雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 5月22日(日) 長女の彼氏のご両親と会食でした

2011年05月23日 06時23分06秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月22日(日) 長女の彼氏のご両親と会食でした

 昨夜は早めに寝て、ボクとしてはいつもより早く午前11時頃に目を覚まして、1階に降りていきました。

 則子さんに「おはよう」と言ってから、お風呂でシャワーを浴びました。

 明日の夜、則子さんと一緒に出る会議の準備で、パソコンを立ち上げて昨日までに打っておいた文書をプリンターで出そうとしたら用紙が送られません。
 慌ててしまい、しばらくプリンターと格闘しましたが、どうしてもうまくいかなくて、出かける時間になってしまいました。
 
 12時ごろに、長女と則子さんを乗せて、車を運転してでかけました。
 場所は、浜松医大の近くの半田山のフランス料理店です。

 雨が降り出しそうな雲模様です。

 到着したら予定時刻の12時30分よりかなり早くて、則子さんと2人で近くを歩きました。
 すぐ下の草が繁茂した水路で「ギョギョシ!ギョギョシ!」とオオヨシキリ(鳥です)の声が聞こえました。

 料理店に戻ると、ちょうどご両親とTくんが車で到着、はじめましてのごあいさつをして、お店に入りました。

 最初は、ちょっとぎごちなかったかもしれませんが、だんだんと話がはずんで、ご両親の住んでいる岡崎時代の徳川家康の話から、ぼくたちの浜北の里山の話まで、ときどき長女と彼氏はそっちのけで、話がはずみました。

 ときどき、二人の結婚の話に戻って、式はいつにとか、婚姻届はとか、いろいろこれからの話をしました。
 
 30数年前の、自分たちの時代を思い出しました。
 新鮮ですね。

 そして、やっぱり、いいお婿さんと、いいご両親です。

 話をしていて、お父さんは則子さんと同じ学年で、
 ぼくはお母さんと同じ学年だと、わかりました。
 同世代なんですね。 

 おもしろかったのは、僕たちの里山で今、竹とんぼ作りが流行で
 「できるだけ薄く削って、両側におもりをつけるんです」と言ったら
 お父さんが、同じ体験を語ってくれたことです。
 
 やっぱり同世代です。

 これから、長いおつきあいになりますが、よろしくお願いします。

 

 

本と映像の森 152 小松左京さん「こういう宇宙」(『小松左京コレクション3』)

2011年05月22日 21時26分42秒 | 本と映像の森
本と映像の森 152 小松左京さん「こういう宇宙」(『小松左京コレクション3』ジャストシステム、1995年11月4日初版第1刷、p233~262)

 ぼくが好きな作家の小松左京さんの「コレクション」全5巻を、浜松市立中央図書館で発見したので、借りて来て読み始めました。
 
 この『コレクション 3』は短編集の第1巻です。
 この中でボクが好きなのは、「ゴルディアスの結び目」、「眠りと旅と夢」「宗国屋敷」「ヴォミーサ」などでしょうか。

 今日は「こういう宇宙」(1974年作品)を紹介するのは、最近、「宇宙の起源本」で言われる「宇宙定数の決まった謎」を、ここで小説の形で鮮やかにリアルな世界として描いているからです。

 「たそがれがせまるとともに、銀座はまるで別の宇宙のように、美しく,妖しく息づき始める。」で始まる「こういう宇宙」は、主人公のサラリーマン大杉は、飲んでいたバーで知り合いの竜村に出会い、銀座の中の建ちかけのビルに案内される…。

 設定は、銀座は「銀河+星座」を縮めた地名、銀座のバーの名前「火星」「イカロス」「白鳥」は、そのバーから「ワープ」回路で飲みながら、その「火星」の光景に立ち会えるという時代…。

 もちろんSFですから、そういう設定をいかにひっくり返すか?が見所です。
 
 大杉の述懐「「宇宙」は、こちらを認めてくれない」「驚き、感情、恐怖、寂寥感、虚無感、好奇心、さまざまな情緒的反応を、のちには楽しむために…人は「宇宙」をながめにくる」「人間にとって宇宙とは、事実、酒のようなものだ…」

 こういう叙述も好きですね。
 「α→Ω」
 「0→∞」

 結末は読んでもらうとして、この短編の基本的骨格は、3つの定数です。
  ① 光速度
  ② 重力定数
  ③ プランク定数

 こういう理屈っぽい話を、ストーリーとしてまとめる小松左京さんの小説家魂を、ぜひ読んでください。

雨宮日記 5月21日(土) 里山では草刈り・草取りが始まって…

2011年05月22日 21時19分21秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月21日(土) 里山では草刈り・草取りが始まって…

 初夏の里山では、野草が繁茂しだして、少し前から草取りを始めていました。
 やっとボクも、来週までのいろんなめどが立って、則子さんの要求する書類もできてきたので、午後、里山へ行って,里の家の周辺の草刈りに参加しました。

 手鎌で刈ったのと、草刈り機(燃料で動く)で刈ったのと半々くらいで、暑いので疲れました。
 草刈り機は、すこし重くて、後で右足のふくらはぎの関節が痛みました。

 夜は、翌日が早いので、則子さんが「髪,洗ってあげようか」と言ってくれたのだけど、飲んでいる内に忘れてしまって、寝てしまいました。

 明日は、長女の彼氏(結婚予定)のご両親と会う日です。
 緊張します…。
 何を話せば、いいんだろ?!

  
 

雨宮家の物 ボクと則子さんのマクロ(接写)用デジカメ

2011年05月21日 18時37分42秒 | 雨宮家の物
雨宮家の物 ボクと則子さんのマクロ(接写)用デジカメ

 日常的に使っている物、昔使っていた物も、雨宮の歴史を構成する
 大事な物件なので、ここに書いていきます。

 「物 もの」って大事ですよ。
 「心 こころ」と同じくらいだいじだと思います。

 これは、日常的にいちばん使っているデジカメです。
 接写が大きくできるので、最大で切手がフレーム一杯に写ります。

 「ボクと則子さんの」と書いたのは、1台を共有しているという意味ではなくて、
 同じ形式のデジカメで同じホワイト色のを、それぞれが持っているという意味です。

 もっとも則子さん所有の方は、あまり使われていませんが。
 ボクのは、毎日使っています。
 
 ソニーのサイバーショット DSCーT70 です。
 
 

 

雨宮日記 5月20日(金) 則子さんを手伝ってから素敵なコンサートへ

2011年05月21日 06時09分12秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月20日(金) 則子さんを手伝ってから素敵なコンサートへ

 午後起きると、珍しく則子さんが家にいました。ドキッ。
 「智彦くん、仕事の最終整理、手伝ってくれる?」
 「うん、いいよ」

 則子さんを助手席に乗せて、静銀に行って、それから元城町の元職場に行きました。まあ、今日が最後だろうなと重いながら、書類をパソコンで作りました。

 ちょうど、事務所の所員のOさんが来たので、仕事をしながら、口だけはいろいろしゃべりました。

 午後5時過ぎに、仕事を終えて,則子さんと事務所を出て,家に戻りました。

 「ちゃっと」,ボクは野菜炒め(サヤエンドウを煮て、タマネギとナスをアブラ炒めして、3つを混ぜて醤油味にします)を、則子さんはお芋などの煮物をつくりました。

 食事を父と次女と4人でしてから、久しぶりの音楽コンサートに2人ででかけました。

 クリエート浜松のホールで「フルーティオーゾ・コンサート」です。
 
 いつも感動するのは,フルートの中村泉さんの、すごく素敵な笑顔です(ボクの則子さんの優しそうな笑顔と同等くらいに素敵です!)。

 モーツアルトの「魔笛」、いいですね。
 なお「魔笛(まてき)」は誤訳で、「魔法の笛」と訳すべきだと思います。
 たぶん、そういう感じを、作曲家の林光さんの本で読んだのか、読まないのか?

 今日は、フルート・デュオで、中村さんが赤、相手が黒の素敵な服で、ぼくは、どうしても「ツバメ」の黒と赤を連想しましたが。

 今日のもうひとつの感動は、女性のサックス演奏です。
 とくに「クロノス」というタイトルの曲は、すごい!

 終わってから、親友のK子さんと則子さんと3人で、喫茶店を探しましたが、けっきょく鍛治町の「ミスタードーナッツ」まで行って、1時間以上、だべりました。

 こういう時間が最高です。
 
 素敵な音楽=文化・芸術を愉しんで、そのあと、信頼できる仲間と率直な会話を愉しめるなんて。
 
 中村泉さん、K子さん、則子さん、ありがとうございました。
 あれ?3人とも女性ですね?
 

雨宮日記 5月19日(木) 父は回復しました、ボクは里山へ

2011年05月21日 05時58分23秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月19日(木) 父は回復しました、ボクは里山へ

 昨日は胃の調子が悪かった父ですが、今日は回復したようです。
 午前中は則子さんが,医者につきそってくれました
 (いつも、ありがとうございます。実の息子より頼りになる息子の妻です)。
 
 ボクは、午後起きてから、初夏の里山へ。
 
 川でヌマガエルが高い声で鳴いています。
 谷では、ツチガエルが低い声で鳴いています。

 里山にいると、携帯に電話です。

 むかしは、里山では携帯がつながらなくて、良かったのですが、さいきんは、あらたまの湯が出来た頃から、近くに携帯局の鉄塔が建ってしまい、よくつながるようになってしまいました。
 しかも、則子さんからなので、出ないわけにはいきません。

 「はい?」
 「智彦くん?お父さんはどう?」
 「いいみたいだから、出かけて今、里山だけど」
 「夕方には帰る?」
 「はい!帰ります」

 

雨宮日記 5月18日(水) 父と則子さんは遠州病院へ、午後テレビ購入

2011年05月19日 06時19分03秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月18日(水) 父と則子さんは遠州病院へ、午後テレビ購入

 午前中、則子さんは耳の聞こえないボクの父(則子さんからは義父)について、遠州病院へ、定期的な診察に行きました。

 帰って来て、ぼくが昼過ぎに起きて台所に行くと、則子さんが「お父さん、胃が気持ち悪いって」というのです。

 則子さんは「お父さん、病院で疲れたんだと思う」といい
 父は「帰って来て、バナナとようかんを食べたから」と言います。

 もしかしたら、ようかんの食中毒か何かかもしれません。

 どっちでも良いのですが、午後、電気屋さんが父の部屋の地デジテレビを持ってくるので、則子さんは出かけるので、ボクが対応しました。

 アンテナの配線を、外からではなくて、中の部屋から部屋へ、にしてもらいました。
 
 ボクは外へでかけて、夕方返って来ると、まだ父は胸焼けがして、則子さんに「おかゆをつくってくれ」とおかゆにしてもらっていました。
 
 1日に3食まともに食べたことのないボクは、1日2食とか、1.5食とか、です。
 ちゃんと食べるのは夕食だけです。
 
 胃が調子悪いなら、むしろ食べずに絶食した方がいいのではないかと思います。
 
 夜、ぼくが仕事に出かける時間でも、父は治っていないので、則子さんに「もし治らないなら、救急車を呼ぶことも考えてね」「ボクは携帯をずっとオンにしておくから、何かあったら相談してね」と言って出かけました。

 何も電話は無くて、朝を迎えて帰宅しました。
 

震災・くらし情報 5月18日(水) 福島第1原発の3号機が異常事態

2011年05月19日 06時10分55秒 | 地震・原発・津波・防災情報
震災・くらし情報 5月18日(水) 福島第1原発の3号機が異常事態

 福島第1原発は1号機から3号機まで、3つとも「炉心溶融(メルトダウン)」しているようですが、その中でも3号機が非常事態のようです。

 1号機、2号機は、冷却水がメルトダウンした燃料に届いて,冷やしているようですが(それも放射能汚染して大変ですが)、3号機だけは冷却水が燃料に届いていないようで、異常な高温になるのは、そういう原因ではないかと推測ざれています。

 報道では、溶けた燃料が圧力容器の底から外へ流出する可能性・「想定」も書いています。
 今のところ、打つ手は書いてないので、打つ手はないのでしょうね。

 みんなが注視するべき緊急事態だと思います。

雨宮日記 5月17日(火) 今日の夕飯は豆ごはん

2011年05月18日 22時13分27秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月17日(火) 今日の夕飯は豆ごはん

 数日前に、浜北の里山へ行くバイパス(飛龍街道)を走っていたら「季節限定 豆ごはん」というメニューののぼりが、ありました。

 則子さんに「食べたいなあ」と言ってみたら、数日して、夕食に作ってくれました。
 ありがとう。
 
 初夏の味、おいしかったです。

 

震災・くらし情報 5月17日(火) 民間人が放射性物質をばらまけば 

2011年05月18日 22時04分14秒 | 地震・原発・津波・防災情報
震災・くらし情報 5月17日(火) 民間人が放射性物質をばらまけば

 仮定の話ですが(なぜ仮定かというとそういう猛毒を手に入れるのが難しいからですが)、もしボクのような民間人が、放射性物質を手に入れて、それを福島第1原発から出た放射性物質と同量くらい、ニホン列島にふりまいたとすると、どうなるでしょうか?

 普通なら、民間人による重大テロリストとして、即時に逮捕でしょうね?
 なぜ、東電の社長さんや会長さんは、すぐ逮捕されないのでしょうか?

 「故意ではないから」ですか?
 でも、自動車の運転による交通事故でも、故意であろうとなかろうと重大事故なら、凶悪な加害者として扱われますよね。

 東電の社長さんや会長さんは、凶悪な加害者ではないのでしょうか?
 それと,東電につながる政府の関係者は?

 それとも、誰かが告発しないとだめなのでしょうか?
 ????
 弁護士などの法律関係者にお聞きしたいところです。


本と映像の森 151 ほったゆみ原作、小畑健マンガ『ヒカルの碁 8』

2011年05月18日 05時35分03秒 | 本と映像の森
本と映像の森 151 ほったゆみ原作、小畑健マンガ『ヒカルの碁 8』ジャンプ・リミックス、集英社、2011年4月13日第1刷、320ページ、定価524円+消費税

 コンビニで見付けたので、つい衝動買いしました。
 ちょうどこの、サイとヒカルの別れの部分だけを読み損なっていたのです。

 主人公の進藤ヒカルと、ライバルの塔矢(とうや)アキラは、小学生の頃からのライバルです。

 130ページで、いつもはクールなアキラが珍しく独白します。
 「サイの一件以来 整理のつかない頭で ボクは考える
  進藤 なぜキミはボクの前に現われたのだろう
  なぜボクはキミを追い
  なぜキミはボクを追うのかと。」

 
 「なぜボクはキミを追い
  なぜキミはボクを追うのか」

 これって、ほとんど恋に等しいですよね。

 その後、サイを失ったショックで、ヒカルは、手合いをすべてサボり始めます。
 ヒカルがどんな碁を打つのか楽しみに待っていたアキラは、すっぽかされて頭に来て、ヒカルの通う学校を訪ね、ヒカルを詰問しますが、ヒカルは逃げてしまいます。

 果たして、ヒカルは碁盤に戻るのか?

 客観的に見れば、ヒカルとサイとアキラの三角関係で、ヒカルと濃く結びついたサイがいなくなって、ヒカルとアキラの関係が成り立つのか、どうかというお話です。

 則子「智彦くん!何を勝手に話を創ってるの!碁の話でしょ!」
 ボク「はい!ごめんなさい!でも、碁は碁打ちを抜きにして語れないから…このマンガの魅力は碁打ちたちの人間性ですね。アキラやヒカルをはじめ、和谷くん、伊角さん、倉田さん、緒方さん、塔矢光洋名人などなど…」
 則子「碁なんて知らない私が、読んでもわかるかなあ」
 ボク「うん、碁を知らない人のためのマンガだからね。1巻から貸そうか?」
 則子「時間のあるときにね」

 時間のある時なんて、則子さんの「時」には、ないんですけどね。
 
 すごく印象的なのは、進藤家の父親はいるのに、マンガでは存在感が薄くて、この巻で初めて登場するのですが、顔さえ見せないという薄い存在なことです。

 ライバルの塔矢アキラの父親である塔矢光洋名人の圧倒的な存在と比べると、なぜ、こんなにヒカルの父親は存在感がないのか、意味がありそうです。

 父親を越えようとするアキラと、父親と無関係なヒカル。
 2人の関係がそれによって規定されているのでしょうか?

 あ、違いますね。

 今、わかったのですが、
 ヒカルにとって越えるべき父親は、実の父親ではなく、藤原サイだったのですね。

 そのサイが、ヒカルはもう自分を越えて未来へ行く存在であることを確認して消えたのに、ヒカルはそれがわからなくて、消えたサイに執着します。

 その執着から、どうヒカルが自分を引きはがして生きていけるか、それが今後のテーマです。

  ☆

 (その日の夜の補足)ライバルと言っても、蹴落とし合って、相手が落ちていくと自分が喜ぶような敵対的なライバルとは違います。

 相手が来ないと、凄く心配になって、相手のいるはずの場所を訪ねてしまう、そういう、同じ道を行く仲間としてのライバルです。


 

 

震災・くらし情報 5月17日(火)朝 福島1号機は地震で損傷?

2011年05月17日 05時55分17秒 | 地震・原発・津波・防災情報
震災・くらし情報 5月17日(火)朝 福島1号機は地震で損傷?

 いま仕事から帰ってきて、午前6時ですが、「中日新聞」朝刊を拡げたら、なんと「福島1号機 非常冷却 本震で損傷か 津波来襲前に停止」という1面トップ記事でした。

 絶対確定とは思いませんが、かなり確度の高いのではないでしょうか。
 やはり、津波だけではなく、地震そのものの影響を詳細に検討せずに「安全」は言えません。

 浜岡原発が再開できるかどうかを直撃するショッキング記事です。

 その横の記事は「2,3号機もメルトダウン 安全委見解「保安院は楽観的」」と、書いています。
 東京電力は1号機だけを「メルトダウン(全炉心溶融)」としていますが、原子力安全委員会の斑目(まだらめ)委員長は、1号機も、2号機も、3号機もメルトダウンしていたと批判しています。

 それにしても、今まで「メルトダウン」を隠し通したことは、あまりにひどすぎます。




 

震災・くらし情報 文献 『地震イツモノート』ポプラ文庫

2011年05月16日 22時49分21秒 | 地震・原発・津波・防災情報
震災・くらし情報 文献 『地震イツモノート ~キモチの防災マニュアル~』ポプラ文庫、2010年12月5日第1刷~2011年4月11日第4刷、171ページ、定価560円+消費税

 やはりまず地震対策から始めたいと言うことで、地震対応の本を紹介します。
 本屋さんへ行ったら「地震・津波・原発」コーナーがあって、そこで買いました。

 地震が起きたらどうするか、で始めるのではなくて、地震の前にどう対策をするかから始めます。

 家が倒壊しないように、家具が倒壊しないように、東海地震対策を立てましょう。
 
 図入りで、わかりやすい本で、阪神淡路大震災を経験した人たちの、その時の生の声、生の感情が書いてあって、おすすめです。

 そして、地震の直後の救援活動をどうするか、生活をどうするか、長期の避難生活をどう過ごすか、いっぱいヒントが書かれています。

 こういう本を読んで、まず家族や友人で話し合うところから地震対策を始めましょう。


震災・くらし情報 5月15日(日) 浜岡原発廃炉のため。いま必要なことは

2011年05月16日 08時02分26秒 | 雨宮日誌
震災・くらし情報 5月15日(日) 浜岡原発廃炉のため。いま必要なことは

 浜岡原発が、海水混入という重大トラブルを起こしながら、いちおう停止したようです。
 問題は、廃炉への道です。
 
 ボクが思うことは,一つは、津波だけに矮小化して地震動そのものの影響を無視する中電や政府の態度が問題だということです。
 ぼくたち自身が、もっと大地震そのものと原発の安全性をきちんと学ぼうと思います。

 たとえば、今回の福島では、ほんとうに津波だけで原発が壊れたのかどうか。地震動そのものの影響について、どうなのか、調査を要求すべきでしょう。

 二つ目は、運動論というか,主体論になりますが、いったい誰が「廃炉」にするのか、です。
 一番の問題は、いろんな潮流の団体が、いろいろあって、それぞれが各自でやるのは、当然のことですが、それぞれの団体同士の交流・ネットワークができていないことです。

 ぜひ大きな団体が、自分たちの運動だけを拡げる立場に固執するのではなく、たとえば、立場を越えて「浜岡原発廃炉」を主張する団体で、「全県交流集会」のようなものを開かないと、全県民的運動には広がらないでしょう。

 静岡県民350万人のことを、ちゃんと考えましょう。
 あなた、ですよ。ぜひ考えて下さい。
 (もっとも、そういう「あなた」は雨宮ブログなど読まないかな?)

 

雨宮日記 5月14日(土) 父の88才(米寿)誕生祝い会でした

2011年05月16日 06時34分47秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月14日(土) 父の88才(米寿)誕生祝い会でした

 父の米寿祝い会を、天王町の司料理店でやりました。
 家族・親族など17人が集まって、祝いました。

 父が準備した父の写真や卒業証書などの資料を配布し、大正生まれの父が小さい頃に歌った大正の童謡を、父の唱和で、みんなで歌いました。

 80歳の時の唐傘に、みんなで寄せ書きをしました。
 「90歳、99歳、100歳のお祝いもやりたいと思います」でお開きにしました。

 長女(ちひろさん)が結婚することも公表しました。