青い銀河とオレンジの花 断片 5 帰郷と出会い ② 20200820
帰って来てすぐ、共産党の支部の転籍と赤旗日刊紙の購読手続きを共産党の西部地区委員会の事務所へ、日刊赤旗の購読と転籍手続きに行った。共産党は、全国のどこにでも地区委員会と支部があるので、愛知県の自分の住んでいる地区委員会へ引っ越し前に行って「転籍証明書」というのを書いてもらい、引っ越し先の共産党へその「転籍証明書」を持っていくのだった。
電話帳で調べたら、当時の事務所はわが家のすぐ近く、元城町にあり、電話をして場所を教えてもらった。家から広い通りの坂道を歩いて降りていき、市役所を過ぎて、最初の細い交差点を北へ曲がると、古びた木造の「日本共産党静岡県西部地区委員会」事務所があった。
そこで翌日から日刊紙を入れてもらう申し込みをし、党員の転入の手続きをすると、所属支部を紹介された。「中央支部」といい、浜松の中心部を担当区域にしていた。
当時、25才だったので、当然、「民主青年同盟」通称「民青」は卒業年齢が25才となっていたので、名古屋で卒業手続きをしてきた。ところが、中央支部にIくんという青年がいて、まだ「民青」に入っていた。「雨宮くん、民青手伝ってください」と言うので「ぼく、もう卒業年齢の25才だけど、いいの?」と聞くと「特例措置ですよ。必要な人はいいので、すみません再加盟してください」と言われ、加盟用紙を書いた。
当時、地域班だった「サイモン」班という班に属して、班長だったIくんと共に青年活動を始めた。それも楽しい思い出だ。
なお「サイモン」という班名は「サイモンとガーファンクルなの?」と聞いたら、まったく関係がなく、班を結成したのが、喫茶店「サイモン」だったので、喫茶店名でつけたそうである。いまも喫茶店「サイモン」があるかどうかは調べていない。
帰って来てすぐ、共産党の支部の転籍と赤旗日刊紙の購読手続きを共産党の西部地区委員会の事務所へ、日刊赤旗の購読と転籍手続きに行った。共産党は、全国のどこにでも地区委員会と支部があるので、愛知県の自分の住んでいる地区委員会へ引っ越し前に行って「転籍証明書」というのを書いてもらい、引っ越し先の共産党へその「転籍証明書」を持っていくのだった。
電話帳で調べたら、当時の事務所はわが家のすぐ近く、元城町にあり、電話をして場所を教えてもらった。家から広い通りの坂道を歩いて降りていき、市役所を過ぎて、最初の細い交差点を北へ曲がると、古びた木造の「日本共産党静岡県西部地区委員会」事務所があった。
そこで翌日から日刊紙を入れてもらう申し込みをし、党員の転入の手続きをすると、所属支部を紹介された。「中央支部」といい、浜松の中心部を担当区域にしていた。
当時、25才だったので、当然、「民主青年同盟」通称「民青」は卒業年齢が25才となっていたので、名古屋で卒業手続きをしてきた。ところが、中央支部にIくんという青年がいて、まだ「民青」に入っていた。「雨宮くん、民青手伝ってください」と言うので「ぼく、もう卒業年齢の25才だけど、いいの?」と聞くと「特例措置ですよ。必要な人はいいので、すみません再加盟してください」と言われ、加盟用紙を書いた。
当時、地域班だった「サイモン」班という班に属して、班長だったIくんと共に青年活動を始めた。それも楽しい思い出だ。
なお「サイモン」という班名は「サイモンとガーファンクルなの?」と聞いたら、まったく関係がなく、班を結成したのが、喫茶店「サイモン」だったので、喫茶店名でつけたそうである。いまも喫茶店「サイモン」があるかどうかは調べていない。