雨宮日記 8月5日(日) 「雨宮智彦のブログ」開設から「1000日」に到達しました
このブログを開設してから「1000日」です。「よくやった」と「自分を褒めてやりたい」です。でも自分だけで祝っていてもむなしいので、則子さんが6日の夜に広島から帰って来たら褒めてもらいます。
どうかわかりませんが、1000日続けていることで、自分の文章力というか、物語力というのか、少しは向上したような気もします。気だけ、でしょうか?
20代の頃の「1000日」と比べると、今の「1000日」は、かなり短いです。
どこまで行けるか、わかりませんが、則子さんの支援を受けながら(則子さん「私、ぜんぜん見て内よ」)、自分たちが生きた証し、生きている証しとして、書き続けていきたいと思います。
これを読んだ「あなた」へ。ブログ「1000日」への祝辞を、ぜひお願いします。物は必要ないです。言葉が欲しいです。
最近、日本も慌ただしくなってきて、時間の歩みが早くなった、というトンデモ理論を述べる人がいましたが、時間が早くなっているのは年令と共に早くなるだけで、日本全体が早くなっているわけではありません。
つまり年令と共に「物質代謝」が遅くなっていくので、同じ時間で「物質代謝」の量は少なくなって、自分の時間という物質代謝で測る時間が早くなったように感じるようですね。本当かな?
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今日は則子さんのいない第2日。お昼は、近所のヤマメ寿司」さんのおいしいチラシ寿司を3人前とりました。父と娘は、それをお昼と夜と2回に分けて食べましたが、ボクはお昼1回だけで食べてしまいました。
午後2時頃に起きて、自分の2日分の服と下着を洗濯機にかけて、干してから、車で図書館にでかけました。午後3時頃から5時頃まで中央図書館の2階の郷土資料室に「こもって」、資料調べをしました。
今日は、主に平和運動の関係で、浜松基地の歴史調べです。ノートに数ページ、抜き書きをして、17ページほどコピーをとりました。
夜は、次女のIさんは中田町に住んでいる長女のTさん夫婦から招待されて、大歳神社の花火を見にでかけました。ぼくは則子さんがいないので「来年」に延期しました。夫婦の幸せは「共有できる時間」の幸せだと思っていますので。
Iさんが帰って来て「手筒花火、目の前で見たよ!」と言ってました。手筒花火は、豊橋や舞阪などこの辺の文化ですが、どこまでこれ、分布しているのでしょうか。もしかして三遠(三河=遠州)文化圏?
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午後9時頃、冷蔵庫に張った「献立予定表」に、明日のお昼は「ウナギ」と書いてあるけど、ウナギが見当たらないので、則子さんに「ウナギ、どこにあるの?」と電話。「ウナギは冷凍庫の一番上にのせておいた」というけど見つからない!「なんで見つからないの!」見たいな叱責の電話になってきたので、慌てて探したら、冷凍庫の隅の方に隠れていました。