雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 11月17日(水) ペット化した人間たちに未来はあるのかな?

2010年11月19日 05時33分59秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月17日(水) ペット化した人間たちに未来はあるのかな?

 わが静岡県の東部のみなさんを騒がせた、たった1匹のニホンザルさんのことを思うにつけ、人間よりはるかに小さい1匹のニホンザルさんに、襲撃されて、かみつかれたりする人間たちの弱さが気になりました。

 人間は、
 ① 地球生態系の最上位者として、襲撃されたり食われたりすることがなくなったこと、
 ② 文明の生産力の発展で、自ら狩りをしたり、生産したりすることなく、他人の剰余生産物によって、生きていけるようになったこと、
 ③ 情報やニュースもマスコミ報道にたよってしまい、自ら人と接触して、自分の判断で正否を確認していくのではなくなっていったこと

 いま、これを読んでいる、あなた。
 あなたは「ペットを可愛がる人間」ですか?それとも「ペット」ですか?

 ペット化しないためには、どうすれば、いいんでしょうか。
 マスコミや、集団・組織にたよらずに、自分の頭で考えてみることでしょうか。

 すくなくとも、ボクや、N子さんは、ペットではありません。
 
 <11月20日追加>
 おたがいに、甘えることもありますが、急に、牙をむいてかみつくこともあるので。
 おたがいに、油断はできません。


雨宮日記 11月16日(火) 生態系の悲鳴が聞こえるような気がしました

2010年11月19日 05時16分37秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月16日(火) 生態系の悲鳴が聞こえるような気がしました

 アクトシティからの帰りに、夜、街路樹に「たむろ」しているムクドリの声を聴きました。
 あの、ギャー、ギャーという、うるさい声です。
 いっしょにいた友達が「苦しそうな声みたい」と言いました。

 家に帰って、ふと浮かんだのは、あれは生態系のゆがみで、不必要に増えすぎて
 樹々の枝に止まっても過密状態で苦悩する、ムクドリさんたちの悲鳴ではないのか、ということです。

 本来なら、あんなに増えることも、ひとつの樹にあんなにたくさんとまることもないのですが。
 ムクドリを食べる捕食者の、鷲鷹類が都会にはいないので、安全を求めて集まるのでしょうね。

 ボクは、地球の生態系の最上位者で「一応、管理人」の人間たちに向けて、
 ムクドリが発している「助けて、助けて」というSOSではないかと思います。

 ムクドリを助けられないような人類は、自分たちも助けられないような気がします。
 
 どうすればいいかというと、やはり、ムクドリを食べる鷲鷹類を繁殖させて、
 生態系の調節機能を発揮させればいいのではないかと思います。

 ボクの提案の第1は、浜松市(自治体)の環境部に「鷲鷹課」をおいて、
 「鷹匠」を専門家として育成して、ムクドリを正常にすることです。

 ボクの提案の第2は、コンクリートの都市砂漠「アクト大通り」はコンクリートをはがして
 そこに、明治神宮のような「平成の森」をつくって、そこでムクドリたちを休ませてあげたいと思います。

 増えすぎるムクドリさんも、増えすぎる鹿あんやイノシシさんも、増えすぎる人間さんも、
 みんな同じ「絶滅の危機」に立っているように思います。
 
 写真はムクドリの声が聞こえるアクト付近