▽紺屋町(こうやまち)名店街、人がいないのは偶然
▽大道芸終了から一夜にしてクリスマスバージョンの紺屋町パルコ前
◆紺屋町名店街(呉服町スクランブル交差点から国道1号間)で
11月4日から24日までの予定で、
今までの土・休日だけだった歩行者天国を平日に拡大する実験が行われている。
その意義もさることながら、
個人的に興味を引かれたのは歩行者天国となった車道に展示されていた
1950年の商店街(静岡駅前通繁栄街)の地図である。
当然ながら、現存する店、あるいは最近まであった店を
地図から見出すことができるが、全く知らない店も半分近くある。
半世紀の移り変わりの姿にあらためてその時間の経過の長さを思う。
なお、「静岡駅前通繁栄街」という名称は、
1950年から1970年まで使われていたということだ。
西武百貨店が進出した1970年に「静岡ゴールデン街」という名称に改め、
1980年の15人死亡という大惨事となったガス爆発事故の後、
イメージを変えるためか「ランバーストリート」と命名されたがあまり定着せず、
数年後には、昔に回帰して現在の「紺屋町名店街」が使われるようになったようだ。
▽1950年の静岡駅前通繁栄街(現、紺屋町名店街)
▽上図の右側から続く
赤枠:今もそこにある。
青枠:そこにあったことを知っている。
(下図の右下の赤春堂は場所が上図の左上に変わって健在)
▽大道芸終了から一夜にしてクリスマスバージョンの紺屋町パルコ前
◆紺屋町名店街(呉服町スクランブル交差点から国道1号間)で
11月4日から24日までの予定で、
今までの土・休日だけだった歩行者天国を平日に拡大する実験が行われている。
その意義もさることながら、
個人的に興味を引かれたのは歩行者天国となった車道に展示されていた
1950年の商店街(静岡駅前通繁栄街)の地図である。
当然ながら、現存する店、あるいは最近まであった店を
地図から見出すことができるが、全く知らない店も半分近くある。
半世紀の移り変わりの姿にあらためてその時間の経過の長さを思う。
なお、「静岡駅前通繁栄街」という名称は、
1950年から1970年まで使われていたということだ。
西武百貨店が進出した1970年に「静岡ゴールデン街」という名称に改め、
1980年の15人死亡という大惨事となったガス爆発事故の後、
イメージを変えるためか「ランバーストリート」と命名されたがあまり定着せず、
数年後には、昔に回帰して現在の「紺屋町名店街」が使われるようになったようだ。
▽1950年の静岡駅前通繁栄街(現、紺屋町名店街)
▽上図の右側から続く
赤枠:今もそこにある。
青枠:そこにあったことを知っている。
(下図の右下の赤春堂は場所が上図の左上に変わって健在)
それだけ商店街の意気込みも違うのでしょう。
今回の実験は本格施行の布石という性格のものでしょうから、近い将来間違いなく実施されるのではと思っています。
それはともかく、静岡でも歩行者用信号を無視する人はほとんどいません。
スクランブル交差点では、みな「富士の山」のメロディーにしたがって渡っています。(笑)
富士山の形をしたネオンサインがあったと聞き
ました。今回、地図を色分けして頂いたので、
とても判りやすくなりました。「鈴や」も
「やぶ福」ももうないのですね。お店の宣伝
文句が、時代を感じさせますね。「あなたの
お店」とか「一寸一杯」なんて好きです。
静岡市民は歩行者信号を守るというのはよいで
すね。私はバスを降りるときに、運転手さん
にお礼を言う習慣も、素敵だと思います。
あれを見ると静岡に帰ってきたんだなと思ったものです。(当時は横断歩道で直接呉服町通りへ行くことができた。)
▽「やぶ福」は、パルシェの店舗は営業していると思います。
鈴や玩具店はタリーズコーヒーになっています。
最近は、もともとの商店が商売をやめてしまって、貸店舗にしている例が増えていて、ちと残念に思っています。
だから、ここが年中ホコ天になっても利用者からの苦情はでませんね、たぶん。商店街の荷下ろしは特別にするのでしょう、きっと。
ただ、この地区の工事完成後の交通規制の全体像が分からないので、なんとも言えませんが・・・(再開発ビルのパルコの間、両替町通り側は幅員が広げられるようです。)