーチ垂れ流しで民主国家としての信用を思いっきり地に貶め、鼻血なんかとは到底比べ物にならない程の風評被害をまき散らす輩に、「福島差別」を云々する資格なぞこれっぽっちもありません。各人がその様な不当なバッシングを跳ね返しメディア・リテラシーを養って行く上でも、この編集部見解から学び取れる事は多々あるように思います。

編集部の見解

 このたびの「美味しんぼ」の一連の内容には多くのご批判とご抗議を頂戴しました。多くの方々が不快な思いをされたことについて、編集長としての責任を痛感しております。掲載にあたっては、福島に住んでいらっしゃる方が不愉快な思いを抱かれるであると予測されるため、掲載すべきか検討いたしました。
 震災から三年が経過しましたが、避難指示区域にふるさとを持つ方々の苦しみや、健康に不安を抱えていても「気のせい」と片付けられて自身の症状を口に出す事さえできなくなっている方々、自主避難に際し「福島の風評被害をあおる、神経質な人たち」というレッテルを貼られてバッシングを受けている方々の声を聞きます。人が住めないような危険な地区が一部存在していること、残留放射性物質による健康不安を訴える方々がいらっしゃることは事実です。
 その状況を鑑みるにつけ、「少数の声だから」「因果関係がないとされているから」「他人を不安にさせるのはよくないから」といって、取材対象者の声を取り上げないのは誤りであるという雁屋 哲氏の考えかたは、世に問う意義があると編集責任者として考えました。「福島産」であることを理由に検査で安全とされた食材を買ってもらえない風評被害を、小誌で繰り返し批判してきた雁屋氏にしか、この声は取り上げられないだろうと思い、掲載すべきと考えました。事故直後盛んになされた残留放射性物質や低線量被曝の影響についての議論や報道が激減しているなか、あらためて問題提起をしたいという思いもありました。
 今号掲載の特集記事には、識者の方々と当事者代表である自治体の皆様からも厳しいご批判をいただいております。医学的、科学的知見や因果関係の有無についてはさまざまな論説が存在し、その是非については判断できる立場にありません。山田 真先生から頂戴した「『危険だから逃げなさい』と言ってもむなしい」というお話には胸を衝かれました。遠藤雄幸村長の「対立構図をつくってはいけない」というお話からは、「美味しんぼ」についてツイッター等で展開された出口のない対立を思いました。識者の方々、自治体の皆様、読者の皆様からいただいたご批判、お叱りは真摯に受け止め、表現のあり方について今一度見直して参ります。
 最後になりますが、避難指示区域からの長期避難で将来に不安を覚える方々、自主避難によって生活困窮に陥ったり不当な非難を浴びたりしている方々への一層の支援は必要ないでしょうか。健康不安を訴える方々が、今なおいらっしゃるのはなぜでしょうか。小さなお子さんに対して、野呂美加様のお話にある「保養」を、もっと大きな取り組みとすることは考えられないでしょうか。このたびの「美味しんぼ」をめぐる様々なご意見が、私たちの未来を見定めるための穏当な議論へつながる一助となることを切に願います。

 「週刊ビッグコミックスピリッツ」編集長 村山 広


(追記―関係者の声より)

 上記「編集部の見解」(以下、見解と略す)の中で言及された3名の関係者の意見もこちらで紹介しておきます。但し、概して非常に長文の意見が多い為、ここでは「見解」で触れられた部分のみの紹介に止めます。それぞれの意見については当該雑誌の公式HP(記事本文のリンクからアクセス)にもその全文が掲載されていますので、そちらも併読していただければ助かります。

山田 真(医師、子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク代表)
(前略)
 「避難すべき」と言うのは簡単ですが、現実には難しい問題を抱えている。私も2011年の終わり頃までは避難すべきと言っていましたが、今、福島では避難したいけれど様々な事情で避難できない人が多いから、その人たちに「ここにいるのは危険だから逃げなさい」と言ってもむなしいのです。国に対して避難したい人が避難できるよう要求し、また避難先で安心して暮らせるよう条件整備をすることを求め、戦っていく必要があります。
(後略)

遠藤雄幸(川内村村長)
(前略)
 県外に避難した住民が、「福島は危ないから避難しろ」と言う。戻った住民が、「故郷を捨てたのか」と問う。「避難する・しない」、「戻る・戻らない」の対立構図をつくらないために、善意の押し付けや過激な干渉はできる限り控えてほしい。そこで生活している多くの住民がいること、避難を余儀なくされている村民がいることを忘れないでほしいと思います。目に見えない放射線は、仲が良かった隣近所の人たちを仲違いさせ、親子・夫婦関係までギクシャクさせる。コミュニティーまで崩壊させる。被災者同士がそれぞれ批判し合う姿に心が痛みます。
(後略)

野呂美加(NPO法人「チェルノブイリへのかけはし」代表)
(前略)
 ベラルーシでは、年間総被曝量が1ミリシーベルトに満たない汚染地域でも内部被曝を鑑みて、子どもたちを国家の事業として保養に出しています。保養させた子どもたちの尿検査をすると、体内の放射性物質が著しく減少します。まずは、国民の健康診断をして、数年間は管理をすべきだし、旧ソ連にならって、せめて子どもたちを安全な地で保養させたり、安全なものを食べさせたりするべきだと思います。
(後略) 
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ブラック企業も住めば都

2014年05月16日 23時29分48秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
いちえふ 福島第一原子力発電所労働記(1) (モーニングKC)
クリエーター情報なし
講談社


 福島原発を扱った漫画のうちで「美味しんぼ」を先日取り上げました。次に、私が読んだもう一つの漫画「いちえふ」の方を取り上げようと思います。「いちえふ」を書いたのは、竜田一人(たつた・かずと)という仮名の、福島第一原発(通称:1F=いちえふ)で収束作業に携わっていた原発作業員です。漫画では彼が働いていた福島の現場労働の描写から始まります。それによると、作業員はまず早朝に前進拠点のJビレッジに集まり、タイベックというつなぎの防護服に着替え、二重の靴下に靴カバー、全面マスクの完全装備で、そこから会社のバスや車に便乗して原発の各作業現場に向かいます。その着替えの様子や、作業員のIDカードや車両通行証、APD(放射線線量計)やガラスバッジなどの携行品の扱いなどの説明が、作業員目線で詳しく描かれています。
 いわく、休憩室や免震棟の扉は、外気の侵入を防ぐ為に二重扉になっており、係員によって開け閉めされる。中の空気も空気清浄機によって安全に保たれている。それらの建物から一旦外に出たら、休憩時間や急病人搬送などの緊急時以外は、勝手に中には戻れないようになっている。トイレも勝手には行けないので、必ず作業に入る前に済ませておかなければならない。
 また、それぞれの現場に合わせて放射線量の上限が決められ、その5分の1の線量に達するたびにAPDのアラームが鳴る仕組みになっている。5回のアラームで上限に達してしまうので、作業チームのうち誰か一人でも4回目のアラームが鳴れば、もうそこで次のチームと交代しなければならない。それに加え重装備なので、作業はなかなかはかどらない。作業員にとっては、放射能よりも熱中症の危険の方が、より身近な脅威となっている。全面マスクなぞも、余りきつく締めると頭痛に見舞われたりするので、締める際はほどほどのきつさに抑えなければならない・・・といった事が詳細に描かれています。
 そういう意味では、外からはなかなか分からない「いちえふ」の作業を知る上では、非常によく出来た漫画だと思います。絵のタッチなぞも、とても素人とは思えないほど上手く描けているように感じました。

 しかし、その一方で、反原発運動に対する作者の反感がそこかしこに現れているのも如実に感じました。いわく、「今回の事故について放射線について自分なりに調べてみれば 一部のマスコミや「市民団体」が騒ぐ程のものではないと分かったし」(24ページ)とか、「休憩所にはスポーツドリンクなどの冷蔵庫もある」「昨年(2012年)夏にどこかの週刊誌が「冷たい水が飲めるのは東電社員だけ」なんて書いてたが意図的な誇張だ」(32ページ)とか、休憩室で作業員が心筋梗塞で一人亡くなった時も、休憩中の作業員総出で救護に当たったのに、一方的に被曝や救急体制の不備のせいにされた(33ページ)とか、そういう表現が随所に登場します。
 もちろん、興味本位で作業員をまるで3Kのルンペンのように差別するのは論外ですが、ではこの作者も、何の根拠も示さず「放射線の影響は騒ぐ程ではない」と一方的に決めつけ、「一部のマスコミや「市民団体」」という表現で、反原発運動をまるで偏った特殊なものであるかのように差別的な目で見ているという意味では、「どっちもどっち」だと思いました。
 その後の「冷たい水」云々の件も、確かに冷たい水は東電社員も下請け作業員も飲めますが、賃金は圧倒的に前者の方が高く、被曝の危険も後者の方が圧倒的に高いのに、その決定的な差を見ずに表面的な事象だけで「差別なぞ存在しない」と言い張った所で、ただ単に自分で自分を慰めているだけではないですか。
 心筋梗塞の件も、被曝との因果関係が現時点で完全に立証された訳ではありませんが、広島・長崎やチェルノブイリの例からも、それがガンや白血病と並んで死因の多くを占める事が経験的に知られています。そういう面も含めて総合的に観る事をせずに、自分の思い込みだけで話を進めています。

 そのくせ、「いちえふ」の下請け作業員として今の会社に採用されるまでは、内定は形だけで会社自体がドロンしてしまっていたり、いざ福島まで来ても仕事を全然紹介してもらえず、タコ部屋みたいな所に押し込められて寮費や食事代だけ天引きされたり、6次下請けでどんどん賃金が間でピンハネされ自分たちは日給8千円程度にしかならなかったり・・・といったエピソードが次から次へと出てきます。私なぞは、これらの問題の方が、むしろ「わしらも冷たい水が飲める」事よりもはるかに重大だと思いますが。
 結局、この漫画で言わんとしているのは、「ブラック企業も住めば都」という事でしかない。何の事はない。「奴隷根性」や「諦め」を煽っているだけではないですか。

 

 確かに、原発とは全然無関係の、私のバイト先の職場でも、こういう事はありますよ。
 給料は安いし、社員もボンクラだし、まともに考えたらとてもやっとれんが、でも、どうにか食べて行けるだけの給料はもらえて、食堂の飯もそこそこ旨い。休みも一応週二日はあるし、残業もそんなには無い。上を見たらキリがない。
 また、俺らは俺らなりに一生懸命仕事しているのに、外から「ド底辺企業」みたいに言われたら腹も立つ。
 そういう意味では、この竜田一人の職場は、私の職場の問題でもあるのです。私が当初「美味しんぼ」よりも先にこの「いちえふ」の方を取り上げようと思ったのも、正しくそんな理由からでした。

 でも、そこだけに止まっていたら、もう人間としてお終いではないでしょうか。この際はっきり言いますが。
 仕事を一生懸命するのは当たり前の事です。別に「いちえふ」だけに限った事ではありません。しかし、「上から言われた事をただ言われた通りにするだけが仕事だ」と言うのであれば、その程度の事ならサルでもします。ただ「上から言われた事をただ言われた通りにする」だけでなく、「ド底辺」な現状も同時に変えようとする所にこそ、サルにはない人間としての値打ちがあるのに。
 賃金ピンハネや労災、被曝労働を減らそう。農漁業や観光、その他の産業も興して、危険な原発にばかり頼らなくても良いようにしよう。そうして、もうこれ以上、第二、第三の「いちえふ」を生まない様にしよう・・・そう考えてこそ、人間としての値打ちがあるのではないでしょうか。

 この漫画を読んで真っ先に思い浮かんだのが、黒井勇人の「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かも知れない」(新潮文庫)です。あの話のあらすじも、「ブラック企業も住めば都」という点ではこの「いちえふ」と同じです。でも、「ブラック会社に」云々の方では、少なくとも主人公のマ男は最後には引きこもりから抜け出す事が出来ました。そこから、やがて会社もいつかは変える事が出来るかも知れないという希望も、かすかではあるが同時に感じ取る事も出来ました。しかし、「いちえふ」では誰も何も変わらない。事故の責任を取らない政府・東電の体質も、その東電の言いなりでしかない下請け企業の体質も、それに何ら疑問を持たずギャンブルや酒に明け暮れるだけの作業員の体質も。竜田一人から仕事とギャンブルを取ったら、後はもう何も残らないのじゃないですかね。
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どの口がそれを言う!(怒)>自民ブーメラン

2014年05月14日 18時53分02秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
選択的避難の権利/北海道へ自主避難した人の声 参院12/2


 今、鼻血の件で「美味しんぼ」を叩いている自民党政権の消費者相や環境相が、野党議員時代にどう言って当時の民主党政権を攻撃していたか。どう言う失言をやらかしていたか。こいつらにとっては、原発事故という政災・人災のせいで、福島からの避難を強いられた人達の苦しみも、只の政争の具でしかないのだろう。

美味しんぼ:鼻血問題で森担当相「差別や偏見を助長する」
毎日新聞 2014年05月13日 12時06分

 「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館)に連載中の漫画「美味(おい)しんぼ」で、福島第1原発を訪問した主人公らが鼻血を出す場面が描かれたことについて、森雅子消費者担当相は13日、閣議後の記者会見で言及。「放射能と鼻血との因果関係があるかのように誤解される記載だった」としたうえで、「影響力の大きさを考えると、福島県民と子供たちの根拠のない差別や偏見を助長するようなことについては大変、遺憾だ」と述べた。
 森担当相は「漫画は子供も読む。その影響を考えると、科学的な根拠をしっかり示した正確な情報を政府としては発信したい」と話した。

http://mainichi.jp/select/news/20140513k0000e040218000c.html

180-参-東日本大震災復興特別委…-8号 平成24年06月14日

○森まさこ君(自民党)
 今、佐藤委員が言ったことについても、遡及的な支援ということについても副大臣に働きかけていく、その根拠にこの法律もなっていくという理解をしております。
 さらに、例えば今福島県内では十八歳までの子どもたちは医療費が無料でございます。しかし、今年十九歳の子どもはどうかというと、無料ではございません。原発事故のときには十八歳であった、しかし今年は十九歳である、そういう子どもに関しても今後は医療費が無料になることができていくというのが私たち野党の立法の趣旨でございます。
 先ほど言ったように、様々な声がありまして、これから子どもが結婚適齢期になったときに、二十代、三十代のときに、もし病気になったらどうするんですかというような心配する親御さんの声があります。これに関しては、今までのこの国会での政府答弁ですと、残念ながら、大臣は東京電力に裁判してくださいということでした。それですと、被害者の方が、子どもたちの方が、この病気は原発事故によるものなんですよということを立証しなければいけない。これはほとんど無理でございます。そういったことがないように、この法律で守っていくものというふうに私は理解しています。
 例えば、具体的にこんな心配の声をお寄せいただいています。子どもが鼻血を出した、これは被ばくによる影響じゃないかと心配なんだけれども、それを診察してもらった、検査してもらった、そのお金はどうなるんですかということです。次にまた、今なかなか屋外の運動ができておりません。それで、実際に走ったときに、足が弱くなっていて転んでしまった、骨折をした、そのような医療費はどうするんでしょうかというような声があります。そのようなものについても、私ども野党の案を起案したときには、原則として含まれていくというふうに考えてはおります。
 現実に、南相馬の市立病院の及川副院長のお話を聞きますと、統計データを取ると、子どもたちの肥満が進んでいる、子どもたちの中に糖尿病が出ている、ストレスによる障害も見られるということでございます。ですので、原則として医療費の支援の対象にしていくと、そういった点が今後効果が期待できる点だというふうに思います。

http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-1708.html


美味しんぼ:石原環境相、鼻血描写に不快感
毎日新聞 2014年05月09日 11時09分(最終更新 05月09日 12時39分)

 小学館(本社・東京)の週刊誌「ビッグコミックスピリッツ」の漫画「美味(おい)しんぼ」に、東京電力福島第1原発を訪れた主人公らが鼻血10+件を出す場面が描かれた問題について、石原伸晃10+件環境相は9日の閣議後記者会見で「その描写が何を意図して、何を訴えようとしているのか全く理解できない」と不快感を示した。
 この問題を巡っては、地元自治体の福島県双葉町が小学館に抗議文を送るなど波紋が広がっている。石原環境相は、昨年末に3年ぶりに出荷を再開した福島の特産物「あんぽ柿」に触れ、「地元の産品の販売に協力してもらっている。(風評被害が発生すると)取り返しがつかない」と述べた。

http://mainichi.jp/select/news/20140509k0000e040190000c.html


石原幹事長、失言「再犯」 福島原発を「福島第1サティアン」
J-CASTニュース 2012/9/13 17:40

自民党総裁選挙に出馬を表明している石原伸晃幹事長が2012年9月13日朝、生出演していた「朝ズバ!」(TBS系)でとんでもない言い間違いをした。福島第1原発のことを、「福島第1サティアン」と発言したのだ。
サティアンといえば、オウム真理教の施設名だ。事故収束に向け、震災から1年半が経った今も懸命の努力が続く原発をよりにもよってサティアンと言い間違えるとは――しかも、石原幹事長は以前にもまったく同じ言い間違いを番組でしており、「再犯」だった。

言い間違いに気づく様子もなくドヤ顔
石原幹事長はこの日、次期総裁有力候補として同番組に登場し、自らのビジョンについて語っていた。「東日本の被災地を歩いて、(総裁選出馬への)使命感を感じた」などと話し、出演者からも「真っ先に被災地に入ってくださり、信頼感は大きい」などと持ち上げられていたが、問題発言はその直後、放射線で汚染された表土などの処理方法をめぐる話題の中で飛び出した。
福島県内で小学校で汚染表土が処理のあてもなく放置されている現状を、悲憤に満ちた表情で語っていた石原幹事長は、力強くこう言い切った。
「それ(表土)をどっかに運ぶ、運ぶところは私は、『福島原発の第1サティアン』というところしかないと思います」
言い間違えたことに気づく様子も一切なく、石原幹事長はいわゆる「ドヤ顔」で、なおも政府対応の拙さを批判し続ける。スタジオもそれには触れず、そのまま話題は次に移った。
しかも、この間違いはこれが初めてではない。2011年6月6日放送の「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日系)に出演した際にも、石原幹事長はまったく同じ議論をする中で、
「福島第一原発の『サティアン』のあるところにしか持っていけませんよ!」
とはっきり言い放っているのだ。当時はほとんど騒ぎになっていなかったが、日ごろから言っているのでもない限りこんな間違いはできないのではないか。(後略)

http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=5P7akIYekC0J&p=%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E4%BC%B8%E6%99%83+%E3%82%B5%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3&u=www.j-cast.com%2F2012%2F09%2F13146358.html%3Fp%3Dall


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風評被害を口実にした言論弾圧を許すな!

2014年05月12日 22時43分28秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
美味しんぼ 110 (ビッグコミックス)
クリエーター情報なし
小学館


 一週間ほどブログ更新が滞っていました。実はこの間、鼻血描写で今問題になっている「美味しんぼ」と、元福島原発作業員の手による「いちえふ」という、いずれも福島原発問題を取り上げた二つの漫画を読み比べていました。今回のブログにも、当初はその読み比べの感想を書こうと思っていました。
 しかし、「美味しんぼ」の中で、主人公が福島取材中に鼻血を出す場面があり、それが風評被害を煽るという事で環境省までが乗り出す騒ぎになっている事を知り、急遽予定を変更して、「美味しんぼ」からまず取り上げる事にしました。

 そもそも「風評被害を煽る」と言うが、本当に「美味しんぼ」作者の雁屋哲氏は、そんな事を意図してこの漫画を描いたのでしょうか。そう思われた方は、週刊ビッグコミック・スピリッツに連載中の、当該描写のみを見て判断しているのではないでしょうか。その方は、今回の連載に連なる単行本の方の、小学館「美味しんぼ110・福島の真実1」も是非お読みになって下さい。それを読まれたら、そんな「人気取りの為に奇をてらう」かの様な生半可な気持ちで、雁屋氏がこの漫画を描いた訳ではない事がお分かりになると思います。

 ここでは、その単行本のあらすじをかいつまんで紹介しておきます。
 東西新聞のグルメ記者・山岡士郎が福島の被災地取材を思い立ち、帝都新聞との共同企画の形で話が始まります。その共同企画を持ち込んだのが、山岡の実の父親で今までも山岡とは色々確執があった海原雄山なのですが、その点についてはここでは触れません。
 この中でまず登場するのが、会津若松でアイガモ農法を実践している須藤さんの話です。須藤さんは、田んぼでアイガモを飼育し、害虫や雑草を食べさせる事で、農薬や除草剤を使わずにお米を作って来ました。福島原発事故の際も、地形の関係で会津盆地にはそんなに放射性物質は飛散しませんでした。ところが同じ福島産というだけで、放射能不検出の須藤さんのお米も売れなくなってしまったのです。山岡たちもその窮状を救うべく、共同企画でアイガモ米の購入を訴える事になりました。

 この風評被害はアイガモ米だけでなく、喜多方・山都周辺の「もてなしそば」や船引町のエゴマ栽培の取材でも直面します。それどころか、有機農業のネットワークを立ち上げても、ようやく軌道に乗りかけてきた所で原発事故に遭ってしまった為に、せっかくの有機大豆も食用には回せず肥料として使う他なかったり、元の農薬を多用した農業に戻ってしまう人が後を絶たないといった話も登場します。
 その一方で、原発から流入した汚染水の為に、太平洋岸の漁業が壊滅してしまい、魚市場や景勝地・松川浦の復興が全然進まなかったり、被災者同士で魚市場で朝市を行ったりといった話も紹介されます。

 その中でも最も痛ましかったのが、飯館村に伝わる凍(し)み餅などの郷土料理がもう二度と食べれなくなる話です。飯館村と言えば、最初は政府や県の宣伝を信じて安全だと思っていたのが、実際は放射能の雲がモロ上空に押し寄せて来ていた事が分かり、事故から三ヶ月も経ってから全村避難を強いられた所です。福島市に避難していた飯館村の人々の計らいで、山岡たちが郷土料理に舌鼓を打つ事になりますが、この郷土料理も昨年収穫した原材料を使って作ったものでした。既に故郷の飯館村も今は無く、原材料が尽きた時点で郷土料理も消滅してしまうのです。この事に、最初は舌鼓を打っていた山岡たちも、次第にやるせない気持ちになっていきます。この場面では、あの強面で有名な海原雄山ですら、悲しみの余り思わずもらい泣きしてしまいます。



 そんな話の中で、たった一コマ、山岡が鼻血を出す場面が出たからといって、それがなぜ風評被害を煽る事になるのか。私には全然理解できません。この取材は一回きりではありません。足かけ一年かけて、何度も現地に取材に行くのです。放射線濃度を測定する為に国や県が設置したモニタリング・ポストが、なぜ予め除染されコンクリートで固められた土の上に据えられているのか。これでは、在るがままの状態で測定すると言う、モニタリングの意味が全くないじゃないですか。そんな中では、鼻血を出す人がいても一向に不思議ではありません。
 低線量放射能の害については、実は今も未解明の部分が多いのです。放射能の影響を指摘する学者もいれば、それを否定する学者もいる。その中で、架空の主人公がフィクションとして鼻血を出したとしても、一体何が問題なのか。そんな事すら書けないなら、もはや何も書けなくなってしまう。

 確かに、この「福島の真実」シリーズには、実在の人物や団体も数多く登場します。アイガモ米の須藤さんや、「エゴマ」「もてなしそば」「凍み餅」や、福島県有機栽培ネットワークなども、いずれも実在の人物・食材・団体名です。そういう意味では、最初から最後まで全てフィクションである事が自明の、他の「美味しんぼ」シリーズ場合以上に、表現には注意が必要でしょう。でも、その程度の事で、なぜ石原伸晃や橋下徹までがノコノコしゃしゃり出て来て、ここまで雁屋氏を叩かなければならないのか。
 それがいかに異常な事かは、「ミナミの帝王」「ナニワ金融道」や「ゴルゴ13」などの漫画と比べたら良く分かります。あれらの漫画も、主人公たちやその活躍の場は確かに架空の設定にはなっていますが、背景となる多重債務の問題や国際情勢はいずれも現実を題材としたものです。実在の国や人物や団体も多数登場します。その中ではサラ金風刺や大国批判の場面も一杯出てきます。でも、それに対して、大手サラ金や米国大使館がいちいち抗議声明を出したでしょうか。

 原発問題に限っても、あの鼻血程度の事は、別に「美味しんぼ」だけに限らず、小林よしのりの「脱原発論」や、現役官僚によるとされる匿名の告発小説「原発ホワイトアウト」にも一杯出てきます。小林よしのりなぞは、その著書の中で「原発推進は核兵器製造が狙いだ」とあけすけに語っています。それらがなぜお咎めなしで、「美味しんぼ」だけが叩かれなければならないのか。
 「風評被害を煽り被災者を傷つけた」と批判されるが、それを言うなら、「津波は天罰だ」と言い放った右翼ボケ老人(石原慎太郎)こそ一体どれだけの人間を傷つけたか。この様な右翼ボケ老人の暴言は放置して、なぜ「美味しんぼ」だけが叩かれなければならないのか。実際は風評被害なんて口実にしか過ぎず、本当は「美味しんぼ」の口を封じたいだけではないか。当ブログは雁屋哲氏と「美味しんぼ」を断固擁護します。そして、このような陰湿な言論弾圧とは徹底的に闘います。
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東電の廃炉工程表に欠けているもの

2014年04月22日 23時22分17秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな


 NHKスペシャルで「廃炉への道」というシリーズ番組をやっていました。事故が起こった福島第一原発と近くの第二原発を、今後40年かけて廃炉にしていく様子を記録に残すという触れ込みで、その初回の放送が4月20日の日曜日夜にありました。普段はTVなぞほとんど観ない私も、タイトルに惹かれて観る事にしました。

 番組の前半は結構惹きつけられました。
 いわく、事故当初はガレキだらけで高い放射線量を記録していた原発敷地内も、ガレキが除去されたお蔭で何とか作業が出来る様になった。次はいよいよ原子炉建屋内のガレキや原子炉内のデブリ(核燃料の破片・残滓)の除去に向かう。しかし、建屋内はまだまだ放射線量が高く、とても人間が作業できる環境にはない。そもそも、建屋内の破損状況すら全然分かっていない。
 そこで、ガレキを取り除いたり放射線量を図るロボットが原発の建屋内に投入される事となった。まず建屋の損傷が最も少なかった2号機で、ウォーリアというロボットが障害物を取り除き、その次にマイスターというロボットでオペフロ(原子炉格納容器の天井部)のコンクリートを採取し放射線量を測る方法が取られた。ところが実際は、ウォーリアが段差に乗り上げ転倒して使い物にならなくなり、マイスターが採取したコンクリートのサンプル片にも放射能が厚さ1ミリ以上も浸透している事が明らかになり、まだまだ人間が作業できない環境である事が判明した。
 また、原子炉内部の損傷やデブリの分布状況も調べなければならないが、その為には原子炉の貫通口まで観測機材を作業員が持って行かなければならない。しかし、その貫通口の周囲には高い放射線量を出す配管が走っていて、とても作業員が近づける環境にはない。それに対し、原子炉の反対側は比較的線量が低く、そこにも別の貫通口があるのだが、その貫通口は直径10センチしかない。通常の観測機材では通す事は出来ないので、そこを通す特殊な蛇型の機材を開発する事になった・・・と。

 ここまでは結構良かったです。廃炉の技術的な内容やその困難さなぞ、素人にはなかなか分かりませんから。それを分かりやすく解説してくれていて、結構勉強になりました。ところが、その後がいけません。
 いわく、原子炉内に残存している核燃料やデブリからの熱の発生を抑え、それらを取り出す為にも、原子炉内への注水が欠かせない。しかし、それは他方では大量の汚染水を生み出す事になる。汚染水を保管するタンクの増設も追いつかない。そこで、苦肉の策として、山から原発の下を通って海に流れ込む地下水を、原発の手前のまだ放射能に汚染されていない段階で迂回路に流し込み海に放流したい。その了解を漁業関係者から得ようと東電やメーカーが苦労している。その中で、最初は風評被害を気にして心を閉ざしていた漁業者も、徐々に廃炉事業に協力する中で復興をめざす方向に傾きつつある・・・と。まるで政府や東電の受け売り番組そのものじゃないか!

 何が「まだ放射能に汚染されていない段階で迂回路に流し込み」ですか。既に事故直後に大量の放射能が原発から漏れ出て太平洋上や阿武隈山地の方に飛散している事がスピーディのデータで明らかになっています。その上、その後も汚染水を保管したタンクや格納容器の亀裂から大量の汚染水が漏れ出て海に流出している事も、これまでの報道でとっくに明らかになっています。その原発から漏れ出た放射能の大気や海に流れ出た汚染水が蒸発して、再び雨となって山に降り注いで地下水として原発に流れ込んでいるのでしょう。既に原発の手前で充分汚染されているじゃないか!しかも、そうやって何度も蒸発を繰り返しているうちに、食物連鎖による生物濃縮も加わり、放射能はますます濃縮されていきます。
 それに加え、実際の廃炉作業も、ヤクザを使って素人の作業員をかき集め、ろくに安全対策も講じないまま、被曝線量の上限をクリアさせる為にわざと線量計を外して作業させたり、多重下請構造の中で危険手当や賃金のピンハネが公然とまかり通っていたり、汚染水タンクの増設だけに追われる中で、ろくに溶接もされないタンクが作られ、そこから水が漏れ出している事も、もはや公然の秘密となっています。嘘だと思うなら、「福島原発、汚染水流出」でも何でも良い、適当なキーワードで少しネット検索するだけでも、一杯その手の情報が入手できます。

・福島第1原発のタンクから100トンの高濃度汚染水漏れ=東電(ロイター)
 http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1J01W20140220
・焦点:福島原発汚染水、漏えいタンクに違法労働の影(同上)
 http://jp.reuters.com/article/jp_energy/idJPTYE9B906720131210
・福島第1原発 汚染水ますます深刻 海水の放射性物質 濃度下がらず(しんぶん赤旗)
 http://blogos.com/article/76972/
・福島原発問題について(科学者の眼)――科学者による原発事故の解説(日本科学者会議)
 http://www.jsa.gr.jp/pukiwiki/index.php?%CA%A1%C5%E7%B8%B6%C8%AF%CC%E4%C2%EA%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6

 政府や東電が今回の事故対策のモデルケースにしているのが米国スリーマイル原発の事故ですが、この事故の場合はメルトダウンこそしたものの、まだ格納容器はかろうじて破損からまぬがれる事が出来ました。炉心が露出していた時間も100分前後と、福島原発事故の数日間と比べはるかに短かった。だからこそ、まだ注水で何とかしのげたのです。
 NHKの当該番組では東電の廃炉工程表の解説もされましたが、その工程表には最も肝心な事が抜け落ちています。その最も肝心な事とは、安倍政権の退陣で、一刻も早く今の原発固執政策と決別し、脱原発に舵を切る事です。脱原発を実現すれば、注水も廃炉も不要になる。
 そうすると「そんな事を言うなら電気を使うな」という人が必ず出てきますが、そんな論理のすり替えに騙されてはいけません。何も原子力でなくても発電はできるのに、勝手に原子力の比重を高めておいて、まるでそれ以外には選択肢がないかのような物言いこそがマヌーバー。火力発電では石油を輸入に頼る事になる?地球温暖化が更に酷くなる?原発燃料のウランやプルトニウムは石油以上に輸入依存ですが?過酷事故で一旦放射能に汚染されたら将来の地球温暖化どころの騒ぎでは済まなくなるのも、チェルノブイリや福島の事故で既に充分証明済みですが。発電所のタービンを回す蒸気の、その元となるお湯を何で沸かすかという、たったそれだけの為に何故これほど犠牲を払わなければならないのか。


上記はこの4月28日に福島で開催される汚染水問題の集会案内です。関心のある方は是非ご参集下さい。 
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転載:10・13での左派統一行動を呼びかけます!(ジグザグ会)

2013年10月07日 20時07分26秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
※下記の賛同要請がネットにアップされていましたので私も賛同人として署名しました。

10・13での左派統一行動を呼びかけます!

 私たちは311事態以降、今まで、それぞれの立場から、各地の反原発・反差別排外主義・反基地・沖縄連帯・三里塚などの闘争に、個人、無党派の立場から参加してきたものです。私たちはその経験に基づき、とりわけ反原発運動において、今や左派の潮流を可視的に「登場」させることが求められているという焦りにも似た認識をもっています。

 そこで私たちは来る10・13反原発統一行動の当日、まずもって一日共闘として、反原発運動を「反資本主義」「反戦・反差別」「福島‐沖縄‐三里塚は一つだ」などの立場から闘う人々の統一行動の実現を提起する次第です。具体的には統一デモ隊列の実現と、同隊列におけるデモ前の独自「打ち合わせ」などを、他の参加者の迷惑にならない形態でおこなうことです。

 左派の潮流的な登場の必要性を一般論として語る方は多いです。けれどもそれが具体的な行動にうつされないことに、私たち個人大衆は大きな不満を抱いています。一方、そういう不満や批判を口にするなら、それはそのまま自分に返ってくるものだと思いました。私たちはたとえ蟷螂の斧と笑われようと、まず私たちだけでも断固として「はじめる」つもりです。

 私たちは下記の内容も決して固定のものとは考えておりませんし、議論や相互批判を恐れたり排除するものではありません。なにとぞ私たちの小さな決意を見殺しにすることなく、真剣な検討をお願いする所以です。

◆反資本主義派の登場を!

 反原発・反差別排外主義・反基地・沖縄連帯・三里塚。もとより、これらの課題は別々のものではなく、からみあった一つの課題の別々の側面であることは、左派の皆さんには言をまたないことだと思います。それは人間を資本の手段とし、被曝労働者を使い捨てにするような社会との対決であり、すなわち必然的に反資本主義の内容をもたざるを得ないものであります。311事態はこういった社会のあり方の欺瞞性を、大衆的に実にわかりやすい形で露出させ、それゆえに多くの民衆の怒りを呼び起こしました。

 そして、これらのからみあった一つの課題の個々の側面に、今まで別々の「個別課題」として分断された取り組みを余儀なくされてきた人々、あるいは既存の大衆運動には無縁でありながら、種々の不満、疑問、閉塞感、生きにくさを感じてきた人々をも含め、それらが反原発運動を結節環として結びつき合流し、そのことによって反原発運動はその幅の広さと深まりの両面において、広範な大衆的爆発を可能にしたのです。

 しかし、それこそ50年前から今日まで、大衆の自然発生的な運動の広がりや深化に対し、これを再び「個別課題」に分断して組織的に管理しようという方向性が、いつの時代にも存在します。もとより私たちは、そういった部分をも手をつなぐべき仲間として尊重します。それよりも私たちが一番の不満を感じるのは、こういった旧来の運動のあり方に常に一石を投じ、社会変革の波へと運動を質、量ともに広げる役割を担ってきた、あるいは担うべき勢力が、運動の中でほとんど可視化されていないということです。

 確かにそれらは集会場やデモのあちこちに点在していますが、未だに潮流と呼べる存在はありません。なのに存在しない「左翼なるもの」に対する批判が、あちこちでごちゃませ的に繰り返されています。それはちょうどかつての新左翼が「社共総評」を批判することで「それとは違う私達」を大衆にアピールし、それをもって自分達が何か「新しいもの」であると宣伝した、その手法を旧勢力に逆手にとられている現象です。このような「左翼」をスケープゴートに仕立て上げる宣伝手法は、今やそのためには右翼団体との連合さえを容認するまでにエスカレートしています。

 このような旧勢力の反左翼キャンペーンに対して、これを「デマ」や「反動」と切って捨てることはたやすいです。ですが私達はまずもって、それが一定有効性をもってしまうような「左翼」の歴史的現状を、主体的に省みることが第一だと考えます。
 その上で、こういった宣伝手法に単純な自己肯定の「反・反左翼キャンペーン」を言葉の上で繰り広げ、それをもって自分達の左翼性やらラディカルさを自己確認したり、それとは全く逆に、彼らの逆鱗にふれないようにうまく立ち回り、なんとなくその末席にいさせてもらうという、悪しき「大同団結主義」でも、情勢を突破するようなものは何一つ作り出しえないと考えます。

 私たちが何よりも一番に追求するべきは、運動の内部にいる他者を批判することで自己のアイデンティティを確認したり、あまつさえそれを大衆的課題やスローガンにまで祭り上げることではありません。それではいつまでたっても批判している相手の周りを回る衛星でしかない。求められているのは、私たち自身が彼らに対置しうるような内容でもって登場をはたし、大衆に潮流的な選択を迫りうるだけの存在になること、他者の衛星ではなく、自分自身が輝く恒星になることではないでしょうか。

◆怒りの文化を復権させよう!

 一方、私たちは、これまでの経験の感想や総括提起を出し合う中、反原発などの大衆運動の場において、かつて左翼が先頭で切り開いてきた「怒りの文化」を復権させるべきだと考えています。私たちは全身からほとばしるような怒りに満ちた、左派の統一的な「戦闘的デモンストレーション」の実現を提起します。
 それは一見するとふざけている、あるいは「同窓会」的な気分にひたっているように見える危険があるかもしれません。実際、そういう気分で参加する人がおられたとしても、それはそれとして排除することもないとは思います。ですが決してそれだけではありません。

 つまり、私たちは怒っているのです。

 私たちはこんなにも怒っているんだと相手に知らせたいのです。デモとは本来そういうものだと思います。それを表現するためには、それにふさわしいパフォーマンスを行う必要があります。自分達以外のあり方を否定するつもりは毛頭ありませんが、私たちの怒りを表現するのに、楽しげな雰囲気の演出にばかり心を砕くような「パレード」ばかりではやはりふさわしくありません。

 繰り返します。私たちは怒っているのです。核発電に、排外主義の跳梁跋扈に、公安の弾圧に、外への軍拡と緊張拡大政策に、国内民衆への犠牲のしわ寄せに、私たちは怒っているのです。そして私たちが知らないところで、若者や名も無き民衆もまた怒り、その怒りの本質や向かうべき先もわからないまま、自分でも正体不明の閉塞感の中で出口を求めています。

 ですが、現在の強弾圧体制下のデモでできることは、実はそんなに多くありません。ところがその程度のことでさえ、今は自分達の「スタイル」が民衆に受けが悪いから自分達は衰退したのだとする「左翼」の判断によって、怒りの文化はすっかり影をひそめています。
 そのうち、いつのまにか「在特会」だのの排外主義者のほうが自己の「暴力性(擬似革命性)」を看板とするようになり、閉塞感の中で出口を求める若者は、お行儀のいい「ピースでエコ」なサヨクより、むしろそちらに惹かれています。さらに本来わたしたちがやるべき排外主義者への怒りの表出行為すら、右派的な部分にお株を完全に奪われているではありませんか。「スタイル」の問題だと言うなら、これをどう解釈するべきかという問題があります。

 別に物を壊したり人を殴ったりして「暴れるべきだ」と言っているわけではありません。「戦闘的デモ」と言っても、実際には充分に非暴力で平和的な行動にすぎないわけです。ところが大衆ではなく左翼の中にこそ、残念ながらそれを揶揄するような雰囲気があります。しかしそんなことではもう、私たちの呼びかけ対象となるような層は、大半が右派部分に持っていかれると思うべきです。

◆左派潮流の登場を「要求」します。

 私たちがこの呼びかけを確認した時点で、確実な参加者は10人にも満たない状況です。たとえそうであっても、全身からほとばしるような怒りに満ちた戦闘的デモの実現を提起し続けます。
 無力な個人・大衆にすぎない私たちの呼びかけは、ほとんどの人から嘲笑を受けるのかもしれません。それも覚悟の上での呼びかけです。

ちなみにアーサー・C・クラークによると、革命的な展開が起きるときの、人々の反応はこんなふうに推移するという。
 1回目 「まったくばかげてる、時間の無駄だ」
 2回目 「なかなかおもしろいが、たいして重要ではない」
 3回目 「いいアイデアだと私は前からずっと云ってた」
 4回目 「実はあれは私が最初に思いついたのだ」
(イノレコモンズのふた。「まったくばかげてる、時間の無駄だ」より)

 繰り返しますが、私たちの一番の不満は、あれだけ反左翼キャンペーンが繰り広げられながら、実際には集会場やデモ隊列のどこにも、潮流と呼べるだけの左翼が存在していないことです。「安倍政権と対決しうるだけの左派潮流の登場」という大衆的な要請について、それに反対する左派はほとんどいないと思います。ところが実際には、暗闇の中で小さなたいまつをかかげながら、「わが派に結集せよ」という声しか聞こえてきません。

 従来からの関係の延長線上での「無理のない」共闘や、各地の組合、住民・市民団体の一人としての参加なども、とても大切な闘いだとは思います。しかし今はもっと大胆な潮流的な登場をこそ追求するべき時ではないでしょうか。私たちは皆さんに、大衆の一人としてこのような左派潮流の可視的な登場を要請、いえ!もはや要求するものです。

われわれを見殺しにするな!

2013年9月15日 「10・13反原発統一行動」参加予定者有志
連絡先:zigzagkai@gmail.com

(呼びかけ人)
 西葛西善蔵(大学非常勤講師)、水畑涼(高校生)、草加耕助(サイト旗旗主宰)
 まっぺん(レッドモール党)、あるみさん(ブロガー)、中野由紀子(出版労働者)
 花田娯作(共産趣味者)、乱鬼龍(川柳作家)、ネオリベにゃんきち(反原発にゃんにゃん党)

(賛同人)
 アッテンボロー(ブロガー)、相沢耕平(大学院生)、西多賀(仙台市民)、まつき(共産趣味者)、
 戸田ひさよし(大阪府門真市議・革命21)、生田あい(社会運動家)、Bird(普通のおっさん)、
 野次馬の視線(共産趣味者)、岩山昇太(社会運動家)、鷹嘴正吉(ブログ「不条理日記」)、
 中桐康介(長居公園仲間の会)、臨夏(在野歴史家)、高橋良平(社会民主主義者)、
 林田力(『東急不動産だまし売り裁判』著者)、ケンパチ(日本共産党党員)、
 榊原晴美(ブログ「薔薇または陽だまりの猫」)、中川龍也(社会民主党練馬総支部 常任幹事)、
 野田(詩人)、
 匿名希望1(国策日の丸原発推進に怒れる主婦)、匿名希望2(神奈川から関西への避難移住者)

※この呼びかけ文への賛同を募集中です
 ○掲載する名前(あれば肩書き)をお知らせください。
 ○よろしければ一言メッセージなどそえていただけると幸いです。
 ○匿名希望やメッセージ公表の可否などご希望がある場合はその旨も明記してください。
 ○メール:zigzagkai@gmail.com およびサイドバーにある送信フォーム、またはコメント欄にて。

 以下をコピペしてお使いください↓
  ・名前:
  ・肩書き:
  ・一言:
  ・公開:可 否
  ・その他

http://zigzag.blog.jp/archives/188855.html
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放射能の講演会が地元であった。

2013年10月02日 23時37分26秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 
 9月29日の日曜日に、放射能の講演会が地元の市の公民館であったので私も行って来ました。
 主催は地元の市の「母親大会連絡会」という団体で、そこの35回目の定期大会のメーン企画として標記の講演会が行われました。真鍋さんという阪南医療生協の診療所長さんが、主に放射能の内部被曝の問題について講演して下さりました。形こそ母親大会の一部として行われるものの、誰でも参加自由という事だったので、私もたまたま近所の掲示板に貼られたチラシを見て、興味があったので参加してみました。

 当日は午後1時開演で、最初に地元のお母さん方によるコーラスがあって(左上写真)、その後の主催者や来賓の方の挨拶の後、真鍋先生の講演が行われました(右上写真)。会場の公民館集会室には既に50名ぐらいの方が入っておられましたが、私以外は全員女性ばかり。「しまった!」と思いましたがもう後の祭りです。こんな事はめったにないのですから、逆にチャンスだと思い直して参加する事にしました。

 ところが、真鍋先生がせっかくパソコンを持ち込んでチェルノブイリや福島の貴重な現地映像をスライドに映し出そうとしたのですが、パソコンの調子が悪くて映し出す事が出来なくなりました。会場の中には私の知人も何人かおられ、その中には私がブログをやっている事も知っている人がいて、その方から「××さん(私の本名)、ちょっと見てあげてよ」と言われたのには流石にびっくり。幾らブログをやっていると言っても、プロジェクター(パソコンの画像をスライドに映し出すソフト)なんて使った事もないのに。

 結局、画像での報告はもう諦めて、講演での話が主体となりました。そこで真鍋先生が話されたポイントは次の三つでした。本当はもっとあったのかも知れませんが(事実レジュメにはもっと色んな事が一杯書かれている)、少なくとも私が理解できたのは次の三点です。

 一点目は、福島原発事故と広島・長崎の原爆やチェルノブイリ原発事故との大きな違いです。それは、福島の場合は、漏れ出た放射能の量こそ原爆やチェルノブイルよりも少ないものの、後者はもうすっかり核燃料が残っていないか封じ込められたのに比べ、福島では今も核燃料の大半が原子炉の中に残っており、今なお汚染水や空気中への拡散の形で垂れ流されている事です。
 そりゃあそうですわね。今もまだ原子炉の中には核燃料が残っており、どれだけどういう形で残っているか近づいて調べる事も出来ない中で、とにかく爆発だけは防ごうと、どんどん冷却水を注入しているのが現状です。ただやみくもに注水しているだけですから、その水が汚染水となって海に流れ出たり、土壌に浸み込んで地下水と混ざってしまったり、蒸発して雨になって山に降り注いで拡散してしまうのは、最初から分かり切った事。安倍首相はIOC総会で「汚染水は港湾の防波堤の中に完全にブロックされている」なんて事を言っていましたが、そんな事出来る訳がない。除染もはっきり言って無意味。幾ら除染しても雨が降ればまた元の木阿弥。

 だから今、福島ではMDS(骨髄異形成症候群)という白血病の一種になる患者が激増しているのだそうです。白血病、つまり血液の癌(がん)になる人は、長崎の被爆者約20万人の中でも5~6人しかいないのに、福島では現時点で既に約100人が罹患してしまっている。福島や郡山の児童公園には「遊ぶのは1時間以内」との掲示までされるようになってしまっているそうです。そんな環境の中で、どうやって遠足や体育の授業をやれというのか。どうやって暮らせというのか。事態は、もはや「福島産を食べて応援」なんて偽善的なポーズで誤魔化せるレベルではなく、避難できる人から一刻も早く避難しなければならない状況なのに。

 二点目は、外部被曝と内部被曝の違い。外部被曝というのは、原爆や原子炉間近で被曝した人の様に、身体の外から放射能を浴びた場合で、これについては、放射能(放射性物質が周囲に与えるエネルギー)を浴びた程度によって身体にどれだけのダメージを受けるか、凡(おおよ)その事が分かっているので、それに基づいて、一般人の場合は年間何マイクロシーベルト、原発作業員の場合は何マイクロシーベルトという具合に、「しきい値」という凡その規制値が定められています。しかし、呼吸や飲食によって放射性物質を身体の内部に取り込んでしまった場合は、この「しきい値」は全く意味をなさなくなってしまいます。何故なら、たとえ僅かな量の放射性物質でも、それが体外に排出されずに、カリウムやナトリウムといった身体を構成する元素の一部として体内に取り込まれ、ずっとそこに止まり周囲の細胞を破壊し続けたらどうなるか。外部被曝で放射能を浴びた以上に、破壊的なダメージを身体に与える事になってしまう。

 現に広島では、原爆投下から2週間も経ってから、60キロ離れた三次(みよし)から救援活動にやってきた高等女学校の生徒が、脱毛や下痢、身体のあちこちに癌を発症する多重癌などに苦しみながら、23名も相次いで亡くなりました。煙草も吸わないのに肺癌にやられたりしながら。でも国は、内部被曝に関しては原爆投下との因果関係は立証されないとして、被曝者援護法の対象者を爆心から半径2キロ以内にいた被曝者(その殆どは既に亡くなっている)に限る姿勢に未だに固執しています。
 チェルノブイリ周辺国のウクライナやベラルーシでも、事故後数年も経ってから、内部被曝で放射性ヨウ素が多くの住民の甲状腺に取り込まれてしまった為に、住民の間に甲状腺癌が広まり、癌を摘出して首の周りに「チェルノブイリの首飾り」と呼ばれる痛々しい手術痕が残る人たちが一杯生まれました。「首飾り」だけで済めばまだ良い。もっと重篤なダメージを身体に与えられ、遺伝子を傷つけられた為に、脇腹から足の生えた牛や、耳が欠け落ちた猫なども現地では一杯生まれました。

 福島原発事故が起こった直後、当時の枝野官房長官が「直ちに健康には影響はない」と言ったのは、日本も数年か数十年後には最悪この様な事態になるかも知れない事を予測して、予め「逃げ」を打ったのではないかと、私は本気で思っています。

 三点目は、もはや全く放射能に汚染されていない場所なんて地球上には殆どない。強いて言えば南極ぐらいのものだ。そのような状況下では、根本的解決として核の廃絶を追求する一方で、現実問題として放射能から自分の身を守る為に今から出来る事にも取り組んでいかなければならないという事です。
 ウラン鉱山周辺など元から自然放射能が高い地域の住民も、放射能に弱い人は早くに亡くなり、免疫の強い人だけが生き延びる事が出来たのです。レントゲン技師も、鉛で囲まれたレントゲン室で、自身の被曝線量を測定しながら規制値内に治まるように仕事していても、多くの技師が放射線障害で亡くなっているのです。それをさも放射能は安全であるかのようにいう、原子力村の御用学者・医師のペテンに騙されてはいけない。
 そんなペテンに惑わされずに、何でも国や自治体任せにはせず、自分でも出来るなら放射能線量も測定しながら、出来るだけ放射能を避けるような食生活や住環境を心がけなければならないと、仰っておられました。

 その後、ベクレル(Bq)とかシーベルト(sV)とかの放射能測定の単位についての説明がありましたが、これは私もよく分かりませんでした。放射能の規制値や食品汚染の許容量を表す際には必ず使われる単位なので、本当はこれについても知っておかなければならないのでしょうが。
 一応、ベクレルと言うのが放射能の絶対値(毎秒1個の放射性元素が崩壊してまた別の放射性元素に変わる際に放出するエネルギーの値)で、それが身体に受けるダメージは、同じベクレルの放射能でも放射性物質の違い(アルファ線・ベータ線・ガンマ線・中性子線など)によって変わるので、それを種類別に換算して現したのがシーベルト。1シーベルトの千分の1が1ミリシーベルト(msV)、そのまた千分の1が1マイクロシーベルト(μsV)。
 年間100ミリシーベルト以上の放射能を浴びると身体のあちこちに影響が出始め、千ミリを超えると下痢や嘔吐などの急性症状が現れる。7千ミリ以上で殆どの人間は死ぬ。今までは年間1ミリシーベルトが個人の許容基準だと言われていたのに、国はそれを年間20ミリに、原発作業員に至っては年間250ミリにまで緩めようとしている。これ位知っておくだけでも、新聞やテレビが平気で垂れ流す何ミリシーベルトというのが、実は大変な事だという事も徐々に分かってくるのではないでしょうか。

 以上が講演会の報告です。放射能の講演会が終わった後は、保育所民営化に反対する闘いなど、母親大会参加者からの報告・交流があり、最後に大会宣言を採択して午後4時半に終わりました。地元の府立高校がお母さん方の高校増設運動で出来た事もここで初めて知りました。この講演で、放射能の内部被曝の恐ろしさについて改めて認識できました。その一方で、ベクレルとかシーベルトの意味については、もう少し分かりやすく説明して欲しかったです。

 
 会場に展示された「新日本婦人の会」地元支部の憲法9条タペストリーと絵手紙。この辺の感性は「野郎」主体の集会には絶対にないものだと妙に感心。
 

 つい最近亡くなった、この町の母親大会創立者が残した「反原発」俳句の数々。
 除染せぬ遊び場いまだ秋寒し
 原発禍室内でする運動会  
 厳寒に木の芽鎧ひでじっと耐ゆ 合掌。    
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転載:福島汚染水流出事故・緊急国際署名(フクロウの会)

2013年09月14日 19時32分52秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
※下記の署名要請が回って来ましたのでこちらでも紹介・拡散します。是非ご協力下さい。

【署名】福島汚染水流出事故・緊急国際署名はじまりました

福島汚染水流出事故についての緊急国際署名がはじまりました
ご協力お願いします!拡散してください!

署名フォーム(PC) http://p.tl/9YXI
署名フォーム(携帯・PC) http://p.tl/5ime
団体賛同も募集中です http://p.tl/I_Pu
国際版(英語版)はこちら https://fs220.xbit.jp/n362/form2/

 福島原発事故による海洋汚染が深刻な状況です。地下水を通じた流出やタンクからの高濃度汚染水の漏洩について、緊急な対応が迫られています。もう一つの重大事故が起きたといってもよいほどです。命の源である海をこれ以上汚染してはなりません。意図的な放出が検討されていますが、絶対に許されません。

 東電に対応能力がないのは明らかです。しかし政府はこの問題に正面から取り組もうとしていません。原子力規制当局は、原発再稼働のための審査に人員を割き、経産省は、汚染水対策をゼネコンらの営業の場として秘密会合を繰り返しています。安倍首相は「状況はコントロールできている」「影響は港湾内で完全にブロックされている」などと事実無根の発言でオリンピックに浮かれています。

 オリンピックどころではありません。原発再稼働どころではありません。原発輸出どころではありません。新規制基準では、重大事故時の汚染水流出は全く想定さておらず、審査により、他の原発で同様の事故を防ぐことはできません。その意味でも、再稼働のための審査は中断すべきです。

みなさん是非署名にご協力ください!この署名は国際的にも取り組まれています

>いますぐ署名してください!
 署名フォーム(PC) http://p.tl/9YXI
 署名フォーム(携帯・PC) http://p.tl/5ime

>団体賛同も募っています→ http://p.tl/I_Pu

>紙版の署名用紙もあります
osensui_kinkyu_kokusai_syomei.pdf」をダウンロード

>拡散してください!海外にも広げてください!
国際版(英語版)はこちら https://fs220.xbit.jp/n362/form2/


********************************

福島第一原発汚染水漏洩・流出事故についての緊急国際署名

原発再稼働・原発輸出どころではありません
命の源である海をこれ以上汚染しないで!

内閣総理大臣 安倍 晋三様
経済産業大臣 茂木 敏充様
原子力規制委員会委員長 田中 俊一様

1.汚染水漏洩・流出事故について、日本政府の責任を明らかにして集中して取り組み、原発再稼働及び原発輸出のための作業を中断すること。
 新規制基準では、汚染水流出は想定外であり、他の原発でも同様の事故は避けられないことから、原発再稼働のための審査は中断すること。

2.海の汚染を防ぐために最大限の努力をすること。タンクの汚染水について、より強固で耐久性の高い方法で貯蔵し漏れを防ぐこと。意図的な放出は絶対に行わないこと。

3.原子力推進機関とは独立な立場にある国内外の専門家により、国際的な叡智を結集して対応にあたること。

4.透明性を確保し、経産省の汚染水処理対策委員会を含む全ての政府関連の会議を公開すること。凍土方式等の対策については、公開の場で早急に再検証を受けること。

5.「状況がコントロールできている」「汚染水の影響は、原発の港湾の中で完全にブロックされている」というIOCの場での安倍首相の発言を撤回すること。

第一次集約 9月25日 第二次集約 10月10日

呼びかけ:グリーン・アクション/国際環境NGO FoE Japan/グリーンピース・ジャパン/おおい原発止めよう裁判の会/美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会)/原子力規制を監視する市民の会/福島老朽原発を考える会(フクロウの会)


◆安部首相のIOCでの事実無根のプレゼンテーション

 安倍首相はIOCのプレゼンテーションで「(汚染水をめぐる)状況はコントロールできている」「汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内で完全にブロックされている」と発言しました。日々汚染水が漏れ出ており、政府の対応が後手後手にまわっていること、汚染水の影響が及ぶ範囲は不明であることが事実であり、安倍首相の発言には根拠はありません。

◆汚染水の深刻な状況:大切な海をこれ以上汚染しないで!

 東電福島第一原発事故による海洋汚染が深刻な状況です。地下水を通じた流出やタンクからの高濃度汚染水の漏洩について、緊急な対応が迫られています。もう一つの重大事故が起きたといってもよいほどです。

 3・11事故で大気中に放出されたストロンチウム90は約140兆ベクレルですが、8月にタンクから漏洩した約300トンの汚染水には約24兆ベクレルのストロンチウム90等のベータ線核種が含まれています。東電は別に、地下水を通じて約10兆ベクレルのストロンチウム90が海に流出したと評価しています。(出典:東電)

 溶けた燃料の冷却水を完全に閉じ込めるための対策は全く目処が立たない状況です。凍土方式が提案されていますが、その実現可能性や有効性にきわめて大きな疑問があります。

 命の源である海をこれ以上汚染してはなりません。国際的に大きな問題です。海の汚染に対して、漁業者は怒りをあらわにしています。

◆原発再稼働・原発輸出どころではありません

 東電に対応能力がないのは明らかです。しかし、日本政府はこの問題に正面から取り組もうとしていません。原子力規制当局は、原発再稼働のための審査に人員を割き、経産省は汚染水対策をゼネコンたちの営業の場として秘密会合を繰り返し、安倍首相は原発輸出のためのトップセールスに飛び回わっています。

 政府は、いまこそ、原子力推進機関から独立な立場にある、国際的な叡智を結集し、海の汚染を防ぐために最大限の努力をすべきです。タンク中の高濃度汚染水を処理して意図的に放出することが検討されていますが、これを絶対に行うべきではありません。

 原発再稼働や原発輸出どころではありません。新規制基準のシビアアクシデント対策では、このような汚染水流出を想定から外しています。新規制基準の適合審査を行っても、福島と同様な汚染水流出事故を防ぐことはできません。

 http://fukurou.txt-nifty.com/fukurou/2013/09/post-0114.html
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国民の命や暮らしよりも五輪の方が大事なのか

2013年09月08日 18時23分53秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
<20年五輪>東京開催が決定 56年ぶり2回目
 【ブエノスアイレス藤野智成】国際オリンピック委員会(IOC)は7日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで総会を開き、2020年夏季五輪・パラリンピックの開催都市に東京を選んだ。東京では1964年以来56年ぶり2回目の五輪開催。72年札幌、98年長野の冬季五輪を含めれば、日本で4回目の五輪開催となる。(毎日新聞)

◆悲願の五輪開催
・ [生中継]2020夏季五輪招致 - 朝日新聞デジタル
・ [映像]【速報】2020年夏季五輪開催都市 東京に決定! - テレビ朝日系(ANN)(9月8日)
・ 20年東京五輪決定!オールジャパン態勢で招致争い制して悲願成就 - デイリースポーツ(9月8日)
・ 朝日新聞オリンピックニュース (asahi_olympics) - Twitter
・ 【号外】夏季五輪、東京に決定! - Yahoo! JAPAN

◇招致成功に喜びの声
・ [映像]安倍総理会見 東京の五輪開催都市決定を受け - テレビ朝日系(ANN)(9月8日)
・ 竹田招致委理事長「この喜び何年も待っていた」 - 読売新聞(9月8日)
・ 猪瀬都知事「オールジャパンで万全の準備」 - 読売新聞(9月8日)
・ 「TOKYO」に号泣の太田雄貴「今まで生きてきた中で一番幸せ」 - スポニチアネックス(9月8日)
 http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/sports/host_city_bids/;_ylt=A8vY6DpwuitS7zEBOtQAAAAA


東京のネックは汚染水…最終プレゼンは万全の理論武装を(サンスポ)

 英国で1886年創業の老舗ブックメーカー「ラドブロークス」によると、2020年五輪開催都市のオッズは東京が1・66倍、マドリードは3・75倍、イスタンブールは4・0倍(4日現在)で東京が大本命という。他の海外ブックメーカーも、ほぼ同じ倍率で東京が独走状態になっている。
 しかし、12年招致でパリ、16年はシカゴといずれも“賭け”では本命とされた都市が続けて敗退しており、東京にとって吉兆とはいいきれない。国際オリンピック委員会(IOC)総会を前に4日に開かれた記者会見では、東京招致委員会の竹田恒和理事長に福島第1原発の汚染水漏れについての質問が集中したという。
 「放射線量レベルはロンドン、ニューヨークなど世界の大都市と同レベルで絶対安全」を強調したが、厳しい質問が続き途中から日本語で対応したほど。外国の記者たちは「一番大事なことを説明していない」「なぜ質問される前に自分から説明しなかったか」「実際に福島で何が起きているのかわからない」と不満を並べた。
 言葉遣いはつくづく難しい。竹田氏は「東京は福島から250キロ離れており、危険性はない」とも話した。しかし、この説明では、やはり汚染水問題に質問が集中しそうな最終プレゼン(日本時間8日未明)の質疑応答で「東京さえ安全ならいいのか」と、意地悪く突っ込む委員もいそうだ。
 東京に五輪がくればこの先、7年間夢を見られる。日本も元気になるだろう。そのためには美辞麗句の演説もさることながら、唯一の不安材料になった汚染水問題の応答に相当知恵を絞り、理論武装して臨む必要がある。「本命は勝てない」のジンクスは、ここで断ち切ってもらいたい。(今村忠)
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/other/682035/


オリンピック記者会見 汚染水漏れの質問続出、海外記者「失望した」(朝日新聞デジタル)

東京、マドリード、イスタンブール(トルコ)が争う2020年夏季五輪の開催地は7日(日本時間8日未明)、ブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会(IOC)総会で、IOC委員約100人の投票で決まる。東京電力福島第一原発の汚染水漏れ事故が、焦点になっている。

汚染水説明理解されず 五輪招致 海外記者「失望した」(1回目の記者会見より)

東京招致委にとって、汚染水事故への海外の厳しい見方は想像以上だった。
「水や食べ物は安全」「住民は普通に生活している」「東京は全く問題になっていない」――。招致委は8月下旬、想定問答を作った。政府が3日、計470億円の対策を発表すると「これで説明できる」と余裕も見せていた。
だが、現地初の記者会見で海外メディアの質問6問のうち4問が汚染水対策に集中し、竹田恒和理事長は答弁に困窮。「厳しい。この説明では納得してもらえないのか」。招致関係者は国内外の温度差を感じた。
会見に出た海外の記者は「失望した」「意図を理解しない答え」と突き放した。東京と福島の距離を強調する姿勢に「東京だけ安全ならいいとも聞こえ、福島の人々への配慮が足りないのではないか」との声もあった。
質問の口火を切った、IOC委員の多くが読む五輪専門サイト「インサイド・ザ・ゲームズ」の英国人記者ダンカン・マッケイ氏は「東京の答えはいつも同じ。(福島との距離)250キロというのはないに等しい。IOC委員を説得できるとは思えない」と語った。「東京の2020年五輪招致は福島の影に」(AFP通信)などと伝えられた。
7日の最終プレゼンまで、東京は汚染水事故への不安の払拭(ふっしょく)に追われる。7日に演説する安倍晋三首相は4日、汚染水問題について「7年後(の2020年)はまったく問題ない、ということをよく説明していきたい」と語った。菅義偉官房長官は5日の記者会見で「政府が前面に出て解決する」と強調した。
東京開催の意義について「復興五輪」を押し出す招致委。最終プレゼンでは冒頭で高円宮妃久子さまが「震災復興支援へのお礼」を述べ、続いて被災地の宮城県気仙沼市出身のパラリンピアン、佐藤真海選手も復興におけるスポーツの力を訴える。だが、ここに来て、復興をアピールすると汚染水問題を想起させる状況になりつつある。
 http://www.huffingtonpost.jp/2013/09/05/olympic_candidate_tokyo_nuclear_polution_n_3877652.html


震災関連死:福島県内で直接死上回る 避難生活疲れで(毎日新聞)

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の被災者の死亡例のうち、福島県内自治体が「震災関連死」と認定した死者数が8月末現在で1539人に上り、地震や津波による直接死者数1599人(県災害対策本部調べ)に迫っていることが、毎日新聞の調査で分かった。少なくとも109人について申請中であることも判明。近く直接死を上回るのは確実だ。
 長引く避難生活で体調が悪化したり、自殺に追い込まれたりするケースがあり、原発事故被害の深刻さが裏付けられた。
 関連死の審査会を設置しているか、今年3月末までに関連死を認定したケースがある福島県内25市町村を調べた。復興庁が公表した3月末の関連死者1383人から5カ月で156人が新たに増えたことになる。
 南相馬市が431人で最も多く、浪江町291人、富岡町190人−−の順だった。年代別では回答が得られた355人のうち、80歳代以上233人(65.6%)▽70歳代79人(22.3%)▽60歳代32人(9.0%)などで高齢者が多かった。
 死因については多くの市町村が「今後の審査に影響する」と回答を避けた。復興庁による昨年3月末のデータを基にした県内734人の原因調査では「避難所などの生活疲労」33.7%▽「避難所などへの移動中の疲労」29.5%▽「病院の機能停止による既往症の悪化」14.5%など。自殺は9人だった。
 宮城県では今年8月末現在で869人、岩手県は413人だった。関連死申請の相談を受けた経験がある馬奈木厳太郎弁護士は「原発事故による避難者数が多い上、将来の見通しも立たずにストレスがたまっている。今後も増える可能性がある」と指摘している。【蓬田正志、田原翔一】
 http://mainichi.jp/select/news/20130908k0000m040107000c.html


どうしんウェブ 北海道新聞 卓上四季 「離れている」

たとえその内容が事実だとしても、「なぜそうなったか」について思いを致さない発言を聞くと、やりきれない気持ちになる▼2020年五輪の東京招致委がブエノスアイレスで開いた記者会見で、竹田恒和氏(日本オリンピック委員会会長)はこう語った。「福島は東京から250キロ離れており、危険性は東京にない」▼福島第1原発の汚染水漏れを懸念する海外メディアの質問に答えた。確かに事故現場と東京は接していない。「(東京の)放射線量はロンドン、パリなどと同レベル」というのも現時点ではそうなのだろう▼だがなぜ、東京で暮らす人たちの電力需要に応える東京電力の原発が、“離れた”福島の地にあるのか、いまなお15万人が故郷を追われたままなのか。34年前、浪江町の農家は訴えていた。「原発が安全なら、どこか賛成している所に造ればいい。わが家の前に造ることだけはごめんだ」(朝日新聞いわき支局編「原発の現場」朝日ソノラマ)▼「離れているから安全」と言う人は原発を押しつけられた側を踏んづけている。被災地から心が“離れている”。各国のメディアが抱いているのは、「事故収束はいつになるのか」「汚染は拡大しないのか」という疑問、懸念だろう▼7年後は“遠く離れた”未来ではない。東京開催が決まったとして、世界中の選手が歓迎してくれるだろうか。心もとない。2013・9・6
 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/490067.html
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