新・本と映像の森 345 佐多稲子『渓流』講談社文庫、1974年
254ページ、定価240円。浜松市立図書館蔵書。
原書は1963年7月より12月まで雑誌『群像』に掲載。1964年1月講談社より刊行。
著者は戦前からの小説家。日本共産党員だったが1964年10月、除名された(このことにつていては別途書くつもりです)。
だから著者にとっては共産党除名直前の長編小説となる。では「自分が除名になるかもしれない」という予兆はあるか?あろといえばある。
でもボクが読んだ感じでは「これから自分が大それたことをする」という高揚感はなぜか無い。
小説が扱う期間は1950年から1955年までの5年間、とくに著者が「50年問題」による共産党の分裂で一方の側から除名されてからそれが解かれるまでの時間だ。
「解説」で長谷川啓さんは「端的にいうならば、共に、生の第一義に置く“関係”が崩壊に瀕した時の自立、「くれない」は夫からの、「渓流」はパルタイからの自立である。」(p229)と言っている。
ボクは「自立?孤立ではないか」と感じた。
自立には孤立の側面が不可避的にともなう。連帯には癒着の側面が不可避的に伴う。
そのことを忘れないようにしたい。
だいたいにおいて主人公安川友江さんの行動と思考はボクにもよくわかり、だいたい賛同できる。
ただ具体的に共産党員安川友江さんの細胞会議(いまでは支部会議という)の場面がまったくないのはなぜかわからない。
もう一つは「文学団体」の論争で一方の旗頭の宮本顕治さんの作品内の名前すらあげていないのは不自然です。安川友江さんは宮本顕治さんの党と文学団体とのかけもちを批判しているが、当時の執筆物の検証が欲しい。
最後に蛇足になるが、たぶん中野重治さんの作品内名「田村康治」は、中野重治さんの長編小説『甲乙丙丁』の主人公「田村」に接続しているのだろうか。