駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

楠の木は残った

2011年06月19日 06時19分00秒 | 街かどのメヌエット
▽ 日赤前のクスノキ (葵区・追手町(おうてまち)・8番)



1940年1月15日の静岡大火で
中心市街地のほとんどを焼失してしまった静岡市ですが
その災禍からやっと立ち直った1944年12月から
今度は20回を超えるアメリカによる空襲を受けることになります。

 高松地区の住友金属、小鹿地区の三菱発動機などの軍需工場ばかりでなく
 明らかに非戦闘員である一般市民の殺戮(さつりく)を目的にしたと思われる
空襲が行なわれました。
 
(空襲以外にも郊外の農作業中の農民なども機銃掃射で命を狙われました。)

(余談ながら高松地区の住友金属の軍需工場を建設する過程で
  登呂遺跡
(登呂という地名は、もともとは高松地区内の小字だった)が発見されました。
  もちろん、戦時中は充分な発掘など行なわれませんでした。)



 なかでも1945年6月19日深夜
(20日未明)
静岡大空襲では市街地の凡てが焼き尽くされました。

当時は、ほとんどが木造の家屋であったため
たちまち道路は火の通り道となり
逃げ道を失った市民2,000人が犠牲となりました。


 中町交差点に近い日赤
(正式名称は「総合病院 静岡赤十字病院」)前に
巨木となったクスノキがあり
1年中、碧い葉をつけています。

このクスノキも当然に焼けてしまったのですが
炭化したような状態になっていた幹から
3年後に奇跡的に芽が吹き
今日まで生き残ったものです。

いわば歴史の生き証人というわけです。

普段は格別気にもとめない
日常風景ではありますが
きょうぐらいは戦禍を生き抜いたこの木に
 敬意を払いたいものです。

▽ クスノキは、漢字では「楠の木」「楠」「樟」などと表記されますが「樟」がよりふさわしいように思われます。 (但し、このブログ内では動・植物名は原則としてカタカタ表記)