アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
 「プレカリアート」という言葉の意味は→こちらを参照。
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転載拡散のお願い/相次ぐ福島補償打ち切り

2013年08月05日 20時55分42秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
※急遽予定を変更して、マイミクさんから拡散依頼のあった記事を以下転載します。併せて、経営陣や労働貴族も、そうではない一般労働者も、全て東電社員として十把一絡げに見做しがちだった事についても、これを機に反省したいと思います。
 

みなさんにお願いがあります。
この情報をみなさんの力で拡散願います。

本日、今も福島原発で働く東電社員と懇談してきました。
驚愕の事実が分かりました。

東電社員及び家族の補償の打ち切りが決まったそうです。
昨日説明会があったそうです。
説明会は紛糾し、会社からは異議があれば裁判を起こせばいいだろうと言われたそうです。
また、説明会の資料は外部に絶対に公表しないように言われたそうです。
福島原発で働く社員の多くは警戒区域に住まいがありました。
いわば町の人間なのです。
補償の打ち切りの理由は、借り上げ住宅が借りられたのだから
精神的苦痛はないとのことでした。
彼らは住まいを奪われ、家族を失いながらも、あの震災当日に命を削りながら働いた人間達です。
そして、これからの福島原発の収束を支えていく人間でもあります。

10月に家族分については補償すると約束したのは東京電力です。
しかし、2ヵ月もしないで反故にしたのです。
彼らも被災者であることは明白です。
いうなれば被災者への侮辱になるのです。

私の友人は本気で会社を辞めると言っていました。
怒りよりも悲しいと・・・・
何の為に今まで頑張ってきたのか分からないと
自分はまだしも家族まで補償されないことがつらいそうで、離婚をしてなんとか家族だけでも救えないかとも考えていました。
彼らは原発設備のプロです。彼らの尽力なくして原発の収束はありません。
想像してください。やる気もなく、会社に恨みのある人間が原発を扱うことを。
彼らは原発をメルトダウンさせることもできてしまうくらいの知識はあります。

私が恐れていた事態が起きてしまいました。
東京電力に断固抗議します。

また、広野独身寮(通称Jビレッジ寮)を東京電力は仮設住宅並みの設備を整えていると言っています。
うそです。スーパーハウスを安っぽくしたプレハブ寮です。
風呂もシャワーしかありません。トイレは仮設トイレです。車の持ち込みも禁止。
人間が暮らす最低限度しか整っていません。
そこに友人が何十人といます。
今日あった友人は顔つきが依然の顔とはかけ離れていました。

そして皆が命を張った結果がこれかと、なかば頭がおかしくなっています。
東京電力社員で高給与なのは、上の人間だけです。
原発は地方採用の人間(高校卒)がおもです。
30代で400万ほどの年収です。
命を削り、人間的生活ができず、会社の上層部の判断により起きた原発事故で
生活を失しなった人達が、これしかもらえてないのです。

こういった人間が何百人もあの福島原発にいるのです。
彼らが辞めたら、原発の知識も薄い人間が福島原発を収束していくことになります。

改めて、東京電力という会社の暗部を知ったしだいです。

彼らは給与という足かせにより、強制労働させられているといっても過言ではないでしょう

私は今までの投稿で拡散希望など書いたことはありません。
しかし、今回の件については怒りを禁じえません。
お願いです。彼らを救うきっかけになる可能性を信じ拡散願います。
断言します。近い将来このままでは福島原発は最悪の結果が訪れます。
社員を守らない会社に未来はありません。
会社が社員をかえりみず、会社の存続だけを考え、最低責任である補償すら果たさないのであれば、それは破滅を加速するだけです。

もう一度言います。
東京電力は命をかけた人間に、いやなら裁判を起こせと言いました。
これ脅しですよね。

友人はそれでも「頑張る」と言いました。
私は悲しくなりました。
「頑張らなくていいよ」と言いました。
とても切ないです。

たった2年でこれです。あと東電試算でも廃炉までに35年かかります。
どうかよろしくお願いいたします。
みなさんのお力を貸してください。

福島原発で働く人より。

============================
福島大学学生さん:
うちの大学は今年度前期まで学費免除の被災者枠がありました。
しかし予算が足りないせいか、後期にその枠はないようです…。
福島大学はほとんどの学生が東北出身です。
実害的な被害はなくとも、震災の波及で仕事を失った両親が居たりしてもおかしくありません。
他の被災地の学校はどうだかわかりませんが、そういう所にももっと大学側が力を入れられるように予算配分をして欲しいなと思います。
放射能や震災と原発事故で破壊されたコミュニティの研究など、うちの大学がやらなければならないことはたくさんあります。
必要なのは当事者意識の強い現地の学生の力です。
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不当逮捕の真実と警察発表受け売り記事の好対照

2013年01月28日 22時15分27秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
学生のみなさんへ(モジモジ先生の抗議文。みたいな。)

2013年1月25日
阪南大学経済学部准教授 下地 真樹

■はじめに

 昨年12月9日に逮捕され、20日間拘留の末に12月28日に釈放されました下地です。

 皆さんへの報告が遅くなりましたこと、たいへん申し訳ありません。報告が遅くなった理由はいくつかあるのですが、一つの大きな理由は、「この出来事をどう説明したら、皆さんに理解してもらえるか」ということです。おそらく、このメールを読むほとんどの皆さんの生活実感からすると、「そんなことが本当に日本で起こるの?」というびっくりするような話です。だから、なかなか信じてもらえないかもしれません。あるいは、その意味するところが、どうにもピンとこないかもしれません。

 しかし、結局のところ、私は私が信じているとおりのことを正直に書くしかありません。私がここに書くことは、紛れもなく私の身に起きた出来事です。信じられない、疑問があるという人は、どうぞ私に個人的に質問してもらっても構いません。

 それでは、書き出すことにします。

■私が逮捕された理由

 昨年の12月9日の朝、私は自宅で逮捕されました。ドアのベルが鳴り、妻が外を覗くと、そこに7人の警察官がいました。すぐにドアを開けると、そのうちの一人が逮捕状を取り出し、仰々しく読み上げました。なんでも、10月17日にJR大阪駅前で街頭アピールをしたことが「不退去」「威力業務妨害」という罪になるんだそうです。

 身に覚えのないことであったし、起きたばかりで寝ぼけていたので、逮捕状を手にとって確認させるよう要求しました(皆さんも覚えておいてください。逮捕状を手にとって直接確認することは正当な権利です。警察官は絶対教えてくれませんが)。逮捕状には「被疑事実」、つまり犯罪とされた事実がどういうものか書かれているのですが、これを読んだ瞬間、思わず笑ってしまいました。なぜ笑ってしまったかというと、そこにはまったくの嘘が書かれていたからです。

 なぜ大阪府警が嘘をついてまで私を逮捕しようとするのか。皆さんは不思議に思うかもしれません。その理由の少なくとも一つはこうです、私は大阪府警の警察官が市民の路上活動(街頭でマイクで話したり、歌を歌ったり、ビラを配ったりすること)に対して違法な介入をすることに抗議し、やめさせてきました。デモの現場で嘘の口実を作ってデモの参加者を違法に逮捕したことにも強く抗議してきました。つまり、私は違法行為を行う悪い警察官たちにとっては不都合な人物なのです。ですから、こうして逮捕される可能性もあるかなあと思っていました。

 たったそれだけのことで、警察が嘘をついて一般市民を逮捕するものなのか。これについても皆さんはすぐには信じられないかもしれません。しかし、私が逮捕されたということは、まさに、そういうことなのです。私自身が10月17日に何をしていたのかについては、少なくとも逮捕状に書かれたことが大嘘であると即座にわかる程度には覚えています。ですから、少なくとも私にとっては、警察は嘘ついてでも不都合な人間は逮捕する、このことはハッキリ証明されたわけです。

 もう一つ、ついでに申し上げておきます。私は「震災がれきの広域処理」に反対する市民運動に関わってきました。この政策は「被災地の復興のために必要だから」ということで強引に進められていますが、実際には、被災地支援を口実にした無駄遣いであり、一部の人々の金儲けのために行われているだけの酷い政策である、私はそう主張してきました。政府が進めたいと考えている政策を批判する人物として、政府にとって不都合な人間であるとみなされた、もしかするそういう事情もあったのかもしれません。もし、本当にこうしたことが関係しているとするならば、この国の政府は、市民に対してまっとうな説明をすることを放棄し、警察を使って暴力を使ってでも黙らせればよい、そう考えていることになります。これは大変に怖いことです。

■警察は堂々と嘘をつき、それで通用してきた

 警察がついた嘘について、要点だけを整理しておきます。警察は、私が「駅員の再三にわたる制止を無視して、駅の敷地内で集会を行い、駅の構内で隊列を作って無届けデモを行った」かのように言っています。しかし、実際には、私は駅の敷地の外でマイクを持って話しただけですし、その際、駅員から制止されたという事実もありません。そもそも、駅の敷地外の公道で話しているだけの私の行動を制止する権限など駅員にはありません。また、その後の移動に際しても、私はトートバッグを肩からかけて駅の中を歩いて通過しただけであり、隊列どころか、ほぼ一人で歩いていただけです。ここでも駅員から何かを強く制止されたなどということはありません。

 こんなことは、大阪駅のあちこちにある監視カメラの映像を見れば簡単に確認できることです。にもかかわらず、「駅の構内の動画には映っていない」と嘘をつき、動画を出さずにすませているわけです。ですから、今回の逮捕は「なにかのまちがい」ですらなく、ハッキリと悪意を持ってつかれた嘘である。これが私にとっての真実であり、かつ、大阪府警が「それは違う」と言うなら、実際に駅の動画を出せばいいだけの話です。しかし、今のところ、彼らはそれを隠したままです。

 これは「特別公務員職権濫用罪」というれっきとした犯罪です。ここまでの私の話を読んで少しは信じるつもりになってくれた人は、逆に「それにしても、よくもそんなデタラメを言うものだ、すぐにバレるんじゃないか」と思ったかもしれません。しかし、残念ながら、これほどの見え透いた嘘でも、そう簡単にはばれません。より正確に言えば、ばれても大した問題になりません。なぜなら、世の中のほとんどの人はそんな酷いことが起きているなどとは知らないからです。

 人々の関心の薄い目立たないところでは、警察がどれほど見え透いた嘘をついても、警察は嘘の証拠を作ることもできますし、また、都合の悪い証拠を隠すこともできます。すると、こうした警察の主張は、少なくともある程度の真実らしさを印象付けることができます。検察官は、そうした警察の意向を最大限に擁護しますし、裁判所もまた、有罪判決を下すのにほとんどためらいを持ちません。

 ですから、彼らは絶対の自信をもって、堂々と、100%の嘘をついて私を逮捕したのです。普段なら、それで通用してきたからです。たまたま今回は、警察にとって予想外のことが幾つか重なり、そうならなかったというだけのことです。

■警察の嘘が通用してしまう背景

 どうしてこんなおかしなことがまかりとおるのでしょうか。検察官にとって、自分が担当した公判で無罪判決が出ることは、敗北と受け止められることなのだそうです。そして、こうした検察文化を背景に、裁判官も無罪判決を書くことを躊躇します。それは検察官のメンツを潰すことになるからです。

 実際、私が逮捕された後、その後も勾留を続けるかどうかを決める際に、私の面接をした裁判官は勾留請求を却下しました。つまり、12月10日には、一度「下地を釈放せよ」との決定を下したのです。勾留却下を決定したのは、私の逮捕を許可したのと同じ裁判官でした。警察の言い分だけで身柄の拘束を許可した裁判官は、私の言い分を聞いた上で、拘束の必要なしと判断を変えたのです。

 その後、この決定を不服とした検察官が準抗告(裁判所の決定に不服であるとの申し立てのこと)を行い、この決定は覆され、私は勾留されることになりました。決定をしたのは、私の話は一秒も聞いていない別の裁判官です。後に開かれた勾留理由開示公判でこの裁判官の言い分を聞きましたが、警察の言い分はまったく疑わずに鵜呑みにしたというだけのものでした。要するに逮捕状まで取って逮捕した警察と検察のメンツを立てただけなのです。

 本来大事なことは、その人が本当に悪いことをしたかどうかのはずであり、そうであるならば、本当に悪いことをしていない人が無罪になるのは、むしろ喜ばしいことのはずでしょう。「無罪=敗北」と捉える検察文化は、どこか狂ったものであると言わざるを得ません。さらに、そうした検察のメンツを立てようとする裁判官のふるまいによって、逮捕・勾留という重大な人権の制約がいとも簡単に許可されてしまう。有罪判決がでてしまう。統計によれば、検察から裁判所に逮捕や勾留の請求がなされると、99.9%が許可されてしまうのだそうです。さらに、一旦起訴されてしまうと、裁判の結果で有罪になる確率も99.9%なのだそうです。こんな異常な国は日本以外にありません。

 ですから、大阪府警は、私のことを簡単に逮捕できるし、起訴もできるし、有罪にもできる。そう考えたのだろうと思います。

■警察の嘘に対抗する力

 何とも恐ろしい暗黒裁判ですが、こんな酷い状況に対抗しうる方法が一つだけあります。それは、多くの市民の関心をこのような刑事司法の酷い現状に引きつけることです。今回の私の逮捕に対しては、これまで一緒に活動してきた仲間だけでなく、これまで会ったこともない人間までもが「こんなメチャクチャなことが許されたら大変なことになる」と抗議の声をあげてくれました。70人の憲法学者たちの声明、東京で首相官邸前のデモを見守っている弁護士の方々の声明、大学人を中心とした100人あまりの方々の呼びかけによる10000人近い署名などなど、世界的に著名な反核活動家であるヘレン・カルディコット氏やドイツ放射線防護協会のプフルークバイル博士など、海外の著名人からも声明が届きました。

 市民の関心が集まっている時、国家権力と言えどもあまりに無茶なことはしにくくなります。国家権力とは、多くの人々がその行使を「正当である」と認めているかぎりにおいて成り立つ力です。ゆえに、あまりに無法不当なことをしていると、人々の信任を失い、人々が国家権力のいうことに従わなくなってしまいます。ですから、国家が悪事を働くときには「出来るだけ人に知られないように」行うものなのです。今回のように人々の関心が集まってしまった場合は、これ以上無茶を続けると批判に耐えられないと考えるならば、それ以上の無茶はできなくなる。そういう綱引きのようなバランスがあるのです。

その結果、とりあえずのところ、今回は私を起訴することはできませんでした。元々が大嘘をついての逮捕であり、つまりは警察はそこまでして私の行動を止めたいと考えたのであるから、中身がデタラメでも100%起訴はするだろうと私は考えていました。それがされなかったというのは、それだけ人々の批判が大きくなったことを無視できなくなった結果だと思います。とてもラッキーでした。

 もう一つ重要なことに注意を喚起しておきたいと思います。今回の私の逮捕については、事実関係がはっきりしない段階で、つまり、警察発表が事実かどうかがはっきりしない段階で多くの人が抗議し始めたということです。これは言い換えれば、「事実が警察発表の通りだったとしても逮捕・勾留は不当だ」と考えた人々がそれだけいたということです。私もそう思います。警察・検察は、どの事件を捜査するのか、どの事件を起訴するのかについて、絶対的な権限を有しています。社会の安全を破壊する本当に重大な事件を放置して、警察を批判したり政府の政策に反対する市民を狙って職権を行使するのであれば、それこそが社会の安全を破壊する行為でしょう。その上、私は警察発表程度のことすら実際にはしていなかったのですから、今回の警察と検察のしでかしたことには、一欠片の正しさも含まれていないとしか言いようがありません。

■不正がまかり通ることは逮捕されることより恐ろしい

 それにしても国家権力というものは恐ろしいものです。嘘だらけでも、簡単に逮捕して20日間も閉じ込めてしまうことができるのですから。そして逮捕されれば、メディアは警察発表をそのまま垂れ流し、世の中の多くの人は「ここまで書かれるからには、きっとなにか逮捕されるようなことをしたのだろう」と簡単に信じます。逆に、不当に逮捕された人の言い分が報道されることは滅多にありません。

 20日も勾留されいつ釈放されるかもわからないとなれば、囚われている間に仕事や住居を失うことにすらなりかねません。逮捕されるだけでも、大抵の人にはとてつもない社会的なダメージを負わされるのです。加えて、起訴されれば、大学の規定上は私は休職扱いになり、講義の担当もできません。有罪判決を受ければ、やはり規定上は懲戒免職になることになっています。こうして、実際に何をしたかに関係なく、警察の恣意的な職権の行使によって、ひとりの人間の人生を破壊することすらできるわけです。

 これほど強大な権力の行使を任されているからには、その力の大きさに見あった理性や知性が求められるはずです。誤って行使すれば大変な人権侵害を引き起こしてしまうことを恐れ、過ちに気づいたならば、すぐさま身を正すべきでしょう。しかし、警察という組織は、自分たちの不正行為を反省して改めるよりも、その不正に抗議する市民の人生を破壊してでも邪魔者を消す、そういう選択肢の方を選んだ、ということなのです。これはとても残念なことであり、また、とても怖いことです。

 しかし、だからこそ、警察であれ、他の誰であれ、その行うことがおかしいと思うならば「おかしい」と言うべきだし、また、そういうことが言える世の中でなければならないと思います。私はむしろ、このようなひどい状況であっても誰も文句も言わず、このまま事態が悪化して行くことの方が怖いと思います。そうでないと、状況はどんどん悪くなる。「そんなまさか」と思うかもしれません。しかし、近年日本で起きている政治活動に対する過度の介入は、年々エスカレートしています。今回は運良く20日間の勾留で済みましたが、このまま行けば、「そんなまさか」と言っている間に、同じようなことで20年も刑務所に入れられてしまうような、そんな世の中になってしまうかもしれません。

■これからのこと

 昨年暮れの12月28日、私は釈放されました。直前まできっと起訴されるだろうと思っていたので少し拍子抜けしましたが、ともかく起訴されず、釈放となりました。しかし、完全に不起訴が決まったわけではなく、正式には「処分保留」となっています。処分保留とは、「当面起訴しないが、後からするかもしれないよ」ということです。元々がデタラメなのですから、処分保留などと中途半端なことをせず、「早く不起訴を決定せよ」と求めていくことが必要です。

 また、私は起訴されていませんが、私と同じ案件で逮捕された三人のうちの一人だけは、起訴されてしまいました。逮捕状まで取って仰々しく逮捕したのに、全員不起訴にするわけにはいかない、そういうくだらないメンツのために起訴したのだとしか考えられません。この一人の方についても、公訴取り下げないし裁判での無罪を勝ち取るために協力していくつもりです。

 刑事司法のデタラメをやめさせるために、どうしたらいいのか。ここまでで散々述べてきたように、警察も検察も信用できません。さらに酷いことに、裁判所も当てにならないわけです。人々の関心が高まり、「下手な決定を下せば裁判所が批判されるぞ」という状況になれば、道が開ける可能性があります。私は考える力とそれを言葉にする力だけを使って、この歪んだしくみと闘いたいと考えています。

■学生のみなさんへ

 学生のみなさんの中には、将来警察官になりたいと考えて日々努力している学生さんもいるかもしれません。そういう方は、この文章を読んで大きなショックをうけたかもしれません。私が実際に教えた学生の中にも、大阪府警に採用されて働いている人がいます。このような形で警察を批判せねばならないことは、私にとってもとても悲しいことです。

 しかし、一方で、将来のある若者たちが、このような卑劣で不当な仕事に加担させられていくことを知って、そのことを黙っているわけにはいかないとも思います。なぜなら、このような卑劣で不当な仕事に加担させられていくこと自体が、その人にとっての不幸だからです。

 自らの仕事の意味を直視するならば、そこには加害者としての苦しみがあるでしょう。その苦しみを避けるために考えることをやめる、たとえば「これが自分の仕事だから仕方ない」と開き直って生きていくならば、そのような人生は、誰に対しても恥じることはないという確信、自分の存在に対する絶対的な自信、そのような気持ちで生きるという幸せを永遠に失うことになるからです。

 さて、最後に、私から学生のみなさんへのお願いがあります。それは、私がここに書いた話を、できるだけ多くの人に伝えて欲しいということです。このブログのアドレスを知らせるのでもいいし、この文章を印刷して渡すのでもいいし、あなたの言葉で語りなおすのでもかまいません。世の中はほっておいてもうまくいくものではありません。一人ひとりの無関心の影で、とてつもなく卑劣で酷いことが行われているのが世の中です。

 逆に言えば、一人ひとりが関心を寄せる、ただそのことだけで良くなることがいくらでもあります。関心を寄せ、知ったことを次の誰かに伝える。そのために少しだけ力を貸していただけたらとてもありがたいと思っています。

 ここまで長々と読んでくれて、ありがとう。また発信します。

 http://mojimojiinjail.tumblr.com/post/41398465265


「がれき反対」無許可デモで大阪駅業務妨害 阪南大准教授ら逮捕(産経新聞)
 2012.12.9 17:03 [westナビ]

 東日本大震災で発生したがれきの受け入れに抗議するデモ行進をJR大阪駅構内で無断で行い、駅側の警告に応じなかったとして、大阪府警警備部などは9日、威力業務妨害と不退去の容疑で、阪南大准教授の下地真樹容疑者(40)=大阪市西区新町=ら2人を逮捕した。下地容疑者は黙秘しているという。
 府警によると、下地容疑者らはハンドマイクを手に演説をしながら約40人の参加者を先導。構内を約250メートルにわたり行進した。
 逮捕容疑は10月17日午後2時40分ごろから約1時間半にわたり、JR大阪駅(大阪市北区)で「がれき反対」とシュプレヒコールを上げながら練り歩いたり、ビラを配布したりして駅側の業務を妨害したとしている。

 http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121209/waf12120917040015-n1.htm

※三面記事扱いの「できごと」欄に、府警の言い分だけを聞いて記事を書く。これじゃあ、とても「社会の木鐸」とは言えません。大阪府警の発表をそのまま聞いているのと何ら変わりなし。そんな記事しか書けない新聞に、わざわざ購読料払ってまで読む必要ありません。新聞としての存在価値なし。
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下地真樹准教授の不当逮捕に抗議する

2012年12月16日 13時44分53秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
20121215 モジモジ先生他二名の逮捕についての声明文 & 現場検証


 告知が遅れましたが、標記の件について賛同を募ります。まずは下記の呼びかけ文から。

(転載開始)
 12月9日、阪南大学経済学部の下地真樹准教授が、大阪府警によって逮捕されました。この逮捕は、形式上も内容上も大変不当なものであり、市民の活動に対する明らかな弾圧です。
 下地准教授らは、震災がれきに含まれる放射性物質やアスベストなど、本来焼却してはいけない有害物質を全国に拡げて焼却・埋立しようとする「震災がれき広域処理」政策に反対していました。大阪市は2月から焼却・埋立を開始しようとしています。

 逮捕の経緯は次のようなものです。
 10月17日、大阪市の震災がれき試験焼却に反対する市民有志(下地准教授含む)は、午後3時 、大阪駅・東北角の歩道上に集まり、大阪市役所にむけて三々五々歩いて移動しました。その際に、大阪駅構内の東コンコースを北から南へ通り抜けており、この行為を根拠に逮捕されたようです。逮捕容疑は「鉄道営業法違反」「威力業務妨害」「不退去」です。
 しかし、「駅構内を通り抜けた」行為が行われたのは2か月近くも前のことであり、今になって逮捕するというのは非常に不自然です。意図的な市民活動への弾圧であると考えざるを得ません。

 下地准教授ら市民有志は、小さな子どもを持つお母さんたち、とりわけ福島・東北・関東から関西に避難移住して来られた人たちの不安な気持ちに寄り添い、放射能汚染の拡散を阻止するために活動をされてきました。福島原発事故は、膨大な人々の心身の健康と財産に被害を及ぼしました。適切な安全対策を行わず原発の運転を強行し続けた国と電力会社・原発メーカーなどの責任こそが問われなければならないはずです。

 ところが、これら放射能を拡散させた国や企業の刑事責任は一切問われないままに、今回のように、放射能汚染の拡散に反対して声を上げることが刑事弾圧の対象にされているのです。このようなことは決して許されることではありません。既に大阪だけでも震災がれきの広域処理に反対した市民5名が逮捕され、長期にわたって拘留され、起訴されている人もいます。

 私たちは、今回の不当逮捕に対し、厳重に抗議すると共に、即時釈放と謝罪を求めます。

2012年12月10日 放射能拡散に反対する市民を支援する会
(転載終了)
 http://keepcivicactivity.jimdo.com/


 「11.13弾圧救援会」のサイトに公開された下地准教授ご本人からの以下のメッセージも合わせて掲載します。

(転載開始)
 逮捕状の被疑事実は、すべて、事実ではありません。当日現場にいた公安の警察官もすべてを見ていたはずなのに、堂々と事実と異なる被疑事実に基づいて逮捕を行ったことに、とても驚いています。
 なぜ警察がウソをついてまで私を逮捕するのか。それは私が、原発の再稼働に反対し、放射能の拡散に反対する市民運動に参加してきたからであり、とりわけ、運動の中で出会った警察の不正行為についても厳しく批判してきたからです。悪いことはなにもしていません。

 いま、私たちが暮らす日本は、そして世界は、危機的な状況にあります。福島の原発事故はいまだ収束せず、4号機の使用済み核燃料プールが倒壊すれば、日本だけでなく、世界が終わると言っても過言ではない大惨禍をもたらすことになるでしょう。放射能汚染への対応もまったくできておらず、食品その他の流通を通じて、汚染は拡大しつつあります。そんな中、「電気が足りない」とうそぶき、原発を使い続けようとしているのです。すべてが狂っているとしか言いようがありません。

 この半年か1年の間に、政府がどのような施策を行うか、それによって私たちの未来は大きく変わるでしょう。日々、学生たちの顔を見ながら思います。二十歳そこそこの彼らが私と同じ四十歳になる頃、どんな世界に暮らすことになるのかと。そのたびに、今回の原発事故を防げなかったこと、先輩世代として申し訳なく思います。彼らには罪はないのですから。せめて、少しでもマシな世界を残せるよう、微力を尽くしたいと思っています。事故はすでに起きてしまいましたから、時間はあまり残されていません。しかし、希望はあります。

 私は、いま、動くことができなくなりました。でも、諦めてはいません。こうして、私の声を外に届けることもできます。そして、もっと多くのみなさんが行動してくれれば、声をあげてくれれば、きっとまだ間に合います。
 私はとりわけ、私と同じように大学で教えている人、医師や科学者などなんらかの意味で専門家と呼ばれている人たちに呼びかけたいと思います。「無知で冷静さを欠いている」かのように見える市民にこそ学んで下さい。その声が無視され、軽んじられている人のために語って下さい。

 真実は、批判と応答を通じて初めて、姿を現します。政府をはじめとする権威が語ることではなく、その反対側に立ち、権威に対して反問することを通じて真実が明らかになるように行動して下さい。まちがってもいいのです。常に弱い側に立ち、その軽んじられる言葉や存在を擁護し、自らが仮にまちがうとしても、逆説的に、権威との言説の応酬の中で真実が明らかになるように、語って下さい。あなたの専門分野が何であるかは、関係がありません。勇気をもって下さい。

 最後に、私がもっとも深く関わってきた震災がれきの問題について述べます。大阪市は11月末に試験焼却を強行し、来年2月の本焼却開始に向けて着々と準備を進めています。
何度もあちこちで述べてきましたように、震災がれきの広域処理は誰のためにもなりません。それは被災地支援どころか復興予算の横取りであり、かえって復興の足を引っぱります。同時に、放射能をばらまき、かつ、汚染地の人々に放射能を受忍させ、加害者である東京電力の責任を軽減するものです。代償は、私たちの、子どもたちの、そして、これから生まれてくる子どもたちの命です。こんなデタラメな施策が許されていいはずがありません。絶対に止めなければなりません。これまでともに学び、取り組んできたみなさん、諦めずに戦ってください。また、これまで震災がれき問題について知らなかったみなさん、是非、今からでも知って力を貸して下さい。これは、私たちの未来そのものを守るための戦いです。

 私はいつ出られるかわかりません。でも、いつかきっと出られます。姿は見えなくても、心はともにあります。この間、不当に逮捕されている他の仲間たちもきっと同じ気持ちです。みなさんに会える日をたのしみにしています。

 2012.12.12 下地真樹
(転載終了)
 http://blog.goo.ne.jp/garekitaiho1113/e/79c68fd4e86da4ec02b2e01a5188052b


 そして、白を黒と言いくるめる「権力のイヌ」産経新聞の下記記事も、「情報操作・フレームアップの見本」として敢えて紹介します。(1)何故1ヶ月以上も経ってから、(2)ただハンドマイクで呼びかけながらコンコースを横切っただけで逮捕されたのか、(3)それ以前に、そもそも何故「がれき反対」なのか・・・そういう諸々の疑問には一切答えず、「業務妨害」とする駅側の言い分のみ垂れ流す。私はこの「駅側の言い分」自体も、後で警察に言わされたものだと思っています。これを読んでフレームアップの手口を見抜く目を養いましょう。

(転載開始)
「がれき反対」無許可デモで大阪駅業務妨害 阪南大准教授ら逮捕
 2012.12.9 17:03 [westナビ]

 東日本大震災で発生したがれきの受け入れに抗議するデモ行進をJR大阪駅構内で無断で行い、駅側の警告に応じなかったとして、大阪府警警備部などは9日、威力業務妨害と不退去の容疑で、阪南大准教授の下地真樹容疑者(40)=大阪市西区新町=ら2人を逮捕した。下地容疑者は黙秘しているという。
 府警によると、下地容疑者らはハンドマイクを手に演説をしながら約40人の参加者を先導。構内を約250メートルにわたり行進した。
 逮捕容疑は10月17日午後2時40分ごろから約1時間半にわたり、JR大阪駅(大阪市北区)で「がれき反対」とシュプレヒコールを上げながら練り歩いたり、ビラを配布したりして駅側の業務を妨害したとしている。
(転載終了)
 http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121209/waf12120917040015-n1.htm
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これで果たして民主国家と言えるのか?

2012年10月11日 22時09分29秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 またまたブログ更新の間が開いてしまいました。日々思う所は色々あれど、どう書こうか踏ん切りつかぬまま、ついつい雑事にかまけてタイミングを逃してしまう。その繰り返しです。申し訳ない。またボチボチと無理のない範囲で書いて行こうと思っています。まずはOurPlanetTVニュースから転載。
 名前こそ原子力安全・保安院から規制委員会と変わったものの、実際は今まで以上に原発推進の下請け機関に成り下がってしまいました。先週金曜日の関電本社前での「転び公妨」逮捕も、この流れの中で起こった事でしょう。正に「臭いモノに蓋」「知らしむべからず、依らしむべし」で。それに対しては、まずは転載でも何でも良いから、真相を探り声を上げる事から始めねば。

原子力規制委員会~公安警察に委員会監視を要請


(転載開始)
原子力規制委員会~公安警察に委員会監視を要請(OurPlanetTV)

 先月9月19日に発足した原子力規制委員会が、委員会の傍聴者やメディアを監視するために、警察を要請していたことが10日わかった。
 委員会の傍聴者やメディアを監視していたのは、麻布警察署から来たと名乗る公安警察。原子力委員会が開催される13階会議室の一番後壁の出口付近に待機し、取材に来ているメディアや傍聴者を確認しては逐一メモをし、時折、廊下に出て無線で内容を報告していた。
委員会10分ほど前に、傍聴者の数人が警察が監視していることに気づき、「あなたは誰ですか?何をしているのですか?」と詰め寄ったところ、「規制庁の要請で来ている。それ以上、話す必要もない」と回答。OurPlanetTVに対して、撮影をやめるように声を荒げた。市民は「何のための警戒なのか」「一般市民の知る権利を侵害してる」と廊下まで出るように求めたが、警察は「自信を持って仕事をしている」と応酬し、一時、押し問答となった。
 委員会の監視に警察を要請していたことに関して、原子力規制委員会の田中俊一委員長は会見で、「委員会で声を聞くまでは、全然知りませんでした」と回答。
 原子力規制庁の森本英香次長は「庁舎内の秩序維持という観点から、警察署に対して警備を依頼しているのは事実」とし、制服を着用しない公安警察である理由については、「制服で入っていただくことが、むしろ威圧を与えるようなことを、僕の直感的にはそう思いますので、そういうことがないように、最低限の警備という形で取り組んでいくのがいい」と説明した。
 傍聴者の監視問題では今年7月、当時の原子力・安全保安院が、関西電力大飯原発(福井県)の断層調査をめぐる専門家会議の傍聴希望者の情報を警察に提供した可能性が指摘され、その後、保安院の森山善範原子力災害対策監が記者会見で、警察から詳細な説明を差し控えるよう要請を受けたことを明らかにした経緯がある。しかし、会議室内部に警察が入り、市民を監視した例はなかった。
 森本次長は「保安院の時にどうだったのかは、知らないが、規制委員会はじまって試行錯誤している状態で平穏な会議の維持ができれば柔軟に対応したい」と話した。
 「日本の公安警察」の著者でジャーナリストの青木理さんは、「規制庁が警察に警備を要請し、公安警察が情報を収集しているとしたら気持ち悪い話だ。規制庁のモラルが問われる。規制庁のトップが、池田克彦元警視総監であることとも関係がある可能性が高いのではないか」と指摘している。
 今回のように、市民やメディアの「知る権利」を侵害したケースとして、2002年に当時の防衛庁が、情報公開請求した市民の身元を本人に内緒で調査しリスト化していた例がある。毎日新聞のスクープによって発覚した後、防衛庁は調査を行い、官房長と文書課長が更迭され、事務次官ら計29人が減給処分。長官は給与20%2カ月分自主返納した。毎日新聞はこの記事で、2002年度の新聞協会賞を受賞している。安心して政策決定プロセスを傍聴出来るという民主主義の根幹を揺るがす今回のケースは、防衛庁と同程度か、それ以上に大きな問題をはらんでいる。
(転載終了)  
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反原連のネトウヨ・封建オヤジ体質

2012年08月25日 07時10分34秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 反原連(首都圏反原発連合)が毎週金曜日に首相官邸前で行ってきた反原発デモ。大飯原発再稼働反対に的を絞った素人同然のデモが、当初の数百人から今や十数万人を集めるまでに成長し、とうとう野田首相と会見を行うまでになった。その一方で、日の丸を黙認しながら労働組合の旗は下せと言ったり、デモ参加者から逮捕者が出ても選り好みしてまともに救援に取り組まなかったりなど、反原連幹部の恣意的な発言や行動も目につくようになった。
 http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/6e7e93070f2f2581a2d2058a224ae295
 http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/ed24283659f9fadcd0cf46e381ef0b2d
 そんな折り、「週刊ポスト」8月31日号に反原連幹部の一人Misao Redwolf(ミサオ・レッドウルフ)氏の単独インタビュー記事が載った。自由報道協会代表の上杉隆氏によるインタビュー記事だが、その内容を見て驚いた。記事の中で展開されているミサオ氏の価値観が、まるでネトウヨや橋下・石原のそれと瓜二つだったからだ。主張こそ、前者の反(脱)原発に対して後者は新自由主義者や右翼で原発・核武装にも賛成(容認)と違うものの、その論理展開の仕方が余りにも似通っている事に今更ながら呆然とした。以下、記事の中から幾つか特徴的な箇所を抜き書きする。文中の「上」が上杉隆氏、「M」がミサオ氏の発言である。

小見出し:「政権打倒が目的じゃない」

上:「再稼働反対」のシングルイシューに限定したことが大きい。原発推進の学者さんや東電の中にだって、今回の再稼働に反対という人はいるし、大飯が止まればゴールだから、運動そのものが自己目的化してしまうこともない。

M:参加者のなかには福島からの避難者のこととか、子供たちの被曝のこととか、自分たちのイシューをかぶせようとする人もいます。私も被曝の問題は重大だと思ってますけど、まず大飯の再稼働を止めることで、大きな風穴を開けたい。
 「野田政権打倒」を掲げる人たちもいるけど、私たちはそれが目的ではない。代替案として誰々を首相にしろと、そこまでいえるのなら具体性が出てくるけど、具体的なイシューがないと焦点がぼやけてきて、運動に酔うだけの人が増える気がする。だって内閣を打倒して運動が収束して、いざ他の内閣になったら、もっと原発が悪いことになる可能性だってあるじゃないですか。

(私の感想)
 全く以て意味不明。原発推進の御用学者や東電幹部の中に、再稼働に反対の人が一体どれだけいるのか?大飯が止まればそれで良いのか?そんな理屈で行けば、菅前首相が浜岡を停止した時点で、反原発運動は使命を終えた事になってしまう。福島の惨状も放射能の垂れ流しも核のゴミも下請け作業員の被曝もそのままにして。そんな事が果たして人間として許されるのか。
 代替案が無ければ何も言えないのか。そんなモノがあろうがなかろうが、ダメなものはダメという所から声を上げるのが普通じゃないか。そんな理屈なら、水俣病の告発すらチッソの公害防止体制(つまり代替案)が整うまでは出来ない事になってしまう。まず今の現状を何とかしろという被害者の叫びから出発した後で、代替案もあれば浮かんでくるだろうし、そもそも、それは加害者(この場合はチッソ)の責任で考え出すものであって、被害者に求められる筋合いのものではない。
 内閣が代われば同じというが、それは浜岡や大飯が止まってもそれだけでは何も変わらないのと同じではないか。
 これだけでも、反原連のこれらの言い分は、全て「為にするもの」「ただの言いがかり」でしかない事が分かる。運動に酔っているのは寧ろ反原連自身じゃないのか。

小見出し:運動を「乗っ取ろうとする人々」

上:自由報道協会の会見(7月27日)でも、セクト(新左翼)を名指しで批判してましたよね。

M:(中略)いま、私たちの反原発連合では、組織や反原発以外ののぼり旗を立てない、勧誘のビラを配らないといった(自主的な)ルールを設けています。それは反セクト的な意味だけじゃなくて、一般の人が入りやすいという理由もあるんですけど、それで裾野が広がった。だんだんシングルイシュー的な部分が理解されて、運動が成熟してきたわけですが、やはり最後はこの問題なんですよ。
 結局、デモが巨大化してから、(セクト系が)またドーッと来るようになった。でも、これに始末をつけなければ、本当の意味での市民運動にならないっていう思いが私の中で強い。

(私の感想)
 セクト(党派)や労組の旗がないから参加しやすいという人もおれば、逆にあるから奮い立つ人もいるだろう。そんなものは人それぞれであって、要はデモの邪魔にさえならなければ良いのだ。デモの主題もそっちのけに自派の宣伝や勧誘だけやられたら確かに迷惑だし、そんなセクトや労組もあるのは確かだが、ならその当該セクトや労組に個別に注意して、言う事を聞かなければお引き取り願えばそれで済む話。それを「セクトや労組は全てダメ」と、ミソもクソも一緒くたにして否定・排除するのは、主催者側の横暴でしかない。
 そもそも、自民党支持者も共産党支持者も包摂した大衆団体の労組を、政党やセクトと同一視してしまっている時点で、反原連の主張が如何に浅はかなものかが分かる。そんな事を言い出せば、反原連自身も一つのセクトであるのに、自分だけは良くて他は全てダメというのは、反原連による独裁以外の何物でもない。デモの真の主人公は参加者であって主催者ではない。

小見出し:デモの”協賛”は警察!?

上:これまでのデモは、「権力側は敵だ」という前提から入っていたけど、今回は政治とも話し合いの場を持とうとしている。

M:デモとか抗議って、それ自体は国策を変えるわけではない。やっぱりエネルギー政策の転換は国会で政策を練らないといけないことだと考えています。数で押すことによって、ようやく議員さんが反応を示すところまで来たな、と。

(私の感想)
 この物言いは、「デモや抗議では政治は変えられない、最後に頼りになるのはやはり国会議員や政治家などの”偉い人”だ、デモはその政治家の後押しに徹すれば良い」と言っているに等しい。何とまあ封建的な価値観か。これでは「お任せ民主主義」そのものではないか。やれツイッターやネットで人を集めたの、斬新で新しいデモのスタイルだのと言われながら、実際にそれを主導しているのは、昔の議員後援会のオジサン・オバサンみたいな旧態依然たる人たちであった。
 実際は全く逆で、デモや大衆運動が政治家や政治そのものを変えてきた事は、フランス革命などの歴史や今のジャスミン革命の経緯を見れば明らか。この日本でも公害反対の住民運動や革新自治体の運動が実際に政治を変えてきた歴史がある。その運動が潰された後のたかだか数十年の歴史だけを見て、「デモだけでは政治は変わらない」と訳知り顔に言う人たちは、己の奴隷根性や怠慢を誤魔化す為にそれを言っているだけ。

小見出し:私たちは”人生の押し引き”が分かる

上:日本には60年、70年安保闘争にノスタルジーを覚える世代がいる一方、その下の世代はデモが日本を悪くしたというマイナスイメージを持っている。それを払拭しようとしているのは大きいことです。

M:私は安保のときのこととか、一般レベルの知識しかないんですけど、当時はリーダー的な学生も一緒に突入したんでしょう?でも私たちは主に30~40代以上の”大人の”コアメンバーで運営しているので、人生の押し引きとかもわかる。私たちはリーダーでもなくてただの呼びかけ人ですけど、その呼びかけをした私たちが若すぎないから、粘りもあるんじゃないかな。

(私の感想)
 はあ?「デモが日本を悪くした」?日本を悪くしたのは自民党などの政治家や、労働者をどんどんクビにして格差を拡大してきた経営者だろう。なのに、政治の事は良く分からない「一般レベルの知識しかない」封建的なオジサン・オバサン、奴隷根性に囚われた「30~40代以上の”大人”」が、自民党や経営者、橋下・石原などの尻馬に乗って、末端の労組員や公務員、生活保護受給者などを叩きまくり、強きにへつらい弱きを挫く・・・それに対する「ネトウヨの言い訳」にしか聞こえない。この週刊ポストのインタビュー記事のタイトルに「脱原発デモの内なる敵はサヨクとネトウヨだ」とあり、しかもネトウヨ(在特会)批判は申し訳程度で大半がサヨク批判なのだが、これでは自分たちこそが「ネトウヨ」そのものじゃないか。

 いや実際にあるよ。この記事で取り上げられているような「既得権益の上に胡坐をかき一般市民とは縁遠い労組」や「デモや集会を単なる自派の草刈り場としか見做さないサヨク党派」の姿とかも。官公労や民間大企業の正社員労組がそうだ。会社べったりで会社と一緒になって原発推進している御用組合(電力総連)なんてその典型でしょう。でも、そうではない労組や党派も一杯ある。
 ちなみに私も労組員だが、私が個人で加盟している地域労組のどこにそんな「既得権益」があるのか。色んな会社・職種・地域の非正規労働者の寄せ集めで、勤務時間も休日もバラバラの弱小組合で、社内ではビラ一枚自由にまけないのに。職場での業務改善や労働条件改善の取り組みは、全て私が勝手に行い、労組には必要な時に報告して助言を仰ぐのみ。それでも「腐っても鯛」、いざという時には、そんな労組でも当てにするしかないから加盟しているのだ。そんな労組まで含めて、ミソもクソも一緒くたにされて「脱原発デモの敵」扱いされたのでは堪らない。それもこれも、所詮は「世間知らずのブルジョア・セレブの有閑市民」主導のデモだからか。
 正直言って、この「週刊ポスト」の記事を読んで、反原連に対する見方が大きく変わった。今後もずっと反原発・脱原発の取り組みには参加していくつもりだが、こんないい加減な、逮捕されても知らんふりされるようなデモには参加しないだろう。


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「仲間は助けるが同志は助けない」デモ?~四トロ同窓会二次会掲示板より(3)

2012年08月19日 17時10分37秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
(2)からの続き

●Re: 日の丸は 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)14時42分11秒 返信・引用

バッジ@ネオ・トロツキストさんへのお返事です。

> 在日外国人やアジア諸国民を運動から排除する。
> ま、代々木とも気の合う、今の日本社会のレベルに相応しい「国民運動」路線だけどねw
> ドイツ人やインド人もビックリ!!!www
>
> だけど、ジョンやジミや清志郎が生きていたら、多分、泣くぜぇ。

この「ジョンやジミや清志郎」が自分たちと同じ意見だと勝手に思い込むのはなんだろう?
一種の権威主義なのかな。

https://twitter.com/kdxn

●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)15時16分18秒

野間易通さんへのお返事です。

> > 今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。
>
> 意味がわからない。反原連が、組織としてやってます。
> 当然会議で合意を経たものですし、実務の担当者とそうでない人がいます。

私はあなたの返事に対して質問をしたのですが?
「自分は反原連だ=主催者だ」としながら、
「自分のこと」への質問に「集団としての主催者」として答えている。
あれほど逮捕者についての対応に無知な自分をさらけ出しておきながら、
平然と「反原連は組織としてやってます」で済ませるのだから。

まあ、いいでしょう。集団の中で自覚が高まってゆけば。
始めはだれでも失敗だらけです。
がんばってください。

> 自分の考えと同じでないと「きちんと考えてない」とするのはいかがなものか。運動が大きくなってきた場合、責任範囲を限定的・分散的にしておかないとこういう個人主体の運動体そのものがつぶれてしまいます。大きな組織でないと運動ができなくなる。そういうことを避ける方策を考えるのは当然でしょう。

責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。
まず「反原発のために集まった人はすべて仲間である」という認識にたって
だれでも(日の丸を掲げた人でも)逮捕者には救援対策を行うことは確認事項なんじゃないでしょうか。
ぜひそういう風にお願いします。

> 救援連絡センターの歴史ではなく、「誰が救援連絡センターや弁護士と連絡を取り、救援会を組織するか」の話。それを「担い手」と言ってます。救援連絡センターが「担い手」なら、そこに連絡すりゃすむ話ってことになっちゃいますが、ちがうでしょ?

実務を行う組織の問題と、活動の主体の問題の違いですよ。
運動の中で逮捕者が出れば、その運動体が救援対策を行うのは当たり前です。
その時、「実務集団」として救援センターを使うのです。
たとえば印刷物を発行しようというのはその発行主体の判断によります。
しかし、実際の印刷物は印刷屋に委せるでしょ? それと同じですよ。

> そうです。「主催の呼びかけに応じて集ま」る人が、主催が「歓迎しないことをやる」のは、何にたいして「大丈夫」なんでしょうか?

「何に対して」って? 大丈夫とは、やっても大丈夫ということであって
「何に対して」などという条件がつかないから「大丈夫」なんじゃありませんか?

> 「反原連はそのように考えない」と表明することは当然反原連の「権限」の範疇でしょう。というか、そもそも権限云々とは関係がない。

いえ、発言をすり替えないでください。
「反原連はそのように考えない」という表明なら、それでまったく問題はありません。
あなたは日の丸に反対の意見に対して「一面的で単純な歴史観や国家観」であると言ったのです。
これは「反原連はそのように考えない」の範疇を超えて、相手の歴史観への批判です。
反原連は様々な歴史観の人々を受け入れるのではないのですか?
それとも反日の丸・君が代史観は「一面的で単純な歴史観や国家観である」と主催団体の中で確認されたのですか?

もちろん「主催者として」ではなく「あなた個人として」の発言なら問題はありません。
しかし、文脈からいって、「主催者の意向」として発言されているのですから
そういうことにはなりませんね。

まぁ、労組については、がんばってほしいという事で、それ以上私にもどうすることもできません。
残念ですが、今後の発展に期待しましょう。
野間さんもがんばってください。

●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)15時31分29秒 返信・引用

まっぺんさんへのお返事です。

> > > 今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。
> >
> > 意味がわからない。反原連が、組織としてやってます。
> > 当然会議で合意を経たものですし、実務の担当者とそうでない人がいます。
>
> 私はあなたの返事に対して質問をしたのですが?
> 「自分は反原連だ=主催者だ」としながら、
> 「自分のこと」への質問に「集団としての主催者」として答えている。
> あれほど逮捕者についての対応に無知な自分をさらけ出しておきながら、
> 平然と「反原連は組織としてやってます」で済ませるのだから。

ますます意味不明。反原連が組織として何をやったかという話はすべて単なる事実です。
私の個人的考えとは関係がない。

> 責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
> 主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。

それは「責任範囲のこと」です。あなたが「主催の責任」について述べたものに対する私個人の考えを書いたものなので(笑)。

> 実務を行う組織の問題と、活動の主体の問題の違いですよ。
> 運動の中で逮捕者が出れば、その運動体が救援対策を行うのは当たり前です。

その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。

> > そうです。「主催の呼びかけに応じて集ま」る人が、主催が「歓迎しないことをやる」のは、何にたいして「大丈夫」なんでしょうか?
>
> 「何に対して」って? 大丈夫とは、やっても大丈夫ということであって
> 「何に対して」などという条件がつかないから「大丈夫」なんじゃありませんか?

「やっても大丈夫」って意味わからないです。主催が歓迎しないことをやるのは、少なくとも主催にとっては迷惑なのでは? 自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか。

> > 「反原連はそのように考えない」と表明することは当然反原連の「権限」の範疇でしょう。というか、そもそも権限云々とは関係がない。
>
> いえ、発言をすり替えないでください。
> 「反原連はそのように考えない」という表明なら、それでまったく問題はありません。
> あなたは日の丸に反対の意見に対して「一面的で単純な歴史観や国家観」であると言ったのです。
> これは「反原連はそのように考えない」の範疇を超えて、相手の歴史観への批判です。
> 反原連は様々な歴史観の人々を受け入れるのではないのですか?

さまざまな歴史観の人々を受け入れるのですから、そういう単一の(一面的で単純な)歴史観には立たないということです。何も矛盾がない。

> それとも反日の丸・君が代史観は「一面的で単純な歴史観や国家観である」と主催団体の中で確認されたのですか?

ここに書くのは私個人の意見だと表明したはず。「一面的で単純な歴史観や国家観である」というのも、私の評価です。「反原連はそうしたものに依拠しない」というのも、反原連の行動原理に対する私の評価です。

> もちろん「主催者として」ではなく「あなた個人として」の発言なら問題はありません。
> しかし、文脈からいって、「主催者の意向」として発言されているのですから
> そういうことにはなりませんね。

この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう?  私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。

> まぁ、労組については、がんばってほしいという事で、それ以上私にもどうすることもできません。
> 残念ですが、今後の発展に期待しましょう。

いつも不思議に思うのですが、労組の意義などについてここで熱い議論を闘わせているみなさんは労組とどういうかかわりを持ってるの? 自分はそこに参画してないのですか?

https://twitter.com/kdxn

●工作員なのw 投稿者:転載君 投稿日:2012年 8月18日(土)15時49分52秒

某ツイッターより転載

「@kdxn あのね野間易通さん、原発再稼働賛成、という人は馬鹿でいいけどねえ。あなたの言っている馬鹿は、「エートスに反対して子供を非汚染地帯に逃がそうと努力している人たち」に「馬鹿」と言っている。どっちが馬鹿だ?はっきり言います。あなた権力側からの工作員じゃないの?え、ちがうの?」

●Re: 工作員なのw 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)15時55分18秒

転載君さんへのお返事です。

> 某ツイッターより転載
>
> 「@kdxn あのね野間易通さん、原発再稼働賛成、という人は馬鹿でいいけどねえ。あなたの言っている馬鹿は、「エートスに反対して子供を非汚染地帯に逃がそうと努力している人たち」に「馬鹿」と言っている。どっちが馬鹿だ?はっきり言います。あなた権力側からの工作員じゃないの?え、ちがうの?」

こういうのってちゃんとURLつけないと。

https://twitter.com/kdxn

●野間さん、まぁがんばってください 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)16時27分52秒 返信・引用 編集済

野間易通さんへのお返事です。

> ますます意味不明。反原連が組織として何をやったかという話はすべて単なる事実です。
> 私の個人的考えとは関係がない。

おやおや(^^)
それならなんで、そんな無責任なことをおっしゃるのですかねえ。
というか、反原連の中には統制主義な輩もいるらしいけど、少なくとも「救援」に関しては
野間さんよりはちゃんと考えているようですね。
その意味で「反原連主催者は」(約1名を除き)救援についてちゃんと考えている
というご意見なら同意しましょう。

> > 責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
> > 主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。
>
> それは「責任範囲のこと」です。あなたが「主催の責任」について述べたものに対する私個人の考えを書いたものなので(笑)。

ですから、その結果、あなたの「無責任さ」あるいは、責任というものについて
きちんと考えていないことが明らかになってしまったのではないでしょうか。主催者とは別に。
まぁ、これからがんばってくださいね。

> > 実務を行う組織の問題と、活動の主体の問題の違いですよ。
> > 運動の中で逮捕者が出れば、その運動体が救援対策を行うのは当たり前です。
>
> その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。

はぁ? 入れ子も何もないと思いますが?
それに救援対策を行うのは、まず第一に「主催者」である反原連なのは自明の理です。
なぜなら、その労組の中の逮捕者は、反原連運動全体とは無関係に逮捕されたのではなく、
運動の中で逮捕されたのですから、主催者のもとに両者が協力しあって救援を行うのです。
こういう常識的なことはこれからぜひお勉強していってもらいたいと思います。
なお、「ケースバイケース」とは、救援のスムースさとか意思疎通などではなく、逮捕時の状況、
被逮捕者の職場・学校や肉親などの関係、要するに被逮捕者を第一に考えなきゃ駄目でしょ。

あのー。この議論の発端は、逮捕者対策をきちんとするかどうか、ということでしたが
なんでこんな方向に話が進むんでしょうかねえ。
野間さん。
要するに主催者としてきちんと行っているというならそれでいいのです。
あなたの以下の発言は撤回すればそれでいいのです。
----------------------------------------
私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をする
というのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセク
トや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を
奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参
加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
----------------------------------------

> 「やっても大丈夫」って意味わからないです。主催が歓迎しないことをやるのは、少なくとも主催にとっては迷惑なのでは? 自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか。

それについてはもう議論済みですよ。

(A)あなたは「主催が歓迎しない」こと「だけ」を強調している。
しかし「禁止はしない」ということも言われたのですよ。そうですね。

(B)その上で、逆に主催者の態度に対して参加者が抗議していることも申しました。
つまり言い換えれば「参加者が歓迎しないこと」を主催者が強制しているのです。

つまりあなたは(A)の半分だけの主張を繰り返しているだけなのです。
私はそれに対して(A)のあとの半分の主張で対抗し、その上で(B)の観点からも反論しています。

ですから、同じことを繰り返しても、何の説得力もありません。おわかりでしょうか?
あとは「主催者が歓迎しない」行為がどのような行為なのかを現場で判断するしかないでしょう?
それともあくまでも「主催者が歓迎しないことは一切やるな」というのであれば、
それこそ横暴な態度として糾弾の対象となるでしょう。
すでにそれが糾弾されていることについて私は(B)で表明しているのですよ。

> > いえ、発言をすり替えないでください。
> > 「反原連はそのように考えない」という表明なら、それでまったく問題はありません。
> > あなたは日の丸に反対の意見に対して「一面的で単純な歴史観や国家観」であると言ったのです。
> > これは「反原連はそのように考えない」の範疇を超えて、相手の歴史観への批判です。
> > 反原連は様々な歴史観の人々を受け入れるのではないのですか?

> さまざまな歴史観の人々を受け入れるのですから、そういう単一の(一面的で単純な)歴史観には立たないということです。何も矛盾がない。

「そういう歴史観に立たない」は立場の表明、「そういう歴史観は一面的だ」は批判です。
意味が違います。それをいっしょくたにして語ってはいけません。
反原連は前者であって、後者はあなた個人の態度です。
そのふたつを混ぜこぜにして、あたかも「反原連の立場」であるかのように言うのはいけません。

> ここに書くのは私個人の意見だと表明したはず。「一面的で単純な歴史観や国家観である」というのも、私の評価です。「反原連はそうしたものに依拠しない」というのも、反原連の行動原理に対する私の評価です。

それなら問題ありません。

> > もちろん「主催者として」ではなく「あなた個人として」の発言なら問題はありません。
> > しかし、文脈からいって、「主催者の意向」として発言されているのですから
> > そういうことにはなりませんね。

> この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう?  私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。

核武装賛成論の話はしてませんが? それに「核武装賛成論には立たない」と言っているだけで
「核武装賛成論は一面的で単純だ」とは言っていませんよね?
まぁ、野間さん個人が私の歴史観を「一面的で単純なもの」というのは全く自由です。
しかしそれは「主催者の意向」として説明はできません。

> いつも不思議に思うのですが、労組の意義などについてここで熱い議論を闘わせているみなさんは労組とどういうかかわりを持ってるの? 自分はそこに参画してないのですか?

ひとりひとり立場が違いますよ。僕は労組には入っていないので関われません。
ただし、いま関西の関西生コンに期待し、協力関係にありますから、無関係とは言えませんけど。

●Re: 野間さん、まぁがんばってください 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)17時03分16秒

まっぺんさんへのお返事です。

> > ますます意味不明。反原連が組織として何をやったかという話はすべて単なる事実です。
> > 私の個人的考えとは関係がない。
>
> おやおや(^^)
> それならなんで、そんな無責任なことをおっしゃるのですかねえ。

事実を事実として記述するのに「無責任」も何もないでしょうに…。

> > > 責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
> > > 主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。
> >
> > それは「責任範囲のこと」です。あなたが「主催の責任」について述べたものに対する私個人の考えを書いたものなので(笑)。
>
> ですから、その結果、あなたの「無責任さ」あるいは、責任というものについて
> きちんと考えていないことが明らかになってしまったのではないでしょうか。主催者とは別に。
> まぁ、これからがんばってくださいね。

いや、まっぺんさんは「責任範囲」について何も語ってないでしょう? 「責任範囲のことではなく」と言ってるぐらいだから、こちらが何を言っているのかまったく理解してないとしか思えないです。態度としては、イラク人質事件のときに「自己責任だ!」と言って人質たちを非難した人たちと変わらない。まあ日本人によくありがちな糾弾姿勢ですけどね。

> > その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。
>
> はぁ? 入れ子も何もないと思いますが?

ありますよ。

> 野間さん。
> 要するに主催者としてきちんと行っているというならそれでいいのです。
> あなたの以下の発言は撤回すればそれでいいのです。
> ----------------------------------------
> 私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をする
> というのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセク
> トや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を
> 奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参
> 加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
> ----------------------------------------

意味がわからない(笑)。「主催者としてきちんと」ということがアプリオリにどういう状態か決定されているのなら、議論の余地など最初からないわけで、これは典型的な思考停止でしょう。糾弾の欲望が先にたつとそういうことになりがちですね。

> > 「やっても大丈夫」って意味わからないです。主催が歓迎しないことをやるのは、少なくとも主催にとっては迷惑なのでは? 自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか。
>
> それについてはもう議論済みですよ。
>
> (A)あなたは「主催が歓迎しない」こと「だけ」を強調している。
> しかし「禁止はしない」ということも言われたのですよ。そうですね。
>
> (B)その上で、逆に主催者の態度に対して参加者が抗議していることも申しました。
> つまり言い換えれば「参加者が歓迎しないこと」を主催者が強制しているのです。
>
> つまりあなたは(A)の半分だけの主張を繰り返しているだけなのです。
> 私はそれに対して(A)のあとの半分の主張で対抗し、その上で(B)の観点からも反論しています。

で、それは《自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか》?

> あとは「主催者が歓迎しない」行為がどのような行為なのかを現場で判断するしかないでしょう?
> それともあくまでも「主催者が歓迎しないことは一切やるな」というのであれば、
> それこそ横暴な態度として糾弾の対象となるでしょう。
> すでにそれが糾弾されていることについて私は(B)で表明しているのですよ。

(B)では何も表明されていないです。主催が歓迎しないがそれに逆らってまでやるべきなのかどうかということをいま話し合っているわけで、「組織旗を出す」というのはあなたにとってそういう意味付けのある行為ですか?ということです。「OKとはどういう意味か」というのはそういう質問です。落ち着いてよく考えましょう。

> 「そういう歴史観に立たない」は立場の表明、「そういう歴史観は一面的だ」は批判です。
> 意味が違います。それをいっしょくたにして語ってはいけません。
> 反原連は前者であって、後者はあなた個人の態度です。
> そのふたつを混ぜこぜにして、あたかも「反原連の立場」であるかのように言うのはいけません。

いけませんもなにも、「混ぜこぜ」にしているわけではなく、私は私の立場から語るしかないのですからしょうがないでしょう。《あたかも「反原連の立場」であるかのように言う》というのがあなたの誤読にすぎないだけです。

> > ここに書くのは私個人の意見だと表明したはず。「一面的で単純な歴史観や国家観である」というのも、私の評価です。「反原連はそうしたものに依拠しない」というのも、反原連の行動原理に対する私の評価です。
>
> それなら問題ありません。

あわてて誤読しないように、よく落ち着いて読んでくださいね。

> > この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう?  私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。
>
> 核武装賛成論の話はしてませんが?

それは「たとえ」です。落ち着いでください。

> > いつも不思議に思うのですが、労組の意義などについてここで熱い議論を闘わせているみなさんは労組とどういうかかわりを持ってるの? 自分はそこに参画してないのですか?
>
> ひとりひとり立場が違いますよ。僕は労組には入っていないので関われません。
> ただし、いま関西の関西生コンに期待し、協力関係にありますから、無関係とは言えませんけど。

概ね労組にシンパシーを抱く人が多い感じですかね。

https://twitter.com/kdxn

●Re: 日の丸は 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト 投稿日:2012年 8月18日(土)17時50分41秒

野間易通さんへのお返事です。

> バッジ@ネオ・トロツキストさんへのお返事です。
>
> > 在日外国人やアジア諸国民を運動から排除する。
> > ま、代々木とも気の合う、今の日本社会のレベルに相応しい「国民運動」路線だけどねw
> > ドイツ人やインド人もビックリ!!!www
> >
> > だけど、ジョンやジミや清志郎が生きていたら、多分、泣くぜぇ。
>
> この「ジョンやジミや清志郎」が自分たちと同じ意見だと勝手に思い込むのはなんだろう?
> 一種の権威主義なのかな。

ははははっ、こりゃ、付ける薬ないねぇ。
ま、トシ食って変節するヤローもこの世にゃいるから、ナンとでも言えるか!

それにしても、貴兄の論法も思想内容も、これだけでよく判りましたわw

●議論は出尽くして堂々巡りモードですね 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)18時29分35秒

> 事実を事実として記述するのに「無責任」も何もないでしょうに…。

はい、そうですねえ。「主催者がおこなった」のは事実なんですね。
でもあなたはそんなもの不必要と思ってるんですよねえ。逮捕された連中は「仲間じゃ無い」んでしょ?
それは自分を「主催者失格」と言っているのと同じじゃないでしょうか?

> いや、まっぺんさんは「責任範囲」について何も語ってないでしょう? 「責任範囲のことではなく」と言ってるぐらいだから、こちらが何を言っているのかまったく理解してないとしか思えないです。

おいおい! それは言葉のすり替えだなぁ。
「責任範囲のことではなく」とは言いましたが、「責任のことではなく」と言ったんじゃありませんよ。
つまりあなたが主催者の責任を「範囲」に分けて「自分には責任がない」ような言い逃れをしたからです。
あなたがここで「主催者の立場から」発言するなら、そのような分担による反論は無効ですよ。

> 態度としては、イラク人質事件のときに「自己責任だ!」と言って人質たちを非難した人たちと変わらない。まあ日本人によくありがちな糾弾姿勢ですけどね。

おいおい! あのイラクの人質問題では私は「自衛官人権ホットライン」に所属し
あの運動を「主催していた」立場なんですけどねえ。
あなたにそんなことを言われるとは思わなかった。
http://www.jca.apc.org/gi-heisi/
それに私は「主催者の責任」をあなたに問うているのであって、それを問うているのは
私も参加者であり、主催者の指示について吟味しているからなのですよ。
どうしてそれが「自己責任」になるんでしょうねえ? 論理も何もなくなってしまってますね。

> > > その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。
> >
> > はぁ? 入れ子も何もないと思いますが?
>
> ありますよ。

「ありますよ」だけでは反論になっていません。
私は「入れ子も何もない」のあと、ちゃんとその理由を説明していますよ。

> > 野間さん。
> > 要するに主催者としてきちんと行っているというならそれでいいのです。
> > あなたの以下の発言は撤回すればそれでいいのです。
> > ----------------------------------------
> > 私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をする
> > というのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセク
> > トや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を
> > 奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参
> > 加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
> > ----------------------------------------
>
> 意味がわからない(笑)。「主催者としてきちんと」ということがアプリオリにどういう状態か決定されているのなら、議論の余地など最初からないわけで、これは典型的な思考停止でしょう。糾弾の欲望が先にたつとそういうことになりがちですね。

ついに議論放棄ですか(^0^)
あなた自身が「どの立場で発言しているのか」に係っているのですよ。
あなたは「救援など必要かどうか疑問」と言っている。それは「あなた個人の立場」です。
しかし私は救援の必要を主張しました。すると今度は「主催者は救援をやっている」と言った。
自分の個人的立場と、主催者の公的立場とを併用しながら批判をかわしているだけじゃないですか。
だから、さっきいったのですよ、「主催者は約1名を除いて救援についてきちんとやっている」とね。
それでいいんでしょう? それなら同意しますが、なにか問題ありますか?

> (B)では何も表明されていないです。主催が歓迎しないがそれに逆らってまでやるべきなのかどうかということをいま話し合っているわけで、「組織旗を出す」というのはあなたにとってそういう意味付けのある行為ですか?ということです。「OKとはどういう意味か」というのはそういう質問です。落ち着いてよく考えましょう。

おやおや! あなたの「主催者命令」に固執する態度については落ち着いて観察していますが?
この問題に関するあなたの態度は「主催者が主役だ。参加者は主催者に従え」という事ですよね。
私は、そのような一方的態度が批判されてきたと言っているのですよ。
だから「主催者に従え」をいくら強調しても、それに従うわけには行きません。
主催者を尊重しつつ、従えないものは従えないと言う他はありません。
(B)ではそのような主催者の一方的態度が参加者からの反感を買っている「事実」を述べているのです。

するとあとは、あなたの口から、次の言葉がいつでるのでしょうか?
「俺様の命令に従わないなら、排除する!」 さあ、さっさとそう言ったらどうですか?
参加者に命令し、統制し、逮捕されても知らん顔で、よく「主催者」なんて言えますねえ。

> > 「そういう歴史観に立たない」は立場の表明、「そういう歴史観は一面的だ」は批判です。
> > 意味が違います。それをいっしょくたにして語ってはいけません。
> > 反原連は前者であって、後者はあなた個人の態度です。
> > そのふたつを混ぜこぜにして、あたかも「反原連の立場」であるかのように言うのはいけません。
>
> いけませんもなにも、「混ぜこぜ」にしているわけではなく、私は私の立場から語るしかないのですからしょうがないでしょう。《あたかも「反原連の立場」であるかのように言う》というのがあなたの誤読にすぎないだけです。

はい、それならそれで手を打ちましょう。
「主催者の公式見解ではなく、野間さん個人の立場からの発言です」ということで確認いたします。

> > > この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう?  私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。
> >
> > 核武装賛成論の話はしてませんが?
>
> それは「たとえ」です。落ち着いでください。

落ち着いています。ぜんぜん「例え」になっていませんが? ま、いっか。

http://6305.teacup.com/mappen/bbs?page=1&

※当該掲示板での議論はこの後もまだまだ続きますが、これ以上転載してもキリがないので、こちらではこれにて完。
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「仲間は助けるが同志は助けない」デモ?~四トロ同窓会二次会掲示板より(2)

2012年08月19日 17時09分52秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
(1)からの続き

●Re: 事実認識がだいぶ違うようです 投稿者:プレカリアート@携帯 投稿日:2012年 8月18日(土)09時03分21秒

野間易通さんへのお返事です。

> 以下はまったくの個人の意見で反原連スタッフの中でもごく少数派ですが、私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。

普通は同志=仲間じゃないの。実際に個人としてどこまで救援に取り組めるかはまた別問題としても。ところがそうじゃないという事は、参加者を単なる利用価値のある人間、自分の手駒としか見ていないからじゃない。

●仕事前ですので手短に 投稿者:草加耕助 投稿日:2012年 8月18日(土)09時43分5秒

野間易通さんへのお返事です。

要するに、ありとあらゆる主張(歓迎しないものを含む)に対して、オープンにしていますよ、別に何を主張してもらってもかまいませんよということですね。もちろんモノには限度があることは承知していますが。

了解しました。ごちゃごちゃ文句を言う前に、とりあえず野間さんを信じてもう一度行動してみます。

ただ、「再稼働反対」以外のこと(「野田はやめろ」とか)を主張して、「主催者」を「自称」する人から、やめてほしいと言われた話は、ごく普通に聞きます。実際に書くのはリアルの友人から聞いた話だけですが、ネット上のつきあいの方を含めると、もっと多いです。書いてきたプラカードを下ろせと言われた人もいます。どの例も、断ったら「主催者」はそれ以上は何も言わずに立ち去ったということです。

被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われて、官邸前には行かなくなった方というのも、私のリアルの知り合いです。そんなの無視してやればできるということなんでしょうが、「主催者」にそう言われた時点ですっかり失望してしまったようです。ただし反原連を非難するのではなく、「とても心配している」とのことです。

なお、こういう例や人間を(たとえ匿名でも)、表に引っ張り出す気はないし、「ここが変だよ反原連」みたいな論陣を張る気もありません。それはこの本人たちが自分でそういうことをやろうと思わない限り、私が代行的に「問題を大きくする」気はない。そこまで反原連に悪意はないです。相手(反原連)を変えよう、態度を改めさせてやろう、けしからんので喧嘩しようという気が私にはないのです。

それを怠惰というなら言えばいいですが、そもそも喧嘩する気がないのです。ますは評価と連帯が先だと思っています。苦言は二の次、その苦言をどう受け止めるかもご本人たち(反原連)が決めること。相手を変えようとするのではなく、その態度を見て、自分たちなりの反原発運動をやっていけばいいと思っています。道が別れるならそれはそれでしょうがない。その私(たち)に対して、また苦言なり意見を言うのも自由だと思います。ただ罵りあいはしたくないですね。

まあ、どうしてもというなら、こういう知り合いをご紹介してもいいですが、私も、その当人も、もうあんまそういうことを深く追求してエネルギーをさくほど、反原連に腹をたてているわけではありません。「証拠をみせろ!」「表で論争しろ!」とかいうことではなく、今後の内部討論やよりよいネットワークのために是非とも話を聞きたいとか、そういう謙虚(友好的)な姿勢で接するならあってくれるかもしれません。

http://bund.jp/

●時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)10時14分43秒

>はい。で、「何をし」たら、「有効」と判断するのですか?
>あなたはそこを何も示していない。

私は「一参加者」に過ぎません。
その私に「主催者」と自称するあなたが聞くのでしょうか?
本末転倒ではないでしょうか?
というか、「主催者」の責任も知らない人が「主催」することに危惧を覚えます。

こうした大規模な行動の場合、警備の警察との間で「摩擦」が起こるのはある意味当たり前。
それは主催者がどんなに気をつけても起こり得るのです。
しかし、そうした一般的な「摩擦」の背後には、警備側の思惑も潜んでおります。
昨年、「素人の乱」主催のデモで、いきなり大量逮捕が行われたことがありましたが、
あれなどは典型的です。警備側は、こういう運動を「沈静させたい」のですよ。
抗議行動のような行為はやめさせたい。そのために逮捕などを脅しに使う。
また運動それ自体を「逮捕者を出すようなイケナイ行動」という印象操作する。
素人の乱がいったいどんな悪いことをしたというのでしょうか?
あの逮捕事件をきっかけに一時は動員数が減りました。警察の目的はそれだったのです。

官邸前行動とは、「国政に異議を申し立てる」行為です。
それが大きければ大きいほど現政権にとっては都合が悪い。
だから「政治は正しく行われている」というポーズをとるためにも
こうした街頭における反対運動はできればない方がいいのです。
警察による「警備」行動はこの政府の思惑を背景に行われています。
だから中立の立場から抗議行動を管理するのではなく、
できるだけ運動が後退してゆくように考えて行動をします。
逮捕はその手段のひとつです。その事は念頭においておくべきでしょう。

呼びかけた主催者は、その呼びかけた集会を無事に、安全に終わらせる義務があります。
呼びかけっぱなしで、「あとは自由勝手にしろ」ではすみません。
だからある程度の「指示」は必要なことなのです。
しかし、それでも時には逮捕者が出ます。「逮捕」とは「捕まえる」の意味に過ぎず、
ただちに起訴されるわけではありませんが、一定の時間、拘束されるのです。
そのような行為を警察が行うにはよっぽど「正当な理由」がなくてはなりません。
しかし、一連の反原発行動の中で「正当な理由」など指摘されていません。
現に、逮捕はしても起訴もされていないことからも、この逮捕の不当性を物語っています。

逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
逮捕の状況を調べ、その不当性を主張すること

などがあります。有効性を持った対応とはこういう事です。
だから参加者も主催者の呼びかけに安心して応えられるんじゃないでしょうか。
こうした責任は「主催者」にあります。
他の「主催者」に聞いてごらんなさい。常識ですよ。

>私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。

「仲間は助けるが同志は助けない」って、いったいどこから出てくる屁理屈でしょうか?
まあ、呆れるという他はありませんね。
なお、「ここ10年」ではありません。救援連絡センターの歴史はもっと古いです。
ぜひ、活用していただきたいと思います。

>一部労組の旗を排除したりという行為があったことはたしかですが、それは方針の不徹底による反原連側の過ちです。

了解しました。ではこれからは労組が旗をもってきても大丈夫だという事ですね。
ついでに私の見解を申しますが、所属を示すかどうか、は基準としてもしょうがないと思います。
それは「日の丸」と「労組の旗」との比較においてそう思います。
「日の丸」は「所属を示す」のでしょうか?
広い意味で「日本国民である事を示す」という事になるかも知れませんね。
しかし私は日の丸によって、そんな「集団の一部である」と思われることに不快感を持ちます。
野間さんもご存知のように日の丸は君が代と共に、明治政府以来「侵略の象徴」でもあったからです。

原発被害を訴え、危険なものを押しつける政策に反対する行動の中に
そのような侵略・抑圧の象徴を持ち込むのは、言い換えれば
「他者を抑圧するような者が抑圧されている人々の行動に参加する」という事に他なりません。

一方、労働組合とは、労働者の団結を象徴するものです。
労働者個人と、経営者とでは労働者の方が圧倒的に不利な立場にあります。
だから労働者は団結して経営者と対等の立場となる事ができるのです。これは憲法でも保障された権利です。
だから、こうした反原発の行動に対して非常に親和的であると思います。
むしろ労働者の闘いに学ぶことさえできるのではないでしょうか。
労働運動がもっと反原発運動の主流となる必要を感じます。この運動に「勝つ」ためには。

●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)12時55分10秒

まっぺんさんへのお返事です。

> 逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
> 逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
> 弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
> 逮捕の状況を調べ、

ここまで、反原連は全部やってますね。

> >私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
>
> 「仲間は助けるが同志は助けない」って、いったいどこから出てくる屁理屈でしょうか?
> まあ、呆れるという他はありませんね。
> なお、「ここ10年」ではありません。救援連絡センターの歴史はもっと古いです。
> ぜひ、活用していただきたいと思います。

いや、「救援の歴史」ではなく、救援の担い手の話です。よく読みましょう。また、救援連絡センターを使うかどうかは、逮捕された人の意向を尊重すべきです。方針が合わない人もたくさんいますので。

> >一部労組の旗を排除したりという行為があったことはたしかですが、それは方針の不徹底による反原連側の過ちです。
>
> 了解しました。ではこれからは労組が旗をもってきても大丈夫だという事ですね。

「大丈夫」というのは、どういう意味でしょうか?
主催の呼びかけで「歓迎しない」とされている行為をすることが、何にたいして「大丈夫」なのですか?

> ついでに私の見解を申しますが、所属を示すかどうか、は基準としてもしょうがないと思います。
> それは「日の丸」と「労組の旗」との比較においてそう思います。

その比較自体がおかしなことだと思います。

> 野間さんもご存知のように日の丸は君が代と共に、明治政府以来「侵略の象徴」でもあったからです。
>
> 原発被害を訴え、危険なものを押しつける政策に反対する行動の中に
> そのような侵略・抑圧の象徴を持ち込むのは、言い換えれば
> 「他者を抑圧するような者が抑圧されている人々の行動に参加する」という事に他なりません。

反原連はこういう一面的で単純な歴史観や国家観にくみしないので、日の丸については当初から「許容」しているのです。また、メンバーの中には、私やたんぽぽ舎の原田さんのように、日の丸が上がっていること自体にもっと積極的な意味を見出す人もいます。

> 一方、労働組合とは、労働者の団結を象徴するものです。
> 労働者個人と、経営者とでは労働者の方が圧倒的に不利な立場にあります。
> だから労働者は団結して経営者と対等の立場となる事ができるのです。これは憲法でも保障された権利です。
> だから、こうした反原発の行動に対して非常に親和的であると思います。
> むしろ労働者の闘いに学ぶことさえできるのではないでしょうか。
> 労働運動がもっと反原発運動の主流となる必要を感じます。この運動に「勝つ」ためには。

「団結を象徴する」というのは、労組以外の人にとってはあまりピンと来ない考え方のように思います。そういう考え方があることは理解しますが、その是非とは関係なく、労働運動の文脈を過度に持ち込むことは、外野から見ればマイナスに働いているように見えますね。反原発運動においては、労組の方にはもっと組合以外の人々と「団結」する方策を模索してほしいと思います。

https://twitter.com/kdxn

●Re: 仕事前ですので手短に 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)13時09分33秒

草加耕助さんへのお返事です。

> 要するに、ありとあらゆる主張(歓迎しないものを含む)に対して、オープンにしていますよ、別に何を主張してもらってもかまいませんよということですね。もちろんモノには限度があることは承知していますが。

その「限度」についてはわりと厳格です。シングル・イシューは大原則として維持します。草加さんが先の投稿で挙げた例は原発問題に直接関連するさまざまな主張で、シングル・イシューの範囲を逸脱しませんから、当初から何も制限されておらず、「歓迎しない」ものですらないです。

> ただ、「再稼働反対」以外のこと(「野田はやめろ」とか)を主張して、「主催者」を「自称」する人から、やめてほしいと言われた話は、ごく普通に聞きます。実際に書くのはリアルの友人から聞いた話だけですが、ネット上のつきあいの方を含めると、もっと多いです。書いてきたプラカードを下ろせと言われた人もいます。どの例も、断ったら「主催者」はそれ以上は何も言わずに立ち去ったということです。

私はプラカードを下ろしてもらったことや、下ろせといって断られたこともあります。それはどういうプラカードだったかというと、どこかの教職員組合の人が持っていた「中村都教委糾弾!」みたいな幟でしたね。要は別のイシューのものを掲げている場合は、これは下ろしてもらいます。

> 被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われて、官邸前には行かなくなった方というのも、私のリアルの知り合いです。そんなの無視してやればできるということなんでしょうが、「主催者」にそう言われた時点ですっかり失望してしまったようです。ただし反原連を非難するのではなく、「とても心配している」とのことです。

このことについてはツイッター上でもよく話題になっていますが、たいていの場合は誇張です。反原連は疎開裁判の人たちとも連絡をとりあって活動してます。官邸前のスピーチエリアで、ルールとなっている制限時間を超えてえんえんとしゃべり続けるとか、それを制止してもやめないような人たちの一部にそういう主張の人がおり、それが「被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われ」たという話として流布されているのが実情です。あと、「シュプレヒコールの中にこれを入れろ!」と言ってきて断った場合とか。いずれにせよIWJのアーカイブを見れば、多くの人が被曝問題や避難の問題について普通に官邸前で訴えているという事実が確認できると思います。

> それを怠惰というなら言えばいいですが、そもそも喧嘩する気がないのです。

というよりも、草加さんは事実ではない情報を伝聞として広めているので、そのこと自体が反原連からしたら「ケンカ売ってんの?」ってことになっちゃいますよ、ということです。「腕章をした黒ずくめの集団にとりかこまれた」なんてことが、起きるわけがない。そんな集団はいないのですから。そういう、細かい印象操作をそのまま流布するなら、せめて当事者から反論があった場合はきちんと対応すべきです。

> まあ、どうしてもというなら、こういう知り合いをご紹介してもいいですが、私も、その当人も、もうあんまそういうことを深く追求してエネルギーをさくほど、反原連に腹をたてているわけではありません。「証拠をみせろ!」「表で論争しろ!」とかいうことではなく、今後の内部討論やよりよいネットワークのために是非とも話を聞きたいとか、そういう謙虚(友好的)な姿勢で接するならあってくれるかもしれません。

この話じたいに、謙虚さがまるでないと思います。私は草加さんにたいして「デマを広めるな」と言っているだけです。自分が何に加担しているか、よく考えて行動してくださいね。

●「同志」と「仲間」の違いについて 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)13時17分1秒 返信・引用 編集済

プレカリアート@携帯さんへのお返事です。

> 普通は同志=仲間じゃないの。実際に個人としてどこまで救援に取り組めるかはまた別問題としても。ところがそうじゃないという事は、参加者を単なる利用価値のある人間、自分の手駒としか見ていないからじゃない。

いや、このへんの感覚を説明するのは難しいのですが、たとえば労働組合や左翼セクト、ノンポリ市民、右翼勢力が「反原発」の一点で集まっている場合、それは「同志」であってもそれぞれの人に「仲間」の感覚が薄いんじゃないかと思うんですね。当然、「利用価値」とか「手駒」という感覚もないです。利用したり動かしたりしませんから。

「官邸前の日の丸を下ろせ」という左翼からの主張は、集まっている人は仲間であるべきだから、仲間じゃないやつを排除しろという発想に立っているようにも思えるのですが、本来はさまざまな政治的傾向を持つバラバラの人が「反原発」という「同」じ「志」のもとに集まっているのだという感覚になれば、あんまり気にならないんじゃないのかなと。

ちなみに、7.29の救援については、救援会は逮捕者の「仲間」の方々が組織し、反原連はそれと連絡を取り合いながら支援するという形を取りました。

https://twitter.com/kdxn

●日の丸は 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト 投稿日:2012年 8月18日(土)14時20分16秒

在日外国人やアジア諸国民を運動から排除する。
ま、代々木とも気の合う、今の日本社会のレベルに相応しい「国民運動」路線だけどねw
ドイツ人やインド人もビックリ!!!www

だけど、ジョンやジミや清志郎が生きていたら、多分、泣くぜぇ。

●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)14時21分17秒

野間易通さんへのお返事です。

> > 逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
> > 逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
> > 弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
> > 逮捕の状況を調べ、
>
> ここまで、反原連は全部やってますね。

今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。
そもそも「仲間は助けるが同志は助けない」とか
「呼びかけただけで、あとは知らないナリ」という、
責任についての奔放な態度を開陳されているあなたが
救援についてきちんと考えていたとは思えません。
まぁ、たんぽぽ舎なんかはそのへんしっかりしてますから
当然やっていると思いますが。

> いや、「救援の歴史」ではなく、救援の担い手の話です。よく読みましょう。また、救援連絡センターを使うかどうかは、逮捕された人の意向を尊重すべきです。方針が合わない人もたくさんいますので。

わたしは救援の担い手の歴史から申しているのです。
救援連絡センターは「外部から忽然と産まれた」のではありません。
運動の歴史の中で救援の担い手たちが協力し合っていっしょに作り出したのです。
えっと、少なくとも40年以上の歴史がありますよ。
被逮捕者の意向を尊重するのは当然のことです。
当然、その「意向を聞く」ことから始まりますよね?
それについて、人に聞く前に自分からやるべきだと思いますよ。主催者なら。

> > 了解しました。ではこれからは労組が旗をもってきても大丈夫だという事ですね。
>
> 「大丈夫」というのは、どういう意味でしょうか?
> 主催の呼びかけで「歓迎しない」とされている行為をすることが、何にたいして「大丈夫」なのですか?

おや? 「歓迎しない」けれども禁止ではないんでしょう?
逆に言わせてもらえば、現場で「反原連」の腕章によって参加者に命令的態度をとる人は
参加者から「歓迎」されていないことも踏まえておくべきでしょう。草加さんが書いている通りです。
呼びかけたのは反原連ですが、その呼びかけに応じて参加したのは我々です。
それに対する一定の指示は受け入れますが、現場では受け入れられない場合もあるということです。
労組の旗の登場については、あなたに余計な指図を受けるいわれはありません。

> 反原連はこういう一面的で単純な歴史観や国家観にくみしないので、日の丸については当初から「許容」しているのです。また、メンバーの中には、私やたんぽぽ舎の原田さんのように、日の丸が上がっていること自体にもっと積極的な意味を見出す人もいます。

知っていますよ。原田さんとは、テントの中で議論しましたから。
しかし原田さん以外はどうなんでしょうね。
ところで、原田さんが「積極的に」というのは誤解されかねない言い方ですね。
まるで彼が日の丸を「歓迎している」みたいな言い方じゃありませんか。原田さんがかわいそうです。
日の丸問題については、昨年、テントに「反原発」の極右団体が来たことに端を発しています。
その時の議論の結果として日の丸を掲げる団体などが「団体」として行動する事に反対するが
個人が日の丸を掲げて参加するのを反対はできない、というのがテントとしての見解でした。
だから、極右団体が日の丸を掲げて参加するのには大いに抗議するべきです。
もちろん、その文脈で例えば左翼もヘルメットをかぶって集団で登場するのは反対、という事になります。

日の丸と労組を比較できないという見解は、まったくその通りです。これについては
右翼の側が、「日の丸が駄目なら労組の赤旗も禁止しろ」という事を言ってきたからです。
つまり彼らは「日の丸」と「労組の赤旗」を比較するが、それはスジ違いというものです。
労組はすでに申したとおり、「労働者の権利を守るための団体」です。
しかし日の丸を掲げる極右団体はそれに比較できるような団体ではありません。
比較するなら「極左の党派」ということになります。
だから左翼が集団で党派として登場するのもはばかられることになります。

また私は日の丸を「禁止しろ」とまでは言っておりません。
主催者側にそんなことを要求するのではなく「反日の丸」意見を拡大してゆき、
参加者の力で排除するべきかと思います。

日の丸に対しては一参加者として非常な不快感を持っていることについては表明しておきます。
しかしその意見に対してあなたが「一面的で単純な歴史観や国家観」であると断定するのは、
それもまた「一面的で単純」であると思いますが、それよりも問題なのは、
そうした断定をする事は「主催者の権限」を超えた行為なのではないのでしょうか?

日の丸を許容したのは、意見の違いを超えて「反原発」一本で集まるためではないのですか?
それなら、当然にも参加している「反日の丸」勢力の人たちにむかって
「一面的で単純な歴史観や国家観」というのは参加者を「選別」する行為です。
主催者なら「日の丸も反日の丸も許容する」というだけでいいのではありませんか?

> 「団結を象徴する」というのは、労組以外の人にとってはあまりピンと来ない考え方のように思います。そういう考え方があることは理解しますが、その是非とは関係なく、労働運動の文脈を過度に持ち込むことは、外野から見ればマイナスに働いているように見えますね。反原発運動においては、労組の方にはもっと組合以外の人々と「団結」する方策を模索してほしいと思います。

ピンと来ないのは実態として知らないからなのでしょうね。「知識」として知ってはいても。
それは旧「新左翼」の一員である僕にも大いに責任のあることです。
世界の労働運動が、資本の側からの強力な攻勢にもかかわらず、生き残って闘いを継続しているのに
日本では労働運動はことごとく潰され、資本に屈服してきました。
現在、日本では反原発でも沖縄でも、他のどのような運動でも、
労働運動が主役となることがありません。敗北の結果として
次の世代に運動の伝統を渡すことができませんでした。
このままではだめだ、という気持ちは、野間さんにはわからないでしょうね。

●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)14時40分33秒

まっぺんさんへのお返事です。

> > > 逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
> > > 逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
> > > 弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
> > > 逮捕の状況を調べ、
> >
> > ここまで、反原連は全部やってますね。
>
> 今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。

意味がわからない。反原連が、組織としてやってます。
当然会議で合意を経たものですし、実務の担当者とそうでない人がいます。

> そもそも「仲間は助けるが同志は助けない」とか
> 「呼びかけただけで、あとは知らないナリ」という、
> 責任についての奔放な態度を開陳されているあなたが
> 救援についてきちんと考えていたとは思えません。
> まぁ、たんぽぽ舎なんかはそのへんしっかりしてますから
> 当然やっていると思いますが。

自分の考えと同じでないと「きちんと考えてない」とするのはいかがなものか。運動が大きくなってきた場合、責任範囲を限定的・分散的にしておかないとこういう個人主体の運動体そのものがつぶれてしまいます。大きな組織でないと運動ができなくなる。そういうことを避ける方策を考えるのは当然でしょう。

> わたしは救援の担い手の歴史から申しているのです。
> 救援連絡センターは「外部から忽然と産まれた」のではありません。

救援連絡センターの歴史ではなく、「誰が救援連絡センターや弁護士と連絡を取り、救援会を組織するか」の話。それを「担い手」と言ってます。救援連絡センターが「担い手」なら、そこに連絡すりゃすむ話ってことになっちゃいますが、ちがうでしょ?

> > 主催の呼びかけで「歓迎しない」とされている行為をすることが、何にたいして「大丈夫」なのですか?
>
> おや? 「歓迎しない」けれども禁止ではないんでしょう?

そうです。「主催の呼びかけに応じて集ま」る人が、主催が「歓迎しないことをやる」のは、何にたいして「大丈夫」なんでしょうか?

> 一参加者としては非常な不快感を持っていることについては表明しておきます。
> しかしその意見に対してあなたが「一面的で単純な歴史観や国家観」であると断定するのは、
> それもまた「一面的で単純」であると思いますが、それよりも問題なのは、
> そうした断定をする事は「主催者の権限」を超えた行為なのではないのでしょうか?
> 主催者なら「日の丸も許容する」というだけでいいのではありませんか?

「反原連はそのように考えない」と表明することは当然反原連の「権限」の範疇でしょう。というか、そもそも権限云々とは関係がない。

> > 「団結を象徴する」というのは、労組以外の人にとってはあまりピンと来ない考え方のように思います。そういう考え方があることは理解しますが、その是非とは関係なく、労働運動の文脈を過度に持ち込むことは、外野から見ればマイナスに働いているように見えますね。反原発運動においては、労組の方にはもっと組合以外の人々と「団結」する方策を模索してほしいと思います。
>
> ピンと来ないのは知らないからなのでしょうね。

そうです。仲間内の了解事項を共有しない人が集まるから、人数が増えていったんだと思います。

> 労働運動が主役となることがありません。敗北の結果として
> 次の世代に運動の伝統を渡すことができませんでした。
> このままではだめだ、という気持ちは、野間さんにはわからないでしょうね。

先の投稿でも書いたように、私自身は労組にもっと参加してほしい。もっといえば、独自のデモもどんどんやってほしいと思ってます。労働運動に関わってきた人が「このままではだめだ」と本当に考えるなら、今までのやり方を見直すことにもっと積極的でいいんじゃないかな。「労組の幟は団結の象徴だから上げさせろ!」なんてことを主張する前に、原発をどうやったら止められるかを労組以外の人たちと一緒になって考えていく姿勢を持ってほしいと思います。

実際、組織動員をするが組合の幟は持ってこないという方針の労組はすでにいくつかあるようです。7.16の代々木でもそういう方針が主催の側から伝えられたと聞きますが、あんまり守られてなかったみたいですね。

https://twitter.com/kdxn

http://6305.teacup.com/mappen/bbs?page=1&

(3)に続く
コメント
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「仲間は助けるが同志は助けない」デモ?~四トロ同窓会二次会掲示板より(1)

2012年08月19日 17時09分06秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 毎週金曜日に行われてきた首相官邸前の反原発デモについては、当ブログも今まで積極的に応援してきました。
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/1a42972fb6a8ffbe30acdcf7dadbbf37
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/3027ef44998d715508f3bb6df754fcd9

 その一方で、当該デモの在り方を巡る議論についても注視してきました。
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/78d33dc7ea4d330ab1b8fb3ab0c802b8
 その後、当該反原発デモ主催者の一人も加わり、更に議論は白熱化。転載フリーの掲示板での議論なので、関連投稿を当ブログにも参考の為に保存しておく事にしました。
 投稿数が膨大なので3分割での記事としましたが、それでも記事1本あたりの字数は優に1万字を超えます。そのつもりで読んで下さい。

---------------------------(転載はここから)---------------------------

●「素人さん」の「主催者」です。 投稿者:tpkn 投稿日:2012年 8月16日(木)18時44分0秒

まっぴょんさん、お久しぶり。官邸前の「主催者」の一人です。みなさん何かご質問やご意見あればどうぞ。

https://twitter.com/kdxn

●Re: 「素人さん」の「主催者」です。 投稿者:草加耕助 投稿日:2012年 8月16日(木)19時03分14秒

tpknさんへのお返事です。

> まっぴょんさん、お久しぶり。官邸前の「主催者」の一人です。みなさん何かご質問やご意見あればどうぞ。

すでに意見はいっぱい書いてあるので、とりあえず総論的にあなたの意見や反論なぞ書いてくだされ。

そもそも官邸前の主催者(=反原連とその構成団体)はいっぱいおられるはずで、その中には私たちとほぼ同じ意見の人もおられるはず。批判するべきは批判するし、評価するべきは評価する。まあ、今までできるだけ批判は控えてきたわけですけれど。
tpknさんの意見でそれら反原連のすべてを代表することはできませんし、そんな一面的に見ているわけではありませんよ。また、別にその中の一人であるtpknさんの意見が変わったからといって、官邸前行動、まして反原発運動が劇的にかわろうはずもない。

ゆえに、自分の意見を通す時でも、他人の意見を批判する時でも、官邸前の主催者の看板を使ってものを言うのではなく、共に反原発を闘う一人の仲間、一人の人間として、この場の議論に建設的に対等な仲間として参加してください。もちろんすでに現場でもそうしておられるのだろうし、みんなの意見は対等だとはよく理解しておられるとは思いますが、それはここでも同じだということです。

追伸)「下品なおばはん」「説教してやった」という表現はよろしくないと思います。初めて見た時は、この人こんなこと本気で書いているのかとびっくりして、それでtpknさんに対するイメージが瞬時に固まってしまいました。今はそれを解凍しているところですが(^O^)。すでにあのツィートはいろんなところに出回って一人歩きしていますよ。(以下は別件へのレスに付き省略)

●おお、お久しぶりです(^^)/ 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月16日(木)19時31分29秒

「主催者」ったって、反原連は1団体じゃなく、連合体ですからねえ。
例えば野間さんは「園君は反原連じゃない」って言ってますが、
団体名をなぞっていけば、園くんもその端くれではありますよ。
「たんぽぽ舎」に出入りしてるからねえ。
それから「主催者」といっても、反原連は統一した団体じゃないので
かなりスタンスの違いが見られます。
とんぷくん氏が責任者の立場から回答するのは無理でしょう。

●いやいや… 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月16日(木)19時46分48秒

ハンドルを本名に変えます。

「責任者の立場」ではなく、単純に主催の中の人の一人として、ということです。私がここで書くことはすべて私個人の見解。ただし、統一見解も当然知っているので、それにもお答えできますよ、ということです。

で、園良太が「たんぽぽ舎に出入りしている」から反原連ってことになると、経産省前テントも素人の乱も何も全部「反原連」ってことになっちゃいますが、基本的に「反原連」は13のグループの連合体で、単に「出入りしてる」人は含まれないですね。

https://twitter.com/kdxn

●Re: 「素人さん」の「主催者」です。 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月16日(木)19時52分35秒

草加耕助さんへのお返事です。

> そもそも官邸前の主催者(=反原連とその構成団体)はいっぱいおられるはずで、その中には私たちとほぼ同じ意見の人もおられるはず。

この「私たち」はブントを指すんですよね? その場合、「ほぼ同じ見解の人」はおられないです。

反原発運動に関しては、共産党にしろ統一戦線義勇軍のような民族派右翼にしろ、できるだけ自分たちの看板や色を出さないということに尽力している勢力が多いので、草加さんの「左翼の存在感を見せつけたい」的な話はずいぶん新鮮でした。ブントのヘルメットは代々木で見ましたけど、やっぱあれ、コスプレにしか見えないから逆効果じゃないかな。

ただ個人的には、労働組合にはもっと来て欲しいと思ってます。

https://twitter.com/kdxn

●おっ!反原連登場ですね!w 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト 投稿日:2012年 8月16日(木)20時09分39秒

でも、○○くんって、以前ここにも顔出してたんじゃない?
最近はカキコより実践活動の方で忙しいんですか?w(以下は別件へのレスに付き省略)

●コスプレ上等 投稿者:草加耕助 投稿日:2012年 8月16日(木)20時43分25秒

野間易通さんへのお返事です。

> この「私たち」はブントを指すんですよね? その場合、「ほぼ同じ見解の人」はおられないです。

え?ブント?確かに私は元ブント系ですけど、30年前の話でして、今はただの個人です(笑
いやー、意表をつかれてびっくりしたっす(^0_0^)
そりゃ「ほぼ同じ見解の人」はいないでしょうよ。

もう少し丁寧に書かねばならなかったか。。。
「ここでは「主催者」への不満も書かれているが、一方ではここで書かれている不満を吹っ飛ばす、もしくは払拭するようなことを言ってくれる人も「主催者」にはいるわけですから・・・」これでいいかな?

> ブントのヘルメットは代々木で見ましたけど、やっぱあれ、コスプレにしか見えないから逆効果じゃないかな。

「ブントのヘルメット」はかぶってないけどなー。
代々木では5人で参加して、ヘルメットは3人でしたが、みんな自作でバラバラのデザインでした。私は脱原発のシンボルカラーの黄色のヘルメットに「脱原発」と書いたやつですよ。ゲバラとわんちゃんのシール貼っていったら、すごく面白がられて写真いっぱい撮られた。

コンセプトとしては、「大真面目にコスプレ」してるんです。一見するとガチに見えて、関係者や経験者が見ればちゃんと「こいつはガチじゃないな」とわかってもらえるくらいには崩してます。それでちゃんと主張や意思は伝わるように。そのバランスがいいんだと(本人は)思ってます。

つかねー、「ヘルメットかぶって集会にいってきた」と聞いて、「えっ!」とか思う段階ですでに「普通の市民」じゃないのね。コスプレとおっしゃるけど、元ネタを知らないとか、知ってても聞いたことはある程度の人にとっては、それはコスプレじゃなくて、単に面白い格好にすぎないわけで、デザインさえ間違えなければ、新鮮にさえ思われるわけですよ。

官邸前にかぶっていった時は、通りすがりの参加者(若い女性)から「かわいい!」と言われた(苦笑)。別の男性からは「黄色のヘルメットってアイデアはいいな。どこで売っているの」と聞かれました。かえって「過激派」の人が「いいんですか!大丈夫ですか!」とビビってました。「今時誰も知らねえよ」と答えておきました。まあ、ヘルメット姿が100人集まるとまた印象違うでしょうけど、数人なら問題なしです。

写真↓
http://bund.jp/img/test/met.jpg
これ見て「自分も作りたくなった」という素人さんがおられます。どんどん普及させよー。
野間さんもおひとついかがですか、マイメット(*゜▽゜*)

http://bund.jp/

●Re: コスプレ上等 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月16日(木)21時42分2秒

草加耕助さんへのお返事です。

> 「ブントのヘルメット」はかぶってないけどなー。

まじですか。BUND って書いてあったの確かにあったけどなー。それで「旗旗」の関係の人かな?と思った記憶あります。

> 野間さんもおひとついかがですか、マイメット(*゜▽゜*)

いや、なんかそういうメタな楽しみ方、みたいなのをやる気にならないのですよ。反原発運動の場合。もちろん、そういう人がいても全然かまわないんだけど、基本的には「あれこれ趣向を凝らす」の逆をやろうとしたのが官邸前の始まりなんで。まあ今は広がって、だいぶ雰囲気変わりましたけど。

※追記

今写真見たら「bund.jp」「旗旗」て書いてありますね(笑)。「旗旗の関係の人かな?」と思って当たり前だわw
https://twitter.com/kdxn

●Re:いやいや 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月17日(金)10時51分1秒

>単に「出入りしてる」人は含まれないですね。

まぁ、「含まれない」と考えるからなのか・・・というより、反原連はやはり
ゆるい連合体でしかなく、現場責任を本当にとれるほどの集合体ではないから
某逮捕者のための有効な行動ができなかったのだと思いますが。

しかし「権限」と「責任」とは一体のものであってしかるべきです。
責任をとるから権限を認められる。そういうものです。
現場における警察同調的対応や、日の丸を許して労組の旗を排除するなどの「権限」は
どのような「責任」を担って行われてきたのか。反原連の「指導部的立場」については
やはり疑問を持たざるを得ません。

といっても、あれだけ大きな集団になるのですから、なんらかの「仕切り」が
必要であったことは認めますし、それに対して十分な対応ができていないのも
また過渡的にはしかたのないことであったと、私も考えております。
今後の対応に期待しますよ。これまでの経過を総括しながらうまくやってください。

●Re: いやいや 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月17日(金)12時38分27秒

まっぺんさんへのお返事です。

> ゆるい連合体でしかなく、現場責任を本当にとれるほどの集合体ではないから
> 某逮捕者のための有効な行動ができなかったのだと思いますが。

何をもって「有効な行動」とするのかよくわかりません。

デモ主催者と参加者は「組合→組合員」のような関係にないので、任意の逮捕者に対してどこまで関与すべきかはケースバイケースになると思います。

> しかし「権限」と「責任」とは一体のものであってしかるべきです。
> 責任をとるから権限を認められる。そういうものです。

これも同様で、主催者は呼びかけ人にすぎず、参加者はあくまで自主的に集まっているわけですから、主催者は参加者に対してなんの権限も有していないと考えるべきですね。

> 現場における警察同調的対応や、日の丸を許して労組の旗を排除するなどの「権限」は
> どのような「責任」を担って行われてきたのか。反原連の「指導部的立場」については
> やはり疑問を持たざるを得ません。

まず、「労組の旗を排除する」ということは、権限としては行われていません。
それから、日の丸やレインボーフラッグ、赤旗、黒旗等のシンボルは最初からすべて許容です。

> といっても、あれだけ大きな集団になるのですから、なんらかの「仕切り」が
> 必要であったことは認めますし、それに対して十分な対応ができていないのも
> また過渡的にはしかたのないことであったと、私も考えております。
> 今後の対応に期待しますよ。これまでの経過を総括しながらうまくやってください。

結局のところ、デモに来る参加者をひとつの大きなまとまりとしてとらえるか、個人の集合体としてとらえるかの違いだと思います。

https://twitter.com/kdxn

●事実認識がだいぶ違うようです 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月17日(金)17時33分24秒

>何をもって「有効な行動」とするのかよくわかりません。

主催者が呼びかけ、呼びかけに応じて集まった人の中から逮捕者が出たのです。
警察による逮捕に対して「何をしたか」が問われるのではないでしょうか?主催者なら。
そんなこともわからないのでは、あまりにも無責任です。
「よくわかりません」などととぼけた事を言っている時点で「主催者」失格ですね。

>主催者は呼びかけ人にすぎず、参加者はあくまで自主的に集まっているわけですから、主催者は参加者に対してなんの権限も有していないと考えるべきですね。

それならいいんですが。実際には「腕章をした人」(つまり反原連の主催者)による
参加者への「指示」が行われています。その「指示」の内容によっては批判が起こっているんですが。

>まず、「労組の旗を排除する」ということは、権限としては行われていません。
それから、日の丸やレインボーフラッグ、赤旗、黒旗等のシンボルは最初からすべて許容です。

そうではなかったことは目撃証言によって明らかです。

>結局のところ、デモに来る参加者をひとつの大きなまとまりとしてとらえるか、個人の集合体としてとらえるかの違いだと思います。

つまり「主催者」側が前者としてとらえ、私などの「一般参加者」が後者としてとらえているから
上記のようなことが起こるんでしょうねえ。
もっとも、野間さんご自身は、発言からすると「後者」の感覚のようですね。
批判されている「主催者」とはちがう立場のようで、そこでも「主催者」内部のバラツキを感じます。

●Misaoさんのインタビュー記事を読んで 投稿者:草加耕助 投稿日:2012年 8月17日(金)23時25分55秒

野間易通さんへのお返事です。

反原連に官邸前行動の中で「何かをやれ」とはもう別に思いませんよ。
やはり「皆が入れる大きな空っぽの袋」を用意してくれたところが偉いというか、現在の成功の秘訣だったと思うから。反原連の催しって、そこがいいと私は思うのです。その袋の中に「こういうものを入れろ(入れるな)」とか、要求するのは詮無いことなんだろうなと、最近は思うようになりました。

別の言い方をすると、反原連は「世話人」に徹した時にすごく輝く。
そこを勘違いして、「管理人」みたいなふるまいをすると反感を呼ぶ。

で、これでいいと思うんですよ。
>主催者は参加者に対してなんの権限も有していない
>「労組の旗を排除する」ということは、権限としては行われていません。
>日の丸やレインボーフラッグ、赤旗、黒旗等のシンボルは最初からすべて許容

だいたい最初の「参加者に何の権限も有してない」にすべてが含まれると思うのですが、Misaoさんは週刊ポストのインタビューで、野間さんとはかなりニュアンスが違うことを言っておいでですね。要するに「デモに来る参加者をひとつの大きなまとまりとしてとらえ」て、それに主催者が規制の枠をはめるという、「管理人」的な考え方をしておられると思いました。「空っぽの袋」ではなく、参加者を自分色に染め上げてやろうみたいな。

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/427261bc909b9271211e3e057bc30459

一番疑問に思うのは「再稼働反対」以外は「口に出してもいけない」ってこと。これはちょっと窮屈すぎると思う。Misaoさんは野田政権に反対してもいけないとおっしゃるけど、活動家でもなんでもない普通のおじさんやおばさんが、「野田やめろ!」とか現場で叫んでますよ。いくら原発に反対でも、野田さんの支持率がすごく高かったら、ここまで集まらなかったのも事実だと思う。そういう政治に対する不満が背景にある。違いますか?そんなごく自然なみんなの気持ちを押さえつけて、のぼりはおろか、口にもするなというのはどんなもんでしょう。

警察との「友好関係」の強調もそう。官邸前には行けないと、警察に止められたおばさんが、びっくして警官に掴みかからんばかりの勢いで猛抗議しておられました。あれは活動家では絶対にできないこと。ああいうのを見た後でインタビューを読むと、「はあ?」って感じですね。「この人は普通のおばさん(参加者)と警察のどっちの味方なのかな。どっちを見てものを言っているのかな。みんなの怒りがわからないのかな」と。もう、雲の上の偉い人になってしまわれたんですね。

Misaoさんのインタビューを読んで思ったのは、総じて「自分の個人票で当選したと思い込んでいる議員先生様」みたいな印象でした。実際にはまず政党の基礎票というものがあり、個々の運動員や支持者が必死で開拓した運動の集積として、その議員個人の票だってある。それを忘れるなら、あっという間に「あっそ、じゃあ自分だけてやってね」と皆が離れて裸の王様ですよ。

たとえばセクトの活動家だって、組織名を出さずに官邸前に通いつめ、被災者のために献身的に運動している人だっているのです。だから10万人を突破した時、そんなセクトや左翼の活動家を含む参加者の一人一人が「自分の成果=みんなで勝ち取った成果」として、すごい達成感を感じたし、嬉しかったし、それをまともに報道しないマスコミへの怒りを共有した。連帯感があった。それをまるで自分(たち)の成果みたいに語って、どこもかしこも味噌もクソも一緒くたに「セクトのやつらは」と語るMisaoさんには、ものすごい反感を感じました。あの日の連帯感を穢されたような裏切られた思いでいっぱいになりました。

被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われ、絶望(幻滅)して、官邸前には行かなくなった方もいます。恩着せがましいことは言いたくありませんが、私はそんな方にもずっと反原連をかばってきたつもりです。でもこのインタビューで、被災者を含むそういう人たちを切り捨てたおかげで「運動が成熟した」とか言っておられるので、もう雑誌を破ってやろうかと思いました。

まあ、革マルはしょうがないですよ。あそこの運動理論では、参加者との連帯なんてないですから。文字通り、単に宣伝のため「だけ」に来ているのです。だからこそ、いつも素早く最前列に陣取れる。さすがの私もかばいようがなく、あれは追い出されてもしょうがないです。ただ、Misaoさんみたいに駅前でビラを巻くのもいけないってのは、ちょっと行き過ぎだと思います。また、よく革マルと一緒にされる中核派ですが、実態はかなり違います。少なくとも参加者の一人一人は主体的に抗議に参加しています。隣になったことがありますが、全体的にとても好感が持てました。まあ、組織の評価は指導部と機関紙に書いてある内容で判断するしかないので、その点では気の毒に思います。

まあ、「主催者」にもいろいろいるということですねえ。前の私の投稿で書いた、頭ごなしに命令してきた「主催者腕章男くん」も、おそらくMisaoさんのこういう発想に感化された人だったんだと合点がいきました。

http://bund.jp/

●Re: 事実認識がだいぶ違うようです 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)02時45分40秒

まっぺんさんへのお返事です。

> 主催者が呼びかけ、呼びかけに応じて集まった人の中から逮捕者が出たのです。
> 警察による逮捕に対して「何をしたか」が問われるのではないでしょうか?主催者なら。

はい。で、「何をし」たら、「有効」と判断するのですか?
あなたはそこを何も示していない。

> それならいいんですが。実際には「腕章をした人」(つまり反原連の主催者)による
> 参加者への「指示」が行われています。その「指示」の内容によっては批判が起こっているんですが。

「指示」は実際には「お願い」ですね。何の権限もありません。参加者と主催者は対等です。
「主催者の指示にしたがってください」とお願いした上で集まってもらっています。

> >まず、「労組の旗を排除する」ということは、権限としては行われていません。
> それから、日の丸やレインボーフラッグ、赤旗、黒旗等のシンボルは最初からすべて許容です。
>
> そうではなかったことは目撃証言によって明らかです。

「権限としては行われていません」と書いてある通りです。現在のガイドラインはこれ。
http://coalitionagainstnukes.jp/?p=789

一部労組の旗を排除したりという行為があったことはたしかですが、それは方針の不徹底による反原連側の過ちです。

> もっとも、野間さんご自身は、発言からすると「後者」の感覚のようですね。
> 批判されている「主催者」とはちがう立場のようで、そこでも「主催者」内部のバラツキを感じます。

いや、私は「もっとも批判されている主催者」の一人ですが、それとは別に、やっぱり一部の参加者にお客様感覚の強すぎる人がいるとは感じています。そういう人には、「主催は店員ではないよ」と言いますね。

以下はまったくの個人の意見で反原連スタッフの中でもごく少数派ですが、私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。

https://twitter.com/kdxn

●Re: Misaoさんのインタビュー記事を読んで 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)03時10分45秒

草加耕助さんへのお返事です。

> だいたい最初の「参加者に何の権限も有してない」にすべてが含まれると思うのですが、Misaoさんは週刊ポストのインタビューで、野間さんとはかなりニュアンスが違うことを言っておいでですね。要するに「デモに来る参加者をひとつの大きなまとまりとしてとらえ」て、それに主催者が規制の枠をはめるという、「管理人」的な考え方をしておられると思いました。「空っぽの袋」ではなく、参加者を自分色に染め上げてやろうみたいな。

ミサオさんのインタビューを読んでもそういう感想は持たないのですが、どのあたりがそう読めますかね。

> 一番疑問に思うのは「再稼働反対」以外は「口に出してもいけない」ってこと。

こんな事実ないです。過去のIWJのアーカイブを見れば明らか。

> Misaoさんは野田政権に反対してもいけないとおっしゃるけど、活動家でもなんでもない普通のおじさんやおばさんが、「野田やめろ!」とか現場で叫んでますよ。

いいんじゃないでしょうか。「反対してもいけない」なんてことは書いてないです。《「野田政権打倒」を掲げる人たちもいるけど、私たちはそれが目的ではない》と言ってます。それが目的ではないのだからしょうがない。野田がやめたところで次の首相が再稼働をつづければ同じように「再稼働反対」を言いに官邸前に集まるのだから、当たり前でしょう。

> そんなごく自然なみんなの気持ちを押さえつけて、のぼりはおろか、口にもするなというのはどんなもんでしょう。

「野田はやめろ」と書いたプラカードやのぼりを降ろさせたことなどないし、官邸前のスピーチでは「野田やめろ」と叫んだ人はたくさんいますよ。再稼働するなという流れからすれば至極当たり前のことでしょう。

> 警察との「友好関係」の強調もそう。官邸前には行けないと、警察に止められたおばさんが、びっくして警官に掴みかからんばかりの勢いで猛抗議しておられました。あれは活動家では絶対にできないこと。ああいうのを見た後でインタビューを読むと、「はあ?」って感じですね。「この人は普通のおばさん(参加者)と警察のどっちの味方なのかな。どっちを見てものを言っているのかな。みんなの怒りがわからないのかな」と。もう、雲の上の偉い人になってしまわれたんですね。

「抗議する人と警察とどっちの味方か」みたいなことをよく言われますけど、どっちの味方でもないですよ。私がよく見る限りでは「掴みかからんばかりの勢いで猛抗議しておられ」る「おばさん」は「活動家」の人が多いですが、そうでないにしても、デモの現場で警察とケンカすることは時間の無駄だと感じているからです。やりたい人は自由にやればいいですが、スタッフはあんまり興味がない。ただし、一応横で注意はしていて、もみ合いになりかけた場合は割って入りますし、すぐに現場に弁護士を呼ぶ態勢を整えています。

その他、ミサオさんのインタビューについて印象を語られても、私にはあんまり共有できるものがないので以下事実関係のみ。

> 被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われ、絶望(幻滅)して、官邸前には行かなくなった方もいます。

これもよく出回っている話ですが、被曝問題も疎開支援の話も、当然官邸前のスピーチで何回も語られています。これもIWJのアーカイブを確認すればわかります。草加さん、これ伝聞じゃないですか?

> まあ、革マルはしょうがないですよ。あそこの運動理論では、参加者との連帯なんてないですから。文字通り、単に宣伝のため「だけ」に来ているのです。だからこそ、いつも素早く最前列に陣取れる。さすがの私もかばいようがなく、あれは追い出されてもしょうがないです。

ところが実際にはむしろ革マルのほうが問題が少ないという…(笑)。

> ただ、Misaoさんみたいに駅前でビラを巻くのもいけないってのは、ちょっと行き過ぎだと思います。

私もそう思います。ただし7.29日比谷の場合、駅前=日比谷公園中幸門ですから、これは集会場所の文字通り入り口で『解放』を配られちゃってるわけで、実質的には「おいおい、かんべんしてくれよ」なシチュエーションでした。

> また、よく革マルと一緒にされる中核派ですが、実態はかなり違います。

私も反原発運動における中核派(おもにNAZEN)はよく頑張っていると思います。

> まあ、「主催者」にもいろいろいるということですねえ。前の私の投稿で書いた、頭ごなしに命令してきた「主催者腕章男くん」も、おそらくMisaoさんのこういう発想に感化された人だったんだと合点がいきました。

たぶん全然違います。その件に関して、どの人かツイッターのアカウントも教えて事実関係をちゃんと取材しては?と提案しましたが、草加さんは結局何もしませんでしたね。そういう怠惰なことで「合点がい」かれても困りますね。

https://twitter.com/kdxn

http://6305.teacup.com/mappen/bbs?page=2&

(2)に続く
コメント (3)
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転載:「国会議事堂前占拠」!60年安保闘争以来の快挙!(yukikoさんの日記)

2012年08月03日 00時38分38秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
7.29脱原発国会大包囲空撮~人が溢れた瞬間映像


脱原発の鎖が国会包囲~議事堂前に解放区!(2012年7月29日)


※7月29日東京での脱原発国会包囲行動に参加されたyukikoさんの日記を、ご本人の承諾を得てここに転載します。

(転載開始)
 ひとつ前のエントリーで紹介したヘルメットをかぶって、29日の国会包囲行動に行ってきました。われら「チーム旗旗」は黒ヘル、黄ヘル、赤ヘルと色とりどりで、大真面目に参加しました。清志郎&ゲバラのピンク旗と三里塚勝手連の旗を掲げました。

 集合地点は日比谷公園・カモメ広場。福島からおいでの皆さんが早くも気炎を上げています。私は知らなかったのですが、一部では人気が高いらしい独特のリズムの歌と、踊り(→メルトダウンブルース)を踊っていました。暑い中、本当にお疲れさまです。

 また、デモに参加するために来ていた、福島から避難しておられるお母さん方から大変に重要、貴重なお話を聞かせていただきました。ここに書くかどうかを迷いましたが、お母さんたちは、マスコミが決して報道しない真実を話してくださり、あなたたちが伝えて!と泣きながらおっしゃいましたので、書くことにします。

 まず、びっくりしたのは、事故当時、妊婦さんだった女性の多くが中絶手術を受けたということ。なんとも痛ましい現実です。また、被害状況は私たちが思っているよりずっとひどいということ。たとえば、双葉町の町長さんは手足の体毛がなくなってツルツルになっていること、人によっては全身に水ぶくれができて、髪は全部抜け落ち、歯も溶けてしまったという人もいるといいます。
 避難が遅れた人たちの突然死(心臓関係)が多いこと。命からがら逃げて助かったものの、みんで死のうかと話したこと、賠償金が払われないこと、留守にした家にあった金品はすべて盗まれていたこと、これから賠償金のことで闘い続けなければならないこと、どんなに疲れてせつないか、いろいろを泣き泣き話してくれたのでした。ここに発表できてよかったです。(お母さん、伝えましたよ)

 さて、集会場所に移動です。すでにたくさんの人、人、人。思い思いのファッション、プラカード、楽器、旗などを持っておられます。みんなの本気が伝わってきます。僭越ながら、私たちは、六大学全共闘の皆さんの後ろの方に付けたらいいなと思っていましたが、隊列は分断され、なかなかデモに出ることができませんでした。

 草加さんが自前のサウンドシステム「旗旗7号」で音楽を流します。チーム旗旗の黒ヘルくんたちがマイク担当です。われわれの、「ヘルメットに白タオル」な伝統的ファッションはかなり目立っていたため、たくさん写真を撮られまして、取材やインタビューがひっきりなしに来ました。特にキヨゲバラの自作のピンク旗がとても好評で、写真を撮っていかれる人が多かったです。外国の方々もゲバラということでたくさん見に来ました。

 旗旗の宣伝も兼ねていたので、「いつも読んでます」と言って話しかけてくださる方も多かったです。ありがとうございます!声をかけてくださった皆さま、これからも「旗旗」をよろしくお願いします。そしてまたどこかでお会いしましたら、気軽に声をかけてくださいね。

 草加さんが生放送のインターネットTVの取材を受け、熱く語っていましたら(ニコ動というのでしょうか?)、コメントが画面に流れるように出るやつ。「よく言ってくれた!」、「コイツ、ガチだぜ」、「パチパチパチパチ」とか流れていました。レポーターの男性は初めてのレポートだったそうで、草加さんは生放送だと知らなくてただただ熱く語っておりました。生放送とわかった途端に「え?これ生放送なんですか!?」とか言ったら、画面上が「wwwwwwwwwwwww」でいっぱいになっていました。wwwwwww

 「旗旗7号」で、タイマーズ、オリジナル・クラブ・ミックスのライディーン、ECD、ソウル・フラワー・ユニオンなどなどをガンガン流しました。小さいサウンドシステムですから、プロでやっておられる皆さんとは比べ物にならないでしょうが、こういう手作りのものも、とてもよかったと思います。わりと周りの皆さんもノッテくださいました。

 終始、人の多さに圧倒されていましたが、本当にだんだんとますます人が増えて、国会包囲のころには、ぎゅうぎゅう詰めといった感じでした。こんなにたくさんの人がどこにいたかと思うくらいでした。太鼓部隊がいい感じでパフォーマンスしていたので、自然とリズムに乗ります。デモ行進には太鼓類は欠かせないなぁ、と感じました。

 そうこうしていると、人の波がグラっと揺れるというか、動きました。バリケードを越えてみんながなだれ込むように歩道から車道へ移っていきます。われわれも、行け!とばかりに飛び出しました。「国会包囲」から「国会議事堂前占拠」です!私もこんな光景は初めてです。

 なんと60年安保闘争以来の快挙だそうです。実に52年ぶりの国会前占拠です。こんな日が来るとは思わなかった!すごい、すごい!権力よりも民衆の怒り、訴えの方が強かったということです。福島の皆さんもみんなでなだれ込んだのです。権力はなすすべもなく、あっけにとられているようでした。民衆をなめるなよ?といったところでしょうか。国会議事堂前を占拠した民衆は、その後も強くシュプレヒコールを続けました。参加者の心がひとつになった瞬間でした。おおげさでなく、本当に歴史的瞬間でした。

 揚げ足取りのひねくれた人は、「自己満足じゃないか!」というかもしれませんが、決してそんな簡単なものではありません。これは経験しなければ絶対にわからない感覚です。みな、自己満足、自己完結では終わらない決意と、直接の被害者である福島の皆さんとこれからも一緒にしっかりと闘っていくという気持ちでいっぱいになったのでした。

 行動が終わりを迎えるまで、みんなのさまざまな訴えは、かなり長い時間、続きました。だれもが真剣でした。私は飲み物を飲み尽くしてしまい、のどが渇いて渇いて、買いに行きたくても人がいっぱいで動けません。また近所に自販機もありません。そんな時に全学連の皆さんが、みんなに水を提供してくださいました。本当にありがたかったです。その水のひと口のおいしかったこと!命の水といった感じでした。本当にありがとうございました。熱中症ぎりぎりのところで救われた人は多かったと思います。

 「国会議事堂前占拠」。こういった瞬間に出会えることは、人の一生で、まずないと思います。その場にいられた参加者のひとりとして誇りに思います。居合わせた皆さんも、誇りに思っていいと思います。とても幸せなことでした。

 お金に余裕のある人はお金を、力と時間のある人はそれぞれの場所へ、それは無理だという人はテント村や金曜日の官邸前へ、それも難しい人は被害に遭われた方々のために祈ることでもいいんじゃないかと、私は思います。この快挙を胸に、これからも途切れることなく支援の輪を広げる、持続させることが必要だと強く思った日でした。

※各地方では、国会包囲に関連したデモや行事は行われたのでしょうか。もし行われたという情報をお持ちの方は、ぜひとも教えてくださいませ。よろしくお願いします。

(転載終了)

http://bund.jp/modules/minidiary/detail.php?bid=339&com_mode=flat&com_order=1#comment13376
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転載:原子力規制委員会が原子力ムラに乗っ取られるのを許さないための行動を。

2012年08月01日 06時37分40秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
※現在新たに記事を書き起こしている時間がなかなか取れず、村野瀬さんのブログからの転載になってしまいましたが、大事な問題なので、せめてこういう形で情報拡散に協力させて貰います。


新設の原子力規制委員会での委員長と委員の人選が、あまりに原子力ムラ、もとい、核発電核開発推進原理主義組織に偏っていることが大きな問題です。原子力規制委員会が原子力推進側に握られるってどんな逆立ちした独裁体制の暴政強行かと思います。間もなく国会での承認のプロセスに入りますが、それを黙って許してはなりません。

2012年7月29日(日)の脱原発国会大包囲行動はたくさんの人を集めましたが、このような不当な核発電核開発推進原理主義組織の人事への企みにも多くの抗議が必要です。

下のお持ち帰り記事の中にあるオンライン署名と同時に、国会議員、特に地元の国会議員と民自公幹部にこの人事案についての意見を届けることが重要です。

●「避難の権利」ブログ
【緊急事態】新設・原子力規制委員会に「原子力ムラ」の人選~国会議員に「同意しないで」と伝えよう!
http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-5a71.html
2012年7月21日 (土)

新設の「原子力規制委員会」の人事案がメディアで報じられました。下記の5人です。

田中俊一氏(後述)~委員長候補
更田豊志氏(日本原子力研究開発機構安全研究センター副センター長)
大島賢三氏(国連大使、JICA副理事長・顧問を歴任)
中村佳代子氏(日本アイソトープ協会)
島崎邦彦氏(地震予知連絡会会長)

このうち、田中俊一氏、更田氏、中村氏は明らかに原子力ムラ出身者。新設「原子力規制委員会」が強力な権限をもつ独立委員会なだけに、これが通れば、今後の日本の原子力に関する重要な決定がすべて原子力ムラに牛耳られることになりかねません。

また、委員長候補の田中俊一氏は、下記のような人物です。

日本原子力研究開発機構理事長、原子力委員長代理、原子力学会会長を歴任。
原子力損害賠償紛争審査会においては、最後まで、自主的避難者に対しての賠償方針を策定しようとする能見会長に抵抗。政府が避難の基準としている20mSVをゆるがすべきではないという立場。審査会で決まったあとも、抗議文を読み上げ、福島の被害住民や、傍聴者の怒りをかった。住民の帰還基準を20mSvと主張。

低線量被ばくリスクについての認識がなく、「100mSvというのは健康に大きな影響がないということ。このあたりをどう今後住民に、折り合いをつけていただくかということが大変大事」と発言(2011年8月23日 第32回原子力委員会 議事録より)。

NPO放射線安全フォーラム(原子力ムラの住民たちの立ち上げた団体)副理事長として、いち早く飯舘村に入り、高線量地区の長泥区長宅に押しかけて除染実験を行い、除染土の処理に「これだけ広いんだから谷一つくらい埋めればいい」と発言。県内各地で除染を手掛け、福島県の除染アドバイザーに就任。

食品安全員会の示した生涯100mSvという基準や労災や放射線管理区域の5mSvを基準にしてはという考え方に対し、厳しすぎるという観点から反対。最大の健康影響は避難することにストレスだとしている。

まだ、間に合います。

この人事案には、国会の衆参両院の同意が必要です。国会議員に、この問題点を伝えていきましょう!

★オンライン緊急署名はこちらから★

https://fs222.formasp.jp/k282/form2/

原子力規制委員会って何? 何が問題?という方は、下記のPDF(eシフト氏家さんの講演パワポ)をご覧ください。

https://dl.dropbox.com/u/23151586/120726_ujiie.pdf

eシフト(脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会)などが、下記の声明を出しました。

--------------------------------------------------------------------------------
「原子力規制委員会」の同意人事に関する緊急アピール
細野豪志大臣!原子力規制委員会に「原子力ムラ」の人選!?
適任者に今すぐ差し替えを!

2012年7月21日
eシフト(脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会)
           エネシフ・ジャパン有志 

7月20日、「原子力規制委員会」の5人(田中俊一氏、更田豊志氏、大島賢三氏、中村佳代子氏、島崎邦彦氏)の国会同意人事案が複数のメディアに報じられました。
新しい原子力規制委員会の設置は、「1.利用と規制の分離、2.原子力安全規制に対する国民の信頼を得る」の二つを大きな目的とし、その人選は「1.中立公正性 2.透明性の確保を徹底する」としていました。
ところが、政府は、原子力学会会長や原子力委員長代理(2009.1.1~2009.12.31)として、原子力事業者と一緒になって原発を推進してきた田中俊一氏を、規制委員会の委員長に横滑りさせるという提案をしました。これは、「原子力ムラ」の中心人物に「規制」を担当させるもので、「利用と規制の一体化」に他ならず、「中立公正」でもなく、国会での法案審議の趣旨を踏みにじり、原子力安全行政に対して更なる国民の不信をもたらす人事案です。
 同意人事案提案の責任は、細野豪志原発担当大臣にあります。細野大臣、「原子力ムラとの決別宣言」を全うするよう、直ちにこの案を撤回し、適切な人事案を国会に提示してください。

≪問題だらけの政府人事案:直ちに差し替えを!≫
【委員長候補】
×田中俊一(たなか しゅんいち)氏:【原子力ムラ・不適格】
 (独)日本原子力研究開発機構(旧動燃)副理事長、原子力委員長代理、原子力学会会長を歴任。
※長年にわたって「原子力ムラ」の中心で活動。
※「原子力委員会」は国の原子力推進機関。原子力事業者と秘密会合を重ねて原子力を推進するなど公正さに疑惑がもたれており、原子力委員長代理としての田中氏の行動に対する第三者による検証が必要。
 ※副理事長である「(独)日本原子力研究開発機構」は、政府の原発推進、核燃料サイクル推進の研究開発機関。高速増殖炉「もんじゅ」の設置主体であり、「原子力ムラ」の関係者ではなく、「当事者」。
※さらに、田中氏は、原子力損害賠償紛争審査会において、「政府が避難の基準としている20mSVをゆるがすべきではない」として、最後まで自主的避難者に対しての賠償方針を策定しようとする能見会長に抵抗。審査会で決まったあとも、抗議文を読み上げ、福島の被害住民や、傍聴者の怒りをかった。住民の帰還基準を20mSvと主張し、原研機構に除染利権をもたらし、自身は福島県除染アドバイザーに。

【委員候補】
×更田豊志(ふけた とよし)氏:【原子力ムラ・不適格】
日本原子力研究開発機構の安全研究センター副センター長。福島第一原発事故後も原発推進を前提とした「原発の継続的改善」を主張。日本原子力研究開発機構は、「原子力ムラ」の当事者。安全規制対象の「もんじゅ」を運営する日本原子力研究開発機構の現役幹部を登用することは、実質的に欠格要件に該当する人事。

×中村佳代子(なかむら かよこ)氏:【規制対象事業者・不適格】
中村氏の所属する(公益社団法人)日本アイソトープ協会は医療用放射性廃棄物処理工場を運営し、最終処分場の設置を計画中。原子力安全規制の対象になる事業所の代表を規制委員に加えることは、実質的に欠格要件に該当する人事。
×大島賢三(おおしま けんぞう)氏:【外務官僚・不適格】
国連大使、JICA副理事長・顧問を歴任した外務官僚。
※政府から独立して政策を決定し、執行する原子力規制委員会に、そもそも官僚OBは不適格。原子力規制委員会の業務である原発再稼働の基準、原発40年廃炉、放射線モニタリングなどの専門家でもない官僚OBは、政府の意向を原子力委員会に反映させるためのお目付け役にすぎない。

△島崎氏についても、十分慎重な調査が必要と思われる。

2012年7月21日 (土)

(転載ここまで)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3627.html?tw_p=twt
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