四足町は四ツ足町とも表記され、本通四足町、尼ヶ崎町とも言われたようです。
本通四足町という言い方があったことからも分かるように
本通(ほんとおり)沿いの町で、本通ゼロ丁目というべく
本通一丁目の手前、現在の中町交差点から呉服町通までの通り沿いの両側の
一丁が四足町です。
と言えばお分かりのように四足町は、ほぼ現在の中町(なかちょう)の町域で
本通四足町という言い方があったことからも分かるように
本通(ほんとおり)沿いの町で、本通ゼロ丁目というべく
本通一丁目の手前、現在の中町交差点から呉服町通までの通り沿いの両側の
一丁が四足町です。
と言えばお分かりのように四足町は、ほぼ現在の中町(なかちょう)の町域で
1915年(T4)に四足町という町名を中町に変更し現在に至っています。
四足町とは駿府城の四足御門(よつあしごもん=4脚の門)の門前であることからの
四足町とは駿府城の四足御門(よつあしごもん=4脚の門)の門前であることからの
命名なのですが
明治に入り、食肉習慣が一般化すると
四足と言った場合、四本足で歩く動物を指すことが多くなり
そのイメージを嫌って「中町」に変更されたようです。
明治に入り、食肉習慣が一般化すると
四足と言った場合、四本足で歩く動物を指すことが多くなり
そのイメージを嫌って「中町」に変更されたようです。
▽ 江戸初期の四足町の位置
(四足町とは直接関係ないが、この地図上の安西寺の境内は現在富士見町となっている。
安西寺は浅間神社北側の丸山町に移転したので、現在は安東寺と名乗った方がいいような
▽ 現在の中町の町域(赤線内)
この附近は住居表示制度(※1)が実施されていないため、
武家地(※2)との界がそのまま変わらず現在の中町に引き継がれていて(※3)
地番表示地区
※2=江戸や駿府では武家地には原則として町名は設定されていなかったため、
1873年(M6)この附近の武家地であった地域を追手町と命名
※3=行政効率を主眼にした住居表示制度が実施された場合、原則として道路が
※2=江戸や駿府では武家地には原則として町名は設定されていなかったため、
1873年(M6)この附近の武家地であった地域を追手町と命名
※3=行政効率を主眼にした住居表示制度が実施された場合、原則として道路が
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駿遠興産ビルの所に御門があったのも始めて知りました、
又いろいろ教えて頂きます。
(ほとんどのバスが停りましたから)
もっとも、静岡の真ん中だから中町というのか程度にしか思っていませんでしたが・・・(笑)
その当時は、江戸期の町名を残そうなどという考え方などなかったでしょうから、やむを得ないのかもしれません。
今ではすっかり「中町」が定着してしまっているので、いまさら変えられないでしょうし・・・