▽ 呉服町側から上魚町(現金座町)方面をのぞむ
左が日本銀行静岡支店、右が清水銀行静岡支店
右の角(現駐車場)にあった創業百十数年という奈良屋文具店(所在地としては中町)は昨年閉店してしまった。
▽ 小川龍彦著「続 思い出のしずおか」からの碑
(静岡駅方向を描いていると思われる。)
大正時代に静岡で初めて車道と歩道の区分のある道路となった記述がある。
上魚町は、現在の金座町(きんざまち)のことで
別称 「上之店(かみんたな)」 とも言われるとおり
商家が立ち並ぶにぎやかな町だったようです。
江戸期から明治・大正ごろまでは
静岡で商家が立ち並ぶ最も繁華な通りは
この上魚町から呉服町一丁目・二丁目・三丁目(現在の呉服町一丁目)、札の辻あたりまでで
呉服町も四丁目・五丁目・六丁目(現在の呉服町二丁目)と
現在の静岡駅方向に進むにつれ
しだいにその繁華性は尻すぼみのような状態であったということです。
(上魚町と呉服町一丁目の間には本通があるが、
昔の本通は数間程度での幅員で新通などより狭い道だったようです。)
つまり、通り沿いの繁華性の程度が現在とは全く逆進行だったわけです。
(七間町も繁華な通りだったのでしょうが
性格的には盛り場という言葉が似合う娯楽や飲食の街だったようです。)
上魚町が栄えた理由は
徒歩による交通が当たり前だった時代には
市中からはもちろん
安倍街道筋、藁科街道筋、麻機街道筋からも人が集まりやすい
地の利を得ていたということだったのでしょう。
こちらへつづく
▽もともとの上魚町は土手通りから呉服町一丁目交差点までの両側町だった。
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続きもあるというので、楽しみにしています。
実は何を書くかまだ決めてないのです。
ご期待に沿えるかどうか・・・(笑)