駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

家康公と竹千代くん

2009年03月19日 18時42分13秒 | 駿府のバラード
駿府ゆかりの家康公と竹千代くんの像が静岡駅前広場に設置され
その除幕式がきょう行われました。
(もちろん、家康公と竹千代くんは同一人物です。)
なお、式典中は会場附近にいなかったので、その写真はありません。(笑)


▽ 準備中の除幕式の会場


▽ まだ、頭部が梱包されている。


▽ 梱包から解放され、家康像に除幕用の布をかぶせているところ。
家康公も、顔をだしたり、かくしたり忙しい。
それにしても除幕するのにもなかなか金がかかるようだ。(笑)


▽ 会場に設置してあった出席者名簿に徳川家18代当主の名前もみえる。


▽ 利発そうな竹千代君(追記:「たけちよくん」でなく「たけちよぎみ」と読むべきか?)
 うしろのケヤキの木の根元に植栽されたシバザクラがちょうど満開でした。



▽ 家康公


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動かぬ人々

2009年03月11日 20時00分00秒 | 駿府のバラード


駿府公園(駿府城址)整備計画のうち
南西の一画(第4工区というらしい)の
工事が最終段階に入っているようだ。

工事関係者とは別に
遠くに見える動かぬ人が
ちょいと気にかかる。






▽石垣が修復された箇所
 将来坤櫓(ひつじさるやぐら)の再建が予定されている。

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駿府城 二の丸橋

2009年01月31日 00時00分00秒 | 駿府のバラード
▽ふさいだ跡がはっきり(青線内)


これが本来の駿府城二の丸橋の跡です。
現在の二の丸橋(県庁裏)の100mぐらい西寄りにあります。

現在の二の丸橋は戦後架けられたもので
本来の場所からずれた位置に架けられたことは
今となっては仕方がないと思われます。

それでも、元々の二の丸橋の跡にわざわざ石垣を積んで
ふさいでしまう必要があったのか
どう考えても疑問です。



▽こちらは、整備が進む駿府城址南西側の富士見芝生広場(ここから富士山が見えるとか)
坤櫓(ひつじさるやぐら)の再建も計画にあるようだ。
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駿府城天守閣

2009年01月09日 05時03分03秒 | 駿府のバラード


明治の御代、朝敵たる徳川宗家(そうけ)ゆかりの静岡としては
政府に媚(こび)を売らなければならなかったためか
陸軍歩兵34連隊の静岡誘致が積極的に行われたようです。

その結果、駿府城址の三重の堀のうち
中堀(二の丸堀)内の諸施設は破壊され
最も内側の内堀(本丸堀)は埋められて
34連隊用地にされてしまいました。

現在、中堀内は駿府公園として市民に開放されていますが
城として肝心な中心部が破壊されてしまっているため
城跡としての風情が乏しいのはなんとも残念なことです。

その最も中心部たる「駿府城天守閣跡」ですが
公園内の矢印案内にしたがって探してもなかなか見つけられません。
それもそのはず、天守閣跡にあるのは写真の説明板しかありませんから・・・

天守閣は無理だとしても、天守台ぐらい再建してほしいところですが
それもにわかには無理だとしても
せめてそれらしいモニュメントなり低樹木などで位置を示すぐらいの工夫が
あってもいいのではと思うのですが・・・

まあ、整備計画の途上にあるので
今後の計画の推進に少しく淡い期待をしておきたいと思います。(笑)



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海潮音 (静岡と上田敏)

2009年01月06日 00時18分52秒 | 駿府のバラード

馬渕一丁目9番にある弁天公園
公園と言うより町内のちょっとした広場と言った方がいいのかもしれません。

人影もなく、日当たりも悪そうで、あまり活用されているようすもなく
どちらかと言うと森閑とした風景です。

それになんといっても、
このあたりは静岡駅からも比較的近いのに区画整理の手はとどかず、
狭く屈曲したあぜ道のなごりのごとくの旧態依然とした趣で
 線路
(東海道線)を挟んだ北側の真っ直ぐな整然とした町並みとは
 対照がきわだっています。





そんな印象から、ともすれば見過ごされてしまうのですが
ここにはちょっとした歴史があることを
東京在住の友人から教えてもらいました。

ここの現在の所在地表記は「駿河区馬渕一丁目」ですが
 その昔は「*馬淵村」
(1889年の市町村制度発足で「有度郡大里村馬淵」)でした。

 その馬淵村当時の1880年代、ここには下魚町(現:常磐町二丁目)の宝台院(浄土宗 金米山 宝台院)所有の住宅があり

(当時は弁天池があり、敷地ももっと広かったようだ)
そこに父親の転勤で静岡に来た上田敏の一家が住んでいたとのことです。

旧制中学1年までのおよそ6年ほどの短い期間とはいえ
多感な年代のころですから
静岡は彼にとって忘れ難い地のひとつではと思われます。

もしかしたら、Karl Busse の“ 山のあなた”の名訳なども
静岡から見える山々に思いをはせながらなされたのでは
 などと考えるのも楽しいものです。




*
1889年「有度郡大里村馬淵」 (市町村制度発足)
1929年「静岡市馬淵」 (静岡市に合併)
1932年「馬淵町一丁目」 (町名整理で町名変更)
1962年「馬淵一丁目」 (住居表示により町名変更)
2003年「馬渕一丁目」 (静清合併に伴う地名変更に便乗して新字体(略字体)に変更か)

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まちかどの瓦斯灯

2008年12月28日 06時36分16秒 | 駿府のバラード
▽ はじめは七間町から


▽ 市庁舎右手のガス灯


 追手町
(おうてまち)5番1号にある静岡市役所本館の玄関口の3基のガス灯。

1934年建設の風格ある市庁舎にやさしい光がよくとけこんでいます。
ガス灯などそれほどめずらしいものではないと思っていたのですが
意外とどこにでもあるというものではないようです。

なお、車道を挟んで向かい側の外堀沿いの歩道にあるものは
ガス灯風の電気による街灯のようです。


▽ 市庁舎中央玄関(前を駿府用水が流れる)



▽ 夜のとばりに浮かびあがる“あおい塔” (さすがにこれは電気ですが・・・)
 青葉通りのイルミネーションもいいのですが
 こんな感じの風景の方が個人的にはやすらぎがえられます。


▽ 市庁舎前のほか駿府城巽櫓(すんぷじょう・たつみやぐら)前にもガス灯があります。
  昼間なので点灯していません(笑)


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十二双川(じゅうにそうがわ)

2008年09月14日 20時20分20秒 | 駿府のバラード
▽「安東二丁目5番」 と 「西千代田町4番」の間を流れる十二双川
 
▽ よく見ると湧水が・・・・(安東二丁目3番付近)
 
 
駿府城の北側を流れている小川は、
 みな海と反対方向の北に向かって流れていて、ちと不思議な感じがします。
(暗渠(あんきょ)になっている箇所が多く、
 実際に見られる川は非常に少なくなってしまっていますが・・・)
 
これは、北に向かって土地が低くなっているからで、
最も低いところに麻機沼が形成されたのでしょう。

そんな川のひとつが十二双川で、
船を横に十二そう並べて、両岸から綱で船を引っ張り
 駿府城築城に必要な石垣用の石や物資を運んだのが
の名称の由来だということです。
(安東一丁目6番には熊野神社があり、
 熊野権現十二社(じゅうにそう)からの命名も考えられると思うのですが)
 
十二双川は現在はとても小さな川ですが、
 大正から昭和始め
(1913~1934年)にかけて行われた
安倍郡安東村における大規模な耕地整理が行われる前までは、
かなりの川幅だったとのことです。

駿府城に近い市街地ではかなり暗渠にされてしまっていますが、
それでも安東二丁目3番から西千代田町34番あたりまでは
流れをたどることができます。

 西千代田町34番の先、
県営十二双団地脇(「上足洗二丁目5番」 と 「北安東一丁目1番」の間)から
唐瀬街道まで
(「上足洗三丁目13番」 と 「北安東五丁目10番」の間)の区間は、
道路の幅員を広げるために暗渠にされてしまって見ることはできません。

 唐瀬街道を超えると
(城北1番地の7あたり)暗渠から解放(?)され、
竜南小学校裏を通り、安東川と合流して巴川につながっています。

 それにしても、十二双団地脇から先の600mほどの区間が
暗渠にされてしまっているのは 非常に残念なことです。
 静岡市は道路整備の遅れを、とりあえず川があるところにフタをして
幅員を確保しようといった 小手先の手段で
川を犠牲にしてしまうことが非常に多いようです。

一方、静岡市の城北地区都市計画マスタープランには
 「安東川・十二双川・巴川などの親水機能に配慮した水辺空間を形成し、
 まちづくりに活用を図ります。」と
暗渠にしておきながらもっともらしいことを堂々と書いてしまったりするのは、
本当に厚顔無恥と言った感じで恥ずかしいことかぎりなしです。

 それはともかく
住宅が密集した地域の小さな川は ドブ川状態になってしまうのが通例ですが
この十二双川は不思議なくらいきれいです。
 これは安倍川の伏流水が豊富で
川のあちこちで湧水が噴出しているおかげだと思われます。

この貴重な川の親水機能を生かさずフタをしてしまうなんて、
本当にもったいないことです。
 西千代田地区だけでもぜひとも残してほしいと、河原崎さんでなくとも願うものです。
(個人で看板を出してしまうなんてすごいです。)
 
 
 
▽ 谷崎潤一郎風(?)の長い文節による説明文(以前はもっと小さな看板だった)
 
▽ 暗渠にされてしまった地区、皮肉にも横の県営団地の名は「十二双団地」
 
 
▽ 住宅密集地を流れる十二双川
 
 
 
・1889年 北安東村と大岩村を併せ、市町村制度による安東村発足
 (現在の安東地区はすべて旧北安東村であったが、
 安東村成立時に南安東村(現在の瓦場町、東町、南町など)は消滅していたため
 単に安東村とされたものと思われる。)
・1929年 安東村が静岡市に合併
 ・大岩二丁目1番に耕地整理の記念碑があり
(バス停名:記念碑前)、
 タクシー運転手にも「記念碑前」で通じるとか・・・
 
コメント (5)
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