▽ 明治時代の西草深町あたりの地図
「夕顔小路」の記載はないが「竹屋小路」の名が確認できる。
また、周辺地域では「富士見小路(現富士見町)」や「瓦屋小路」の名も見られる。
また、周辺地域では「富士見小路(現富士見町)」や「瓦屋小路」の名も見られる。
静岡の町は「○○小路」と言った名称はあまり見られませんが
もともと武家地だった西草深町あたりでは
七間町方面の町人地のようなきちんとした区画ではなかったためか
地図上で確認できる「竹屋小路」以外に「せんだん小路」など
いくつかの名前がついた小路があったようです。
もともと武家地だった西草深町あたりでは
七間町方面の町人地のようなきちんとした区画ではなかったためか
地図上で確認できる「竹屋小路」以外に「せんだん小路」など
いくつかの名前がついた小路があったようです。
▽ 慶長年間の地図に林道春の名が確認できる。
そんな小路のなかに「夕顔小路」という雅な名前の小路があったということです。
雅な名ゆえに大仏次郎(おさらぎ じろう)の小説のタイトルにも使われたという
雅な名ゆえに大仏次郎(おさらぎ じろう)の小説のタイトルにも使われたという
この小路名は 儒学者の林道春(林羅山)の別号「夕顔巷(せきがんこう) 」にちなむもので
その屋敷跡がこの地にあったからだということです。
その屋敷跡がこの地にあったからだということです。
(NHK静岡放送局があった裏手附近のようです)
西草深町は戦後の区画整理で街区の形状が変わってしまったため
その面影は全くなくなってしまい
その結果、その雅な名も忘れ去られてしまったのは
少々残念な気もします。
その面影は全くなくなってしまい
その結果、その雅な名も忘れ去られてしまったのは
少々残念な気もします。
▽ 現在の西草深町付近