▽左:大手町・鈿女(うずめ)、右:中原町・河越太郎重頼

▽左:元町一丁目・牛若丸、右:川越市所有・猩々(しょうじょう)

▽左:幸町・小狐丸、右:野田五町・八幡太郎

▽10月16日松江町二丁目地内に於ける松江町二丁目・浦島の山車(左) VS 仲町・羅陵王の山車
(短いですがこの動画で雰囲気は分かるかと思います。)
10月16日、17日に行われた川越祭り
その起源は氷川神社の例大祭にあり、
川越城下を巡る神幸祭に町衆の自発的な山車(だし)や踊り屋台が随行したものが
現在の山車行事に発展したものだという。
川越の旧城下には現在、市有の1台を含め29台の山車があり
このうち、16日には8町の山車と市有1台の計9台の山車
17日は、16日とは別の8町と市有1台の計9台の山車が引き回される。
(つまり2日間で見ることができるのは17台で、すべての29台の山車を見ることができるのは
10年に1回で2年後がその年に当るようだ。)
静岡でも江戸期には駿府96か町から数十台の山車が出て
大変にぎやかな祭であったという。
明治になるとその勢いがそがれ、各町で所有されていた山車のうち何台かは
各地へ売られて散逸したりしたという。
それでも戦前にはかなりの数の山車が残っていたと言われているが
その山車も静岡大火(1940.1.15)と静岡大空襲(1945.6.20)でほとんど焼失してしまい
現存する山車は5台(うち1台は1996年に建造されたもの)のみだ。
静岡浅間神社の廿日会祭(はつかえさい)に呼応する形で始められた静岡まつりと川越祭りとの大きな違いは
川越祭りでは山車の巡行こそが祭りのメインであることに対し
静岡のそれは官製の「静岡まつり」と「浅間神社廿日会祭」とを厳格に区別し
官製のそれでは家康公の花見の様子を再現したとされる「大御所花見行列」や「夜桜乱舞」など
奇をてらうものばかりを主催し、山車の巡行には市はほぼノータッチであることだ。
その結果、大々的に行われる大御所花見行列などに市民の関心が向きがちで
伝統の山車の引き回し(静岡では一般に「お踟(おねり)」という)には
市民はほとんど無関心という現状である。
かつては、お祭りといえば、まず「お踟(おねり)」を思い浮かべたものだが
お踟の当番町はほぼ旧城下地区に限られることもあり
新興の住宅地や郊外で育った人のなかには
静岡に山車があることさえ知らない人もいるようだ。
(静岡まつりの行事を予告する広報紙でも付け足しのごとく ごく小さく掲載されるのみ)
もう少し、山車の巡行を祭りの主役に引き立てるべく
市が賛助することができないものなのだろうか?
もちろん、宗教行事に行政が直接に関わることは厳に慎むべきことであることは当然であるが
川越市の状況を見ると山車の巡行を文化財ととらえれば
市が協賛会など組織して市民の興味を喚起するようなことはできるのではないだろうか。
(4月5日に行われる「※古式稚児行列」は祭祀としても、それ以外の日に行われるものは
必ずしも祭祀ととらえなくてもいいようにも思われる。)
また、川越祭りでは、川越市所有の山車があり
その山車の巡行には、山車を所有しない町の子どもたちなどが参加できるということだ。
静岡でもそのような形で旧城下地区以外の子どもたちにも興味を持ってもらい
後世に伝統を引き継いでほしいものである。
同じ江戸型山車と言っても
豪華な川越の山車と静岡の山車では格が違いすぎ
比較すること自体に無理があるという意見もあるだろうが
現状の祭りに対する静岡市の姿勢はあまりにもさびしいと感じるのは私だけであろうか?
余談ながら、川越の山車には
家康公や家光公の人形を載せた山車がある。
静岡にも竹千代君(たけちよぎみ)や今川義元公の山車があったら町起こしにもなるし
第一、楽しいのではと思うが、現状ではほとんど不可能なことであろう。
▽静岡の山車

※ 古式稚児行列のようすはこちらを御覧ください。
・その1
・その2


▽左:元町一丁目・牛若丸、右:川越市所有・猩々(しょうじょう)


▽左:幸町・小狐丸、右:野田五町・八幡太郎


▽10月16日松江町二丁目地内に於ける松江町二丁目・浦島の山車(左) VS 仲町・羅陵王の山車
(短いですがこの動画で雰囲気は分かるかと思います。)
10月16日、17日に行われた川越祭り
その起源は氷川神社の例大祭にあり、
川越城下を巡る神幸祭に町衆の自発的な山車(だし)や踊り屋台が随行したものが
現在の山車行事に発展したものだという。
川越の旧城下には現在、市有の1台を含め29台の山車があり
このうち、16日には8町の山車と市有1台の計9台の山車
17日は、16日とは別の8町と市有1台の計9台の山車が引き回される。
(つまり2日間で見ることができるのは17台で、すべての29台の山車を見ることができるのは
10年に1回で2年後がその年に当るようだ。)
静岡でも江戸期には駿府96か町から数十台の山車が出て
大変にぎやかな祭であったという。
明治になるとその勢いがそがれ、各町で所有されていた山車のうち何台かは
各地へ売られて散逸したりしたという。
それでも戦前にはかなりの数の山車が残っていたと言われているが
その山車も静岡大火(1940.1.15)と静岡大空襲(1945.6.20)でほとんど焼失してしまい
現存する山車は5台(うち1台は1996年に建造されたもの)のみだ。
静岡浅間神社の廿日会祭(はつかえさい)に呼応する形で始められた静岡まつりと川越祭りとの大きな違いは
川越祭りでは山車の巡行こそが祭りのメインであることに対し
静岡のそれは官製の「静岡まつり」と「浅間神社廿日会祭」とを厳格に区別し
官製のそれでは家康公の花見の様子を再現したとされる「大御所花見行列」や「夜桜乱舞」など
奇をてらうものばかりを主催し、山車の巡行には市はほぼノータッチであることだ。
その結果、大々的に行われる大御所花見行列などに市民の関心が向きがちで
伝統の山車の引き回し(静岡では一般に「お踟(おねり)」という)には
市民はほとんど無関心という現状である。
かつては、お祭りといえば、まず「お踟(おねり)」を思い浮かべたものだが
お踟の当番町はほぼ旧城下地区に限られることもあり
新興の住宅地や郊外で育った人のなかには
静岡に山車があることさえ知らない人もいるようだ。
(静岡まつりの行事を予告する広報紙でも付け足しのごとく ごく小さく掲載されるのみ)
もう少し、山車の巡行を祭りの主役に引き立てるべく
市が賛助することができないものなのだろうか?
もちろん、宗教行事に行政が直接に関わることは厳に慎むべきことであることは当然であるが
川越市の状況を見ると山車の巡行を文化財ととらえれば
市が協賛会など組織して市民の興味を喚起するようなことはできるのではないだろうか。
(4月5日に行われる「※古式稚児行列」は祭祀としても、それ以外の日に行われるものは
必ずしも祭祀ととらえなくてもいいようにも思われる。)
また、川越祭りでは、川越市所有の山車があり
その山車の巡行には、山車を所有しない町の子どもたちなどが参加できるということだ。
静岡でもそのような形で旧城下地区以外の子どもたちにも興味を持ってもらい
後世に伝統を引き継いでほしいものである。
同じ江戸型山車と言っても
豪華な川越の山車と静岡の山車では格が違いすぎ
比較すること自体に無理があるという意見もあるだろうが
現状の祭りに対する静岡市の姿勢はあまりにもさびしいと感じるのは私だけであろうか?
余談ながら、川越の山車には
家康公や家光公の人形を載せた山車がある。
静岡にも竹千代君(たけちよぎみ)や今川義元公の山車があったら町起こしにもなるし
第一、楽しいのではと思うが、現状ではほとんど不可能なことであろう。
▽静岡の山車


※ 古式稚児行列のようすはこちらを御覧ください。
・その1
・その2