雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森98 日渡早紀さん『ぼくの地球を守って 1』の2

2010年11月06日 23時13分37秒 | 本と映像の森
本と映像の森98 日渡早紀さん『ぼくの地球を守って 1』の2

 N子さんの指示でつくるべき文書をつくったあと、深夜、いま14巻までいきました。
 いろいろ想い出しました。

 14巻で、ぼくの大好きな一成が迅八に、修学旅行のホテルで深夜、自動販売機の前で語ります。

一成「昔は良かった
  だから昔のようにしてくれって そんなの無理だよ
  ぼくはね 迅八
  笠間くんのこときらいじゃないな
  …むしろ 偉いなって 思い始めてる…
  例えば 過去に向けてじゃなくて 未来に向けて 
  未来のどこかで
  もっと別なやり方で 償ったっていい…そんな風に教えられた気がする
  昔がいいなら ぼくらはぼくらで
  築ける範囲で 理想の『昔』を 未来につくっていくしかないよね」

迅八「おまえ… エンジュとは少し 違うな…」
一成「…迅八だって 」

一成「同じでいて いいわけないんだよ
  でなきゃ 生まれ変わった 意味ないもん
  時間が存在する 意味ないよ
  
  ただ時の流れの中で 紫苑は迷子になっちゃったんだな…って 」

 このあと、アリス=木蓮の覚醒シーン、季節外れの桜の開花シーンがきます。

アリス「生きる喜びを 歌ってる
  明日と未来のために 花を咲かせてる
  その喜びを歌えるのは 今だから

  懐かしい歌
  聞き覚えのある声
  緑のささやき 緑の歌

  あたし 知ってる
  こんな歓び この…感慨

  生命(いのち)ある者が 生きる歓びを 歌う瞬間 
  忘れるはずないのに」


本と映像の森97 日渡早紀さん『ぼくの地球を守って 1』<花とゆめコミックス>、白泉社

2010年11月06日 22時18分03秒 | 本と映像の森
本と映像の森97 日渡早紀さん『ぼくの地球を守って 1』<花とゆめコミックス>、白泉社、1987年6月25日第1刷、187ページ、定価379円+消費税=390円

 「ぼくの地球を守って」です。

 うわ、どうしよう。明日までに、N子さんが指示した原稿を書かないといけないのに(いえ、別に仕上がらないからといって、折檻されるわけではないので。ただ、できないとすごく哀しそうな表情をするので、つい無理しちゃう…)、次女のIさんが、いっぺんに(多分ネットの古書店で)手に入れて、「お父さん、読む?」と言うからいけないんですよね。

 とにかく1巻だけ読んで、すこし想い出しました。  
 全21巻あるのに、第1巻だけの紹介です。
 
 1991年の東京に引っ越してきた口亜利子(ありす)は、植物や動物と対話ができる、つまりドリトル先生のような能力のある普通の女の子です。

 お隣の7歳の少年・輪(りん)と、同級生の小掠迅八(おぐらじんぱち)と別のクラスの錦織一成(にしきおりいっせい)の4人が集結することから物語は始まります。

 アリスは、迅八と一成の話を立ち聞きすることから、夢の「月基地」の世界に入っていきます。

 何かをたくらむ過去世の紫苑(しおん)と他の6人がからみあい、ラブストーリーと推理小説的な謎解きの楽しみもあるSFファンタジーが展開していきます。

 またいつか、ネタバレの謎解きを書きたいと思います。

 テレビアニメになったときの、あの主題歌が、大好きです。
 あれを聞くと、なぜか涙が出そうになります。
 もちろん、アリスはN子さんです。
 
 第1巻の表紙ですが、植物に好かれるアリスが、リアル地球の入った宇宙空間の球を抱いて、うたた寝しています。
 やっぱり、アリスは「地球樹の女神」だったんですね。
 

 

遠州の遺跡・寺社40 浜北区小松の「秋葉大鳥居」

2010年11月06日 06時12分33秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社40 浜北区小松の「秋葉大鳥居」

 浜松から浜北へ向かう二俣街道の、遠鉄小松駅のすぐ北の小松に「秋葉大鳥居」があります。

 以前からこの道はよく通っていて、鳥居の向こうに神社も何もないのは見ていたので、「多分、鳥居の向こうに秋葉の本山があるんだろうな」くらいに考えていました。
 
 そこで実際に測りに行って見ました。
 車を大鳥居の後ろの駐車スペースに止めて、降りて、鳥居から道路に向けて方位を測定しました。

 夕方で太陽は鳥居の左側で傾いていました。
 計った結果は、なんと「255度」でした。
 つまり、西(270度)から南へ15度、ぶれています。

 「鳥居の向こうに秋葉の本山がある」という仮説は廃棄処分になりました。
 いまのところ、なぜ255度(北からは75度)なのかは、謎です。

 この西から東へ75度の方向、鳥居の向こう側に何かがあるのかもしれませんが。

 この大鳥居は、立っていた解説板によれば、文政五年(1822年)建立で、高さ7.3m、柱の周囲は2.1m、石造りの鳥居としては遠州最大です。
 
 この大鳥居は「二の大鳥居」で、むかしは浜松の中心街の鍛治町に「一の大鳥居」がありました。この「一の大鳥居」はどっちを向いていたのか、調べられないかなと思います。





 

雨宮日記 11月4日(木) 会社の仕事、システム変更で疲れましたが夜空は

2010年11月06日 06時10分13秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月4日(木) 会社の仕事、システム変更で疲れましたが夜空は

 11月1日(月)から、長年の深夜の仕事がシステム変更で、このところ、いろいろ慣れなくて、疲れました。
 深夜の出勤する時間は、これまでより1時間くらい早くなって、終わる時間はやっと、今までくらいになりました。

 いままでは、浜松の南部地域だけでしたが、1日から市内の7区全部行かないといけないので、たいへんです。
 まあ、やっと慣れてなんとか、なりそうです。

 N子さんが「いちど、智彦くんの仕事、助手席に乗って、手伝おうかな」と言うので「手伝いにはならないけど、体験してくれるのはいいよ」と嬉しくなりました。

 今までは行かなかった、西区篠原町まで行くと、
 夜空は「空一面に星の貢ぎもの、こんな時間に語り合う相手は歴史、世紀、宇宙」というような感じの、うろおぼえの、マヤコフスキーの詩のように、素敵です。

 

 

雨宮日記 11月3日(水) 里山で草刈りと「沢へ降りない常識」談義

2010年11月06日 05時31分09秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月3日(水) 里山で草刈りと「沢へ降りない常識」談義

 土日が通常の休みのN子さんですが、このところ土日に他の予定が入っていて、里山にいっしょに行けませんでした。
 久しぶりに、N子さんと一緒に里山へでかけました。

 ぼくの命名する「トンボ谷」の6段の「棚池」は、FさんとKさんとU♀さんで、ほぼ水の道をつくり、整備をして、周囲の崖に生い茂ったシダや草を刈って、見違えるようになりました。

 トンボ谷から振り返ると里の家です。
 今日は、里の家の周囲の草を何人かで刈って、里の家も少しキレイにしました。

 U♂さんは、新しく買った草刈り機で、上の方から草を刈っていきました。
 ぼくは里の家の西の柿の木の周辺の生い茂った草を少しづつ克っていきました。
 N子さんは、その西で、上から下へ下る窪地の草を刈っていくと、左側のお茶の木のためものか、昔の石垣が見えてきました。
 U♀さんは、橋に使った木の幹の残りを電動のこぎりで切って運んだり、里の家の中をきれいにしたりしました。

 里の家も、その周辺と裏山も、まだまだたくさんの仕事があります。
 冬のあいだ、いろいろしたいと思います。

 夕方、みんなで集まってコーヒーを飲み、お菓子を食べて、いろいろ話をしました。
 川根での「ハイキング遭難」の話になって、何の準備もなしに山に行くのは、たんなる「バカ」であるという結論になりました。
 
 それと「沢へ降りない」のは常識なのに、という話になりました。

 そういえば、むかしの古道である「秋葉街道」は、天竜川よりかなり山の上にありましたね。
 科学的に言うと「危険な沢へは降りない」となるのですが、縄文時代からの日本人の信仰と常識から言うと、いつ水が出て荒れるかわからない「川」は女性神である蛇や竜がシンボルです。
 
 たたりや水害を恐れて、山の上に道を作り、浜松の縄文時代の代表的な住居跡、蜆塚遺跡のように、高い台地の上に住居をつくろのも「沢に降りるな」と同じ思想だと思います。