雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 10月20日(木) お隣が更地で、初めて見る我が家の横顔 

2011年10月22日 05時27分48秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月20日(木) お隣が更地で、初めて見る我が家の横顔

 非常に丁寧に解体していたので、何日もかかったお隣の家の解体作業が終わって、お隣りの家の敷地が全部、土になりました。

 20年くらい前に、ここの土地を買って、家を建てて移り住んできたときには、お隣はあったわけで、今日は、我が家の横顔を初めて見ました。

 正面ではない、斜めでもない、横顔っていいですよね。この1ヶ月半くらい、無職の則子さんと2人で、車で浜松市内を放射線量測定で回ったので、ぼくが運転している時、助手席の則子さんの、横顔をたっぷりと見れました。

 可愛いな。キレイだな。
 結婚した頃と、変わらないよね…
 え?これって、ほとんどのろけのあほですか?

 2階への階段の途中のガラス窓に、引っ越してきた頃に張った青いスクリーンが、夜、外から見るときれいです。

 音には敏感な、次女のIさんの飼い兎・豆子さんが心配でしたが,今のところ、健康なようです。

 音に敏感と書いて思い出したのは、この前の日曜日・10月16日に、普段なら土日は飛ばない浜松基地の航空機が飛んでいたので「日曜日なのにうるさいな」と思ったことです。

 「もしかしたら今日は航空祭?」と思いましたが、しらべてみたら,23日でした。たぶん、航空祭=エアフェスタの練習でしょうか。

 

遠州の遺跡と寺社 59 東区大瀬町の若宮神社

2011年10月21日 22時09分58秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡と寺社 59 東区大瀬町の若宮神社

 神社らしいので横道から参道へ入っていったら、神社はあるけど鳥居がない?!振り返ってみると参道が長くて遠くに鳥居がありました。

 鳥居まで行くと説明板があり「若宮神社」で祭神はイザナギさんでした。

 静岡県内には「若宮神社」「若宮八幡宮」がすごく多いです。こんど数えたら紹介します。

 この若宮神社の社殿に向かって方角は55度でした。つまり、祀られた神さま・イザナギさんは神社の中で西から35度南を向いています。

 北緯34度で、冬至の日の入りは真西から28度南ですから、ほぼ冬至の日の入りの方向になります。

 そういえばイザナギさんの死んだ奥さんのイザナミさんは、死の国、黄泉(よみ)の国に居るんですね。亡くなった奥さんがもし西の日の入りの方向にいるとすれば、亡くなった奥さんのいる方向をずっと見つめ続けるいざなぎさんということですが。

 ただし、なぜ「冬至の方向」なの?というのが謎です。

遠州の遺跡・寺社 58 東区中条の須賀神社

2011年10月21日 21時51分06秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 58 東区中条の須賀神社

 通りすがりに則子さんと時間があったので「あそこ神社ね」「寄ってみようよ」と寄った神社です。

 須賀神社とありますので、須賀と言えば古代日本伝承で出雲に下ったスサノオさんがヤマタノオロチを退治してから出雲の姫・クシナダ姫をめとって新婚の宮をたてたのが、この須賀という名の土地です。

 つまり祀られているのは書いてないですが、スサノオさんのようです。

 全国に須賀神社は分布しているようで、いわゆる「牛頭天王社」も同じ系統でしょう。

 静岡圏神社庁のホームページで見ると、須賀神社は静岡県内では浜松市だけに3社あって、あと2つは近くの中郡町と、三方原台地の反対方向、西にある和地町とにあります。

 この中条の須賀神社は、正面に向かって10度です(真北を0度として、時計向きに東を90度、南を180度、西を270度、再び真北を360度=0度、と測ります)。
 つまり、神社は真南から西へ10度振れていますが、誤差の範囲内で、まあ南北軸の神社と言っていいでしょうか。

遠州古代史 森浩一さんが紹介した遠州の「金髪」の「山賊」

2011年10月21日 05時35分50秒 | 遠州古代史
遠州古代史 森浩一さんが紹介した遠州の「金髪」の「山賊」

 「日本古代史 本の紹介 森浩一さん『地域学のすすめ』岩波新書」(2011年08月16日)を紹介しましたが、この本の65ページにこう書かれています。

 「このように三河と崑ろん陣の関係に注目すると、鎌倉時代に三河の当隣の遠江に現われたという金髪で鼻の高い異形の山賊も偶然の登場ではないようにおもえる。これは武蔵の吉見三郎が京都へ向かう途中で山賊に襲われた場面が『男襖(おぶすま)三郎絵巻』に描かれたものだが、三河や遠江には東アジア系の渡来人とは別の渡来系の人がいたことを考えてもよかろう。」

 これは、13世紀の鎌倉時代に、朝鮮や中国からの同じアジアの渡来人ではなくて、金髪で鼻の高い、つまり白人?の山賊が居たという話?事実?です。

 この浜松に居た「白人山賊」は、マルコポーロのように中国へ来てそれから日本まで渡ってきたのか、それともアジアの南回りに東南アジアを通って直接、日本へやってきたのでしょうか。それとも3つめの可能性として、シベリアの北回りで来たのでしょうか。

 そうだ、13世紀と言えば、やはりモンゴル大帝国の時代、モンゴル帝国は白人もあまり気にせずに役人として使っていたようですので、そのモンゴル帝国の混乱で、東へ逃亡して浜松で「山賊」に落ちぶれた白人、という設定でどうでしょうか。

 いまテレビで地デジ「81チャンネル」で夕方にやっている人気アニメ「ワンピース」の再放送で、お嬢様が大嫌いな「海賊」という設定ですが、「海賊」「山賊」の歴史を追っていくと、かなり深いですね。

 この金髪の鼻高の山賊の末路が気になります。日本人の女性と幸せに結婚して、子孫とゲノムを残したのでしょうか。それとも鎌倉幕府の地頭などの役人から追われる山賊としてのたれ死んだのでしょうか。

 

浜松・放射線量測定情報 25 東区役所と浜北区役所

2011年10月20日 05時56分51秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 25 10月19日(水) 東区役所内外と浜北区役所内外

14時32分、東区役所の駐車場
 平均値 0.023
 最大値 0.026
 最小値 0.020

14時35分、東区役所の玄関、上に屋根あり
 平均値 0.056
 最大値 0.059
 最小値 0.055

14時40分、東区役所内,ロビー
 平均値 0.078
 最大値 0.081
 最小値 0.074

15時53分、浜北区役所のすぐ西、駐車スペース
 平均値 0.040
 最大値 0.043
 最小値 0.033

15時56分、浜北区役所の玄関、屋根の下
 平均値 0.089
 最大値 0.094
 最小値 0.085

15時59分、浜北区役所1F
 平均値 0.096
 最大値 0.099
 最小値 0.093

16時05分、浜北区役所の外の新しい駐車場
 平均値 0.043
 最大値 0.049
 最小値 0.039


雨宮日記 10月19日(水)の2 いつのまにか「25万ヒット」に感謝!

2011年10月20日 05時40分32秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月19日(水)の2 いつのまにか「25万ヒット」に感謝!

 今日、カウンターを見たら、25万ヒットを越えてました。

 ブログ開設から709日目、です。つまり、雨宮ブログは約2年間(あと21日で正確に2年目)ということです。みなさん、ありがとうございます。

 今のペースで、4倍の8年間で、ヒット数100万ヒットと言うことですか。

 ぼくが66才になったら「凍結」する「年齢限定サイト」というのも、おもしろいかもしれませんね。

 なんにしろ「永遠」には、続かないんだから。

 読むこと、見ること、聞くこと,書くことは大好きですので、元気な限り、今のように持続したいと思います。

 よろしかったら、みなさん一人ひとりが、書いて欲しいカテゴリーと内容を、コメントかメッセージでいただければ、そこに力を入れます。

 古代史なのか、万葉集なのか、原発の放射能なのか、それとも…。

 あれ?いま午前5時45分、2Fの則子さんの寝ている隣の部屋でパソコンを打っていたら、則子さんの、コン、コン、というセキが聞こえました。

 心配だから則子さんのお布団の中に、暖めに行ってあげようかな。

 

雨宮日記 10月19日(水) 北からカモたちが飛来し始めました

2011年10月20日 05時23分19秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月19日(水) 北からカモたちが飛来し始めました

 だいぶ夜は涼しくなってきました。

 気象庁のHPで「静岡県浜松」を選択「2011年」「10月」「19日」の日付を入れ、1時間ごとのデータと検索しました。

 10日は気温は最低気温が午前5時の14.5度、最高気温が午後2時の21.8度でした。

 昨日、浜名湖の「指」の一つの「庄内湖」の横を通ったら、カモたちが、かなり棒くいで休んだり、湖水に浮かんだりしていました。

 放射線測定で忙しくて、馬込川の堤防を則子さんとゆっくり散歩する時間があまりないのですが、馬込川の冬の住民たちも、そろそろ長い旅をして帰ってくるころでしょうか。

 地球温暖化問題が、原発事故などであまり関心がそれてしまっていますが、タイ国の大洪水を見ていると、やはり深刻ですね。

 19日には、タイの首都バンコクに水が迫っていると、首都の北部と東部に、退避勧告が出ました。首都は人口100万人だそうです。

 すでにバンコク以外での水害被災者は数十万人です。

遠州の遺跡・寺社 57 東区和田町「松東遺跡」の「銅鐸」の耳飾り破片出土地

2011年10月19日 05時52分33秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 57 東区和田町「松東遺跡」の「銅鐸」の耳飾り破片出土地

 森西遺跡からすぐ北へ。弥生時代後期の環濠集落「松東遺跡」から近畿式銅鐸の耳飾りの破片が出土しました。
 出土地は、今大きなマンションです。
 木船神社から出た木船銅鐸は三遠式なので、同じ地域に混在しているのは銅鐸なら、供給先が近畿(?)だろうと愛知(?)だろうと、あまり気にしなかったのでしょうか。
 ここにも説明板もなくて、住民に知らされてないのは残念です。

 ネットで検索したら、浜松市文化協会『浜松市松東遺跡発掘調査報告書II』(1990)というのが出てきました。まだ未見です。読むことができたら報告します。

 浜松市文化協会とは何かというと、ネット「浜松市文化振興財団」によれば、1986年2月に「財団法人浜松市文化協会」設立、1993年7月、財団法人アクトシティ浜松運営財団設立、2005年4月、事業統合により、財団法人浜松市文化振興財団に名称変更という経過をたどったようです。






遠州の遺跡・寺社 56 東区和田町「森西遺跡」の「銅鐸型土製品」出土地

2011年10月19日 05時44分27秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 56 東区和田町「森西遺跡」の「銅鐸型土製品」出土地

 「遠州の遺跡・寺社 55」で紹介した木船銅鐸出土地「木船神社」から東へ歩いて約400mくらい、JR東海道線の天竜川駅(浜松駅から東へ1駅目)のすぐ西、歩道橋のある付近が森西遺跡です。

 位置的には、たぶん歩道橋の北側の大きなマンションのあたりでしょうか。
 といっても、あたりにそれらしい説明はなくて、ぼくは浜松市博物館発行の『浜松市の銅鐸』(2007年発行、p34を参照)をガイドブックにしてたどり着きました。

 この森西遺跡で「銅鐸型土製品」が出土しました。正確に言うなら「銅鐸」ではなくて「土鐸(どたく)」でしょうか。銅鐸型土製品という命名は、あまりにも「銅製品が当然」という考え方にとらわれていて、土の銅鐸、あるいは石の銅鐸があってもおかしくないのでは?もちろん石では作業がたいへんで、無理でしょうけど。

 高さ7センチの「ちゅう(金+丑)」の部分の破片で、復元すると30センチの土鐸です。弥生時代後期の土器とともに出土しています。

 この付近に「弥生の銅鐸の村」があったことは間違いありません。

 『浜松市の銅鐸』の最終ページ(p44)の「おわりに」で「銅鐸の祭りが終焉を迎える頃、海岸平野や、天竜川下流平野では、それまでの銅鐸の祭りに替わって、銅鐸の飾り耳の破片や、小銅鐸、銅鐸型土製品を使った祭りが一層盛んに行われるようになったと考えられます。」と書いてあります。

 現象的にはそうかもしれませんが、やはり、木船銅鐸があった時代の後、近畿や東海の銅鐸文明が崩壊して、銅鐸の供給が途絶えたので、仕方なく村の人達がその代わりに「土鐸」を自前で作って銅鐸の祭りに使ったのではないでしょうか。
 

日本古代史 10月17日 「万葉集」皇族・貴族の称号の訳語の感想

2011年10月18日 05時25分46秒 | 日本と世界の古代史・遺跡・遺物
日本古代史 10月17日 「万葉集」皇族・貴族の称号の訳語の感想

 『万葉集』を、我々のような市民が読むときに、普通は、原文ではなく「読み下し文」で、五七五七七にして読んでいます。
 問題はそのときの訳語ですが、たとえば皇族・貴族の称号をどう読んでいるのでしょうか。
 ぼくは講談社文庫の中西進さんの5巻本「万葉集」が原文が付いているので愛読していますが、これを引用します。かなりの漢字にふりがながついているので便利です。

 原文   読みかた   引用例  歌番号
大王    おほきみ  
王     おほきみ  額田王(ぬかたおほきみ) 7番
女王    おほきみ  誉謝女王         59番
王女    おほきみ  鏡王女          91番
天皇    すめろぎ               29番
皇子    みこ    川島皇子         34番
皇女    ひめみこ  御名部皇女        77番

 大王=大(おほ)+王(きみ)であるという解釈なら、やはり、王=きみと読むのが論理ではないでしょうか。
 もちろん「きみ」は漢字で書けば「君」です。
 さらに「女王」も「王女」も「おほきみ」と読むのはどういう感覚なのか。日本語で歌うためというなら、繊細な日本語を尊重して、きちんと訳し分けていただきたいです。
 むしろ音読みで「大王 だいおう」、「王 おう」「女王 じょおう」「王女 おうじょ」とした方がスッキリするのではないでしょうか。

 ここまで書いてから、用語問題と言うより、もっと深い論点を思いつきました。

 つまり「大王」とは、古代の日本列島で存在した国には、ただ一人しかいないはずです。西洋の「王様」的な存在が大王です。

 ところが「王」は、大王の息子とか、前の大王の息子とか、いっぱいいるので、西洋でいうと「王子」的な存在ですね。

 実際上、古代のあの時代に、たとえば6世紀前半の、継体天皇(というのは後の時代の言い方で,あの時代には「継体大王}でしょう)と天皇家の王子たちを同じ「おほきみ」と呼ぶとは、考えられません。

本と映像の森 177 野尻抱介さん『太陽の簒奪者』ハヤカワ文庫

2011年10月18日 05時16分14秒 | 本と映像の森
本と映像の森 177 野尻抱介さん『太陽の簒奪者』ハヤカワ文庫、早川書房、2005年3月30日発行~2011年3月15日4刷、318ページ、定価700円+消費税

 野尻抱介さんの作品は「本と映像の森 172 「沈黙のフライバイ」」で紹介しました。今日は2つめです。

 2006年11月9日に実際に起きた水星の「太陽面経過」を望遠鏡で眼視観測していた高校天文部の部員から話は始まります。
 (「天文年鑑」で調べると、地球から見た水星の視直径は、4.8秒から12.0秒ですので、太陽の視直径の32分(=32×60=1920秒)ですから、水星は太陽の平均で200分の1くらいです。)

 主人公は白石亜紀、女子高校生は、水星の表面から立ち上がる巨大なアンテナか塔のような物体を発見し、この現象を探るために、理学部に進学します。

 この水星からの物質の流れは、何者かが水星の表面から大量の物質を空間に流していて、この物質は太陽の周りに巨大なリングをかたちづくります。

 リングは地球への太陽光線を一部遮ることで地上に甚大な気象変動をもたらし、このリングを破壊するための宇宙軍に亜紀は志願します。



 物語は、この亜紀が一貫した語り手・主人公となることで、亜紀の成長物語でもあるのが魅力です。

 地球人と異星人の出会いはできるのか?異星人が地球人の呼びかけに、なかなか反応しない、不思議な「接触物語」を著者は描き挙げました。

 コンタクトテーマの傑作でしょうね。一押しです。貸してくれた娘のIさんに感謝です。

雨宮日記 10月17日(月) 「玄関まで送らないけどいい?」「いいよお」

2011年10月18日 05時01分08秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月17日(月) 「玄関まで送らないけどいい?」「いいよお」

 最近は、自分の部屋のネットとつながっているパソコンで椅子に座って打つのではなくて、則子さんの部屋の則子さんのノートパソコンを借りて、低い机で畳に座って打つことが多くなりました。
 
 ぼくは、自分が仕事で出かける午後12時前まで,パソコンを使っているので、則子さんは一緒の部屋だと気が散るのか、下の部屋で学習しています(単に本を読むだけではなく、ノートに抜きがしているので「学習」していると思います)。

 則子さんが先に寝るときは、部屋の天井の電気は消して、低い机の上にスタンドをつけて、覆いで則子さんの方向は陰にしてパソコンを打ちます。

 今日は、浜松市内の2kmメッシュの放射線量測定データをわかりやすい表にして、地図を作る準備をしました。いま80数カ所です。

 ぼくの携帯で23時50分に毎日、アラームを懸けているので、それが鳴ったら、作業をやめて仕事に出かける準備をします。

 必要なモノを持って服を着て行こうとしたら、則子さんが「今日は、玄関までおくらないけど、いい?」と言うので、なんだか幸せな気分で「うん、いいよ、だいじょうぶ」と答えました。

 思い出してみると、結婚して松城町の旧「林泉書房」に住んで数年して夜中のこのアルバイトを始めたころは、毎晩、行く時間に起きて見送ってくれましたね。

 なんだか、新婚の頃の気分が、蘇ってきました。

 午後は、毎日のように、二人で放射線量測定と神社・古代遺跡の探訪にでかけているのですが、こういうのんびりした、ワクワクする新婚気分も、則子さんが就職するまで、でしょうか。

 

雨宮日記 10月15日(土) 劇団からっかぜのアトリエ公演に行きました

2011年10月17日 05時20分29秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月15日(土) 劇団からっかぜのアトリエ公演に行きました

 知り合いが出ている演劇だから行くのではなく、いい演劇だから行くのです。浜松のアマチュア劇団「からっかぜ」のアトリエ公演に行きました。

 則子さんはぎりぎりに行くのが好きなので、6時開場、6時半開演なのに「6時10分前に出ればいいでしょ?」と言って、うっかりぼくが反論しなかったので、よくなかったですね。

 雨も降っていたし、中区十軒町から西区篠原町まで夕方の混む道路を迂回して、最短距離で車で走ったつもりでしたが、ぎりぎりでした。

 駐車場の伊藤薬局の裏の空き地に止めて、駐車場の案内係りの方に会釈して、アトリエへ歩こうとしたら「雨宮さん!久しぶりです」と言うので、えっ?と思ったら「Aです」と!
 青年の頃とは違ってかなり顔も細身でなくなったので、気がつきませんでした。

 劇団が時前でつくって稽古場にもしているアトリエの小ホールに来たのは、ぼくは久しぶりです。何年ぶりかな?もしかしたら10年以上?
 でも、昔のままの感じでした。

 4段くらいの客席は、100人くらいでしょうか、もうほとんど満杯で、奥の空いた席へ案内されました。

 秋とは言え、人で埋まった客席はかなり暑くて、開演前に劇団の方がうちわを配っていました。

 幕開け前に、劇団からのごあいさつで「今日は途中休憩を10分はさんで、3時間かかります」と言ったら、聴衆から、えーっという吐息なのか何なのか、凄い反応がありました。

 ぼくも「うわあ、3時間かあ。オシッコしたくなったらどうしよう」と思いました。

 幕が開くと、そこはもう、アメリカ・カリフォルニア州の砂漠のマンザナ強制収容所、その中の一つの部屋がずっと今日の舞台です。

 その部屋へ所長が書いた朗読劇の台本「マンザナ、わが町」を上演するためのメンバーとして集められた5人の女性、それが今日の全キャストです。

 5人の女性のうち2人はまったくこれまで見たことのない若い女性ですが、5人ともすごい熱演で、感動しました。

 今日が初日なので、ときどき「とちり」があり、セリフの重複(同時に声出し…これはミスなのか、演出どおりなのか…)も感じましたが、ほとんど気にはならずに、1942年の世界を堪能しました。

 もちろん、主要テーマは、アメリカによる「日本人の強制収容は是か非か」ですが、朗読台本の中身や演出を巡って、5人の女性達は、いろんな立場から激論を始めます。

 こういう激論が、井上ひさしさんの作品の魅力なんでしょうね。

 激論は、アメリカ政治や自由論だけではなく、ドイツ政治や大日本帝国政治にまで広がって、さらにそれぞれの生い立ちや、小さい頃歌った歌まで語り合うことになります。

 劇中で歌われた、日本唱歌や,ジャズの名曲など、歌もこの劇の、すてきな魅力でしょうね。

 そして、当初は対等の5人の日本系女性の討論に見えた劇は、演出家のソフィア岡崎の理詰と浪曲師のオトメ天津の見事な推理とあぶりだしで、劇的な転回点を迎えます。

 こういう「ひっくり返し」「劇的な転換」が演劇の魅力ですね。ネタバレをすると劇を見る楽しみが半減しますので、ぜひ実際に観劇して感激して欲しいです。

 アトリエ公演 10月15日(土)18:30~ 16日(日)13:00~ 18:00~ この3回は、終了。これからあるのは,以下の通りです。
 
 10月29日(土)18:30~ 30日13:00~ 18:00~
 
 浜松市芸術祭公演(はままつ演劇・人形劇フェスティバル2011) 11月19日(土)18:30~ 浜松市福祉交流センター
 
 1942年の世界でしたが、まるで2011年の世界と同じことをかなり感じました。

 いきなり荷物も最小限で、着の身着のままで駆り立てられるカリフォルニアの日系人たちは、いきなり荷物も最小限で、着の身着のまま駆り立てられる現代の福島県の日本人と、ほとんど変わらないのでは?

 避難所のマイナス面を取材して書いた中日新聞の記事を読むと、この「マンザナ わが町」でも、まだ美化して描いている悲惨な面が実際はあったのではないかと感じます。

 もちろん「第2次世界大戦」も「アメリカ国内の日系人強制収容」も「ドイツによるユダヤ人迫害」も、「戦後日本の原発推進」も「東京電力福島原発事故」も、必然ではありません。

 それを避けることは、その気になれば、できたと思います。ただ、多くの人がその気にならなかったと思います。



浜松・放射線量測定情報 自宅定点 10月13日(木)~14日(金)

2011年10月15日 23時07分03秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 自宅定点 10月13日(木)~14日(金)

 なかなか自宅定点で8時間ごとに1日3回測定というのは、希有の業です。1日に1回とか、数日に1回という日もあると思います。
 自宅測定者は,特記ないかぎり雨宮智彦です。

 10月13日(木)22時16分
  平均値 0.047
  最大値 0.052
  最小値 0.045

 10月14日(金)06時30分、計測・記録者雨宮則子
  平均値 0.048
  最大値 0.054
  最小値 0.042

 10月15日(土)14時50分、小雨
  平均値 0.045
  最大値 0.047
  最小値 0.042


本と映像の森 176 菅野春雄さん『誰も知らなかった「伊豆の踊り子」の深層』

2011年10月15日 22時49分08秒 | 本と映像の森
本と映像の森 176 菅野春雄さん『誰も知らなかった「伊豆の踊り子」の深層』静岡新聞社、2011年7月23日初版第1刷、250ページ、定価1400円+消費税

 これは、事実と虚構、主人公の「私」の心の中をめぐる、謎解きのプロセスに満ちた本です。
 つまり、推理小説のように、順序を追って、最初から最後まで読み切るといいです。ただし、昔々に「伊豆の踊り子」を読んだ方も、まだ読んでないという方も、映画で見たという方も、文庫版でどこでも出ている「伊豆の踊り子」を読んで、できたら参照しながら読むといいです。
 ぼくの手元にある角川文庫では、わずか33ページです。作者が26才の時に発表され、作者が20才で旧制高校の学生であったときの実際の「体験」に基づいて小説化されたようです。

 謎は、たくさん、あります。
 第1章 修善寺  湯川橋で本当に出会ったのか
 第2章 湯ヶ島  何故九段目に座って踊り子を見るのか
 第3章 天城越え 茶屋の出会いは偶然なのか 他
 第4章 湯ヶ野  男は何故夕方まで座り込むのか 他
 第5章 間道越え 大島は見えたのか 他
 第6章 下田   「いい人ね」の感激は本当にあったのか 他
 第7章 それから 歪んでいなかった「私」 他

 こういう謎を一つ、ひとつ解いていくのが楽しい本です。
 やはり最大の謎は、これは「伊豆の踊り子」なのか「伊豆の旅芸人」なのか、ということにつきるでしょうか。それを解明することで、作者の川端康成さんの心の謎も解けるように思います。

 ついでにゲオで「山口百恵主演映画大全集 1 伊豆の踊り子」を1週間100円で借りてきて見てしまいました。