青い銀河とオレンジの花 断片 6 その日、2011年3月11日 20200823
その前日3月10日、まるで予兆のように「雨宮日記」でこう書いている。
「雨宮日記 3月10日(木) 車のガソリンが高騰して146円でした
2011年03月12日 05時41分52秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月10日(木) 車のガソリンが高騰して146円でした
行きつけのガソリンスタンド(二俣街道沿いの上島)へ行ったら、なんとガソリンがリッター146円でした。
「高くなったねえ。経営も大変でしょ?」
「そうですね、困ってます」
「150円を超えそう?」
「まだ高くなりそうですよ」
ガソリンも野菜も高くなって、輸入大国は不安定ですね。
やはり「自主独立」で「地産地消」、「循環する」ことがだいじですね。
それと、石油文明に頼らない、太陽や風力の
自然エネルギー文明を築きたいと思います。」
その日、3月11日は、午後の早めに目が覚めて、里山へ車を走らせました。
前日に、上島の「小西商店」で3000円で買った気温・水温両用の「温度計」で
里の家の向かいの池の水温を測っていたら、携帯電話が鳴りました。
携帯電話が鳴り、見ると、則子さんからだった。今日は、まだ勤務中のはず。なんだろう。帰り、何か買い物をしてこいと言うことかな。
「はい、何?」
「大変!東北で大地震!市役所も揺れてる」
「え!わかった。すぐ家に帰る」
里山ではまったく揺れを感じなかった。慌てて、ゴム長から普通のズック靴に履き替えて、みんなと別れて、車で家に向かった。車のラジオを付けて地震情報を聞きながら帰る。浜北の里山からは十軒町の家まで30分くらいかかる。
自宅に着いた頃から、大津波のニュースも入り出した。もちろん、この時点では、ボクの頭の中には、原発のことは全くない。
その頃には、則子さんも職場からバイクで帰って来た。
「ちょうどビルの1階のATMにいたら、最初、あれ、めまいかな?と思った。体がすごく左右に揺れるの。7階の職場に戻ったら、職場の2人とも机の下に潜んでいるので、「どうしたんですか?」と聞いたら「地震よ!感じなかった?」と言われて、あ、さっきのは地震だったんだと初めてわかったの。」
後で思えば、その日が、すべての始まりの日、転換点だったが、まだ気がついていない。
当時の「雨宮日記」からリアルタイムな思いを紹介する。
「2011年03月12日 10時58分01秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月12日(土)の1 平静ではいられない…壊滅映像を見て
午前10時に目が覚めて、パソコンのワンセグテレビを見ています。
まるで空襲後のような、戦争後のようながれきの山…。
つい昨日まで市街だったはずのところが大きな湖のように、一面が水だけ。
津波で運ばれた陸上の大きな船。
あちこちで火が起こって…道がふさがれて消防車も入れない。
がれきの前に突っ立っている中年男性の背中の映像が印象的でした。
家を失ったのか、家族を失ったのか…。
証言で「胸まで水がくる中、小学校へ避難した」という男性。
「3階建ての建物の2倍くらいの高さの津波が来た」とも。
仙台空港の滑走路をまるで生きもののように浸していく水の動きが
不気味でした。
まだまだ地震被害の全体像はこれからです。
大津波警報も、まだそのままです。」