本と映像の森 238 中山七里さん著『魔女は甦(よみがえ)る』幻冬舎、2011年5月1日発行、340ページ、定価1400円+消費税
また中山七里さんの推理小説です。
埼玉県所沢市の沼地で事件が起きます。死体轢断事件です。
被害者は、すぐ近くの製薬会社・ドイツ企業スタンバーグの研究所の若い研究員・桐生隆さん、30才。
事件を捜査する埼玉県警の警部・槇畑(まきはた)啓介さんは、上司の渡瀬さんや応援で来た警察庁生活安全課(麻薬担当)の宮城(くじょう)さんと共に操作を開始しますが…
警察とは別に、桐生の恋人だった女子大生・毬村美里さんも自分で事件を探り始めて…
以下、語録です。
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「自分の中にも他人には窺い知ることのできない部分があるだろうに、この男(注:槇畑の部下)はそれを見ていない。いや、見ようとしていない。犯罪は時代の鏡であり、その萌芽は日常の中で発生し成長していくものだ。だから犯罪捜査とは日常の中から憎悪、嫉妬、欲望といった負の要因を一つ一つ拾い集める作業ともいえる。その為には、どんな人間が何を求め何を厭うのか、可能な限り大量のデータを蓄積しなければならない。夫婦の愛憎、サラリーマンの悲哀、政治家の野心、オタクの執着心、性倒錯者の情熱、それらは全て等価のものであり、正常だとか異常だとかの区別はない。古手川に不足しているのはその認識だ。たとえば古手川はこの事件を異常者の犯行と決め付けているフシがあるが、何も異常者のみが猟奇的な犯罪に手を染める訳ではない。むしろ、普通人が異常な事件を起こすことこそが今日の犯罪の異常性なのに、この男は神山駐在と同様に自らを良識の安全地帯に置いて事件を俯瞰している。(中略)捜査の基本や訊問の技術なら実地で習得も可能だろう。しかし他人に対する知識欲、人間そのものへの好奇心は生来のものであって教授できるものではない。少なくとも、自分の生活規範からしか他人を評価できない人間にそれを強いるのは無理というものだ。」(p34~35)
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「班長が今言ったばかりの意味ですよ。惨殺されたのなら怨恨、誘拐されたのなら身代金目的。そういう定型に当てはめずに、矛盾していようがいまいが事実を事実として認識する。そしてそれを立脚点に捜査を進めれば、やがて矛盾が矛盾でなくなる瞬間が訪れる。」(p85)
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宮條「大抵のことはね、現場に行ってみれば何とかなるもんです。」
槇畑「楽観主義者ですか」
宮條「経験則です。昔、渡瀬さんと私は署内きっての名コンビと謳われましてね。容疑者が議員の身内だったり、立証困難で令状取れない時も片やアクセル、片やブレーキのコンビネーションで結構無茶しましたが、それでも最期には何とかなりましたから」(p86)
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最初の展開では、槇畑と宮條がコンビかと思い、宮條さんが岬洋介さんの役回りかと思いましたが、違いました。槇畑さんと毬村美里さんのコンビの捜査になりました。
ネタバレは書きませんが、岬洋介さんシリーズとは違う、血なまぐさい趣向ですが、こういのもいいですね。
なお、単なる推理小説ではありません。むしろ、薬剤メーカーがからんで、SF推理小説といえます。そこに刑事さんの「自己回復」がかかっていて、それを女性が助ける、というとアイザック・アシモフさんの名作「はだかの太陽」を思い出しますね。