▽静岡駅南口駅舎
ここはJR静岡駅南口です。
北口と南口の間は、深夜の数時間を除いてコンコースを自由に通り抜けられます。
在来線が高架になる前は、いちいち入場券を買って通り抜けていたことなど
現在の形しか知らない世代の人にとっては信じられないかも知れません。
ただ、北口広場が以前にくらべ大幅に広げられ整備されているのに対し、南口は整備が遅れています。
静岡駅を発着するバスは、ほとんどが北口からとなっていますが
それでも2路線のバスが南口から発着しています。
そのバスとタクシーだけでも狭いのに、一般車が入り乱れて混雑に拍車をかけ
バスのスムーズな発着を妨げています。
県都の駅前にしては、あまりに狭すぎるようです。
(呉服町通りなど、過剰かと思われるほど駐車違反が取り締まられていますが、
この南口は中央署と南署の管轄界のためなのか、なぜか放置状態。
こういう場所こそ取り締まりが必要かと思われるのですが・・・)
都市計画では,この広場を東側のセンチュリーホテル前まで広げる計画になっているようですが、かなり先のことになると思われます。
北口と南口の間は、深夜の数時間を除いてコンコースを自由に通り抜けられます。
在来線が高架になる前は、いちいち入場券を買って通り抜けていたことなど
現在の形しか知らない世代の人にとっては信じられないかも知れません。
ただ、北口広場が以前にくらべ大幅に広げられ整備されているのに対し、南口は整備が遅れています。
静岡駅を発着するバスは、ほとんどが北口からとなっていますが
それでも2路線のバスが南口から発着しています。
そのバスとタクシーだけでも狭いのに、一般車が入り乱れて混雑に拍車をかけ
バスのスムーズな発着を妨げています。
県都の駅前にしては、あまりに狭すぎるようです。
(呉服町通りなど、過剰かと思われるほど駐車違反が取り締まられていますが、
この南口は中央署と南署の管轄界のためなのか、なぜか放置状態。
こういう場所こそ取り締まりが必要かと思われるのですが・・・)
都市計画では,この広場を東側のセンチュリーホテル前まで広げる計画になっているようですが、かなり先のことになると思われます。
▽南口再開発ビル「エスパティオ」
それはともかく、南口のすぐ目の前にエスパティオという再開発ビルがあり
その8~10階に静岡科学館「る・く・る」が入居しています。
この「る・く・る」の前身は駿府城公園にあった児童会館で
1957年に県により設置され、1973年に静岡市へ移管されたものです。
県で設置した当時は、全国的にも先進施設として注目されたようですが
市へ移管された後は、施設、設備の老朽化は否めず
建て替えが模索され、1980年代には市の総合計画にも建て替えが盛り込まれていたようです。
しかし用地難からなかなか実現されず、80年代後期の一時的な改修を経て
2004年にようやくこの再開発ビル内に「る・く・る」として開設されたものです。
その8~10階に静岡科学館「る・く・る」が入居しています。
この「る・く・る」の前身は駿府城公園にあった児童会館で
1957年に県により設置され、1973年に静岡市へ移管されたものです。
県で設置した当時は、全国的にも先進施設として注目されたようですが
市へ移管された後は、施設、設備の老朽化は否めず
建て替えが模索され、1980年代には市の総合計画にも建て替えが盛り込まれていたようです。
しかし用地難からなかなか実現されず、80年代後期の一時的な改修を経て
2004年にようやくこの再開発ビル内に「る・く・る」として開設されたものです。
▽上部中央が「カンちゃん」
児童会館と言えば、入口にロボットのカンちゃんがいて
入場してくる子どもたちのお出迎えをしていました。
このロボットのデザインは手塚治虫氏のデザインだとか
ただ、色自体はもともとは赤系統の色だったと記憶していますが
80年代後期に児童会館が改修されたとき、ブルー系統に変更されたのだと思われます。
そのカンちゃんですが
2月14日まで「る・く・る」で「ロボットワールド」という企画展示が行われ
そこに、もうとっくに廃棄処分にされてしまったとばかり思ってた「カンちゃん」も出展されているようです。
カンちゃんをなつかしく思う方、ぜひこの機会に会いに行かれたらどうでしょうか・・・
入場してくる子どもたちのお出迎えをしていました。
このロボットのデザインは手塚治虫氏のデザインだとか
ただ、色自体はもともとは赤系統の色だったと記憶していますが
80年代後期に児童会館が改修されたとき、ブルー系統に変更されたのだと思われます。
そのカンちゃんですが
2月14日まで「る・く・る」で「ロボットワールド」という企画展示が行われ
そこに、もうとっくに廃棄処分にされてしまったとばかり思ってた「カンちゃん」も出展されているようです。
カンちゃんをなつかしく思う方、ぜひこの機会に会いに行かれたらどうでしょうか・・・
▽ついでに「る・く・る」のラッピングバス(しずてつジャストラインバス)
↑ 静岡県情報の人気ランキング
児童会館は,当面建替えがむずかしいという判断に基づき,’85年ごろ,半年ほど休館して改修工事が行われました.
展示物についても,改廃が行なわれ,カンちゃんについても機能の改善やあいさつの言葉などが変更されました.
その際,色あせていた塗色の再塗装がなされ,赤色主体から青色主体のものに変えられました.
当時の写真などないので,証拠にはなりませんが・・・
お会いするのは いっこうに構わないのですが,それ以上のことはあまりお話できず,徒労に終わる可能性が大です(笑).
当方、科学とマンガの相互作用を研究しているものです(お茶の水女子大非常勤講師)。
昭和40年代にはカンちゃんの塗色が赤色だったとの証拠を探しております。
ご自身の記憶では昔はカンちゃんは赤系統だったとのこと。
重大記憶情報です!
カンちゃんが赤色だったと言う記憶がある方に初めて行き当たりました。
お話を伺うチャンスを作っていただけませんでしょうか。
当方から静岡に参上します。
よろしくお願いいたします。
この跨線橋とは「宝台橋」のことですね。
泉町の空き地は、現在の泉町6番の街区ですので、宝台橋から見えたと思われます。
>特定されてしまいそうなので
静岡が狭い町だといっても、こちらもそれほど情報通であるわけでもないので、特定は到底無理だと思われます。(笑)
恐らく、ご指摘の泉町の空き地の事だと思います。
確かに「空き地」と言うに相応しいところでしたが、バックネットとホームベースだけはあったと記憶しているので「グラウンド」と表現したのが、混乱を招いたかもしれません。
父の車に乗せられて跨線橋を渡る時、眼下にその広場が見えて「また、野球をしに来よう」と思った記憶が残っていますが、何かと混同しているのかもしれません。
特定されてしまいそうなので(笑)多くは語りませんが、茶町方面がホームグラウンドでした。
ボクの母は安西生まれで、ボク自身もその近くで生まれたので安西の地名は身近な存在です。
もっとも、安西と言っても一丁目付近と五丁目付近では学区も違い雰囲気も違いますが・・・
静岡駅西側の迂回路というと、高架以前にあった駅南銀座への跨線橋、又は中央地下道あたりでしょうか?
記憶にないので、1960年ごろの地図を見てみましたが残念ながら発見できませんでした。
たしか、泉町に相川鉄工が所有する空き地があったようですが・・・・
静岡駅が高架になる前の西側迂回路脇(今の郵便局辺りだったでしょうか)に、グラウンドがあったと記憶しています。
小学校時代、バットの先にグローブぶら下げて友人と野球をしていた様子が思い出されます。
静岡を離れて三十年。親も呼び寄せてしまったので、縁遠くなってしまいましたが、折を見て市内を見に行きたいと思っています。
ちょいと残念です。
青葉小の二宮金次郎とカンちゃん。見たかったですね。
そのときの条件も文化庁から一代かぎりということで、史跡であるがゆえに建物の建設がきびしく制限されているようです。
そのため、適地がなかなかみつからず南口の再開発ビル内ということになったようです。
現在だったら青葉小学校跡地という選択もできたのかもしれません。
その時々の情勢でやむをえなかったのでしょうが・・・
高架以前は、静岡駅を通り抜けるためには迂回を強いられたため、入場券を送迎目的でなく通り抜け目的に使用する例もかなりあったようです。たしか定期入場券も発売されていたと思います。
児童会館は私が子供のころから、子どもたちが小学生のころまでお世話になったところなので、る・く・るになると知った時はちょっとがっかりしました。なぜなら、駿府公園の児童会館は、外の遊具のあるところと隣接しており、子どもたちはそこを自由に往復して遊ぶことで楽しんでいたからです。
ところで、静岡駅の構内が以前は入場券なしでは通り抜けられないととは知りませんでした。多分その頃は清水にいて、家の立地条件から静鉄を主に使っていたからだと思いますが。