駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

里程元標址の碑

2015年08月08日 08時08分08秒 | 路傍のいしぶみ (碑)
▽ 札之辻にある里程元票跡の碑


▽ 裏側にある日付は見づらいが「昭和弐拾五年拾月吉日」とあるようだ


江戸期には主要街道の起点や終点には道路元票が設置され
今でも江戸の日本橋は五街道の起点として有名です。

明治になると各府県に元票・里程標を設置させることになり
 静岡県では静岡の札之辻に設置されました。
(このときの札之辻を起点にした江戸・日本橋までの里程は46里13丁、後に46里10丁に改め)

札之辻に設置されたのは
京方面からの東海道が札之辻町
(ふだのつじちょう:現七間町の一部)から
呉服町四丁目
(現呉服町二丁目の一部)へ直角に右折する箇所で
 ここが静岡の中心であったからでしょう。
(当時、鉄道は未開通)

その後大正時代になると
各市町村に道路元票を設置することが
法令により定められて
多くは市町村役場前などに設置されたようです。

戦後の1952年制定の道路法では道路元票・道路里程標は
道路の単なる附属物とされているだけで
義務化はされていないようです。

そのためか、由緒ある地点のものを除き
次第に被災や工事などで滅失したものが多いようです。

この札之辻にあったという里程元票はどのような経緯で
失われたものかは分かりませんが
 この「里程元票址」の碑に刻まれた日付が
昭和25(1950)となっていることから
それ以前に失われていたのでしょう。

それはともかく
 静岡市のこの類
(たぐい)の碑等は
歩道の建物側でなく車道寄りに設置した場合も
車道側に表を向けて設置されていますが
これでは歩行者からは何の碑か分かりません。

車両が少なかった時代ならともかく
歩行者から見える側に向けるべきだと
思うのですが・・・・


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