雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 10月21日(日)の2 夕食の秋刀魚(さんま)は苦いか、しょっぱいか

2012年10月22日 06時13分56秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月21日(日)の2 夕食の秋刀魚は苦いか、しょっぱいか
 
 写真は21日の雨宮家の夕食です。
 
 漢字で「秋刀魚」と書いてサンマと読みます。「秋の刀のサカナ」です。
 
 なぜ「サンマ」と呼ぶのかも不明です。
 
 答え「明石家さんまさん」でしょ?(笑)
 
 小説家・詩人の佐藤春夫さんが「さんま、苦いか、しょっぱいか」と歌ったのですが、今日食べたサンマは苦くも、しょっぱくもなくておいしかったです。
 
 『万葉集』にはサンマは載っていないようです。
 
 『古今和歌集』や『新古今和歌集』はどうでしょうか?ネットで検索しても引っかからないので、日本人がサンマを食べ始めたのは、江戸時代の「目黒のサンマ」の殿様のように、江戸時代・近世以後かも知れません。
 
 松尾芭蕉さん、小林一茶さん、与謝野蕪村さんに、秋刀魚の俳句はあるのでしょうか?いまのところ、発見できてません。知っている人、教えてください。

 こういうときに、いつも頼る加藤文三さんの『民謡歳時記(上・下)』の下巻の索引にもサンマは載っていないので、やはり近世以後でしょうか。
 
 もしかしたら「目黒のサンマ」のお話が創られたのは明治維新以後だったりして。

雨宮日記 10月21日(日) 雨宮智彦の原発講座の3回目で「地球は生きている」

2012年10月22日 05時41分08秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月21日(日) 雨宮智彦の原発講座の3回目で「地球は生きている」

 ぼくの「原発と放射能講座」の3回目です。本来のタイトルは「地震・津浪・火山」でしたが、準備過程で地球災害だけを強調するのではなくて、地球の脈動する本来の姿を強調すべき事に気づいて、全体のタイトル「地球は生きている」をかぶせました。

 もちろん「生命」的な意味で「生きている」のではありません。動物の心臓が定期的に脈動するように、地震も火山噴火もエネルギーを貯めて定期的に起きるという意味です。

 地震が起きなければ山もできません。

 極めつけは、億年くらいの周期で起きる地球の大変動で生物の大量絶滅と大きな進化が起きることでしょうか。

 津波は波ではない、富士山噴火は近い、という話もしました。次回は最終回の「浜岡原発のお話」です。

  ☆

 則子さんが講義「お礼」に行ってくれた上島2丁目の喫茶店「シーン」の階段の鉢植えで「キアゲハ」の幼虫を見付けました。聞いたら「パセリ」だそうです。お願いをして、幼虫が蝶々になるまで鉢植えをお借りしました。ありがとうございます。

 蝶の幼虫は蛹になるときに、どこかへ移動しちゃうので、明日、則子さんに鉢植えにかぶせるメッシュの網を買ってくるようにお願いしました。

 キアゲハの幼虫は、写真のように黒と緑のカラフルな縞模様。こんな目立つ模様は、たとえばスズメバチとかヤンマ(トンボ)とかに似せて鳥などに食べられないようにしているとしか思えません。緑色で葉っぱに溶け込む保護色が多いアゲハ類の中でも異質な幼虫です。

 


雨宮日記 10月20日(土) 北区の三方原会館で福島のお医者さんの話

2012年10月20日 20時15分52秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月20日(土) 北区の三方原会館で福島のお医者さんの話

 明日の自分の講演(60分)の準備や他の印刷などで忙しかったのですが、ようやく自分の講演原稿とレジュメと資料が完成したので、今日は午後、福島県郡山市で医療生協の診療所のお医者さんのお話を則子さんと聞きに行きました。

 いろいろぼんやりと感じていたことが、直接、お話を聞いて、いろいろ明確になりました。聞けてよかったです。則子さんとも、「逃げる権利」と「残る権利」について、いろいろ話をして合意できました。うれしいな。

 つまり、科学の世界は「謎解き」ですね。事実と道理に基づいてですが。いろいろ分からないことが、分かってくる、それが科学であり、歴史であると思います。

 そのためには、真実から目をそらして、逃げてはいけないし、自分がいま「真実」と思っていることを他人に押しつけてもいけないと、いうことを痛感しました。

 夜は次女のIさんが録画した「チーム・バチスタの栄光」を見ました。心臓の「バチスタ」手術を性交させてきたチームに手術中の患者の死があいついで…病院内の「不定愁訴外来」(病院内では「愚痴外来」と揶揄される)の女性医師と、厚労省の特命調査員がタッグを組んで(組んでるのか?)おこなう調査で。

 謎解きは「入れ子」「二重構造」になっているのですが、外部の構造はよくできていますが、内部の構造はちょっと基礎建築がうまくできていなくて、解決編が伏線がなくて、少し無理がある感じです。つまり犯人の異常さだけがそこで突出しすぎているかなと。

 


本と映像の森 228 五十嵐大介さん著『海獣の子供 1』小学館

2012年10月20日 19時58分59秒 | 本と映像の森

本と映像の森 228 五十嵐大介さん著『海獣の子供 1』小学館、イッキコミックス、2007年(平成19年)8月4日初版第1刷、316ページ、定価本体714円+消費税

 「星の。星々の。海は産み親。人は乳房。天は遊び場」

 東京まで電車で2~3時間の港町に住む少女、アズミ琉花(るか)。中学生の琉花が、父の勤務する「江ノ倉水族館」と海岸を舞台に、不思議な少年たち、海と空に出会い体験する物語です。

 各地の水族館で発光して消えていく魚たちが続出します。

 琉花は、海くんや空くんと海でサカナや動物たちと不思議な体験をします。

 夜の海岸で、琉花と海くんの目の前に明るい隕石が海に落ちていきます。

 素敵な、海洋の生きものたちと人間たちの物語が始まります。

  ☆

 もちろん、琉花さんの名字が「アズミ」なのは、物語からすれば必要な伏線ですね。日本古代史が好きな皆さんにはピンとくると思います。

 

 

 


雨宮日記 10月18日(木)の2 「地球は生きている」ので単なる災害じゃない

2012年10月19日 06時26分12秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月18日(木)の2 「地球は生きている」ので単なる災害じゃない

 地震・津浪・噴火の講義を準備するうちに、最初は「地震被害、津浪被害、噴火被害」の角度で準備をしていたのですが、だんだん違和感が出てきました。

 やはり「地球は生きている」「生きている地球」なので地震・津浪・噴火もあるので、そういう地球の脈動と、人間が愚かで低湿地や海岸に都市や住居を作って、大きな被害を出していることとは、別の話で考えないと、と思います。

 地震がなければ、地下からのエネルギーがなければ、「山」もなく、「日本列島」もなく、火山もなく、富士山もありません。

 地下からのエネルギーがなければ、陸地には、ただ、だだっ広い平野が広がっているだけだったでしょう。

 プレート移動がなければ、欧州のアルプス山地もなく、アジアのヒマラヤ山脈もないわけです。

 「生きている地球」「地震・津波・噴火」と共存する、いや「共存できる」文明を築いていくことが目標だろうと思います。

 地震や津波や火山はなくすことはできませんが、地震被害・津浪被害・噴火被害は無くすことはできると思います。

 それは「大都市集中文明」「巨大生産文明」「低地文明」を考え直すことから始まるような気がします。

 1世帯の電気を使うのに、なにも巨大な100万kwの原子炉を使わなければならない規則はないですね。1世帯の電気は、1世帯の自宅の屋根の太陽電池で発電して、余分の電力は自宅の充電池に貯めておければと思います。

 


雨宮日記 10月18日(木) 人格の対等平等と役割分担の上下は両立する?

2012年10月19日 06時17分22秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月18日(木) 人格の対等平等と役割分担の上下は両立する?

 則子さんと車のなかで何時間も話していて思いついたことです。則子さんとぼくは「対等平等の人格」としてお互いに強制や支配や従属はなしでやってきました。

 そして同時に、ぼくはその則子さんの下で、「秘書・事務局・参謀」として、則子さんに「仕えて」きました。なぜ「仕えて」というかというと、そういう時には、対等平等ではなく、則子さんに最終決定権があるからです。

 その「対等平等の人格・夫婦」と、対等平等でない、「秘書・事務局・参謀」関係がどうして両立するかです。

 ぼくにとって、ある組織の構成員・役員であること、則子さんの、「秘書・事務局・参謀」であることは同じレベルの、一時的な「役割分担」であって、自分の永久的な、未来永劫の仕事ではないです。

 自分で、いつでも「やめます」とやめられるのが基本ですので。

 ただ、則子さんとの「対等平等の夫婦関係」の方は、自分だけで「やめます」とはならなくて、則子さんと話をして、お互い納得して「解消」しないといけないような基がします。

 あれ?これもぼくだけで解消できるのかな?


遠州の遺跡・寺社・地名 96 磐田市の米塚古墳(1号墳)

2012年10月19日 06時01分51秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 96 磐田市の米塚古墳(1号墳)

 米塚古墳は、銚子塚古墳のすぐ北にあります。立っていた説明板では、円墳で基底は直径40m、高さは6mです。そして「周堀7m」で「葺石が推定されます」「築造年代は5世紀後半と推定」と書いてありました。

 この米塚古墳は米塚古墳群の1号墳で11基の円墳のうち3基(2号、3号、11号墳)が消滅しましたが、8基は残っています。

 基底が40m、高さが6mもあるのは1号墳墓だけで、あとはぜんぶ基底が15m~6m、高さは1.5m~0.5mです。

 説明板の一部がはがれて(誰かがはがして?)います。磐田市教育委員会に電話してあげたほうが親切かな。

 周囲に「円墳」があるはずと見渡してみましたが、わかりません。

 写真は、長者屋敷遺跡の説明看板の地図です。


遠州の遺跡・寺社・地名 95 磐田市の「長者屋敷」遺跡

2012年10月18日 05時53分43秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 95 磐田市の「長者屋敷」遺跡

 銚子塚古墳・小銚子塚古墳の少し南に「長者屋敷」遺跡があります。ここでは旧石器時代の遺跡、縄文時代の集落跡、そして奈良時代の、推定「郡衙」跡とされています。

 小字(こあざ)の地名で「長者屋敷」という地名があったので、以前は中世遺跡と考えられていたようですが、発掘で古代のものであることがあきらかになりました。

 「匂坂上原」信号から北へ車で走ると、浄水場のすぐ南側、道の右側(東側)に長者屋敷遺跡があります。車を数台止めることができる草むらの駐車場があります。

 今は長方形の土塁跡とその内側の壕跡を見ることができます。東西約100m、南北約80mの大規模な土塁です。

 なぜ「郡衙」がこんな、まるで軍事要塞的な「土塁」と「壕」で囲まれないといけないのか、戦争でもしていたのでしょうか?「郡衙」跡で、こういう例はあるのでしょうか。

 「謎」に満ちた「屋敷」跡です。

 統一国家ができた奈良時代(701年以後)ではなくて、もう少し前の時代で、軍事争乱が予想された時代のものではないのか、検討が必要ではないでしょうか。

 詳しい説明では「7~8世紀」という文献もあるので、7世紀なら奈良時代以前になります。

 壕が南側だけ、土塁の外にも築かれているのは、攻撃してくる「敵」が南から上陸して攻めてくるのを予想しているということでしょうか。

 たとえば磐田の地方権力が、7世紀後半に、中央のヤマト国家(統一以前の)との戦争を想定して築いたとか。もしかしたら壬申の乱の頃とか。

 あまり「古代史幻視」に走らずに、報告書などを見て物証を探したいと思います。

 銚子塚古墳や小調子塚古墳の間近にあるのは、やはり集落的には関係があると見るべきだと思います。

 調子塚古墳を築いた地方権力と、長者屋敷を築いた地方権力は、同一の地方権力と見るのが地理的には妥当ということでしょう。考古学的な物証があるといいのですが。

 

 


浜松放射線測定情報 10月17日(水)朝 自宅2階で0.047~0.051 μSv/h

2012年10月17日 05時55分30秒 | 地震・原発・津波・防災情報

浜松放射線測定情報 10月17日(水) 自宅2階で0.047~0.051 μSv/h

 2階の「智彦部屋」は、0.047~0.051 μSv/hで通常通りです。

 文部科学省の 放射線モニタリング情報
 では浜松市中区の県総合庁舎の駐車場で 0.035μSv/h で通常通りです。


雨宮日記 10月16日(火) 則子さんは俳句をつくって、ぼくは原稿を

2012年10月17日 05時45分50秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月16日(火) 則子さんは俳句をつくって、ぼくは原稿を

 午後は今日は何もないので、のんびり起きると、則子さんが居間(玄関横の、次女と則子さんの使ってる部屋)で、なにやら書いていました。

 「なに?」と言うと「明日の午前、俳句の講座なので、10句創ってる」ということでした。先週から文芸館での俳句講座に通ってるのです。

 ☆

 ぼくはやっと完成した浜岡原発裁判静岡県の会結成総会の原稿をもって印刷に。帰って来て、基地のない平和な浜松をつくる会の学習会のちらし原稿を何人かに見てもらい確認しました。

 夜は、ずっとできなかった父の本「落葉松」の原稿を、フォントを変えて3種類出して、則子さんに見てもらい、フォント11.0で確定しました。もうすこし仕上げをして印刷原稿を完成させます。

 21日の自分の「原発と放射能学習会 3 地震・津浪」の準備もあるので忙しいです。

 


遠州の遺跡・寺社・地名 94 磐田市の前方後方墳・小銚子塚古墳

2012年10月16日 06時06分49秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 94 磐田市の前方後方墳・小銚子塚古墳

 ほぼ南北の方向にある銚子塚古墳の西横に、前方後方墳の「小(こ)銚子塚古墳」があります。銚子塚古墳の説明版の向かい側になります。

 小銚子塚古墳は、独特な「前方後円墳」で、静岡県内には今のところ確実なのは5基しかないようです。全長47mで、方向はちょうど東西を向いています。

 というより、西の後方部は幅36mで高さ6m、東の前方部は幅25mで高さ3mなので、おがむ場所の東の前方部から西の墓地のある後方部を見ると、ちょうど西に日が沈む方向です。

 つまり、春分や秋分の、お彼岸に先祖参りをする習慣とぴったり合っています。

 この「小銚子塚古墳」と「銚子塚古墳」が同じ時代とされているのは、どうも納得がいきません。どう考えても、西の平野に近い「小銚子塚古墳」の方が先に出来て、その奥に位置する「銚子塚古墳」は後でしょう。問題は、どれくらい後か、ですが。

 東西の太陽信仰から、南北の「天神」信仰への転換という点でも、同時代というのは、かなり無理がある説明ではないでしょうか。

 「小銚子塚古墳」の方には説明版もありません。大きな古墳でも小さな古墳でも、その価値に変わりはないと思います。

   ☆

 10月18日(木)朝、付記。辰巳和弘さん著『日本の古代遺跡 1 静岡』保育社、昭和57年初版、p168では小銚子塚古墳が銚子塚古墳より「やや先行して築造されたと考えたい」としている。その通りだと思います。


遠州の遺跡・寺社・地名 93 磐田市の銚子塚古墳

2012年10月14日 21時19分41秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 93 磐田市の銚子塚古墳

 磐田原台地の西の端に、全長108mで、全長では静岡県内第3位の銚子塚古墳があります。

 浜松から行くと、「かささぎ大橋」で天竜川を渡って、そのまま直進、曲がりくねったカーブで磐田原台地の上へ出て、最初の信号「匂坂上原」で左折、北進して、「浄水場」の敷地のすぐ北を左折すると、目の前に見えてきます。

 古墳の森に突き当たったら、右折して古墳の東側から北側へ出て左折、古墳の西へ入り込むと行き止まりの道で古墳の説明版があります。 

 古墳の説明版の奥が前方後円墳の後円部です。

 古墳の方向は、北が後円部で、南が前方部ですので、「天神信仰」の南北古墳です。すこし20度ほど北が東へ傾いていますが。

 後円部は直径58mで、高さ8.5mです。前方部は長さ52m、高さ4.5mです。後円部に登ると、前方部はすごく下に、つまり4m下に見下ろせます。

 推定年代は古墳時代前期で、文献では4世紀とされているようです。

 三角縁神獣鏡・巴型銅器・銅ぞくが出土しています。

 後円部の頂上に登ると、磐田原台地の下の沖積平野が見下ろせます。ここに葬むられた盟主が、この下の平野の支配層であることは自明であると思います。

 その村落はどこにあるのでしょうか?

 ☆

 次回は銚子塚古墳の真横にある「小銚子塚古墳」です。

 

 

 


雨宮日記 10月14日(日) 則子さんと古墳に行きました

2012年10月14日 20時19分09秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月14日(日) 「鴨さんたちを見に行こう」と言う則子さんと古墳に行きました

 則子さんが「智彦くん、鴨さんたちを見に散歩しよう」と言うので、「今日はそれより古墳を見に行こう」といって、午後2時40分ごろ、車で家を出ました。

 以前、途中で寄ったけど場所がわからなくて退散した磐田市の古墳に向かいました。

 家から東へ天王町で笠井街道へ右折して北上、笠井街道の「交番南」信号で右折、東へ、天竜川を「かささぎ大橋」で渡って、そのまま磐田原台地の上へ。

 「匂坂(さぎさか)上原」信号を左折して北上、最初に「長者屋敷」遺跡をじっくり見ました。遺跡の紹介は「遠州の遺跡・寺社・地名」でします。次の「銚子塚古墳」へ車ですぐです。長者屋敷からすぐ北で西へ入って目の前がたぶん、銚子塚古墳と思いましたがその通りでした。

 ところが曲がり角にも何の標識もなくて、有名な古墳の割には、何も出ていません。古墳の北から西へ曲がり込んで、行き止まりの道でようやく古墳の説明標識を見付けました。

 標識の奥、東側に南北に位置しているのが「銚子塚古墳」で、標識の真向かい、西側に東西に位置しているのが「小銚子塚古墳」です。

 秋なのでもう蚊はいないかと思って、古墳探訪を再開したのですが、まだヤブ蚊がいました。ちょっと早かったかな。

 白や薄紫のツリガネニンジンが咲いていて、うれしくなりました。また会えたね!

 そのあと、以前に寄った、少し北の「米塚古墳(1号墳)」とその南の何も標識のない茶畑のなかの旧石器時代の、たぶん「寺谷(てらだに)遺跡」の写真を撮りました。

 帰りの道で、則子さんは「どこかでコーヒー飲もうか」と言ってくれたけど(うれしい!)、喫茶店が帰りの道に何もないので、代わりに、東区の「十湖池」ビオトープを見学しました。もちろん、人はいないので、勝手に寄っただけです。水が引かれて池があって、いいところですね。ただ、周りに森があるわけではなく、孤立した環境なのが難ですね。

 「十湖池」というのは、もちろん松島十湖さんゆかりの池です。といっても、浜松人以外では誰も知りませんね。浜松では有名な「浜松は 出世城なり 初がつお」という俳句を作った人です。

  ☆

 昨日と今日は、1ヶ月に1回の連休なので、昨日も今日も、ぼくは夜、じっくりのめます。うれしいな。則子さんは「酔っ払い!お酒臭い!」と嫌いますが。則子さん、お布団に潜り込んでもいい?だめ?

 

 


遠州の遺跡・寺社・地名 特報 三方原学園内の古墳群の見学をします

2012年10月13日 23時35分10秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 特報 三方原学園内の古墳群の見学をします

 2012年10月11日(木)に三方原学園に電話をして「浜松市内の考古学ファンですが、学園内の古墳群を見学したいんですが」と話をして、わかったことをアップします。

 事前に学園に連絡をしてください。

 学園は土日休みなので、平日に来て欲しい。

 学園の正門を車で入って校舎の前の駐車場に車を止めてください。

 学園の事務室によって、見学者受付をして、名簿に記入してください。案内のガイドをさしあげます。ということでした。

 丁寧にありがとうございました。見学したら、詳しいことはアップします。 

 現在の行政区域では浜松市東区有玉西町です。

 三方原学園は、「児童自立支援施設 静岡県立三方原学園」で、児童福祉法第44条に基づいて静岡県が設置しています。「満18才未満で家庭や学校などで育成指導の難しい児童および家庭環境その他の環境上の理由により生活指導等を要する児童を入園させ、必要な指導を行い、心身の健全な育成・発達を図るとともに自立を支援することを目的としています」

  



 

浜松放射線測定情報 10月13日(土) 自宅2階と県総合庁舎は通常

2012年10月13日 23時06分32秒 | 地震・原発・津波・防災情報

浜松放射線測定情報 10月13日(土) 自宅2階と県総合庁舎は通常 

 2階の「智彦部屋」は、0.036~0.051 μSv/hで通常通りです。

 文部科学省の 放射線モニタリング情報
 では浜松市中区の県総合庁舎の駐車場で 0.034μSv/h で通常通りです。

 静岡県内の測定箇所は22カ所で、最大は御前崎市中町の 0.054

 最小は静岡市の静岡県環境衛生科学研究所と伊豆市の沼津土木事務所修善寺支所の 0,031です。

 写真は秋の筋雲です。