アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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プレカリアートの明ルイ呪イw

2009年03月16日 22時34分10秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 今までずっと、自分のブログの更新・管理作業をやってきた中で、最近ある面白い事に気付きました。それは、数ある過去のエントリー記事の中で、「旧生駒トンネルにまつわる怪談話」という、かれこれ2年近くも前に書いた記事だけが、何故か、最新記事と同じ位のアクセス数をはじき出しているという事実です。
 編集画面からの直近データでも、当該エントリーのアクセス数/総アクセス数は、3月14日が32/539、13日が12/564という具合です。検索ワードのデータにも、「アフガン、イラク、北朝鮮、新自由主義」などの常套句に混じって、「東大阪、近鉄、奈良線、最終電車、旧生駒トンネル、心霊」などの言葉が、毎日必ず出てきます。
 当該エントリーは、下記の如く、何の変哲も無い身辺雑記です。秋口に暑気払いを兼ねて、近くの心霊スポットを訪ねてみたというだけの、コメントやトラックバックもついていない、地味な記事です。何でこんな記事が、今頃になって、最新記事並みによく読まれるのが、私にも全然分かりません。

(以下、当該記事より一部引用)
>旧生駒トンネルは、当時の大阪電気軌道(後の参宮急行、現在の近鉄奈良線)が大阪・奈良間にある生駒山地をぶち抜いて、2年7ヶ月の歳月をかけて1914年に完成させたものです。それから1964年に現在の新線に切替わるまで使用されていましたが、工事に際しては朝鮮人労働者を初め多数の坑夫が事故で亡くなっているので、完成後も怪異譚が後を絶ちませんでした。例えば、奈良行最終電車がトンネルに差し掛かるとそれまで閑散としていた車内が亡霊で一杯になるとか、トンネル内で人の声が聞こえたとか亡霊を見たとか。実際、開通後も大きな鉄道事故が何度も起こっているのです(但しこの事については後述)。それで近鉄としても放っておけず、亡霊避けの為に、最終電車の後にわざわざ回送電車を走らせたりとか、トンネル近くの石切駅の時刻表にだけ、わざわざもう一本後の架空のダイヤを載せたりしたとか(ここまで来るともう笑い話に近い)。今日見てきた限りでは、当然ながらそんな架空のダイヤなぞは設定されていませんでしたが。
 そういう歴史的背景もあるので、私としては、ただ単に心霊スポット探訪記とするのではなく、社会勉強の気持ちも持っていました。まずは地元の府立図書館で参考文献(田中寛治・他共著「旧生駒トンネルと朝鮮人労働者」国際印刷出版研究所・刊)を借りて、奈良県生駒市の宝徳寺境内にある韓国人犠牲者慰霊碑(1977年に近鉄が建立)に参った上で、くだんの心霊スポットを散策してきました。
(引用終了)

 でもまあ、こんな地味な記事でも、折角読んでくれているのならという事で、少し読者サービスを試みてみる事にしました。
 実は、この時には、既にブログにアップした携帯写真以外にも、他に写真が幾つかあったのですが、それらは全然日の目を見ないままに、その後の携帯の機能更新やら何やらで、使えなくなってしまっていました。当時は、ブログの使い勝手にも今ほど慣れておらず、同一記事に複数の画像をアップする術を知りませんでしたので。
 そこで、折角読んでくれるのならと、もう一度現地の写真を撮ってきて、改めてブログに載せる事にしました。しかし、ただ単に同じ事を繰り返すだけでは、面白くも何ともありません。折角イワク付きの場所を訪れるのですから、地縛霊だか何だか知りませんが、現地の霊力にあやかって、願掛けをする事にしました。それで、この前の日曜日に、私のささやかな願いを手製のポスターにしたためて、精一杯お祈りしてきました。それが下記の写真です。
 世は正にスピリチュアル・ブームとかで、病院待合室の女性雑誌を開けば、その手の広告がわんさか載っています。また、自民も民主も手段を選ばず、賄賂もウェルカムなご時世なのですから、唯物論者の私とて、この程度の政治利用に及んだぐらいで、よもや罰が当たるなぞとは言わせない。

 では、写真の中身について、通し番号順に説明していきます。

(1)旧トンネル近くにある近鉄の変電所。ここから高圧送電線が旧トンネルの方にも延びている。人魂などの目撃情報の類は、多分これらから出る電磁波の影響によるものだろうと、私は推測しています。
(2)旧トンネル入口遠景。当該トンネルは、線路付け替え後も近鉄の電力施設として使われている。一般人が立ち入れるのは入口まで。トンネル手前のプラットホーム跡は、旧・日下(くさか)駅のものと思われる。
(3)旧トンネルの入口。扉は施錠されており、「無断立入禁止・監視システム作動中」の旨の掲示がされている。
(4)トンネル横の、プラットホーム跡の直ぐ後に、小さな祠がある。そこに手製のポスターを供えて、願掛けに及ぶ。しかし、当日は結構風があって、ポスターを安置するのに苦労しました。





(5)その祠には、1985年(昭和60年)の、近鉄東大阪線・新生駒トンネル開通記念の貫通石もあった。
(6)旧トンネル入口の鉄扉に手製のポスターを掲げての革命祈願w。ここでも風が吹いて、ポスター安置・記念撮影に一苦労。元祖・プレカリアートの地縛霊の皆さん、強制連行への恨みつらみは、全てこの人にぶつけましょう。
(7)祠の横には小さなお社もあった。
(8)駅へ向かう帰り道、高台から眼下に大阪平野を見下ろす。夜はさぞかし夜景が綺麗なのだろう。
(9)ふと目を脇に転じると、何とそこには一足の靴が・・・。流石に、飛び込み自殺の形跡こそ無かったものの、何故そんな所に・・・。
(10)旧トンネル最寄り駅、近鉄奈良線石切駅の時刻表。写真は平日ダイヤの表で、上段が上り(上本町・難波方面)、下段が下り(奈良方面)のダイヤ。これによると、深夜0時20分当駅発の奈良行き普通電車が最終だが、これがその、過去に何かと噂になった幽霊電車なのだろうか・・・。

 しかし、写真(6)のこの手製のポスターですが、自分で言うのも何ですが、出かける前に即興で作った割には、なかなかの出来栄えかと。今後は、集会・デモに飛び入り参加の折には、これを持っていく事にしよう。
コメント (1)
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