雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 8月11日(土)朝 夜中、ひどい雷雨でした

2012年08月11日 06時23分54秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月11日(土)朝 夜中、ひどい雷雨でした

 夜中、稲妻がかなり長時間にわたって断続的に光り、雨も時々ひどくなり、仕事で車を運転したボクはびっしょり濡れました。

 ロンドン五輪男子サッカーの3位決定戦が午前3時45分から開始だったので、ラジオを聞きながら仕事をしました。日本対韓国です。

 残念ながら「0-2」で負けましたが、聞いていて敗因は、当初の作戦ミス(つまり韓国が中間をカッとしてバックから前線にロングボールを放り込む戦術に対応できず、得点を許したこと)、中間の作戦変更ができなかったこと(なぜできないんですかね?選手自身は考えないの?~、後半開始からメンバーチェンジをせず、2点目を取られてからと、長身の杉本さんの投入と活用が遅れたこと、くらいでしょうか。

 せっかく杉本さんを投入しても、ボールをパス回しするだけで、杉本さんに集中して放り込まないなら、杉本さん投入に何の意味があるんでしょうか?

 最終盤で決まった吉田さんの渾身のゴールも日本選手のファウルがあり、なしになったのは残念でした。あれが決まっていれば、残り時間で同点に追いついた可能性もありましたね。

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 帰って来たら玄関に、タオル2枚がおいてあったので感激、「則子さん、ありがとう」とつぶやいて、濡れた髪やカラダを拭きました。

 朝になったら、まだ曇っていますが、天気の不安定性は解消したようです。

 

 


本と映像の森 220 R・カーソン『センス・オブ・ワンダー』新潮社、1996年

2012年08月11日 06時10分22秒 | 本と映像の森

本と映像の森 220 レイチェル・カーソン/著、上遠恵子/訳『センス・オブ・ワンダー』新潮社、1996年(平成8年)7月25日発行~同年12月25日6刷、60ページ、定価1500円(本体1456円+消費税44円)、浜松市立中央図書館蔵書

 つい数日前まで、来年が「沈黙の春50年」と思い込んでいましたが、今年の9月です。数日前、NHKラジオの深夜便で、レイチェル・カーソン日本協会の上遠恵子さんが話していました。

 マイナスを直視した「沈黙の春」と、自然と環境をプラスの感性で感じた「センス・オブ・ワンダー」は同じ紙の表と裏で、2冊で一体の書であると語っていました。

 そうだよね、とボクも思います。

 以下は「センス・オブ・ワンダー」からの引用です。薄くて読みやすい本ですが、たぶん、カーソンさんはもっと語るつもりの途中で亡くなったので、語り残したこともあるだろうと思います。

 「わたしは、子どもにとっても。どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちが出会う事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものに触れたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけ出した知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、みしろ子どもが知りたがっている道を切りひらいてやることのほうが、どんなにたいせつであるかわかりません。」(p25~26)

 「子どもたちの世界は、いつも生き生きとしていて新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。」「「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」「この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。」(p23)

 「沈黙の春」は以下で紹介しました、

 本と映像の森 200 レイチェル・カーソンさん著『沈黙の春』新潮文庫、1974年2012年04月30日 05時47分19秒