雨宮日記 8月25日(土) ぼくの「還暦祝い」を長女夫妻が祝ってくれて…
家の近くのおこのみやき屋「こなこな」で、ぼくの60才の「還暦祝い」を長女夫妻がやってくれるというので、嬉しくなって受けました。
今夜のメンバーはぼく、則子さん、父、長女夫妻、次女でした。
約2時間、飲んで食べて、いろいろお話をしました。楽しかったです。
写真は、長女夫妻と、次女と父からもらったプレゼントです。ありがとうございます。
雨宮日記 8月25日(土) ぼくの「還暦祝い」を長女夫妻が祝ってくれて…
家の近くのおこのみやき屋「こなこな」で、ぼくの60才の「還暦祝い」を長女夫妻がやってくれるというので、嬉しくなって受けました。
今夜のメンバーはぼく、則子さん、父、長女夫妻、次女でした。
約2時間、飲んで食べて、いろいろお話をしました。楽しかったです。
写真は、長女夫妻と、次女と父からもらったプレゼントです。ありがとうございます。
雨宮日記 8月24日(金)夜 たんぽぽ保育園へ佐治さんの紙芝居を聞きに行きました
則子さんが「たんぽぽ保育園に、佐治さんが来るの。聞きに行く?」と言うので「もちろん!いきます」と答えて、夕食を早めに作って、父はまだ寝ていて起きてこないので、2人だけで食べて、午後5時半頃、車で家を出ました。
佐治さんは、いま24才の若い女性で、西伊豆町のお寺の住職さん(家を継いだのです)です。小学生の時に、広島で白血病で亡くなった少女さだこさんの物語を読んで、12才でさだこさんと折り鶴の紙芝居を書いたのが、始まりだそうです。
則子さんは、2010年にアメリカ・国連本部で開かれた「核不拡散条約再検討会議」に、日本原水協代表団の一員として浜松市原水協代表として参加、そのときに、佐治さんといっしょに旅をしました。
今日は会場に、原水協のパネルや、則子さんが管理している千羽鶴を飾るために、早めに行ったので、佐治さんがたんぽぽに到着したときに迎えることが出来ました。
佐治さんは、則子さんのことを覚えていてくれて「あ!雨宮さん」と。則子さんは感激してました。
☆
たんぽぽ「平和のつどい」は、則子さんが園長だったころにもやっていたので、それからずっとやっているのでしょうか?やっぱりたんぽぽだなあと感激しました。子どもたちの声のうるささも、やはり昔からのたんぽぽの伝統ですね。でも、うるさいのは、うるさいよ。
司会の、お母さんの声が聞こえませんでした。
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則子さんや、被爆者の会の大和さんは今までに聞いたことがあるのですが、ぼくは初めての、佐治さんの紙芝居でした。とってもよかったです。
そして、たんぽぽの子どもたちと母親と先生の歌もよかったです。デジカメの動画で、佐治さんの紙芝居の一部と、合唱のほぼ全体を撮影したので、たんぽぽに寄贈しようと思います。
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則子さんと、いろいろ、話しました。則子さんの感激や、行動派の則子さんにしては珍しい冷徹な分析、則子さんの秘書・参謀としては「うん、ぼくの司令官、則子さん、前進してるな」ということで、嬉しいです。