▽ 札之辻にある里程元票跡の碑
▽ 裏側にある日付は見づらいが「昭和弐拾五年拾月吉日」とあるようだ
▽ 裏側にある日付は見づらいが「昭和弐拾五年拾月吉日」とあるようだ
江戸期には主要街道の起点や終点には道路元票が設置され
今でも江戸の日本橋は五街道の起点として有名です。
明治になると各府県に元票・里程標を設置させることになり
静岡県では静岡の札之辻に設置されました。
今でも江戸の日本橋は五街道の起点として有名です。
明治になると各府県に元票・里程標を設置させることになり
静岡県では静岡の札之辻に設置されました。
(このときの札之辻を起点にした江戸・日本橋までの里程は46里13丁、後に46里10丁に改め)
札之辻に設置されたのは
京方面からの東海道が札之辻町(ふだのつじちょう:現七間町の一部)から
呉服町四丁目(現呉服町二丁目の一部)へ直角に右折する箇所で
ここが静岡の中心であったからでしょう。(当時、鉄道は未開通)
京方面からの東海道が札之辻町(ふだのつじちょう:現七間町の一部)から
呉服町四丁目(現呉服町二丁目の一部)へ直角に右折する箇所で
ここが静岡の中心であったからでしょう。(当時、鉄道は未開通)
その後大正時代になると
各市町村に道路元票を設置することが
法令により定められて
多くは市町村役場前などに設置されたようです。
戦後の1952年制定の道路法では道路元票・道路里程標は
道路の単なる附属物とされているだけで
義務化はされていないようです。
そのためか、由緒ある地点のものを除き
次第に被災や工事などで滅失したものが多いようです。
この札之辻にあったという里程元票はどのような経緯で
失われたものかは分かりませんが
この「里程元票址」の碑に刻まれた日付が
各市町村に道路元票を設置することが
法令により定められて
多くは市町村役場前などに設置されたようです。
戦後の1952年制定の道路法では道路元票・道路里程標は
道路の単なる附属物とされているだけで
義務化はされていないようです。
そのためか、由緒ある地点のものを除き
次第に被災や工事などで滅失したものが多いようです。
この札之辻にあったという里程元票はどのような経緯で
失われたものかは分かりませんが
この「里程元票址」の碑に刻まれた日付が
昭和25(1950)年となっていることから
それ以前に失われていたのでしょう。
それはともかく
静岡市のこの類(たぐい)の碑等は
歩道の建物側でなく車道寄りに設置した場合も
車道側に表を向けて設置されていますが
これでは歩行者からは何の碑か分かりません。
車両が少なかった時代ならともかく
歩行者から見える側に向けるべきだと
思うのですが・・・・
それ以前に失われていたのでしょう。
それはともかく
静岡市のこの類(たぐい)の碑等は
歩道の建物側でなく車道寄りに設置した場合も
車道側に表を向けて設置されていますが
これでは歩行者からは何の碑か分かりません。
車両が少なかった時代ならともかく
歩行者から見える側に向けるべきだと
思うのですが・・・・