雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森 239 テレビ「グレーテルのかまど 小正月・鏡餅」を見ました

2013年01月18日 04時55分52秒 | 雨宮日誌

本と映像の森 239 テレビ「グレーテルのかまど 小正月・鏡餅」を見ました

 「グレーテルのかまど」というテレビ番組に、次女と則子さんははまっていて、毎週、録画して毎週見ているようです。

 先週は「夏目漱石のヨウカン」でした。それを見て、則子さんは夏目漱石さんの小説が読みたくなったようで、次女のIさんから文庫本、10冊近くを借りてました。

 ぼく「そんなに読んでいたら、当分、仕事に行く暇はないよね」

 則子さん、嬉しそうに、「そうよね!」

  ☆

 今週は「小正月特集」で、鏡餅を小正月(1月15日)に「鏡開(かがみびら)き」して、小さくしたお餅を、お汁粉に入れたり、焼き餅にしたりして食べるお話でした。

 番組では19才の樋口一葉さんが、秘かに愛する師匠の半井(なからい)さんの自宅を、雪の日に訪問して、師匠からお餅入りのお汁粉をごちそうになる「至福の時」の「日記」が紹介されていました。

  ☆

 民俗学的にいうと「鏡餅」の「鏡」は、「太陽信仰」で「女性」のシンボルですね。それを「食べる」意味は、まだよくわかりません。不勉強ですみません。研究します。

 次女のIさんが「雨宮家でも、昔は、鏡餅って、あった?」と聞くのですが、記憶があいまいで、あったような気もします。今、89才の父に聞いて見ますね。

 「ウイキペデア 鏡餅」を見たら、鏡餅の上にのせるダイダイ(ミカンの一種)は「三種の神器」の「曲玉」で、鏡餅に添える「串柿」は「剣」のことなのだそうです。ほんとうかどうか、根拠を検討してみます。

 

 


雨宮日記 1月15日(火) 「小正月(こしょうがつ)」でした

2013年01月17日 05時30分16秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月15日(火) 「小正月(こしょうがつ)」でした

 旧暦では1月15日は、1年で最初の満月の夜です。この日は「中国から暦が入るまえは、この満月の日が正月であった」(加藤文三『民謡歳時記 ーくらしの文化史ー 上』青木書店、p341)そうです。

 この日は、「削り花」、「餅花(もちばな)」、「繭玉」、小豆(あずき)による「年占い」、「成木責め」、「鳥追い唄」、関東の「どんど焼き」=関西の「左義長」、秋田の「なまはげ」などなど、いろんな行事があります。

 もちろん、1月15日は「成人式」ですが、小正月のいろんな行事と、どういう関係があるのでしょうか?ないのでしょうか?

 ボクが小さい頃、松城町にいた頃に、高町の秋葉神社へ、「どんど焼き」で、正月の物を焼きに行ったような記憶があります。父に確認してみます。

   どんど焼 どんどと 雪の降りにけり  小林一茶

 この時期、一茶さんの住んでいた信州では大雪だったのでしょうね。雪の白と、どんど焼きの紅い炎の対比がすてきですね。

 浜松=遠州では、風花すら飛んでいません。

 


雨宮日記 1月14日(月) 朝は久しぶりの雨、関東は大雪で大混乱

2013年01月16日 05時09分50秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月14日(月) 朝は久しぶりの雨、関東は大雪で大混乱

 年末の12月30日かな、大雨でしたが、今日は浜松ではそれ以来の、久しぶりの雨でした。  

 関東では大雪になって交通が大混乱、雪による交通事故で2人死亡、1569人が怪我と報道されています。

 成人の日のせいか、「ばかもの」もいて、鍛治町の路上で車道にフラフラ出てくる男性がいて、危ないです。

 昔、歌っていましたよね。「若者たち」という歌で「だのに、なぜ、君は行くのか、金もないーのに」(正しくは「あてもないのに」です)。

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 今日は、2月18日の「浜岡原発永久停止裁判」「第7回口頭弁論」の傍聴おねがいチラシを仕上げて、関係各所にメールで送りました。ソフト「一太郎」で完成して、ソフト「ワード」に変換したものと、2種類のA4ファイルを添付しました。

 ここ数日は、土曜日に迫っている、自分の「原爆と原発」講演の準備で、忙しいです。今日は、添付資料の作成をしました。A4で12ページに限定しました。多すぎても見てもらえないし、少なすぎても証拠不十分になるし、むずかしいですね。

 ☆

 長女(美術系の短大卒)が、ぼくの父(長女からは「おじいちゃん」)執筆本「落葉松」の表紙絵の改訂版を持ってくる日ですが、「雨なので、明日にしたいけど」と電話があり、明日夕方にしました。

 

 


本と映像の森 238 中山七里さん著『魔女は甦る』幻冬舎、2011年

2013年01月14日 05時59分51秒 | 本と映像の森

本と映像の森 238 中山七里さん著『魔女は甦(よみがえ)る』幻冬舎、2011年5月1日発行、340ページ、定価1400円+消費税

 また中山七里さんの推理小説です。
 埼玉県所沢市の沼地で事件が起きます。死体轢断事件です。
 被害者は、すぐ近くの製薬会社・ドイツ企業スタンバーグの研究所の若い研究員・桐生隆さん、30才。
 事件を捜査する埼玉県警の警部・槇畑(まきはた)啓介さんは、上司の渡瀬さんや応援で来た警察庁生活安全課(麻薬担当)の宮城(くじょう)さんと共に操作を開始しますが…


 警察とは別に、桐生の恋人だった女子大生・毬村美里さんも自分で事件を探り始めて…

 以下、語録です。
   ☆
 「自分の中にも他人には窺い知ることのできない部分があるだろうに、この男(注:槇畑の部下)はそれを見ていない。いや、見ようとしていない。犯罪は時代の鏡であり、その萌芽は日常の中で発生し成長していくものだ。だから犯罪捜査とは日常の中から憎悪、嫉妬、欲望といった負の要因を一つ一つ拾い集める作業ともいえる。その為には、どんな人間が何を求め何を厭うのか、可能な限り大量のデータを蓄積しなければならない。夫婦の愛憎、サラリーマンの悲哀、政治家の野心、オタクの執着心、性倒錯者の情熱、それらは全て等価のものであり、正常だとか異常だとかの区別はない。古手川に不足しているのはその認識だ。たとえば古手川はこの事件を異常者の犯行と決め付けているフシがあるが、何も異常者のみが猟奇的な犯罪に手を染める訳ではない。むしろ、普通人が異常な事件を起こすことこそが今日の犯罪の異常性なのに、この男は神山駐在と同様に自らを良識の安全地帯に置いて事件を俯瞰している。(中略)捜査の基本や訊問の技術なら実地で習得も可能だろう。しかし他人に対する知識欲、人間そのものへの好奇心は生来のものであって教授できるものではない。少なくとも、自分の生活規範からしか他人を評価できない人間にそれを強いるのは無理というものだ。」(p34~35)

   ☆

 「班長が今言ったばかりの意味ですよ。惨殺されたのなら怨恨、誘拐されたのなら身代金目的。そういう定型に当てはめずに、矛盾していようがいまいが事実を事実として認識する。そしてそれを立脚点に捜査を進めれば、やがて矛盾が矛盾でなくなる瞬間が訪れる。」(p85)
  ☆


 宮條「大抵のことはね、現場に行ってみれば何とかなるもんです。」
 槇畑「楽観主義者ですか」
 宮條「経験則です。昔、渡瀬さんと私は署内きっての名コンビと謳われましてね。容疑者が議員の身内だったり、立証困難で令状取れない時も片やアクセル、片やブレーキのコンビネーションで結構無茶しましたが、それでも最期には何とかなりましたから」(p86)
  ☆
 最初の展開では、槇畑と宮條がコンビかと思い、宮條さんが岬洋介さんの役回りかと思いましたが、違いました。槇畑さんと毬村美里さんのコンビの捜査になりました。
 ネタバレは書きませんが、岬洋介さんシリーズとは違う、血なまぐさい趣向ですが、こういのもいいですね。
 なお、単なる推理小説ではありません。むしろ、薬剤メーカーがからんで、SF推理小説といえます。そこに刑事さんの「自己回復」がかかっていて、それを女性が助ける、というとアイザック・アシモフさんの名作「はだかの太陽」を思い出しますね。


 


雨宮日記 1月13日(日) 則子さんが馬込川のコハクチョウ13羽を見つけました

2013年01月14日 05時44分01秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月13日(日) 則子さんが馬込川のコハクチョウ13羽を見つけました

 今年は寒いので、いつもなら来ない「コハクチョウ」が年末と年始に、馬込川の太鼓橋近くで6~7羽いるのを確認していました。

 今日、13日の日曜日、お昼過ぎに、目覚めると、則子さんが「智彦くん!ハクチョウがいたよ!しかも12羽!」と言うので、慌てて起きて、カメラを持って家を出ました。

 家のすぐ西側の三浦橋の南が太鼓橋で、三浦橋から見ると、確かに、白い大きな鳥たちが川面に浮いています。

 行って見ると、確かにコハクチョウの群、たぶん2家族の13羽でした。

 小さなデジカメで撮影しているご夫婦や、巨大な望遠レンズで撮影している男性、ジョギングしながら白鳥を見て行く若い男性など、みんな嬉しそうでした。

 見ていると、則子さんが耐寒装備で嬉しそうに合流しました。

 「ほんとに、みんな、シベリアから飛んで来たのね」

 「うん、すごい大旅行だよね」

 


雨宮日記 1月12日(土) 夜は「資本論」第2部の学習会の始まりでした

2013年01月14日 05時36分33秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月12日(土) 夜は「資本論」第2部の学習会の始まりでした

 何年も前に、「資本論」第1部の「全行読み」学習会を終えてから、第2部を読みたいね、という話をしていたのですが、やっと始めることにしました。

 チラシをつくり、いろんなところで宣伝して、今日は、午後7時から、則子さんの旧職場をお借りして学習会をしました。

 参加者は7人でした。参加するはずのTさんが来ないので、自宅に電話したら「体調がよくないので帰ってきました」ということで、ちょっと安心、7人で学習しました。

 これから2年間くらいかけて、月1回、第2土曜日夜に、予定しています。浜松市内で希望の方は、ご連絡ください。歓迎します。

 1回500円で、先払いは1年間12回分を10回分・5000円で受講できます。


原発・放射能ニュース 静岡県学習協公開講座 放射能・いのち・原発

2013年01月11日 05時02分55秒 | 浜岡原発ニュース


原発と放射能の学習会の紹介です。ぜひご参加ください。

 静岡県学習協公開講座 放射能・いのち・原発

 2013年1月19日(土)
 午後1時開場 1時半開会 4時半まで

 浜松福祉交流センター2階 21号室
 (浜松市中区成子町140-1 JR浜松駅より南西、高架下に沿って徒歩10分)

   入場無料、会場で募金をおねがいします 
 
 ☆資料準備のため、できるだけ参加予約をおねがいします

 講師 
 長坂輝夫(県学習協理事・元高校理科教員)
  「放射線の「ものさし」と放射線の身体的影響について」
 中谷信和(県学習協理事・静岡県西部ゴミ環境ネット代表)
  「20世紀=原爆・原発の開発史から21世紀=浜岡原発廃炉へ」

主催:静岡県労働者学習協会・浜松労働者学習協会

 

 <コピー・転載・拡散自由です>


原発の行動お知らせ<浜松> JR浜松駅前で毎週日曜日に署名行動

2013年01月11日 04時52分31秒 | 浜岡原発ニュース

原発の行動お知らせ<浜松> JR浜松駅前で毎週日曜日に署名行動

 ぼくの地元の浜松の反原発・脱原発・原発ゼロ行動をアナウンスしていきます。他地域の皆さんは、すみません。

 浜岡原発いらない浜松の会は、去年、毎週日曜日の午後1時から2時まで、JR浜松駅前で署名行動を続けていましたが、中部電力の浜岡原発対策が延長されたため、署名活動も延長して、当面1月は、毎週日曜日に続けることになりました。

 則子さんは、年末から、浜岡原発の立地している、中電が言う「堅い岩盤」の実物の岩を持って参加しています。

 御前崎の灯台の下の海岸に露出している、新生代「中新世」の「相良層」の泥岩と砂岩の互層の岩をハンマーで叩いて(簡単に割れて採れます)、割って持ってきたものです。

 「これが?!硬いっていうの_?」とみんな、びっくりしています。簡単に、ぽろっと割れてしまいます。

 署名行動は、誰でも参加できます。気軽においで下さい。

 

 <コピー・転載・拡散自由です>


雨宮日記 1月7日(月) 今日は「七草粥(かゆ)」の日でしたが…

2013年01月08日 05時32分18秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月7日(月) 今日は「七草粥(かゆ)」の日でしたが…

 「日本では」「毎年」「1月7日の朝」、「七草がゆ」と言って「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」を入れたおかゆを作って食べます。

 七草には「薬草」として、いろいろな効果があるとされていますが、お正月の「暴飲暴食」で荒れた胃を、お粥と薬草で鎮める効果もあるでしょうか。

 平安時代の『延喜式』では植物の「七草(ななくさ)粥」ではなくて、穀物の「七種(ななくさ)粥」で、「米・粟(あわ)・黍(きび)・稗(ひえ)・箕子(みのみ)・胡麻(ごま)・小豆(あずき)」となっています。

 1週間が7日だったり、日本の「七福神」がいたり、ユダヤ教とキリスト教で「7大天使」がいたり、「7」は、地球や日本の歴史では神聖な「聖数」のようです。

 つまり、実際の薬効だけではなく、精神的な効果もあるということでしょうか。

  ☆

 夜中の仕事を終えて朝眠りについて、午後起きて台所に行ったら、則子さんが「あら、今日は早いのね。七草粥、もう食べちゃった」と言うので、がっかり!

 「七草は、どっから取ったの?」と聞いたら、笑って「七草粥の元を、お店で売ってるの、買ってきただけ」と。

 江戸時代には、7草ではなくて、1~2草を入れるだけだっととも書いてあります。

 そういえば、父の通っている診療所の一つが、遠鉄助信駅横の「七草クリニック」でしたね。

 


原発ニュース 昨年検出のキノコの放射能の一部は核実験起源のようです

2013年01月08日 05時10分15秒 | 原発・放射能ニュース

原発ニュース  昨年検出のキノコの放射能の一部は核実験起源のようです

 以前にとっておいてやっと今年に読んだ記事です。『朝日新聞 2012年12月18日(火)』(37)面、「野生キノコにセシウム 福島の事故と無関係?」というタイトルの記事です。

 福島第1原発から360kmの青森で野生キノコから検出された放射能は、福島原発事故起源ではなく、1960年代の核実験起源やチェルノブイリ事故起源ではないかという観測結果です。

 福島第1原発事故起源なら、当初はセシウム134(半減期2年)とセシウム137(半減期30年)が同程度検出されるはずです。

 ところが、今回、青森県十和田市で野生チチタケから検出されたのはセシウム137だけが120ベクレル、134は未検出です。

 青森市のサクラシメジも、セシウム137が107ベクレルで、134はほとんど出ないという結果だそうです。

 だとすると、福島から遠い静岡県東部で検出された基準値以上のキノコの放射能も、F1事故以前のものという可能性が出てきました。

 ぼくもF1事故からすごく反省したのですが、つまりは原水爆禁止運動・反核運動も含めて日本の市民運動の、核実験やチェルノブイリ事故の降下放射能と生物濃縮の危険性への「鈍感さ」ということですね。

 1970年代から平和運動をしていたぼくたちは、いったい何をしていたんだろうか、と思います。

 キノコの放射能については、もうすこし調べます。

 (雨宮智彦、2013年1月8日早朝)

 

 


雨宮日記 1月3日(木) 仕事始め。馬込川でコハクチョウに再会

2013年01月04日 05時20分53秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月3日(木) 仕事始め。馬込川でコハクチョウに再会

 深夜勤務の仕事は1月1日と2日の、わずか2日間だけのお休み。2日の深夜から仕事再開しました。

 2日の深夜から、急に寒くなりました。

 3日の午後、起きて、父の本づくりで、コンビニにコピーをしに行きました。太鼓橋を車で通ったら、双眼鏡で川面を見ている男性がいて、アッと思って、家に戻って、家にいた則子さんを誘ってカメラを持って馬込川に行きました。

 案の定、いました!コハクチョウの一家、真っ白い親が2羽と、今日は首が灰色の幼鳥が4羽で、6羽の群れでした。なぜか、ヒドリガモやマガモとの混群です。もっとも、冬の「カラ類の混群」と違って、餌場を移動しませんから、単純に、いちばん川の中の植物の多い場所に「同時に」いるだけ、という解釈も成り立ち得ますね。シジュウカラ・エガラ・ヤマガラなどの混群は、移動していっても成り立っていますが、この鴨類とコハクチョウの混群はどうなのでしょうか。

 夕方は、父の原稿をボクが「一太郎」で打ち込んだファイル、231ページを印刷しました。これを1月中に校正します。他に、ネット出版社で「スキャナー」してもらう図表や年表などのデータが10pくらいありますから、最終は240ページ程度になります。

 これも、則子さんに見てもらって、字の大きさや行間を変えますので、もっと頁数は増えるかも知れません。

 お正月に、兄夫婦や妹夫婦と相談して、父の90才を祝う会は、4月28日(土)と決めたので、それまでに本を完成しないといけません。

 長女のT夫妻さん、表紙の絵とタイトル文字、おねがいしますね。よろしく。


雨宮日記 1月2日(水) 旧友夫妻のお宅を訪問、いろいろ語り合いました

2013年01月03日 05時09分06秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月2日(水) 旧友夫妻のお宅を訪問、いろいろ語り合いました

 むかし平和運動で、いっしょにビデオを創った旧友夫妻(ハンドル名「共 知郎」「共 ひろみ」夫妻のお宅を2人で訪問しました。

 ネコ9匹と人間2人が棲んでいる「ネコ屋敷」です。「ネコ9匹の世話をしなければいけないので、旅行にも行けない」と言ってました。「うちの次女も兎の豆子の世話があるので、遠出はできない、と言ってるよ」と慰めました。

 「共 知郎」さんとは、お互いに「器械マニア」なので、秋に買った「キヤノンSX50」を持って行って、それで撮った馬込川の鳥たちの写真を見せて、「どうだ!いいだろ」と自慢しました。「うわあ、50倍ズームか、いいなあ、ほしいなあ」と奥さんには内緒で言ってました。

 ☆

 家に帰ってから、則子さんは夕食をつくり、お得意の野菜の鍋物。おいしかったです。

 夜は、ボクは父の執筆した原稿を本にする「落葉松」の印刷原稿をプリントして、校正を始めました。1月中に校正を完了して、印刷原稿を完成したいです。

 則子さんは年賀状「初春新報」のあて名書きをしてくれました。いつも、ありがとう。ボクが手を出し、口を出すと分けが分からなくなるので、しなくなったのは何年くらい前でしょうか?

 2日深夜から、ぼくは仕事始め。最近は、則子さんが、午後11時過ぎに、車で家を出発するボクを玄関で手を振って見送ってくれるのが日課になったので、嬉しいです。


雨宮日記 2013年1月1日(火)元旦 則子さんの実家へみんなで 

2013年01月01日 23時15分52秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2013年1月1日(火)元旦 則子さんの実家へみんなで

 昨日大晦日は飲み過ぎて、今日の昼間、次女に「お父さん、お酒臭い!いつ飲んだの?」と詰問されたので、今日はお酒は最小限にしました。

 午後、ぼくと則子さんと次女でタクシーで則子さんの実家の「初生」へ。長女夫妻も、彼氏の実家の岡崎から戻ってきて、夕方、初生で合流。総勢10人の賑やかな会食でした。

 昨年も見たテレビの「××億円のヴァイオリンと×万円のヴァイオリンの聞き比べ」など耳や舌や目の確かさを「A」と「B」で比べる番組をみんなでみてしまいました。あまりに面白くて。というか、当たらないんですね。というか、たぶん、違いはないというのが正解かも。

 GACKTさんだけが全問正解、すごいですね。

 則子さんが「歩いて帰れるようにしてね」とぼけをいうので、「ここから十軒町まで歩いて帰れっていうの?!」と突っ込んであげました。

 もちろん、タクシーで帰りました。

 初生から「ヒカルの碁」(途中、中抜けで読んでいないのです)の全巻そろいをお借りして、初生の家の玄関に10年以上生きている「ミシシッピーアカガメ」に別れを告げて帰りました。

 皆さま、今年も「雨宮ブログ」よろしくおねがいします。

 


遠州の遺跡・寺社・地名 特別編 中区上島5丁目・天白神社の「火渡り」

2013年01月01日 23時02分21秒 | 雨宮日誌

遠州の遺跡・寺社・地名 特別編 中区上島5丁目・天白神社の「火渡り」

 2012年の12月31日つまり大晦日の夜に則子さんと次女は、わが家から歩いて、上島5丁目の天白神社=高貴神社へ行きました。ボクは飲み過ぎて、眠っていて、午後11時半に起きられませんでした。すみません。

 以前に書きました。高貴(たかぎ)神社と白山神社(天白神社)が併設されているので、どっちの行事なのか、よくわかりません。

 遠州の遺跡・寺社30 中区上島5丁目の高貴神社 2010年09月27日 04時32分50秒 | 遠州古代史

 火渡りの行事というので、てっきり素足で火の上を渡るのかと思っていたら、則子さんが言うのに「違った」「火の上に木を並べてその上を渡って行くの」と言ってました。

 写真は雨宮則子さん撮影です。どうみても、白衣装は、どう見ても、山伏系というか修験道系統の行事だと思いますが。

 「火」は「日」と同じ意味で、1年の最後に来年の太陽の復活を祈る行事ではないかと思います。