(高橋浩一先生のブログで脚気について読み、たしか私も過去に書いたな、と思いだし、探してみたら2つありました。
これより以下の文章は
今から12年前、2010年4月2日9時40分53秒に下書き保存したものです。
脳脊髄液減少症の専門医やその患者たちが医学界や法廷で「そんな事故後遺症ない!」と激しくバッシングされていた時代の文章です。
書き加える事なく、そのまま公開します。
下書きで公開していなかった文章を本日2022年3月30日公開します。下書きなので、誤字脱字、12年前の記事なのでリンク切れあるかもしれません。ご了承ください。)
過去の医学会での脚気論争の類似点について気づかせてくれたのは
今から3年も前、
私の この記事に対してコメントくださった「現役保険営業マン」さんです。
記事のコメント欄をお読みください。
また、
同病患者のろくろさんのブログ内でも過去に
現役保険営業マン様からは「脚気という病の巻き起こした」歴史について教えていただきました。
今から136年も前、脚気という病は原因不明の病でした。
今では
こどもたちは学校の「生活」や「保健」の授業で、
「脚気原因はビタミンB1不足」とごく当たり前に教えられて、
学校のテストでも出題されているはずです。
でも当時は、脚気の原因として、
伝染病説、栄養欠陥説などさまざまな
脚気の原因説を唱える医師たちが、激しい論争を繰り広げていたようです。
脚気の原因が判明している未来の私たちから見たら、
当時の論争はこっけいですが、
当時の医師たちはそれはそれは真剣に
いろいろな自論を繰り広げ、
互いに一歩も譲らなかったようです。
その中で、のちに正しい脚気の原因説を唱えていたと判明したのが
高木兼光 です。
この高木兼光という方、
なんと、慈恵医科大学の前身の学校の創設者なのです。
その慈恵会医科大学に事務局がある、日本脳神経外傷学会が
長い間、「脳脊髄液減少症なんて交通事故で起こりっこない」と否定し続けて、
患者を無理解で苦しめました。
今でも「きわめてまれに起こる事故後遺症」などと言い張って、
現にこうして私という患者を実際に無理解で苦しめています。
かつて脚気の原因をいち早く唱え、当時医学会にバッシングされた経験を持つ
慈恵医科大学の天国にいる創設者である高木兼光は
この現代に巻き起こった脳脊髄液減少症の医学論争を、
どんな思いで天国から見ていることでしょう・・・・。
病の新しい概念を唱えた人と、それを反対の立場で非難する人たちが
100年以上の時を経て、見事に逆転するとは、
なんとも皮肉というか、
何の因果か因縁かと思ってしまいます。
かつて脚気の栄養欠乏説にいち早く気づき、
しかし、その当時としてはあまりに斬新な発想のために多くの権力ある医師たちの反対にあった経験のある
かつて100年以上前、
脚気論争の真っ只中で、脚気栄養欠乏説を唱え、非難され続けた
高木兼光の作ったのが慈恵医科大学。
その慈恵医科大学内にある「日本脳神経外傷学会」が
脳脊髄液減少症という新しい医学概念を唱える現代の医師を、長年批判してきたという
この不思議な取り合わせ、縁に、
天国の慈恵医科大学の創設者の高木先生も驚き、
この脳脊髄液減少症の医学論争を、
さぞかし複雑な思いで見ていることでしょう。
たしか、慈恵医科大学の理念は
「病気を診ずして、病人を見よ」ではなかったのか?、
それなのに、
高木先生の意思を継いだ慈恵医科大学内に事務局がある
日本脳神経外傷学会が、
今まで脳脊髄液減少症をいう事故後遺症を疑問視してきた上、
今回さらにしかたなく「事故で起こる」と認めざるをえなくなった後でも
さらに「きわめてまれ」だなんて言い張って患者をこうして苦しめているととは、
なんという因果か?因縁か?
脳脊髄液減少症という事故後遺症の存在を
長年頑固に否定し続けてきたものの、
認めざるをえなくなったら、今度は
「きわめてまれ」だなどと、患者の感情を逆なでするようなことを平気で医師たちは、
建学の精神の高木兼寛の言葉のようにちゃんと、
「病気を診ずして、病人を診よ」を守っているのか?
脳脊髄液減少症を抱えて苦しむ「病人を診ないで、病気だけを診ていないか?」と問いたいです。
まずはその昔、
脚気の原因が不明だったころの、医師たちの間で巻き起こった、
脚気論争の歴史を皆様にもお読みいただきたいと思います。
慈恵会のこちらの記事をじっくりとお読みください。
理事長あいさつ。
慈恵大学の建学の精神 沿革
「源流~貧しい病者亜を救うために。」
「建学の精神
病者の側にたった医療を」
人間は同じ過ちを繰り返しては、
その過ちに気づいて軌道修正しながら、
そこから新たに学び、科学も医学も進化していくんですかね?
130年前に巻き起こった脚気論争と同じことが、
脳脊髄液減少症の医学論争に起こっている。
私にはそう思えてしかたありません。
どうでもいいですから、
医師たちのプライドより、
患者救済を第一に考えてほしいです。
何をどうしたら、より多くの実際に苦しんでいる患者を救えるか?を
まずは医師として初心に帰って、プライドを捨てて、
考えてほしいです。