青い銀河とオレンジの花 断片 8 深夜の脳出血と入院 ① 20200830
2016年(平成28年)の5月6日(金)はいつものように過ぎていた。週に1回の赤旗配達の日だったのでそのつもりでいた。2階の真ん中の自分の部屋で午後11時半ごろだった。
フトンの上で立ち上がったら、急に右足がカクンと抜けてしまい膝をついてしまった。アレッと思うと右手も変で動かないのに気がついた。
ほんのしばらく自分であがいてみたが、これはだめだと思い、声は正常に出るので隣の部屋で寝ていた則子さんをあわてて呼んだ。ちょうど介護施設の夜勤が休みで、そのときはちょっと体の調子が悪いと言うボクに深夜ついてきてくれることになっていた。
相談してすぐ病院へ行こうということになり、則子さんに手伝ってもらって階段を這いずって1階へ降りた。則子さんに119番を呼んでもらった。
生まれて初めて救急車に則子さんと乗って、聖隷住吉病院へ緊急入院した。意識はズッとあったと思う。ボクはジッと治療を受けているか、今はジッと寝ていた記憶しかない。治療室の映像のイメージはなんとなく残っている。
「脳出血」だった。ただし出血部が脳幹部なので手術はできなかった。
脳出血して1週間目で和合町のリハビリテーションセンター病院へ移り、リハビリ訓練を始めた。則子さんはボクが倒れてから退院する8月末までまでほぼ毎日、バイクで病室に通ってくれてボクのリハビリと生活を支えてくれた。
毎日、「しんぶん赤旗」と「中日新聞」を持ってきてくれ、きのうの洗濯物を洗ってもってきて、今日の洗濯物を持ち帰り、いろいろ話をしていってくれた。
十軒町から和合町まで高台へのきつい坂を毎日登るので、3ヶ月で自分のバイクを1台、のりつぶして買い換えた。
2016年(平成28年)の5月6日(金)はいつものように過ぎていた。週に1回の赤旗配達の日だったのでそのつもりでいた。2階の真ん中の自分の部屋で午後11時半ごろだった。
フトンの上で立ち上がったら、急に右足がカクンと抜けてしまい膝をついてしまった。アレッと思うと右手も変で動かないのに気がついた。
ほんのしばらく自分であがいてみたが、これはだめだと思い、声は正常に出るので隣の部屋で寝ていた則子さんをあわてて呼んだ。ちょうど介護施設の夜勤が休みで、そのときはちょっと体の調子が悪いと言うボクに深夜ついてきてくれることになっていた。
相談してすぐ病院へ行こうということになり、則子さんに手伝ってもらって階段を這いずって1階へ降りた。則子さんに119番を呼んでもらった。
生まれて初めて救急車に則子さんと乗って、聖隷住吉病院へ緊急入院した。意識はズッとあったと思う。ボクはジッと治療を受けているか、今はジッと寝ていた記憶しかない。治療室の映像のイメージはなんとなく残っている。
「脳出血」だった。ただし出血部が脳幹部なので手術はできなかった。
脳出血して1週間目で和合町のリハビリテーションセンター病院へ移り、リハビリ訓練を始めた。則子さんはボクが倒れてから退院する8月末までまでほぼ毎日、バイクで病室に通ってくれてボクのリハビリと生活を支えてくれた。
毎日、「しんぶん赤旗」と「中日新聞」を持ってきてくれ、きのうの洗濯物を洗ってもってきて、今日の洗濯物を持ち帰り、いろいろ話をしていってくれた。
十軒町から和合町まで高台へのきつい坂を毎日登るので、3ヶ月で自分のバイクを1台、のりつぶして買い換えた。