この建物は、かつてビアホール(ニューキラク)として有名だったが、
今では転売されて業態が変わってしまった
このあたりにしてはめずらしく普通の民家もある
荷居屋のおじいさんも健在(?)
◆ 地名に付く「下」「裏」「四」などは嫌われがちのようです。
例えば「四」については、新しく住居表示を実施しようとするとき、
たいてい「四丁目」や「4番」はいやだと地元から言われるらしいです。
実際、住居表示地区の地図をよく見ると、街区符号の「4番」や「42番」は、
意図的に欠番とされたり、
公園や公共施設しかない街区に振られていることも多いようです。
東京・銀座で賑やかなのは四丁目交差点付近ですですし、
京都も四条通りが代表的な繁華街だったりします。
また、江戸の「通(とおり)四丁目」にあった
海苔問屋・井上海苔店(現在は小舟町)など
「シチョウメ」が屋号のごとく使われたと言った事実もあるのですが・・・
駿府城下の「下」が付く町名はことごとく消滅してしまっていますが、
「下桶屋町」も 「上桶屋町」は現存するのになくなってしまっているというのは、
そんな世間の風潮と無関係とは言えないのでしょう。
特定の字にマイナーなイメージを重ねてこだわったりするのは、
個人的にはどうも納得がいきませんし好きではありません。
むしろ、過去にそういう字が付けられた経緯を考え
誇りに思うべきだとさえ思います。
それはともかく、旧「下桶屋町(丁目は付かない)」は、
鍛冶町で行きどまりになっていた南北の江川町通りの南端から
東西に広がる町でした。
(現・玄南通りから東へ江川町通りを越え、
旧紺屋町通り(中島屋ホテルの玄関がある南北の通り)まで)
碁盤の目地区の南東の端であるためか、この町は約2丁近くの長さがありました。
この下桶屋町だった通りは
現在裏通り的な感じで特別注目されることもほとんどないようです。
(個人的には、町名を失ってしまったことも大きいような気がするのですが・・・・)
◆ 下桶屋町(江戸期における)を現在の町名で言うと
常磐町一丁目1・6番地の一部
昭和町1・2・3・4番地の一部
紺屋町13・14番地の一部
(町名変更は1945年)
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◆ 方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここではより実際の方位に近い「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって呉服町通りは東西、江川町通りは南北の通りということになります。
◆ その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。
「ばんばー」「にしゅーら」「だいやま」「いのく」とか色々です。何か意味や由来がありそうですがその家だけの呼び名かも知れませんね。
私の今の家は、ばんばーのしょっくちです
「にしゅーら」=「西裏」家の西側の裏手。
「だいやま」=「橙山」だいだいの木がある。
「いのく」=「猪奥」一番奥の山。猪が良くでた。
父に聞いたら↑な由来でした。なんかすっきりです。
私事ですいませんでした。
多分それらは大字の下位区分である「小字」ではないでしょうか?
小字の多くは、そういう地形等に基づくものであることが多いようです。
小字は住居表示が実施されると登記簿などからも消えてしまうので、世代が変わったりして次第に知る人もいなくなり、地元の人でも分からなくなってしまうようです。