▽午後3時から南口プラザで閉店のイベントが行われた。
( さよならではなく「また、お会いしましょう」 )
▽午後6時、蛍のひかりの大きな斉唱と拍手に送られていよいよ閉店。
現場に行ったのが遅く、人垣で正面(反対側)からはとても撮れませんでした。(笑)
「新静岡センター」が
電車とバスのターミナルである鷹匠町一丁目71番地
(現在は住居表示で鷹匠一丁目1番1号)に
開店したのは1966(S41)年5月15日でした。
当日はあいにくの雨天にもかかわらず
15万人の入店者でごったがえしたということです。
この数字は、大都市ではさしてめずらしくもないのでしょうが
当時の静岡市の人口は37万人ほどで
単純計算でいうと市民の4割が来店したことになる驚異的な数字です。
当時は、行け行けどんどんの高度成長期の真っただ中で
開店からわずか4年後の1970年に裏側の民有地を買収し
売場面積が開店当初の約2倍に増築増床されました。
(特に地階部分はバスターミナル直下にも拡大されたため、大幅増床となった。)
閉店時の建物の姿は、ほぼそのとき完成されたと言えます。
なお、同時にバスターミナルも、バスの流れをスムーズにさせるために
建物と平行に配置されていた島ホーム(現中ホーム)を縦に改め、
面積も大幅に拡大されました。
市民からは単に「センター」とよばれている「新静岡センター」ですが
この「新静岡センター」というネーミングは公募で決められました。
今となってはやや垢ぬけしない名前ですが
メルサとかサンプラザといった愛称が施設に付けられるようになる、はるか以前のことで
当時は横文字が入っているだけでモダンな感じだったのでしょう。
ちなみに、ほぼ同時期に開店した県内の同種の施設では
「富士急名店会館」「遠鉄名店ビル」といったネーミングで
やはり時代を感じさせます。
その「センター」が42年たち
建て替えのため1月31日でいったん閉店しました。
最終日は開店の日にも劣らぬと思われるほどの人出で
地階の食品売り場ではお昼過ぎの時点で多くが完売状態
書店では本は定価販売なのにレジに長蛇の列でした。
建て替えのためとはいえ、
そこにあることが当り前になっていたものがなくなってしまうことは
やはりさびしいものです。
2011年秋には新しい施設となって
我々を迎えてくれるということですから
楽しみに待つことにしましょう。
「Adieu」ではなく、「Au revoir センター」、「Auf Wiedersehen センター 」です。
▽北側の正面玄関
▽バスターミナル側から(向こうに見える右手のビルは県庁別館、その隣は東館)
▽県庁別館展望室からのセンター(最終日の撮影ではないですが)
▽秋から毎土・日曜ごとに行われていた閉店記念の行事
(閉店64日前のこの日は県立静岡E高校が出演)
( さよならではなく「また、お会いしましょう」 )
▽午後6時、蛍のひかりの大きな斉唱と拍手に送られていよいよ閉店。
現場に行ったのが遅く、人垣で正面(反対側)からはとても撮れませんでした。(笑)
「新静岡センター」が
電車とバスのターミナルである鷹匠町一丁目71番地
(現在は住居表示で鷹匠一丁目1番1号)に
開店したのは1966(S41)年5月15日でした。
当日はあいにくの雨天にもかかわらず
15万人の入店者でごったがえしたということです。
この数字は、大都市ではさしてめずらしくもないのでしょうが
当時の静岡市の人口は37万人ほどで
単純計算でいうと市民の4割が来店したことになる驚異的な数字です。
当時は、行け行けどんどんの高度成長期の真っただ中で
開店からわずか4年後の1970年に裏側の民有地を買収し
売場面積が開店当初の約2倍に増築増床されました。
(特に地階部分はバスターミナル直下にも拡大されたため、大幅増床となった。)
閉店時の建物の姿は、ほぼそのとき完成されたと言えます。
なお、同時にバスターミナルも、バスの流れをスムーズにさせるために
建物と平行に配置されていた島ホーム(現中ホーム)を縦に改め、
面積も大幅に拡大されました。
市民からは単に「センター」とよばれている「新静岡センター」ですが
この「新静岡センター」というネーミングは公募で決められました。
今となってはやや垢ぬけしない名前ですが
メルサとかサンプラザといった愛称が施設に付けられるようになる、はるか以前のことで
当時は横文字が入っているだけでモダンな感じだったのでしょう。
ちなみに、ほぼ同時期に開店した県内の同種の施設では
「富士急名店会館」「遠鉄名店ビル」といったネーミングで
やはり時代を感じさせます。
その「センター」が42年たち
建て替えのため1月31日でいったん閉店しました。
最終日は開店の日にも劣らぬと思われるほどの人出で
地階の食品売り場ではお昼過ぎの時点で多くが完売状態
書店では本は定価販売なのにレジに長蛇の列でした。
建て替えのためとはいえ、
そこにあることが当り前になっていたものがなくなってしまうことは
やはりさびしいものです。
2011年秋には新しい施設となって
我々を迎えてくれるということですから
楽しみに待つことにしましょう。
「Adieu」ではなく、「Au revoir センター」、「Auf Wiedersehen センター 」です。
▽北側の正面玄関
▽バスターミナル側から(向こうに見える右手のビルは県庁別館、その隣は東館)
▽県庁別館展望室からのセンター(最終日の撮影ではないですが)
▽秋から毎土・日曜ごとに行われていた閉店記念の行事
(閉店64日前のこの日は県立静岡E高校が出演)
新清水は駅店舗がコンビニになっちゃったし風景も変わりますね
ブログリンクしました。
よろしくお願いします。
今でも自筆のものが社宝として静岡鉄道に保存されているらしいです。
北原白秋は静岡にきて浮月楼に投宿して作詞をしたらしいのですが、なかなか筆がすすまなかったようです。
なんでも二丁町に通う方が忙しかったとか・・・
浮月楼で、芸者が「きゃぁろがなくんてあしたは雨ずらよ」と言ったのを聞き、それがそのまま歌詞になったとか。
以上聞きかじった話ですが・・・