雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社・地名 93 磐田市の銚子塚古墳

2012年10月14日 21時19分41秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 93 磐田市の銚子塚古墳

 磐田原台地の西の端に、全長108mで、全長では静岡県内第3位の銚子塚古墳があります。

 浜松から行くと、「かささぎ大橋」で天竜川を渡って、そのまま直進、曲がりくねったカーブで磐田原台地の上へ出て、最初の信号「匂坂上原」で左折、北進して、「浄水場」の敷地のすぐ北を左折すると、目の前に見えてきます。

 古墳の森に突き当たったら、右折して古墳の東側から北側へ出て左折、古墳の西へ入り込むと行き止まりの道で古墳の説明版があります。 

 古墳の説明版の奥が前方後円墳の後円部です。

 古墳の方向は、北が後円部で、南が前方部ですので、「天神信仰」の南北古墳です。すこし20度ほど北が東へ傾いていますが。

 後円部は直径58mで、高さ8.5mです。前方部は長さ52m、高さ4.5mです。後円部に登ると、前方部はすごく下に、つまり4m下に見下ろせます。

 推定年代は古墳時代前期で、文献では4世紀とされているようです。

 三角縁神獣鏡・巴型銅器・銅ぞくが出土しています。

 後円部の頂上に登ると、磐田原台地の下の沖積平野が見下ろせます。ここに葬むられた盟主が、この下の平野の支配層であることは自明であると思います。

 その村落はどこにあるのでしょうか?

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 次回は銚子塚古墳の真横にある「小銚子塚古墳」です。

 

 

 


雨宮日記 10月14日(日) 則子さんと古墳に行きました

2012年10月14日 20時19分09秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月14日(日) 「鴨さんたちを見に行こう」と言う則子さんと古墳に行きました

 則子さんが「智彦くん、鴨さんたちを見に散歩しよう」と言うので、「今日はそれより古墳を見に行こう」といって、午後2時40分ごろ、車で家を出ました。

 以前、途中で寄ったけど場所がわからなくて退散した磐田市の古墳に向かいました。

 家から東へ天王町で笠井街道へ右折して北上、笠井街道の「交番南」信号で右折、東へ、天竜川を「かささぎ大橋」で渡って、そのまま磐田原台地の上へ。

 「匂坂(さぎさか)上原」信号を左折して北上、最初に「長者屋敷」遺跡をじっくり見ました。遺跡の紹介は「遠州の遺跡・寺社・地名」でします。次の「銚子塚古墳」へ車ですぐです。長者屋敷からすぐ北で西へ入って目の前がたぶん、銚子塚古墳と思いましたがその通りでした。

 ところが曲がり角にも何の標識もなくて、有名な古墳の割には、何も出ていません。古墳の北から西へ曲がり込んで、行き止まりの道でようやく古墳の説明標識を見付けました。

 標識の奥、東側に南北に位置しているのが「銚子塚古墳」で、標識の真向かい、西側に東西に位置しているのが「小銚子塚古墳」です。

 秋なのでもう蚊はいないかと思って、古墳探訪を再開したのですが、まだヤブ蚊がいました。ちょっと早かったかな。

 白や薄紫のツリガネニンジンが咲いていて、うれしくなりました。また会えたね!

 そのあと、以前に寄った、少し北の「米塚古墳(1号墳)」とその南の何も標識のない茶畑のなかの旧石器時代の、たぶん「寺谷(てらだに)遺跡」の写真を撮りました。

 帰りの道で、則子さんは「どこかでコーヒー飲もうか」と言ってくれたけど(うれしい!)、喫茶店が帰りの道に何もないので、代わりに、東区の「十湖池」ビオトープを見学しました。もちろん、人はいないので、勝手に寄っただけです。水が引かれて池があって、いいところですね。ただ、周りに森があるわけではなく、孤立した環境なのが難ですね。

 「十湖池」というのは、もちろん松島十湖さんゆかりの池です。といっても、浜松人以外では誰も知りませんね。浜松では有名な「浜松は 出世城なり 初がつお」という俳句を作った人です。

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 昨日と今日は、1ヶ月に1回の連休なので、昨日も今日も、ぼくは夜、じっくりのめます。うれしいな。則子さんは「酔っ払い!お酒臭い!」と嫌いますが。則子さん、お布団に潜り込んでもいい?だめ?