雨宮日記 7月15日(火)の2 久しぶりに名刺を作りました
図書館へ行き、7冊返して、7冊借りました。
松城のNデジタルオフィスへ行って、注文していた名刺100枚受け取り、1500円払いました。
雨宮智彦の名刺に新たに「苦しみ・悩み・悲しみを共有して いのち・くらし・心の再生を」を書きました。
すべてやり直さないとダメだと、たぶん‥て言うと、平井和正になっちゃうのか??
ぼくは継続する部分と、やりなおす部分は、半々だだと扞格していますが。
遠州の遺跡・寺社・地名 144の3 キサ神社の3 津波の灯籠?
キサ神社の灯籠に面白いイメージがあったので写真に撮りました。
どう見ても、大津波の絵に見えます。
大地震・大津波の体験者がこのキサ神社に、「この体験を忘れるな」と奉納したのでしょうか。
年代がわかれば「どの地震」か分かるんですが。
遠州の遺跡・神社・地名 144の2 キサ神社の2
キサ神社は、小高い丘の上にあって、大地震・大津波の時には。近くの住民は、みんなここに避難したと江戸時代の絵図に描かれています。
そういう場所に神社を作るのは、やはり古代からの住民の知恵でしょうか。
遠州の遺跡・寺社・地名 144の1 岐佐(きさ)神社
浜松市西区舞阪町舞阪にある「舞阪町」の中心的神社かと。そして、遠州地方における出雲文化の優位性を告げる神社の1つです。
岐佐(きさ)神社は『古事記』の出雲・オオナムジ神話でオオナムジを神々がだまして真っ赤に灼熱した岩で焼死させた時、高天原から派遣されたのが貝の女神・キサ貝姫とウム貝姫でした。
キサ貝姫は赤貝の、ウム貝姫はハマグリの神格化ということのようです。
2人は貝殻を削って、貝汁で溶いて。母乳のようにしてオオナムジの身体に塗ったら、オオナムジは生き返ったという神話です。
どんな『古事記』の本を読んでも、いまのところ、「静岡県浜松市舞阪町にこの2柱の貝の女神を祭った神社がある」とは書いてないので、残念ながら地方軽視だと思います。
この2女神を両方祀った神社は出雲にも、いや日本全国でもないようです。
3つも鳥居があるのはなぜだか、わかりません。
遠州の古代史 釣り鐘型のたこ焼きがありますか
本と映像の森で紹介した『天ぷらにソースをかけますか?』に面白い事例が紹介されていたので、雨宮独自の考察を加えて紹介します。
「第七章 たこ焼き・お好み鉄板系」で、なんと「釣り鐘型のたこ焼き」が紹介されています。
この分布図が面白い。
「ある」というのが、福井・岐阜・愛知・三重・香川・徳島・広島・岩手と、岩手を除けば弥生時代の銅鐸地帯なのである。では同じ銅鐸地帯の奈良・兵庫などで「あんまりない」「そんなのあるんだ」なのか。
奈良・大阪・京都・兵庫などは、銅鐸時代のあと西日本からやってきた銅剣・銅鏡勢力が本拠地をおいたところで、銅鐸時代への抑圧ももっとも激しかったはずのところである。
だから近畿西部では意図的に銅鐸の形状ははずされた。では、東日本は?逆に、銅鐸などなかったから。
かなり無理のある推論ですねえ。
雨宮日記 7月15日(火)の1 オスプレイが世界遺産の上を飛ぶ瞬間
ついにアメリカ海兵隊のオスプレイ(みさご)が、沖縄から神奈川県厚木基地を経て富士山に飛んできました。
世界文化遺産の上を飛ぶ軍用機という異様な光景。世界文化遺産を取り消されてもしょうがない暴挙だと思う。
ま、それを言うなら富士演習場と米軍キャンプ富士などが世界文化遺産と同居する暴挙というべきでしょうけど。
御殿場市は御殿場市役所から騒音を測ってましたけど、なぜ直近の真下で測らないんでしょうか。
雨宮日記 7月14日(月)の6 夜間訓練はなかったです
夕方、爆音がしただけで、実際の夜間離着陸訓練はなかったです。訂正。