▽ 一辺が32mの石積基檀の上に7段の階段状石積みが築かれていて全体の高さは10m
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/4e/b7979f7c5120c2ee04b933dc68855824.jpg)
▽ 奇数段の側面には多くの石仏が配置されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/1b/1789ab17db7f04765770b095b3300c76.jpg)
▽ 現地の説明板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/18/85e595f36f1fae7542e3f8fcad254f47.jpg)
▽ 石仏(屋根は直射日光から保護するため設けられたもの)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/4e/b7979f7c5120c2ee04b933dc68855824.jpg)
▽ 奇数段の側面には多くの石仏が配置されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/1b/1789ab17db7f04765770b095b3300c76.jpg)
▽ 現地の説明板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/18/85e595f36f1fae7542e3f8fcad254f47.jpg)
▽ 石仏(屋根は直射日光から保護するため設けられたもの)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/e8/883581ff7ce4f6d795eb94818ead1181.jpg)
日本のピラミッドともいうべき史跡が奈良市内にあるというので訪ねてみました。
歴史にそれほど興味がなくとも
ここに立つだけで過去の歴史との接点と触れる喜びに浸ることができること請け合いです。
この史跡は「頭塔(ずとう)」とよばれ
東大寺南大門の南へ約1Km、新薬師寺の西へ約700mのところにあります。
(奈良交通バス市内循環乗車、破石町(わりいしちょう)下車すぐ)
伝説では、怨霊により八つ裂きにされた奈良時代の僧の玄肪(げんぼう)の首塚であると言われ
そのため「頭塔」と言うのだという説が流布されていたようです。
現在の学界の説では、東大寺の僧の実忠和上(じっちゅうかしょう)が
「土塔(どとう:五重塔と同じように仏舎利を納める役割の塔)」を築いたという記述が古文書にあるので
それがこの「頭塔」に当るのではないかということです。
つまり「ドトウ」がなまって「ズトウ」になったと考えられるということです。
この遺跡が現在の形に整備されて公開されるようになったのは
そんなに古いことではありません。
1986(S61)年から発掘調査が行われたのですが
それ以前は、単に木が生い茂った小山のような状態で
古い石仏がところどこに見えるだけで
近隣の子ども達の格好の遊び場だったということです。
発掘が終了後、見学用のデッキなども整備され現在のような形になったのは
わずか10年前の2000年のことなので
奈良在住の方にはともかく、全国的にはまだまだあまり知られていないようです。
普段、この遺跡を見るには予約が必要とのことですが
現在、特別公開中で2010年11月7日までは自由に(要拝観料)拝観することができます。
歴史にそれほど興味がなくとも
ここに立つだけで過去の歴史との接点と触れる喜びに浸ることができること請け合いです。
この史跡は「頭塔(ずとう)」とよばれ
東大寺南大門の南へ約1Km、新薬師寺の西へ約700mのところにあります。
(奈良交通バス市内循環乗車、破石町(わりいしちょう)下車すぐ)
伝説では、怨霊により八つ裂きにされた奈良時代の僧の玄肪(げんぼう)の首塚であると言われ
そのため「頭塔」と言うのだという説が流布されていたようです。
現在の学界の説では、東大寺の僧の実忠和上(じっちゅうかしょう)が
「土塔(どとう:五重塔と同じように仏舎利を納める役割の塔)」を築いたという記述が古文書にあるので
それがこの「頭塔」に当るのではないかということです。
つまり「ドトウ」がなまって「ズトウ」になったと考えられるということです。
この遺跡が現在の形に整備されて公開されるようになったのは
そんなに古いことではありません。
1986(S61)年から発掘調査が行われたのですが
それ以前は、単に木が生い茂った小山のような状態で
古い石仏がところどこに見えるだけで
近隣の子ども達の格好の遊び場だったということです。
発掘が終了後、見学用のデッキなども整備され現在のような形になったのは
わずか10年前の2000年のことなので
奈良在住の方にはともかく、全国的にはまだまだあまり知られていないようです。
普段、この遺跡を見るには予約が必要とのことですが
現在、特別公開中で2010年11月7日までは自由に(要拝観料)拝観することができます。